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バーテンダー その5

 「ドラマみたいだあ」。

この回のテーマはそういうことなのか。どうりで奇をてらわずドラマの王道のような不仲から和解への雪解けという春の情景だった。

ドラマのように断絶した親子の図。

ドラマのように挫折した子供とそれに手を差し伸べようとしてもその意が伝わらない親の心。

ドラマのように誤解が解けて

ドラマのように周りが和解の手助けをして

ドラマのように親が倒れて

ドラマのように絆が強まっていく。

まさしくドラマみたいだあ。

でもそれが決して不快じゃなく、むしろええ話しやあとほろりときてしまうのだからこれは作り手の腕だよな。

もちろんテネシーワルツの逸話は意外な展開であり新鮮なストーリーであって全てにおいてお約束に忠実だった訳ではありませんでしたが。

それにしてもこの回は役者力で魅せたという勢いが強かったですなあ。

芦名星さんって格闘系も演じられるしこないにおしとやか然も違和感ないし幅広い表現フィールドを有してらっしゃるものだ。親子喧嘩の様も迫力あるのはおしとやか然とのギャップによるものでもあるんだろうかな。この人がしゅんとしてるとやけに気になってしまいますわな。いつもきりっとしてるイメージがあるから。

しかしてその上を行く室井滋さんがやっぱ映えてたなあ。海千山千を存在だけで表現できるんだから一から十までセリフや態度で感情だけでなく背景までをも表現しなくちゃいけない忙しない(余裕のない)役者さんと違ってセリフや動作に余裕が感じられるところ。何事にも動じない風だけど内心は苦しみ最後は嬉しいというのが如実に伝わってきて奥行きがあったなあ。しかも今までの生き様まで彷彿させる勢いで。セリフの端々に人生がのっかてるみたいに聞こえた。さすがに煙草はお吸いになられていないようでふかしてられただけのように映ったけれどむしろその方がホッとする気分になるのでアリだよな。

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LADY・最後の犯罪プロファイル その9

 唐突に洒落にならない妹救出ゲームが始まったものだ。

なんで警察のお偉いさんが刺殺された現場に居合わせたのか。しかもふたりも。まあ片方は尾行で片方は電話で指定されたからということなんだろうけど。

でもなんで死者の電話を取ったんだろ。

そして奮闘努力の甲斐もなくゲームオーバーになったのになんで妹は助かったんだろ。というかその前に妹はどうやってさらわれたんだろ。その時の記憶は本人にはないのか?

お偉いさんを刺殺したのはあの記憶の欠けた青年が犯人という事らしいけど、動機とかなにも解明されていない状況でとにかくあ奴を追えと相成る。って彼はくるまれてたけどあれって死んだって事なんだろうかな?そうすっと死人に口無しって事になるのか。

そもそもなんで偉いさんは殺されたんだろ。どうやって青年に殺させるように仕向けたんだろ。

その記憶の欠如した彼を操ってゲームを始めた輩は一体誰なんだ?というか何しようとしたんだろ。見張っていたのは下っ端さんだろうな多分。

親玉は誰なんだろ。如何にもという事では精神科医の先生にベクトルは向いているけどそんな軽薄なオチなはずもなかろうとて。妹を助けたのはこの人なんじゃないかと密かに思ってる。

結城(木村さん)が実はだったとかいうのじゃ洒落にもならないバッドエンディングだし。どのみち仲間と思ってた人物が犯人ってなると私が一番掟破りで嫌う警察官の犯行ということにもなる訳で。出来ればそうじゃないことを願うばかりですな。

全てが同じ人間の仕業じゃなくて合わせ技ということになるのかな。野次馬視聴者としては同じ人間の仕業という方が面白いんだけど。

まあいずれにしてもなにからなにまで謎だらけであれよあれよで唖然として見るしかない感じですな。収束というか終息どころがなんなのかすら掴めない感じですわいな。というかそもそもなんでこうなったのかすら私には分からない。

いやはや自分でも何書いてるのか分からくなってきたのでこの辺で。とにかく来週が最終回とな。面白いんだけど唐突過ぎる事ばかりで・・・。

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*とっぽい

辞書にはないので俗語の範疇(といってももう死語化してるやもであるが)であろうか。

ネットの辞書には記載があって

キザで不良じみているさまを俗にいう言葉。とある。

付随で茨城弁大辞典において

(不良っぽい感じで)イカしてる。(昔の流行語だと思われる)。とある。

となると遠州でというか自分たちが使っていたニュアンスと大分に異なるものである。

これを遠州独特と言い張るには無理があるところだが自分たちが使っていた「とっぽい」のニュアンスはひとことでいうと「お間抜け」。

もう少し細かくいうと、場の空気が読めない奴(浮いた奴)・タイミングがずれる奴(間の悪い奴)・発言・服装・態度などが的を得ない奴(頓珍漢な奴)とかを指す。(注、的を射ないではなくあえて的を得ないを使用してます)そしてその場に於いて先に挙げたような負の要因によって目立つ奴の事を指すものである。

つまり条件は浮いて目立つ事。しかもその目立つ理由は残念なもの。

浮いていても目立たなければ「どんくさい」・「どとろい」という表現になる。

「とっぽい」奴に対してその存在に嫌悪感や怒りの感情といったものは薄く「あきれる」・「関わり合いたくない」という感情の方が勝る。もし気に障るというものであるならば「むかつく」・「なまいき」という表現を使う事が多い。

辞書にあるような不良というニュアンスは無い。それが大きな違いである。

他の言葉言いかえるとなると「自覚の無い浮いた奴」とかでひとつの言葉としては思い付かない。こじつけ並に強いて挙げるとしたら「ひょんきん」か。まあ「ひょんきん」には「愛嬌」があるのでその「愛嬌」を抜いたのが「とっぽい」という事になろうか。

例文

「今度みんなで休みの日呑み行かすかあ。」

  (今度休みの日に皆で呑みに行こうぜ。)

「いいじゃん。で、だれん呼ぶよを。」

  (いいねえ。それで誰を呼ぶんだい?)

「うちらんとこの班全員呼ばすかと思ってるだけえが。」

  (自分の所の班の人全員呼ぶつもりでいるんだけど。)

「○○も呼ぶだあ?」

  (○○も呼ぶのかよ。)

「なんでえ駄目けえ。」

  (なんで?駄目なの?)

「あいつ服装とかとっぽいじゃん。仕事の時しか知らん衆らどんびきんなるにい。」

  (あいつの普段の服装とか浮きまくりじゃないか。仕事中の時しか知らない連中はどんびきになるよきっと。)

「確かにあいつ普段がんことっぽいでのっ。でもひとりだけ声掛けなしっつうのもあれだらあ。」

  (確かに普段のあいつは凄く浮いてるわな。でも一人だけ声掛けしないっていうのも問題あるだろう。)

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深夜食堂 その9

 「うちの暖簾くぐるなら肩書きなんてもんは置いてきな。」

同期でありながら片やミュージカル片や場末で御開帳。そういう近況で意図せず遭遇した二人。自分の自慢話しくらいなら憮然たるが黙認すというものであろうが、それにく較べてお前はという事に成ったら上記の如しでマナー違反と相成る。

実際追い出したのは姉御さんだったけど姉御が手を出さなかったらマスターがどうにかしたのかな。

私は背中でなにかを語るようなシーンが好物なんだけど今回気づいたのはふたところ。

ひとつは上記のセリフを言った際のマスターの後姿。

コップに注がれたビールを差し出された際の叩(はた)かれた彼のびくつきながらの驚き顔と常連さんの申し訳ない顔から想像するにルールさえ守れば迎えてあげるという優しさと厳格さそれらが共存してたのかなあ。誤った事を謝れとか謝った方がいいなんて説教臭い事は言わない不介入の距離感ってのも感じたかな。

いまひとつはじゃあねと去りゆく姉御の立ち去る後姿。

後顧の憂いなしといった泰然自若とはかくたるものかと。絶対的な将来はこうなりたいよなという目標を具現化してた。

どっちも芯があって迷いを纏っていなさそうでかっこいいなと思えた。

「元気のおすそ分け」といった全体の印象だったけどそんなストレートな感想でいいのかな。なにせ向井・山下コンビだからなあ。気品というものはどういうとこから生まれ育つのかという教えだったのかしらむ。「粋なばあさん」と表現してたけど私には「品」と映った。道を突き進むことによって「粋」なり「品」が生まれるということなのかな。迷うことなかれということであろうか。

若者は迷いが元気の源だけど大人は不動が元気の現われということか。新聞配達員の回とこの回の合わせ技でなんかこじつけを探すとこうなるのかな。お茶漬けシスターズの迷いは元気そのものだしストリップ好きの常連さんも元気と映るもんな。じゃあ元ファンクラブ会員のあの会社員二人はというとその中間でどっちにも属せない宙ぶらりんで苦しんでる最中なのかしらむ。だから元気なさそうなのかな。

ところで最初に挙げたセリフだけど。

そうはいっても身に付いたものまでは置いてこれないだろうにとつい思っちゃいました。いつも誰かと何かしらでしのぎを削る事に身も心も特化したような人はここの暖簾くぐれないんだろうかなと。

自分自身と日々格闘葛藤とかで闘っている人達だけが集う場所なのかなと。ボクサーさんは相手とファイトする人だけど実際は己との闘いなのであろうし。

それかそういう事に憑かれ果てた人の待避所という側面もあるか。料理評論家さんなんか最初えらく嫌われたけどそれはそれここはここと別腹である事を宣言して常連として認められた訳だし。

自分は何者でここに何しに来たと説明するのに肩書きしか出てこないという人もしくは常に誰かと自分を較べていないといられないという人はご遠慮申し上げるということなのだろうが

言うは易く行うは難しなセリフだろうな。

ふと思ったんだがここでもし「不味い」なんていったらどうなるんだろ。マスターは強面そうだから言える雰囲気じゃあないけど。

いつも「あいよ」と言って受け入れてくれるマスターはどういう反応するのかなと。

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*遠州弁に変換 スローガン

「贅沢は敵」。これを遠州弁の会話の中に入れるとなると

「贅沢は敵だにい」

旧遠州弁なら「贅沢は敵づら」

とかが即思い浮かぶところであるが、ぐでぐでの遠州弁にしようと頭を凝らすと

「ぜえたかあなんしょ敵だでねえ」・「贅沢するようじゃ終わりだにい」

例文

「今月苦しいだ。なんとかしんとヤバイだよ。」

「その割にゃあ洋服買ってるじゃん。」

「そりゃたしなみってもんは大事だらあ。ぶしょったい恰好じゃおれもへんに。」

「そんなおだいさまみたいな贅沢してるもんで苦しいだよ。今不況なんだから贅沢するようじゃ終わりだにい。別腹じゃ済まんだにい。」

「なにがよう、贅沢なんかじゃありもしん必需品じゃん。汚くしてろっつうの?服買うののどこが贅沢よを。」

「あんたねえ、んなの清潔にしときゃいいだよ新品ばっか着んでも。綺麗の意味はき違えちゃいん?」

「欲しがりません勝つまでは」。これだと

「欲しがっちゃかんだ勝つまでは」・「欲しがっちゃかんでえ勝つまでえ」

頭凝らすと

「欲しいなあ勝ってからにせよやあ」

「討ちてし止まん」

「なんしょとことん討つだあれ」

頭凝らすと

「おいしょ、やいしょ」

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外交官・黒田康作 その8

 よくよく考えてみれば彼の氏名は黒田康作で・・・って、じゃなくて使命は邦人を守る事だったというのを思い出した。

だとしたら彼の一連の行動は職務に忠実であるならば人命を守る事をしているということになる。一体誰を?

事件の全貌の解明ばかりに目が向いていたけれどホント誰を守ろうというのだろ。

ま、それは置いといて。今回でほぼ全員出揃ったってことになるのかな。しかも今日で終わるという当日と相成った。

これじゃ謎はとべてすけたでまるで来週最終回の大団円みたいな展開じゃないか。でも来週最終回なんて謳ってないぞ。まだまだ続くみたいだぞ。

「今日」という日を「長い一日」として何話かに分けて提示するというのかな。それともまだ大いなる展開がまだ用意されているのか。

ふと思ったんだけどこれをもし一気に観てたら考える暇もなく観れてもっとドキドキして観れたのかもと。一週間の間に余計な事考える時間を与えてる分ああでもないこうでもないと憶測して望む分こまっしゃくれた視聴者となってしまっているかもしれないなと。

もちろん映画で120分ほどじゃ収まらないものを連続ドラマとしてなら描ける利点があるのだからドラマにそぐわないものというつもりはさらさらないけど。でも週一はちょっと間延びするかなと。

これが2時間か2時間半ドラマとして一週間毎日という形で一気に放送したらどうなってただろうね。もしかしたらモロはまりかも。なんちゃって。

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告発・国選弁護人 その8

 やはり思う事はもう終わりかよ。もっと続いて欲しいよな。

それにしても汚名を着せられても目的を遂行せんとする信念は凄まじい限り。

何事も匿名の蓑に隠れてこそこそやってる自分も含めた輩には耳が痛いというべきか。

兎にも角にも見応え存分で愉しかった。

でも自分が観足らないと思う部分は柳田(西村さん)と佐原(田村さん)との同志に近い信頼関係はどうやって生まれたのか。鶴岡(近藤さん)は何故あれほどまでに佐原に心酔して献身的なのか。

当たり前に最初からあった筈はなくそれなりの出来事があったに違いなく。そういうのを番外編としてやってくれないかな。

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深夜食堂 その8

 深夜食堂の所在地は東京でなければならない。その理由は有名人・著名人もやってくれば場末で人知れずにといった幅広い人種(職種)が集う場所でなければならないから。一般ピーポの悲哀や類は友を呼ぶ同じ穴のムジナというだけなら地方都市でもその様を繰り広げる事は出来るけど、異種ながらも寄り合うという空間がより鮮明にということであるのなら東京でなければならない。

今回は特にそのギャップが激しかったな親子とはいえ。なにしろ店にさえお金が無くて寄れない人なんだから。片や行き交う人に指を指される程の芸能人。

それにしても元会員さんのお二人はその後逢えたんだろうか。エレクトさんは神で彼女は女神と速攻で言い切る程に懸命なのに。報われる日が来るのかな。

ま、来なきゃ来ないで夢は明日に繰り越す訳でそれはそれで生きる愉しみにはなるか。って慰めにもならないか。

ところでこのお話しも漫画で読んだ事がある。とはいってもボクサーさんの成就程に鮮明には覚えていないので最後親子の対面はあるんだろうかと思って観てしまいました。でも対面はなかった。

直に合わずとも想い出が繋がっているだけで良いというのは大人だなやっぱ。

それにしてもこの回は役者力で魅せる展開だったな。アイドルのアイドルたる証明に随分時間を費やしたなと思えた分肝心なとこは駆け足だったり言葉で表現したりになるのかなと思って観てたけど、無言の間できちんと表現してて役者力に拠るところ大だったな。

粘った監督の「OK」という声と様を聞きたかった気持ちはあるがそれはベタ過ぎるから省いたんだろうかな。私は観たかったけど。

それにしてもそれにしてもでこの回も娘が泣き父も泣く。女性はともかくこのドラマ男が泣くドラマというお約束があるのかな。

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なんでないのか間違い探しの逆バージョン

間違い探しという二つの同じ様な絵を較べて間違いを幾つか探せというクイズはあるけれど

同じもの探しというか全く違う絵を並べて同じものを幾つか探せというクイズって見た事ないな。

なんでないんだろう。

作るのがメンドクサイという事なのか

すごい簡単になってしまうからなのか

逆に難しくなり過ぎてついていけないからなのか。

ちゃんと有るけど単に自分が見た事ないだけの無知なのか。

ごちゃごちゃ言っても探そうとか試しに自分で作って確かめてみようなどという気はさらさら起きないが。

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*~のことおもやああんた

「あん時の事思やああんた今日は楽だにい」だとその訳は

「あの時の事を思えばそりゃあ今日は楽なものだって」となる。

女性が発する言い回しである傾向が強い。まあ口癖の部類であろうな。

ニュアンスとしては「あれと較べればまだこっちの方がいい」。肝心なのは「まだ云々」つまり「まだまし」というニュアンスである。どっちも愚痴が出るような事だけど「まだまし」・「まだこっちの方がまし」としている点にある。

例文

「こないださあ。○○さん当番代わってっつうもんで代わってやったらまた代わってってゆってくるだにい。あんまりしょっちゅうで怒れたもんで断っただけえが懲りちゃうやあ。」

「あれえ奥さん。そんなの△○さんの事思やああんたまだいい方だにい。あの人なんか代わってじゃなくて『やって』だにい。」

「なんであんなこと平気でゆえるだかいねえ。」

「自分の事しか考えちゃいんだらあ。」

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深夜食堂 その7

 サンドイッチより豚汁定食の方が美味そうなのにと思ったがそれじゃあ話しも進まなかろうてで忸怩たる思いで始まったが。

終わってみれば恋の未成就でこれも忸怩たる想いがやるせない。でも不快じゃないとこに昇華してるみたいで微かながらも爽やかな余韻だった哉。

大なり小なりこういう諦める気持ちは誰しもが味わったしょっぱさで共感する部分をきちんと表現してるからなんだろうかな。目線が酸いも甘いも噛みしめた大人からの慈愛というか昔を懐かしむような目線でふたりを追ったんじゃなくて横並びであるかのような当事者目線で見れたというとこもそういう感覚に至らしむる理由に輪を掛けているのやも。

監督さん誰だろうとスタッフロールに目を凝らしたら山下敦弘監督だった。だからかと納得。ホントにやるせないものを描かせたら天下一品だよな。普通こういう情景ってともすればもどかしさが濃い目になってしまうものだけど当人が思い至る結論「どうしようもないじゃないか」という説得力が上回っているから余計やるせなさが伝わるんだよな。

周りの冷静な目からの判断(助言)と当人の冷静ではいられない中での判断(決意)の相容れない事から生じてくる孤独感。徐々に孤高の淵に追いやられてく様は見てる方にも伝わってきてホント苦しい。

それでも助言を聞き入れなかったからといって見捨てることなく慰めてくれる周りの温もり。というか誰だってあの状況ならこうなるよという仲間意識。

あの涙はごった煮だったんだろうな。疲れたとか励ましや労わりへの感謝とか悔しいとか自分の至らなさとかこれが最善だったと無理に言い聞かせるとか諸々が入り混じったしょっぱさだったんだろうかな。

それにしてもさてもさてもでまた男の涙かよ。泣いて堪るかの世界のように寸止めでとどめて欲しい気もするな。

ところでこの恋は格差恋愛という図式。上が下を慕いつつという構図。逆の下が上へだったらどういうイメージだったかな。ただのストーカーというか過剰なファン扱いされそうで画にはなりにくいか。

もしくは男女が逆だったらどうだったんだろ。やっぱただのスキャンダルのひとつでちょんになりかねないか。

いずれにせよ芸能人と平民の恋というのがやはり一番そそる設定ではあったなやっぱ。

そんなヲタはともかく結婚に至った理由が「好き」より「自分らしく」を選んだということで、確かにそう言われちゃあぐうの音も出ないよなあ。

女性を宇宙人のように何考えてるのかわからない風に描いているのもなんかリアルだな(出来ればもっとミステリアスであって欲しかったけど)。まるまる苦学生目線一本で観れたことで30分という短い中でも奥行を感じられた。

男からの同志としての励まし方と女の側からの男に求めるものへの励まし方の違いといのも面白かったし確かにこういう傾向あるなと納得。

忘れるしかない。忘れる為には我を忘れて動き回って考える暇を作らない。そういう終わり方が未来を感じさせて感じのいい余韻となるのかな。なんでそう感じるのかという意味も分からぬとこながらも前向きな気分になれた。

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*「す」より「せ」

「なにするんだ」。「なにするだあ」というよりも「なにせるだあ」

「そうしろよ」。「そうしいや」というよりも「そうせろや」

「そうするとなんだい」。「するってえとなにかい」というよりも「そうせすとなんだやあ」・「じゃなによう」とかになるかな。

なにを言ってるのかというとこうした方がより遠州弁らしくなるのかなあとふと思ったまでの事。実際は両方使われていて「す」を使わないという訳ではなく、あくまでより「っぽく」聞こえるというお話し。

つまり「す」より「せ」。加減としては「しろ」の場合「せろ・「せい」・「せよ」であり「せえ」・「せや」とか「しい」などになると関西的に寄り過ぎる事になる気がするところ。

もっともこの傾向は廃れつつあり「なにせるだあ」と言うよりも「なにすんだ」と言う事の方が多くなりつつある。

例文

「このぼっちょ押すとどうなるだかいやあ。」

  (このボタン押すとどうなるんだろね。)

「なんかがいごくだらあ。」

  (なにかが動くんじゃないの?)

「そうせると、どうなるだいやあ。」

  (そうするとどうなるんだろな。)

「さあなあ。そうなってみにゃ分からんやあ。」

  (どうだろう。そうなってみないと何とも言えないね。)

「冷たいじゃん。興味ないだけえ。」

  (そっけない応えだなあ興味がないのか?)

「ふんだだこたあねえよ。押してみい。そうせりゃ分かるだでえ。」

  (そんな事はないさ。押して見なよそうすれば分かるんだから。)

「じゃおんしやってみい。」

「やだよを。なんでわしんせんとかんよう。」

  (冗談じゃないどうして俺がしなきゃいけないんだ?)

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CONTROL 犯罪心理捜査 その8

 なんとはなしに諸々と後ろめたい空気感で覆われていて見るに忍びなかったな。

この後二転三転するにしてもそれは次週ということで最終的に犯人が捕まらないことにはなんともはや哉。

彼が犯人という場合と真犯人がいるという場合じゃ大層印象が変わるのだからしてそれを見ないとこの回の意味が読み取れないや。

今のところの流れだと警察が彼を追い込んだという図式に映って、それが後ろめたく思える一因でもあらあね。これで真犯人現るじゃ警察どうしてくれるんだという気分になるものな。

彼が犯人だとしたら信じた刑事が悲嘆にくれる事になる訳で。

どっちに転んでも後ろめたいか。

この気分を次週はあっと驚く展開で晴らしてくれるのかな?期待しやう。さうしやうさうしやう。

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深夜食堂 その6

 このお話しは漫画で読んだお話しだ。なだけにどうしても見比べてしまう悪癖が顔を出す。

他のお話しも読んでる筈なのだが何故か他はうろ覚えでこれだけが始めから終わりまで物語りを鮮明に覚えている。とても印象に残っているお話しなだけに悪癖の顔は若干しかめっ面。厳しくなってる。

待つ女性。きっかけを待つ女性。

言い出せない男。不器用な男。

それぞれが引け目を感じている二人。

この歯痒い空気感がこのドラマの味噌なのであるが

それにしても又泣いてるよ。4話5話と続いて又男の涙だよ。

それぞれが異なるもので哭く・感極まる・泣くと表現は違えど、男の涙は母親への想いの時だけが許されると第4話の感想で啖呵切った手前肯定しづらい情景だったな。

試合に勝ったらロッ○ーのパクリとなるがそこはそれ負けるも勝ちということでパクリのそしりは免れてる。なんとはなしに勝っても負けても親子丼というに至ると思わばあの涙はなんだったんだ?と感じてしまうところだけど。

もっと勝ち目の無いいくさに立ち向かうというのが鮮明であったなら待つ女は男にとって背伸びしなければ届かない高望みという意識だったというのがはっきりしたのにな。勝つことよってようやく自分がその高いところに辿り着いて並ぶことができるという意識。それくらい自分を卑下していたというのが伝わったんだけどな。

ドラマでは五分五分というか勝負は時の運みたいな印象を受けた。野次馬は力の違いを言ってたけど酔っ払いの言う事だけじゃ説得力が薄いよな。

無謀な挑戦が打ち砕かれたという挙句の涙と勝てるかもしれないと思っていての涙とでは受ける印象違ってくるものな。

本人は勝つ気満々というのはそのどちらにおいても変わらないのは当然だけれど、冷静な状況というものが無謀とジャッジしてるという矛盾を鮮明にして欲しかったな。

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*しらんという言い方の種類

しらんよを  私は知らないからね

しらんにっ  知らないよっ

しらんにい  (そんなこと)知らないよ 

しらんって  知らないって

しらんらあ  知らないよね

しらんわあ  知るかよ

しらんでね  知らないからね

しらんら?  知らないかなあ

しらんだ?  知らないかい

しらんて  知らないとは

しらんたあ  知らないとは(言わせない)

しらんだあ  知らないんだ

しらんけ   知らないか

しらんけえ  知らないかなあ

しらすか   知るかよ

しらんだわ  知らないんだよ

しらんだわあ 知らないんだよな(これが)

しらんでるまに 知らない内に

とりあえず思いつくままに羅列してみた。遠州弁固有のものとは限らないしそれぞれニュアンスが異なる。当たり前だがすべての言い回しを網羅している訳ではないのであしからず。

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三国志 第8話

 其の御尊顔を拝見する度にフジテレビアナウンサー佐々木恭子さんが脳裏に浮かぶという位似てるなあと感じ入るこのドラマでの貂蝉。

その貂蝉がいよいよ始動し「美女連環の計」の模様が繰り広げられた。ひたすらこれのみ丁寧に描かれていた。なんで「離間」じゃないのか不思議なのだがそれはさておき。

個人的には数多ある三国志の逸話の中においてこれほど胡散臭いというか寓話というかホントかよと思える話しはなく、まるで動物が如き本能がままな二頭の雄が一頭の雌の奪い合いをしてそれで権力が崩壊するというのは作り話しな気がしてならず。どうにも熱が入らない。

もちろんかの国はかの楊貴妃のようにその類い稀なる美貌故に実際国が傾いたという歴史が存在してるくらいだから(貂蝉なるは史実には存在しない架空の人物らしいが)いわんや三国演義の世界においてはなんでもありだから嘘だというつもりはない。

なので否定はしないがどうにも心情的についていけないので、この回は実質スルー視聴。

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Dr. 伊良部一郎 5話

 脅迫観念かあ。締切とか納期とかが無いと堕落しがちなタイプにとっては一概に排除すればいいてもんじゃないような気がしてくる。そういうのはプレッシャーの範囲内であって別物だと言われればああそうですかなんですが。

過度に無理をしてるという事によるものなのか自分に正直じゃないという事によるものなのかでも違ってくるんだろうな。

展開の流れからすると後者の理由を治療したみたいで自分らしくしたら改善されたというものになっていた。

自分としては、若さを維持する為に過度な無理をしてる為という前者の理由を治療するものだと思って観てた。

「じゃあ太っちゃえば?」という解答になんで?と問われた返答の

「未知なるものを不安がるものだから」とて

太るのが怖いなら一度太る事を体験してみれば恐怖ではなくなるとの事。

なるほどなあと。じゃあ仕事の方はどうするんだ?と思ったし、引退発表する気でいたという流れだったからてっきり歳相応が妙薬なのかと。第三話と被るよなあと思いつつ。

でも辞めれば済むってのもなんかなあと思っていたら饅頭えいやと平らげた開き直りて応援の声が届いてで引退撤回して自分らしくを取り戻したという顛末に進んで行った。女優を続けるということは無理を続けるということになる訳で。

家庭を顧みないことへの反省がどう作用して良くなったのかいまいちピンとこなかった。女優辞めてやると思った事が「未知なるものを不安がる」における未知の事を経験したからと言ってたけど太ってはいけないという生活はまだまだ続くということじゃないのかと。

無理なく(自分らしく)無理するっていう禅問答のような結論だったな。

それにしても浅野さんの女優というカリスマを演じてきた時の張りつめた表情から引退を決意した時及自然体を取り戻した以降の穏やかな表情への移り変わりが印象に残ったなあ。

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*塩辛いの言い方

「しょっぱい」・「しょんばい」・「からい」・「しょっからい」。

「しょっぱい」は共通語であるが他の遠州弁での言い方も要はどれも「しょっぱい」と言っている。もっとも「からい」は古い日本語であって方言と呼ぶものではないということはあろうが。というか「甘辛煮」とかで今でも使われてる表現か。

ならば古語では正しくはなんと言っていたのかというのを調べると見方が浅いのか古語辞典では見つからなかった。ちなみにネットで調べると「しほはゆし」・「しははゆし」とかがあったけどどちらも私の古語辞典には記載されてなかった。「からい」も「からひ」でも載ってなかったら詰まる所分からん。

分からぬついでにいうと「しょっぱい」って共通語ではあるが標準語なのか?「塩辛い」というのが標準語になるのか?

まあそんな脇道はこれくらいにして、では遠州弁に於いてこれらの使い分けは存在しているのかというお話し。あくまで感覚的な推測なのでこうだと言い切るものではない。

「からい」という方が舌にピリピリ来る感じは強くなる。

料理でなら「しょっぱい」は修正が効く勢いであるが「しょんばい」・「からい」は失敗作と断定できるもしくは口に合わないという勢いに聞こえる。「しょっからい」についてはそういうものだという良いも悪いもない決まってるという勢いを感じる。

例えば「浜納豆はしょっからい」ものである。

人生は「しょっぱい」とかいう比喩としてみたいな言い回しにおいて「しょんばい」は使われない。「しょんばい」は味覚に対してのみ使われる傾向であろうか。

一概に比較で表わせない。なぜならそれぞれに「ばか」・「ど」・「がんこ」・「えらく」とかを付けるとどっちがより塩辛いのかということは決めつけられないからである。

「どしょんばい」と「からい」ではさてどっち?と言われても人それぞれなのである。違いといったら「どしょんばい」はなんだこれ?という驚きが強く「からい」は直に素直な感想といった趣の違いは生じるが。

他の言い方として「どくしょんばい」というものもあるが、これは解釈として「毒しょんばい」で死ぬほど塩辛いというものと「ど」+「くそ」+「しょんばい」という解釈などが考えられる。ただこれはあまり使われる表現ではないしその場の空気を悪くするので中傷的表現のような側面が大きい気がする。

その点「からい」にしても「しょんばい」にしてもそういう要素はないので普段遣いで使われる表現である。

例文

「やあ、このカレーどんがれえや。」

「そりゃそうだら、カレーだもん。」

「じゃなくて自分食ってみい。どしょんばくて食えたもんじゃないでえ。」

  (辛いという意味じゃなくて。すごい塩辛くて食べれたものじゃないって。)

「ほおけえ、ほいたら水入れて薄くするけえ。」

  (そうかい。じゃあ水入れて薄めるかい?)

「そんなこんしたじゃしゃびしゃびんなってカレーじゃなくてスープになっちまうわあ。」

  (そんなことしたら水っぽくなってカレーじゃなくてスープになっちまうよ。)

「病は気からじゃん。カレー風味の雑炊と思やあいいだあ。」

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スクール!! その7

 子どもが出来る憂さ晴らしは万引きするか火を点けるくらいか。私らがガキの頃はそうれくらいしか考え付かなかったけど今のガキはいじめという手口を開発したのだろうかな。

ま、それはさておきこの回の児童はオーソドックな手段の火を点けるという手段で憂さ晴らしを計らんと欲するの図。そこから如何に脱出させるかがこの回の見所か。ホントのところは憂さ晴らしじゃなくてSOSなんだろうけど。

大人不介入の原則が是か非かは定かにあらねど此度は流石に大人が手を差し伸べるレベルという事で介入して一件落着。手荒に止めた際は信頼してたのに先生まで私のことをと一瞬思っちゃったりしないかと思えたけどそうはならなかったですねえ。それほど「誰に言われるかが大切」という事なんでしょうか。

「誰から言われるかが大切」というのは子供相手に限った事じゃない訳でなるほどなと思い当たる節これあり。それとその為には言える人間が複数存在していなければならないということだからチームというものの大切さを言ってるともいえるところである哉。もし着任早々の笛吹けど踊らずの状態だったらこの児童を救えなかった可能性もあったということなのか。

で、脇道?で印象に残ったとこは

「世の中なんでも平等」という姿勢なのは非現実的で違うんじゃね?という反論には同感だな。平等じゃないから平等を目指しているんだという理想であってまだ実現したものじゃないというのが現実だろうて。差別はいけないが差別化は必要という不完全な状況が現実であろうに。

それとおせっかいするにはあれもしなきゃこれもしなきゃという山積みを如何に捌くかが鍵になると思うけどそこいら辺は薄味だよな。どのドラマでも大抵はそうだけど。若干子供にえこひいきしようとしたらPTAの人が文句言ってきたからと断念させられた光景が描かれていたけど放課後の運動場での遊び・夜の火の用心等々継続こそが力なりというおせっかいがどんどん増えてきてると映るだけにそういうとこを如何に裁いて時間を作り出しているのかという様を見てみたい気もするな。

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*「かす」と「さす」

「かす」と「さす」の使い分け

共通語だと例えば「働かす」だと「働かせる」という意味だけになるのであろうが遠州弁では「働こうか」(働かんとす)という意思を示す意味合いで使われる事がある。

「さあ飯も食ったでそろそろ働かすか」(さあ飯も食べたしそろそろ働くかな)

「すか」でそういう意味になるのじゃないのかという疑問もあろうが

「働かすや」(働くかな)・「働かすでえ」(働くから)・「働かすに」(働くよ)とか他の言い方にも当てはまるので「すか」だけという事ではなかろう。「働く」では分かりづらいということであれば「やる」に置き換えてもらえばその方が分かり易いかも。

蛇足だが「笑かす」というのは「笑わかせる」のみで「笑おうとする」という使い方は存在しない。これは共通語であって遠州弁ではないのであろう。

「か」は「こう」・「かん」といった意思を表すとかになるのであろうかも。「働かっか」(働こうか)という事にも通じるのであろうか。

「さす」は共通語にはないだろうから比較しようがないが「働く」の場合だと「働かさす」という使い方となる。意味としては「働かせる」という使役に近い意味と稀ではあるが「働こうとする」(働かさんとす)意欲を示す意味とがある。例えば「働かさして」(働かさせて)は誰かを働かさせてという意味と自らが働かさせてくれという意味とどちらにも使える。

「さ」については、「さ」が入ると「使役」的意味合いになるという事であろうか。

「す」については、「す」が「せる」の文語形であるとすれば「かす」→「かせる」と「さす」→「させる」となって共通語的に読めるということになるのでは。この場合の「かす」と「せす」はどちらも使役を意味するところがあるのは遠州弁も同じ。

「かす」は「かせる」打消しなら「かさん」・「かせん」

「さす」は「させる」打消しなら「さん」・「ささん」・「さない」

「す」は「せる」打消しなら「ん」(ぬ)

「す」が「する」の文語形であるとした場合には「かとする」(こうとする)・「せとする」(しようとする)と想像でき、この場合は意思を表す意味となる。この使い方が遠州弁独特ということになるのであろうか。

例として「取りに行く」を挙げると

「持ち行かす」で「自分が取って来る」と「取りに行かせる」と二通りの解釈となる。

「持ち行かさす」だと「取りに行かせる」と言ってる事になる。

「行かす」の解釈として普段遣いでは使わないが屁理屈上では「取り行かんとす」みたいな取りに行くぞと意欲を示すという使い方も考えられるところである。が、遠州弁では繰り返すがこういう「かんとす」という使い方はしていない。

以上色々ごちゃごちゃと自分でも書いてて訳分からくなった事をつべこべ書いたが要は「かす」は共通語の使い方と遠州弁的使い方を使い分けており、「さす」は共通語にはないが遠州独特なものというよりも古い日本語の使い方が生き残っているのではないかという勘繰りができるところである。

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