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ひとりじゃない その6

 最終回。ひねくれた言い方をすれば、昔よく視させられた差別問題撲滅のビデオと同型の皆障害を乗り越えて明るい未来を予感させるドラマと言えなくもなし。

ただし完全に同型ではなく、その違いは当初凄い毒を吐いていた事と役者さんが実際に競技を行っているというところ。

自暴自棄の辺りを彷徨っていた頃の毒の吐き方がインパクトあったなあ。そこからの事を考えると別人28号のようであった。

役作りという点においては役者力を感じたパワーのあるものだった。体の動かない苦しみが見事に演じられてたし、ゲームの模様が今回主だったけれど実際感がよく出てたよなあ。

見せ方も巧くて、このスポーツ自体面白そうで障害者だけが行えるスポーツじゃ勿体ない様な気分にすらなってしまった。

許し合う心の源はどこから湧いてくるのか。ある人は自分ある人は他人とそれぞれだけど。そういう事が描かれていたのであろうけどそれぞれに生まれている事情の蓄積は六話程では語れないから正直答えが見つかったという気にはなりづらいところ哉。

別世界に投げ出されたとしても必ずその世界には人がいる。その世界で懸命になればひとりになることはないという側面も謳われてるのかな。そして星の数ほど世界はある。絶望する理由は存外無いということでもあろうかな。

まあとにかく面白いドラマでありました。唯一気になったのはなんでこいつこんなモテるんだ?という気分が抜けぬところ。

ところで東俳のCm「芸能界 真剣に考えるなら 劇団東俳」というのは実際こうしてドラマにおいて示しているのだから説得力あるよなあ。親からしたらここなら安心って気にさせるもの。

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バーテンダー その2

 この主人公の明るさ(能天気さ)がややもすると勝った負けたの殺伐とした空気感になりがちなところを救ってくれるので有り難いよなあ。できればもっと立ち直りの素早い人ならよりいいのにな。

対峙の構図が明確で観易いところであるけれど退治の結末ではなく切磋琢磨の構図だったらいいのになあと思えるけれどどうなんでしょうね。

天秤に掛けて勝ち残りを争うという図式は蹴落としみたいでちとつらいから。

それにしてもしほりん、めがねっ娘もう止めちゃったんかな。残念。仕事してる時くらいはめがねかけて欲しい気がする。

今回は「もっ」というセリフがおつだったな。なんだよついでかよと言ってる訳ですが、「も?」じゃ露骨過ぎるし「も」じゃ落胆度合いが強まり過ぎるし。その中間な言い回しがおつでした。

それにしても第2話で早くも恋する乙女モード全開っぽかったな。バーテンダーはお客の心を読み取る達人でもありそうだから気付かぬ筈もなかろうて。今後は知っているのに知らぬ振りを決め込むのかそれともこれに関しては何故かいけずで気づかないのかどっちなんでしょうね。

当然ドラマ的には肝心なとこは抜けてる主人公という方が愛嬌があって好感が持てるところでありますしそういうパターンがお決まりでもありますが。

ともかくこのドラマはお客の心を如何に温めるかという安らぎのサービスという事と勝負を通じて高みに上るという事の二本立てで話が進むように思えました。つまりこの二人の間に進展はなくずうっとこのままの関係が続くんだろうなと。

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*あおむけ

「仰向き」。上の方を向くということ。「あおむき」というよりも「あおむけ」という言い方をする方が多い。遠州弁では普通には「あおむけんなる」で仰向けで寝る(横たわる)という状態を指す。

従って「あおむけ」の逆は「うつぶせ」で「うつぶせんなる」ということになる。

「仰向きになる」とかは共通語であろう筈でそれが「あおむき」じゃなく「あおむけ」と言う事が多い程度のことは方言の部類に入るものではなかろうと思われるが一応こういう傾向は地方性があるかなと思って記載。

このほかにも遠州に於いては集落によって言い方が異なっている。

たとえば「ああむけ」・「あおのけ」・「ああのけ」とかが主に使われる集落があるそうな。これが遠州弁特有の表現なのかは定かではない。

そこでネット辞書で調べてみると「あおむく」(仰向く・あおむけるの文語形)・「あおのく」(仰のく・あおのけるの文語形)と記載されている。「あおむけ」・「あおのけ」もネット辞書に記載があった。なので方言といえるのは

「ああむく」と「ああのく」といった「あお」(仰)が「ああ」もしくは「あ~」となった場合であろうか。

つまり「のく」・「むく」はどちらを使っても(なんで「向く」が「のく」になるのかは知らないが)共通語の範疇で「あお」を「ああ」と発する部分が方言的ということになるのであろう。

ちなみに私が育った集落では「あおむけ」であり「ああ」・「あ~」とは発しなかった。

例文(注、下ネタの下品な例文ですのでそういうのがお嫌いな方はパスしてください)

「○○さんお入りください。」

「お願いします。」

「どうしたでえ。」

  (どうされましたか。)

「朝からどうにも下腹が痛くて。」

「そりゃかんねえ。ほいじゃ診てみるでそこんさあああむけなってみてやあ。痛くてああむけんくなってるならうつ伏せでもいいだけえが。」

  (それはいけませんねえ。それでは診察しますのでそこに仰向けになって寝てください。仰向けだと痛くて堪らないという事であればうつ伏せでも構いませんが。)

「あのう・・先生私お腹痛いんですけど。」

「さっき聞いたにい。」

  (さきほど伺いましたよ。)

「それに、なんというか私包茎とかじゃないんで・・・・。嗚呼剥けんとかで痛いという事ではないんですけど。」

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LADY・最後の犯罪プロファイル その6

 まずもってこの回はひらっちの回だったな。

絶賛嫉妬中から始まって引きこもり中。で、最後は軟禁中に説得中。

なかなかに面白かった。無意味に張り合ったり依怙地になったり真面目になったりへたれになったり真剣になったり落ち込んだり覚悟を決めたりおちゃらけで誤魔化そうとしたりと色んな状態を演じておられた。起伏に富んでたな。

茶化されて(いじられて)る姿が一番似合ってると思えるのはSGでの印象に引きずられてるせいかもだけど、やっぱひらっちらしいしなかなかそれが悲壮感なく似合う役者さんもそうはいないから見応えある哉。

数字で人は計れない。そこからこの回で脱却したのかな。成長の記ということか。

でも初恋のお相手が北川景子似の大人しい女性というのは、意味深ではありますなあ。初恋の面影を香月(北川さん)に乗せているとしたら恋心はマジっぽいし。

に、してはけんもほろろに冗談として笑いのネタにされてましたなあ。すげえ傷つくと思えるけどどうなんでしょね。拳銃で撃たれた傷よりも深かったりなんかして。

あれは実は寺田(要さん)が思い描いただけの幻影であるとかギャグとして北川さんが演じたら面白いだろうなというドラマ的受け狙いであるという考え方も出来なくはないか。

なんか本筋とは関係のないところで盛り上がってしまったけどこういう愉しみ方したっていいじゃないかと開き直ってよしとしよう。

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太平洋の奇跡

 再び寒さ戻りて雨も降りてとちんとてなんやらなな絶好の映画日和なりやとて(つまりそんな混まないだろうと踏んだということですわ。)

大分前から愉しみにしてただけに居ても立っても居られず初日にも関わらず観に行っっちゃいましたよ「太平洋の奇跡」。余り混んでいなかったから自分のペースでじっくり観れた。

タイトル名でフォックスが云々は日本人には関係ない事なので省いちゃいます独善で。

観る前に思った事とは以下の通り

この話は真実から興された物語であるという説得力の強さ。

人の命を守る為にこんな苦労と苦悩を重ねなければならないのだから戦争は絶対にやっちゃいかんという想いを強くさせてくれるのではないか。

軍人の本分を全うした人とはどういう人なのだろう。

Cmでやっていた歩兵の本領を歌いつつ行進するシーンを是が非でも観たかった。

で、実際観た感想はというと・・・・以下はネタバレの可能性大なのでそういうのは御免こうむるという方は読まぬが宜しいかと。それに一度しか観ていないのでぼんくらで頓珍漢な感想に終始してますしね。

続きを読む "太平洋の奇跡"

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外交官・黒田康作 その5

 なんか色々とそれぞれが繋がっているようで。それでいてその繋がりが明確になっていないという奥行の深い因縁を如何に紐解いていくかというなんでしょうねおそらく。

すんげえヤマ勘でいうならば、課長(岩松さん)はぐるだな。霜村(香川さん)と。薬害訴訟に関する名もなき者達の一員なんじゃないのか課長はって思えちゃいました。

復讐と言っていたからそれに協力しての事だろうて。そう考えれば殺人事件もほじくり出すなとに大垣(柴咲さん)に茶茶入れたのもむべなるかなですがね。

あくまで妄想であって予想ではありませんのであしからず。

それにしても霜村関連は置いといて穏やかならぬローマの休日ならぬ東京の休日。後先考えてないんじゃないのかと思える程に無茶するお方ですなあ黒田(織田さん)は。

寄らば大樹の陰を旨とする一般的日本人とはかけ離れた行動力と決断力で斬新ですわなあ。織田さんがこのキャラに惚れたというのもなんとはなしに分かる気がしますわ。こんなキャラ滅多に出会えないだろうから映画一本じゃもったいないというのはなるほどなと。

ある意味日本人離れしたなにしでかすか分からないというか予想を覆す判断と駆動力で物事を好転させてく様は爽快でもある哉。

そういう意味では霜村関連一辺倒の展開であって欲しくないような専念してもらって早く全貌が観たいような複雑な気分。

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*砂丘

近年中田島砂丘がしぼんでる。

ウミガメの産卵場所の砂が波にさらわれてしまうということでそれを防ぐために草を植えてるという運動がなされてるそうな。そうテレビで紹介されてた。

テレビといえばこのあいだテレビで鳥取砂丘の保全で過去草が生い茂り砂丘の危機を迎えたという経緯が語られていた。具体的にそれをどう克服したのかまでは報じられていなかったけれど努力の甲斐あって砂の世界に戻りつつあるということが報じられていた。

なんか中田島砂丘の保全の取り組みとはずいぶん異なるものだなあと思えた。片や草を植え片や草を抜く。

おそらくは症状が異なるからであってどっちかが正しくてどっちかが間違ってるとかいう事ではないのであろうがそれにしても随分と違うもんだと。

自分が小さい頃は塩害と砂が舞う被害とでとにかく防風林としての松を如何に増やすかという事がことにかまびすしく言われてたような記憶がある。

最近の砂は水気を帯びている風に感じられるが幼い頃の想い出ではサラサラだった気がする。波打ち際に辿り着くまで何度靴を脱いで砂を出した事か。最後にはめんどくさくなって裸足で歩いたりもしたっけな。それが大人になって体重も増えてるからもっと沈み込んでもいい筈なのに今は注意して進めば嫌になるほど靴脱いで砂を出さずとも波打ち際に辿り着ける。それだけ湿気ている砂になっているのであろうか。

昔は渇いた環境だったから草木も生えないところであったが唯一潮風にも強い松が防風林として棲息できるのだから大切にしなくてはと学校で教わった記憶がある。

だった筈だけど今は地道にタネを蒔けば草が生える土壌にあるということか草が生えることが出来るというのは。

勝手な憶測ですけど単に砂が減ってきているというだけじゃないのかもな中田島砂丘は。

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告発・国選弁護人 その5

 迫力ある劇場的な法廷シーンであった哉。動作は静なのに発せられる言葉からは動を感じる。それも結構激しいと感じる。

見応えありますわ。なおかつ緊張感を持続して観続けられるというのは役者力によるものなのかな。

なにしろ展開だけ追うと両方を殺したとそこらはっちょうから叩かれ孤立無援な容疑者が実は無罪だったとかいう胸のすくような逆転劇というものではなく不幸な生い立ちで生き不幸な事故で我が子を亡くしそうしたことが重なって心が病んでしまった中で他人の子を殺害してしまったというどよよんとしたもので。どこに救いがあるのだろうとすぐには思い浮かばない暗い話しなのに。

基本暗い話は好きではない私が、つい引き込まれるというのは尋常じゃない事である。

一番恨まれている消しゴム投げつけた女の子の殺害については存外あっさり味で綴られていたけど、その分なんでこうなったのかの探求に多くが語られていたようだ。

罪は罪として依頼人に有利に働きかけるという取り繕うようなことはせず、心の救済を主眼に置いての行動という事なんでしょうかねえ。

その後マスコミがこれをどう取り上げたのかを知りたかったな。相変わらず興味本位のままであったとしたら「バカヤロー」という口癖を発して欲しかったな。必ずしも世論=報道=事実とは限らないというのを宣して欲しかったな。まあ無理でしょうけど。

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寒い

 しっかしまあどっさぶい。凛とした寒さはお社とかの神聖な場所でこそ味わうべきもので自宅の自分の部屋の中で味わっても心が引き締まるとか荘厳な気分になぞなろうはずもない。

寝るが一番と布団の中に逃げ込んでも足がつべたくて寝れもせず。ならばと起きて座し胡坐をかいて足をぬくとめても今度は背中から冷気が襲ってくる。

夏場は熱中症でこりゃ逝くなとすら思ったのに。まあものの見事に今度はどつべたい。気を抜いたら風邪引くなこりゃと思ってたら、次の日案の定風邪引いた。

普段かまびすしくテレビとかが異常気象と煽り立てどうなる地球とか騒がないのが不思議なくらいいつもと違う感じがより増して感じる今年。本当に大変でどうしようもないようなことは粛々と進んでいくということなのか。

それとも齢重ねて体が対応出来なくなったという歳のせいなのか。まあじじいと呼ばれる年齢にはまだ達していないだろうからただ単に運動しなくて体力が落ちたということなんだろうかな。

他に風邪引いた理由を考えてみると、ドラマが全て終了して愉しみが極端に減って寒さばかりが感じられるというせいでもあろうかな。

ということをアップはしなかったけど12月に書いた。ほんの一時のことだろうとたかをくくっていたからであるが。

しかし

如月に入りて寒風緩むも尚

思い出したかのようにぴいぷう吹きたりて肌寒し

少し緩んだかと思えばまたぶり返しで寒いったらありゃしない。

それに追い打ちをかけるかのように1月に入ってドラマが始まってもいまいち面白いものが少ない。

身も心もまだまだお寒い限りで。はよ春よ来い。

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*せよう

例えば「突入せよ」。これが遠州弁だと「突入せよう」となったりもする。

「せよう」を訳さば「しろよ」辺りであろうか。

「せ」においては、「する」というよりも「せる」、「しなかった」というよりも「せなんだ」という事が遠州弁らしくなるものであることから遠州弁は「す」よりも「せ」が基本とも考えられる。

共通語の「しろ」。遠州弁だと「せろ」となる理屈となる。「しい」・「せい」・「せえ」という形にはならない。「そうしろ」・「そうせろ」は使うが「そうしいや」・「そうせい」・「そうせえ」という言い方は殆どしないということである。

「よ」については、「よ」よりも「よう」。この「う」が付く事が多少なりとも遠州弁っぽいかなと思え記載。

共通語だと「しよう」で「突入しよう」と促すというか同意を求める感じでこれは遠州でも同じあるが、遠州弁では「せよう」となると命令的で「しよう」とは大きく意味が異なる。

遠州弁では「しよ」という命令表現もあるが普通は「せよ」であり、「せよ」だときついから「せよう」とすることが多い。

例文

「おいぃ。ちゃっちゃと支度して家出んと間に合わんくなるにい。はよせよう。」

  (なにやってんの。ぱっぱと支度して出発しないと間に合わなくなるよ。早くしなさい。)

「ふんなこんゆったって持ってかにゃかんのありゃせんだもんで探すしかありもしん。」

  (そんなこといっても持っていかなきゃいけないのが無いんだから探すしかないでしょうが。)

「それんないとかんだか。」

  (それがないと駄目なの?)

「だよを。行っても意味なさんだもん。」

  (もちろん。それがないと行く意味がないもの。)

「なに探いてるよう。」

  (何を探してんのさ。)

「眼鏡。」

「あんたねえ、あんたきんのうメガネうざったいつってコンタクトにしたじゃないの。」

  (あのねえ。昨日あんた眼鏡はうざいからってコンタクトにしたんでしょう。)

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温まると暖まる

「あたたまる」は「温まる」で「あったまる」だと「暖まる」と漢字を当てれば個人的には納得するな。もちろんこんな解釈は正しい日本語ではないだろうけど。

遠州弁だと「ぬくとまる」で「温とまる」という表現がある。だからなんだという話しでもないのだが。

暴走ついでに勝手な解釈を膨らませると普通の感覚だと温度の違いというか熱さでいえば温い<暖かいというものであろうが

「温まる」は体の内側とか内面的なものがあたたかくなる勢いに感じられ

「暖まる」は暖炉や陽だまりから与えられる外からあたためられたあたたかさという勢いに感じられる。

故に、あたたかい飲み物であたたまるとしたらそれは体の中からということで「温まる」という字が相応しく感じられる。

猫が膝の上に乗ってきて腿の部分があたたまったとしたらそれは「暖まった」が相応しい感じがするのである。細かく言えば「猫の温もりで暖まった」と言うべきであろうが。

寒い日に自販機で缶コーヒー買って飲まずにカイロ代わりにして暖をとればそれは「感コーヒーで暖まった」でそれを飲んで生き返ったような感じになれば「缶コーヒーで温まった」ということになるのではと。

暖房器具にしても「温風」とするより「暖風」とした方があったかい感じがするよな。

ところで励ましや声援の場合はどっちなんだろう。

勝手な解釈での屁理屈でいくと「暖かい声援」とするべきか?いやさ心の中がなんだから「温かい声援」とすべきだろうなのか?

ん~これに関しては正直判断がつかない。

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*さがしまあった

「探し回った」と書くと何の変哲もない共通語であるのだが。

これが遠州弁になるとイントネーションは「が」と「まあ」を強くして

まあった

となる。

ほんで、そのニュアンスは「えらいおうじょうこいた」。随分と骨が折れたと言っている。

このあとによく続く言葉としては「いやんなっちゃうやあ」・「やっきりこいちゃう」とかが頻度が高い。

苦労したんだからねという事を伝えているのが「さがしまあった」である。多分に必死感も篭もるものであり、好き好んで探してた訳じゃないという事や余計(余分)な事をしてしまったといったといった要素も含まれるものである。

これが「まあった」ではなく「まわった」となると何故かこういったニュアンスにもイントネーションにもならず共通語の通りの意味で「随分と探した」というものになる。

大分外れるが奔走というニュアンスであるならば「はしくりまわった」を使う事が多い。共通語だと「駆けずり回った」であろうか。

例文

「新聞読ますかと思ったら眼鏡んなんくてさがしまあっちまってえ。朝っぱらからばかこいた。」

  (新聞を読もうかと思ったら眼鏡がなくてそこらじゅう探し回っちゃったよ。朝から余計な体力使っちゃったよ。)

「で、めっかっただ?老眼鏡。」

「乱視っ。人聞きの悪いこんゆっちゃかん。そんなまだ目えちょんになっちゃいんでねえ。」

注、「ちょん」というのは目が悪くなったということ。

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CONTROL 犯罪心理捜査 その5

 推理ゲームとしていやさこれまたいと面白し。 

何らかのトラブルが二回目の殺人において起きたのだという意識に凝り固まっていたので、交換殺人がダブルとは限らないというのは盲点で見事に騙されて観てました。

それに今一つ、指南役は高みの見物してるに相違ないという意識も凝り固まっていたのであの人が捕まる事はないんだろうなと思ってた。

なのでトリプルであるというのは言われてみればダブルでなきゃいけない理由もないし、襲いに行ったら死んでたという事象も印象としてのアリバイ作りとしては最強に近い心象を与えるものな。発想の転換の妙を愉しみました。

笑えたのはプリンを選んでる時に全てが見えたという事。こういうとこが明るく観られる要素である哉。

で、ゲームとしての謎解明はかくも新鮮というか斬新というか観た事ないというか。堪能したなあ。

しかして殺しはしていないにしても供述で他人の家に不法に侵入したのはそれで罪だろうに。なんで釈放されるんだ?という無粋な疑問は残るよな。

後は前の殺人をどう立証していくんだろ。凶器は既に処分されていたりとかそれぞれの接点を如何に証明するというんだろうと。ネットで知り合ったにしてもなんか調べてもお手上げで元まで糾せなかったみたいだし。知らぬ存ぜぬで通されたら果たして立件できるのかななどとしょ~もない無粋な事思っちゃいました。

主犯さんは二度目ということで慢心があったのかしらむ。教授(藤木さん)に挑戦状叩きつけるなんて。叩きつけさえしなければ成功してたかに思えちゃいました。関連性が皆無でしょうからねえ。動機も違えば殺人手段も違うだろうし。共通性は見いだせなさそうだし。剣呑剣呑。

まあ金が尽きたら絶対ばれないんだからその都度またやりゃいいんだと思っていそうではありますが、別の考えではリスクが増えるのを承知してまで教授に勝とうという昔年の怨念が相当だったんだろうなとも思える次第。

教訓を見い出すとしたら「僻み根性は身を滅ぼす」ということか。

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*「きにしい」の「しい」

「心配しい」(余分に心配する人)・「気にしい」(気にする人)・「疑いしい」だと「疑い深い」など。

「気にしい」の別の言い方では「気い遣い」というのがよく用いられる。

ぶっちゃけて訳せば「屋さん」もしくは「性」。

「心配しい」→「心配屋」・「心配性」

「気にしい」→「気にしすぎ屋」・「気にし過ぎ性」それか「考え屋」・「考え性」

感覚的に訳すと「そういう性分な人」。

まあ広い地域で使われてる言い回しで遠州弁という事ではないのだが、遠州でも使うよということで記載。

「きにしい」のニュアンスとしては「取り越し苦労をする人」つまり「過敏過ぎる」ことを遠まわしに諌めてる感じであろうか。

例文

「まあちっと遊んできまい。」

「でもなあ、うちの親心配しいだもんで帰るっつった時間に帰らんと後でめんどくさいだよ。」

「じゃいいじゃん連絡しときゃあ。遅れるでねっつやあいいだら?それで。」

「そんな簡単にゃいかんだよ。」

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三国志 第5話

劉備達三兄弟がひたすらかっこよかったな。

それにしても呂布との戦いのシーン。

馬に乗ってるだか降りてるだかよう分からんかったな。舞うようにして闘うという「舞闘」とかいうのを表現するとこうなるというのかしらむ。

アクロバティックと呼べば聞こえはいいけど。正直見づらかったな。

三対一は卑怯なりとかにはならないのかとつい思っちゃいましたが、呂布がひとりで十分と言った手前文句言えないという事なんだろうな。

それにしても呂布。大層若いよな。

大層といえば曹操は劉備をえらく買ってたなあ。

劉備達はこれで離脱が完了したということになるんだろうかな。追っかけたとこで切れちゃったけど。よくやったと再び迎い入れられたりとかはなかったんだろうかな。

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*「よう」と「よを」と「よお」と「よ~」

これまではすべて「よを」と表記してきたところであるが。

使いどころにしてもニュアンスにしても異なるところでありきちんと区別した方がいいと思い直しこれよりは使い分けをして表記していくこととしよう。

とりあえず大まかに分けると二種類が考え付く

「どうするよう」(どうするのさ)

「するだよを、するに決まってるじゃん」(するでしょ普通。するに決まってるでしょうに)

相手に対して覗っている際に使われるのが「よう」で指示・強い要請をする際に使われるのが「よを」。

「よ」に「う」を足すことによって意を強める効果が得られるようだ。イントネーションは平坦。

同じように「よ」に「を」足せば指示の強さを表わせる効果があるようだ。イントネーションは語尾が上がる。

紛らわしいかもしれないが、「そうだよう」だと「その通りだ」というニュアンスになり「そうだよを」だと「当然そうだ」というニュアンスになる。

「そうだよう。普通行くら」(そうだよな普通なら行くでしょうに)

「そうだよを。行かんでどうするよ」(当たり前でしょ行かなくてどうするの)

「よお」と「よ~」にいては

「どうするのこれ。要らんの?」

「要るよお。捨てんで。」

といった風に気の抜けたような心ここにあらずな印象を与えるものである。俗にいう「舐めた物言い」という奴であろうか。これは遠州弁でもなんでもないので殆ど紹介する事はないと思う。

尚、以前に書いた記事を書き換えるのが最良であろうが、なにせ数が多いので直さずそのままにしときます。ホームページの方については気付いたとこは随時換えていきますがたぶん行き届かない事のみぞ多かりきだらなあ、めんどくさがりだでわし。

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スクール!! その4

 「教師の不登校ってなんなんだよ~。」というセリフの言い方が悦。

途中思った事はどんな職業に於いても一度逃げ出したらお終いなんだよな。心が折れるというか。だからそうなったら別の人生歩んでもらうのも恩情じゃないのかと。

なのでなんで校長(江口さん)がこんなに復活を待つのか不思議と思って観てました。この決着は次週ということで早く続きを観たいな。

それにしてもこのドラマは心に響くセリフがホント多いよな。毎回必ずセリフをスケッチしてしまう。

「教師も児童も家族。」。児童はお客様で教師はサービス業みたいな構図に喝を入れてる風でもあるし心意気が粋に感じられる。

「喧嘩の負けってどうなると負けなの?」

「参ったと言う事。」

「じゃ、参ったと言わなければいいんだ。」。これは効いたなあ。言わないために起こり得る屈服感や屈辱感みたいなものを味わう惨めさと戦わなければいけないのは相当大変だけど、でも勇気が湧く言葉だ。

ある意味逃げても別にいいじゃないかという理屈が通る。負けない事の幅が広がるようで勝つだけが負けにならない手段じゃないって考えれば望みが湧いてくる。

「悪意は人を蝕む。だけど最後の最後に人を追い込むのは無知で無邪気な善意が引導を渡すんだ。」みたいなセリフ。(発したセリフのままではないのでようなとしました。)

こないだ観たドラマでの「知らない事は罪」というものと根っこが同じであろう無意識の悪意なのかな。

一理あるだろうしそうとも言い切れない気もするし。

別の他のドラマではまったくの通りすがりの人間から勇気を貰うという展開のドラマも観たな。知らないからこそ真理を突くという事もありそうだ。

こちらも一理あるだろうしそんな事滅多になんかないという気もするし。

まあケースバイケースということなんでしょうかね。でも、知った上での善意が一番いいのは頭では分かっても家族でもない限り人の心の扉は開いてくれないものだろうから知る由もないというのが現実でしょう。理解した上での善意というのは理想論という気もするところです。

言い返せないでこの回終わったけれどこのドラマに於いてはその無邪気な善意が最後立ち直る糧となることでしょうからそれがどのようになのかは来週のお愉しみということで。

このドラマのいいところってのは、非常に真摯で現実の困難に立ち向かってるのですが、かといってどよよんとした重たい空気感になっていないとこがいいな。

その理由として考えられるのが、まず校長先生の超前向きな姿勢。あからさまな敵が存在していないこと。そしてなにより明るい家族。

この回で特に印象に残ったのは手抜きの夕食のカップラーメン食べながらの転職に悩む妹につっこみ入れる姉というシーン。その時の姉妹の言葉のキャッチボールが一番だったな。あのスピード感と落とし方は見直しても顔がにやけてしまうという芸の領域に思えた。

明るく楽しく真剣にというこの三拍子が揃っているということであろうな。

一つ気になったどうでもいい事は警察の玄関付近で殴り合いやって掴み合いの怒鳴り声上げたりなんかしたら警察の人がすっとんできそうに思えるけど来なかったのは何故なんだろう。

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*んくて

例えば「感じんくて」。

「麻酔効いてるだか何も感じんくて手先の感覚が掴めん。」

  (麻酔が効いているのか何も感じなくて手先の感覚が掴めない。)

「ん」=「な」というのではくて「んくて」=「なくて」という考え方の方がスムーズに思える。

「ん」だけならば「ない」とするところで「んくて」→「ないくて」→「なくて」という流れに感じられる。「ん」=「ぬ」なら「んくて」→「ぬくて」→「ないくて」→「なくて」であろうか。

極稀に「感じくて」と「ん」をも省く「感じくて」といった言い方をする使い手もいるらしいが上記の屁理屈とは相いれないところである。「そうじゃなくて」を「違くて」というのと同じ理屈によるものなのだろうか。「やらんくて」を「やらくて」と言ったりするのかな。

自分は使わないのでよく分からない。だからといって存在しているものをおかしいと否定する気はさらさらない。だってあるもんはあるだもんでねえ。

まあ横道はこの辺にしといて「んくて」。

「やらんくて」(やらなくて)・「しんくて」(しなくて)・「ならんくて」(ならなくて)と大抵のものに付く。

「なくて」以外にも「ないで」という訳でもはまる。

「振り返りもしないで」→「振り返りもしんくて」

もっとも細かくいえば「しんくて」ではなくて「しんで」の方がより適正ではあるが。

例文

「買わんくて後悔するなら買って後悔した方がずっかましだと思わん?」

「買わなしじゃおれんっつうなら買やいいじゃん。どうせあんた我慢できん人だで。」

「失礼しちゃうやあ。後悔と我慢は違うだにい。」

「好きにすりゃいいじゃん。買おうが買わまいがわしの腹痛む訳じゃないだで。」

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