1-3・遠州弁関連

浜松弁なんていう言い方は知らんにい

 稀に「浜松弁」という検索ワードでお越し下さる方がおられるが

はっきしゆって「浜松弁」なんぞという言い回しはうちの近所ではしない。つうか知らんにい。東京の浜松町での話しってことならわし知らんくても当然だけど。

しぞーか県の浜松市に生まれ育っていっちょ前に長いが地元の衆でそういう言い方をする人聞いたことが無い。と言い切ってみたところで実際検索してみると「浜松弁」と謳ってるサイトがごろんごろんあるだいねなんかしらんけど。

でも私は言いたい、浜松で使われている方言は「遠州弁」であると。

で、「遠州」というのは実は尾張や三河・駿河のような国名ではない。国名ということなら「遠江」の国なのである。しかるに「遠江弁」という人は「浜松弁」と同じくらいいやそれ以上に皆無に近い。

どうして今は「遠江」より「遠州」が普段使いされているのは私にはよく分からないが、「遠州」という呼び名は古くから言われていたらしい。規模は比べ物にならないが古くは関東を坂東と呼称したのと同じようなものか。それと較べて浜松という地名は徳川家康がこの地を治めるようになってからといわれている。(余談だが静岡は明治になってからで大昔からではない。)

私は根拠が有って言ってる訳ではないが遠州弁は独自に変化発展したものではなくて古い日本語が変化が少なく済んで残ってる方言だと思っている。なので浜松と呼ばれるようになった時代頃に発生したみたいな印象を与える「浜松弁」というのは好きくないし浜松でしか使われていない狭い範囲の方言ではないという考えもある。

まあ感情論であり言葉の綾なんですけどとにかくそういうことで

だもんで「浜松弁」なんて知らんにい。

ただ、地域によってその言葉は微妙に異なり、会話にズレが生じたりすることがない訳ではない。新居雄踏言葉とか庄内言葉とか浜北言葉とか掛川言葉とか色々あることは事実である。

なのでそういった違いから「浜松ことば」という表現があるとしたならそれはアリだとは思う。

なので「浜松弁」はないが「浜松ことば」ならある。と思っておりますです。

そこんとこお間違いなきよう。遠州弁で言えば「そこんさあまちがわんでよを頼むにいホント」。

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寒いの種類

さむい さんむい さみい さあむい さぶい さんぶい 冷える う~冷える

ちべた つべた つんめた ちゃぶい ちゃっぷい どさぶい どっさぶい くそさぶい 

くっちゃぶい ばかさむい がんこ冷える ど冷える さぶっ こおる しぬ

まあこれ以外にも「寒い」と伝える表現はあろうがきりがないのでこのへんで。この中でどれが共通語でどれが遠州独特なのかよく区別がつかないので思いついた限り列挙した。

「ひゃっこい」は寒いというより涼しいという夏場とかで使うニュアンスだと私は思っているので外しましたが、地域によっては「寒い」というニュアンスで使われるところもあるやもしれません。

「冬はぬくとい鍋で夏はひゃっこいそうめんがいいな」とかいった風に。

「ど」を使う場合は「さぶい」で「ばか」と「がんこ」を使う場合には「さむい」という言い方をする人が多勢という気がする。

浜松での寒さは風の寒さで、雪国のようなしんしんとした寒さはまず体感するようなことはない。なので厚着でというより風対策が防寒の基本であろう。

とにかく無音の静寂さの中でかじかみつつも背筋が伸びるような凛とした寒さではなく、やたらと屋根の軋みや窓打つ風の騒々しさの中での落ち着きの無い寒さなのである。そうそうはいないが寒さを「(風が)痛い」という表現をするポンポン乗りもいたりもする。

かじかむ、こごえる、いてつく とか言う表現は書き言葉で普段の会話ではあまり聞かない気がする。しばれる という他地方の方言もおちゃらけで使ったりするひともいるがまず使う地域ではない。

ただし、浜松といっても市町村合併でひたすら面積が広くなり山間部においてはこの限りではない。

暑いに関してはこれほどの言い表し方の量はない。

例文

「やあどっさぶいやあ。」

  (うわ~凄く寒いなあ。)

「今年一番だって。」

  (今年一番の冷え込みだってさ。)

「明日氷張ってたらわし来れんで休むでねえ。」

  (明日の朝道路凍結してたら来れないんでよろしく。)

「ばかいっちゃかん。這ってでも来んとかんにい。」

  (なに言ってるんだ。這ってでも来なきゃ駄目だよ。)

「冷たいじゃん。」

「だで一番の冷え込みだってゆってるじゃん。」

「いや、そおじゃなくて。」

以前にも書いたが浜松の平地近辺は朝氷が張ることはあるが雪が積もらない。もし雪が積もったら大抵のところは雪道の準備をしていないのでまあもろもろな事が停止して騒動になるだろうな。

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おじいちゃんの呼び方の種類

特に遠州独特という言い方はないのだけれど、それぞれのニュアンスには地域差とかあるのかもと思って記載。おじいちゃんを挙げたがおばあちゃんに置き換えてもほぼ同じと思われる。

でも実のところ列挙してみたらほとんど共通語の使い方であったとさ。って感じですな。

じいじ

  「じいじあれ買って」 ほぼ身内の祖父に向かって言う表現。本人が孫とかに自分の事を告げる場合にも使われる。

じじい

  「あのじじい嘘ばっかこきゃがってえ」 この野郎という時とかに放つ表現。発言者及び対象者は親族他人に拘らない。

じいさま

  「あそこのじいさま昔ど怖かっただにい今あ丸いけど」 まずもって他人のおじいちゃんに向かって言う表現。多分に敬っている目上の印象を与える。逆に自分の身内に放つと他人行儀(ひな壇に置いたよう)な距離感という印象を与える。

じいちゃ(おじいちゃ)

  「今手え離せんでじいちゃに構って貰いな」 親しい距離という印象を与える。他人でも親しい間柄であれば使われる。

じいさ(おじいさ)

  「やあおじいさ、なにゆってるだあ」 他人に対して放つ表現。ボケかました相手とかにも使うので年齢に捉われない使い方をする。「お」をつければ多少は和らぐ。おばあちゃんが自分の連れ添いを指して言う場合もある。「ちゃ」と「さ」の違いは親密感が「ちゃ」の方が強い感じであろうか。

じじ

  「じじばばにゃこんくらいん丁度ええだあ」 個人を指すのではなく一般的にはという勢いでオタクだとかギャルだとかと同じような括った言い方。

おじじ・じい・じいちゃん(おじいちゃんは使うので別物)

  あまり普段使いでは聞かない印象がある。遠州ではそう使わないのかも。

例文

「おめえんとこのじいさまえらい羽振りんいいっつうじゃん。」

「孫にはの。うちのじいちゃ孫には甘すぎるだよ。『じいじ~』とか言って甘えりゃすぐ財布弛むでの。その分オレにくりょっつうだあなあ。」

「でもまあ最近のじじばばみんな元気だでなあ。もんりいしてくれるでその分助かるだらあ。」

  (でもあれだよ。最近のお年寄りは元気だからねえ。お守りしてくれる分助かってるんだろ。)

「まあの。でもくれ過ぎてわがままんならんか心配だよを。」

「大丈夫だよ。親に似るだで甘やかされんでも十分わがままになる素養はあるって。」

「おめえそれ喧嘩売ってるだ?」

「ホントのことじゃん。」

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とばさいてみる?

「飛ばしてみるかい」と言っている。テレビで浜北の衆がこう言っていたのをスケッチしたのであるが。

意味は分かるけど実際自分が言うとなると「とばかいてみるけ?」というだろうなと思った。

もう少し細かくして「とばさいた」・「とばかいた」としてみる。

私の感覚だと「とばさいた」は「とばさせた」で「「とばかいた」は「とばかせた」となる。鳥を放つとか自らが飛行能力のあるものをというのなら「とばさせた」で違和感がないのだが、紙ヒコーキとか竹とんぼとかみたいな他の力が加わってこそ飛ぶようなものに対しては「とばかせた」という方がしっくりくる。

かくも同じ遠州弁といっても異なるものであり、統括統一して「これぞ遠州弁」と謳ったものを誰かが作り上げたとしてもきっとそれぞれの集落から異存が出るだろうなと思った次第。でもだからといって浜北言葉浜松言葉掛川言葉とかで凝り固まったら「遠州」という表現の意味はない訳で微妙。

言い方は違えども意味は通じ合うというツボだけは同じというのがいい形なんだろうなきっと。

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きやせんとこやせん

「来ない」と言っている。細かくいえば「来やしない」ということか。

この「来」を「き」というか「こ」というかでの違いはどう違うのか。

多少寄り道するが、古語辞典では「こ」(来)はこう説明されている。

「く」(来)の命令形。「く」の命令形は「こよ」であるが、中古までは「よ」をつけないで用いられた。

と、ある。

カ行変格なので「こ・き・く・くる・くれ・こよ」。つまり「き」は連用形で「こ」は未然形か命令形ということになる。

ちなみに遠州弁では「こっちこ」(こっちに来なさい)という言い方があり、そんなことはないとは思うが上記の論法で言ったら遠州弁は凄い古い日本語を使ってるということになる。まあ普通に考えれば未然形の「こ」だろうなここはやっぱし。それに「こっち来なさい」の他の言い方として「こっちこぉ」とか「こっちへおいで」というニュアンスだけど「こっちきい」ってのもあるし。

ま、そんな自分でも理解できていない辞書からの受け売りの小難しいことはともかくとして、そんな事とは関係なく個人的な感覚でいえば

「待ってるのにきやせん」だと「待ってるけど来ない」。遅れる理由がなんかあったのかなあという気になる。この後に続くとしたら「なにしてるだやあ」とか「なんかあっただかいねえ」とかが違和感がない。

「待ってるのにこやせん」だと「待ってるのに来ないじゃないか」と憤慨度が高くなる勢いを感じる。この後に続くとしたら「あいつなにやってけつかるだあ」ってな勢い。

「くるっつっただにきやせん」では「来るって言ったのに来ない」

「くるっつっただにこやせん」だと「来るって返答したのに来ようとしない」みたいな確信犯的にあいつ来ないんだという感じになる。

もちろん「き」と「こ」を入れ替えても意味は成すのであくまで個人的な感覚なのであろうが。まあ「き」よりも「こ」のほうがキツイ物言いには聞こえることはそう間違いではないのではなかろうか。

それと年長者など目上が下の人に言う言葉は「こ」が基本で「き」でも可という感じで同列とかだったら「き」が基本で「こ」を使うとえらそうな感じになるって考えもあるな。ちなみに目下が目上にという丁寧な感じだと「こられえせん」・「こられやせん」といった感じで「き」は使わない。

ところで「せん・しん」(せぬ・しない)を「へん」に代えるとその意味合いはどう変わるかというと

「きやへん」・「こやへん」

「へん」は「せん・しん」と較べて柔らかい感じになるので「おっかしいなあ」といったニュアンスが強まって憤慨度が隠れる感じになるので「き」と「こ」の違いはあまりない印象になるような気がする。

あくまでなんのまとまりもない私見である。

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らとだら その2

これが違いの全てではもちろんないのだけれど、こういう使い分けの違いというものもあるよということで。

「おっきいら」だと「「大きいでしょう」

「おっきいだら」だと「大きいんでしょ」

「ほれみいおっきいら」(どうだ見なよ大きいだろう?)

「あそこ有名じゃん名物おっきいだら?」(あそこは有名じゃないの名物が大きいんでしょ?)

「ら」は実物を前にして「だら」は実物がない状況で

と言った風に使い分けをしているのであるが、これが「づら」を使うとどちらでも使える。もちろんイントネーションの違いによって使い分けがなされてあるので混同することはないのだが。

ちなみに「おっきいだ」となると「大きいんだ」といった風になり語尾を上げれば「大きいのか?」となる。

「やっぱおおきいだ。」(やはり大きいんだ)

「やっぱおおきいだ?」(やはり大きいのか?)

例文

「大仏ってやっぱおっきいだ?」

  (大仏ってやっぱり大きいのかなあ。)

「そりゃおっきいだら。」

  (そりゃ大きいでしょ。)

「どんくらいおっきいだかいねえ。」

  (どれくらい大きいのかなあ。)

「知らんよを。見たこんないもん。」

  (知らないよ見た事ないから。)

「さびゆく浜松よりかはおっきいだら。」

  (さびゆく浜松よりは大きいんでしょ。)

「そりゃおっきいら。っつうか較べるもんがおかしいに。」

  (そりゃあ大きいでしょ。っていうか較べる対象が変だよ。)

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ニュアンスは難しい

「ブルータスよお前もか」というセリフを遠州弁にしたらどれが一番近いニュアンスになるのだろうか。

単純に変えるなら「ブルータスうおんしもだか」辺りだけどそれじゃ能がないのでもう少し味付けしてみると色々言い方が浮かんで来る。まああくまで言葉遊びのおちゃらけですけどね。

「なによをブルータスあんたもけえ」

「なにいブルータスおめえもけえ」

「なにやあブルータスおんしもかや」

「なんでよブルータスおんしもだあ?」

「なんだやブルータスおんしゃあもを!」

「なんでブルータスもよを」

「うそっブルータスおんしもっ?」

「あれやあブルータスおんしもだ?」

「あれえブルータスあんたなにやってるよを」

「なんでえ?ブルータスぅまでえ?」

「勘弁してやあブルータスまでえ」

「ブルータスまで随分じゃん」

「ひょんきんじゃんブルータスまでもけえ」

「やあなんだやあブルータスまでえ」

それぞれ微妙にニュアンスが異なるのであるが

凄く意外ってことなら「うそっブルータスおんしも?」かな。

状況が分かってない程動揺してるってんなら「なんでえ?ブルータスぅまでえ?」か?

もう泣きそうって勢いなら「やあなんだやあブルータスまでえ」辺りか。

冗談じゃないよと憤慨してるのなら「なんでブルータスもよを」か。

冗談じゃないよと憤慨を越えて呆れてる(むしろ放心)なら「勘弁してやあブルータスまでえ」ぐらいか。

全く状況が分かっていないって勢いなら「あれえブルータスあんたなにやってるよを」かな。

一番冷静なのは「なによをブルータスおんしもけえ」かな微妙だけど。

結論じゃないけど、ひとつ言えることは名文句も遠州弁にすると台無しになるという事だけは間違いないようだ。

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あげるやるくれる

対象者によって三段階に使い分けされる表現。まあ間違いなく共通語なのだがそれでも「くれる」を未だによく使う地域として特徴があるのかなと思い記載。

尚、ここで述べる「くれる」は「誰かがやってくれるだろう」とかいう意味使いの「くれる」ではない。「成敗してくれる」とかいう意味使いの「くれる」である。

「物をあげる」を例にすると

「物をあげる」丁重さがある。

「物をやる」まあ普通。

「物をくれる」上から目線。

仏壇にお水を供える時には

「仏壇にお水あげて頂戴」であり

家人にお水を渡す時には

「お兄ちゃんにお水やって頂戴」

ペット用に水を汲む時には

「クロにお水くれて頂戴」

目上とかに「やる・くれる」を使えばえらそうにとなる。横並びに「くれる」を使うとむっとされる。ペットに「あげる」を使うと溺愛と思われる。

敬語っぽくだと「あげなさる・やりなさる・くれなさる」とかだと少しはお上品な感じになる。でも実際は「あげんさる・やりんさる・くれんさる」という言い方の方が普通だけど。

では、「やれることができる」という場合は

「あげれる・やれれる・くれれる」

手伝うだと

「手伝ってあげれる」

「手伝ってやれれる」

「手伝ってくれれる」

と遠州弁お得意の「ら」抜き言葉と相成る。ちなみに「ら」抜きしないで

「あげられる・やれられる・くれられる」

だと「やることが可能な状態だ」といった風にとられ敬語としてとられる可能性は薄い。まあ「ら」抜きと大きな意味の違いはないのだけど。

人に物を頼むような時に「くれる」を使うと一応へりくだっている勢いになる筈なのだが。

「お腹すいたでなんかくれろ。」

実際はとてもそんな感じには聞こえない。このように横柄に映るが気持ちとしては一応へりくだって(自らを卑下して)いるのである。かも。

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どうまいら

「凄く旨いでしょ」と言っている。「どうまいら?」と語尾が上がれば「「凄く旨いでしょ?」となる。「どうまいらあ」だとイントネーションの違いで「凄く旨いでしょうに」・「どうだ旨いだろ」という二通りの解釈ととれる。語尾が上がって「どうまいらあ?」となれば「そうだろ?凄くうまいでしょう?」とかになる。

「どうまいら」の使い場所としては例として

「ね、分かるらあ。どうまいら。」

訳すと「ねえ分かるでしょ凄く旨いでしょ。」といった感じで同意を強く求める勢いになる。

「どうまいだら」だと「凄く旨いんでしょ」つまりまだ食べてない状態での発言。

まだそれを食べていない人に自分が今食べていて旨い事を伝えたい場合で「これ食べてご覧よほんとこれは凄く美味しいよ」ということなら

「これ喰ってみいにホントこれどうまいにい」

同じように薦める状態で自分も今食べていない状態で「これ食べてご覧よほんとこれはすごく美味しいんだから。」ということなら

「これ喰ってみっせえホントこれどうまいでえ」。女性言葉なら「これ食べてみいにいほんとどうまいだにい」

食べる前から旨いだろうとは思っていたけれど「食べてみたら凄く旨かった」だと

「喰ったらばかうまかった」

食べる前は旨いとは思っていなかったけど食べたら「思ってた以上に旨かった」だと

「いやあがんこうまかった」

人に勧めたくて「本当に旨いよこれ」という場合には

「ホントうまいにいこれ」

人に理解して貰いたくて「本当に旨いんだよこれ」だと

「ホントうまいだにいこれえ」

人に納得して貰いたくて「本当に旨いんだから食べてごらんよ」だと

「ホントうまいだで食ってみいって」

とかになる。あくまで一例でありましてパターンはまだいくらでもありますが複雑にしても分かりにくいので。

ちなみに旨いの強調形のパターンを挙げると

「どうまい」・「ばかうまい」・「がんこうまい」・「うんまい」

とかがよく使われるのではないか。明快な使い分けは多分ないと思われる。

蛇足ではあるが女性の場合「にい」表現を多用すると可愛らしいと映ることがあるらしい。

蛇足の例文

「これあんたけえ。」

  (これやったのあなたなの?)

「違うにい、にいにだにい。」

  (違うよ兄ちゃんだよ。)

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上手くない遠州弁の使い方

 最近テレビに出る有名人の中に遠州弁の使い手が現れて多少なりとも脚光(陽の目)を浴びつつあるみたいだけど。遠州弁を使う原住民として他国の衆らが使うよくある聞いちゃおれん遠州弁っつうのがある。それは、イントネーションの違いはまあ無理だとしても、最後にだら・だにをつけて仕舞いという形。

「今日は良い天気で絶好のお出かけ日和だら」

間違ってはいないがえらく中途半端であり

「今日良いい天気だで外ん出るにゃ最高だにい」

くらいにはしてもらわないとすっきりしない。もちろん

「いい天気じゃん。あんた今日そと出てかんでいつ出るよを」

ぐらいまで逝ってくれればもう原住民扱いになるのだが。

 たとえ原住民の人でもピンとこない言い回しと感じることがある。遠州弁と言っても各集落によって随分と異なるものであり私がしてることは自分とこの集落の言い回しを押し付けているようなものなんだけど。

「そんなに ぬくとめなくても いいにい」

  (そんなにあたためなくてもいいよ)

私だったら

「そんな ぬくとめんでも いいにい」

もっとぐでぐでにするなら

「んな大層にぬくとめんくたっていいでねえ」

とする。他の例では

「まあ、そうだけど、左側に落ちんくてなによりだったな。あっちは民家があるでね。」

私だったら

「まあそうだけえが ひだりっかあに落ちなんでなによりだったやあ。なんしょあっちん方家あるで落ちたらホントたまらんにい。」

そりゃあまあ若い衆は方言を避ける傾向にあるのは今日に始まったこんじゃないだで人の事言えた義理じゃないにしても、歳とりゃあ自然と回帰するだでちったあね。使えたあ言わんでも聞き取りはきちっとして言い回しとか忘れんようにもしてくれんとをと思えるだよを。

 ちなみにタイトルの「上手くない」。

「うまくない」と読むのは標準語。断定するのは無謀な暴挙ではあるが

遠州弁なら「じょうずくない」と読む。

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