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犬を飼うということ その3

 家庭を築くには健康こそが第一だよなと思わせる体調不良の様子であった。

そんな風に大丈夫なのか?と思わせといてのおめでたさんとは。ちょっとたばかられたぞミステリーでもないのに。

すごい地道なだけに観るのによいしょと掛け声掛けないと視る意欲が盛り上がらないのだけれどいざ見始めると引き込まれるんだよなきちんと。

つまりこれは「地道」であって「地味」じゃない。

しかも辞職・ご近所さんとの距離感等々けっこうに「派手」であって「地味」じゃない。

「どうすんのよ」という閉塞した状況であってもお母さんが明るい(前向きだ)から「じめじめ」でもない。

でも次週が愉しみということもない小さな事柄こつこつとで難問に膨らんでいく。他人の不幸は蜜の味というにはここまで露骨じゃないにしても些細な部分なんかは自身にも当てはまるところとかが無きにしも非ずで他人事とも映らない。

この家族が最後どハッピーで終わってくれれば観た甲斐があったというものだけど、そんな能天気な筈も無かろうで。されどそう思わせる結末を期待して観続けるしかないのだろうな。

それにしてもこういうのを表現するのに面白い・楽しいとかいうのは当てはまらないよなあ。なんて表現すればいいのだろう。

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*みなきし・みなきり・みなさら

「みなきし」・「みなきり」・「みなさら」

意味としては大雑把にいえば「まるごと」・「一切合財」・「全部」とかいう意味である。

「みなきし」と「みなさら」は遠州弁だとしても「みなきり」は共通語だろうと思っていたのだが、なんと辞書・ネット辞書に記載がない。

「みなごと」ならあるだろうと思ったのだがこれも無い。

なんとどれもこれも全部遠州弁だったのか。・・・まあ遠州限定ではなくそれなりの広い地域での方言であろうと思われるが。

ところでじゃあ共通語ではなんと言うのだとなると

「まるごと」・「まるきり(し)」・「まるっきり(し)」

ということになるんだろうか。「皆」が「まる」に変わってるだけと考えられる。

勝手な想像だが「まる」という前は「みな」が使われてたという古い言い回しのではないかと。

古語辞典でそのずばりは見つけられなかったが「皆がら」{副詞}=みみながら。残らず。全部。というのがあった。

こういう言い方があったなら「みなごと」だってあったそうに思える。「皆殺し」とかいう言い方があるのだし。(丸殺しという言い方はないが)。

何の根拠もないが「みなごと」・「みなきり」は古い日本語ではないかと想像するところである。

ところで「まる」=「みな」とした場合、じゃあ遠州ではなんでもかんでも「みな」を使うのかというとそういう事は無い。

例えば「まる焼け」・「まる投げ」・「まる儲け」とかは「みな」を使う事は無い。

じゃあどういう使い分けをしてるんだということになると

ネット辞書によると、「まる」は完全であること。欠けることなく満ちていること。欠いたり割ったりしていないこと。もとのままの全部であること。とあり

「みな」は全部。すべて。みんな。とある。

つまり元のものを分割・小分けせずにといった場合に「まる」で同じような物が複数あるのをすべてという場合に「みな」と使い分けしてる風に勘繰られる。

「倉庫に置いてあったのまるごと持ってかれた」だと倉庫に置いてあった何かがそっくりそのまま持って行かれたと解釈することになり

「倉庫ん置いとったのみなさら持ってかれた」だと倉庫内にあった色んなものが全て持って行かれたと解釈するということである。

遠州弁では厳密ではないがこういう使い分けがなされているのではと思える。

ところで「みなきり」・「みなきし」・「みなさら」はそれぞれどう違いがあるのかというと、よく分からない。多分それぞれにニュアンスの違いがある感覚だけはあるので、これについては今後の宿題として実際に使われてるのを聞き耳を立てることということでいまはなんしょいいとこまじゅう。

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吠え面かくの「かく」って

吠え面という表情になるという事であろうが、それに使われる「かく」という言い回しがよくよく考えて見ると特異だよな。他には「べそをかく」なんかがあるか。

「吠え面かく」はネット辞書には、悔しがって大声を上げて泣く。とある。「かく」は平仮名表記だった。

「かく」ってなんだろ。ネット辞書では見つけられなかった。なのでいつものごとく根拠もない勝手な推測をしてみる。

辞書には「掻く」{他動詞五段活用}望ましくない状態を呈する。「汗を掻く。べそを掻く・恥を掻く・いびきを掻く・かさぶたを掻く」。とある。

古語辞典では「掛く・懸く」{他動詞カ行四段活用}の説明の中での、揚げて人に見せる。さらす。というのがそれらしくも思える。古語辞典での「掻く」の説明には辞書にあるような此処に該当する説明書きは見当たらなかった。

テストみたいなものなら明確に例として挙げられてるくらいだから「掻く」というのに得点が加算されて「掛く」と書いたら無得点に終わるんだろうな。

でも意味としては「掛く・懸く」にもそれらしいものがあるし、「掻く」というとイメージとして「ボリボリ」といった感は拭えないところであるしとかで、吠え面(泣きっ面)つまり「泣く行為」と「掻く行為」とがいまいちしっくりこない。もちろん「掻く」の意味が辞書にあるものでかきむしるという行為に限ったものではないのは重々承知ではあるが。

それに「汗」や「いびき」は故意の行いではないだろう。「吠え面かく」は使い方からすると「吠え面」にさせるといった意識的にそういう状態にしてやるといったみせしめさらしものにしてやるというものでどことなく別物に思えもする。

「吠え面さらすなよ」という言い方は実際ないだろうが意味は通じそうだよな。そうなると「掻く」だけじゃなく「掛く」でも「懸く」でもケースバイケースで使ってもおかしくないような気がしてくる。

自身で吠え面になったら「掻く」で誰かに吠え面にさせられたら「掛く」か「懸く」といった感じで。

なんで平仮名表記なのかというのが単純に常用漢字じゃないからとかいう問題じゃないのかも。

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*なによう

「なによう、帰れんだけえ。」

  (なんだよ、帰れないのかい。)

直訳すれば「どうしてなんだ」であるが、この場合そりゃ残念だ。もしくはそりゃ可哀相にとかいうニュアンスや意外にもという軽い驚きのニュアンスが籠もっている。

「え~帰れんのを?」

  (え~帰れないの?)

この場合可哀相というニュアンスはない。とにかく意外だという事(驚き)に重きがいっている。

単に「帰らんだけえ。」・「帰れんだけえ。」だとなんで帰らないんだ・帰れないんだと理由を訊いてる。これだと感情的なものは籠もらない感じになり「なによう」を前に置く事でこちらの意思を付け加えることとなる。

「なによう」という言い方が味噌でありそのニュアンスを正しく伝える筆力がないので苦労するところである。しかしながら遠州弁においてはよく発せられる言い回しでありこのニュアンスを知っておかないと溶け込めない可能性がある結構重要な言葉。

例文訳では「なんだよ」をはめたのであるが「おやどうしたんだい?」・「へ~」・「おやまあ」・「なんとまあ」・「おいおい」とか状況によって変わる便利な言い回しである。

言いにくい聞きにくいような事をあっさり軽めに言いたい場合に発することもある。

語調を荒げれて言えばば「それがどうした」・「おいなんだよ」・「どうなってるんだ?」などというニュアンスとしても使われる。

ちなみに驚きということにおいては共通語で「おやまあ」=「なによう」の上の驚き表現「あれまあ」については遠州弁では「あれえ」という言い方になる。イントネーションは「あ」を強く言う。

例文

「さあ~終わったちゃっと帰るだよう。」

  (よっしゃあ終わった速攻で帰るぞ。)

「お疲れね。」

  (お疲れ様。)

「なによう、帰らんだけ?それとも帰れんだ?」

  (なんでだよ帰らないのか?それともなにか?帰れないのか?)

「急にね。忙しくなっちゃっただよ。」

「あれえ、なんで?ちょっと前まで暇してたじゃん。」

  (え~?どうして?さっきまで暇でいたじゃないか。)

「誰かさんがちょんぼこいたもんで帰れんくなっただよ。」

「誰よを。誰かさんって。」

  (誰だよ誰かさんってのは。)

「ええで笑ってれるうちにちゃっと帰んな。」

  (いいから怒りがこみあげてくる前に早く帰りな。)

「え~!もしかしてわしけえ。」

  (え~!もしかして俺のミス?)

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ハガネの女Ⅱ その2

 ささやかに感動する様だったな投票の行方と結果に。

無論投票なんて事は魔女裁判じゃあるまいし誤解や偏見を決で裁くみたいな勢いでどうかとは思うが。

ま、それはともかくクラス総入れ替えでありましたな。やっぱ前は豪華過ぎたからというのと成長も早いだろうしで再集結は難しいだろうなと思っていたので納得ではありますが。

話し戻して受け入れるや否や。自分の経験値からいくと学校が上がるにつれて同種の人間ばかりになっていって(どこでも十人十色ではもちろんあるけれど)千差万別というくらいの異種の人間と接するのは小学校が最たる場所だったな。

和を乱す云々なんざ大人になって苦心すりゃいい話で、子供の内に色んな人間と接しておく方がよっぽど人生勉強になるような気がするな。

どうあがいても絶対敵わないというレベル違いのケンカの強い奴弱い奴・頭のいい奴悪い奴・要領のいい奴悪い奴・運動神経のいい奴鈍い奴・他人を見下す奴見上げる奴・目立つ奴目立たない奴・親が金持ちな奴貧乏な奴・健康優良児な奴障害と闘っている奴等々学力や経済力によって振り分けられる前の混沌とした集団というのは小学校が一番万別だった。

そういう中で弱者を労わる気持ちとか強者にへつらって難を逃れる術とか諸々残酷なくらい正直な子供心という精神状態の中で実際に体験するというのは貴重な体験だと思う。もう少し歳を重ねて中学生とかになってしまうと死(逃避)が頭の中をよぎってしまう邪念が入るけど小学生なら素直に生に前向きで生きられて嫌な事があってもくじける事はない筈。

今は選別が激し過ぎるよな。商品とかなら差別化こそが繁栄の源だろうけど人間の差別化は差別の源だよな。会社は利益追求の場だけど学校はなにを追求する場なんでしょね。

その答えはハガネ(吉瀬さん)が答えてくれるか。

それにしてもあれだけ体を張って守ってくれる天晴れな女の子。なかなか居ないよな。大したもんだ。

そして友達とはなんぞや。環境が変われば赤の他人ってか。寂しいなや。だから一票入れたのかな。

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リバウンド その1

 これはコメディとして面白い。「相武紗季」がコメディエンヌとしていい味出してて見応えある哉。

正直殆ど期待してない一応の試し視聴の意識だったけど、大場信子(相武さん)のキャラが体育会系の愛すべき人物で安心して観れて愉しいぞと。

編集長(若村さん)の怖い目も親友の三村(栗山さん)の醒め具合もおつなものだ。

ところで信子の体型はこのまま特殊メイク続けた状態でお話しが進んでいくのかなあというのが気になるところ。鐘が鳴り渡ったということはこれにて主治医(半海さん)曰くのケーキ依存症の抑えが決壊してしまったという事を意味する訳で、もう痩せれた姿は観る事はないということになるのだろうか。

メイク技術は見事であるし、別に太ってたら観る気半減になるという事ではなく、振幅の激しい表情が愉しいのにメイクした顔だと顔の表情の変化が薄味になってその表情変化の妙が観られないとなるのが残念の思えるんだけど。

そのリバウンドしたのをどう乗り越えるのかが来週の見所であればいいのにな。

単なるケーキ屋の嫁になる経過を愛でるドラマじゃなく、働く女性として編集長と丁々発止してる様を楽しみたいと思える。

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遺留捜査 その3

 糸村(上川さん)が金欠というのはあながちカンパ逃れの逃げ口上ではなさそうと思えた回であった。

なにしろ時計は買うわお弁当は買い占めるわで、領収書貰っても多分おちないだろうなと思えるだけに捜査の度毎にこうして自腹切ってちゃそりゃ金も貯まらないわなと納得した次第。それに背広に合わせて運動靴も替えてるさりげないお洒落してる風だし。

とかいう与太話はこの辺にして、今回は名のある役者さんをブラフにして犯人探しを惑わそうとしたのであろうか。

殺人の動機(偽装絡み)から犯人を突き詰めていった訳だが、今回も誰も見向きもしない遺留品から被害者の行動を突き止めていった。前回に思えた被害者遺族の誤解を解く事に今回も精力を注でるのかなと思いながら観てたらそれが犯人逮捕の足掛かりになったというお手柄に繋がるものであるつつ遺族の誤解も解くという一挙両得の構えであった由。

うまく話しが繋がっていたな。それにしてももったいない人が死ぬというのは晴れた気分には余韻としてなりにくくもある哉。

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*「信じれん」と「信じられん」の使い分け

遠州弁は「ら」抜き言葉で成立してる部分がある。従って「ら」抜きは罪(日本語破壊)だとて無理に「ら」を入れ込めてしまうと相手に伝わるニュアンスが意図通りに伝わらなくなることがある。

例えば「信じれん」。

「信じれん。ホントにやるだか?」

これを訳さば「嘘だろう本当にやるのか?(やる筈がなかろう)」・「本当にやるなんて信じない」などとやらないだろうと思っているという信じないという勢いが占めている事になる。別の言い方をするなら「嘘だろうやるのか?」遠州弁だと「ばかじゃんほんとにやるだ?」。

それを「信じられん。ホントにやるだか?」とすると

「よくやるよなあ」といったニュアンスで訳さば「本当にやるなんて信じられない(理解不能)」・「本当にやるなんてなんで?」などとなる。つまりやるだろうなと思っている上で理解できないことをするよなあという勢いが占めている事になる。別の言い方をするなら「ほんとにやるのか?」遠州弁なら「ほんとにけえホントやるう」。

例文はこれからやる(する)という状態だが(やった(した)という状態であっても)「信じれん」を使うとそのことについて納得できない(しない)・理解不能という事を強く表わしているもので「信じられん」を使うと納得しようと整理中・理解に努めるという状態と見受けられるという違いがある。

「ん」は「ない」の撥音便したもので「信じれない」と「信じられない」と置き換えることになる。

「信じれない」はその行為を行う事を疑ってる・認めないということであり

「信じられない」目の前の(起こる・起こった)出来事に対して頭の整理がつかないという場合に使われるもの。事実は事実と受け止めてそれとどう自身が折り合いがつくか検討中といった勢いを感じる。

言葉を変えて「やってれん」と「やってられん」とするとちょっと強引だが

「やってれん」は「やることが出来ない」であっていわゆる拒否・拒絶。

「やってられない」は「続けることが出来ない」であって非難・批判。

このように区別がある以上「ら」抜きは罪だなんて言われてもああそうですかと素直に応じる訳にはちっとやそっとじゃいかないのが遠州弁なのである。

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*だでなんだあ その3

「だからそれがなに?」と言っているのであり、ニュアンスとして「開き直り」というだけでなく「ふざんけんじゃねえぞ」という含みが多めにある。

この場合の「だで」は「だから」であり「だもんで」(なので・というので)の略形ではなく、「だで」=「だもんで」では必ずしも無いという事が判る「だで」であろう。

昔映画で「ばかやろう わたし怒ってます」みたいなタイトルのシリーズ作品があって、こういうとこで「バカヤロー」と叫んだらさぞかし気持ちいいだろうなというのを具現化した内容の映画があった。

さしずめこの「バカヤロー」は遠州弁であれば「だでなんだあ」であろうかなという言い回しなのである。女性言葉なら「だでなによう」。

「だでなんだあ」は遠州弁における最上級の開き直り表現であろう。突き放しなら「知いらんやあ」哉。

とにかく後を考えずにこれ以上は我慢しないという最終発言として使うには「やあばかっつら」や「うっさいなあ」とかよりも相応しい気がする。もちろん日頃から発してばかりいてはこういった効力はなくただの非協力的な奴の口癖にしか過ぎなくなる。

勢いとしてはとにかくもう後の事はどうなっても与り知らぬという放棄であり制御の解放であろう。

似たような表現で「それんなんだあ」というのがあるが開き直りということでは同じだが

「それがどうかしたのか?」といった勢いでこっちの意見は曲げないぞというものである。つまり憤怒の情はあれどキレてない。

例文

「君なんだねこの営業成績は。」

「それんなんだあ。一生懸命やってるだでしょんないじゃん。」

「なんだその態度は。それが上司に向かって言う言葉かね。」

「だでなんだあ。知るかあ、無茶ばっか言ってよこしゃがってえ。」

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*よく来たねえ

共通語的解釈だと「よくぞお越しくださった」・「ようこそおいでなさいました」とかを親しげに崩した温かい歓迎を意味した形ということになるであろう「よく来たねえ。」

されど遠州弁においてイントネーションによってはこれは

「よくもまあこんなとこにまで来たもんだ。」と歓迎しつつも呆れているという表現となる事がある。

この場合の「よく」は「よくもまあ」というよりも「なんとまあ」というものである。

そのポイントは「よく」と「来た」。平坦に言うのではなく「よ」と「来」を強く言うとそうなる。この場合「なにせえ来たよをこんなとこに」と「こには何をしに来られたんですか?」という問いが暗に含まれている事が多い。

もちろん歓迎の意は大いにあるのだが、その表現の仕方が「いらっしゃってくれました」といったような相手を上げるのではなく「こんな場所によくぞ来てくれた」と自分が下がるといった、つまり相手を持ち上げるのではなく自分が一段下がるというのが遠州弁の言い回しの特徴ともいえるのかもしれない。

もちろん歓迎の意思を抜いた「よくもまあこれたもんだ」と憮然としてるという使い方も存在する。この場合は「よく」と「ねえ」を強く言う。

ちなみに共通語のイントネーションで平坦に「よくきたねえ」と発すると共通語では歓迎であり遠州弁においても普通は共通語と同じ歓迎であるが稀に状況によっては「飛んで火に入るなんとやら」な意味深な勢いで使われる場合がある。

例文

「こんにちは。」

「あんたどこから来たよを。」

「東京から来ました。」

「東京からぁ。へ~。よく来たねえ。」

こう言われて呆れられると他所の方は二の句が告げなくなるらしい。この場合には要件を伝えれば話が進むものである。

「ええちょっと観光に来ました。」

とか。そうすれば

「どこ行くよを」

とか話が進む。ただ呆気にとられてると

「なにせえ来たよを」

と暗な部分を口に出すことになる。

尚、この言い回しのニュアンスは「ダーツの旅 竜洋編」という番組を視て気付いたところである。

そしてこれとは別のイントネーションの違いで「どの面下げてここに来た。」・「恥ずかしくもなくよくこれたなあ。」とむかついてる表現にもなる。まあこれは共通語でも同じか。

この場合の「よく」は「よくもまあ」というものである。

アクセントのポイントは「よく」と「ねえ」。「よく」の「よ」うを強く「来た」は平坦で「ねえ」を強く言う。

例文

「あんたよく来たねえ。どの面下げて来れるよう。」

「この顔だあれ。」

「どむかつくう。」

ちなみに「よう来たねえ」といった「よう」。「よく来たねえ」とどう違うのかというと「ようせん」・「よう言わん」とかいう言い方は遠州では少数派でありそのニュアンスはよく分からないので違いはないと思って日々過ごしている。脱線するが自分の場合「ようせん」については「でけん」・「やれん」、「よう言わん」については「とてもゆえれん」とか言っている。

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三国志 第16話

これにて袁術あっさり没落と相成ったのか?。籠城こそが最良の策との献策を聞き入れて最善の策をとったと思われたのに。今回は袁術討伐といっても袁術が援軍を送らなかった拠点のひとつを落として仕舞いで袁術が籠もる城の攻撃はしていなかったということなのかな。でもドラマ視てる限りだと寿春が落ちたみたいに映ったけど。

それにつけても食べ物の怨みはげに恐ろしや。その怨み晴らさの想いを計略でとんだ濡れ衣の袁術に向けさせてその馬鹿力によって陥落させられたということなのか。

曹操は策士よのうというのが全開という巻であったのかな。

確か呂布の方が先にお陀仏だったと記憶してるから袁術死すということではなく単に没落ということなんだろうな。

それにしてもいともあっさりという勢いだったな。

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幸せになろうよ その1・2

1話と2話観終えてのまとめての感想。まずは素直に面白い。

小宇宙感があるな。狭い世界(登場人物群)の中で奇遇が連なっていく様が箱庭の世界の中に居るようにな感じにさせてくれる。

親同士までそれとなく見知りになるとはね。それはともかく

好きなのがバレバレなのに立場がストップをかけてるというのが見え見えという露骨さが視ている側をじれったくさせて、それが味噌ということなんだろうな。

視聴者がその行動に対して終始つっこみっぱなしという見方になればこのドラマ成功なんだろうな。

「言っちゃえよ」とか「なんでそこで引くんだ」とか「今だ行け」とかテレビに向かって言いたくなるというお作りを目指しているのだろうかな。

試練とか障害とかじゃなく行き違いという域で繰り広げられてるところが暗く・重くならなくて見易いよな。

このドラマは予想してたよりずっと面白いのかもしれない。矢代(藤木さん)が結婚してるのに何故こんな行動を?とかいったような謎もそれぞれの登場人物ごとに相当ありそうだし。

それにしても最終的には誰が誰とどうくっつんだ?という下世話な興味がひとしきり湧くな。特に小松原(大倉さん)の幸せが気になる。

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*なんしょかんしょ その2

関東で使われる「~なさい」、「おいでなんしょ」で「おいでなさい」とかいう意味合いの「なんしょ」ではなく「とにかく」とかいった意味合いとなる遠州弁の「なんしょ」の話しである。

私の親の世代以上の遠州人はこれを「なんしょかんしょ」と発していた。

以前の記事にも書いたのは、それが共通語の「兎にも角にも」が「兎に角」と略されて?使われるようになったのと同じように今は「なんしょ」と発せられるようになっている。

「何にせよ彼にせよ」→「なにせよかにせよ」→「なんせよかんせよ」→「なんしょかんしょ」で今は「なんしょ」となっていると勘繰られるところである。

という風に思って書いたのだが、「とにかく」をネット辞書で調べたら「とにかくに」の転と記されていた。

で、辞書を引いてみたら「とにかく」が基で「とにもかくにも」は「とにかくの強調表現」とあった。

つまり「とにもかくにも」の省略されたのが「とにかく」であるという考えは間違いだということを確認した。

なので以前の記事を訂正しなくてはならない。

しかしながら「なんしょかんしょ」と「なんしょ」については同様に「なんしょ」の強調された表現が「なんしょかんしょ」といえるのかというとそうとも言い切れないので再度検討してみる。

実際昔の人は「なんしょかんしょ」をよく発していた記憶がある。それが今はほとんど聞く事はなくなって「なんしょ」一本になっているというのは間違いではないところである。

「なんしょかんしょ」の使いどころとしては「結局のところは」・「詰まる所」・「要は」といった話しを締めたいとか結論を言いたいとかの場合に使われるものである。そういう意味で「とにもかくにも」と同じ表現と思えるところである。

では、「なんしょ」はどういう使われ方をされているのかというと現在は「とにかく」という意味と「ともかく」という意味と「なにしろ」という三通りの使い方だという風に思える。(昔はどういう意味使いだったのかは記憶が定かではないので述べる事が出来ない。)

「ともかく」は辞書には{副詞}その事は当面の問題外として。と説明されている。

「とにかく」は{副詞}ほかの事情はさておいて。(事情はどうあろうとも)事実は。となっている。

ネット辞書ではこのふたつに違いはない風に書かれていると読めた。

「なにしろ」は{副詞}どういう事情を考慮するにせよ、その事柄自身は変わることがない様子。

「なんしょなあ」と発した場合、「お前の話しはともかく置いといて」と「お前の立場(事情)はとにかく実際は」と「なんと言おうとなあ」という三通りのものである。

「なんしょかんしょなあ」と発した場合「俺が言いたいのは」という意味のものである。この場合の「なんしょ」は「なんにせよ」もしくは「なににしても」であろう。

「何にせよ」は「いずれにせよ」、「なににしても」は「どんな点から問題にするにせよ」と辞書には説明がなされている。

こうしてみると「なにしろ」という意味使いでの「なんしょ」と「なんしょかんしょ」は近いものがあり、「ともかく」と「とにかく」の意味使いでの「なんしょ」は若干ニュアンスに違いがあるという風に思える。それは相手の言を考慮するのかしないのかというもので「なんしょかんしょ」は考慮したうえでで「なんしょ」は使い方によっては考慮しないでという違いである。

こっから先はいつにもまして邪推憶測の領域であるが、もともとは別物であったのが「なんしょ」に「なにしろ」という意味使いを追加することによって「なんしょかんしょ」を使わなくても済むようにしたのではと。

そう推測すると「なんしょかんしょ」は「なんしょ」の強調形ではなくやはり短縮形という部分を持つことになる。

これだけ「相手の都合顧みずこちらの都合を言わなきゃ損だ」みたいな風潮の時代においては相手に考慮する必要なぞないから「なんしょかんしょ」という言い方が必要とされなくなったとしたら納得ではあるかな。でも方言って一度失う(廃れる)と戻ってこない(引き継がれない)もののような気がするので残念ではあるな。

ところでこれ以外の訳し方として「なんしょかんしょ」を「なんでもかんでも」と訳した場合無理を通すといういう勢いで考慮が云々という意味合いとはかけ離れる事に思える訳だが「なにがなんでも」という事では無く、「お前の言う事はもっともかもしれないが」や「分かったけど」とかいう前置きが暗に含まれているという場合に使われる「なんでもかんでも」であれば違和感はない。そういう意味で

「なんしょかんしょゆわれるとおりにやりゃいいだあ」

とかいう使い方は確かにする。これが「なにがなんでも」とかいう場合には

「そんななあどぉでもいいでえゆわれるとおりにやりゃいいだあ」

「ごちゃごちゃゆってんでゆわれるとおりにやりゃいいだあ」

とかいう言い方になる。

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JIN 仁Ⅱ その2

 先週の予告で牢獄の仕来りで囚人にいたぶられるというシーンを観てしまっただけに今回のテーマは「迫害」かと勝手に思ってしまったので、その様に至るまでがまだまだかと長く感じてしまって落ち着いて観れずに損をした。

この回のうちにそこから如何に無罪放免になるのかという一話完結なのかと思っていたので。決着が次回に繰り越されるのなら予告編は和宮と対面するとかいうシーンにしといて欲しかったな。まあぶつぶつ言っても面白いからいいけど。

で、実際描かれていたのはいわれなきものであっても権力闘争に巻き込まれての「排除」であって「迫害」というものではなかった。牢獄での様も儀式というものであってどちらかといえば「試練」という勢いのように思えた。

勝手に思い込んだ方が悪いのだけれど予告編に振り回されるのはもう止めにしよう。見所を勘違いしてしまう。

武士の心得なら粗相は死を以て償うという(切腹)ものであろうから結果が全てである以上献上した者にお咎めが及ぶというのは理屈としては違和感はないのであるが、そうはいってもこれで終わりというわけにもいくまいてだろうから次週はどうやってこの試練を乗り越えるのかというのが味噌になるのかな。

毒を盛らせるように仕向けた側が裁く側ということで圧倒的に形勢不利な状況に陥っている訳で、これを覆すのは鶴の一声なのか今まで関わってきた庶民のマンパワーなのか。はたまた医者でしかできないことを見せつけて自力で抜け出るのか。

いやいや来週の予想はしないようにと言った先の口の乾かぬうちから予想してもしょうがない。懲りてないな自分。

ま、それはともかくむしろ最大のピンチは金欠。これをどう解決するんだろう。長き戦いになるのかな。これがこの回の一番の主題だったのかしらむ。

ところで「お妾」は「かたぎ」だろう影ではあろうが。

「つる」を要求されて断ってたけど、無い袖は振れないで実際手持ちなんぞ無いであろうに。差し入れとかで持って来いってことなのか?

この回のもうひとつのメインは野風(中谷さん)が帰って来たということで献上の一件は単なる次週の序章だったんだろうかな。野風のここでの存在意義はどういうものになるんだろう。ただ単に幸せになって欲しいから此処に居て貰うというのでは本人居づらかろう。それとも本当に単なる仮の宿ってか。

とのかく今回の患者を救うのシーンはあまりインパクトがなかったな。いつもならこれがメインイベントなのに。そういう意味では新機軸ではあるか。感動するかしないかは別として。

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*ぺた・べた

「尻っぺた」・「口んべた」とかいう使い方の「べた」・「ぺた」。別に方言でもなんでもない表現であるが遠州でも使われるという事で記載。(ここでの口んべたは口下手の変ではなく口の周りという意味である)。

「ほっぺた」はどうなんだろ同系なのかな「地べた」はどうなんだろう。

「ほほ」(頬)→「ほっぺ」→「ほっぺた」という流れだとすると「ぺた」などではなく「ぺ」+「た」なのかもしれないが、「尻っぺ」とか「くちんべ」とか言わないから「ぺた」として考えていくことにする。それとともに「ほっぺた」はもしかしたら別物というものなのかもしれない。

「べた惚れ」・「べた凪」というのとは違う事は言えるかもしれない。

「しりっぺた」をネット辞書で引くと

尻べたの転。とあった。

ということは基は「べた」ということで考えればいいということなのか。

しかしながら「べた」で調べると

「べた」(俗語)①すきまなく、すべての面に行き渡ること。「べたぼめ」・「べた負け」。②「密着写真焼付け」の俗称。

となって意味が違うぞと思える。辞書からじゃよう分からん。

実際遠州弁で使ってるニュアンスを説明すると

「しりっぺた」はお尻の盛り上がったところを指している。「けつっぺた」というのも多分同じ意であろう。時たまどちらも腿の辺りまでを指す言い方をする事もある。

「くちんべた」は口の周りを指している。

「みみっぺた」だと耳を指している。

まあ大体体の一部を指している事が多く物とかに対して発するものなのかというと、もし「地べた」の「べた」が同じというのであれば物に対しても発するということになろう。

そして「地べた」は「地面」であるからして「べた・ぺた」は「面」と表わせるという屁理屈が発生するところである。

そうなるとあくまで冗句だが「月面宙返り」を「月っぺたでんぐりがあり」と置き換える事が出来得る。

実際のところは「面」というよりも「辺り」・「周り」というニュアンスで使われてる感じがするところであるがまあそう遠くはなかろうてと思えるものである。

こういった使い方から推察するに「ぺた」・「べた」は「大体そこら辺」みたいな大雑把なところを指す「そこらあたり」・「~の部分周り」という意味と想像されるところだが「耳っぺた」とかはそういうニュアンスではないのでこういう意味だろうと言い切れないところがある。

要するに、分からん。

例文

「どうしたでえ、なんか がんこな音したけど。」

  (大きな音がしたんで見に来たんだけど何があったんだ?)

「あいつぅ なんでもやりっぱあで かたしもしんで うっちゃらかすもんで、だあたあきて おもいきっさ けつっぺた けっからかいてやった。」

  (あの野郎なんでもやりっ放しで片づけもせずそのままにしとくもんだから頭に来て思いっきりケツを蹴り上げてやった。)

「ひどいことするう。」

  (おいおいお手柔らかに頼むよ。)

「いいだよ、ゆっても解からんだもんで。」

  (これでいいの。口で言っても解かろうとしないんだからこれくらいやらないと。)

「本人わあ。」

  (それで蹴られた当人はどこ行ったの?)

「ちんぷりかあって外出てった。」

  (ふてくされて外に出て行った。)

「知らんにい。バット持って戻ってきてもを。」

  (バット持って戻って来ても知らないよ。)

「んな根性あらすかあ。」

  (そんな根性ある訳ないだろう。)

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