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3月11日

大きな大きな地震がこの国に起こってしまいました。

災害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

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*なぐるの言い方の種類と違い

「ぶちなぐる」と「ぶんなぐる」と「ぶったたく」と「ぶっさぐる」はてさてどれが一番痛そうというか激しそうなんだろうという考察。

あくまで遠州人(というか個人的に)が受ける感覚でありなおかつ「ぶっさぐる」とかは遠州弁なので共通語においてのものではなく遠州弁における事だというのを断っておきます。

「ぶちなぐる」。

「ぶち」という言い方は本来遠州で使われる言い回しではないので想像の域を出ないという部分が大きい。

「殴られるとぶち痛いぞ」という言い方があるのだから「ぶち」は「とても」・「たいそう」という意味になるという事か。他の言い回しだと「ぶち切れる」が思いつくところであるが抑えというか制御がぶちっと切れたようにも受け取れる。

なんとはなしに感情の赴くままに加減というものがなく殴っているような様が連想される「ぶちなぐる」である。

遠州弁らしくない表現と述べたが、じゃあ遠州弁で相当する言葉はなにかと言われたら・・・すぐには思い浮かばない。口は悪いがそれなりに温厚な民族だからこういう様に滅多に陥らないからかな?。んなわきゃないかあ。現実的には「ぶちぎれた」・「ぷっつんきた」と発してよしとしてるのかなあ。

「ぶんなぐる」。

「ぶん」から受ける印象は「おもいっきり」。「ぶち」に近いけど「ぶち」は「執拗に」といった勢いで「ぶん」は一発の加減(威力)がイメージされる。比較になるが「ぶち」は気が収まるまでといった趣なのに対して「ぶん」は勢いをつけていう趣の違いを受ける。

「ぶっとばす」。

体が吹っ飛ぶくらいの威力というものであろう。まあこれは共通語だろうから特に説明は不要か。遠州独特なニュアンスというものはなかろうて。個人的な感覚としてはぶんなぐるの方が威力は強そうに思える。

 以下は殴るではなく叩くの領域。

「ぶったたく」。

ぞんざいとか雑な印象を受ける。「ぶん」よりも力の加減はなされているが勢いのよさは不必要なほどにという感じであろうか。派手に叩くといった趣であろうか。

「ぶっさぐる」。

ほぼ「ぶったたく」と同じといった感じがする。あちらは共通語でこちらが遠州弁というものであろうか。

加減としてはげんこつで殴るという勢いに感じられる叩き方。ただし「とんかちでぶっさぐる」とかいう道具を使ってという言い方もするので手で殴るだけに限定されたものではない。どちらかというと用途外使用というか道具本来の使い方をしない場合で叩くような事に「ぶっさぐる」が使われる傾向がある。

怒りのこもったような場合にも使われるもので「頭きたで思いきっさぶっさぐってやった」(頭に来たので思い切りぶっ叩いてやった)とかいう使い方をしたりもする。

「ぶっさらう」。

加減としては平手打ちといった印象が強い。こちらも道具で叩くという使い方をするので手の動きという限定のものではない。「ぶっさぐる」と違ってこちらは用途内使用というか本来の使い処で叩く時に使われる傾向があろうか。

あまり怒りを含んだ印象は受けない。「あまり」であるので使わない訳ではない。そういう際はお仕置きといった趣であろうか。癇癪持ちがすぐ手を出す叩き方もこの部類に属しようか。

「さぐる」と「さらう」に「ぶち」表現はない。

「はたく」。

「はたきで頭をはたくな」とかいう使い方のはたく。漢字で書くと「叩く」であるのであるが叩くにしても一番軽い程度の叩き方を指すのであろうか。程度にもよるだろうが関西の漫才のツッコミ役の人が放つ叩き方は「はたく」に属するであろうか。

「ぶっぱたく」。

滅多に聞かないが聞いた事はあるので存在するであろう。使いどころの例としてはハエとかゴキブリを攻撃する際に使われる叩き方。

まとめというか大雑把な方向性としては

威力という事では殴る>叩く=さぐる>さらう>はたくといったものであろうか。

「ぶち」はあまり遠州では使われない表現な気がする。気のせいかもしれないが。

少なくとも「さぐる」・「さらう」・「はたく」に「ぶち」が付く表現は耳にしない。

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外交官・黒田康作 その9

 役者「香川照之」これにありって感じで香川さんを愛でる回であった哉。

迫力と説得力と存在感どれをとっても臨場感に溢れてたなあ。

なんで黒田の声が館内放送で流れてたんだろ。

なんで観上(草刈さん)だけ椅子に座っていたんだろ。つまり皆と同じにフロアの中央部に集められたところに座らせなかったんだろ。

なんで大垣(柴咲さん)という一介の刑事があの非常時な現場に警察手帳見せただけで入れたんんだろ。

なんで外務大臣(近藤さん)が突入許可の指示が出せたんだろ。

とかいう細かいことは吹っ飛ぶ勢いだったな。

謎明かしというか整合性の突合で。つまり事件の全貌を最終回でもないのに明かした挙句射殺されて一見落着然と相成った。

これでやり残してる事といったら、これを世間に伝えるかどうか。奥さんを殺すように命じたのは誰かという二点くらいしか思い浮かばないな。

他にまだなんかあるのかな。

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*違和感を感じるところ

静岡県民やってると、東京発信のドラマに違和感を覚えるものがある。

それは食卓のシーン。湯のみ茶碗に緑茶ではなくコップにほうじ茶か麦茶という画柄である。

ひとりもんの寂しい食事とかならまあそんなもんだろうと思えるが、家族そろっての団欒の食卓でコップに注がれた茶というのには違和感があるものだ。

非常に単純だが違和感を感じるところである。

遠州弁で言うたれば「なんしょちっとばかのこんだけえがいがいがするだあれ。」。

古いっぽく訳さば「なににせよいくばくかの事なきなれどざらつきがあるであれ。」。

物凄く昔の頃には、名古屋に数日滞在した時食堂で出されるのは必ずほうじ茶でいたく違和感を感じたものであり、世間一般はほうじ茶が普通のお茶であって緑茶がごく日常のお茶という風習は静岡県くらいなものだということを思い知ったのである。

その後においては紅茶のティーバックのようなパックで漉す緑茶が流通するようになって大分緑茶が広まったと思われるし最近ではペットボトルでも販売されるようになってより普及しているところであろう。

それでもまだドラマで冷蔵庫から容器を出してコップに注ぐほうじ茶が夕餉の食卓に供せらるるの光景がごくごく当たり前として映し出されている。

それがどうしても味気ない印象を与える。せめて湯呑みにしてほしいものだ。って感じるのはしぞ~か県民だけなんだろか。

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*遠州では発せられない言葉 ああた

「あなた」の感情が昂ぶった際などに発せられる言葉「ああた」。東京方面の言い方なのかな。多分女性が発する言い回しか。

遠州では使われないテレビの中だけの言い方。

そもそもが「あなた」なんて言わず「あんた」を使うので激情しても「ああた」となる事がない。

じゃあ激高したらどういうのかというと色々とあるが「もうっ」・「もうなによを」・「やあ」・「おい」辺りになろうか。

例文 (共通語を遠州弁に訳したもの)

「あなた。ちょっとここに座んなさい。」

  (おいちょっとを。ここんさあ座って。)

「なんだよ怖い顔して。」

  (なにやあ。おっかない顔してえ。)

「いいから座んなさい。」

  (いいで座んな。)

「なんだよ一体。」

  (なんでえどうしたでえ。)

「ああた。これは何?」

  (おい、なによをこれっ。)

「なんでそれをお前が・・・・。」

  (なんで?なんで持ってるだあ。)

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CONTROL 犯罪心理捜査 その9

 そりゃ確かにアッと驚く意外な真犯人ではあったけど。

これはちょっとなあ。

お話しの筋に強引さとかご無体さは無かったけど、こういう人を犯人とするのは掟破りだろうと思ってしまいますですな。人としての道を説くうえでこれはどうかと。

共通点はリフォームというとこまでは面白かったんだけどな。課長さん(勝村さん)見直しちゃいましたよ。

南雲教授(藤木さん)が犯人じゃないと言った事で皆が動いたのかな。言わなかったか信用しなかったら突入やむなしという考えで一致したんだろかな。それかとりあえずまずは捕まえといて後から真犯人探すという優先順位という考えにもならなかったのかな。

で、話し変わって監禁。

こういう光景のシーンでいつも思っちゃう失礼な事は、人間って何時間もよおす事に耐えられるものなのだろうという事。しかも立ちんぼだし。

立て籠もった人はそれなりに時間が経つほどに疲労困憊していったのにすげえ体力だったなと思わずにおれないくらい疲労の色が窺えなかった。まあそういう体力あるぞということを披露される程のお方なんでしょうけど。体が刑事向きに出来てるんでしょうね。

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深夜食堂 その10

終わっちゃったな。

こっちがそういう目で観てたからなんだろうけど、仕舞い支度に勤しんでる回に思えた。

もうマスターの「あいよ」が聴けなくなるのは寂しいよな。

やけに旨そうで夜の夜中に腹が減ってしょうがないというそそられ感はもう味わうことがなくなるってのは救いではあるが。

良いドラマだったな。大人の童話として。それとも心のオアシスか?胃袋は観てるだけでいけずだったけど。

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*「どうしょうもない」と「どしょうもない」と「どうしようもない」の違い

遠州弁に於いても共通語に於いてでもそれぞれ異なる言葉であるが耳で聞く限りでは微妙な違いに聴こえてしまうというもの。

「どうしょうもない」・「どしょうもない」・「どうしょもない」。

「どうしようもない」。これを基準として考えていくと

ネットの辞書には、何をしても仕方がない、解決するための方法がないとある。

遠州においてもほぼこの意味使い。救い様がないという意味でも使われるのが辞書とは違うところか。

「どうしょもない」。

これだと辞書にある「どうしようもない」と同じかと。救いようがないという方の使い方はあまりしない。

「どうしょうもない」。

打つ手がない(八方塞がり)・救いようがないというニュアンスで使われる。「どうしようもない」と近いところであるが救いようがないというニュアンスが異なるところか。こちらの救いようがない様は匙を投げた呆れかえった感じがより強いものである。

「どしょうもない」。

他の言い方としては「どしょんない」。「ど」+「しょうもない」であり前の二つとは全くの別物。

これの意は救いようがないという意味一辺倒。つまり「ついてけない」・「あほかあ」などという事。呆れるを通り越して限りなく見捨ててるに近いニュアンス。

「あいつはどうしようもない」だと「あいつは何も期待できない」もしくは「制御できない」といったニュアンス。

「あいつはどうしょうもない」だと「あいつは手に負えない」

「あいつはどしょんない」だと「あいつにはホント困ったもんだ」

「どうしようもないだろうが」という場合

「どうしょうもありもしん」となる。これが「どしょうもねえら?」とかいう言い方になると「ホントに使い物にならないだろう」という意味になって打つ手がないという意味使いの場合では存在しない表現となる。

したがって「もう打つ手がないだろ?」と言いたいのに「はあどしょんねえら?」なんぞと言ったら「本当に使えない奴だろ?」と発したことになり騒動の元になる。

「あいつは本当にどうしようもない奴だ」(あいつは本当手に負えない)という場合

「あいつぁホントどうしょうもない」・「あいつホントどしょんないにい。」などという言い方が存在する。「あいつホントどうしょもない」とは屁理屈的には言わない筈だが実際そう聞こえる場合がある。こういうのは「「どうしょぉ」と発していて「ぉ」が聞き取れない事によるものであろうと勝手に推測している。

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三国志 第9話

貂蝉が挑戦中。しかしてようせん仕舞い方だったな。

貂蝉の最後とはどういうものなのかというのはいまいちよく知らないのだけれど

ここでは自らの命を賭してというものだった。

このドラマに於いては狡猾というものではなく呂布LOVEを貫いたような描かれ方だったなあ。巧みに両天秤に掛けて不仲を作り出した海千山千というものではなかった。

こうする理由は呂布を狡い男に描きたくないという意図か。

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Dr. 伊良部一郎 第6話

 なにはともあれ中山忍さんを観てるのが悦な回だったな。

浅はかにも水着姿に期待しちゃいましたよ。お顔ももちろんだけど雰囲気が好きだな。だからあの水着はちょっと残念。しかしてめがね顔もいいし想像シーンとかも含めたキャラ(部下に対して・上司に対して・家において・インザプール・伊良部といる時など)の使い分けも含めての沢山な喜怒哀楽の起伏にとんだ表情されてて色々なお顔と容姿愛でれて至極満足じゃ。

で、お話しの流れは病気の根源が予想外なところであって想定をひっくり返されて愉快だった。

まずもってストレスの原因は仕事にありと思わせといて。

改善案としてスポーツを勧めたらそれが副作用みたいに依存症に陥ってしまう。

この時点でその副作用をどう鎮めるのかがこの回の見せどころなのかなと思って観ていたら。

実はストレスの根源は夫に対して言いたくても言えない優しさからくる鬱積だったという展開。これが予想外だったな。

旦那が浮気と勘違いして勝負に横槍をはさんできた時はまた話がややこしくなったなと思ってたんだけど実はそうなるように仕組んでいたという周到さ。

実は名医なんだなと。でもそれは診立ての方であって治療方法についてはやはり迷医としか映らないけど。

不思議だったのは、パパのお力で会員制のプールに潜り込む事なんか容易な事と前回までの様子を見てると思えるのになんで張り紙如きであげな締め出しをくらったんだろ。あれごときなぞ親の名を出せば七光ると思えるのだけど。あれも計算のうちだったのかな。あえて患者を連れ回して旦那をやきもきさせるという。考え過ぎか。

それとどうしてああいう依存症に陥っていまうのかという理由がよく分からなかったな。快感の理由はランナーズハイみたいなもんというのは言ってたけどそれだけじゃ水に恋い焦がれる理由の説明にはなってないと思えた。そう思えるくらい禁断症状が劇的で特異に感じられたんで気になってしまいました。

で、やっぱそうはいってもこの回の見所は「中山忍」だったな。どうして色んなドラマとかにもっとお呼びが掛からないんだろ。

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*いいこんじゃん・いいこんだらあ

「いい事じゃない」・「いい事だろう」。

あえて訳す必要のない言い回しであろうが他地域の人では絶対発しない遠州弁独特の言い回しであろうな。男女共用。

「いいこんじゃん」次に続く合いの手のパターンとしては色々あるけど

「どこがよを」(不同意)・「なにゆってるよを」(否定)・「そうけえ?」(同意)辺りかな。で、

「だってさあ云々」(不同意への説明)・「んなこたねえらあ」「だってそうじゃん」(否定+反論)・「そうけえじゃありもしん」(とぼけるなよ)とかで返すかな。

そこはかとなく親身ではない印象を受けるところである。

「じゃん」と「だらあ」の使い分けについては「~じゃないか」(決め付け)と「~だろう」(推量)といったニュアンスの違いであろうか。

例文

「あ~忙しい。いつんなったら落ち着くだいやあ。」

「商売繁盛だでいいこんじゃん。」

「なにゆってるよを。ウハウハなのは会社の方だけじゃん。私ら全然休みが取れんだに。」

「んなこたねえらあ超勤とかで結構くれるだら。」

「あんたねえこんなのずうっと続いたら体持ちもしん。金と時間どっちが大事だと思ってるよを。残業やる分友達減ってくだでねえ。」

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スクール!! その8

 いよいよ佳境に入ってきたってのを実感する展開だし迫力であったな。

まずは学校存続の危機。

そしてクラス最大の問題児(問題を抱えているという意味)を如何に救うか。

幹ちゃん(岸部さん)の容態悪化。

これらが一気に押し寄せて押しつぶされそうな勢い。さてどう乗り越える成瀬校長(江口さん)という展開。

まずはこの回で津波の襲来とその大きさが描かれていた。

学校存続の危機についてはそれに対してまだ具体的な行動をとっていないからこれからなんだろうな。一番の偉いさんを説得するのか保護者・近隣住民一丸の嘆願書とかいう方策かはたまた実際生き延びた学校の知恵を参考にしてなにかを示すのか。政治的圧力で阻止するなんてことはなさそうだな。

クラス最大の問題児。DVかあ。根が深いというか、家にあんなモンスターが巣食っていたらどうすべえ。口は悪いが行動が伴わないへたれな自分が当事者(親)だったら絶望しか選択肢ないよな。SOSを発していないということはまだそういう絶望感に満ちている訳ではないのかな。SOSを発したらかえって状況が悪化すると思ってる事だけは言えそうだけど。

まあだからといってその反動で学校ではいじめる側になるというのは自分には理解できない事であるので自分に置き換えてみてもその心根は読み解けないだろうな。

ということでこうしたらどうだろとかいうアイデアは何も浮かばないので成瀬校長のお手並みを期待して観よう。

幹ちゃんの容態悪化については、お医者様からは五分五分と言われていたのだから手遅れと決めつける訳にはいくまいて。あまりにも善い人は長生きしないというジンクスを乗り越えてエンディングに進んで欲しいよな。

それにしてもこのドラマホント台詞が決まってるなあ。

ドラマ観てる人なら分かると思うからはしょるけど「暴力は愛がなくてはいけない。愛するに値しない。だから俺はお前たちに痛みを教えない。」

言葉だけだと説得力ないけどあのシーンを観てたら説得力あったな。

「身勝手な暴力に立ち向かう必要はない。逃げればいい。」

恥も外聞も信念に対して抱くべきもので脇道というか邪魔が入るものに対しては恥も外聞も要らないということなんだろうかな。

そういえばなんで読んだか忘れたけど西南戦争での戦い方で薩摩武士は勇猛果敢だが一旦引くとなると脱兎のごとく後退したとかいうのを何かの小説で読んだな。引くときは引く押すときは押すそれが徹底してたということでそれはサムライにとって恥でもなんでもないという事だった。恥をプライドに置き換えた方がいいのか。

とにかく多分それとおんなじとこなんだろうな。なんに対しても紋切型というのは誤った考え方なんだろうかな。「暴力に屈するな」というのは闇雲に立ち向かう事ではないのだろうな。

それにしても「かしがある」というのはこの事だったのか。そんな昔の「かし」よく有効だったな。

まあとにかく来週以降がいつも以上に楽しみだ。

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*てえあまる

「てえあまる」は遠州弁の場合「手に余る」か「手が余る」か。

応えは「手が余る」。「手に余る」はそのまま「てにあまる」という事が多いが「てんあまる」と「ん」を使う使い手も存在するし「てあまる」という使い手もいる。もっとも実際は「手に余る」は「わしじゃ無理」もしくは「おえん」・「手におえん」などという事の方が最も多いが。

「てえそめる」は「手を染める」か「手で染める」か。

応えは「手を染める」。「手え」を使って「手で染める」と言いたい場合には「手え使って染める」とかになる。

「てえおえん」は「手に負えない」か「手では駄目」か。

応えは「手に負えない」。「手では駄目」という場合は「手じゃかん」もしくは「手じゃおえん」。

「てえひく」は「手で引く」か「手を引く」か。

応えは「手を引く」。

「てえふるえる」は「手に振動が伝わる」か「手が震える」か。

普通は「手が震える」。「振動が伝わる」だと「てえくる」とか言う。

つまりなんとはなしに「で」は「え」にはならないということであろうか。

なるということでは「を」・「に」・「が」は「え」にはなる。だからといって

「手に手を取って」という場合「手に手え取って」

「手と手を合わせて」だと「手と手え合わいて」

といった風に決して連呼「手え手え取って」・「手え手え合わいて」とかにはならない。当たり前か。

「手え手をとって」とか「手え手を合わいて」という風にもならない。

詰まり何某かのルールが存在するという事が想像でき単に長音化だという枠で片づける事ではないのであろうか。

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