3・戦争活劇

太平洋の奇跡

 再び寒さ戻りて雨も降りてとちんとてなんやらなな絶好の映画日和なりやとて(つまりそんな混まないだろうと踏んだということですわ。)

大分前から愉しみにしてただけに居ても立っても居られず初日にも関わらず観に行っっちゃいましたよ「太平洋の奇跡」。余り混んでいなかったから自分のペースでじっくり観れた。

タイトル名でフォックスが云々は日本人には関係ない事なので省いちゃいます独善で。

観る前に思った事とは以下の通り

この話は真実から興された物語であるという説得力の強さ。

人の命を守る為にこんな苦労と苦悩を重ねなければならないのだから戦争は絶対にやっちゃいかんという想いを強くさせてくれるのではないか。

軍人の本分を全うした人とはどういう人なのだろう。

Cmでやっていた歩兵の本領を歌いつつ行進するシーンを是が非でも観たかった。

で、実際観た感想はというと・・・・以下はネタバレの可能性大なのでそういうのは御免こうむるという方は読まぬが宜しいかと。それに一度しか観ていないのでぼんくらで頓珍漢な感想に終始してますしね。

続きを読む "太平洋の奇跡"

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プライベートライアンその2

なんとはなしにまたDVD観てしまいました。自分はなにやってんだろう能天気にって感覚に陥った時にこれ観ると心を入れ替えて真面目に生きなくちゃと思えてきますです。

登場してくる人達は敵も味方も全て誰一人として幸せになりえずに生を全うしていくのですが、自分に出来る精一杯の事を為す誠実な生き様をまざまざと見せ付けられると、こういう礎の元に今の自分の安穏が在るのだと思い知らされてはしゃぐんじゃねえよと戒められる想いが湧いてきます。そしてそれと比べると自分は何事にも甘えているんじゃないかと。何か不満とか思い通りにならないのは自分のせいじゃないと考える甘えでしょうか。

彼らはたった一人の兵士を国に送り届ける為に自らの命を賭してその任務に励むのですが。そのことに対する葛藤や腹を括った覚悟の後の行動は自身で考え決して流されること無く進んでいく訳で。

なんかこうネジを閉めなおすべきような時にこれ観ると頑張らなくちゃという気になります。疲れ果てて助けを求めたいような時には重量感があり過ぎてとても観れるものじゃないですけど、気力がそれなりにあって、でもその気力がどこに向かおうとしてるのかあやふやになりかけた時にこれ観ると勇気では決してないですけど背筋がピンとしますです。

こういう映画を邦画でも観たいですけんど、未だ巡り会えていないのはなんででしょうかねえ。

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出口のない海

2006年 佐々部清監督作品

戦争映画というよりも戦争の中を生きた人を描いた作品と言うイメージが強いです。非戦と言うよりも被戦を感じます。

人の心を見続ける時代遅れの侠を目指す佐々部監督らしい作品なのでしょう。でもそれなりに登場人物たち自身の生への自分なりの正当性を、監督はやさしく享受し過ぎていて、傍目からみてはじめて分かる、戦争という個の意思ではどうしようもない集の流れに翻弄されてしまう傍若無人な空気感までも正当化の言い訳を理解しようとしてしまってるようにも見えてしまいます。どうしようもないんだと。ただタイミングと運だけで生が決められているんだと。

皆精一杯生きてるんだからその人生を暖かく見るという佐々部監督の顔に似合わぬ優しさが垣間見られる訳ですが、漠然とした今にも泣き出しそうな大きな黒い雲も描いてその対比した矛盾を強調したほうが私みたいな素人には判り易かったです。アリの大群のように寄せ来る敵艦艇の数、それに対する帝国海軍の皮算用。小さなことから一歩ずつなんて状況じゃあない現実の目の前。それらが絡み合う虚しさが合った方が有り難かったです。まあ敵を描かない事によって内面をしっかり描ききることに専念されたんでしょうけど。

どこかのHPのこの作品についての書き込みで、「主人公のあの死に方」というものに疑問をもったという記事を読みましたが、回天を物語として語る上でこの出来事ははずせないでしょう。映画では学徒動員兵(志願はしてるけど)の事故として描かれているなど史実に比して大きく着色されていますが、史実は職業軍人であり回天の提唱者でもある黒木大尉(殉職後少佐)の事故であり、その死の直前まで冷静に且つ克明に記録を残し武人としての誇りを知らしめた逸話からのものでしょう。本作では自身を省みる時間として綴られています。ただ艦内での自身の人生の清算を描く比重が、実際に出撃した時の緊張感よりも幾分軽く見えたのかもしれません。この話しを知っていたかどうかで映画に対する感想が変わるのはもったいない気がします。幼い頃にこの話しを題材にしたドラマを見た記憶がかすかに残っていて、何かを成す男の命を賭した生き様としてかくあらんと謳っていた作品と記憶に残ってます。本作とは大分異なる主題だったので違和感はありますけど。

それにしてもあんな操鑑が難しく訓練にも高度な知識を要するのには驚きです。私の知能では搭乗できません。しかも特攻と言うことで人を使い捨てにするのですからもったいない話しです。民族の存亡で負けたら大地に人住まずという状態に追い込まれるのならどんなに馬鹿げたことでも考え付く限りの事はしなければいけないんでしょうが、当時の人はみんな本当にそう思っておられたんでしょうか。

書いてて思ったんですが、「もったいない」がえらく多い文章になってしまいました。でも最後にボールは投げられたのですからきちんとキャッチしないともったいないですよね。

剣崎中尉役の高橋和也さんと戸田航海長役の田中実さん、お父さん役の三浦友和さんがけれんがなくていい味でてて好きです。SGファンの私としては上野樹里ちゃんも気になる所ですが、基本戦場の野郎のお話しなのであくまで控え目ということでよかったんじゃないでしょうか。

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陽はまた昇ると燃ゆるとき

会社員が企業戦士と呼ばれ、闘いの場が戦場(いくさば)から商場(あきないば)になっただけで、いつの時代でも野郎はなにかで戦っている訳で。

そういう視点でいうと、大東亜戦争以降の戦争活劇は企業を描く事にあるのではないのだろうかと考えるときがあります。少なくとも勝ち負けが生じ、名を馳せる者もあれば離脱する者もあり、過労死・鬱など身を削って全身全霊で、家族を二の次としても仕事を優先に考え生きなくてはならないなど、善も負も存在する戦いの世界だと考えても罰は当たらんような気がします。しかし映画で取り上げる企業戦争ものは、大体リアルに存在する企業の実話に基づくお話しが殆どではあるからなんでしょうが、どの作品にも何かに遠慮してるような「大人の配慮」が見え隠れたりして、そういう意味では大東亜戦争以降の戦争活劇にしては迫力や説得力が足りないような気がします。帝国陸海軍はもはや存在しないので思いっきり作り手の意思で描いても軍部からのクレームがないけど企業は存在存続していて様々なクレームや抑圧が実際にあるからなんでしょうか。

「陽はまた昇る」 2002年 佐々部清監督作品

西田敏行さん演じるMr.VHSが、瀕死の状態の事業部を起死回生の手腕と渡辺謙さんらをはじめとする部下たちの協力と努力でベータに逆転勝利する過程を描いた作品です。

この作品を観る前に、NHKのプロジェクトXを見ていたので、比べる気が無くても比べてしまいました。テレビでは本物の当時の写真当事者へのインタビューなどがあって説得力を感じました。いい番組だなと素直に思いました。その後に観たのですから満足のハードルが高くなっていたのは仕方ないことでしょう。

「彼を知り己を知れば百戦危うからず」米国の大作映画は敵を明確に作り上げそれに主人公が立ち向かう構図で水戸黄門状態(お決まりのパターン)を作り上げてきました。そういう意味では、ベータという敵を明確に示さず物語が進められたので登場人物達がいかに凄い事を成し遂げたのかが稀薄に感じました。勝ち負けを争う企業同士実在している故の大人の配慮なんでしょう多分。

それに私ビデオはベータなんです。この人達の活躍さえなければと思わないでもないので、この作品には諸手を挙げて「元気をもらった」とは書けないのかも知れません。現実の話を描いてしかもその事で利害が生じた出来事をまだ忘れていない人が存在する中で万人にむけて作品を発信するということは難しいことなんですね。

「燃ゆるとき」 2006年 細野辰興監督

カップ麺を主力とする食品会社のアメリカ進出においての七難八苦を描いた作品。我が身に置き換えて観れば、こういう場所で頑張ろうとする人は物凄く大人だと思っちゃいます。自分はお子ちゃまと呼ばれてもいいから好きで得意とする空間で働きたいと。作品で描かれる七難八苦は全部本人の意としないものばかりで、自分はなんでここにいるんだ?という疑問に答えられない状況ですから。

会社勤めを経験された方なら、目に見える力だけじゃなく、目に見えない力で物事が動いているというのはお分かりだと思います。上司の命令・目標ノルマといった目に見える困難だけでなく、慣習・置かれた立場といった空気感という見えない困難。他にも色々あると思いますが、個人個人を丁寧に描いたからと言って仕事という戦場を全て描きだせるというわけではないように思えるのですが。もう少し集団によって巻き起こる風のような雰囲気というものを感じたいです。

いづれにせよ、企業を描く作品は個を描く事には長けていても集をあまり描かない傾向を感じます。勿論人間が集まって出来ているのが会社ですし、役職という階級によって維持運営されていくのですから恒に言いだしっぺは人なんでしょうけれども、個に中心が行き過ぎていて集の見えない力を描くことが置き去りにされていると感じてます。

正義なんて立ち位置の数だけあるでしょうし、現代の戦場は命まで獲らない或る意味健全ともいえるわけで、勧善懲悪とまではいかなくても、スカッとする群像劇を観たいものです。おし、俺も頑張るぞ!と思えるような心の栄養剤を。「え?そういう奴は釣りバカ日誌観ろって?」んーなんか違うような。

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鬼太郎が見た玉砕・水木しげるの戦争

もうね、凄いとしかいいようがありません。お話しも役者さんも。ストーリーについては書きませんので、番組見た人でないと以下の文は意味不明ですのであしからず。

原作のマンガは読んでいたので、リアルな理不尽は知っていたのですが、こうして生身の人間が紡ぎだす戦争体験のお話しは色々と考えさせられる以前に嫌悪感をまず抱かせてくれます。理屈じゃあなく戦争は厭だと。

帝国陸軍が最も恐れていたのは敵ではなく規律と秩序の崩壊であって、「全体の指揮に関わる」というセリフが天皇の赤子たる兵隊の命よりも重いことを物語っていてとてもむなしいです。特に参謀の追い込みは、死んだ方がまし・死んで楽になりたいと思えるほど正論なのに言い逃れを言ってるような錯覚を憶えてしまうくらい辛いと感じました。なんか現代の「借金返せこのヤロー」くらいの追い込みです。私なんかじゃ堪えられません間違いなく。「生きて帰る」という信念よりも「死んで終わりにしたい」という人間本来の持つ「楽をしたい」欲望に負けてしまいそうです。

しかも、もっと厭なのがこういうお話が特別なものでなく、どの戦線においても起こっていた戦争という狂気の世界の中での日常茶飯事だったということでしょう。この話しが語られたのは生き残った人が人に伝える能力を持っていたからであって、もし語る術のない多くの生き残られた方々からのお話しに耳を傾ければ、もっとボロボロとその狂気の世界を知ることが出来ると想うと、実に切ない気分になります。

もう戦争体験者こそが伝える事のできるお話で、「戦争を知らない子供たち」を口ずさんでいた団塊の世代より下の世代の私などでは、圧倒的な説得力にただただ敬服するのみです。この幻影を織り交ぜた地獄の世界を軽妙なタッチで描く事が許される説得力というものを強く感じます。

主人公がなにかに突き動かされてマンガという作品に取り組むオーラは、間違いなく伝わってきて、それを演じる香川さんの内面からの役者力を強く感じます。エンディング間際の「お前笑ったろう」という辺りのシーンでの説得力は圧巻でした。言い逃れに聞こえたら駄目でしょうし、かといって黄門様の印籠みたいなお決まりなものでは白けてしまうし、本当に心の底からの答えで心に沁みました。伝え残さなければいけないという義務感と忘れ去りたいという逃避感のはざまで執筆をする苦悩の様は「生きるも地獄死ぬも地獄」なんでしょうか。でも「100歳まで生きろ」というセリフで見てるこっちまで救われたような気持ちになりました。

嶋田久作さんと榎木孝明さんの問答も狂気の世界をまざまざとみせつけてくれて、マンガでは伝わらない人間と人間のぶつかり合いを見せていただきました。

戦争は敵との殺し合いだけが悲惨なことではなく、いかに矛盾に満ちた命を伴なう無駄な消耗戦かということです。ゲームやマンガの世界で闘ってばかりいては生身の戦闘というものの無駄矛盾には気づかないことでしょう。そういう人には見てトラウマになる位のインパクトが伝わった事を期待します。

私がリアルに戦争を感じたのは、戦争の後始末の時代子供ではあるけれど見てきたということでしょうか。駅前の繁華街に行けば傷痍軍人さんがアコーディオンを弾いていたり、町内の大人たちの中には片手・指がない人や銭湯に行けば胴がえぐれてたりへこんでたりしている人を「見ちゃあいけません」と叱られても見てしまったり。大人たちはどうしてそうなったのかなにも教えてくれませんでした。傷跡を見てその後に映画やテレビで何が起こっていたのかを知って育った世代です。そんな私でも戦争は愚だと次世代の日本人に伝えることができるのでしょうか。

私とほぼ同年代の佐々部清監督が、キネ旬のインタビューの中で「戦争を体験していない者でも伝えていくことはできるのではないか」とおっしゃられてました。どう伝えられるのか密かに期待しています。

原作というか漫画で見た限りではよくわからなかったビンタなんですが、「歯を食いしばれ!」みたいなものしか映画とかで見たことなかったんで、水木ワールドの「ぺしっ」っていうビンタは絵では想像できなかったんですが、ああこういうのかとわかりました。

水木ワールドって生への執着が物凄く強く感じられて、例え姿かたちが変わり果てようと目玉だけになろうと「生きる」ということに徹底してこだわる凄みを感じるんですが、この作品にもその流れが途切れることなく存在していてドラマといえども水木ワールドに違いないと思いました。スタッフや役者の皆さんの水木ワールドに対する敬意と言うものを感じました。

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ゼロ戦燃ゆ

1984年作品 舛田利雄監督 柳田邦男原作 笠原和夫脚本 川北紘一特技監督

観に行く前に思ったのが、戦争を知らない世代以降の役者さんが中心を占める映画だあってことでした。無論皆さん私より年代が上なんですが、それ以前の作品は演出側も出演側も皆戦争体験をなにがしか持っているからこその想いが根底に映ってると感じていたのです。なので、出演される役者さんがどう表現されるんだろうという目線で観に行った記憶があります。(まあそれ以前にも海ゆかばとか二百三高地とかあったんですが、なにせ当時十代のガキだったんで色々と間違いが多かったんですよ。・・・今も直ってませんけど。)

そういう穿った目線で観たものだから、なんか粗探しをしに観に行ったようになってしまってあまり楽しめなかった記憶が残ってます。大分経ってレーザーディスクが出て見直して見たら結構面白いとこが見つかったので、やはり映画はなにも余計なこと考えないで白紙の頭で観た方が愉しめるんだと反省しました。

主役はゼロ戦で、デビューから終焉までのお話です。画的には紺碧の空と黄金色に輝く朝夕の焼け具合が美しいのですが、何故か離着陸のシーンの実写と特撮の繋がりが気になりました。他の撃墜炎上シーン等は映画のウソが素晴らしいので余計にそう思えてしまうのかもしれません。でも流石「川北紘一」作品と感じます。

そしてもう一人、主役がおられて、杉田上飛曹(役名濱田)のお話しでもあります。

撃墜数を誇るのは勿論として、編隊とういうか部隊としての戦闘において、無駄な損害を出さない優れた職人・統率者であられたそうです。

階級社会の弊害があって、いくら技能・経験値があっても、ぽっと出の尉官の指揮の元にはいらなければならない。知識・頭脳に優れても、技術・経験が圧倒的に不足する指揮官の元では下につくものは苦労させられる訳ですが、杉田上飛曹は上からも下からも一目置かれ頼りになる「おっかさ」的存在だったのでしょうか。まあこの作品に登場する尉官は優れた人ばかりですけど。

山本長官の護衛に失敗した(?)為に、その任に就いたものに海軍は、死に場所を与え続けてくれます。そうではなくラバウルでは皆同じ位過酷だったというお話しも聞いたことがありますが、映画ではそういう目線で描かれているような気がします。

戦場(いくさば)が変わり最後はほとんど不眠不休で、もしかしたら居眠り(極度の過労により意識がとんだ)ではなかったんじゃないか、つまり戦闘に於いてやられる人ではなかったと当時を知る方がそうおっしゃっておられたと、何かの記事で読んだ記憶があります。

人望が厚く、みんなから「杉さん」の愛称で親しまれていたそうですが、この映画では孤高の戦闘機乗りのように描かれていて、私としては、そういう親しみのある人柄を描いて欲しかったなあと思うところがあります。

音楽的には何故か軽快な感じがしてもっと重厚感がある方が私の好みです。

爆発音や機関銃の音は、日本映画の伝統を引き継いだかのような懐かしい音です。もうこれは決められた音なんでしょうか、どの邦画作品にも共通する効果音が使われています。

同じ戦闘機乗りを描いた作品としては「加藤隼戦闘隊」が有名ですが、実際の戦闘機を使っているとはいえ、「加藤隼戦闘隊」は人間を描くことに集中しているところが大きな違いでしょう。

「ゼロ戦燃ゆ」はゼロ戦と濱田上飛曹のダブル主演なのですが、個人的には、杉田上飛曹の人間ドラマに徹してくれた方が好物です。

余談ですが杉田上飛曹は、フルで書くと、杉田庄一上等飛行兵曹。最終階級は2階級特進で少尉となります。

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日本のいちばん長い日

1967年 岡本喜八監督 東宝創立35周年記念作品だそうです。

初めてみたのは、TVです。毎年終戦記念日近くになると、戦争を題材とした作品が見れた頃です。今も戦争の記憶を忘れないようにと、各TV局創意工夫の特番を見ることができますが、最近は映画を放映することが少なくなったというかなくなったというか。

この作品から受けた強い印象は、なにせ子供の頃だったので、自分が大人になった時はたしてこんな大業を成せる人間になれるんだろうかと、確固たる不安を抱いたことです。歳を喰ってその不安は、大業を成す地位に縁のない人生を送る事が出来ているので、的中することがなく、ある意味幸せではあります。

お話しの内容は、昭和20年8月15日の大東亜戦争終結の瞬間に至るまでに起こった、8月14日正午からの24時間の中の様々な人間が生み出すうねりを描いています。

戦争と言う狂気の中ではありますが、出てくる人全て、自分の正義という信念を持って行動しています。それが正しい事なのかどうかは見る側の判断に委ねる形で、ひたすらドキュメンタリーのように作り手の判断を押し殺したかのような、それでいて狙った獲物を逃がさないというような鋭い視線を感じます。

その後に生きてる私たちは結果どうなったのかは知っています。でもただポツダム宣言を受諾して戦争が終ったとしか知りません。結果に至るまでの経過をこの映画では教えてくれます。100%真実ではないにしても本当にあったことだと思っています。

もし、これが映画なんだから面白ければ事実と異なっていても構やしないということで作られているのであるならば、私は間違った歴史認識をしているということになります。

この作品では、天皇のご聖断という大きな流れによって動いていくわけですが、普段の世の中は一部の権力者達が動かすものではなく、人力ではないもっと大きい流れというものが存在していて、それに対して武力・政治力・人物の器力などで抗っても組しても、ただ粛々と流れて行くものでしょうか。虚しさを感じているのではなく自身が最善を尽くして事を成している人達の行動が集合体となって大きな流れを作り上げているのでしょう。自分の思い通りに世の中が動いてると思ってる人は一人もいないのかもしれません。ただその大きな流れの方向性を決める要因の一部を担っているだけなのでしょうか。

だとしたら功なり名を上げても、功なく名もなき人間であっても、生きてる満腹感はそうたいして変わらないともいえるのですが、こういう場所(地位)にいなければ人生良く生きたと満足感を味わうことはできないですから、やはり器の大きい人間には憧れます。

無条件降伏という異様な状況とはいえ、挙国一致という全体主義のこの時代でさえ、反対賛成に分かれるのですから、いつの時代にいても、自分の希望の妨害者は存在するということでしょう。強い人間になりたいものです。ですが泣けてくるくらいの物凄い重圧の中で自分の為すべき事を全うする三船敏郎さん演じる阿南陸軍大臣や笠智衆さん演じる鈴木首相みたいな「大人」には何度生まれ変わってもなれる気がしません。まあどの人をとってもなれる気はしないんですけどね。

158分は長いです。TVでは確か前編と後編に分けて放映されたような記憶が残ってます。しかしぐいぐいと引き込まれていきます。役者さんも凄いです。笠知衆さん・三船敏郎さん・志村喬さん・島田正吾サンなどなど挙げたら本当にキリがなく、DVDに謳ってある「日本映画演劇陣総出演」に偽り無しです。迫力とか存在感とか「大人」を感じます。真夏の一日の男たちの汗も何故か印象に残るアツい作品です。

DVDに添付されてる解説や、岡本監督の作風を考えると、私が映画を観て思ったことは物凄く的外れで、変な事を書いているんだと自覚はしているのですが、こう感じちゃったんだからしょうがありません。アウトローにもパワフルにもなれないし、なったことも憧れたこともないですから。

お祭りと書くと不敬ではあるのですが、今の役者さんたちで「日本映画演劇陣総出演」作品をつくるとしたらなにができるでしょうか。女性上位なので戦争活劇は難しいですよね、サラリーマンというか企業戦争モノくらいで落ち着くところでしょうか。

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プライベートライアン

「Saving private ryan」日本語タイトル「プライベート ライアン」

1998年の作品 スピルバーグ監督作品

今のところ戦争を題材にした作品では、「プライベートライアン」が一番繰り返し観ている作品です。邦画では見た回数なら「キスカ」衝撃度な「日本のいちばん長い日」でしょうか。勿論一度だけ映画館で観て充な位の衝撃を受けて、作り手の意図や目的が達せられる作品もある訳ですら、何回も観れるから良い作品だと決め付けることは出来まん。それにこの作品は独・米の戦いを描いている訳ですから、邦画の戦争映画とは観る視点が同じではありません。感情移入というか、自分の身の置き所が異なるので、ある意味刮目して観るしかありません。でもはまります。

映画はノルマンディー上陸作戦の状況を描いているのですが、西部劇でインディアンを障害物のようになぎ倒していくような一方通行作品ではなく、独逸の兵士にもきちんと感情を与えられています。ですので戦闘シーンはどれも血沸き肉踊るような野郎の本能を満足させるよな「カ・イ・カ・ン」なドンパチではなく、こんなところにいたら一生のトラマになってしまうような写実に徹しています。当時従軍した人が始オマハビーチのシーンを観て記憶が叩き起こされて気持ちが悪くなったと何かの記事に書いてありました。息使いが荒いのもリアル、水中と水上の音の違い、の回りすぐそばを通過していく弾の音。防波堤(?)の残骸みたいなコンクリートで身を隠し、ちょっと様子見で中隊長が顔を出した時、真正面に向かってきた弾を思ず一緒に避てしまいました。

公開当時松菱劇場で見たんですが普段は音がれ気味でになるんですが、この映画に限っては迫力満点でした。匂い立つというか息が詰まるというか、逃げるも避けるもへったくれもなく、ひたすらサバイバルするしか選択肢がない緊張感を強いられます。

上陸作戦の次のミッションは非常にアメリカ的です。我が帝国陸海軍なら有り得ない指令です。一旦事有る時は死に場所を用意する国とは正反対だと知らされます。無論それは、国家という組織の正義であって、米国の正義とそれぞれの兵士の正義との違いはあって、それに苦悩することも描かれています。そしてエンディングに向かっていくのですが私なりの捉え方としては、やはり最後は何の為かというと、仲のために生きると言う事が身の置き所として一番強固な信念に繋がると言うことでしょうか。

自分だけの為に生きてると、些細な厭な事ばか気になって明日が辛く感じます。だけど誰かの為に自分は生きてるんだと考えれば、結構自分に掛かる厭な事の重要性は低くなるもです。学校に仕事に行きたくない時、誰かが待ってるとなれば重い取りも少しは軽くなったりするもんです。それだけに今のいじめは深刻な事象でしょう。過酷な戦場で唯一精神を奮い立たせる術が「仲間」という存在なのに、それを否定されるいじめは戦場よりも悲惨だと言うことでしょう。

日本の戦後暫くは、なにか揉め事があっても「同じ日本人じゃないか」という仲間意識を呼び起こす言葉でなんとか収まったとじじばばが言ってました。そう考えると現代はなまじっか裕福になりすぎて、一人で勝手に生きていけてしまうことでかえって不幸になっているような気が、しないでもありません。

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明治天皇と日露大戦争

戦争映画を大きく分類すれば三つに分ける事ができると思います。

歴史を忘れ去ることなく記録として残しておくこと。

疑似体験をすることによって戦争はなにがあっても避けるべき政治手段であると認識すること。

野郎の持つ闘争本能を刺激して精神的娯楽として存在すること。

1957年に封切られたこの作品は、娯楽としての性格を有していると思います。(勿論私は映画館で観れた年齢ではありませんのでレーザーディスクで観たのが初めてです)当時は国民の大多数が戦争の経験者であり、娯楽の対象として戦争をテーマに選ぶということは時代的にいって難色を示す人が多かったのではないでしょうか。

レーザーディスクには荻昌弘さんの解説が記載されてあって、当時の制作に至るまでの経緯の部分を読むと、とんでもないことづくしだったが分かります。しかし結果、当時入場料150円の時代に最終収入が7億円に達し、それまでの邦画最高記録となったそうです。

荻さんの文はホントに簡潔明瞭でこれを丸写ししたほうが完璧に観ていない人に伝わるんですが、私の記憶感想文だし、まあ今回はこれくらいで。

物語は、開戦までの議論から始まって日本海海戦の勝利までという陸海そして明治天皇のエピソードを交えて大きな視点で描かれています。明治天皇の御意思は和歌に託されて登場人物・映画を観てる者全てに伝えられます。「玉」と呼び権力行使の為の旗印としていた人達が治の初期で姿を消していったとはいえ、この頃にはもう万民誰しもか敬まわれた明治天皇。嵐寛寿郎さんが演じられてる訳ですが、風格か威厳とか感じるのですが、なんとなく違和感をおぼえます。明治天の映像を見たことはないのです昭和天皇のお姿を映像で拝視させて頂いた経験値を基にすると、天皇とは役者さんが演じる領域ではない思いました。もうオーラの違いとしか言いようがないですね。

他の役では、丹波哲郎さんが若いです。やはり若い頃から独特の存感があった訳でなく、後年のあの存在感は、年輪を重ねる事によっわれたものだと分かります。

話しの展開はサクサク進むのですが、やはり今の感覚だと何事においも予定調和のように粛々と進む様で、ドラマとしての波乱万丈感はいです。ただ、「敵艦見ゆとの報に接し聯合艦隊は直ちに出撃此れ滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し。」の電報文を読み上げるシーン・出撃のシーンと共に鳴る軍艦マーチには心踊ります。

戦闘シーンについては、陸戦では血も噴出さないし手足も千切れません。全て人力の極めて形式美に則ったものです。海戦の主役は艦船であり勿論特撮ですがやはり昭和30年代の技術の範疇で目立つものではありません。

今の時代日露戦争を知るには、司馬遼太郎さんの著書「坂の上の雲」でより深く詳しく知ることができますが、昭和43年から連載されたものであり昭和32年の時点においては比較するもののない唯一の絵巻だったのでしょう。その時代に必要とされた作品であり、今はもうその役目を終えた作品でしょう。ただし嵐寛ファンにとっては、非常に重要な作品として観といた方が絶対いいと思います。

旅順攻撃なら「二百三高地」(1980年作品)日本海海戦なら「日本海大海戦」(1969年作品)か「海ゆかば」1983年作品のほうが私的にはお勧めです。ちなみに「二百三高地」・「海ゆかば」は舛田利雄監督「日本海大海戦」は丸山誠治監督です。

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トラトラトラ

邦画ではありませんが、大東亜戦争と太平洋戦争を日米双方の視点で観た作品としては、私のいい加減な記憶ではありますが、初めての切り口の戦争活劇映画だと思ってます。「史上最大の作戦」と同じプロデューサーの方が製作総指揮をされているので成程です。でも帝国海軍の独り勝ちの内容なので米国では大ヒットにはならなかったようで、その後の「ミッドウェイ」という作品で米国民は溜飲を下げたと聞きました。それまでは日本の一方的な野蛮なる奇襲とされていた真珠湾攻撃でしたが、この作品で、米国政府は事前に予知していたという事を映画で初めて一般民衆に知らしめた啓蒙的な要素もあるようです。

1970年の作品だけあって、突っ込み所は、ゼロ戦じゃないじゃんとか、赤城じゃなく米国の空母じゃんとか色々ありますが、迫力は凄いです。

日本側の監督は、舛田利雄さんと深作欣二さんとなってます。

思い出に残ってるシーンを挙げると、(日本側だけ挙げます)

①機動部隊が日付変更線を越える際の、水兵役の渥美清さんと松山太郎さんの会話のシーンが印象に強く残ってます。まだ小学生の小にあの笑える理由が理解できた筈がないのに映画館全体がどっといに溢れたのにつられて自分も笑った記憶がかすかに残ってます。みると作品全体が重厚感に満ち溢れている中に、ポツンと浮かぶ気ゆるむこのシーンは、よくぞなのかなんでなのかと、このシーンが存する意味を監督に問うてみたいです。

他にも「海軍さんこの頃たるんじょる」とかで映画館が笑ったシーンも幾つかあったんですが、何故かこのシーンが印象的なのは、渥美清さんからでしょうか。

②被弾して帰還不可能と悟ったゼロ戦搭乗員が狙いを定めて愛機と共に格納庫に突っ込んでいくシーンも印象的でした。被弾してエンジンの不調でやいやいダメかと舌をチョロッと出したあと、地上の獲物を探す鳥のように周囲を見渡し、そして気負いのない覚悟を決めた表情で、突っ込んでいくのですが、その生から死への断の切り替えの早さ、涼しげにさえ映る潔さは、武人の美学を見たような思いです。役者さんの名前がすいませんわかりません。

③井川比佐志さん演じる爆撃機(九九艦爆でしょうか)搭乗員が鹿児から洋上移動中に至るまで一心に訓練を行い、その成果を披露すべく実戦で見事敵戦艦に大打撃を与える。「ヤッター」と満面の笑みで喜ん後すぐにやってきた爆風の凄まじさに機体が激しく揺れ、真顔戻るシーン。特に何かを感じた訳ではないんですが、何故か残ります。

④朝焼けの中発艦して行くシーン。帽触れの合図で一斉に見送る整士や上級指揮官達の託す想い。それを受けて飛び立つ攻撃隊。男だったら血沸き肉踊る瞬間です。快感です。

⑤実名で数多の歴史上の人物達が物語を紡いで行く中で、この映画の主役は田村高廣さん演じる淵田少佐でしょう。歴史的な事を成す時は案外このように飄々として行われるものなのでしょうか。田村さんがどのシーンでもがんこいいです。

⑥特撮シーン、とくに洋上を真珠湾に向かって航行する機動部隊のシーンが迫力があって好きです。戦闘シーンは基本実写で特撮は殆どないんですが、決まってます。

全体を今と比べると、物凄くすんごい役者さんばかりこれでもかと言わんばかりに登場されます。今リメイクしてもっと凄い特撮を駆使して迫力がアップしたとしても、これだけの役者さんの数は集めることができないんじゃないでしょうか。戦時中に撮られた「ハワイ・マレー沖海戦」と比べて見るのもまたをかし。

ただしトラトラトラは欲かいて全部一辺に解ろうとすると、非常に頭が疲れます。歴史的意義・人物的評価・当時の世相思想などなどこれでもかと言うくらい145分の中に詰め込まれています。見る観点を変えて何度も繰り返して観た方がいいと思いますし、それに堪えうる質の作品だと思います。

当時リアルに生きてきた私の周りのジジババはその殆どが、「ハルノート」かゆうもので米国が日本の首を絞めにきたのでやむを得ず日本は防衛として戦争を始めたと言っていました。なんか現代の北朝鮮の言い分によく似ているような気がするのは私だけでしょうか。

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