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バーテンダー その4

 ほろりとくる人情話しだったなあ。

主題は「ぎゃふん」か。一同打ち揃ってぎゃふんかあ。

編集長をぎゃふんと言わせてやるといいながら自分がぎゃふんと言ってしまう美和(しほりん)を皮切りに

先輩(カンニングさん)を誤解して悪態つくも真実(経緯)を知って後輩(相葉さん)ぎゃふん。

先輩は先輩で捨て鉢になってるところを後輩の叱咤や馴染みの激励でぎゃふん。

佐々倉が来島のおじいちゃん(津川さん)から拙いとぎゃふんとさせられた落ちは次回以降に続くものだったけど

回り回ってぎゃふんの相乗効果で最後皆ほっとする温もりを感じたお話しだったな。

それにしても相葉さんの笑顔への切り替えは嫌味がないよなあ。落ち込んでてから急に笑顔になっても、考え込んでて我に返るという勢いがとても自然で無理感は薄い。それは作り笑いをしてるというのではなく笑顔が素であってむしろ考え込んでる(ふさぐこんでる)方がらしくないという勢いに映る。

役柄が天性のバーテンダーということであるならばそういう自然な笑みというのは才能なのだから役とマッチしてる感じがする。

見応えのあった回だったな。面白かった。

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*えせ遠州弁 だらあが

「だろうが」という言い方遠州弁にすると「だらあが」となるかというとそれはない。

「だろが」を「だらが」というのも当然ない。

屁理屈上では「だら」=「だろ」・「だらあ」=「だろう」という事になるのだが、この屁理屈がなんでもかんでも適用されるものではない。

「そらみなさいよ言った通りだろうが」という文章の場合

「ほれみいに、ゆった通りだらあが」とはならないのである。こういった場合

「ほれみいに、ゆった通りだらあ」もしくは「ほれみいに、ゆった通りじゃんかあ」となるのが普通である。

「だら」にしても「だらあ」にしても基本何か付く事は無い。

「だろうが」・「だろうよ」・「だろうに」・「だろうから」などは「だらあが」・「だらあよ」・「だらあに」・「だらあから」とはならない。

(基本としたのは「だろな・だろうな」を「だらな・だらあな」とか稀にではあるが「だろか」を「だらか」という事などがあるからである。)

付かない理由は「だら」・「だらあ」だけでそれらの意味を成すからである。意味を成さないものについては例えば「だろうから」だと「だもんで」といった風に別の表現になる。

例文(今回は逆で共通語を遠州弁に)

「本はもう片付けた?」

  (本はあかたいた?)

「それは自分がやるからいいよって言っただろうが。」

  (そりゃてめえでやるでええつったじゃん。)

「そんな事言った覚えはないぞ。」

  (ふんだだこんゆった覚えないにい。)

「ああどうせそうだろうよ。」

  (おお、おお、どうせそうだでな。)

「言っただろうに。こっち半分の片づけはは俺がやるからそっちは君に任せたって。」

  (ゆったらあ。こっちんさあの片すのわしんやるでそっちゃまかいたにいって。)

「だったら尚の事さっき片づけるのに邪魔だからというので一旦こっちに除けるって寄こしたんだろうからそっちの領分じゃないのか?」

  (ほんだったら余計さっきい片すに邪魔だでってんでこっちんさあ寄こいただでてめえんやりゃにゃかんだらあ。違うう?)

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LADY・最後の犯罪プロファイル その8

 要らん子扱いされなくなって大分観易くなったな。それに大分切り札的存在として扱われ始めたとこもその一因でもある由。

雲を掴むようなとこから犯人を捕まえてく様は爽快であった哉。

多少自信過剰な部分も感じるとこで。

例えば拘置所?刑務所?での言い切る発言。おいおいそこまで言うかとつい根性なしからしたらそう思えました。責任持てるのかよと。

でもまあ実際捕まえるんだから相殺なのか。

しかしひらっち良い味出てるなあ。弛緩だと大袈裟過ぎるけどとにかく緊張感を削ぐ明るい弄られキャラは魅力的だ。しかもきっちり成果を出してる。もしかしたら一番犯人逮捕に貢献してるんじゃないのかとさえ思える程に。

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深夜食堂 その5

 4話での男の涙に続いて今回も涙。もちろん種類が異なる涙で思いの丈はその人にしか分からない深さのもの。急でびっくりしたけどそういうものなんだろうかな。歓喜の上は感涙という事なのか。あまりそういう経験値ないからよく分からないや。

バターライスは心の味というべきか心に残る味というべきか。その人にとっての芯になる味ということになるのかな。美味さを計る基準ではなく核。

それにしてもどういう経緯で今をときめく料理評論家に至ったのかというのが見事なまでにはしょられていてそのギャップが意外性を生んでるという効能を発生させるんだろうか。展開上においてなぜ流しの人にこのような人が興味を抱いたのかという謎を抱かせておいて種明かしで実在した函館の女の逸話という流れは見事だったな。

最初嫌っていたマスターも最後は迎え入れちゃうというのも温まるオチだった。

ふと、もしと思ったのは料理評論家さん(岩松さん)ゴローさん(あがたさん)に出遭っていなかったら想い出という味付け無しでのここの料理をどう思ったんだろう。あつあげでこれは!?という勢いを感じたのでってよくよく視たら箸付けぬ間にゴローさん参上で食べた風じゃあない。はたしてどうだったのかな。その後常連さんとなるもバターライスばかりを注文するようだったのでなんとも言えない部分もあるかな。でも想い出風味なしでも美味しいと思うに違いないと勝手に想像しておこう。

穿った考えで、世間から評価されてるという太鼓判を押されてるけれど仕事と心は別という心持ちの人の言を信用していいのかという問いにもつながるのかな。求道が如く公私すべてに一心不乱というのが美徳のような気分もあるので。でもひとまとめに料理とくくっても実は別物なんだと考えればその両方を素直にうまいといえるこの人はホンモノだとも思える。少なくとも人として信用は出来るよな。

それと対比のような人知られずに唄歌い一筋で公私の顔の使い分けをしないゴローさん。その人が旨そうに頬張るとそれを見た人が皆旨いんだと思わせる説得力。

評論家さんはとても無邪気な食べ方でゴローさんは酸いも甘いも噛みしめた大人の食べ方だったな。粋という域ですらあったな。

肝心の函館の女。ええ話しやないけえ。後日談も含めてひとまとめでええ話しやないけえ。

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プロポーズ兄弟 生まれ順別 男が結婚する方法 その4

 自分に一番近いキャラに思えたな。

マイペースという自覚はないけど掻き回されるの好きじゃないし集団の中は疲れるし。あげな潔癖癖はないし周囲の和を乱すのも気が引ける。

おそらくは長男と一人っ子を足して2で割ったくらいだと自己分析しとこう。

ひとりが気が楽だからということでたまに人と接するとそういう場なりの手練手管を知らないから発言とかですぐ本意がばれちゃうというのは多少自分にもあてはまることなのかな。

さすがにあのように悪口言ってるつもりでも実はその逆なんていう見え見えなことはないけど見透かされることは無いけどそういう言い方をしたりはする時もあるかな。

そんな親近感を抱いて観たけど、それにしても劇的・衝撃的・ドラマ的インパクトの出逢いだったな。出逢いとかくより出遭いの方が相応しいか。

その後の出来事や決めのシチュエーションも派手なイベントのようでまさしくドラマチックという感じ。

男の側からの視点のドラマだから女性のパターンは特に分けて描かれてはいないけれど、どちらかというと今回の新婦さんは押しかけ女房敵要素が強かったのかな。もう勘弁してくれと言われた時の哀しげな表情が印象的だったな。

どちらかというとこげな男のどこに惚れたんだという興味の方が強かったな。優しくされたことが今までなかったところに優しくしてくれた人だからなんて事は家族思い友達思いの状況からして有り得無さそうだったもの。謎だ。とべてすけてない。

ところで一人が好きな子供がなんで喧噪の3人兄弟としょっちゅうつるむような関係を築けたのか。それも謎ではあったな。

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告発・国選弁護人 その7

 まずもって。え~!! 来週最終回だって?

えらく短いじゃないかよ。もう終わりかよってブ~垂れたい。

んな事は言うてもせんなき事ゆえこの辺にしといて

いよいよ核心というか当初の疑念が明かされる時が訪れたり。

緊迫感が増してきたな。

ここまでくるとどこがどうとかど素人が下手糞な感想ぬかしてもかえって興醒めになるばかりであろうから兎にも角にも

来週が愉しみ。

それにしても意外な展開が怒涛のように押し寄せてきたなあ。自分なりに整理するのに何度か見直さないと苦労するなあ。

そもそも何故こんな時期に指名手配されてたあの女が姿を現したんだろ。

ま、そういうのも来週来週。

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外交官・黒田康作 その7

 漏れ伝わる風評に依ると視聴率芳しからずとの事なれど、私の周りの人の感想訊く限りに於いては概ね評判好くしかも大抵毎週観ている。このギャップはなんざんしょとつらつら妄想するに視聴率というものの計り方が実際には即していないのではと不遜ながらも思えてしまう。大抵の人は録画したものを視聴しているのであろう。それが数字に表れていないんじゃないのかと素人が僭越ではございますがそう思える次第。

 で、今回。始まりの小さな火が徐々に大きく広がりつつあるけどこの回で何かに引火したみたいに急に火が燃え広がったという勢いかのようであったな。どこまでの偉いさんがこの事件に関わっているのだろう。製薬会社対被害者という図式だけじゃない政治的なものまでが絡んでの国対国境なき被害者遺族というとこまで逝っちゃうのかな。

警察の内部でもごたごたが始まって外務省もなにやら焦げ臭い。大きな圧力が覆いかぶさってきたようだがさて黒田康作どう立ち向かうや。というのが今後の味噌なのかな。

そろそろ誰が味方(協力者)で誰が敵(妨害者)なのかが分かれて来たけどまだどんでん返しとかあるのかな。

ところで黒田は誰(何)を救おう(守ろう)としてるんだろう。ただ真実を知りたいというだけの堅苦しい男ではないだろうだけに。それにそういう役職な筈だよな確か。

とにかく面白いぞ。と、私は思う。

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*「寄ろうかな」の言い方の種類

「寄っていこうかな」という言い方を遠州弁を思いついた限りで挙げると

「寄ってかすかな」

「寄ってっかな」

「寄ってかっかな」

「寄ったらすかな」

「寄ったるかな」

などと言う。基本は「いかす」(いこう)という言い方であろうか。

「寄ろうかな・寄ってみようかな」これを思いつく限り挙げると

「寄らすかな」

「寄らさすかな」

「寄らっかな」

「寄らしっかな」

「寄らさっかな」

「寄らあかな」・「寄らったらすかな」(この二つはまず聞かないが)

とかか。基本は「寄らす」でそれの変化ということであろうか。

ニュアンスについてはそれぞれ説明してくと長くなるので省かすでね。

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深夜食堂 その4

 男が人目を憚る事なく哭いてもいいのは母親の時だけというのがしみじみ伝わるるお話しだったなあ。

男は涙を見せぬものという公然の掟があるから胸を張って(開き直って)堂々といい事だと言える事ではないけれど、誰もそれを悪く言う人はいないであろう。武士の情けという程に知恵的な話しではなく誰しもが共有する母親というものに対する感情だからなんだろうな。

あの場に居たのが全員野郎だったというのは至極納得できる。もしひとりでも女性及び女性もどきが居たらここまで一致団結といった雰囲気にはならなかっただろうかな。同志以外には見せてはいけないものという気はする。

ところで、自分にとってのバイブルって呼べるものはあるのかな。ざっと思い返してみてもパッとは思い浮かばないや。

でもこの状況でなら自分もこの輪の中に紛れ込めそうな気がしたな。「いつも観てます。」は言えないけど「応援するよ」とか「ガンバレ」とかは言えるからしがない働き蜂のひとりとしてあの場に居ても許されそう。

本当は祝福されない息子で邪見な扱いをしていても心のうちでは息子を想う気持ちで溢れてるってとこに琴線が触れなきゃいけないんだろうけど、どうにもそういうこととは違うとこでもらい泣きしそうになったなあ。

思い描いてきた母親の面影が崩れ去った喪失感とも想えるし

遅きに失した事に対する後悔の念とも覗えるし

まあうまく説明できないや。

でも取り様はひとそれぞれだろうしどうとでもとれるように作られていそうでもあるし受け取り手の自由だろうな。

ところで、前回はかしましい勢いが強くて恒の空気感ではなかったけど今回はまたいつもの感じに戻ったかな。穏やかな時間が。

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プロポーズ兄弟 生まれ順別 男が結婚する方法 その3

 三兄弟という中では一番理解も共感も出来ないキャラだったな。過信とか無責任とか夢追い人とか。

ああなれればどんなに気が楽かなんて思えないもの。別に人物の悪口もこの回の批判も言うつもりはさらさら無いけどこれだけ三拍子揃う人も珍しいのでは。そう思わせないためにももう少しいいとこ表わした方がよかったのではと思えた。具体的に何を提示すればというのは思いつかないけど。犬にも好かれる程のいい奴というだけでは足らなかった気がする。

それはともかく決めつけはよくないけどこういう人の理想のタイプは「おっかさ」ということなのか。もうもう全くもうと尻にしかれて善光寺にでも行くのかね。

まあ確かにあの生活態度じゃああれくらいビシバシ言わなきゃ駄目だよなあと納得するけど、にしたって幼馴染というのはある意味卑怯というか一般的ではないよな。そうそう幼馴染と添い遂げるなんて組み合わせはあろう筈がないだろうからそういう意味ではついてる奴という勢いで見てた。

酸いも甘いも噛み分けてという事でなければということで、その為には長く付き合う事が基礎となるということなんでしょうがそういう幼馴染が居たという事は奇跡に近いぞと思う次第。しかも一途。そういう幼馴染が居ないこういうタイプの男からしたらどうすりゃいいのさと参考にならないだろうと思えなくもない。

それにしてもあっさりOKだったなあ。

話し戻すけど、橋の上で米国行きを告げる時の会話で真央(ユイカ)の耳が赤いとこがやけに印象に残ったりもした。心情を表わしていたのか単純にロケが極寒だったのか。心情を表わしていたとしたら意を決して高揚してたということになるのかな。

上の二人の夫婦とは絆の形態が違うから一番二人三脚っぽいな。

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*「な」=「い」

例えば「冷たい水」を「冷たな水」ということについて。

「大きい石」と「大きな石」どちらも共通語であるからして聞きなれないが「冷たな水」という言い方があってもおかしくはない。

遠州弁に於いてはこういった共通語では殆ど「い」と言うところを「な」とする表現が多く見受けられる。これが特徴ということになるのであろうか。

先に別記事で記載した「い」=「な」の逆パターン。ということは共通語程に遠州弁は「い」と「な」の使い分けに無頓着な傾向があるともいえそう。といってもなにかしらの法則がそこにはありそうなのであるがそれがどのようなものなのか掴めない。

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深夜食堂 その3

 前の二話と違って喧噪感が漂っていたな。女三人寄ればかしましいとは愉快だねというのは至極的を得た言葉であるが、深夜食堂の中に於いては特に異質なものを感じるな。従って愉快だねという気分にはならなかった。

もっとも話の筋がそういう愉快な話しでもなんでもない詫びる錆びるの方の「わびさび」が描かれていたので愉快にはなりようがないが。

決して監督さんが変わったということによるものではないだろうがそれにしても会話のテンポとかもえらく早く思えたしとにかく違って見えたな。

ところでここには出てこないけど俗にいうおばはんパワーとこの行き遅れシスターズのパワーの違いってなんざんしょ。我が道を往くみたいなその場の空気感を支配する強引さには違いが感じられないんだけど。

こういのは野郎じゃ推し量り様がないか。

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プロポーズ兄弟 生まれ順別 男が結婚する方法 その2

 兄弟の真ん中というのは別種なんだなと思える勢い。幼少期の自分の立ち位置をあのように偏屈に位置づけるのは自分の経験においては全くないから共鳴感は薄いところだな。

場を乱すのを嫌うというとこはまあ誰にでもあるところだけどそれくらいかな心持ちが理解できるのは。

でもその為に卑屈になることもやぶさかでないというのはやっぱ別種だと思える

それにしても結婚に至るふたりだからはなから相思相愛という状況になるのは不思議でもなんでもないのだろうがやけに惹かれあう様が速攻だよな。第一話の時にもそう思えたけどよりそういう感じがした。

それにしてものそれにしてもで、最初あれだけ自分を卑屈化してた人間がひとつのきっかけでああも変貌するものかと。変身と呼んでもおかしくないくらいな感じだったな。やれば出来るというのにも限界ってものがあろうに。いくら器用貧乏が取り柄だったという蓄積があるにしても。

それにしてものそれにしてもでそれでもなあで、恋のライバルが濃いいけすかぬ野郎だからその魔の手から救おうと奮起したという側面も感じたのだけれどあれでライバルが誰もが認めるナイスガイとか誰にも好かれる好青年であったなら他にもよく知る友人だったならとかの場合彼は変身できたんだろうかと考えてしまいますわいな。いつもの身を引くという選択肢を選ぶ可能性大だったような気が。

長男は自分を変えることなく貫き通すで道が開いたということでしたが次男は自分を変えることが道が開く要因だという違いなんでしょうかね。

ところでこのドラマシリーズ30分ものと間違えてました。やけに早く進むんで勘違いしてました。45分なんですね。でもやっぱ短く感じるよなあ。

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*「い」=「な」

「丈夫い」・「ひ弱い」・「けっこい」・「ずっこい」

じょうぶな・ひ弱な。結構(綺麗)な・ずるい

まあ後半は「こい」表現であって参考にはならないが。

遠州弁においては「い」=「な」と訳すのが自然である。

じゃあ「見事な」を「見事い」というかというとそれはなく、「大層な」を「大層い」とも言わない。

一体どういう理屈やら法則やらで「い」=「な」となる場合とならない場合に分かれるのであろうか。

それとも「な」と訳すことに矛盾があるのか。仮に「の」としたらどうだろう。

「源義経」は「みなもとのよしつね」と言う。それと同じで「丈夫い筆箱」は「丈夫の筆箱」。「ひ弱な奴」ではなく「ひ弱の奴」。ん~何気に無理があるな。

母音の中で例えばう音とあ音で終わる言葉に付く際はとかなのかなとしてもふんだだこたなさそうだ。

思い付く言葉例えば「上手い」(じょうずい)・「丈夫い」・「やごい」・「けっこい」とかを羅列しつつ「見事な」みたいな「い」にならない言葉と並べてにてそれで見比べればいいのだろうがめんどっちのでパス。

ひとつ言える事はこれらは「上手く」(じょうずく)・「丈夫く」・「やごく」・「けっこく」などというように「く」にも変化するということである。訳す際は「く」=「に」とすると分かり易い。(ただし「見事に」が「見事く」とはならないので「く」となるのにも「い」と同じ理屈で変化するのであろうが)

だもんでなんしょわからんままに遠州弁は「い」を駆使してるだあれ。としか言いようがない。

例文

「新聞とか雑誌結構溜まってるじゃん。捨てんだけ?」

  (新聞紙とか雑誌が結構溜まってるじゃないか。捨てないのかい?)

「うっちゃらへんよう。廃品回収に出すだあれ。」

  (捨てやしないさ。廃品回収に出すんだよ。)

「じゃ紐で縛らにゃかんじゃん。」

「暇だったらやってやあ。」

「別にいいけどなんか丈夫い紐とかないだけ?」

「暇だったら買ってきてやあ。」

「そこまで人こき使うじゃねえよ、ばかっつう。」

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CONTROL 犯罪心理捜査 その7

 しょっぱなに惑いにご注意と警報が発せられていたので、とんとん拍子に犯人逮捕の流れにははなから信用置けなく、必然的に犯人は彼の人であろうなと踏んで観ていたので推理を楽しむという回ではなかった哉。

これがまず先にとんとん拍子の犯人逮捕という様が描かれて、その後にあの講義の景色が提示されたのち教授参上となれば違った印象になったやもなと思ったり思わなかったり。

それと惑いということなら目撃者だけにではなく視聴者にもという事で容疑者を複数用意して欲しいなやっぱ。

それにしても警察に・犯人逮捕に協力しようという善意が逆に利用されるというのはなんだかなあではある哉。

そうそうこの回面白かったとこはマザーテレサ曰く愛の反対は憎しみではない。では一体何?答えは無関心。確かに。するってえと犯人逮捕に協力しようという善意の反対も無関心であろうからして、警察に協力する心は愛ということになるのか。深淵だな。

なにしろ可愛さ余って憎さ百倍に至った上での兇状で、その犯行の手口も愛(目撃者の善意)を逆手にとる事を思いついたということで似ていなくもないなと。

ま、実のところは濡れ衣きせようとしただけの事でそこまで考えた上でのものではないでしょうが。

それにこの愛の反対とはのお話しは恋心に気づかない鈍感さを憂いてのギャグでしょうしね。

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深夜食堂 その2

あの演歌歌手さんは倖せだったのかな。

どうとでもとれるような置き去り具合が大人だな。

行き当たりばったりって変な唄だったけどみゆきちゃんらしかったなあみたいなことを喪服で常連さんがつぶやいていたけどそれって行き当たりばったりっていうのは人生観ではなく人生そのものだったということなのかな。

駆け抜けた人生とも言えなくもない風に映ったけど駆け抜ける=行き当たりばったりということなのだろうか。

それとも、歌詞では「行き当たりばったり行き当たりばったり」の次に「路地裏見つけてくねくね行くのがとても好きなのよ~♪」とある。

演歌界で出世を果たした(もしくは早死にした)のは分不相応みたいな場違いだったとこで無理をしたということなのだろうか。

ひととなりを知らない売れてから知った人間からしたら好きな道で名を遺したということで本望じゃないのかと考えてしまうけど。

当の本人は恒に一所懸命で有り難く想っていたということだけは確かと映った。

でも最後の「おかえり」というセリフを耳にすると居心地のいい場所と生き様を示す場所は別の場所にあるということでありその両方に居場所を確保していないと人として無理をせざるを得ない状況に追い込まれるという風にも感じられる訳で。

売れてなきゃ居心地はよくても売れてないで追い込まれていて売れりゃ売れたで居心地が悪くてまた追い込まれていく。

往復出来ない生き様はなんだかなあという事になるんだろうか。まあ病名が分からないのであくまで勝手な推測で勝手に想ってるんですが。

いずれにしても死という結末は湿っぽい結論しか生まれないところである哉。

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プロポーズ兄弟 生まれ順別 男が結婚する方法 その1

 自分は「長男」という種類には属さないのだけれど、この長男さん(佐藤さん)の思考回路は共感とまではいかないけれど納得するところが多いかな。

具体的にどこがどうのという事はないのだけれど。

電話貰った時の決断なんかは他に選択肢があるとは思えなかった。躊躇してた風に見えたのは自分の感情を抑え込む時間であってなんとか工面する方法を模索(思案)してた訳じゃないってことだろうなと解釈した次第。

ま、さすがに私と友達どっちが大事なんて詰め寄られたら即座に友達と言っちゃうので先にも書いたけど自分と同じだと共感する事はないのだけれど。

それにしても30分は短いな。

出逢いと覚悟は描かれていたけど育むという部分が端折られて中抜けのような印象を受けた。

周りの温かい協力が後押ししなければこのふたりが結婚に至るなんてことはなさそうに映って、このキッチンの雰囲気が良かったなあ。

それにしてもえらくいい役者さん揃えたものだなあ。

こういうけじめを何よりと考える役に佐藤隆太は見事にはまるよな。無理なく無理してる空気感が醸し出されて安心して見てられるわさ。

杏さんの破壊者ぶりが堂に入ってた。というか加減を知らないのかと言いうくらいの体当たりに感じたのえ。故に懸命さがよく表れてたと感じたのし。演じていない時の杏さんてはきはき感のある賢いという印象を受けるけど求道者というか突き詰めるとこは共通してそうとはいえこの綾という訳はドジで自分の意見を言えないというほぼ逆な役なのに無理なく精一杯の割には成果が伴わない空気感が溢れ出てたなあ。松重さんがこのお店の風情を表わしてるようで、あの頑固一徹さからこのお店の味が想像される。質実剛健な料理なんだろうなと。

他にも浅利さんでしょ柄本さんでしょ。いいよなあ。

この面子でならもっとじっくり連ドラでやって貰いたいという気になる。そういう意味では残念だ。

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*や

使い方は

「つかやあしんらあ?」もしくは「つかわやせんだら?」

「ゆやあせんだら。」もしくは「ゆいやせんだら。」

「ゆやせんでおこれる」

上記の「や」もしくは「やあ」をどう訳すかと言うのが味噌なのであるが、と、その前に全文を訳すと

「使わないんだろ?」

「言いはしないんだろう。」・「言わないんだろう。」

「言おうとしないからむかつく。」

となる。

大雑把に意味を述べれば「~しようと」であり置き換えるとすると「~うは」(使うはせぬ・言うはせぬ)が考えられるところであるがいささか古い。ので「いは」とするのが

「使いはしないんだろ?」

「言いはしないんだろう。

「言いはしなからむかつく」

となって無難な選択と思えるのだが、しかし

「ゆやゆったでおこるくせにい。」(言えば言ったで怒る癖して)

というように「~すれば」という意味使いもするので「いは」でも「うは」でもこの場合には当てはまらない

「や」=「おう」・「よう」とした場合

「使おうとはしないのだろ?」

「言おうとしないんだろ。」

「言おうとしないからむかつく。」

「言おうとすれば言ったからと怒るくせに。」

とはめる事になるがやはり最後の例文訳に無理が生じる。

では「や」=「いや」だとどうなるか

「使いやしないのだろ?」

「言いやしないんだろ。」

「言いやしないからむかつく。」

「言いや言ったからって怒るくせに。」

二つ目と最後の例文訳に無理がある。二つ目の訳は文章としておかしくはないがニュアンスが全く異なる。

「えば」に至っては挙げる必要もなく最後以外は無理がある。

あちら立てればこちら立たずで全てにはまる言葉が思いつかない。じゃあそれぞれ別の言葉なのかというとそうかもしれないがそうとは思えないという意識の方が強い。

話しは飛ぶが、遠州弁の中に於いては「や」・「やあ」の代わりに「わ」・「わあ」・「わや」が使われる事もある。

とにかく結論としては使ってる分には何の疑問も湧かないが説明せよとなるとはたと困る言葉である。

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三国志 第7話

 恨み骨髄までという気になるのは至極得心がいく様でありましたなあ。

こういうのを「計」と呼称するのはえぐい策だよな。勝つならなんでも正当化されるというのは無法地帯の現われなんだろうかな。いつの時代であってもそれはないだろうにとは思えるのだが。

それでも討たれた孫堅は偉く描かれていたなあ。恨むべくは袁紹・袁術とするのは。しかも玉璽は災いの元だったとして討ちに来た劉表を責めないというのは。ちょっと出来過ぎな話しかなとは思うが。

とにかくこの逸話というか展開は初めて観る物語りで新鮮ではあったな。私が知ってる三国演義での孫堅の最後は襄陽に孫堅が攻め入っての際の不意打ちに遭ったというものなのでこのドラマのように劉表に怨みの念を孫家が強く抱くものではなかったから。

以前に観た別の中国製の三国志(演義)のドラマでは闘い終わって勝者の高笑いというのは必ずあって、お国柄なんだろうなあとなんとはなしに鼻に付いたりもしたけれどこのドラマに於いてはそういうシーンは存在していなくて観易いとこではあるな。

後半は「美女連環の計」の始まり始まり。私には貂蝉がフジテレビの佐々木アナウンサーに見えるのは目の錯覚か。

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Dr. 伊良部一郎 4話

 症状が現れる様はまるでホラーサスペンス見てるようなスリリングな感じがした。先に心の臓の方が参っちゃうんじゃないかと思えるくらい。

対処はおそらく因果を含めた引退勧告だろうなと予想して観てて案の定だったけど、その引き際が超劇的で愉快だったなあ。

葬儀の画づらになった時はホントにおっちんじまったのかと思っちゃいましたよ。症状が出た際の印象(心臓が持たないじゃないのか)の前振りが効いてたんだな。

私みたいな素人でも先が読める展開なのにそれでも面白いと感じたのは津川さんのパワーに他ならないよな。

ホント役者力でねじ伏せたみたいな感が強かった。

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*な

「どうするだ?買うな?」

「どうするんだ買うのか?」と言っている。

「どうせすな?買うな?」という言い方も有り得る。

この「な」という言い方。問いかけを表わす疑問形のみではなく

「そういうもんな」(そういうものさ)

共通語だと「あいつの事だから絶対そういうもんな」といった風に使われ「そういうからな」といった意味使いとなるところであろうか。これが遠州弁だと「まあ世の中そういうもんな」という風な使い方になる。

辞書には

「な」{終助詞}①相手に何かを禁止する事を表わす。「動くな」②気安く付き合える相手に対する命令を表わす。(ぞんざいな表現)「やめな」③自分の主張・判断などを相手に納得させたり自分で確認したりなどする気持ちを表わす。「そうは思わないな」④何らかの実現を心から望む気持ちを表わす。「早く来ないかな」⑤直接的な感動を表わす。「うれしいな」⑥自分の言葉を相手に納得させようとする気持ちを表わす。「お前な」⑥は男性が使う・③~⑥は「なあ」ともなる。とある。

ここで述べてる「な」に当てはまらないのは①・②・⑤、禁止でも命令でも感動でもない。微妙に異なるのは④。というか遠州弁は「なあ」とはならない事が多いので近くはあるが一致するものはないということになる。一番近いのは⑥であろうか。ただし遠州弁は男女共に使うところが異なる。

古語辞典には

「な」{終助詞}①自己の意思・希望を表わす。・・・しよう。②他への勧誘・期待を表わす。とある。

辞書よりも古語の説明の方が遠州弁の「な」と一致するところである。②の場合が疑問形という形になるのであろう。①の意味については押し付け的な意思・希望という印象が遠州弁では強いところが幾分異なるところではあろうが。

「のか」を使うよりも「な」を使う際の理由は「のか」は問うているとか確認してるという勢いでありできればこうなって欲しいという勧誘・期待を込めたいから「な」を使うのであろう。

「の?」に置き換えるという手もあるかな。しかしこれだと辞書・古語辞典にある意味からは外れて意思の確認という勢いになり期待という意味合いが抜けるから近くはあれど同じではないといえるかもしれないところである。

つまり「の?」も「のか」も=「な」という訳ではなく「な」は別物ということであろう。したがって、共通語に訳すとなると「のかな」・「のかい」辺りとした方がニュアンスとしては近い事になる。

他に、変化として「な」+「い」で「ない」という表現との関連性が生まれてきそうでもある。「い」は軽い命令表現。

なので「買うな?」(買うのか)の場合は「買いない」(買いなよ)という風に変化してくると考えられる。例としては「これ買うな?いいじゃんそうしない」(これ買うのかい。いいんじゃないの?買いなよ)といったもの。

共通語で「買いな」だと「な」は辞書の意味の②で命令であるが、遠州弁での「な」は古語辞典での①で命令程に強いものではなく「ない」とすることで希望+命令で要望というニュアンスになるのであろうか。強要度でいえば

「買うな?」<「買いない」<「買いな」

といった感じであろうか。

別な点からの考えとしては「だ」に置き換えても成立するという点。

「どうするだ?買うだ?」

しかも「ない」という言い方と同じように「だい」という変化も存在する。

だからといって必ずしも「な」=「だ」と言い切れるものでもなく

共通語における

「よし決まりそれ買いな(ね)」(「そうだよな」の「な」とおんなじ)と「よし決まりそれ買いだ」というニュアンスの違いみたいなものが遠州弁にもある。

近い言葉ということで同じという事ではなさそうである。ただし遠州弁ではその違いは共通語よりも微妙過ぎて普段遣いにおいてはどっちを選択してもニュアンスの受け取られ方の違いは感じない。

後は、「ね」に置き換える事は出来るのか。

先の例文にもあるように「よしそれ買いな」というのを「よしそれ買いね」とする事には違和感は生じない。

「ね」の変化で「ねえ」と江戸風味な言い回しもあるであろう。

もしかしたらこれが一番「な」に近いのかもしれない。あくまで個人的な意見。

というかそもそもこの「な」が遠州弁なのかどうかも微妙ではあるところではあるか。古い日本語の生き残りと考えた方が無難だよな。

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スクール!! その6

 何気にいつも以上に元気な大橋先生(塚本さん)でありまして。一瞬一話見逃しちゃったのかなと思ったくらい登校拒否から復帰の際の顛末が描かれてなかったですな。そういえば前回はまだ誰も来ていない教室の教壇でよしっと心新たにというとこで終わったんだっけ。

子供たちにはどう再起をアピールしたんだろ。心機一転やり直すにしてもけじめとか整理とかは必要だと思うのですが何事もなくという勢いに感じまして、そんなもんかと。

なにしろ私もそれなりに会社勤めの経験ありますから会社に突然来なくなった人間幾人か知ってまして。でも誰一人として復帰した人居なかったので再起した人って知らないんですわ。心が折れてもたとえ詭弁であっても逃げ道作って踏ん張って行動に移さない人は頑張れるけど一度でも行動に移した人は帰ってこなかったです。

このドラマのように案外簡単に事が運ぶのなら案ずるが易しなんでしょうにねえ。そういう意味では悩むほどのものではないよと勇気を与えてる事になるのかな大橋先生は。

それにしても無理してない桐原先生(西島さん)ってのを見てみたいものだ。校長(江口さん)と被ったりなんかする勢い(同じような信念でがんがん行動し始める)だったら周りはさぞかし大変だろうな。

ところで毎回品を変えて登場するお酒の銘柄なんですが、あれって実在のお酒なんですかねえ。

で、校長先生。おせっかいを焼きたいということなのかな。おせっかいって案外見返りを求めない行為であって世知辛さとは対比的な行為ですから考えようによってはいい事なのかもしれませんが、今の世の中おせっかいが特に嫌われるものになってる気がするだけにそういう風潮に逆行して大丈夫なんだろうかというのが気になりますな。多分憶測するに、その輪が大きく広がって行く事がドラマの最大のテーマでありその過程が描かれていくということなんでしょうかねえ見所は。

放火魔は捕まるのか。校長がみきちゃん(岸部さん)にした約束とはなんぞや。再婚話しはどうなるのか。

これらは次週語られるのかな?それとも放置プレーなのかな?

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しょんないTV 第5回

 しぞ~か県民だけのお愉しみ「しょんないTV」。ホントこの番組愉しい。明るい気分になれる。

徐々にその面白さがパワーアップしてきているのはピエール瀧さんのセンスがますます磨きがかかってきていると共に緊張しいの広瀬アナが大分緩んできたという相乗効果によるものでありましょうか。まあツッコミがいがありますものね広瀬アナは。とにかくこのおふたりのコンビネーションがどんどんよくなってきているんだろうな。

今回の訪問先はふた処。

まずは「げんこつハンバーグ」でお馴染みのさわやかへ。

冒頭今回は(たまには)しょんなくないと断っていてそれなりに会社さんに気を遣った節が見られるのかと思いきや、工場内では広瀬アナの異様なところに気を遣ったり表現力の不足等によりで結果結構しょんない事になっていて、お店に行けば瀧さんの同級生さんが登場とて瀧さんのタガが緩んだかのようでホントしょんなかったなあ。無論この場合のしょんないは愛すべきというニュアンスである。

次にはお蕎麦屋処の「ソビスケ」。

まあこっちはものの見事に芸人さんがお店を営業してるんじゃないかと思えるくらいのしょんない空間。そばがき美味そうだったな。しかし何から何まで心置きなく笑えたな。さわやかでは気兼ねという程ではないけどちょっとね。ただしおふざけではない天然な所業なだけに笑っちゃいましたんで詰まる所どっちにも笑っちゃったんですけど。

ところでヤマハのピアノのCmが流れてた。初めて観たよあのCm。しかもなかなかいい。あれほどの速弾きに踊りをコラボさせるって合うのか?という挑戦でもあるかのような。無茶な事するなあとは思ったが本田宗一郎といいさわやかの社長といいむちゃばかり・・・という繋がりと考えれば見事に一連を為してはいるか。

さわやかの制服に身を包んだ広瀬アナの姿が何故か印象に残ったな。そして勝負に勝ったら連呼されてる「広瀬はバカ」を撤回してという事であった。

ここで「バカ」という表現に対して説明をしておくならば。(ひらがなでも漢字でも意味合いは同じであろう)

共通語の「馬鹿」とはそのニュアンスが異なるものである。駿河と遠州は言葉(方言)が異なるのであれだが、遠州弁に於いての「馬鹿」はほぼ「しょんない」と同義語のようなものでこの場合「愛すべきボケ」という意味である。駿河に於いても多分同じであろうから、決してけなしている表現なのではなくむしろ愛情表現なのである。

そういうことでもし万が一他県の方がこの番組観た時に「馬鹿」の連発が不快と感じたとしてもそれは勘違いだぞよという事を言っておきたいところである。

だから変える必要も感じられないところであるが、まあそれでもあえて言い方を変えるとしたら「広瀬はしょんない」といった辺りか。

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*ちっとせえのせっ

共通語だと「じゃんけんぽん」。

じゃんけんする際に発した掛け声である。既に死語であろう。今更知ったところでなんにもならないが一応記載。大体が遠州独特かどうかも怪しいところである。

昭和の後期には既に死語化していたであろうか。もしかしたらまだどこぞで残ってるやもしれぬが。まあないだろうなおそらくは。

もしかしたら一時期(昭和中期)だけの流行だったという可能性もかなりあるような。

掛け声という事では「いっせえのっせ」というのがあるがそこから派生したものであろうか。でもこの表現がじゃんけんに使われる筈もなかろうてでもう少し考えてみる。

意味についてはなんでこう言うのか何を意味するのか不明であるが要訳すると

「ちょいとよいしょのしょっ」といった感じなのか?

分解すると「ちっとせえ」+「の」+「せっ」か「ちっと」+「せえの」+「せっ」のどちらかであろう。

後者の「せえの」であれば「ちょっと」+「よいしょの」+「しょ」と言う解釈でいいのであろうが(あえてよいしょにせずともせえのでも十分構わないだろうが)

しかして実際発してた記憶では「ちっとせえ」+「の」+「せっ」と言っていた気がする。

そうなると「ちっとせえ」とはなんぞやという事になるがこれがさっぱり分からない。知らずに使っていた。

「おちゃらかほい」での「せっせっせえのよいよいよい」からの応用(短縮形)なのであろうかという勘繰りも出来なくはない。その理屈であれば「ちっと」は「略して」とか「はしょって」という意味合いで使われたということかもしれない。あくまで妄想であって根拠はない。

ちなみに「じゃんけんぽん」も併用して使っていたのだがこれとどういう使い分けをしていたのかは記憶にない。効能としては「じゃんけんぽん」というよりも間というか早口で勢いよく言えるというところが利点であったという気はする。

「あいこでしょ」については「せっせのせ」などと発したと記憶してるが定かでは(自信は)ない。

例文については「じゃんけん」を「ちっとせえの」に、「ぽん」を「せっ」にと置き換えるだけなので略します。

ただし「じゃんけんしよう」とか「じゃんけんで決めようぜ」とかを「ちっとせえのせ」に置き換えたりすることはうちの集落ではしなかった。「じゃいけん」とか「ぐーちょきぱー」とかに置き換える事は出来てもである。あくまで掛け声の際に発せられるのみのものであろう。

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