1-4・遠州地域ネタ

さくらご飯とさくら棒

 いやあ知らなんだだあ。さくらご飯とさくら棒が遠州独特だったなんてやあ。

あまりにも当たり前過ぎてだったんで目から鱗ですわあ。秘密の県民紹なるバラエティ番組で浜松の雄袴田さんが出るっつうもんで見ただけえが。ほんとかえ~だわ。

 さくらご飯はよく仏壇に飾られてたからそういう類の儀式のおすそ分けなんだろうなとは思っていたけどまさか遠州だけが馬鹿はやりだったとは。番組でも言ってたけど辞書にも載っていたんで全国津々浦々だとばかり思ってたわあ。

それに普通コンビニでのおにぎりや弁当にでもさくらご飯の種類のものがある。コンビニといったら全国均一という穿った意識があるから地域性が顕著というのはやっぱ嘘だろうという気が今でもあるくらい。

ところでさくらご飯が人気がある理由は、番組では左程強調されていなかった風に映ったけど、一番重要なのは「おこげ」である。コンビニで買えるさくらご飯はお行儀というか商品管理が徹底しているのかそういう調理をしているのか知らないが「おこげ」がない。というか気づかないので正直美味しいと舌鼓打つほどのものではないだいね。

さくらご飯はご飯を炊くときにお水の中に醤油とお酒を入れてお米を炊くという具の無い五目御飯みたいなもの。

美味しいさくらご飯とは「おこげ」にあり。みずっぽい事を遠州弁では「しゃびしゃび」と言うのだがしゃびしゃびご飯では普通にしか過ぎないのである。具がないんだから食感が普通のご飯と同じだったら中途半端なのである。あくまでカリカリ「おこげ」を追求することがさくらご飯の美味しい秘訣なのである。これ重要、いやホントに。

 さくら棒。実はうちらは単に「お麩」と呼んでいて「さくら棒」というのは始めて知った勢いなのでテレビ見てて最初「さくら棒?なんのこっちゃい知らんなあ」とツッコミしつつ見てたくらいでありまして。いわれてみれば確かにその通り、「これこれ」でしたわ。そんで全国的な普通の「麩菓子」は初めて見たにい。かりんとうの化けもんかと思った。

食すと口の中がパッサパサになるのでひたすら黄いないミルクセーキやラムネやみかん水といったジュースとセットでぱくついてたなあ。水道水で口の中を潤すとあまり旨い気がしなかったしお茶との相性は超微妙だったっけ。アイスというかシャーベットを乗せて試しに喰ったことをガキの頃したけどこれも微妙だったなあ。

 なお、この記事まるさら遠州弁で書こうかとも思ったけど分かりづらいだろうから隠し味程度にしときました。

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なんかおかしい秋祭り

神無月(10月)ともなるとちらりほらりと各町内でそれぞれ秋のお祭りが催されている。

どうにもついていけないのが「たこ」のらっぱをこの時期吹いて「練り」してるであろうことである。そんな音が聞こえてくる。

旧市内だけで「たこ」やってた時分には考えられないことではなかったかと思える。秋の祭りの目的は町内によって異なるのかもしれないが大方は収穫を祝うものであろう。

五月の「たこ」の祭りは子供の節句を祝うものでその趣旨が異なるものであり「練り」も節句の祝いに付随したものだと思って育ってきた。

したがって旧市内に住んでた時の記憶でいけば秋の祭りに「練り」などしない。

にも拘らずこの10月に「らっぱ」や「太鼓」の音が遠くから聞こえてくるのである。勘違いかもしれないが聞こえてくるのは近年「たこ」に参加するようになった町内辺りから。それとも全てどの町内でもやるようになったのだろうか。

最近は選挙なんかでも「激練り」とかいう新種の「練り」をしてたりもする。

こういうことが良いとか悪いとかいうことを断じるほどの人間では私はないのでただ理解に苦しむという感想を述べるのみである。

「練り」とはなんの為にいつするものぞ。そこいら辺を明確にして欲しいすな。

現実としてほんの一部のアホなんでしょうけど法被着てさえすれば我が物顔で道を闊歩できると錯覚する輩がいるのだから。夜運転してて怖いすわ。という体験をたった一度きりですが経験したってのもあるんですけど。夜中に提灯持たずに法被だけじゃ暗くて見えないんですけど。

鬱積した感情の発散という目的の為に「激練り」というものが考案されたのならぎゃーつく言う筋合いはないのですが「練り」の趣旨から外れてやしないかと思うのはおかしいんでしょうかねえ。

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浜松ついこないだの昔話16

 昭和のお話し。「軍艦マーチ」といえばパチンコ屋をイメージしたように、「双頭の鷲の旗の下に」といえば朝っぱらからオヤジかぶりつきの静岡放送のテレビ番組?が想い出される。それは本日のオートレース情報。しぞーかでは競輪情報か。

「呑む打つ買う」がいなせなチョイ悪男の条件かもしれないが、うちのオヤジは「呑まれる打ち込む買う甲斐性もない」という駄目オヤジの典型みたいな人だった。

平日はいつも仕事に行く時叩き起こされて不機嫌そうに家を出てく癖に、日曜となると誰に起こされるでもなく元気に起きてこの番組を見てから嬉々としてオートレース場に出発してた。

最強の反面教師だったオヤジの後姿だっただけに、目を輝かせてテレビに食い入る真剣な眼差しがどうにも厭で、見たい番組がある訳じゃあないのにチャンネル変えようとしたりしてぶん殴られたりもされた。これに限らずなんかあると「誰の稼ぎで飯が食えると思ってんだ!」とかぬかして家長面してた。実際はおふくろの内職で食えてたようなもんだったのに。まあこの反面教師のおかげで自分はオートも競艇も興味を持たずに生きてこれたので一応感謝はしてるけど。

「双頭の鷲の旗の下に」。この曲を聴くとそんな一連の出来事が想い出される。多分おおよそ昭和40年代辺りのお話し。

今は毎日め○ましテレビからと○ダネへスイッチする時間辺りにそういったレース情報が15秒程流されたりしてるがあんな短くはなく日曜のみでもうちっと長かった。この楽曲に一番二番とかが在るのか知らないが一番がフルに流れるくらいだったので1分くらいはやってたのかな。中学に入ると夜更かしするようになって朝も早よから用もない情報見ることもなくなり、どれくらいの期間この曲が使われてたのかは知らないがインパクト大な記憶になっている。

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生中継の遠州人

 静岡○ごとワイドでとあるお店のはま~つ志都呂店からの中継の模様が流れているのをテレビで見てました。ゆうときますがテレビ局サイドにはなんの落ち度もなく、問題にしたいのははま~つ人の馬鹿っつら共についてです。俗に言う恥さらしですな。自虐的な偏見でしょうしかつ私もはま~つ人でありますがあんなのがはま~つ人の特質かと思うと嫌になってきます。

お店の商品等の説明をしてる中、後ろでテレビに映らんと蠢く連中のアホさ加減に辟易しました。

ガキを見せびらかすように持ち上げたり突き出したりとぞんざいに扱う男親。

映ってると知るや携帯でどこぞに連絡しがつら周りをうろうろする学生野郎。

同じように纏わり付く様に寄ってたかってくるガキ。

ホントうっとおしい限りったらありゃしない。しぞーかとか他の地域での中継とかもよくやられるこの番組でありますがこんな卑下た連中湧いて出るとこなんか県内でははま~つくらいなもんでしょう。

 では、なんで見ていて苛立つかというとその根拠はふたつ。

ひとつめは、中継の趣旨(意図)を破壊する行為をしていること。相手(この場合テレビスタッフ)を思い遣らない自分さえ良ければという気遣いのなさにムッときます。

ふたつめは、いつも思ってる事なんですがテレビに出たけりゃ己の力で出ろと。たまたま通りかかったら遭遇した居合わせただけの偶然においてはしゃぐのはお門違いも甚だしい。中身もないのにそんなに自分を誇示したいのかと。

そりゃあ火事とかの災害現場で屯する野次馬の如く人の不幸があった場においての不謹慎な行動とかではありませんし、平凡な日常に刺激を与えてくれるチャンスなのかもしれませんが。

だからといって多くの人にとって公共の(商売繁盛祈願の映像ではありましたが)電波の中に放映側の意図しない邪まな邪念が映っている画面を見ることは不快に感じるもの。要は目立てばいいというのはただ単なる恥さらしなだけで、子供(ガキ)なら許さざるを得ないにしても分別のある大人のすることではないということでしょうに。

 では何故これをはま~つ人の悪しき気質といってるかというとそれははま~つ祭りを見れば分かること。全ての人がという訳ではないが、自分さえ楽しめればいいという感覚を悪いことだとは思っていないこと。しかも人に迷惑がかかっていなければいいんだと御託を並べていながら実は迷惑をかけてる事に気づかない無神経さを兼ね備えていること。それが祭りだと全部許されると思っていて、自分が凧場でなくともこれは「祭り」のシチュエーションだと勝手に判断した場合には傍若無人に走る拠り所となるのであろう。ほんの一時の自慢?の為に空気を読まない輩が多いのはそういう訓練を重ねていることに起因してる風にも思える。

浜松祭りの本来の目的はそんな自己陶酔を促すものではない。祭りに於いて組の役員の人達はそういことをする事はないのだが、祭りを運営する衆らの心祭り馬鹿知らずということなのであろう。

 そういう嫌な気質を垣間見たようなうんざりする光景がテレビに映し出されていました。浜松からの中継がそう多くない理由が分かる気がしますです。ホント自分もそういう気質を内面に抱えているのかもと思うとぞんぐりしてしまいますわ。

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レジ袋

 はま~つでは去年(2008年)の10月に「レジ袋有料化」の施策が始まった。その趣旨とかについては特に思う事はないけれど、半年以上経って自分の生活にどう変化があったのかを書き残しておこうかなと。

とはいっても実は詰まるところなんにも変わっていない。何故か。それは足並みが揃っていないからである。はま~つに本拠地を置く店屋とかは行政からの要望に応えて一枚5円で販売しているが、全国展開している店屋についてはお上(市如き)のお達しには反応しておらず未だにサービスとしているからである。市というものの行政の権限の度合いというのが垣間見られるのは興味深くもあるが、原付の二段階右折みたいなもんで有名無実というか骨抜きになって最後有耶無耶になっていくんだろうか。

まあそんなこんなで自分がよく利用する頻度の高いコンビニとかは後者であり従って前と変わらずレジ袋に重宝しているのである。たまあに遠鉄ストアとかに入ると賢い主婦の皆様方は袋持参で5円不要なのであるが私は持参してないので5円払うことになる。なんだかなあという気分になったりもする。

どちらが時代なんだろうと考えると理に適った事をしているのはちょっと考えれば分かる事であるが現実的にはこの差は何?片方はタダなのにと逆恨みして随分じゃんと思えてきたりもする。まさに自分は勝手で我儘な消費者の一人だと自覚する訳でありまして。

 レジ袋は使い勝手が結構ある。ペット特に犬の散歩においての糞の始末には重宝するし、乾電池や空き缶等通常サイズのゴミ袋に入れるには重くなり過ぎるゴミのミニゴミ袋としても使っている。他にももっと賢い消費者なら色んな使い方をしているであろう。

つまり、いま即座に無くなると存外生活が不便になるということである。完全にエコバッグ持参になってレジ袋がこの世から姿が消えるとなったらを想像してみる。それは昔に戻ってあのころはどうしてたかを考えてみるという便利過ぎでは決してなかった時代に回帰するということになるのだろうか。そうとも言えないかな。

ちなみに昔は大抵が新聞紙がそういった役割を果たしていたような気がする。魚屋さんで魚買えば包装は新聞紙だったし、くるんで捨てるゴミなんかを包むのも新聞紙だったような記憶が。

つまりいきなり今までなかった便利なもの(レジ袋)が出て来たのではなく、品は変われど役割を担う必需品が存在してたということか。だとしたらレジ袋が去った後一体全体なにがその役割を担うようになるんだろ。新聞紙に時代が巻き戻った訳でもないし。今のところ未来の事など見当もつかないな。

 どのみち有料化になってから家庭を預かる主婦の皆さんはレジ袋とはある程度の縁を切った生活を始めていることであろうが、繰り返しになるが現実にはレジ袋有料化の足並みが揃っていないから言うほど世間は動いていないから変化はしていないんだろうな。

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読めすかや

はま~つの聞かなきゃ読めない地名等の一例

平田・なめだ 神久呂・かくろ 旅籠・はたご 新橋・にっぱし 参野・さんじの

利町・とぎまち 引佐・いなさ 気田・けた 船明・ふなぎら 馬郡・まごおり 水窪・みさくぼ 

正式な地名ではないが

三方原・みかたっぱら  熊・くんま(正式には「くま」らしい)

はま~つで漢字で書けといわれると難しい地名等の一例

ねずみの・鼠野 はたごまち・旅籠町

市町村合併でがんこはま~つは広くなったので全てを網羅してる訳でもないし、これに字(あざ)とかいれたらもっと増えるのだが。まあ気がついたとこをいくつか挙げてみました。

ちなみにはま~つ市民でも平田は読めない人が多い。

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とびだせ!空想科学

7/5、テレビしぞーかが全国に向けて発信するという非常に珍しい地方発信のバラエティ番組が日曜の16時から放映されていた。

基本は大の大人が大真面目に本気で挑む(遊ぶ)からこそ面白いのに、テレビの中ではやけに場を必要以上に盛り上げんと奮闘する芸人さんのおちゃらけにかき消されたように映ってなんだかなあという印象を抱いた私です。

ある種タ○リ倶楽部に通じる要素があると思えるのに本気度が希薄なのがどうなのかなという気分は抱いてはいますが、その道の権威をも巻き込んで空想を実現化するという趣旨は私の好物でした。

前回も見てて、あの自動車が天井を走れるか?走れるらあ企画は知っていましたので今回の不成功もどんまいという感じでまだまだ挑戦して欲しいよなと。こうなったらタイヤメーカーも巻き込んで粘着性のあるタイヤにしたらどうなんだろと素人の野次馬判断でついそう思ってしまいました。

ところで番組中さんざっぱらこらしょと流れてたあのテーマ曲。あまりにも耳に残ったのでつい遠州弁に替えてしまいました。漢字の部分は外来語に直せばまあオリジナルになるかと。

「風ん どんぶるえる超曲走路

 怖くあらすけ剛豪轟

 まっちろ車体音速号

 負けすか魂 親譲り

 走りだいたら 後にゃあ退けんて

 ゆかざ勝利の終着まで

 音速号強 音速業強

 音速業強号」

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うどん屋かそば屋か

関東はそば屋関西はうどん屋。

それぞれの専門店は別としてラーメン含めて諸々な麺類を注文出来るお店をどう呼ぶかというお話し。つまりお店の看板はどっちが多いかということより普通の人間が道を教える時に「角のそば屋を右に曲がって」というか「角のうどん屋を右に曲がって」なのかどっちを言うかということ。

随分前にその境界線はどこかということを調査すると言う企画のテレビ番組を見た。

それによると太平洋側の境界線は浜名湖だという結論に達していた。つまり浜松では普通「そば屋さん」であり湖西になると「うどん屋さん」と呼ぶのだということ。いわゆる情報バラエティ番組での結論なので間違いないと決めつけるだけの確たる根拠がある訳ではないが。

自身も経験と照らし合わせても「そば屋さん」と呼ぶのであって「うどん屋さん」にはいまいちぴんとこないのでそうなのであろうなと納得した記憶がある。

仕事先での昼食は大抵そば屋さんでそばとかラーメンとかカツ丼とか品を換えてほとんど毎日通っていた頃もあった。そのお店で出される蕎麦は茶蕎麦であった。田舎蕎麦より更科系を好む私としてはこの茶蕎麦は色の割にはあっさりなので食べ飽きるということはなかった。

蕎麦は「ざる」でこそあってつゆの中で温まってるそばは好みではないが、唯一あっためたものではにしん蕎麦は好きだった。しかしながらはま~つで此処は旨いとか思わずお店を紹介したくなるような美味たるお店を私は知らない。

泊り込みで信州に研修で行った際地元の人に案内されて人里離れたようなこじんまりとしたお店に連れて行って貰ったことがある。そこははま~つのうなぎ屋のように注文を受けてからうなぎを捌く(蕎麦を打つ)みたいなとこで凄く待たされた記憶がある。夏だと言うのに信州の宵の口の冷え込みははま~つ人には堪えていたところにざる蕎麦が出てきて内心勘弁してよという想いであったが、いざ食べてみたらこれがまたがんこ旨かった。食べてる間は寒さを忘れるくらいであった。今でも自分が食べた中で一番旨いと感じた蕎麦である。

一期一会の蕎麦と毎日食べても飽きない蕎麦は似てあらざるような気がする。

はま~つでは好きものが高じて修行を経た後店屋を構えた風の店舗を見かけると、大抵は蕎麦屋であってうどん屋を開業するという比率は非常に低いという印象がある。はま~つ人は蕎麦喰いの種族なのかもしれない。でも長続きせず店をたたむ光景をよく見かけたりして蕎麦だけでは客が入らないというなんちゃって蕎麦食い人種なのかもしれない。大抵はオールラウンドに丼物もうどんも出す店でないと長続きしないみたいである。

ちなみにラーメンは餃子とセットというのがごくごく普通の関係なのでラーメン店とそば屋さんとは競合しない領域ではある。そば屋で出されるものは中華そばという方がなんかすっきりする勢いはある。もちろんそんな取り決めはないのだから千差万別な呼び方ではあろうが流石に支那そばシナチクとかいう呼び名を使うところはもうないであろう。

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葬式饅頭

 葬式饅頭そのものは別に遠州独特の風習ではないのだが。しかしながらその姿かたちは地域によって異なるものらしい。ちなみに葬式饅頭はうちの集落では葬式で隣保の人達にお手伝い頂きご苦労様でしたと配るもので、香典返しとかで貰うものではないような気がする定かではないが。

体験談としての話しなので遠州じゃこうだと断定する訳ではないが私の知る葬式饅頭はどこが饅頭なんだと思えるものである。

というのも、その実態は小判をでかく膨らましたカステラにしか見えない。それも配られて直ぐはそうでもないが日にちが経つとかっちかちのパッサパサになるもの。上表面中央部に大雑把に砂糖液をどろりと垂らして固めてありそれで甘さを感じろといわんばかりで中身は非常な薄味というものである。砂糖ではなく昆布?がかかってるというところもあるらしい。

しかしながら味覚的に私のヒットするところであり非常に好んで食べてた。美味しいのではなく飽きが来ないもので人にお勧めできるものではないが自分は好きだ。ちなみに私のお気に入りの食べ方は何日か暫く常温でほっぽらかいといてよりかちかちになったところで歯で引きちぎりがつら下にカスがぼろぼろ落ちようともとんじゃかなく噛まずに口の中に含んだまま牛乳を含み飲みして口の中でふやかしてから咀嚼するのが悦というもの。

正式名称はなんて言うんだろう。「カステラ饅頭」かなと想像したがそれは「松菱饅頭」のことであるらしく違うみたいだ。「かたパン」というところもあるらしい。イメージは確かに!である(全国的にいうところの堅パンではない)。でもあれパンか?やっぱカステラじゃないのか?謎の多い食べ物である。どこで作ってるんだろ。それさえ分からない。ネットではま~つで売られてる「かたパン」なるものの画像が載ってるブログを検索して見たらやや三角のものでほぼ私が言っている「葬式饅頭」に近いものであったがあれじゃない。近いけど。

試しに職場の連中に聞きまわって尋ねたらはま~つ全域での風習ではなく普通にお饅頭が配られるとこもあった。もちろんそんながんこの人数に聞いたわけじゃないので信憑性は薄いが。

なんか説明記事というより情報求む記事になってしまったが、きちんとした説明できるサイトとかどなたか教えてつかあされや。

知りたいのは

この葬式饅頭は、はま~つだけなのか。

いつ頃からこれが出されるようになったのか。

どこで作っているのか、買えるのか。

正式名称はなんなのか。

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のびゆく浜松

この間浜松駅のところにあるモニュメントをあれじゃあ「さびゆく浜松」だと評された文書を読みましてなるほどなと。

置かれた当初から鉄製ですから錆び始めていてそれについては「それもアート」ととかいう説明を聞いたことがあったようなないような。でも「さびゆく浜松」の象徴という比喩は言いえて妙だなと変に感心してしまいました。シンボルともいえた松菱は潰れ、どこぞのデパートの独り勝ちで他も撤退していったり、住宅は区画整理で住民は遠方に転居しと街の中心部はなんだかなあ状態でまさにモニュメントの様さながらと思えなくも無いですから。

そういやあ昔、「のびゆく浜松」って教科書?社会の授業かなんかで使った冊子があったっけなあと想い出しました。そこらじゅう探してももう家のどこにも残ってないでしょうから記憶を辿っての話で勘違いがあったらごめんなさいですけど。

私の記憶の中の「のびゆく浜松」では染色とか衣料に関係する産業が浜松は楽器と共に盛んであると書いてあったような。書いてはないけどリアルな話し身近なとこでは馬込川沿いには染色工場とかがたくさんあって川は泡吹いてたり日替わりで茶色だったり青かったり混ざってぐんじょ色だったりと川に流れる水の色が変わるという景色がイメージとして残っています。板屋町や旭町付近にも衣料の卸し問屋街が軒を連ねていたっけ。今はどうなんでしょうかねえ「のびゆく」してるんでしょうかねえ。

江戸の頃は浜松は「出世城」とかいわれここの領主になれば江戸幕府で出世の証とかいうことが書いてあったようなないような。

地域の歴史(産業)ということでは三方原台地に用水路を自費で作った金原明善。浜松に楽器産業の礎を築いた山葉寅楠(和歌山市出身)。いわずと知れたホンダの創始者本田宗一郎(天竜出身)。湖西で織物の自動織機を開発した豊田佐吉。とかのお名前が郷土の偉人として記されてた記憶が浮かびます。

今も「のびゆく浜松」有るのかとネットで調べたらまだあるそうな。

でも、世界の「トヨタ」は愛知物であって声高に湖西が発祥の地なんぞと今でも謳ってるのかしらむ。まあそんな事言ったら生まれが浜松の方なんて金原明善翁しかおられないんでしょうけど。どちらかというと浜松の人がということより浜松での成果を謳われてるんでしょうね。

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