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ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム

 2004年作の映画。田舎では上映がこないであろう映画だろうからして、DVDか深夜のテレビの映画劇場でないと観れないところをテレビで観れた。

ご機嫌だな。

映画に対してこういう表現をしたことはないし、音楽を評して発するにしてもこの表現が適切でありそう言われて演奏者は嬉しいのかはいざ知らぬというところであるが、とにぞ御機嫌だあな。

様々なインタビューでバンドとしての生き様というか息遣いが想像できた。その生き様はお近づきになりたい(憧憬)感じのものではないけど、かくあったればこそこういう味が滲み出てくるとしたらばつくづく人というものは色んな人が共存する世界でないと心豊かに過ごせないものなんだなあと思えてくる。

そういう味をおすそ分けでステージでの演奏から貰ってるという感じがしたかなあ。

その味とはスパイシーなものではなくて心のどこかで無意識に欲してる味でこれこれって感じであろうか。

それは決して古い(懐古の)せいということではなくおでんの出汁のような継ぎ足して培われた味ということでもなくて、上手く説明できないけど演奏者の「今」を表わしてるような味といったらいいんだろうか。

皆が皆教科書通りというかマニュアル通りに生きてたら優劣が生じて勝ち負けになってしまう。そんなんじゃなく競うような接点すらない生き様に遭遇する時、なんか心が豊かになったような気になるのは別の視点でものが見えてくるからなのだろうか。較べようがないとこが新鮮なんだろうな。

全作品観てる訳じゃないから確信的な事はいえないけどアルタミラピクチャーズは「音楽」を映像にするという事に対して執念を感じる。熱意というのじゃなくて会社の存続意義みたいな勢いすら感じる。(まあそんなことはないでしょうけど)

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2/19の「めざましどようび」

 こちタメというコーナーが良かったな。降り積もった火山灰を有効活用できないかという事をいくつか試した企画。

これ視て無意識に浮かんだフレーズは

災い転じて福と為す

転んでもただでは起きない

天の恵みと為さんとす

災害を知恵と工夫で乗り越えようという前向きな企画で物は考えようというか逞しさこそが前に進む道しるべと改めて思えた。

それにしてもあのガラスの器いい色してたなあ。

雪に火山灰と日本全国色々大変だけれどこういう応援企画みたいなアプローチは好感持てるなあ。

 そうそう話し変わるけど、めざましどようびといえばこないだ先週江口さんが出とらしたなあ。

江口さんといっても江口のりこさん。

映画の番宣企画でケーキ作りつつインタビューを受けるというもの。

見た目は色んな作品でお見かけするままにとっつきにくそうな感じそのままだったけど

会話の端々からは関西人らしいつっこみを発せられておられた。相手の目を視て話しをしないのは自分と同じだあと感じた。インタビューでのお声は低めと聴こえ演じられる時はテンションを上げて望まれてるんだろうかなあ。

独り暮らしの一室でのさりげないたたずまいとか集団の中に於いても集団の色に染まりきらないとかいったどこかしらなにかしらの茫洋感を漂わす雰囲気表現させたら絶品と思える役者さん。

好きな役者さんのひとりなのでより一層活躍して欲しいぞよ。

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バーテンダー その3

 二兎を想うものは二兎をも諭す。

そんな勢いでしょうかね。詐欺師さんを怨霊退散が如き塩撒いて退治することなく美を貫いてフェードアウトさせ、悩めるバーテンダーに禅問答のような問を応える。

それを一度の行為で同時に悟らせるという手法は見事だったな。こういうのを粋というのかな。いやさ大人という方がいいのか。

今回のしほりんで印象に残ったのは「助かったぁ」のセリフかな。空気が抜ける様が悦だよな。

ところで話し戻すけど、「顔が無い」とはなんぞやという応え。なんでもっと早くに教えてあげなかったんでしょうかねえ。袋小路の中で迷っているにしても自分らしくとはなにかを模索するのに時間を費やすべきでその前の「顔」って何って事に時間を食われるというのは勿体ないよなあと。まあ終わってからそう思っただけなんですがね。

そういう意味じゃ時間がなくておぼろげなままで臨んでしまって惨敗したという結果の言い訳は立ちますが。

あえて何も言わないという事が優しさということなんでしょうか。よく分かんないですね。なんであのタイミングだったのか。そりゃ確かに観てるこっちも無い知恵振り絞って考えてましたからできるだけ謎のままで最後まで引っ張る必要性はあったというのは分かりますけどね。

話し変わりますけど分からないというかこういう世界(お店)に足を踏み入れた事ないので知らないのですが、出された飲み物殆ど飲み干すという画づらがないんですけどほんの数口つけて後は残すとかいうのがマナーなんですかねえ。

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*だろうて

今の言い方に直すと「であろうて」となるのであろうか。「であろうから」の方が分かりがいいか。

方言などではなく共通語枠での老人言葉と読めなくもないところであるが。

「だ」=「で」という構図は遠州弁の「だ」の使い方とよく似ている。といっても遠州弁の「だ」は「で」+「あ」=「だ」という合体形ではないけれど。

「で」+「あろうて」というよりも「だろう」+「て」という感じであろうか。つまり正しい解釈かどうかは分からないけれど、「だろうな」よするよりも「だろうから」とした方がすっきりするということ。この場合の「て」は「と」と直す方が分かりがいい。もしくは「とて」か。

「あろう」という推測よりも「だろう」という確信に近いというニュアンスの方が遠州弁の「だろうて」らしい気がする。

「だら」を「だろ」・「だらあ」を「だろう」と訳すのが無難なのであるが「だろうて」の「だろう」を「だらあ」に変えて「だらあて」という言い方があるかというとそれはない。あっても不思議ではないが聞いたことはない。

「だろうで」だと「だろうから」

例文

「やいやい、○○忘れちってえ。まいったやあ。」

  (参ったなあ○○忘れてきちゃったよ。どうしよう。)

「あるよ。」

「なんでもっってるよを。」

  (どうして持ってるんだ?)

「必要んなるだろうて持ってた。」

  (必要になるだろうなあと思って持っていた。)

「おお!気いつくじゃん。」

  (おお!よく気がついたねえ。)

「つうかあんたの性格からしたら絶対こうなると思っただよを。」

  (というかあんたの性格からして絶対こうなると予想出来たもの。)

「でもなんでこれ忘れるってわかっただ?」

  (でもどうしてこれを忘れると予想したんだ?)

「そんなことまで分からすけえ。とりあえず書いてあった持ち物まるきし持って来ただあ。」

  (そんなとこまでは読めないさ。とりあず記されてた持ち物を全部揃えて持って来てる。)

「ありがたいだか信用されてんだかびみょ~だなあ。」

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LADY・最後の犯罪プロファイル その7

 いつもは顔の見えない相手に肉付けをしてく作業が、今回の身内というように顔ありきで始めるプロファイリングとなるとどういう風に勝手が違ってやりづらい作業になるのかを描くのかなと思って観てたけど。

途中でそうではなく、記憶を失くした者の心の不安がいかなるものかというのが主で描かれているのだと気付きました。

自分がした行動の記憶が無いというのは確かに不安になりまさあね。なんかそのいがいが加減が分かったような気分で観てました。

残った最後のチンピラが拳銃出さずにナイフ出した時の柘植(ユースケさん)の表情が印象に残ったな。

ところで当初思ったいつもと違ってやりづらいというのは何もなく結城(木村さん)以外はいつも通りに遂行してたのはそんなもんかと。相手がなんでもかかってこいやあプロファイリングに敵(苦手)なしじゃあということなんでしょうかね。

ところで気になった点がふたつ。

ひとつは5年も前の事件現場がよくぞそのままで残っていたものよと。

いまひとつは奪った拳銃の弾はどうやって補充したんだろ。少なくとも3発づつだから9発は撃ってるよなあ。そうそう素人さんが買える代物でもなかろうて。

犯人はアッと驚く真犯人で観てて驚きましてなかなかに推理物として面白く観ましたが存外些細な事には拘らない部分もあったのかなと。

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深夜食堂 その1

 すんごく観たかったのに地方の悲哀故に視聴能はず諦めていたドラマが、ついにド田舎しぞ~か県でも放映された。あなめでたやな。ひたすらに嬉しやな。

ご当地花のお江戸の八百八町界隈では2009年10月に放送されたものがしぞ~か県では2011年2月に放送始まるという図式。

まずもっての感想は夜はきついな。腹が減る程においしそう。

それにしてもいいなあこの人を描くに於いての寸止め具合と匙加減。人を裸にする必要はAVにしか存在しないかもというかだけで十分なのかも。ましてやむくつけき衆らの青息吐息生で感じるには切なさすぎだろから。距離があるのは適度でありリアルに近く感じられる。というか観察できる。

それに、描かないから分からない。分からないから追いかけたくなるというか興味が湧く。想像する考える。いい様に考えるから正しいかどうかは定かではないが実際に人と接するなんてのはこんなものだろう。

この常連になる程に味のある人生送ってきていないから自分が此処の暖簾をくぐるのには敷居が高い。そう思えてくる。だからこの店の客に相応しい人間に憧れるという部分もあるのかな無意識の中に。

監督さん「松岡錠司」だった。おお~さよならクロの監督さんじゃん。毎回松岡監督なのかなとネットで検索してみたら回によっては山下敦弘監督の回もあるとな。しかも脚本「向井康介」という回もあるぞ。

暫く幸せな深夜を送れそう。その分寝るのも遅れそう。でもいいんだ別にというか本望じゃ。録画じゃなくてリアルタイムで観たい。

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外交官・黒田康作 その6

 え~、最初にですねえ言い訳しときます。書こうと思ったら管理画面にアクセスできなくなっていて。で、ぼ~としてるのもあれなんで他の事やってたら頭がこんがらがっちゃってどうにもこうにもで。アクセス復旧したらば既に夜も遅くなってまして・・・

で、一度観てすぐ書いた感想を転記して好しとしちゃいます。いつも以上に浅く頓珍漢な感想でごめんなんしょ。

このドラマの前に放送してた告発では全貌の先読みヤマ勘が当たって読めたけど、こちらはさっぱり。

というか芋づる式にぞろぞろ犯人現るという勢い。

これはどうみても薬物での恨みつらみを共有する人たちの集団が関係してるに違いないと思えてくる次第。

その集団がどこまで膨らむのかが味噌なんだろうかな。標的はほぼ見えつつある感じか。だから凄く膨らんでも驚きはないだろうな。驚くとしたら標的が予想してたのと違うって方向かしらむ。

それにしてもこの回「柴咲コウ」は絶品だ。別嬪とは思わないけど絶品だ。

この前は織田さんが激しく男前を披露してたから替わりばんこで魅せてくという趣向なのかな。

そういえば以前に映画でこのお二人共演してられましたなあ。あの時は織田さんばかりに目が行ってたから共演されてた事失念してましたわ。あの時とどう違うんだと反芻してもキャラの違い以外思いつかないんですが、このドラマでの「柴咲コウ」演じる「大垣利香子」は「黒田康作」と互角に渡り合っていて見応えありますわ。というかうまく噛みあってるというべきか。

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*う音便はあまり

憶測だが遠州弁はい音便促音便撥音便は多用するがう音便はあまり使われない。という傾向があるような気がする。

例えば「そうはいっても」。

関西とかでは「つうたかて」・「ちゅうたって」などであろうか。(「せやかて」だと話しがずれるのでここではパス。)

遠州だと「つったって」・「だけえが」。

次に「なってしまう」

関西や名古屋辺りでは「なってまう」であろうが

遠州だと「なっちゃう」・「なるだよ」。

「しまった」は「しもうた」とかにはならず「しまった」のままである。

あくまであまりであり全く使わない訳ではもちろんない。まあそもそもう音便とはなんぞやというのが使わない分よく分からないという事もある。

例文については本場の方言を遠州弁に変えるというのが一番分かりがいいのだろうけど他所の方言はよく知らない。短い文なら見よう見まねでなんとかごまかせるけど会話調となるとえせがばれてご当地の方に対して失礼に当たる。かといって引用というかパクるのもよくはない話しなので。と言い訳をいくつかしといて、パスとします。

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告発・国選弁護人 その6

 この週はコントロール・相棒と打ち続いての被害者遺族の物語り。

ここまでくると、心の闇はそうそうは消えやしないと思えてくる。

弁護士先生は終わりにいつしか癒えるとのたもうておらっしゃったけど

どにも相容れぬ矛盾な慰め方やもしれぬやな。

それにしても泣ける話しさね。こういうのまで復讐という括りでええのんかいという気にすらなってしまいますわいな。報復とは異なるのは分かりますけど。相手を屠れば溜飲が下がるなんぞという安易なものでもない事は分かりますけど。

あんな下衆の為に自分が負の世界に落ちるなんて損だと考えるのが行動を抑制する手立てという訳にはいかないでしょうねきっと。損得じゃないんだと。

「諦める」という事と「忘れる」という事と「新たな生き方をする」という事が絶妙にバランスよく心にふくませればいいんでしょうけど

謳歌してる悪党を誰かが確実かつ正当に裁いてくれる世間が構築できればこういう自らの手を汚す(けがす)ことなく因果をふくめれるんでしょうかな。具体的にはなにも思い浮かびませんが。

ホントここまでこれでもかというくらい被害者遺族の心の苦しみが提示させられると能天気な私ですら考えてしまいますわなあ。

お話しの流れについては、どういう訳かバーのカウンターで会話してるシーンで小林千尋=奥さんというのが分かってしまって証人喚問でのシーンの前に結末が読めてしまいました。なんでだろ。なんでそう思えたのか自分でもよく分からないけど予想した展開通りに進みましてでございます。

もしそれに気づいていなかったらあっと驚く展開と感じて楽しめたのにな。推理するドラマに於いてはヤマ勘が当たっても左程楽しくないものだというのが分かりました。

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美咲ナンバーワン その2(第6話)

 ようやっと前職がバレたか。前職で培った特殊能力を活かして生徒達を導くというのなら封印とまではいかずとも隠してというのは羽をもぎ取られた鳥のようなもので宝の持ち腐れのようなものに思えていたから

これでようやくに気兼ねすることなく能力全開で活けるのかなと少し期待してしまいますわな。

といってもここまで随分と掟破りな所業重ねてこられただけにそうそう劇的にパワーアップとかいことではないでしょうしこの特殊能力が教育現場でどう役に立つのか想像もつきませんが、それでも保護観察中みたいな状態みたいだけどとにかく晴れてということは間違いないのだろうかな

この回の見せ場はなんといっても職員会議。

職業に対する偏見とのプライドを見せての闘いと、一度付いた色眼鏡への反論というもの。それを如何に分からず屋に分からせるかの弁論。

なかなかに背筋がピンと立ってて格好良かったな。

この特殊能力は、相手を深く知るというものなのかな?それが少し表現されてたようにも覗えました。

に、しても盗み聞きから展開が転換してくというパターンはドラマではよく視るけれど、実際はそうそうそんな本意でない(片方は聞かれたことを知らない)形で出来事が動いていくなんてことはないと思える訳で。(陰口や悪口は結構あるけど逆はそうそうないだろうという事)

この思いがけず聞いてしまうみたいなパターンというのはあまり好きではないな。直に向き合って(対話して)良くもなったり悪くなったりのままならぬ擦れ合いというのを観たいよな。

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*でろでろ

あくまで遠州弁のお話しです。(ネットで調べてたら漫画のタイトルでヒットしたけどそれとはまったく関係ありません。)

広く使われている表現ではないが「でろでろ」という表現は遠州弁には存在する。使い手は少ないので遠州人同士でも地域が違えばそのニュアンスが伝わらないこともあるので限りなく俗語(それもごく一部での)という領域の言葉かもしれない。

例えば

「でろでろの遠州弁」。口からよだれが出るようなしまりなく方言が漏れ出るような様と感じ取れる。こう言い切るのは無謀であるが、当人は共通語を発しているつもりでも方言を発してるという自覚がないという勢い。

これが「だあだあの遠州弁」だと共通語で話そう(話さなくては)と言う意識はある割には方言が際限なく止まらないという勢いに感じられる。こちらは方言が出てるという自覚が見受けられる。

「ぐでぐでの遠州弁」だと近いのが「こてこての関西弁」といったところか。共通語を駆使しようなどと言う気はさらさらなく相手がどう思おうと構わないという勢いを感じる。

これが「ぐだぐだの遠州弁」ということになるとその意は共通語と同じで「支離滅裂な遠州弁」と訳すことになる。

「でろでろ」という言葉自体は日常会話でよく使われるものではないのでこういう言葉であると明確に述べる事は難しいのであるが

骨が抜かれて支えがなくなったみたいな形が留まれない様を表現してる事が多い気がする。かといってせき止めていたものが外れて一気に噴き出すような勢いのものではなく外れたまではいかないがそこかしこから漏れ出ているという勢いというのが「でろでろ」ではなかろうか。しかもちょっとべとべとしていそうな汚い印象を与える場合もある。

で、他の使い方として

往時のいかにもなアメ車のアイドリング音を「でろでろ」と表現する。

「表に停まってる車でろでろ言ってるで望月ん来ただら」

それ以外には、「でろでろの遠州弁」という使い方とほぼ同じなのであるが、「げろげろ」程露骨ではないがなにかが漏れ出る様を「でろでろ」と表現するといもの。

正しくはなんというのか知りませんが擬声語・擬音語・擬態語といったものが遠州弁は多いという特徴もあるらしく、この「でろでろ」もそういったもののひとつというこになりましょうか。

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*とらまえた

「つかまえた」と言っているのであるが

ネットの辞書では「捕まえた」と「捕らえた」もしくは「捉えた」が合わさって出来た言葉みたいな旨の説明がなされていた。

遠州弁においては「とんました」という言い方が存在し「捕まった」だと「とんまさった」となる。

細かくして考えると「とんまさった」は「とらまれなされた」ではなかろうかと推測できる。

「とらもう」→「とらまう」

「とらまうれ」+「なされた」→「とらまれなさった」→「とんまさった」

もっとも「とんまさった」のニュアンスは「お捕まりになられた」みたいな敬語的なものではなく「捕まったアホだ」といった小馬鹿にしたものであるのでこの説明に説得力は皆無であるが。

しかしながらこんな感じがもし説得力があるとしたなら、「つかまえた」と言う意味の「とらました」と「捕まった」という言い方である「とらまさった」という言い方が考えられ実際そういう言い方が存在してるような気がする。そして「とらました」の「ら」が撥音便化して「とんました」となったという事が考えられるのではないか。

で、肝心の「とらまえた」であるが、「とらました」が存在するのであるからして「とらまえた」という言い方も存在してもおかしくないと思えてくる。つまりネット辞書での説明とは異なる理由で言葉の説明が遠州弁においては出来るということである。

それに「とらまえた」の「ら」が変化して「とんまえた」という事になればより遠州弁っぽくなるところでもある。訳としては

「とんました」(とらました)だとはっきりした意思を持って捕まえたという勢いが増し

「とんまえた」(とらまえた)だとなんのかんのの結果として捕まえたという勢いが増すように感じられる。

分かりにくいので例文で説明すると

「猫んそこらはっちょうでくるうもんでとんまして外に出いた。」

  (猫が所構わずはしゃぎ回るものだから捕まえて外に出した。)

「えらいがさごそ音んするもんでなんだと思ってとんまえたら隣んちの猫だった。」

  (なんかがさごそ音がするのでなんだろうと思って捕まえてみたら隣の家の猫だった。)

「捕縛」が「とんました」で「捕獲」が「とんまえた」と例えるのは無謀か。でもそんな感じの違いを個人的には感じる。

「とんました」の対が「とんまさった」であるなら「とんまえた」の対は「とんまえさった」という風にも勘繰れるところである。それに「ら」=「ん」であるとしたら「とらまえた」。対で「とらまえさった」は方言として存在するものであると屁理屈が立てれるところである。

まあ総じて無謀な屁理屈ではあろうが。

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CONTROL 犯罪心理捜査 その6

 この回は切ないやね。やるせないですわな。ひたすらに。

瀬川刑事(松下さん)は特殊能力を持つ刑事さん。その能力とは被害者遺族の気持ちが分かるという能力。何故なら自らも肉親を殺された過去を持つ者故に。

しかしてそれを売り物というか全面に押し出す事なく自らの身の上話しで連帯感を得ようなどという事をしない奥ゆかしき刑事。

いつ伝家の宝刀的に「私もあなたと同じ境遇なのです」と言うのだろうと思って観てただけに心に秘めたままで最後まで通したというのは意外でありましたし立派だなあと。

でもまあ語らずとも伝わったみたいでしたね。そのひと押しがあったから最後は事実を供述されたんでしょうから。

それにしても最終的な犯人さん及び犯人(報復者)と思われたお二人は可哀相すぎるよなあ。あげな善良な人があんなくずみたいな快楽犯を抹殺するのに人生を棒に振らなくちゃいけないなんて。帳尻が合わない気分ですたい。

罪を償うってのが被害者遺族からしてみれば刑に服してというだけでは軽すぎると思える現実があるから余計そう思えるのやも。

金の話しをするはいやらしい話しかもしれませんが一例として犯人には一生損害賠償の支払いを課すくらいの事してもいいんじゃないのかと思ったりなんかして。

まあ養育費払い続けてでもいいから離婚したいという人が多くを占める世の中じゃ一生賠償金払わなきゃいけないのなら殺しは割に合わないと思えるよな抑止力にはならないのかもしれませんが。

夢想話しはともかく実際のところどうすればいいんでしょうね。ドラマは問題提起だけで終わってしまい、こうなればいいのにこうすれば精神的に乗り越えられるとかいう理想論は提示されてませんでしたね。そんな簡単な問題じゃないということでありましょう。

で、そういった人間の情の展開とは別に事件の展開という推理物としては

父克己(松重さん)が犯人だろうと思って観てました。毒物の入手手段について口を閉ざしたのは毒物をくれた人に迷惑が掛からないためというのみだろうなと思って観てました。

そしたらそうじゃなかったというのは予想外という範疇でありました。なにせ他に登場してきた容疑者らしき人って主治医さんしかいなくてお父さんじゃないとしたら残るのは主治医さんしかいないことになるけど動機が不憫に思ったからというのではあまりに薄すぎると思えたから結末は予想外という範疇に入ろうかと。

そういう意味では他にも容疑者を幾人か配置してたらもっと意外な真実と思えただろうにな。あんな変人殺したいと思う奴他にいても不思議じゃないと思えたもの。

この回は松重さんの哀しいようオーラが印象深く残った回でありました。それにシンクロしてく松下さんの沈鬱加減でより一層その哀れを引き立てているかのようでありました。

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単独と独占

 視聴者によりインパクトを与えて如何に興味をそそらせるかというしのぎ削るが故に

激な檄で呼び込みをする事は競争中はそれなりの知略であろうが

最近はそれが穏やかならざる印象にも思えなくもない。

そういった中では穏やかな部類に入るのではあろうが

インタビューの模様を放送する時

「独占インタビュー」という表現を最近よく聞くところである。

それ視て思う事は「単独インタビュー」の間違いじゃないのか?という事。

そりゃ確かにインタビュー中その場を独りが占めるという事では間違いではなかろうが

そりゃ確かにその時間は拘束しているのだから他はインタビュー出来ないという独占状態ではあろうが

普通は「独占」といえば他では一切その件についての話しとかはしない受け付けないここでしか話さないという風に捉えられるものである。

にも拘らず例えば色んなとこでドラマや映画の宣伝で同じ話題でのインタビューの光景を目にする。それらを個々が「独占インタビュー」と銘打つのはどうなんだろと思えて仕方ない。

「衝撃」とか「緊急」とか程な誇張ではなかろうてという類いのものかもしれないけれどこういうのが蔓延したら誰も信じなくなってくるのではなかろうか。つまり麻痺してしまうという事。だからより誇張に走るといういたちごっこをしてる風にも思えるところ。

それとも言葉の意味使いが変わったのかな。

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*あたる

剃る(そる)という意味。

「ひげをあたる」という使い方。

「頭やってほんで髭あたってくるわあ」

遠州弁を知らない人には理解不能な表現ということになるのであろうか。「散髪してそれから髭を剃ってくるよ」と言っている。つまり床屋さんに行ってくるからねと言っている。

「かみそりをあてる」といった「あてる」いう使い方はこの「あたる」と同じなのかは定かではないがそういう表現もある。

「ひげをそれよ」を「ひげあてない」と言うかというのは微妙だな。「ひげあたりな」と言う方がありえそうだな。

「そってあげなよ」を「あてたげない」と言うのは言いそうな気がする。

ネットの辞書では江戸語・東京語で、お江戸では「そる」を「する」と発し「する」は忌み詞にあたりそれを嫌って「あたる」を使うようになったと説明がある。

江戸・東京語となっているが、遠州でもこう言う使い手はいるということで記載。もっとも今は死語に近くなりつつあるが。

髭は男のみなので基本男言葉と思われる。無駄毛を剃るのを「無駄毛あたる」という言い方をするということであれば男女共用ということになるが、実際聞いたことがないのでおそらくは男のみの表現であろうと思われる。

「抜く」も「あたる」と言うかというと、。例えば「髭抜き」というのを「ひげあたり」とは言わないのであくまで「剃る」だけであって「抜く」を「あたる」とは言わないのであろう。

例文

「ちっと頭やってくるわあ。」

  (今からちょっと床屋さんに行ってくるから。)

「あんた髪そんなありもしん。それにこないだ行ったばっかじゃん。そんなしょっちゅう頭やり行かんでも済むじゃないのけ?」

  (こないだ行ったでしょうが。髪の毛薄いのにどうしてそんなしょっちゅう床屋に行く必要があるんだよ。)

「失礼こいちゃうやあ。髭は伸びるだで髭あたりに行くだよ。」

  (失敬だなあ君は。髭は伸びるんだから髭剃りに行くんだよ。)

「んなの自分でやれんだけえ。」

  (それくらい自分で剃れないの?)

「プロがやるのは違うだよ。」

「たださぼりい行きたいだけだら。」

  (単にさぼる口実じゃないの?)

注、最後の文は直訳すると「たださぼりに行きたいだけだろう」とするのが正しい。

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三国志 第6話

 曹操の怒り狂った様が迫力あったな。盃を叩きつける勢いは凄まじかった。

できれば敗北の様も提示して欲しかったよな気がする。その方がこうであればこうだったのにという足りないものが分かってきてそれがままならず如何に鬱憤が溜まったのかがより理解できるところ。

もっとも野心ありきで追撃戦に討って出たという目線で見るとするならば敗北を袁紹達のせいにするというのはご無体な仕打ちと取れなくもないが。

でもあの憤怒の光景だけ見たら真に漢の為と映るよな。一体どっちなんでしょね。

どっちといえば孫堅に玉璽の事を問うた事。あれは災いを招くから手放した方がよいというのは本心だったのかな曹操は。以降においても欲しがった風であったという感じはしないから本心の忠告だったんだろうか。まさか俺によこせという事ではないだろうな。

で、孫堅。劉表の行動全てが蔡瑁が提案した策に則ってであったとするならば、これは綿密な策謀だよなあ。あれじゃあ騙されるわなあとえらく説得力を感じました。

もっともこがいな事されたら恩讐は凄まじいものになるのは必至でありましょうが。

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萌え

テレビを視ていたらバラエティ番組でアナウンサーさんが「萌え」を発せられておられた。で、違和感を覚えた。

その言葉を発すること自体に対して「あれま」という事ではなくて

「もえ」と発音されていた事に違和感を感じた。

おそらく「萌え」は

「もええ」と発するのが正しく?伝わるのではなかろうかと。もしくは「もえ~」と伸ばすか。

耳で聞く限りでは「もえ」だと「燃え」と混同しやすいというのもあろうかな。

それと、「もえますね」ではなく「もええとなりますね」という使い方ではなかろうか。

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Dr. 伊良部一郎 3話まで

 初回観た時はなんじゃこりゃと思ったんですけど、大分こちらが馴れて来たのかどうかは定かに非ずでがんすがなんやら面白く感じて参りおり候。

患者さんによるのかな、このぶっ飛び具合についていけるものとついていけないものがある差は。まあどれも怖ろしく誇張された病状を抱えている患者さんばかりだけど。

でも第3話は自分にもあてはまらなくもないという部分もあって、面白し。

今回の患者さんは潮時を間違える人間の悲哀が描かれていてサビだったなあ。しかも露骨に。サビはわびさびのサビでもあるし錆びるのサビでもあらん哉。

「いつまでも若い気でいる」というか「しがみついてる」。若さに限らず体力や容姿というものは留まる事さえ難しいのにこの回の患者さんは逆行しようとすることにていとあはれ。

前は出来たのに今は出来ないというこんな筈じゃないという意識との葛藤は自分にも共通するところである哉。

存外他人の冷静な目は適格であるのだけど、それを受諾することは負けを認めるようなものという意識。人に言われたかないというのは誰しも同じ。

その患者さんの治療法は自己申告を自身で行わさせるというもの。それに至る道筋はハチャメチャ過ぎてついていけませんが、でも正論だったなあ。

「ふっきれる」ということが肝要なんだろうけど、なかなかに難しいよなあ。いづれにせよ若作りは罪という事は言えるようだ。重罪か軽犯罪かは人に因るだろうけど。年相応というのが心を穏やかにするためには大事だという事はようく伝わった。

このドラマ面白く感じてきたとは申せあくまで他人の不幸を笑うみたいな要素の方が多く自分だったらこの先生に絶対診てもらいたいとは思わない事には変わりは無い。最終回までにはこの思いが変わればその時点でこれはいいドラマだったと言えるであろうか。まあ無さそうな気はするが。

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*「なに」の種類

「なに?」という言い方の遠州で使われてる種類を挙げ連ねてみる。ある意味お遊び。もちろんこれが全部ではないし「なん」表現は外した。というよりあまり使わない傾向に遠州弁はあるやも。

*「なにや」。

ニュアンスとしては「え?なんだって」が近いか。

例「あ~?なにや。わしに文句あるっつうだか。」

*「なにゑ」。

「ゑ」は「YE」。言ってる事が理解できないからもう一度というニュアンス。

例「なにゑ。まあ一遍ゆってやあ。聞こえなんだで。」(はあ?聞こえないでもう一度言って。)

*「なにをぅ」。

なんだと?という勢い。共通語だろうな。

*「なにい」。

「なんだよ一体」という訳が分からんというニュアンスと「なんか用?」と煩わしそうに言うニュアンスの二通りが考えられる。イントネーションの違いで使い分けられている。

例「なにい、わしんどうかしただ?」(なんだよ俺がどうかしたって?)

*「なにか」。

「それがなにか」となんか文句ある?と開き直ってる勢い。まあ共通語だろうな。

*「なによ」。

例「それんなによ。なんか文句あるだか?」(だからなに?なにか文句でも?)

*「なによう」。女性が発すると「なにや」とほぼ同じ意味合い。男が発すると「それがどうかしたのか」というニュアンスになることがある。

例「それんなによを。いいじゃん別にい。」(だからなんだって言うのさ関係ないでしょ。)

*「なにょう」。

「なんだと」と言っている。

例「おんしゃなにょう寝言こいてるだあ。」(お前はなに訳分からない事ぬかしてるんだ。)

*「なにかや」。

どうかしたのか?高年齢の人が使う事が多い。野次馬的好奇心で聞いてきてると思われたりもする距離を置いた介入の際に発せられることが多い。

例「わしんやっただけどそれんなにかや。」

*「なにがだ」。

それがどうしたというのだ。

*「なにしたよう」。

「なにをしたんだ」と言っているのであるが「なにした?」という言い方よりも「よう」を付ける事が多い。

遠州では使わないのは

「なんや」・「なん」・「なんぞな」など。「なんだと?」という言い方は遠州人はあまり発しないように思える。

その理由はなんとなく仰々しいというか事を大事にするみたいな印象に感じられるからであろうか。「なん」という言い回しは「なんだよ」とか「なんだあ」という表現は存在してるようにまったくしない訳ではないがあまりしない(控えめ)方向性があるかもという考えが成り立たつかもしれない。

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スクール!! その5

 この回は諸々と強引過ぎた感が否めない哉。

まあ、まずは走る。終わってから考える。というのですからさあもありなんなのかもしれませんが。

そんなこといいなできたらいいなを地で行く校長先生(江口さん)だけれども、頭動かすより体動かす方が気が紛れるし邪念も忘れられるというのも確かにそうだろうけど、でもあれで職場復帰しようと思い立つ精神的動機の再構築に貢献できたというのは微妙な納得感でありんした。

なんの要素が足りないのかは思いつきませんが、一度折れた(逃げた)心を再び繋ぎ合わせるのはそんな簡単じゃないというのが自分の経験上の結論なので、これしきの事で戻るかやという醒めた思いがあるからなのかもしれませんがなんか足りないぞと。気力の湧き出る泉の源は好きと根性だけじゃないですからねえ。

でもまあとにかく戻ったということではありましたが、しかしまだ生徒達と遭遇していないのでこれで万事めでたしという風に確定したわけじゃないだろうから来週どうなるかですかね興味が湧くのは。子供達はどう対応するんだろ。

無邪気な善意が不登校の教師を救ったとするにはまだ終わってない風に思えるところではありますな。終わってないということであれば校長はまだ考えていないという事になる訳で、本当に落着した時校長はこの一件から何を考えるんだろう。

詰まる所この回はよく分からなかったという事ですわいな。

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江 なんとなくの1

 このドラマに限らず、大河ドラマって空想歴史ドラマなんだなと今更ながらに気が付いた。脚色ありきで楽しむもので大河ドラマから史実を知ろうなんて思ったらちょっと痛いかもしれないと思える。

そういう意味では歴史上実在はしているが空白(記録が少ない)な部分に占められている人物に自由闊達に標的の時代を闊歩させることができるということではこの「江」という存在はうってつけだろうな。

そうは思えるけれど明智勢に捕獲されてかくたりというくだりは「おいたが過ぎる」にも程があり過ぎるよなあ。

伊賀越えにしたって家康ですら這う這うの体だったくらい艱難だった筈だろうし。姫様連れてなんて無茶もいいとこのようなインパクトを感じたなや。

信長の時もそうだったけど死す直前に姫の事が想い出されるというのもインパクトというか物語の展開上ナイスだけどホンマかいなと。

天衣無縫なのは江だけじゃなくて脚本書いてる人にも言えそうな感じがするな。今回は特にそう思える。もっとも毎年かかさず大河ドラマ観てる訳じゃないからこうだと言い切れる根拠はないが。

ま、面白けりゃいいのだろうけど。時代考証ってなにを考証なさっておれるんでしょ。でもまあ面白いことは確かだけど。

それについても生まれついてのお姫様って感じがよく出てるよなあ。高貴という感じはしないけど身分の違いというのが。久しぶりにそう感じた気がする。

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*やっがんこじゃん

「やっがんこじゃん」。「がんこ」は「頑固」であろう。

意味は「わっ、こりゃあ相当~だな」。

基本的にはこれでひとつの塊でありこれに付け加えられる言葉は「なんだよ」とか「え~」とかいった感嘆の言葉くらいであろうか。

「やっなんだよをがんこじゃん」。

似たような表現で「やっ随分じゃん」というのがあるがこれとの違いは思ってた以上の度合いの違いである。

「やっ頑固じゃんこの散らかしようわあ。」

「やっ随分じゃんこの散らかしようわあ。」

とでは凄まじいと凄いという表現の違いみたいなものであろうか。

この場合には「頑固」だともう呆れる勢いで「随分」だとなんとかしろと憤ってる勢いがニュアンスとして含まれてもいる。

蛇足だが、他には「随分」には「なんてことしてくれたんだ」とか「ひどいじゃないか」とかいう意味合いで使われる事もあり、この場合での訳は「なんだよひどいじゃないかこの散らかり具合は」とかになる。

ちなみに「いやいやそれはそれは凄いんだから」と言いたい場合は

「あれえあんたホントがんこだにい」などとなる。

例文

「やっがんこじゃん。なにこれ?」

  (うわあこれはひどい。どういうこと?)

「見りゃ分かるらあ。」

「じゃなくてなんでこうなるよを。」

「しらすけえ。気が付いたらこうなってただで。」

  (知らないよ。気づいたらこうなっていたんだから。)

「あんた散らかいただら?知らん訳ないらあ。」

  (あなたが散らかしたんでしょ。知らない筈ないでしょう。)

「それどころじゃなかっただよ。」

「なにがあ。」

「忙しかったのっ。」

「言い訳んならん!」

  (言い訳になってない。)

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