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バーテンダー その6

 隙がないというかシビアな要素が詰め込んであるというか、それぞれがそれぞれをきっちり役割をこなす(演じる)とこうも説得力が出るものかと。(隙というのはつっこみどころという意味なんですけど。)

でもこの回は皆真面目だったなあ。「ぎゃふん」や「ドラマみたいだあ」というつっこみどころからなんたらかんたら暴走して感想繰る程のお道化た部分を見い出せなかった。

この回は最後に向けて三つのお話しが同時進行してたので真面目に成らざるを得なかったんだろうかな。

師匠との再会・目覚めよシェフ・おじちゃんの願い。

首になった直接的な理由は慢心と読めたけど、多分そんな浅いものではないんだろうな。それが明かされるのは来週の事なんだろな。でもそれがなんなのかさっぱり想像つきませんですわ。首を宣告してまで悟らせようとしているものはなんなんでしょうね。獅子と獅子の子のお話しみたいなもんなんだろうなおそらく。

目覚めよシェフの一件での憤慨したシェフに対して述べた話しはなるほどなと。その国の素材を使わなければ本物と呼ばれない。日本人が作るものは本物じゃない。確かに外国人が握ったすしは寿司であって鮨じゃないと日本人はつい思っちゃうものな。

でも人間が本物ならば良い素材を使いさえすればその料理は本物になる。使い方間違ってるだろうけど弘法筆を選ばずということか。確かに極めた人でしか出来ないことだものな。

おじいちゃんの願いは、タイムリミットが設定された。そしてその候補は二人に絞られた。クールが売りのライバルのその意欲の源が描かれていて単純に赤勝て白勝てとかいうものにならなくなったところではてどちらという展開。

目覚めよシェフ以外は次回へと続くということで・・・って来週最終回なんだって。短いもんだ。普通に10話か11話観たかったな。

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外交官・黒田康作 その10

 大きな波風が立ち騒ぐ乱という体で終わったけれど、不思議と穏やかに進んだ風に感じた。それだけ前回の死に際が印象深く強く残ったからなんだろうかな。

どうやって全貌を世に知らしめるのか。

奥さんを撃ったのは誰の差し金かというこの2点が最終回の見所なのかな。それ以外になんかあるのかな。と前回観終わった時点でそう思ったのだけれど。

予想してた見所が主で他にはあまり意外という感じはしなかった。そういうところも穏やかに進んだ風に思えた要因のひとつなのかな。

ほぼ全てにおいて言葉でけじめる。といった感じか。

けじめをつけると書くほどには本人表だって動いていなくてむしろ主力は黒田(織田さん)に感化(初心に目覚めた)された人々であった由。

言葉の力と表現したのは世間に知らしめる手段が演説。大本を屈服させるのも黒田の弁舌と、証拠突きつけて最早これまでと追い詰めるのではなく共に言葉の力で示し膝をつかせたということで。

公表の手段としてテレビ中継の場を借りてというのはまさに劇的だけれど現実には国際会議をテレビが中継してるお国柄じゃないだけになんでこの会議に限って放送されるんだ?という疑問がひとひらほろり。

海千山千の総理をも狙おうという政治家さんが、これしきのことで首を垂れるものなのかという、普通はしらきり通すだろうにと思えてふたひらほろり。

かようにひとひらふたひらほろりと舞いたりて未だ春遠き今の世からすれば桜を愛でるには季節外れと思えなくもなし。つまり夢かうつつか幻か。

まあそんなことはともかく、最初は孤高の戦士だったのが最後みんなの力で世界を変えたという流れは明るい気分になるところ。なにからなにまで暗躍の内に処理されていくとかいう辛気臭い話しじゃないのは良かったな。

こういう時期なだけにみんなで頑張れば困難も突き崩せるというメッセージは暖まる。

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CONTROL 犯罪心理捜査 その10

 結末は次週に続く。しかも最終回。

いかにも社長さんが胡散臭いという仕舞い方だったけど流石にそんな悠長(安易)なオチではなかろうて・・・と期待したいところ哉。

お父さんの事件のまだ捕まっていない犯人がどうたらこうたら述べられていたんで、それと絡めての形で終わるんだろうな。

今回の誘拐事件と同一犯人の仕業という事なのかな。

それにしても久方振りと感じるドラマ観たというこの感覚。

なんかほっと心が和む。元気が出る。

実のところは昨日BSの三国志を観てるけどあれは別腹であってそういう感慨は湧いてこなかった。やっぱ日本人は日本人がだよな。

やはりドラマは自分にとって毎日の生活の上で心の安らぎを与えてくれるアイテムだなと。

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三国志 第10話

詭計が見事にはまり董卓死す。

あまりの憎々しさに遺体を晒して体に灯心挿して灯したら数日燃えていたとかいう逸話は描かれていなかったな。

その後の王允の勝ち誇りと驕りは中国っぽい翻り様だったな。でも最後は潔かったとも言える死にざまではあったな。

それでどこがどうなって呂布が放浪の道を歩くことになったのかが今までいまいちピンときていなかったけれど、このドラマでは再起を図るために力を付ける為出奔したということになっていた。

位置関係がよく分からなくてなんで皇帝のそば近くにいなかったのか、もしくは王允とあのように離れていてすでに後の祭りみたいな事になっていたのかとかがやっぱ分からなかったけど兵士の数で勝算無しとて退いたというのは分かった。

そうそう、曹操の方はといえばあれ、もう既に荀彧が居るよ。あんな重要人物なのに出逢いが語られる訳でもなくあっけなく居るもんだな。

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*がんばらんとな

「がんばらんとな」

共通語であり特に遠州弁ということでもないのだが、自らに言い聞かせれば決意や宣言であり、他人に発した場合自らにも言い聞かせる意味もありつつの励ましとして遠州ではよく発せられる言葉。押しの強いものでなく労わりの要素の強い励ましである。

他には「やらんとな」(やらなきゃな)・「見んとな」(見ないとね)

「がんばらんとな」。訳さば「頑張らなきゃな」といったものであるが、他人事として捉えていないよ。あなたの大変さは理解してるよという上でさあ前を向こうと奮起を促しているニュアンスのものである。

古語辞典にある、~というのだな。問い返す語。伝聞を確かめるときに用いる。というものではなく

ネットの辞書にある、「と」で受ける語句に軽い強調の意を添える。

ここでの「とな」はネットの辞書の意での使い方での「とな」であろう。

基本的には

「がんばらんとな。応援するで。」

などというニュアンスの短縮形であろう。従って本来の表記の仕方は「がんばらんとな・・・」と肝心なところを濁すとするのがよりニュアンスからすれば正しいのかもしれない。

「がんばらないとね」と訳せなくもないがこれだと喚起というより諭す勢いで微妙にニュアンスが異なるものである。

これが「がんばらんとなあ」となると「頑張らなきゃね」といったもので異なるニュアンスとなる。こちらの場合は奮起を促すというよりもそうしないといけないよといった促しの要素が濃くなると共に親身度合いが薄くなる。

「がんばらんとかんな」では「頑張らないといけないな」というもので幾分説教じみた要素が含まれる。

「がんばらんな」という言う地域も全国見渡せばあるようなのだが、遠州では「がんばらんな」という言い方はしない。

遠州弁として有名な表現の「まいか」を使うと

「がんばらまいか」・「がんばりまいか」

となるが、「がんばらまいか」は共にという誘いという同じ行動を促す勢いのものである。俺も行くから君も行こうという傾向のものである。

同じ境遇(事を行う)にあってさあ頑張ろうというのであれば「がんばらまいか」であるがより同じ境遇(事を行う)である場合には「がんばりまいか」・「がんばりまいや」という言い方が使われる。

違う(離れた)ところ(立場)から声援を送るというものである時は「がんばらんとな」がよく使われる。

「がんばりない」という言い方は多分に他人事のような印象を与え「まあがんばりない」とか言うと無駄だと思うけど云々というニュアンスになる。「がんばらない」という言い方は遠州弁には存在しない、というか共通語の「頑張ら無い」以外のなにものでもない。

個人的には「がんばらんとな」なんて言えるほど出来た人間ではないので照れ隠しでどこの方言かも分からないような「がんばんべえや」を使う事が多い。

遠州に於いては他には「がんばりい」・「がんばりいや」という関西風の言い方も使われたりすることもある。「りい」の変化したものであろう「三河の「りん」で「がんばりん」とかは言わない。というか「がんばりん」なんて言い方が三河弁に存在するのかも定かではないが。

例文

「いやあえらいしんどいわあ。なにやってもうまくいきゃへん。先が見えんでもうホントいやんなっちゃう。」

  (もうとても辛いよ。何をやっても上手く行きやしない。先が見えなくて本当にもう嫌になってくる。)

「まあそうゆわすとを。家族いるだでがんばらんとな。色々大変だけどそのうちきっといいこんあるにい。」

  (そんなこと言わないで。家族養っているんだから頑張らないと。色々大変だろうけどそのうちきっといい事あるよ。)

これを俺もお前も同じ境遇じゃないか一緒に頑張ろうと言いたい場合にはこの例文だと「家族いるだでがんばらまいか」・「がんばりまいや」(家族いるのだからお互い頑張っていこう)となる。「お互い」という言葉を略してもそういう意味として通用するものである。

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被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします。

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