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ひとりじゃない その3

 ひねくれ根性が身を潜めて前向く気力がより増した勢いの回でありましたな。

「出来ない事を数えていくんじゃなくて出来る事を数えていくんだ」というセリフはなるほどなと。悲観主義か楽観主義かということなんでしょうけど色々と言い方があるもんだと。

ところで理屈は分かるが問題はどうやってそれを実践していけるかどうかだけど。今まで出来てた事が出来なくなった人でないとこの心根の持ちようは身に沁みないのかな。普通に生きてて出来そうで出来ない・単にしないという自分のような人間には選別そのものが難問だからなあ。

ところで病室の皆に紹介する際どう呼称するかで頭巡らしてたけど、結局は彼女とな。「あらまあ」と思ったら案の定最後に旦那参上でいざ修羅場って勢い。

波風立たずお友達、次点で仲間となぜ発しなかったのか自分的には不思議。

まだ心が完治したとは言い切れぬだろうに大丈夫なのかとつい余計なお世話に思ってしまいましたわ。

主人公はリハビリが終わって家に戻ったらなにをする人ぞになるんでしょうかねえ。

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ウラ声ボーイズ

「私が初めて創ったドラマ ウラ声ボーイズ」。これ面白かった。

このドラマ群にしては珍しく作り手さんの自分ワールド解放の唯我独尊ではない伝えようという意識に溢れた作品だな。テーマは「突き抜ける」私でも分かる。

視聴者にきちんと伝えようと配慮したというのが覗える。つまり分かり易い。

実話に基づいてという事もあって空想世界ではないからそういうところが堅実性に繋がっているのであろうか。でもちょっとぶっとんだ世界というののミックスが面白いや。なにせ男のウラ声なんだから普通じゃないやな。

30分という短さを感じさせないくらいの奥行を感じもしたな。映画を観てる感覚。こういうの好きだ。

そうはいってもさすがに人集めの妙は省略されてたし、女子の頭目の子の想いの丈が計り知れなかったし、先生が男子に光明を見い出した瞬間とかも略されていたりというのはあったけど。でも観終わっての清々しさは余韻として残っている。もう少し長い尺で観たかったな。

昼間と夜の使い分けがいいな。昼間は全力夜は悩むというメリハリが人物に深みを与えているようだ。

終わり方もまな板の上の鯉になる決意のところで終わったのがよかったな。実際のお披露目を描いて拍手喝采というとこで終わってたらウォーターボーイズやスウィングガールズの模倣になっちゃいかねないもの。あれらと較べたら勝ち目ないものね。

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*「は」のあるなし

「今日は忘れんと杏林堂寄ってかすでえ」

  (今日は忘れないで杏林堂に寄って行くんだ。)

「今日は」と言うと「以前忘れた(行けれなかった)が今日こそは」という勢いになる。

「今日は」ではなく「今日」とすると「今日の予定は」といったくらいの勢いとなる。つまり是が非にでも行くという程の意識ではないという事。

「今日は晴れるで」と「今日晴れるで」とかでもほぼ同じ違いとなる。まあ晴れるという事を強調しているという解釈も成り立つところではあるが。

共通語での「今日こそは」と「今日こそ」との違いみたいなものであろうから遠州弁独特というものでもなかろうが遠州弁は「は」のあるなしは頻繁に使い分けられている。

「今日忘れんで買わんとなあ。きんのう洗剤買うの忘れたで。」

これだと今思い付いたような勢いである。

「今日は忘れんで買わんとなあ。きんのう洗剤買うの忘れたで。」

これだと絶対行かなくてはという勢いである。

「今日特売日だでなんしょ絶対行かんとな。」

こちらは口でいうほどには行かれなくても残念というものではない感じである。

つまるところ「は」は意思を強調する働きがあるということになるであろうか。

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LADY・最後の犯罪プロファイル その3

 ご陽気とまではいかずともせめて辛気臭さは取り払って貰いたいよな前回も書いたけど。でないとどよよんとしてくるんだよなあ。最後明るい飯で締めてもまだ相当足りてない気がして仕方ない。

そりゃあ確かに相手(犯人)は常軌を逸してる輩ばかりでその犯人像を追うからどうしてもそっちに精神が引っ張られるのはしょうがないところでありましょうが。その影や陰湿さが感染と表現するほどに四六時中染まっていなくてもいいんじゃないかと思えなくもない。普段(弛緩)と考え中(集中)のメリハリというか切り替えを欲するところですな観ているものとしては。

それになんざんしょ、罪の意識に苛まれた末に異常状態になった犯人とはいえ、いけにえという名に置き換えたところで他人の犠牲の上に倖せを成り立たせようという性根は限りなくお話しにならなく思えるのに、犯人のことを理解したうえで説得するという光景はちょっと異様に映りました。

救済してなんになるとつい思ってしまいました。冷たい人間なんですかねえ自分は。ところであの人は精神が病んでるということになるんですかねえ。罪とか問われないとかになるんですかねえ。

ここまで性根の腐った連中ばかりを相手としてきているけれど、たまには知能犯でも愉快犯でもいいから死人の出ないゲーム感覚の完全犯罪トリックを暴くみたいなオーソドックスなものを観てみたいよな。

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外交官・黒田康作 その2

 初回がやたらと豪華な打ち上げ花火のような回だったので二話以降はしょぼくなりはしないかと危惧してたけど、いらぬ心配でありましたなあ。

「極上」なドラマで観ててわくわくしてきますわ。色んなとこで謎が湧いて出てきてどう絡むんだろと先を知りたくなる。登場人物が多いけど整理されてるというか場面や状況の転換があっても誰だっけ?とかいう事も無くすんなり理解できてる。

とりあえずこの回は「生きてた」という確信を得たということであろうか。で、なにをする気なんだというのをこれから探るということになるんだろうな。殺人事件の真犯人が捕まるのが早いか生きてたあの人が捕まる?のが早いのかどっちなんでしょうね。

それにしても柴咲さん映えてるよなあ。「柴咲コウ」という役者さんの作品の選び方が優れているのか「柴咲コウ」という役者が演じるから作品が光るのかは定かではないけれどとにかく印象に強く残る。

メインの黒田は優れた人物だし多くを語らないから不気味さがあってどうしても利香子(柴咲さん)目線でドラマを観てるせいもあるのかな。

それに黒田はまだ今の時点では力を貯め込んでる状態で時期が来たら貯め込んだ分も倍返しでドカンと爆ぜるに違いなく、それまでは利香子奮闘という展開が続くのかなと読んでるところですが。

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*遠州弁に敬語はあるのか

以前に書いた記事で、遠州弁は基本仲間内で話す言葉で敬語というものはないという類のものを書いた。なにしろ遠州弁で敬語を混ぜて話すのは至難の業なのであるからして。おそらくは平民の言葉であって武士とかの支配階級の言葉ではそもそもがないのだろうなと予想されるところでもある。

しかしながら皆無ということではなく、敬語の何たるかはあまりよくは知らないがそんな私でも敬語らしきと感じる言い回しはある。そのひとつが「ら」の使い方であろう。

「あん衆」では「あの連中」であるが「あん衆ら」になると「あの人たち」ということになる。

「みえれる」(来られる)を「みえられる」とすると共通語に直すと「おみえになられる」ということになる。

文字だと「見ることが出来る」と勘違いしやすいところであるが文章にしてみれば

「今日予約された団体さん、何時にみえられるだかいねえ」

  (今日予約されてた団体さんは何時頃にお見えになられるのかな?)

名古屋的な言い回しであろう「らす」という言い方も遠州では使うので

「今日予約された団体さん何時にみえらすだかいやあ」

「来らす」(こらす)・「来らる」(こらる)などという言い方もある。

「来てる」は「きとる・きてる」だが、「来てられる」を「きとらる・きてらる」とすると敬ってる感じにはなるものである。

他にはとても敬語とは思えないのだが立場によっての使い分けというものがある。

例えば「水を与える」という場合、ご先祖様とか目上には「あげる」。「ご先祖様にまず水あげて」・「仏壇に水あげて」とかいう使い方。横並びには「やる」。目下には「くれる」。「犬に水くれて」・「庭の木に水くれる」とかいう使い方。

遠州特有ということではなく古い日本語の使い方がそのまま残っているということなのであろうか。

共通語においては「くれる」という言い方は廃れているところであろうが遠州弁ではこの三段階がまだ生きている。

このように探せば遠州弁にもそれらしき表現はあるもので、まだ他にもありそうな気がするので今後これも探していこうかと。ただ自分も含めて私の周りにそういう使い手はいないのでどこで探せばいいかという難題があるので困難を極めることは確かであろう予感はする。

大抵はそういう言い回しは名古屋の言葉から来てるようなものが多いと思える気もしてくる。名古屋になくて遠州にはあるという丁寧な言い回しを探すというのは難しそうだ。

とりあえず探してみようかと思っているのは「いらっしゃい」とか「ありがとうございました」とかの挨拶かな。聞いてて気持ちのいい方言という奴を。実際外を歩いても共通語化していてスケッチに出ても発見は難しいところだけど。まあそのうち拾い物で出てくるかもしれないのを気長に探すしかないか。

とりあえずが「ありがとう」に関しては「ありがとない」・「あんがとね」とかいうのが有るかな。でもこれって敬語じゃないか。

少なくとも今言えそうなことは口語調で話すのにおいて敬語らしき表現を混ぜるのは難しく、いっその事漢文調とまではいかずとも文語調にしたれば比較的混ぜやすいという気はしているところである。

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告発・国選弁護人 その2

 「ばかやろ~」というセリフにぞくっときてしまいました。魂からの叫びというか不純物の無い憤りというか。感情によるものではなく信念から発する純度の高い不同意でありましたなあ。

まあとにかく表現としては「堪能」とするが適切かと存ずる面白さでしたな。どこをとっても大人の世界で私みたいなええ歳こいてもガキなんかにゃ難し過ぎるのが普通なんですが、このドラマはそんな私でも理解できる不条理として描かれてまして観易くもありました。そういう事で敷居は高くない(使い方誤ってますが)にも関わらず中身は濃厚というのは役者力のなせる技なんでしょうね。存在感そのもので語ってるから情報量も多く濃厚に感じるという事か。

今回の裁判はこれで決着が済んだということでありましょうが、釈さんが裁かれるまではなにかしらで続くんでしょうかね。というか謎の悪女がこれでもう登場しないというのじゃあまりにも切なかろうて。でもどうやって追い詰めていくというのだろう。冤罪の方も大人の決着つけたみたいだから友人の為に追いかけるという理由は消滅しただろうから。まあ来週以降のお愉しみではあるかなどう繋げていくのかは。

それにしても暗く切ない経過と顛末なのに不思議とどよよんとした気分にならないのは何故だろう。

次は新たな弁護か。とにかく見応えあるから愉しい。

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*ちいちゃい

無論「小さい」と言っている。他意はない。

他といえば「ちいちゃ」・「ちっちゃ」・「ちっこ」・「ちっちゃい」・「ちっこい」・「ちっさい」・「ちっせえ」・「ちんこい」・「ちびこい」という言い方もする。「こまい」・「こんまい」は意味は理解できるが使う事はほとんどしない。ちなみに「こまい」(細い)は辞書に記載されてるので「こんまい」が方言ということになるのだろうか。

「ちいちゃい」は遠州固有な言い方ということではないだろうが地域的なものを探すとなると、幼児向け言葉に限ったものではないという点であろうか。大人同士で使う場合期待に反してとかいったがっかりというニュアンスが込められてる事が多い。もしくはガキじゃあるまいしといった子供だましのようなというニュアンスも含まれる事もあろうか。

なので決まりや根拠がある訳ではないが傾向としては「小さくてかわいい」という場合は「ちいちゃくてかわいい」と言うよりも「ちっちゃくてかわいい」(他には「ちっこく」)という言い方をすることが多いと思われる。あくまで大人同士の場合はである。

例文

「なんか入賞したもんでメダルくれたよを。」

「ほお、よかったじゃん。」

「それがさあ、ばかちいちゃいだにい。見てみい、ほれ。嗤っちゃうらあ。」

「んなもんだらあ。」

「そうかねえ。こんなもんだかいねえ。」

「だよを。」

「けっこうがんばっただけどやあ。」

「貰えなんだ衆の事思や貰えただけ有り難いと思わにゃ。」

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*「ひづるしい」か「ひずるしい」か

私は「ひづるしい」だと思っている。

「ひ」は日差しの「日・陽」で異論はないところであろう。「ひづる」ということではないだろうなと。つまり「ひ」+「づる」+「しい」ではなかろうかということ。「しい」は「馬鹿らしい」とか「わざとらしい」とかの「しい」であろうかと思える。

問題は「づる」であるが日差しがまぶしいと言っている訳で「陽」+「辛い」+「しい」と想像するところ。

「つらい」から「づる」に変わる変遷が想像出来ないところが難点ではあるし、「ひづるしい」以外「辛い」という意味合いで「づる」という言い回しになる言葉も思いつかないところもあって説得力には欠けるところではあるが

とにかくもし「づる」=「辛い」ということであれば「やりづらい」・「やりずらい」どっちが正しいかといえば「やりづらい」が正しいように「ひづるしい」・「ひずるしい」どっちがとなれば「ひづるしい」だということになるのでは。

で、「づる」は置いといて今度は「しい」。

辞書とかの説明では「しい」は強意を表わすということであるらしいが「憎い」と「憎らしい」では「憎い」の方が意は強く「憎らしい」はそれよりも意は弱めた言い方ということになるそうな。「憎たらしい」はどのレベルになるんだろ。

「らしい」は~という気持ちを起こさせる・~と感じられると説明されていた。

「しい」も「らしい」もどちらも断定を弱める効能があるのだとしたら「ひづるしい」を強めた言い方は「ひづるい」ということになるのであろうか。もっとも「ひづるい」・「ひづい」とかいう言葉は聞いたことは無いが。

まあとにかく「陽辛いらしい」ということで目を開けていられない状態程ではなく目を細めないといられない状態を指すという解釈が「ひづるしい」に当てはまるところと思われる。

つまりなんとか我慢できる範囲の眩しさの場合に「ひづるしい」を使いこの上となると「目え潰れる」・「開けてれん」・「目えおやす」とか言うことになるかな。

漢字から推測すると太陽が眩しいというものであって光が眩しいのではないので頭で考えると車のライトが「ひづるしい」とは言わない訳であるが実際には眩しいものに対して結構使われている。

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CONTROL 犯罪心理捜査 その2

このドラマは犯人が先に読めちゃうんですね。って証拠や自白が後になるのだから当然か。

それが目星や見当とかいうものじゃなくて学問的に拠るものだけに誤解・誤認の可能性は殆どないという展開であるのならば、追い込み漁的部分を愛でるということになるのか。

つまり犯人は誰?じゃなくてこいつ(犯人)をどうやって追い詰めるかが肝ということか。

その愉しみ方としては犯人役が豪華なゲストさんという手段。犯人がすぐこいつだと読めたとしても構わないということであるなら成り立つな。他にはボロというか穴の出具合の妙という形。如何に上手の口(巧妙な手口)から水が漏れるのか(漏らさせるのか)。どうやって殺したかというトリックを楽しむ要素は薄いのかな。

それをふたりで分業するところの掛け合いと楽しむという要素でありましょうが、とりあえずふたりとも一本気で策士の要素が見受けられないので罠ではめるとかいう手段はなく正攻法一辺倒でこれからも進むんでしょうかねえ。

事件そのものはどうみても犯人と思えた人間が犯人ではなく予想外の人間が犯人だったという展開でしかも間違われた人間は自分がやったと言い張ってるという図式で。展開としてはあっと驚く逆転な展開の部類に属するような気がするのですが観た限りでは出遭いの時点で美鈴(田畑さん)が怪しいと思わせる流れに映りそれほど複雑な事件に思えなく観てしまいました。

今はまだこのコンビは邪魔者扱いで信頼されていないから犯人にたばかられる訳には参らないのでありましょうが、きちんと刑事さん方に信頼されるようになったら南雲(藤木さん)すらも手の中で転がされるようなしたたかとか逆に非論理的な無鉄砲かとかで手を焼く様を楽しんでみたいな。

決め打ちじゃなかったら複数の容疑者から誰が犯人なのか当てるとかいうパターンでもいいな。

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三国志 第2話まで

BSフジで先週から始まった三国志。中国製であっても三国志は別腹。

侍は日本人でなくちゃと同じで関羽や張飛は中国人でなくちゃと思うもの。

私にとっての月曜日のお愉しみ。

お話しは曹操が董卓暗殺を試みるも失敗して逃げるというところから始まった。今回は陳宮に捕獲されるも云々というところまで。

一方その頃みたいな形で桃園の誓いのシーンが織り込まれていたけれど、それは意外なほどあっさりと描かれていた。これってこのドラマは曹操を軸にしたお話しなのかなと。まあどう転ぶか分からないけど。

でもまあそれもアリだから一向に構わない。なにせ面白い。今まで自分が読み聞きしてきたものを細かく再現(展開)しているからで、どこぞの三姉妹のお話しみたいな脚本家さん独自の解釈でというものがないのが心地いいのである。無論三国志演義であって三国志を題材としている訳ではないので史実と違うというのはどっちも同じだろというのはごもっともではありますが。あまりにも独創的で外れ過ぎからくる興醒めとかいう類いのものはないというとこが大きく違うとこでしょうな。

唯一あれ?と思えたのは呂布かな。凄いストイックそうな若い武芸者然としているのだが、自分が持ってる呂布のイメージって豪放磊落で鬼神のような鬼武者だけど普段はどこかにくめないひょうきんものというイメージなのでなんか違うなあと。

貂蝉との悲愛が一つのヤマ場として捉えているので美男美女の図式を採用したという算段なのかなあとつい勘繰ってしまいましたがはてさてどうなんでしょね。

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*「せよを」と「せよやあ」

「そうせよを」と「そうせよやあ」。あくまで遠州弁でのお話し。

さてどっちが強く指示されているかというと。

「そうせよを」の方が言い方がきつい(強い)。

訳すと

「そうせよを」(そうしろう)ほぼ指示・命令。

「や」を強く言った場合の「そうせよやあ」(そうしろよ)強い要請もしくは強要。

「あ」を強く言った場合の「そうせよやあ」(そうしてくれよ)言葉ほどには強要していない。強い依頼といった勢いであろうか。

「はよう」(早よう)の場合においても

「はよう、はよう」と「はよせよやあ」では急かしてる感は前者の方にある。もっともじれてる感は「はよせよやあ」の方が苛々してる勢いが強いところではあるが。

ちなみに「よを」であって「よ」ではない。

「そうせよ」ということになればこれは遠州弁では無く共通語のほぼではなく直の指示・命令ということになる。

そして「よを」であって「よう」でもない。

「そうせよう」だと「そうしよう」で共通語であり遠州弁ではニュアンス的には「そうせまい」がこれにあたる。

ちなみのちなみで「よを」にはいくつかの種類がある。

「ホントだよを」(全くだ)「だ」を強く言い「よを」を軽く流す勢いのもの。というのとかがあるのだがここで述べている「せよを」は「よ」を強く言うものである。

「せよを」のニュアンスで近い言葉としては関西系の「せえや」が近いであろうか。

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スクール!! その1

やはりこれは期待してた以上に面白い。善い言葉のオンパレードだよな。

それにしてもドラマとしては面白いけど現実のスケッチだとしたらばこれは洒落にならないとこだよな。

昔の学校を知る(体感してる)人間からしたらこの景色は「荒廃」に映るけど今しか知らない(今まさに通ってる)人間にしてみたらこれは「地獄」と映ってるであろうか。昔は「鍛錬の場」だったけど今は「試練の場」なのだろうかな学校という場は。

教育の場をテーマにしたドラマを最近よく観るようになったけど、その描かれている世界はとにかく問題山積で超複雑怪奇に絡まっていてややこしい。推理物のような犯人はお前だ~みたいな犯人捕まえて一件落着とかいうシンプルなお話しでないことが多い。親の都合に原因がありそうな気もするし子供自身にもなにがしかの甘え(こまっしゃくれ)がある風にも映るし世間一般が歪んでるという事もいえそうだし。こういう世界に誰がしたんだといえばこういう現象が起こり始めた時の偉いさんの世代ってことになるのかな。

まそんな責任論妄想してもせんない事であるし正解なんてものがそもそもないんだろうから張り切るしかないんだろうかな。

色々考えさせられるお話しであります。

それにしても熱血だな。それが清々しくて観てて気持ちいいや。周りの閉塞感もまた満ちていて雰囲気あるしこれを一掃して晴れ晴れとさせたらさぞかし気持ちいいだろうなと思わせる。それを成し遂げてくれそうな予感がして愉しく観れそうだ。

ホームページの相関図には成瀬(江口さん)と桐原(西島さん)は「対立」となっているけど、一話見る限りでは「期待」という勢いに感じたけど気のせいなのかな。

始まったばかりだけど終わり方としては何事か成し遂げた後再び苦楽を共にした仲間の元へ(再集結して)戻っていくのかなとふと思えた。だって皆絆は固そうだし就いてる仕事にしても再起を図る為の忍従の日々を送ってる風に映ったから。

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*ばかばっか その3

直訳すると「無能の集まり」・「アホだらけ」・「まともな奴がいない」ということであるが。

ニュアンスとしては大抵次に「ホントしょんない」がついて「ばかばっかでホントしょんない」となり「まったくもうしょうがないんだから」という意味合いで使われる事が多い。感情としては苛立っているということを表現している。

使う上で重要な点は「馬鹿の集まり」の中に自分も含まれているかどうかというところにある。自分を抜かしたと解釈されればそれは直訳での意味ととられて場の空気を悪くする。大抵は発言者の意図としては自分も含めてという意識であるがそれが伝わらないと人間関係に亀裂が走る。

共通語に訳すとしたら「どいつもこいつも」ということになるのだろうけど、「ばかばっか」との微妙な違いは先にも述べた自分を含むか含まないかという点で

遠州弁の中で「どいつもこいつも」と発すると自分以外はと間違いなく聞こえ

「ばかばっか」だと状況によっては自分も含めてという風にも聞こえる場合がある。

イントネーションは平坦なものと「ばっか」の「ば」を強く言うものと二通りある。どっちかが自分を含むとかいう区別ではなく。吐き捨てるように醒めた感じで言うか憤怒の勢いで言うかの感情の昂ぶりの違いによるものであろうか。

例文

「やあなんだや。9時集合だっつうにおんしゃだけけえ。」

「みたいだね。」

「時間守らん奴ばっかでホントばかばっかだなあやあ。」

「9時半に来た奴があだけても説得力ねえけどな。」

「なんでえわしなんかまだましな方だっつうこんじゃん。」

「でもやあ、わし来たの9時10分頃だもんで、もしかしたらみんな先行ったかもしれんだにい。」

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ひとりじゃない その2

 第2話になって毒が薄まった。主人公が前向きになったからだろうか。きっと頭のいい人なんだろうな口は相当悪いけど。

それにしても看護師さんすたすたと近寄ってきたと思ったらいきなり張り手くらわしてたけど、どうして死のうとして屋上に上がったというのを知りえたんだろう。凄い都合よく現れたみたいでなんか気になった。

いずれにせよこの屋上の一件から前向きにリハビリに励むようになったのだから大きな転機ということなんだろうな。個人的にはいきなり黒が白にひっくり返ったような転換と映ったのでもう少ししっくりいくようにじわじわと変色していって欲しかったな。もっともまだ完全にふっきれたという事も無くまだ紆余曲折はあろうが。

それにしてもの山本竜二さん。随分とお久しゅう振りに拝見。

現時点でのお悩み3人衆のうち一人は前を向きひとりは仮面を再び被りでいまひとりは馬鹿にしてたリストカットをして総スカンを食ってる最中。

病院も転院したことだしもう接点は途切れたのかなと思える。これをどう再びつなげていくんでしょうね。

周りの人々はこれが結構大変だし偉いよなあと思える人々だ。事故を起こした男は親を伴わず自ら侘びをいれにいく。なかなか出来ることじゃない。どう言われるか分かりきっていてそれに答えられないという窮すのを覚悟の上でなんだから立派に映る。

カミソリがお友達の患者からけちょんけちょんにあんたはどうなのと言いたいこと言われてる先生(お医者さん)。言われっ放しで場面転換してしまって先生あの時どうやってその場(診察)を収めたのか知りたかったな。

さよならをわざわざ言いに来た彼女というのもけじめを大切にするもんだ。普通はフェードアウトだろうにと。

看護師さんは熱いし。転院後の新しい看護師さん?は逞しいし。

一番気になるのはお父さんだよな。これからどうするんだろ。どうやりきれない気持ちを抑えつけていくんだろ。

まだまだ色々見るとこがあるけれど、毒が失せたのは少し・・・。なってしまった者でしか発せない言葉や想いというものをもっと聞きたかったな。それはきれいごとじゃ決してないだろうから。地上波では流せないものかもしれないし。BSだからこそというものがあるのならそれを表現して欲しいかなと。

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しょんないTV 第4回

元旦に放送したのをカウントすると5回。始まるよというかPR編をカウントすると6回となるのだが通常番組ということでは第4回ということでいいのかな。

今回は金魚釣りと掬い、それとプラモデル後編。パッ○んマッく○のサインがちらりと映ったからこの金魚屋さんはテレビ初紹介という事ではなさそうだったけど、とんじゃかねえわなあ面白いだで。

しっかしまあホント回を重ねるごとにしょんなさが増してくるよなあ。それがまた面白いんだけど。

マーメイド広瀬の仕切ろうとかまとめようとかいう気がさらさらない勢いが増してるからか。それでも番組として成立しているんだからそれだけ瀧さんがしっかりしてるという裏返しなんだろうけど。

でもそういう瀧さんも仕事という感じではなくきっちし楽しんでる(遊んでる)感が画面を通して伝わってくるから視てるこっちもその輪の中に混ざりたくなってくる。

なんだろ、これ見てるとなんか心が朗らかになってくるんだよなあ。別にまったり感がなごむとかいうのじゃなくて。なんでそう思えるんだろというのがいまいち掴めていないけどとにかく明るい気分になるからあな不思議。

番組の冒頭でいま月一の放送だけど毎週とまではいかずとも、出来れば隔週にと瀧さんおっしゃっておられたけど、私もそう思います。毎週でもいいよな。

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*遠州弁と格助詞

「味濃くない」・「味濃くしてない」とかで「あるよ」が付いたりなんかするとちょっと中華風味で違和感が湧く日本語になる。

その理由は「味が濃くない」・「味を濃くしていない」の「が」・「を」が抜けているからであろう。

もっとも「味濃くない」の次に「で・ので」・「から」・「もの」とかが続けば違和感は生じないのだが。それでも「あるよ」と付くと不可思議になる。絶滅種の軍人さんなんかが言いそうな「味濃くないであります」みたいな用語っぽい響きに感じられもする。「味濃くなく真に以て美味なり」なんてすると文語調っぽくもなる。

遠州弁の場合だと「味ん濃くない」とか「味い濃くしてんで」などという言い方となるが、「味濃くない」という言い方も普通に使っている。

というか「鍋熱くない?」とう言い方が普通で「鍋が熱くない?」とは普段言わないよな。

講釈こいたところでほんとは「格助詞ってなんだ?」というのを理解してはいないのだが遠州弁は「格助詞」を全くではないが比較的用いない言葉であろうという講釈が成り立つような気がする。

「格助詞」文中の体言が他の言葉とどんな関係でかかわり合うかを示す助詞。「の・が・を・に・と・へ・より・から」および「で」。と辞書にはある。

遠州弁は「で」に関しては略されることなくよく使われる。というか「ん」を格助詞として認知すれば話しは楽なのであるが。

以下の例文は共通語→遠州弁の(あくまで)ひとつの変換例

「今日の弁当はおにぎりだったよ」→「弁当今日おにぎりだったやあ」

「今日が締切日」→「今日締切日」

「雲を掴むような」→「雲掴むみたいな」

「馬に蹴られた」→「馬んけっからかいた」

「あいつと一緒」→「あいつん一緒」

「横へずれる」→「横んずれす」

「花より団子」→これは変わらんな。強いて挙げると「花よか団子」

「花から花へ」→これも変わらんな。変え様がないというか。

てな感じで無いか「ん」を使うかが遠州弁らしい感じになる。

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