2・テレビ

2009笑っていいとも!秋の祭典スペシャル

 こういった長時間のドラマの一括番宣ってフジとTBSだけかと思ってたけど、この秋は各局(ドラマだけに限らなかったけど)で長丁場の番組をやっていた。

幸か不幸か今の時期観るものもないので一通り見たような気がする。流石にいちいち録画してる訳ではないので記憶だけで感想を述べてる次第でありますが。

まあ不平不満的な能書き書くのは無料視聴であることも含め控えるところでありますが、役者さんを迎えてのゲームを愉しんで貰って気分転換みたいな慰労会という趣があるとことかミニマラソンやレスリングもどきを主体としたバラエティの添え物扱いしてるとことかあります中で、フジテレビの笑っていいともはやっぱり老舗というか見てて一番愉しかったです。

特によかったのは「再現ドラマ」。どこまでご本人が関与されてるのか分かりませんがやはり餅は餅屋でありまして。なんか貴重なものを観た気がしましたです。録画しとけばよかったなあ。

東京DOGSチームの仲の良さというか結束力を感じましたし、小栗さんホントうめえわと関心しきり。ああいう短い時間で多くを確実に伝えるには誇張を怖れず表現することが大切で、そういう意味では舞台で鍛えられる表現力が役者さんには大事なのかなと思えました。もちろん110分近くの映画でずうっとああいうテンションじゃ観てて疲れるんでそれ一辺倒はご勘弁をとなりますが。伝家の宝刀じゃないけどここぞという時にああいう表現されたらしびれるだろうなきっと。

そういうことだから、小栗さん勝地さん阿部さんとかの動きに惹きずり込まれるのかなあと。

こうした映像を作るという企画は以前にも在った様な記憶があって、その時はそれぞれのドラマのスタッフが企画して番宣フィルムを出し合ってたような記憶があります勝敗抜きで。その時も面白かったんだけどそんな暇がないとこも出てこようからでしょうか、いつの間にかなくなっていたけれど。こうして再び観れるのは嬉しいなと。

今回もオーダーだけで企画演出はスタッフさんが作ったものかもしれませんが、役者さんの意思の下にやりたいように演じる映像ってのがあればそれは新鮮でいいとも観たいとも。小栗さんなんかは監督業もやられているからそれこそ小栗さんに丸投げで作ってとか依頼されたら願ったり叶ったりなんじゃないのかなと思えたりもして。他にもこういう場で作り手としての経験値を積まれたい役者さんもおられるかもしれないから例え学芸会に毛の生えたみたいな実験的なものでも構わないからそういうの観てみたいな。

まあとにかく小栗さんがとても印象に残ったこの秋のいいともでありました。

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なんとなく思った事

 「めざましテレビ」を観ていてなんとはなしに思い浮かんだ事。

様々なコーナーで彩られている番組であらっしゃりますが、その中でも食材の紹介を兼ねた試食のシーンが毎日結構目を惹き付けられる訳であります。で、思うのですがもっとででんとお食べにならればいいのにとふと思ってしまいます。いただきますから始まってご馳走様まで。ワイワイ話しながらまるで観てる方が同じ食卓を囲んでいるかのような錯覚が起きるくらいのアットホームな勢いで。

朝食の重要性はよく言われる事であり、美味しそうに食されてる姿を見たらば自分も食べたくなるってことも有り得るのでは。朝は睡魔と栄養補給との選択の葛藤する時間で睡魔が勝利する人が圧倒的でしょうがそれを覆す一翼を担うようにって書くと大袈裟か。

立食では気忙しないので出来れば座して食していただきたいところであります。

そんな気を起こさせたとある日の皆藤さんの頬張り具合と高嶋さんの喰いっぷりでありました。

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カワイイ

 「カワイイ」という表現。深夜の某国営放送を何気に見てたら海外に伝播している用語として紹介されていた。訳については私の感性では上手く説明も表現も出来ないのだが、その使い方については子供やペットに向けて発する「可愛い」とは異なるものだというのは分かったつもりになった。

 服装の形態でいえば凡てがそうではないのだろうが実用性とはかけ離れたもののようであるらしい。ゴスロリとかメイドみたいなのが有名らしい。元はマンガという想像の産物から生まれいでし所から発生してるようで。源流が非現実から生まれたものであるならば納得ではある。

マンガが現実(リアル)に近づこうとするのと人がマンガ(憧憬)に近づこうとするその距離感が今、遠過ぎも無く近づき過ぎでも無いという人がそれを着る事に勇気が必要な冒険心と夢を追うのに丁度良いのであろうかしらむ。恥ずかしくも無く浮き捲くる訳でもないという。でも普段着のようには無意識では着て歩けないというドキドキ感。

まあ他にも携帯電話や爪のデコレーションとかも紹介されてたけどどれも共通するのは機能性実用性を追い求めておらずむしろ逆に犠牲にしているということ。不思議なもんで基の携帯電話は機能性実用性を追い求めた末の商品でそれをあえて捨ててるということ。じゃあデコレーションされる本体もどうせそう使われるんならと同じ方向性に向かったら絶対見向きもされないんだろうな。大量生産の優位性の限界とかういうものなんでしょうかねえ。

とにかく文化(番組ではカルチャーと言ってた)として「カワイイ」という美意識が存在していてそれは新しいものだということは分かりました。それが日本ならではの概念で海外に影響を及ぼし始めているということでありました。

 でもだからといって人に対して「カワイイ」を使うのはやはり抵抗あるというかおかしいと思えてならない。あくまで「カワイイ」は物(作品)に対してのみ使うべき言葉なんじゃないのかと。

よくテレビで一般の観覧者をスタジオに招いての番組で、出てこられる芸能人さんに向かってこの「カワイイ」を発する番組を最近当たり前のように見かける。成人した大人に向かって「カワイイ」はないだろうと。しかもどうみても年上の人にむかって連発する様は異様に感じてならなかった。人気商売だからどなたも笑顔で対応されているが内心は自分より年下から「カワイイ」と言われて嬉しいものだろうか。少なくとも人には自負や誇りというものを持っている訳で「カワイイ」はそれを打ち砕く要素を秘めているのではなかろうか。言ってる本人は美の表現として発しているつもりでも受け取る側はタメ口(もしくは上から目線)のようにしか聞こえないこともあるのではないのだろうか。

この番組を見て「可愛い」ではなく「カワイイ」と言っているのだという意識は理解できたけどやはり人に向けて言っていい言葉とは思えない。人そのものは物でも作品でもないからだ。完全に間違ってはいないけどあってるとは到底思えない。「美しい・綺麗」がこっぱずかしくて言えない時代なら新しい表現を生み出してくれてもいいから「カワイイ」は人に向けて欲しくない表現だなと改めて思いますわ。

「ヤバイ」は理解できるけど「カワイイ」はどうもその使い道がまだ定まっていないみたいに感じる。これが海外のほうでは決まっているようであるが。発祥の地である日本でも使い道を逆輸入して明確にすべきではとつい思ってしまいました。なんでもかんでも「カワイイ」はなんだかなあです。

とにかくエロおやじが使う「可愛い」と若者言葉の「カワイイ」は別物ということを知ったってことで勉強になりました。私としては理解はしたけどそういう感性がないんでおそらく使うことはないでしょうけど。少なくとも「カワイイ」=「「粋」というよりも「カワイイ」=「伊達」又は「かぶいてる」という感覚の方が近いんだろうかな。

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なんだかなあ 最近の某国営放送は

 ただの妄想なんでしょうがね。最近の某国営放送の大虎ドラマや暦誌皮話ヒストリアなる番組とかを見ると、歴史をショーアップしてるとしか思えない。ここまで受け狙い的ないいとこ取りしたような軽薄化にしなければ歴史への興味がそそられない程視聴者は怠惰してるんだという判断なのかしらむ。

どちらかというと「講釈師見てきたような嘘を言い」がピタリとはまる勢いを感じます。嘘ではないのでしょうが具体的には書きませんけど「これは事実なのか」と詰めたら事実だと押し返せるんでしょうかってのが結構あるように思えてきます。これはフィクションですとは謳ってませんから事実だと言ってるのと同じでしょうが事実を元に話しを膨らませてるとしか思えない部分を感じます。まあ足利尊氏や源頼朝の肖像画だと教わってきたものが最近の調査でひょっとしてとかになるくらい歴史に真実なんかないんだから想像を膨らますしかなかろうと達観されておられるのかもしれませんが。

別に権威を求めている訳ではないのですが、素人からみてもホントにそうなのかそんなこと言ったのかとかいう疑問を抱く作りはなんだかなあです。始めにきちんとフィクションだと謳ってくれてればあれですけど。そりゃあ確かに重厚な作りで嘘八百というのよりかは騙された感は少なくて済みますけどね。某国営放送に求められるのは信憑性であってあたかもな華やかさでは決してないのでは。

こうした違和感を覚えてるの自分だけかしらむと不安になったのでネットで調べてみたら対某国営放送に対して同じ表現を使われてる方が結構いらっしゃったのでホッとしました。

もちろん○HKスペシャルのようにまだ健在な番組と映るものも在りますので全否定してる訳ではありませんです。例えば「後藤新平」の台湾総督府時代での一面を見たりとかで見応えがありました。国営放送なら民放とは異なる役割があるのではと。後塵を拝してまで倣う(競う)必要がどこにあるんだろう。コマーシャルばりの番組宣伝流したり。もちろん某国営放送側にしてみれば機を見るに敏なりということで時代を読んでということなのでありましょうが方向性がそれでいいんだろうかと。足並みそろえたところで経営の体型が異なるんだから孤高ながらも我が道を行く方が無理は生じないのではと思えてしまいます。

尚これは最近民放とのコラボ番組が生まれてることへの批判を含んでいるのではありません。商売上二の足を踏むようなこと(視聴率)でも某国営放送ならばこそそれに惑わされずに為しえることがある筈で、目的が異なる道を進むも否定しあうことなく双方の弱点を補う関係でたまには同席してまずは一献とかがあることは悪いことではないのですから。お祭りが得意な民族と日常を得意とする民族が出会えばそれぞれの特徴がより鮮明になるでしょうし。歩み寄る手段は本質を変えてまで右に倣えをすることではないでしょう。言い方を替えれば染まる必要があるのかということです。

 話し飛びますが、受信料なるものを年貢のように徴収しておいてまだなおデマンドとかを使用するにおいては別途金払えというのは、これはもしかして第二の漢検か?儲かるならええじゃないかという風にも思えてきてしまいます。そんなに集めてどこへ行く。

もっともテレビが家にあるならNHK見てる筈だから金払えという口上を失くす為に年貢制度を廃して今後視聴希望者のみが番組別に受信料を払って見れるようになる準備というか前段階だというのなら話しは別ですけど。そうなれば殆ど観てもいないのに高い金払わなくて済む出費のエコにもなるし。番組ごとの課金ということにしてくれたらいいのにな。話しが飛ぶ前の話しとは相当矛盾してますけど。

つまりが伝えることが信頼性のあるものでなければ国営放送の意味がない。それを希釈してまで面白い番組作りに励むと言うのなら課金性にて勝負して興味のない人からのお金で賄って欲しくないということです。

いまのところ出来事(ニュース)の信憑性と「共通語の見本」であることが某国営放送の最大の価値かなと私は思っているのですが。それが薄れるのは好きくないところです。

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禁じ手らしい 頻繁なチャンネル操作

 珍しく番組の話しではなくテレビ本体のお話し。プラズマテレビに買い換えて早や1年とちょっとが経過しているのだが。

ここへ来てトラブルが出始めた。テレビが点かないのである。主電源のランプは点いているのであるがリモコンが反応しないのである。まず最初に困ったのはテレビの方に問題があるのかリモコンの方に問題があるのか判断出来ないこと。もちろんリモコンの方の電池は交換してみたけど回復効果なし。部屋を真っ暗にしてリモコンをいじってみるとかすかに赤く光る。これはリモコンじゃないな悪いのはと判断する。

取扱説明書を引っ張り出して「故障かな?と思ったら」頁をめくり同じ症状の対応処置が記載されているかどうか調べてみた。それによると主電源を落とし数分後に再電源投入して下さいと対応が書かれていた。幾度か繰り返すも反応なし。

如何ともしがたく無念の内に時間となり直らぬまま仕事場に向かいて、職場の連中に惨事を訴える。すると結構同様な症状に遭遇している仲間がいたことを知った。で、どう対処したの?と問うたところ「ぶっ叩けばいいんじゃないの?」という案と「コンセントぶっこ抜いて暫し待つ」という案を聞いた。

溺れるものは藁をも掴む。んな訳ぁないと思ったが一応ぶっ叩いてみた。やはり駄目だった。真空管の時代じゃないんだから接触不良とかないんだからやっぱりな。

で、もう一案の「コンセントぶっこ抜く」を試したところ数度目に成功復活した。

電源スイッチひとつとってもテレビに内蔵されているソフトウェアで管理されてるんだということを知る。もうテレビは道具ではなく精密機械になってるんだなと改めて思い知る次第で。それにしてもテレビが映らないのは深刻な問題である。今は見れなくともとりあえず録画しといて直ってから見ようとしたところで録画予約しようにもレコーダーは無事でも画面を見ながら出ないと操作できないのだから他の機械も全て機能しなくなるからである。まさにお先真っ暗。いや懲りた懲りた。

こういう状態に陥った原因を考えてみる。

今頃なんで?という疑問

 ブラウン管テレビからプラズマに買い換えてから「ながら見」をしなくなって決め打ちというか観たいものだけを見るようになったのだけれど。最近になって見たい番組がめっきり減った。でもすることが特にないと元に戻るというか「ぼんやり見」をすることが多くなった。見たいかどうか探り探りだから当然集中していないから身が入っていない。虚ろ気で他にもっと面白い番組があるやもとついつい頻繁にチャンネルを変える。ばんばん変える。それが負担となってソフトウェアの方が対応しきれなくなるのかな。

反省点

チャンネルはむやみやたらと変えてはならぬということか。押した分だけメモリとして蓄積されていってしまって溜まるというか詰まるんだろか。用量を越えてしまうとフリーズしてしまうということなんだろうか。

主電源は点けっ放しを推奨するとあったけど主電源落としてクリア(リフレッシュ)できるなら毎日寝る時主電源落としたほうがいいのかとさえ思えてしまう。

地デジに完全移行したら大丈夫か?

私らガキの頃にはチャンネル争いに参加したダイアル式で鍛えられた世代なので頻繁にチャンネル変えするのに違和感を感じないのである。そんなの番組表表示して選べば済むことだろうという意見であろうがじかに見て決めるという長年の癖は直るものではないし二股三股でころころ変えて複数の番組を同時に見たおいしいとこだけ見してる気になることもあった。もっともこれは男子の癖で女子にあてはまることではないらしいのだが。

そういう人種に或る日突然これは精密機械でデリケートなんですと説明されてもそうそうあっそうと感覚が修正できるものではない。じいじやばあばのお宅だとこういうことに対応できなくて右往左往するトラブルががんこ発生しそうな予感がしてくる。

一時期画面分割して複数の番組を警備のモニター画面のようにしてチェックする機能が備わっていたりしたが、あまり懐かなかった。やはりばかばかチャンネルいじくりが馴染んでいた。

そう考えるとせめて電源スイッチについては緻密繊細にしない方がいいよなと思える機能の気がする。テレビのスイッチは単純な道具であった方が良いような気がするのは気のせいか。

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めざましテレビを観てて思う事

 めざましテレビを観ていて、いつももしかしてと気になるというかハラハラ余計な心配して見てしまうのが試食なさるるコーナー。

つい、お箸で掴み損ねたりつゆとか汁が飛んだりして服にシミを作ったりしちゃわないかとハラハラしてしまうんです。無論一度もそんな光景遭遇してないんでもう妄想に近い心配なんですけどね。みなさんどなたも結構手を抜かずきっちりと食されてることが多く時たま咀嚼に時間を要してしまい(星座占いの)原稿読みのテンポが慌しくなる御愛嬌がまた一興なんではありますが。

もうすぐ御卒業?なさる中野アナウンサーさんがうどんを手にした時の気風のよさはそれこそ見事の一語に尽きる程ですがホントつゆとか飛ばないんだろうかと余計なお世話してしまいがちです。

 決してハプニングを期待している訳ではなく、不測の事態に陥った時どう対処されるのかという対応策を有されておられるんだろうかという疑問がありまして。なにしろ地デジで見ると結構細かいとこまでくっきり映りますからシミなんかあったら番組中ずうっと気になってしまいますから。ゆうときますけど批判では決してござんせん。むしろその仲のよさが垣間見られて楽しみにしてるコーナーであります。

女性が食している姿は人に見せないというマナーを有していた時代もあったことを考えれば隔世の感がありますがそんな時代遅れなことを言うつもりは毛頭ございませんで。とにかく大塚さんを筆頭にしてその喰いっぷりが見事なので粗相が起きて衣服にかからないかつい気になってしまいますです。

 もっともお行儀がいいからこそ為せる技でしょうから自分みたいなマナー知らずの雑さはないからいらぬ心配なんでしょうけどね。コツというかポイントはお皿をなるべく顔に近づけるということらしいのですがこういうのがお行儀のよさになるんでしょうかねえ。自分は不精なので顔を持っていったり箸を置いた皿から口への移動距離が長くてぽろぽろさせてしまうんですけど。

 それにしても皆藤愛子さんの頬張る時の表情は成人なされた女性に対して使うには失礼にあたる表現ですが可愛いよなあと思います。映像とか(せめて写真でも)載せられたらそう思うでしょ?と同意を求めたいところなんですがそれは駄目なんでしょうねきっと。

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堤監督が来静されとらした

そういえば昨日(1/21)の話しではありま駿河、静岡○ごとワイドに堤監督が出とらした。(ま、録画したのを見てるんですけどね。)

日本一忙しい監督と評されるお方が「20世紀少年第2章」のプロモーションでこないな地方局を巡られるというのは驚きと言う他ないような気がします。正直そこまでせんでもお客さん来るだろうにと思うのですが、手を緩めないプロの凄みなのかこの映画に関わっていたいという作品に対する愛情なのかそこいら辺はよく分かんないんですがとにかく伝えたいと言う覇気は伝わって参りました。

驚いてばかりもなんですのであれなんですが。午前中から静岡にお越し為されてたと言うことでなんかイベントとかがあったんでしょうか。ずうっと様々なインタビュー漬けでしゃべりっぱなしとのこと。

「壮大な学園祭。」集まったエキストラの数総勢16.000人。スタッフもキャストもエキストラも20世紀少年大好きが集ってこの世界観を作り上げたという表現でありますが、そのさりげない言葉が印象的でした。エキストラだと時には役者さん目当てとかいう邪まな動機で集まるというよりたかるような集団とかもあったりして、そういう集団が実際に画になると不自然で作品自体げんなりしたりする時があるのですが、この映画は作品のためにということで邪心がなさそうで期待出来そうだなと思えました。

今回は非常に小気味いいテンポ感を意識されたと言うことでありますが原作10巻分が詰め込まれていると言う濃密な内容だそうであります。

原作とも少し違うオリジナルな部分も存在してるとのこと。

最後に監督から謎めいたメッセージ、「声に注目。」。なんなんでしょうね。

大体11分程のご出演でしたがまだまだ伝え足りないかのような熱意が感じられて作品を作り上げた手ごたえというものが伝わってきましたです。

平愛梨さんも共に出演されておられました。

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映画の番宣に奔走される役者さん

このところの志田未来さんのテレビ番組の出演が半端ない。見た(見てないのもありますが)及びこれから見る(見るつもりないのもありますが)順不同でではありますが「さんまのまんま」・「新堂本兄弟」・「未来創造堂」・「ごきげんよう」・「みなさんのおかげでした」・「うちくる」などなど。まだ他にもご出演あるんでしょうねおそらくは。。出れるものはこの際制覇しちゃおうかという勢いすらに映ります。

そして映画の宣伝というよりもストレートにバラエティに出演されるという勢いで番組の終わりとかにさらっと映画の紹介をという映画の宣伝というよりもキャラクター(役者さんご本人)の宣伝みたいな趣旨替わりな感じがしますです。

ご本人も自らを「人見知り」と表現されてますけど、あのお歳では大抵の人がそういう時期でしょうから、はたしてそういう時期に本業とは別の世界の大人の真剣勝負の世界の中に放り込んでええのんかいという気すらしてきますです。

きっかけは映画という限りで、見る側からすれば「志田未来」の人となりを伺うことになる訳でありますが。ここで一般論としての疑問。

役者さんの演技されていない状態(ニュートラル状態)を知るメリットは観客にとってあるのかどうか。

一応私にもえこ贔屓してる役者さんとかはいます。ですが人として出会いたいとか振り向いて欲しいなどと思ってはいないのでもしかしたらただ観るだけのえせ贔屓かもしれません。なので贔屓の役者さんであろうともニュートラルな状態の役者さんに興味はありませんです。しいて願望を述べるなら作品とかが良かったと伝える術(すべ)・疑問に思った事に答えてもらえるとかのパイプがあったらなあとは思いますけど。

そして役者を目指してる訳でも憧れてる訳でもないので、素の状態から演技される時にテンションとかをどう変化とさせてくるのかといった技術的なものに興味がなくただ作品の中で映えたかどうかにしか興味がないのです。

どちらも若い頃にはあわよくばお近づきになってお友達とかにとかいう妄想めいた邪まな感覚もありましたんで逢ってみたいとか普段はどんな人なんだろうかとか興味はありました。それに贔屓の引き倒しとかして曇っためがね掛けてたような全て礼賛といったところも昔はけっこうありましたです。

だから別に役者さんがバラエティに出捲くることに対して視聴者の要望が多いからなんだろうなとは理解できるので批判するつもりはないんですが、だからといって映画の宣伝という役を担う手段としてバラエティの世界に船出するのはどうなんだろうなと。

好きでやられておられるのなら別に問題ないのでしょうけれど、仕事として割り切らなくちゃどうもって思われてる役者さんとかには負担以外の何者でもないんだろうなと。もちろん今は究極の空気読みショーとまで進化してるバラエティでありましょうからゲストでお出になられてもプロのみなさんの手配り気配りで嫌な想いに捉われることはないでしょうけど。いくら人気商売という側面があるとは申せ演技していない状態での認知度を上げてどういうメリットがあるんでしょうかねえ。

とにかく役者さんにとっての映画に関わる際の負担にならなきゃいいけどと思ってしまいますです。映画は監督のモノという想いが私にはあるので宣伝にまで役者さんがその任を負うのは超過勤務扱いみたいでホントご苦労様ですという気になってしまいますです。作品に対する愛着とかからヒット(成功)して欲しい為に一肌脱ぐって心意気ならもちろんその意気を買いますけど。

とにかく奔走ならいいですけど翻弄だとしたら切ないなと思えた次第であります。役者=芸能人という図式がどうも理解出来なくなってる私にはそう思えてきますです。

で、まあ話し戻しますけど、志田さん。「うちくる!?」は見たんですけど、山田優さん(ゲスト出演)と佐野史郎さん(映像出演)もお出になられていてこの組み合わせは、おお「正義の味方」だあと。あのドラマ面白かったのでこの組み合わせが見られるとなんか心が和みますです。続編期待したいところですな。原作知らないんですけどまだドラマでは描かれなかった話しはあるそうなのでどうかひとつ。

泣かせるだけが役者さんの仕事じゃなく笑わせる(笑顔にさせる)ことも役者さんの仕事でしょうからそのバランスが取れる役者さんになって欲しいなと。

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「アナログ」表示

1/12今日から民放の方でも「アナログ」表示出しっぱなしとなり、ますます地デジへの立ち退き要求の抑圧が強化されたようでおますがな。

仕事しててころっころやるべきことが変わるのには馬鹿かあと思いつつも馴れてるけれど、それだけに尚更安息したい家に於いての変更・移行要求は存外うっとおしいもんですわ。色々とありましたが例えば区画整理で立ち退きしたり汲み取り式から水洗式にと便所の仕様を市の方針で変えざるを得なくなったりとそれなりに経験値を重ねているけれど馴れるものじゃないですわ。

でもまあこの常時「アナログ」表示については別に民放は無料視聴なのでブーたれる資格は私にはないので厭なら黙して語らず見るのを止めればいいだけの話しではありますが。

一応心構えとしては今後も「アナログ」表示出っ放しで作品の質が下がろうとも放送局の勝手として民放に対してはぶーたれることはしませんしドラマの感想とかも書いていくつもりでありんす。

しかしながら受信料という名の料金を徴収している有料放送に対してはお客という意識が存在しているので、私は表示を出して作品の質を落とすことに満足も納得もしていないので相変わらず金返せという思い断ち難く非難の意味も含めて従来どおりスルー(記事にしない)とします。ま、あちらさんにとっては痛くも痒くもない屁の河童な蛙の面に小便なことでしょうけど。

しかしなんですな、ちょっと愚痴言わせてもらうなら(もう大分言ってるけど)、こうも機械の買い替えを要求されると資金的に捻出する事が厄介な人間にとってはなんかもう、ついてこうというヤル気が失せてきてしまいそうで、また映画専門に戻りそうな勢いですたい。ゆうときますけど作品の質が下がることは間違いないです。夜とかの暗いシーンで無粋に浮き出てくるのは集中する妨げ以外の何者でもありませんよ。夜が白々と明けるならいざしらず夜に白い物体が浮き出てキモいという感じですわ。。

すでに地デジ対応機種を有してる家のテレビとかに対しては用もない表示はしないというような配慮が欲しいところですな技術的にはそういう手段があるかどうかは知りませんが。それと地デジの画面にも局名が右上に表示されてる。一体なんの意味があるのだろう。唯一の救いはCmにはそう言う表示が出てないってこと。

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ドラマの見方

若かりし頃は役者さんの実年齢に惑わされてこの人がこの年齢を演じるのは変だとか嘘くさくさを感じてそれだけでドラマが興ざめしたりしたんですが、中年と人から呼称される齢を重ねるお年頃になると全然気にならなくなってシンプルに長丁場(半生とか)を役者さんが演じる技術に感心できるようになりました。歳を取るとそれなりにいい事もあるようです。ただ10代は全て同じに見えるようになったのは弊害ですけど。

さすがにセーラー服着てる辺りの年齢を大人が演じるのは技術でカバーできるものではないのでリアルな実年齢の役者さんでしか演じられない領域ですが成人を迎えた以降であればその力量を愛でることができるようになれましたです。主人公の半生を描くような作品は大人が愉しむものなんでしょうね多分。

ほんの数日を描く作品と長い人生を描く作品は、観てる方は単純に面白いかどうかで済む話でしょうけど、演ずる側からしてみれば違う技術を要する作業なんでしょうかね。

女性の場合だと、髪をなにかと触る・人前で椅子に座る際足を組むとかいったあざといくらいのものを駆使しないで役の年齢を表現できる役者さんがお上手と不遜ながらも申せばいいんでしょうか。まあ今は色んなメーキャップとかの技術が進歩していて様々なサポートが存在しているから昔よりかは楽になっているんでしょうけど。

でも覇気や未熟その逆の熟成とかいったものは役者さんがこめるしかないものでしょうからその両方の経験値を有している方が有利であろうことが伺えます。そうなるとやはり20代はまだ青く30代辺りが幅的にも見た目にも化けるに一番ベストな年齢粋なのかなと。

早くから活躍されて大人として扱われて、年相応の人生を歩めなかったとしたらやはりそれは役者としてはハンディでしょう。いつまでも子供だなんて人はまずいないでしょうから、大人びて見えるという表現は役者さんにとって褒め言葉かどうか疑問に感じます。役者さんにとって人生の経験値という階段は飛び越えて先により早く進めばいいというものじゃないんでしょうね。今年は某国営放送のドラマでそういう長いスパンの作品二本を観ることになろうかというつもりでいますがはてさてその役者力愉しめますでしょうか。

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