4・つぶやき

方言で商売する人は大変だな

 まあ商売というかお金を稼ぐのは何事においてもしんどいものだけど。先日とあるテレビのバラエティ番組でタレントさんがそれぞれの地域代表みたいなポジションでそれぞれのお国言葉を駆使して出演なさってるのを見ました。

方言の効能は見てる視聴者に何を言ってるのか判らない謎と湧き出てくる温もりを感じるとかがあるからなんだろうけど。そういう要求を理解されてるだけにそれに応え様と懸命に言葉を積み重ねている姿を拝見して、「ああ大変だなあ」と。

遠州弁だと自分は共通語を話してるつもりが実はもろ方言というニアミスなのが味噌なんだけど、東北や沖縄クラスになると全く異なるところが味噌でなくてはならないのでより大変だなあと。

これが外国語となるとなにも楽しくないのは不思議ではありますな。どちらも全く何を言ってるのか判らないのに。

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とりとめもない話し 部落

海外の漢字を使う国でのブログにお邪魔するとブログのタイトルによく使われている言葉のような気がするのが

「部落」

日本では禁じ手に近い言葉である。

それがででんと謳われてるとホントドキッとしてしまう。

西洋ほどに全く異なるのはそういうもんだと因果を含むしかなく新たに覚えるという意識でいいのだろうけど。

似通ったものが異なるというのは複雑だ。

多分日本語同士でも方言においてそういったのと同じ感覚が使わない人からしてみればあるのかもしれない。

でも言葉自体好きで忌み語になってる訳じゃないだろうから、明るい使い方の方を尊重するべきなんだろうな。

「部落」という言葉は日本では不遇をかこっているけれど違う国では普通に暮らしていることを喜ばしく思うべきか。

日本では「土人」とかもそうだけど「部落」もいつのまにか最初使ってた頃と言葉の意味と使い方が変わってしまうことによって消えてしまうんだろうか。もちろんその背景にある差別はあってはならないものであり失くすことに努力することは当然である。そういう背景を取り去らない限りは単純に言葉として復活させようにも非常識に音頭とったらその人は非難されるだろうから無理なのかもなあ。まあ海外の使い方が輸入されるくらいしかないのかも。

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いきなり冬かよ2009

2009年。10月10日にして早くもVHF波を使ってるテレビ局の画像にパルスノイズが発生した。

我が家では例年遠州のからっ風が吹く冬に起きる現象で、これが来ると冬到来という目安ともなっている。温度の問題じゃなくて風が強いと体感温度が下がるもんでさぶいんですわ。なんでまあ厳密に言えば冬じゃなくて深まる秋なんですけど、さぶいには変わりないんで私には冬みたいなもん。でもなんか早い気がする。

以前書いた記事で確認してみたら、おととしは11月半ば去年は10月の今頃にパルスノイズ到来とあった。

なあんだ去年と一緒かあ。遅い早いという感覚はええ頃加減なもんだなあ。まあ去年は死ぬ程さぶくなかったんで今年も去年並だと嬉しい限りだけれど。今年はどうなることやら。この地球規模の危機存亡の折に能天気に温暖化を喜ぶ馬鹿がいるかとなじられそうだけどさぶいのはホント好きくないんで。今年もエアコン一切使わなかったことで協力したんだということ(免罪符)にしてくれい。

秋をなんにも満喫できてないんだけど、とりあえず布団を冬仕様にしよう。

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本夜雨強くして風高し

 10/7、風が高いって日本語おかしいだろというツッコミは無視してですな。

先ほど22時前に帰宅しましたんですが、まあなんと風の強いこと。車が突然横殴りの風に持っていかれる感じでハンドル両手でしっかり握ってないとと幾分緊張気味で運転してました。

道路に葉っぱが落ちていて。こんなことあまり記憶がないですわ。遠州はからっ風が吹くことで多少は有名でありましてそういう意味では冬の時期先にも述べた横風に当たるとハンドル持っていかれることはよくあるのですが。

葉っぱが風のせいで道のそこかしこに落ちるなんてことは覚えがないところです。落ち葉の時期でポプラ並木とかでの枯れた葉っぱ踏み踏みはそりゃありますが青々としたものまで舞い散っているとはこりゃ半端ないぞと。

なので家に着くや外に出したままだと飛んで行きそうなものを家の中に入れることにしました。自転車やら植木鉢やら。

構え過ぎかもしれませんが用心に越したことはない訳でありまして、昼間は雷とかもあって停電などという状況も視野にいれとかないとという気持ちであります。なんでパソコンもこの記事上げたら電源落としとくことにします。

猫もいつもはこの時間能天気に寝てたりするんですが今興奮してるのかバタバタはしゃぎ廻ってますわ。地震の時のように外に出せとか啼いて騒いでる訳じゃないみたいですけど興奮してることは間違いないですわ。

ホント今度の台風は自分の今までの経験値からいっても大きいぞと。警戒警戒って言うか雨と風の打ちつける音と何気に揺れる感じで呑気でいれないところです。っていうか本格的にやってくるのは明日じゃねえか。大丈夫か?家のボロ家は。

追記

10/8。なんとかしのげたみたい。でも木々の姿は大分様変わりしてたなあ。今年の紅葉はちょっと寂しくなっちゃうのかな。大き目の鉢植えは家に入れて置けなかったんで朝見たら横倒しになっていた。

浜松はニュースになるような大きな被害とか報道されてなかったけどお隣?の豊橋はなんかニュースになってたなあ。

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我がへたれ いと やばし

 観たい映画がある。しかしながら観に行けれない。行けない障壁を私は越えられないで喘いでいる。全て身から出た錆びによるもので八つに当たるところなく如何ともし難くやっきりだわあ。

まず朝、立ち上がれないんだジョー。のように燃え尽きて真っ白になるほど懸命に生きてる訳ではないのだが、夜行性のツケがたまって宵っ張りの癖がおさまらず朝早くに無理くり起きても体がへなる。

腹の下りが止まらない。夏風邪をずうっとひいていてようやくエアコンぶんぶんの季節から解放されて風邪の症状が影を潜めたというに。今度は腹が下るようになった。流石に上映中にちょいと厠へ足繁くという訳には行かず他の方に迷惑お掛けするので気が引けるところである。

 浜松にも「シネマイーラ」というミニシアター系作品と呼ばれる映画を上映してくれる映画館が出来た。曖昧で不確かな記憶だけれど以前から「~を観る会」とかいうネーミングでそういう作品を上映してくれていた記憶がある。で、今度映画館そのものが生まれ変わってそういう作品が常に観れることになったのはとにもかくにも嬉しい限りでありんす。

で、今回特に鈴木卓爾監督の「私は猫ストーカー」という作品を観たいのであります。観たい理由なんぞは子供がおもちゃを欲しがる理由と同じで、あってないようなものですんで省きますけど、とにかくどうしても観たいんですわ。それに観た後じゃないといいも悪いも言えるもんじゃないですから。

10月2日までらしいんでそれまでに腹がおさまり起床が爽やかになることに努力するしかないのですが果たしてどうなることやら。しかも平日だし。でも観れなかったら後悔するだろうなあきっと。

 ところで話し全然変わるんですけど、映画って午前中の思考で観てもいいものなのかしらむと大分前から思っているんですけどどうなんでしょうねえ。まあ朝風呂と同じだと解釈すればそりゃ贅沢この上ない訳ではありますが普通は仕事終わりのひとっ風呂ってのが乙だと思えるんですが。まあすけなくとも自分休みの日なんかで午前中時間があっても映画やドラマのDVDとかを見直したい衝動に駆られたことはないんですけど。っつうか頭起きてねえだろってのが真相なんですがね。

追記

で、結局どうなったかの顛末を申しますと。なんとかかんとか観に行けました。

映画の感想は又別に。良かったですよ。白黒を求めたがる人にはあれだろうけどそうじゃなければあの空気感はいいですわ。

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とあるニュースを見て

インフルにはタミフルが効くそうな

エンザには別売のオプションつけないと効かないのかな

インフルにはタミフルが効くそうな

キンフルにはタムシフルとかがきくのかな

なんかね。ニュースでインフルエンザとフルで言わずインフルと呼称してた。

分かればいいんだからというのはアリなのかもしれないけど

幾ら流行りモノとはいえなんでもかんでも短縮した言葉にしなくてもいいんじゃないのかと思う次第でありまして。

そのうち本当に、正しい日本語を使うことが芸(商売)として成り立つ時代がやってくるのかな。随分昔はアナウンサーとか司会の人は正しい日本語を使う生きた教材として普通に無料視聴できたけど、いつの間にかお水を買うようになったみたいにこの教材も買わないと視聴できなくなるのかな。全く以って世知辛いお話しで。

そういやあイントネーションとかも人それぞれでバランバランだよなあ最近。

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何に懐く(なつく)んだ?

犬は人に懐き

猫は家に懐くそうで

亭主は料理に懐くとな

では女房は何に懐くのか

全てを支配できるところとかに懐くんだろうか

だから主導権争いで姑と揉めるのかな

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身を立て名をあげやよ励めよ

 こう唄って学校を追い出された。随分昔の話しだが今でも卒業式で唄われているんだろうか。

今といえば出世なぞよりマイライフ。個人情報がどうたらこうたらとかまびすしい限りの秘匿社会であり、過労で死ぬ間際でも励みが足らぬ(それが当然だ)と評価されるご時勢。

その昔、学校では社会に出れば歯車のひとつとしてよりよい社会を築くため努力せよと教えられ、一家の長ともなれば家に表札を掲げ電話帳に住所氏名が記載されと「大人」になるためには名を明かし多くの圧力を押しのけることを要求された。大昔の合戦じゃないけどきちんと名乗りをあげて様々な出来事に対処するのが「大人」の証ということであろう。会社に入れば労働組合家にあれば町内会。今も在るけどその費やす労力の比重は今とは比べ物にならないくらい重いものだった。もっとも昔の世間は今ほど機械化されてはなく人が動いて助け合わなければ社会が動いていけない人力の時代ではあったが。

今はその点、自分らしくをモットーにナンバーワンよりオンリィワンの自己の幸福の追求に勤しみ、匿名・ハンドルネーム&ヴァーチャルの世界とかで名無しの人生で痛み(責任)が伴わない能天気さで世渡りしていけれる。

そんな今も消費は美徳とエコとの狭間で宙ぶらりん。

今唄うとしたら「身を伏せ名も伏せやあよ励むは」がリアルだなあと思えるのは気のせいか。

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今年の夏の景色の記憶

地震があった日に一応異常がないか家を見回ると

我が家の猫の額ほどの庭

正しくは物干し場

そこに真白き鉄砲百合がずかずかでんと咲いていた

植えた記憶なぞなく

本人の意思で生えて来たのだ

逞しい雑草としての本性を露にして

狭い敷地を割いている

なんか綺麗だな

綺麗事を言わない奇麗かな

花が落ちたらやっぱ雑草にしか見えないだろうけど

逞しいことも悪くない

今年一番の夏の思い出かも

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熱中症ってどっちが?

 幼児が車内で熱中症が原因で亡くなられたというニュースをまたまたまたやっていた。場所はこういう事例において全国どこでも御馴染み定番となっているパチンコ屋の駐車場。

発端が相も変わらず親はというとパチンコに夢中。で、結果放置のあげくの可哀相な出来事。

一体熱中になってたのはどっちなんだろとつい思ってしまう熱中症というネーミングは的を得てるよなと。

昔はというと子供は母親に背負われて恒に一緒に居たものだけど、今は四六時中共にということはないらしい。

それが子供のぐずる泣き喚きを嫌う社会環境のせいなのか、親が周りの目線を意識してのものなのかは知らないがこの手のニュースが絶えない事だけは確かで改善される気配が見受けられない。

最後に罪を被るのは親なんだし親が責任を問われる事になるのだろうけど、お店にしてみればとんだ被害者ということになるのであれば防衛の為にも駐車場を巡回するくらいの意識も必要なくらいで。つくづく他人によりかかって生きてる人種が増えてきてるんだろうかな。注意と文句の区別をつけれなくなってきていて、なんか言えば全て感情的な文句(表現)になるしそう受け止められてしまうという風潮もあるのかもと思ったりなんかして。だからお店の人も熱中症の客に注意できないのだろうかな。

まあ同じ店で何度もこういった出来事が発生してる訳ではないのだろうからお店の側は注意に努力を払っておられるんでしょうけど。それにしても後を絶たない出来事でありますな。

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