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*がんばらんとな

「がんばらんとな」

共通語であり特に遠州弁ということでもないのだが、自らに言い聞かせれば決意や宣言であり、他人に発した場合自らにも言い聞かせる意味もありつつの励ましとして遠州ではよく発せられる言葉。押しの強いものでなく労わりの要素の強い励ましである。

他には「やらんとな」(やらなきゃな)・「見んとな」(見ないとね)

「がんばらんとな」。訳さば「頑張らなきゃな」といったものであるが、他人事として捉えていないよ。あなたの大変さは理解してるよという上でさあ前を向こうと奮起を促しているニュアンスのものである。

古語辞典にある、~というのだな。問い返す語。伝聞を確かめるときに用いる。というものではなく

ネットの辞書にある、「と」で受ける語句に軽い強調の意を添える。

ここでの「とな」はネットの辞書の意での使い方での「とな」であろう。

基本的には

「がんばらんとな。応援するで。」

などというニュアンスの短縮形であろう。従って本来の表記の仕方は「がんばらんとな・・・」と肝心なところを濁すとするのがよりニュアンスからすれば正しいのかもしれない。

「がんばらないとね」と訳せなくもないがこれだと喚起というより諭す勢いで微妙にニュアンスが異なるものである。

これが「がんばらんとなあ」となると「頑張らなきゃね」といったもので異なるニュアンスとなる。こちらの場合は奮起を促すというよりもそうしないといけないよといった促しの要素が濃くなると共に親身度合いが薄くなる。

「がんばらんとかんな」では「頑張らないといけないな」というもので幾分説教じみた要素が含まれる。

「がんばらんな」という言う地域も全国見渡せばあるようなのだが、遠州では「がんばらんな」という言い方はしない。

遠州弁として有名な表現の「まいか」を使うと

「がんばらまいか」・「がんばりまいか」

となるが、「がんばらまいか」は共にという誘いという同じ行動を促す勢いのものである。俺も行くから君も行こうという傾向のものである。

同じ境遇(事を行う)にあってさあ頑張ろうというのであれば「がんばらまいか」であるがより同じ境遇(事を行う)である場合には「がんばりまいか」・「がんばりまいや」という言い方が使われる。

違う(離れた)ところ(立場)から声援を送るというものである時は「がんばらんとな」がよく使われる。

「がんばりない」という言い方は多分に他人事のような印象を与え「まあがんばりない」とか言うと無駄だと思うけど云々というニュアンスになる。「がんばらない」という言い方は遠州弁には存在しない、というか共通語の「頑張ら無い」以外のなにものでもない。

個人的には「がんばらんとな」なんて言えるほど出来た人間ではないので照れ隠しでどこの方言かも分からないような「がんばんべえや」を使う事が多い。

遠州に於いては他には「がんばりい」・「がんばりいや」という関西風の言い方も使われたりすることもある。「りい」の変化したものであろう「三河の「りん」で「がんばりん」とかは言わない。というか「がんばりん」なんて言い方が三河弁に存在するのかも定かではないが。

例文

「いやあえらいしんどいわあ。なにやってもうまくいきゃへん。先が見えんでもうホントいやんなっちゃう。」

  (もうとても辛いよ。何をやっても上手く行きやしない。先が見えなくて本当にもう嫌になってくる。)

「まあそうゆわすとを。家族いるだでがんばらんとな。色々大変だけどそのうちきっといいこんあるにい。」

  (そんなこと言わないで。家族養っているんだから頑張らないと。色々大変だろうけどそのうちきっといい事あるよ。)

これを俺もお前も同じ境遇じゃないか一緒に頑張ろうと言いたい場合にはこの例文だと「家族いるだでがんばらまいか」・「がんばりまいや」(家族いるのだからお互い頑張っていこう)となる。「お互い」という言葉を略してもそういう意味として通用するものである。

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