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放談

死語の世界

「放談」

あくまでテレビにおける死語と前置きをしといた方が無難かもであるが

「放談」

昔ガキの時分に「時事放談」を「爺放談」と揶揄って悦に入っていた。

なんの結論も決定もなくてただこれは如何とかこりゃ遺憾だとかとにかくいかんいかんと言い放って時間が来てハイ仕舞いというのはただの愚痴じゃねえかと。建設的な部分が見えねえやと思っていたのだが。(あくまで子供の頃そう思ったということ)

そういう意味じゃ子供はドリフの「駄目だこりゃ。」で大人は「時事放談」視て人の粗相の上げ足とるのが快感という風にも読めなくもないかな。

そう思ってた自分が「爺」の境界辺りに足を突っ込むお年頃になってみると、どこかしら言いたくても言えない部分を代弁してくれてる根性のある人(爺)に映って見えてくるのだから「放談」は決して不毛でも不要でもないものだったんだなと思えてくる今日この頃。

そんな「放談」という表現、テレビで耳にすることはなくなったよなあとふと。(ネットで調べたらBSでは放談の冠を付した番組が存在してるようだが。)

放談自体はテレビから姿を消したのだろうか。

たまに週末の夜中にずっとやってるあれは、「討論」とか「激論」とかいう相反する立場での言い合いであって結局は放談と同じ結論も何も出ないものであるけれど相手を言い負かすが華みたいな部分があって西洋の方式だよな。放談は相手を否定せずに自分の意見を発する「和を以て尊しとする」的(使い方間違ってるけど)な和式な匂い漂うものだから。

「討論」の盛隆によって言わなきゃ損とか言い負かしてこそという思考がこういうところから発生しているのだとしたら対海外には必要なのかもしれないが同じ日本人なんだからという互助の心は生まれてこないだろうなとちょっと弊害と思えたりする。確かに放談には砲弾程な威力はないもので討論ほどにインパクトは薄く見映えしないものかもしれないけど。

ま、テレビでは「放談」という名で庶民は飲み屋での「愚痴」という名で溜飲をいくらかは下げていたものが、「放談」はテレビから流れなくなって「討論」にうってかわられ、世間は酒を呑まない宴会を好まない風潮が広まって、溜飲の下げ場が歪んできてるような感じはするところ。陰に籠もった挙句に暴発するか、客という名の直接的な言い負かしが盛隆という風潮というかそんな風な潮の流れを感じる今日この頃。

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