« *れれ足す言葉 | トップページ | 犬を飼うということ その5 »

 初日は混んでるだろうと思い一週ずらし尚且つ平日映画館に行きし腹積もりであったが知人より「岳観にいかまい」とて誘いありたるをもってならばと本日行きたり。そこそこに混みたりて真ん中の席をとお願いしたらば結構前の列に陣取る事に相成り候。

予告映画の中にはめまぐるしく動き回る(これを躍動感と呼称するには無理が祟る)ものとかがあって、そのパッパと変わるシーンの洪水に目がついていけずこりゃ参ったなと席のせいかと思ったがいざ本編が始まるとじっくりとした映像で大丈夫だった。(つまり目が痛くなるのは場所のせいではなくそういうお作りの映画のせい。)

岳はおだやかな映像といえるのかもしれない。しかして映し出されし光景(人々の行い)は日常を超越していて半端なし。もっとも作為的に派手にせずとも背景是れ美景なれば無駄な画の動きは不要ともいえる哉。

単純に観終わっての感想は、これシリーズでいけるな、次を観たいな。というもの。(もちろんリピーターになりうる内容でまた観に行くかもしれないが。)

この作品では救助する側が主に描かれていたから次回作は(があるならば)救助される側からの視点から映る三歩や久美の姿を主に描いて欲しいなあと思える。

尚、一回しか観ていないのでいつにもまして意味不明な感想ではありますが。って今日に始まった事じゃなくいつものことか。ところで最近滅多に映画の感想書かなくなったけど観なくなった訳じゃなくて観たもの全部書いてたら底の浅い感想しか書けないくせに金返せ的発言が多くなってしまうのでそれじゃあなんだかなあと思えてきたのとホントに好いと感じたものだけにしようと思ったので。つまり岳は好きだと思えたということ。

そもそも観ようと思った動機は

カラピナやロープとは縁の無いなんちゃって山ハイカーとしては自分が行けない処からの山の景色を愛でたい。

原作の岳が好きだから。

地元の優「長澤まさみ」が出てるから。

といった理由が言い訳として浮かんでくる。まあホントのところは直感でこれはいいんじゃないのか?と思えたからに他ならないのであるが。

この映画を宣伝すべくさんざっぱら番宣で色んな番組でのバラエティゲストジャックを小栗さんと長澤さんがこらしょとしていたんだけど、不思議とストーリーとかが明かされていなかった。そんな込み入ったちょっとでも話したらネタバレになりかねないような展開なのかなと思ったりもしてたが。

観終わって思った事はこりゃ確かに映画の魅力を口で伝えれらるもんじゃないわと。視なくちゃ伝わらないものが映ってる。しかもこれがまた深いんだよな。多くを語ろうにも語るより観よだなと得心がいった。

「また山においでよ」という台詞にしたって散々な目に遭いながらもまた登るってことがどんだけ勇気のいることか、そんな相手に酸いも甘いも知り尽くした上で発する、しかも朗らかにというのは言う方も勇気が要るよな。観光地じゃないんだから山は。誰にでも言える台詞じゃないだけにそう言える三歩という人間の土台がしっかり映されてたからこそ説得力あるところ。

「良く頑張った」はけだし名言だよな。ホント頑張らないとすぐお陀仏だもんな山は。ただしそう言われて頑張りの糸が切れてこれにて頑張り終了で後は依存の方向に引っ張られたら家に着くまでが遠足という鉄則を忘れさせてしまう魔力のある言葉でもあり誰が言ってもいいってもんじゃない訳で。病院での「病院ですよ大丈夫ですよ」と言うのとはまた違うまだまだ難関ありという状態での掛ける言葉としては「大丈夫」とか「後は任せろ」ではなくさあもうひと頑張りという勢い大事なんだけどそれがよく出てたな。久美はそれが言えなくて頬に平手打ち食らわせてたけど。まあやっぱ特異なんだろうな得意の言葉とかじゃなくてこう言えるってのは。

まあどちらかというと台詞で酔わせるんじゃなくその態度で魅了するんだから三歩の魅力は番宣では伝えようがないのは確かで観なきゃ分からんわな。

で、島崎三歩の印象といったらとにかく明朗快活・馬力満ち溢れんばかりというのが思い浮かぶところでそれは小栗三歩に於いてもそのイメージが壊れることなく滲んでいた。小栗三歩の馬力感はアリだと思った。

原作が好きだから映画も観たということでは違和感なく岳の世界を満喫出来愉しめた。

山の景色を愛でたいという点に於いては雲海の夕暮れは美しいけど山の景色は実際歩いて地面に足ついて見渡す景色こそ美しけれと思っていて、「劔岳」でそれを満喫できただけに空撮が気になったな。三歩の躍動感や疾走感を表わすには適していたけど。景色を愛でるという点においては人間を愛でる方に重きをなしていた比重かなと思えちょい微妙な満足感。

「長澤まさみ」はどうだったかというと、佳かった。足が長過ぎないか?(容姿が山屋に見えない)とは思えたがそれは因縁をつけるに近い感想なので置いといて、人物像が活きてたな。原作とは阿久津との関係がひっくり返ってたけど新米が似合うのということなのかな。三歩が太鼓判を押したプロの久美というのを観てみたいとぞ思ひけり。久美の成長記という側面も多分に要素としてありその移り変わりがきちんと出てた風に思えた。

そんで次があるのなら個人的には原作にあった、休みの日にバーゲンに行こうとしてたのに呼び出しがかかってぶ~垂れながらも山に行くというシーンを観てみたい。

まあとにかく、これは!と反応した直感は正しかったな。山で遭難者を助ける。苦難に見舞われても己を信じて助ける。身も蓋もないことを言ってしまえばただそれだけのお話しなんだけど、しかしてただ困難に立ち向かう勇気を愛でるものではない。

伝えようというメッセージはなんぞやと訊かれてもよう分からん。けど、晴れやかな気分になってよし明日も頑張ろうという余韻が観終わって漂うことは確かだよな。

三歩は山に捨てちゃいけないものはふたつあると言っていたけどちまちました悩みとかは捨ててきてもいいんだよな。まあ山に登る事で解消されるって事で捨ててる訳じゃないだろうけど、

この映画のメッセージは、なんで山に登るんだ?=なんで岳を観るんだ?が同じという山に登った時(映画鑑賞中)と下山後の余韻(観終わった余韻)を同じように味わえるということなのかな。答えは人それぞれだろうきっと。自分は山に行くと元気というか一度オールクリアでリセットできる新鮮感(リフレッシュ感)が魅力なんだけど。

そういえばパンフには原作者さんが「元気」というのがこの映画の無言のメッセージなのかなと述べられてたけど確かに終始「元気」だよな。「覇気」・「精気」とも映ったけど。三歩からおすそ分けを貰えてるということもあるやも。

いずれにせよお仕着せのような明確なメッセージではないところが心地良くもある哉。だからといってメッセージ二の次で兎にも角にも娯楽性に徹してるとかいうような柔なものじゃない。山はそんな甘くない。全編CGやセットとかだったら違った印象になるだろうけど実際山に立つというだけで柔さは吹っ飛んで硬派と映る説得力がある。

印象に残ったのは橋を渡る三歩のシーン。攻撃(インパクト)は反復してこそ成果が出るってか。陸に上がった河童状態とはこの事かと人間味に笑えた。

餅は餅屋、山は山屋ってか。「馬鹿」はその道一筋の人間への褒め言葉というのはいい事だと思う。なんでもそこそここなすのも大事だけど他は駄目でもこれだけはというのを有してる人はやっぱ格好いいなと思えるところ。

ところで緊迫感煽らせたら佐々木蔵之介ホント秀逸だよな。

|
|

« *れれ足す言葉 | トップページ | 犬を飼うということ その5 »

3・映画・DVD」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/211000/51668294

この記事へのトラックバック一覧です: :

« *れれ足す言葉 | トップページ | 犬を飼うということ その5 »