2・スウィングガールズ関連

映画のだめクランクアップの模様

 11/25、めざましテレビでのだめ(樹里ちゃん)のクランクアップの模様が映し出されていた。それはそれはいい表情しておられてたな。

その天衣無縫な開放感と充足感に満ち溢れた姿というものはSGの頃よりパワーアップした感すらあるような気がする。幼児化してるというのではなく抑えることを止めにしてより素直でいくんだという現れであろうか。

早く大人になろうとかいう時期は誰しも在るものだけれど、大人になるということと自分らしく生きるということは相反するもので大抵はバランスを保って帳面合わせして毎日を過ごしていくものだけれど。樹里ちゃんは大分吹っ切れてるようにも思えました。

そういうことを不可として抑圧しようとする人が周りに居らず伸び伸びとした空間を提供している人々が周りにいて暖かく見守ってたんだろうなと想像されまする。

「大人」と呼ばれる人達からはなにかと眉をひそめられかねない建前の存在しない難敵ということで咳のひとつもされかねないかもしれないけれど、大人になりきれなかったオヤジとしては応援していきたいよなとつい思っちゃいます。

もっとも役にのめりこむ役者さんだから「のだめ」になりきっているが故の所業であって年がら年中吹っ切れてる訳じゃないんでしょうけど。

ラストフレンズの「瑠可」は好きだけど「のだめ」は嫌いと評する方もいるみたいで、人は「大人」たるべきという意識の強い人がそう感じるのかな。私はどっちの「上野樹里」でもOKなんですけどねえ。というか役=役者さん個人という直結したイメージが浮かばないんでこの役は嫌いこの役は好きということはなく面白かったかつまらなかったかの判断しかないんではてさて映画の出来は如何にという感じでしょうか。

それにしてもあの表情を見ると映画への確かな手ごたえというものが伝わってきますですな。ホント晴れやかなお顔でありんした。衣装はパジャマみたいだったけど。

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嬢王 第一話

 いきなり余談ですが実のところ私、シチュエーションをスィツエーションかシトゥエーションみたいにしか発音できないという地方人(地域のせいじゃなくおめえだけという声も聞こえますが)なのでありまして。決して口にする言葉ではないのですが文字ならば書けるので本来の使いどころでないところでも腹いせ的に気持ちよくてバカバカ使ってしまう癖があるのです。

 でまあ、本題に戻ってこのドラマ。まずもってこのフィールドは私にとって色が合わず好意的な内容の感想では綴っていないことを予めお伝えしときます。もちろんはまる人にははまるであろうもので批判するものではりません。

今後方向性が変わるやもしれませんが第一話を見た限りのシチュエーションは「女」という武器をを使った格闘サバイバル戦というものでありまして、いくらお色気満載画面に満ち溢れておりましてもこれは私には得意分野ではありませんというのが本音です。

対ともいえる「男」を売るみたいな例えば極道の成り上がりみたいなシチュエーションとかも苦手不得手分野でありまして。

つまり「性」(せい)ではなく「性」(さが)や「性」(本性)をえぐり取る手合いの物語りはご無礼させて貰いたいということであります基本。

それにそういう世界でてっぺん盗るということは郷に入れば郷に従えでそういう人種に主人公も染まっていくということでありまして。どちらかというと駆け上がるというよりも飲み込まれていく風にも見方によっては在り得る訳で。

 そういう意味ではこのドラマ、そういったものをきちんとしかもオブラートにくるむことなしに描いているのでしょう。自分さえ良ければという虎視眈々と輝くそれらの瞳は見ててしんどいことこの上ない感じでありました。もちろん最悪の環境からスタートして最後はそれらを全て引き連れてという制覇的要素によるものでしょうが。私が辟易するくらいだからくどいようですがスポ根ならぬキャバ根の勢いがきちんと描かれているドラマなのでしょう。

奇をてらわずまさにイジメ嫉妬といったよく描かれる手段の障害で主人公の夢(野望)を阻む展開はオーソドックスながら確実に主人公頑張れ負けるなという意識にさせますな。これがゲーム感覚みたいなライトなメラメラだったら主人公頑張れなんて思いませんもん。もっと真っ当に生きろよとか邪念が入りますから。とりあえずそういう邪念が頭をもたげる暇もなく主人公頑張れって感じで見てました。テンポ感がいいんでしょうねきっと。

でも、「アタックナンバーいち」や「お蝶夫人が出てくる漫画」とかのスポ根と同じ成長物語(染まってく流れ)で、もし単純にシチュエーションがバレーやテニスのコートからキャバレーに変わったくらいのディープではない展開だとしてもこういう類を夢中になって見たことない私なのでこれを愉しむのはやっぱり無理ですわ。

逆説的になりますがそういう手合いのドラマに普段ついていけない私がこのドラマにホントついていけないということはそういったものをちゃんと描いてるということで。この手のドラマが好きな方にはお色気ありテンポよし出演者さん個性的でキャラ立ってそうと揃っていて面白いでしょうね。

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なんだかなあ20

 ネットの芸能ニュースとかの見出しをみると、有名人さんが発進したブログの内容を面白おかしく脚色して御注進御注進してる記事が多く見られる感じがします。気のせいか?

 さすがに紙として記事にされるものにはあまりないお話しでありまするが、地道な取材という印象は受け難い。そりゃあ一日中パソコン画面の前に張り付いて(ブログの張り込み)ネタ(裏づけ)を掴む地道な作業ではあり、じゃあお前やってみろよと言われたらご遠慮申し上げることではありますが。にしたってブログ記事を抜粋抽出しニュースの書き手の表現のアレンジを付け加えてというのは趣旨が変わっちゃっていることが多い感じがしますです。

書き手が伝えたいことの部分を削除して面白おかしい出来事のところを抜粋してニュースにするというのは「揚げ足を取る」こととどう違うんだろうかという気分になります。

 具体例を挙げていいのか躊躇してしまう部分はありますが、以前しほりんが部屋を片付けして捨てるものが物凄く出たという記事をブログに載せた際のお話し。ご本人は心機一転とかいった普段の生活にも前向きなったということを伝えたくて片づけをしたと書いたものと私には読めたのですが、これが芸能ニュースとなるとその内容はゴミが沢山部屋から出たとかいった清潔とは言い難いプライベートを送っているかのような意図に読めました。ご本人はゴミだとは一言も書いてなく片付け下手と述べられているだけですが随分と印象がブログと芸能ニュースでは異なるものです。しほりんに落ち度があったとしたらその量の多さをあらわすのにゴミ袋でいくつということで表わしたことになるのでしょうが。

もっとも「ゴミ」という基準が問題ではありますが。衛生上どうのこうのは別格として、使わなくなればそれは「ゴミ」というのであれば身の回りにある物は殆ど全て「ゴミ」でしょうし、思い出というか自分の記憶の残り香(愛着)があるものを自分の過去の証であるとするならとうに卒業した学校の教科書とかインクのなくなったボールペンとかでさえ「ゴミ」ではありえない。

 脱線しましたが元に戻して、結婚発表とかいう宣言・広報の類のものであればニュースになるも致し方なしという気にはなるけれど、最近の日常の「ふ~」と一息ついたような出来事を綴った内容のものであっても御注進するのはなんだかなあという気になります。しかも脚色してるし。伝言ゲームだとしても二人目でいきなりこうも変わるか内容がという勢いです。ネタに(ニュースと)する選択基準が受け(インパクト)狙いの傾向に見受けられるのがなんだかなあです。

人の話しは「話半分」。鵜呑みにするほど無防備なものはなく真に受けるほうがどうにかしてる世間の世知辛さという教訓を与えてくれてるとも思われますが。にしても「信頼」というものはそれを得るのは難しいものですな。こういう記事が並んでしまうともうそこのニュース全てがうそ臭く思えてきますです。記事にする対象に愛情を持たないからとかいう事は言いませんが、まるで猫がなにかを殺すでもなく食べるでもなくひたすら息絶える(動かなくなる)までいたぶる様のようで。本人(記者)はじゃれてるつもりでもいたぶられる方にとっては堪らないことでしょう。

もしこういうこと(脚色で意図が捻じ曲げられる事)が我が身に降りかかったらと思うとぞっとすることであり報道されるというのは不気味なものだと思う次第で。「口先三寸」ならぬ「筆先三寸」の恐ろしさを感ずる勢いでした。まあ私なんざ報道されることは悪さしない限りないでしょうから妄想的な我が身に置き換えてという話しですけど。

それよりも可能性が高いのは、自分も無意識のうちに同じようにこういう事してる(捻じ曲げて感想書いてる)のかなとも思えてきて不安にもなって参りました。悪意が無くともなにかを貶めることは有り得るんだなという教訓を見たようでありまして、こうならないよう注意しようと。でも私普段周りから口が悪いとお墨付き貰ってますから注意じゃなく肝に銘じないとヤバイかもなあ。

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ao akua その2

とにもかくにも、応援してくださる方に対する感謝の気持ちというものを形にしたいという想いで尽くされていると感じるDVDでありまして。

つらつら考えるに作品にしか興味を抱かない私のようなえせ応援者がこのDVD観ての感想をああたらこうたら書くのはおこがましいなと。

なので応援者足り得ない者があつかましくもおこがましくも書いたその1は封印して、傍観者の目線として書き直ししたその2の方をアップするのなら撥は当たるまいてと。もちろんメッセージを発信してくれたことに対してのありがとうございますといった感謝の念はありますです。

このDVDではハワイの自然からパワーをもらったりそこに住む人から労わりをもらったりといった何かを吸収してる樹里ちゃんと、絵を描いたり芝居をしたりといった作品にパワーを放出してる「上野樹里」と、普段の普通に息してる樹里さんといった多面的な捉え方をされていると言う印象でありました。「上野樹里」を知らない人が「上野樹里を知る入門編」として見れるかともし聞かれてもメッセージ性が強いので正直分かりません。ただショートドラマを楽しむとかよくあるイメージビデオの類ではありませんので「上野樹里を楽しむ」ものではないでしょう。しいて表現するなら「上野樹里が伝える」DVDという言い方でしょうかねえ。

栄養素を吸収してる時のその感受性の強さは過敏過ぎるほどの勢いで、だからこそ作品という形で放出する際の強いパワーの源となりうるのかなと納得出来るのですが、普通なら見逃してしまうようなことにも煌めきを見い出す細やかさは大音量で襲い掛かってくるようなフラッシュのようなものに遭遇したりなんかしたらその精密機械のような繊細さは果たして保てるのだろうかと心配になってくるほどのアーティスト的資質に感じます。

作品に向かい放出してる時の目の輝きは印象的でした。一人二役?それとも一人を二分割?としたような二つの役の別人格提示(演じ分け)は衣装眼鏡といった容姿の切り替えだけでない生きてきた背景の違いまで想像させる感じでした。それがどこから発せられてるのかよく分かんないんですがとりあえずは眼からかなと。眼の輝きといえば特に絵と対峙しつつ絵と会話してる辺りの活き活きとした眼が印象に強く残りました。料理も創作物ということであるならば料理してる姿も手元と作品(料理)の出来上がる工程ばかり映してないで製作中の表情とかも提示して欲しかったのえという印象はあります。

普段の樹里さんはテレビとかでよく見かける飾りも気負いも無いお姿で話しされてていつもの通りいまいち説得感に欠ける嫌いがあるのですが、これが劇中で同じようなことを演技の中で発するとなるほど深いこと言うなあと感心してしまうというギャップを感じてしまいます。普段は間違いなく誤解されやすいタイプだろうなあと。まあ普段上手く伝わらない分作品に籠める想いが強くなるのかなと想像してしまうんですけどね。

全体の印象を反芻してみて改めて強く感じることはとにかく「上野樹里」はなにかを放出してる姿が画になるなと。目の輝きが印象的でした。

あと、思わずイメージが湧いてきたフレーズがあって、それは「思い込んだら試練の道を・・・・」

仕事とプライベートの切り替えなぞなく24時間「上野樹里」をしてる樹里さんなんだろうかなと。飛雄馬も泣き虫なほど繊細だったけど野球一筋ド根性だった。樹里ちゃんもそんな感じかなと。まあ体おやさんようにねとしか言いようがないとこです。体が弱ると心も折れやすいですから。

不思議なのはこれだけ揺るぎない自分を持ってる人がお芝居となると「憑依型」みたいなそういう役柄の人格(上野樹里が見えない)に映って見えるのか。理屈で納得して役作りしていくのではなく何か他のエッセンスを体内に取り込んでいるのでしょうか。それとも「上野樹里」そのものの引き出しが種類量共に多くてそこから抽出して提示してるだけで別に「憑依」してる訳ではないのか。強い感受性と吸収力を持つお方だという光景を見せられると私が勝手に決め付けてきたものが揺らいできます。しかしながら自身だったら絶対そういう行動や言動をしないであろうキャラを演じる際「そういうことはしない自分」はどこに置いておくんだろう。閉じ込めておくのか「そういうことはしない自分」を「そういうことをする自分」に改造していくのか。

絵は素直だったけどお芝居だって素直だよなあ。まあ不思議ですわ。もっと不思議なのはお宅訪問してる人がのだめや瑠可とイコールだということですけど。

どこで聞いたのか忘れましたが凄い役者さんて演じてきた役柄の人生をずうっと背負い込んでいくという話しを聞いた事があるようなないような。つまり演じた分だけその架空の人物の人生を体験したその経験が役者さんに人間味の深みとして蓄積されていくのだと。「上野樹里」という役者さんも演じ終われば一旦全てリセットクリアにして容量を空けるというのではなく何らかの形で人間の器という入れ物に蓄積してくタイプなんでしょうかねえ。別な表現で言えば頑固な割には染まりやすい。感性の鋭さと旺盛な仕事に対する情熱というものを考えると駆け足は容量オーバーで体(心)に毒のような心配してしまうんですけど。

とにかく太く短くということだけにはなって欲しくないなと。演技の源は想像性ではなく感受性かなと推測されるけどじゃあそれをどう調理して芝居という形にもっていくのかは秘伝のタレで門外不出の非公開なんでしょうか。

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神の雫第1話

ユイカが出とらすもんで第1話録画して観ました。リアルタイムは別のドラマとバッティングするので多分この回だけの視聴になる可能性大と思います。なので余所者としてこれから物語を紡いでいかれる役者さんを含めあまり深入りしない程度の感想を書くこととします。なのでユイカについての感想という記事ですのであしからず。

原作の漫画の冒頭をかじっていたので、それと比較すると原作に忠実だなと思えます。マシーンのような正確さを持つライバルと闘いながら覚醒していくという展開と、ワインへの誘いと言うハウツー物という要素も兼ね備えていていそうなドラマのようです。

結構硬派というか「戦い」が描かれているという印象でありまして。ワインを扱った漫画では他に「ソムリエ」という作品もあってそっちの方が人間らしいというか緩めの印象を受けるので「ソムリエ」の方が人間が演じるには適してるのかなと思うのですがよくよく思い出してみれば稲垣さん主演で1998年にドラマ化されてましたね。

で、ユイカですが、登場シーンは大雑把に言えば二つ。装いは普段と正装。以下は私の勝手な感想です正しいかどうかは分かりません。(多分勝手な思い込みでしょう。)

素直な印象は声が整理された状態で通るようになった気がしました。感情表現するにおいて声の強弱だけつけて大声出しゃいいてなもんでもなく「もうやめて」なのか「いい加減にしてよ」とか「とにかく厭なの」などなど同じ声を荒げるにしてもきちんとどういう感情なのかが伝わるべきであろうと。しかも単一な感情ではなく複雑に合わさった配合のバランスがつけば尚良いというものでしょう。

今回の声を荒げたシーンのセリフ「パパが死ねばよかったのに」。ママを馬鹿にしないでよというのと私がなにしてるのか気づいてよという願いが合わさった風に聞こえました。(もっと他にあったのかもしれませんがあったとしたも私では気づけませんでした)

もちろんそれ以前が分かりづらかったと言う訳ではないんですけどね。ヨイショと勢いつけて(言うぞ言うぞ)と言う感じが無くてお父さんの言葉に反応して素直に一瞬我慢したけどつい興奮して出てしまったって感じの意外性の印象があったということです。観てる方からすると迫力というよりびっくりしたって感じです。パパ様の忠告にまたかよって感じで始まった会話でありましたが、お客さん(見知らぬ二人)がいる前でのご失態ですから余程積もり積もっていたんでしょうかねえ。それとも運命の日が近づいてきて気が高ぶっていたんでしょうか。

その爆ぜる前の「今なんつった?」というセリフ。今までのユイカが演じてきたキャラだと「今なんていったの?」という言い回しでしょうか。多少粗野になって一般ピーポに近い役柄なんでしょうか今回は。

ワインを持ってこけるシーン。落とすんじゃなくしっかり右腕が当たって落ちてましたなあ。SGで樹里っぺのこけるシーンをご本人上手いと評しておられましたがこけ方研究されたんでしょうかね。その後の雫がワインを移し変えるシーンの口のあんぐり感が面白かったです。

雫たちにお礼を言う際、ちょっとお辞儀が浅いなと。多分これはソムリエの服がきつくて体を深く折り曲げれなかったのかなと。こける時も多少窮屈そうでしたけど。どうなんでしょう。動きにくいからこけたというのは説得力ありますけどこれからその服でお店支えていくんだったら改良が必要だろうと思ってしまいました。

その後の達成感と充実感のこもったにこやかな素に戻ったような(役柄として)顔がありましたが嵐(遠峰)が去ってほっとした開放感と耐えた(気を張ってた)疲労感が見え隠れしてるとこが感じられたらなあと。なにせこの日の為に3年間雌伏の時を過ごしてきた努力の実った日なんですから。ってこんないちいち勝手な勘繰りの難癖つけてたらただのストーカーですなあまるで。

なんで意地悪姑のような指で見当違いなとこを埃チェックするような真似はもう止めますけど、いづれにしても情報量の多い役者さんになりつつあるなと。でも相変わらず観ていて緊張感を伴うので弛緩したメリハリももっと欲しいです。とにかく観れてよかったです。

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西村京太郎スペシャル1/10の中村知世さん

「西村京太郎スペシャル 上野駅13番線ホーム つり合わない乗車券を買う死体!上野-札幌二つの寝台特急に張られたワナ」

凄い長い名前のタイトルが冠せられているドラマです。普通だと絶対食指が動かない分野でありまして、リアルタイムでは当然の如く別のチャンネルで「そのとおりだあ」というセリフ聞いてました。

で、録画したものを次の日見ました。「観た」という表現は出来なくて「見た」という浅はかな観賞ではありますが「中村知世」(なかむら ちせ)目当てで見ました。なのでドラマの感想ではありません。

ガールズのひとり。なんか久し振りに拝見しましてそのお声の変化に驚いたというのが率直な感想です。主戦場はいまのところグラビアなんでしょうか。グラビアの類は私門外漢なのでそのご活躍・傾向・評価につきましては知る由もないのすが、そういったちゃらちゃら(語弊があるならキャピキャピに直しますが)した雰囲気は感じられませんで懸命にリハビリに励む普通の女の子という役に違和感はありませんでした。(もちろんきついことを言えば足の運びのぎこちなさとかいったそれらしく見せるという技術はまだまだ修行が必要だとは思いましたが。)なにかの声優もやられておられてるというのもどこぞで読んだことがあるのですが、アニメ声の要素も感じられなくどちらかと言えば落ち着いたトーンであらせられました。多少こりん星のお方の声に似てる印象がありますがそこを見ぬ振りすれば存外ハスキーで好みでありました。無粋にも私アニメの方も門外漢ですのでそちらではどういうお声なのかは知りませんですがこういう声ならば役どころの幅が広そうでとあるタイプの役ならという一発必中タイプの役者さんではなさそうだろうなと感じました。

緊迫したシーンはよく声とかも出ていて役者さんらしい感じがしましたが、にこやかな表情を見せるシーンでは意外にもぎこちなさを感じました。役柄として体だけでなく心にも傷を負ってるという設定でしょうから心の底からの笑顔を作れないということなんでしょうけど。穏やかであるべきところでぎこちなさが感じられるというのはやはり技術ではなく感覚でお芝居するお人なのかしらんと勘繰ってしまいました。それとも目が開き過ぎじゃないかという印象から受けるものなんでしょうか。役者さんってのは感情表現だけでなくそう見える技術という両輪が備わっていなければいけないんだなと改めて感じた次第であります。

映画もお出になられているんですが、最新作とかまだ観てないんでここ数年のご活動につきましてはよく知らないエセ応援者なんでありますが、このドラマでの感想としましては推理ドラマと言うことで主要なキャラが全員説明解説口調の中においてとにかく気負いも特に無く肩の力が適度に抜けて自然?な印象を受けました。(もっともこのドラマは視聴者が推理をしてく為の情報を的確に伝えなければならない要素を持つドラマなので突き詰めたらこういうお芝居に到達したということなんでしょうけど。)

個人的にはよく言えばおっとり悪く言えばのんびりといった印象を持つので開放的な元気(刺激)を与えてくれるグラビアよりも役者さんの道を目指された方が映えるような気がしているのですがどうなんでせう。もちろんこういう人がグラビアを?という意外性をウリという手もあるのでしょうけど。まあ自分がドラマと映画しか興味が無いからということもあるからなんですけどね。でまあ、とにかく経験値を重ねて技術とかも磨かれていって欲しいなと。今回のドラマでは姉と話す穏やかな心持ちのシーンと誘拐されて緊張した面持ちのシーンの二種類を演じられたということなんでしょうけど、穏やかなシーンがちょっと物足りなかったかなという印象です。

このあとは「メイちゃんの執事」というドラマでの出演を控えておられますようで今年はたくさん見れそうで嬉しい限りです。

話し飛びますが、役者さんとしてのガールズには樹里ちゃんやしほりんみたく主役張れる人もいればまだそこまで到達していない人、主役とは別の道を模索中の人などがいて種類豊富です。正直な言い方をすれば一線級に登りつめた役者さんばかり観てると難しいお芝居とかでも当たり前にこなして素人ではその凄さに気づかないことがよくあるのですが、発展途上中の役者さんを見ると足りないなにかが見えてくるようで。自分も勉強したような感じになれるんですわ。まあ分かった気がするなんちゃってですけどね。ところで樹里ちゃんとかしほりんとか愛称で書いてるのになんで「ちせ」と愛称で書けないのか。そういう身近に作品に出会えない離れた距離なんでしょうかねえ今は。

で、この記事読み返ししたら結局中村知世さんのこと褒めてない。何故なら「中村知世」はまだまだ発展途上の部分を多く残す役者さん。私の本意は「ガールズがみんな栄えてくれてSGの名が語り継がれていって欲しい」ですので「中村知世」も役者として成長して欲しいと願っているからこそもっと場数を踏んでまだまだ足らないところ吸収していって欲しいなと。まだまだ高みに登れる筈で今が最高(頂上)だなんてこれっぽっちも思ってませんから。

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花を待つ若枝(by水月蓉)を読んで

単純に「鎌倉」というフレーズの動因から始まると小津世界が勝手に起動してしまう私です。登場人物は家族。物語は誰しもが通過するであろう日常に起こるイベントの中の世界。益々以って小津世界。

自身のことを照らし合わせてみるならば、オヤジが危ないと言う報を受けた時、自分は冷静でいるつもりでも(心がさざめかない)心ここにあらずで訳の分からない行動をしてたなあと思い出される。

一度目の時はありえないとこに自転車ぶつけたりして心が先に行って体が遅れて離れたみたいに慌てて駆けつけたっけ。

二度目の時はどうやって病院に辿り着いたのか記憶が残ってないや。

こういう時の感情の上限と下限がカットされたかのような心が波立たない経験はあまりしたことがない。そういう感覚の表現はきちんと文章に出てるなあと思いましたです。

合う合わないとか好きとか嫌いとか関係なく身内が死ぬということはその人にとってしか分からない特別な事で、そして残された者に残る想いはあのときこうすればよかったという後悔の念ばかりだろう。たとえ自分にとって好ましい人でなかったとしても。

作品には描かれて無いけれどその死に際は静かだったのか苦しんだのか。罪滅ぼしじゃあないけれど最後くらいは穏やかにと願うものである残された身としては。

火葬場での描写は写生力が凄いなあと。うんうんと頷く感覚の光景でそこは自分と重ね合わせることが出来ましたです。待つ間のなんとも妙な空気感とかプロの仕事をされる火葬場の職員の方のこなれた手つきは多分何度経験しても馴染めないだろうなと。もちろん特殊な仕事をしてくれる方に感謝の念はあります。非難するつもりは毛頭ございません。

そしてこの作品は一人称で語られていてどこをどう捻ってみても彼に憑依するしか読み方がない。彼は和解(納得)したみたいだけど私は今でも後悔はあるけど和解なぞする気は無いままああいう人だったと解釈して終わり。理解はするけど共感までは出来ない自分にとって死を以ってして和を為す彼に感情移入とかは出来得ませんです。無論私がイレギュラーであって作品に描かれているテーマは普遍なんでしょうけど。

したがって今回のテーマはパス。なのでこの作品の判断がつきません。こんな感覚の私ですが作品を重ねる毎に情景がより鮮明に思い浮かびつつあるのは確かでありまして進んでいるんだなと感じますです。

パスした以上ごちゃごちゃ抜かすのは卑怯ではありますが、下が弟でなく妹で良かったなあと。あと、心の内面描写が多くてこれを映像化してイメージして傍観者(観客)として見るのは難しいだろうな。だから我が身に置き換えて読み進んで行ったのだけれど自分との食い違いが出たのは残念でありました。主人公のように出来た人間に成長できなかった我が身を嘆くのみですな。

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スウィングガールズテレビ放映すっぞ

テレビで初放映された時にはガールズ達が集まって前夜祭とか催して盛大にやってたけど。さすがに今回はないみたい。もっともテレビで放映するからと言って再集結したこと自体珍しいことだったらしいのですけどDVD発売ってのでも皆集まったくらい口実さえあればこの世界にいたいと願った人達とそれを観たい人達が共にいるってのは事実でしょう。

ただ前夜祭イベントの抽選では見た目重視で若き女子ばかりが観覧希望の当選を果たし、ファンとして支える熱狂的オヤジは排除の憂き目に逢いそれでも当日もしかしたらと出待ちしておっさんを見るテレビ局のスタッフさんの目が冷たかったという話しもどこぞで読んだこともありました。

ファースト&ラストコンサートの客層を見ればターゲットがどういう世代か一目瞭然なのにテレビと映画は客層は異なるということが前提にあるかのようです。

でも若い人のついこの間とオヤジ連のついこの間は周期が異なりSGはオヤジにしてみればついこの間のことなのです。4年と言う月日は確実に演者さんにとっては随分昔のことでしょうが私にとっては現在進行形のことなのであります。だからといって再度集結してまた演奏してくれなどと希望するつもりはありませんですが、4年経って主演者に今この映画をどう思っているのかとかいうインタビューとかでも入れてくれたらいいのになあと思った訳です。おそらくないでしょうけど。

ところで矢口作品、夏はウォーターボーイズ(WB)、冬はスウィングガールズ(SG)って棲み分けが出来つつあるんでしょうか。WBはひと夏の世界でもろ夏一色で依存は無いですけどSGは夏と冬共に描かれていて決してウィンター映画と言う訳でもないんですけどね。個人的には夏のイメージの方が強いのかも。

ブルーレイでもこないだ発売されたし(まだ機械がなくて買ったけど観れて無いけど)普通のDVDでも一時期のはまりまくりの頃よりは観なくなったとはいえ年に数度は相変わらず観てしまうので特に土曜プレミアムで観れることを待ち望んでいるという感じでも無いんですが。来るべきハッピーフライトの為の景気づけという意向はあるのでしょうけど、多くの人に知って欲しい。そして色褪せることの無い映画であることを知らしめて欲しいと思ってますです。

今能天気に観るとしたら、やっぱし数年を経て成長した樹里ちゃんやしほりん・ユイカ・ひらっちが同じ場所にいたという新たな感慨に耽れることが第一になるのかしらむ。どうせやるなら副音声でオーディオコメンタリーの方使えばいいのになあとも思ったりもしますです。

追記

いやあ結局最初から最後まで観ちゃいました。ジャッジⅡほっぽって。やっぱいいよなあ相変わらず色褪せていなくて。プレゼントがあるって言うんで、え?何?って期待したけどブルーレイプレゼントってもう買ってるわいな。演奏の音が若干違って聞こえたのは耳のせいかしらむ。

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スウィングガールズのブルーレイ買ったど~

今日2度目の正直で無事買えたんですが、1度目は発売初日行ったらもう売り切れてた。日を間違えたかと思い店員さんに問うてみる。「今日ですよおかしいですねえ。ある筈なんですけど・・。」といいつつ探し始める。あれえ?この光景デジャブーか?前にもあったような・・・ってそうだ「パズル」のDVD買った時だ。あの時はひたすら店員さんが二人掛かりで探しててそれなりに待たされたっけ。あの時は見本品ばらして売って貰えたけど、結局なかった。

確かその前にも・・・・ってそうだ堺正章さんの「忘れもの」のCDの時も発売日に行って売り切れだったんだ。

とかいう思いを巡らしながら店に行って、そして無事発見購入税込み4935円なり。ついでに本屋にも寄って小説ハッピーフライトを買う税込み1050円なり。

いそいそで家に着きそそくさとパッケージを開ける。ビニールが粘着部分で開け閉めするタイプで好きでない。パッケージは紙製。これもエコの影響か?おお!ディスクはDVD版と同じレコード盤のような印刷されてる。懐かしい。

なんていうんだ?たすきか?帯か?とにかくそういうのにジャズやるべの御馴染みのポスターと同じのものが印刷されていてその裏はハッピーフライトをあざとく告知されてる。

アウターケースは初回限定だそうで私が手にしているのは初回版ということか。特典は16ページのブックレット・ハッピーフライトにまつわる関連商品の告知のミニチラシ・ドルビーなんたらの簡単な説明書とそれに添付されてるジャズやるべポスターと同じの写真?

字幕に日本語音声字幕(山形弁)と書いてあるけどどういうのなんでしょうかねえ。フジテレビの武田アナさんに(方言が)少し違うとツッコミ入れられて確かあちゃーってなってたはずなんですけど。まあ観れば分かるかあ。

でもここで問題が。

そうお約束のオチともいえるまだブルーレイ対応機買って無い。なので観れない。無念。

買うとしたらパイオニアのある機種と決めてるけどまだどうも決断出来かねている。これ買えば必然的に買わずばなるまいてとなるだろうという購入の為の起爆剤・誘発剤として買った側面もあるのであるがとりあえずは観れない。無念。

やけで小説ハッピーフライト読んで気を紛らわそうかとも思ったがそれで映画観る愉しみが減ったら大損なのでこれもおあずけ。

なんだかなあという心持ち。でもなんで映画の封切り前に小説出すんだろう。SGの時は後だったよな確か。

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EVER AIR@(前)を読んで

水月蓉さんのブログでとても読み応えのある記事(小説?)が発表されました。まだ前編ですので物語として言いも悪いも判断しようがないのですがとても惹き込まれるお話しが繰り広げられてます。

私は今までとんでもない卵だと知らずに応援というか見てたのかな。こういうストーリーテラーの素養を隠し持っていたなんて知らなかったですわ。贔屓の引き倒しかもしれないですけど普通(プロの作品として)にマンガとかドラマで見るようなものに近づきつつあるのではと。

恒に言葉ひとつひとつにこだわりを見せてきておられるんで、てっきり詩の世界のお方かと感じていたんですけどこんだけ展開の妙と発想の新鮮さを持ち合わせてるとは知りませんでした。表現力も短文で書いてる時と変わらぬパワーで。やっぱ若いってのは凄いなあとその持続力に感心するばかりです。

物語は前編ということで筋をどうたらこうたら言うには早過ぎるので概要とかは書きませんが、映二もまた吉崎と同じで透子には見せない裏の顔が実はあってスケッチに描かれた少女が透子になる(する)んじゃないのかという疑心暗鬼にさせる不気味さも感じました。つまり映二は連続殺人をしてるんじゃないのかと思ってしまったということです。そしてターゲットは透子なんじゃないのかと。そういうスリル感の演出が意図したものであるのならサスペンスも書けるというのかあと。(もっとも24歳が少女か?ちゃんと読めよという私に対するつっこみはありましょうが)こういうとこで殺人が行なわれるかもしれません一緒に探して防ぎましょうとか言って現場に連れ込んで今度の快楽殺人被害者はあなた(透子)って筋書きかなと私には思えたんですから。でも違ってたんですけどこういう惑わしも騙されて気持ちいい感じです。

独創的な表現を目指しておられる方で、仰々しくであろうと思われるところを行行しくと表現される意図が読めないのとか「ど○り」というそれで悩んでおられる方にとっては残酷な表現が飛んだりといった荒々しさが見え隠れするのですが、台詞が感情の発露というものでなくコミニケーションの手段としてリアルになっているし、登場人物に名前を配すなど読み手の利便を図られたプロ仕様と言う感じがしてきます。なにより画として光景が浮かんでくる感じは今までの中で一番と感じます。

映二も透子も年端も行かぬころから「死」と出会い続けている。そういう背景がきちんと描かれていて特異な能力を持ち得ても不思議に思わせない説得力が生まれてますし、同じ境遇を有する同士が疑心を抱えていたとしても相手を理解しうる素養を持ってるのも頷けますです。

ただあまり本を読まない人間の感想としましては、二人が現場の場所を探すくだりは後頭部が痛くなってきました。あそこはテンポアップというか短いセンテンスでポンポンと行くスピード感の切り替えが欲しかったです。もちろんおめえが本読みなれてないせいだと言われてしまえばそれまでのあくまで個人的な想いの話しですけど。

とにかく後編が愉しみであります。でもやっぱ縦書きで読みたいっす。

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