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AプランBプラン

 オリンピック。カーリングが楽しい。

んで、よく出てくる言葉

「AプランとBプラン」

最善の結果次に良い結果という発想はポジティブでなんかいいなあ。口癖になりそう。

成功がひとつしかなく後はミスと考えるよりも遥かに前向きな気がする。

それにしても英国のスキップ。えらい可愛い人だったなあ。しかもなんか相当上手いということらしい。語学力が皆無なので何言ってるのかさっぱりだけどそれでも言葉もきちんと聞こえてきてそれぞれのお国柄が伝わってきて楽しい。私は独逸語の音が好きなのでゲームとはちと的外れな楽しみ方だけど独逸との対戦が楽しみだな。

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*ひっこまったところ

「奥まったところ」と言っている。感覚的には「見えにくい・判りづらいところ」・「陰に隠れるような処」といった感じか。

「ひっこまる」だと共通語にどう訳せばいいのかはたと困ったので「ひっこまったとこ」とした。遠州弁独特ということではないみたいだがその訳を示すところは見当たっていない。

「ひっこまる」は「引っ込める」ではない。他所の地域では「お腹を引っ込める」というのを「お腹をひっこまる」と言うところがあるらしいが遠州ではそういう使い方はしない。「そんな危ないものひっこめとけ」というのを「そんな危ないもんひっこましとけ」とは言わないのである。

やはり「奥まる」というのが一番近いのだろうか。「ひっこまった」であれば「引っ込んだ」というのも近いが微妙に異なる。「へっこんだ」(へこんだ)という言い方もニュアンスが近いのだがぶつけて「へっこまる」(へこむ)はするがぶつけて「ひっこまる」ことはないのでやはり違うか。

いずれにせよ「奥まる」も「ひっこまる」もあまり使わない言い回しで「奥まった」・「ひっこまった」という言い方のほうが日常的であろう。

例文

「ねえあれどこやったあ?」

  (ねえあれどこやったか知らない?)

「出しっぱあでしょんないもんでかたいたにい。」

  (出しっ放ししといて邪魔でしょうがないから片付けちゃったよ。)

「どこによを。」

  (どこに?)

「非常口んとこの通路のひっこまったとこんスペースあるらあ。そこ置いたにい。」

  (非常口の通路の奥まった所にスペースがあるでしょ。そこに置いたよ。)

「いやだやあ。うっちゃられたらどうしてくれるよを。」

  (なんだよ。捨てられちゃったらどうしてくれるんだよ。)

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不毛地帯 その16

 凄く見応え重厚で酔いしれちゃいます。あの忌まわしい記憶が払拭しきれずソ連行きを拒絶する様が特に凄まじかったところです。

そういえば、記憶と言えばドラマ観てて実際にああいうデマがあったというのを思い出しました。商社を取り巻く偉いさんの中でソ連のスパイではとかいう憶測みたいなのがあったというのを私もかすかな記憶として残ってたっけと。もっともそれはドラマとは他人の空似であろう瀬島氏がお亡くなりになられた際の関連ニュースや記事等によるもので、当時そういうデマが大層飛び交ったというものでリアルタイムでの醜聞という記憶ではありませんが。

抑留生活を強いられた人達はソ連抑留中に洗脳されて共産思想を日本で実践する尖兵となったなんてデマがまことしやかに言われてたような時代でしたから。そう思わせるような労働争議花盛りな世相でありましたでしょうから信じちゃう人は多かったんでしょうかね。

そんなつい信じてしまい易いデマってのはこういう出る杭は打たれるという嫌がらせの為の策だったんですねえ。新入社員を虐め抜くドラマとか今やってますがそんなレベルじゃない半端ない虐めでというか潰しか。結局立場や地位などに関係なく仕事するってのはそういうものとの闘いに他ならないという事なんでしょうね。

いづれにしても20年近く時を経ても尚消えず「ソ連には行かぬ」とあのように取り乱す様というものを見せ付けられると想像もつかないような体験であられたのだろうなと慮るのみであります戦争も戦後も経験してない甘ちゃんとしては。

そういう思いを振り切ってソ連に向かったのですから来週は多少なりとも朗報が観れるのでしょうか。短絡的嗜好でありますが今週はなんか打たれっぱなしな感がありましたんで来週はスカッとしたい気分です。

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*つんで

訳すにはたと困る言葉である。

共通語で近いのは江戸前の「てんで」辺りになるのだろうか。

「そうかってんで慌てて駆けつけたんでえ」

これが遠州弁だと

「そうかっつんでちゃっと飛んできたでえ」

みたいなものか。だとするとその訳は「~というので」ということになるのか。

でも「~というので」だと「つうんで」という言い方になり「~というのだ」だと「つうだあ」となることが多く、適切な訳という気がしない。

「てな感じで」・「てなもんで」の方がニュアンスとしては近いのかな。

例文

「うきゃうきゃぴっぴ ほげほげ~♪」

「このくそ忙しいだに何ご陽気に鼻歌なんか歌ってるよを。」

「嗤っちゃうっつんで。」

  (嗤っちゃうよってなもんだ。)

「なにがよを。ついに気いふれただか?」

  (どうしたんだ?ついに気でもふれたのか?)

「人減らいても仕事のやりようは変わらんだもんで結局二人分を一人がやってるのと一緒じゃん。で給料変わらんだらあ?でミスはするなだらあ?それ考えたら馬鹿らしくてやってれんくなった。」

「今頃悟ったあ。はあとうの昔に皆知ってるにい。」

  (今頃気づいたのかよ。もうとっくに皆判ってることだぜ。)

「じゃなんでみんな普通に仕事してれるよを。」

「休憩室で皆読んでる雑誌見たら?皆転職調べてるじゃん。」

「あ、なるほどね。」

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*はあずいぶんだらあ

「もう随分経つんだろ」と言っている。はしょった言い回しという事。

「はあ」がつかずに「随分だらあ」だけでも「相当だろう」みたいな使い方もしないことはないが「随分じゃないか」(ひどいじゃないか)という意味で使われることの方が多い。

「はあ」ではなく「もう随分だらあ」だと「もう随分経つんだろ」という意味でも使うが「全くもうひどいじゃないか」という意味で使われることも多いので、区別するために「はあ随分だらあ」での「はあ」の訳は「もう」というより「すでに」と訳した方がすっきりはする。

辞書に書かれてある「随分」の意味は「普通の程度を越える様子」という意味と「相手のひどい態度を責める様子」という意味の二通りが説明されている。「はあ」を使うと前者の意味使いでそれ以外では両方の意味を為す使い方があるが主には後者での意味使いとして使われる事が多いのではなかろうか。

知ってしまえばどうという事も無いのだが、遠州弁を知らない人がいきなりこう言われるとおそらく「え?」となるだろうかなと思って記載。

「随分」以外では「がんこ」という言い方もする。意味はほぼ同じ。

例文

「わしまだ打鍵でけんだけん。何やりゃいいよを。」

  (自分まだ打鍵作業出来ないんだけど。何をすればいいのかなあ。)

「何やりゃいいよってあんたこの会社何年居るよを。はあ随分だらあ。」

  (何すればってあんたこの会社勤めて何年になるの?もう大分経つんだろ。)

「居たにゃ居ただん別ん部署だったもんで作業とか知らんだよ。」

  (それなりに長くはいるけど別の部署に居たんで作業手順とかは知らないんだ。)

「そんなんでわしみたいなバイトよりかいい給料貰ってるだでいいねえ。」

  (そんなので俺みたいなバイトよりもいい給料貰ってるんだからいいよな。)

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曲げられない女 その6

 あだけた後の落ち込みが無くなった。先週から。

そは先週から友情なるものが存在し始めたからに相違なく。これは単に度が過ぎたる実直な人間の悲喜こもごもを描くという事のみならず人が人に与える影響というものをも描かんとするに他ならない事也や。

芸達者な三人の軽妙さに隠れていがてら実は結構深い話しをしているのか?なんちゃって。ふんだだこたあねえわな。

病院のベッドで反動もつけずにむっくと起き上がったり藍田(谷原さん)が顔を近づけて来た時の後ろへの反り返り様はちょっと異常なくらい人間離れしていて、早紀(菅野さん)は実は人間とは世を忍ぶ仮の姿で本当は改造されたミュータントかなんかじゃないのかと思えたりなんかして。その姿が露呈してはまずいので頑なに血を採られるのを拒んだのかとさえ勘繰ったりなんかして。機械だから精確にゴミ箱に物を投げ入れられるんだと。なんてたわけた気分にすらなる勢いを感じました。

そんな機械人間が友達に力によって徐々に血が通い人間味を帯びてくるという流れでありましょうや。決してお邪魔虫ではない璃子(永作さん)の存在というのが大きく映ります。全うに考えれば勝手に上がりこんできて問題ばっか持ち込んで早紀の生活習慣をことごとく破壊して来てる訳で。でもそれが早紀にとって「迷惑」ではないというところがこのドラマの観やすいところでありましょうか。

あなたに足りないもの(9年も落ちる理由)それは「心」という鋭いツッコミを璃子にされてえらく動揺してましたが、観てて成程なと思ってしまいました。日記にも「むかつく」という感情が表わされていたりで、ロボットに心が注入されてく物語だと思えなくもない気がしてきました。

人間が理想の人間を目指す為の手段としてロボットのように正確無比であらんとすることは正解ではないということを謳っているんでしょうか。

まあそんな小難しい事考えなくてもあの一連のシーンは十分愉快で楽しく観れました。早紀の「ハッ」と気づいた表情と璃子の「日記に書いていいわよ~」という言い回しが悦でした。

藍田の決意は意外や意外でありました。幾ら向いていないと悟って自分に正直にと決断したとは申せ辞めちゃうとはねえ。今後どうするんでしょ。

にしても最後「妊娠」というのは弩仰天な展開でありますなあ。そういうことするよりというよりも三度の飯より勉強って勢いに映っていましたから藍田の決断よりももっと意外や意外であります。こうなると今年も受からない。もしくは断念ということになるんでしょうかねえ。弁護士になるだけが人生じゃないという生きる上での視野が広がってのエンドなのかそういう困難乗り越えて無事初志貫徹するのか。

どっちもありそうな感じがするけどどうなるんでしょ。とりあえず藍田と璃子はこれにて陰鬱から抜け出しゴタゴタは続けど解放感に溢れた日々を送ることに相成ったということだけは確かなようです。だとすると後は早紀だけか。

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ブルーレイで録画してみた

 私は機械の扱いに強い方ではないのだが壊れてしまったのでやむなしと録画機をブルーレイ対応のものに買い変え早や2ヶ月程。で、ようやっとブルーレイでダビングをすることにした。

といってもハイビジョン画質で録画してそれをそのままの高画質で移し変える訳ではなく標準画質でいいのでひとつのドラマが一枚に収まるようにしたいというのが私の希望なのである。大体全11話だとしてみれば一枚で収まるだろうと踏んでいるのである。なのではなから録画モードは録画時間が重複しない限りは基本ハイビジョン画質ではなく標準画質としている。画質変換せずにそのまま焼けるように。

とりあえずそれくらい貯まったドラマを試しにダビングしてみることにした。使ったディスクは1-4倍速記録対応のもの。

そしたら1倍速でのダビングと機械はのたまう。ほいであんた次の録画の時間と被りますんで録画できんくなるけどええですかと聞いてくる。

そりゃ困るってんで止めにしたけど、つまり録画した時間とほぼ同じ時間がダビングに費やされてその間新規の予約録画は受けつけないって事なのか。大雑把に言えば一枚焼くのに11時間掛かるので他の作業はその間出来ないよってのはこりゃせつないわあ。

普通にDVD-Rで焼くと以前の録画機と較べると面白いようにパッパとやってくれるのにそのギャップがしんどいぞと。どの録画機でもかくたりや。単に無知なだけでちゃんとしたやり方でもあるんだろうか。

今のところDVD-Rの方が安く上がるし時間もかくたる状況であるならブルーレイで録画保存するのは時期尚早なんかしらむ。

ダビング時間が短縮されて尚且つ価格もブルーレイ一枚がDVD-R6枚と同じになるくらいでないとちときついぞな。

もっともハイビジョン画質録画用のものを無理繰り標準画質で使おうとするからこないな仕打ちになるやもしれぬが、如何せん本来の仕様で使えばストレスも溜まらぬやもしれぬが本来の仕様で使えるほどな贅沢は出来ないので試しでもやろうという気にどうにもなれないところではあるだいね。

なんせ真空管の白黒テレビの頃から観始めてるんで何が何でも驚くほど綺麗な画でなくてはどうしても我慢ならんなんぞという勢いにはならないし、これが最終究極の録画形態ということでもなくまた次のものが出るかもしれないとかいう最先端の追っ駆けっこには疲れたというのもあるし。

こういう使い道は邪道なんですかねえ。

結局一気には無理だし途中で止めるのもあれなんで毎日すこしづつちまちまと小分けにしてダビングしました。1週間かかってしまいました。感想としてはなんかめんどっちい。

しかもチェックしたらしょっぱなの1話と2話ダビングに失敗してけつかんの。はあ元の方消しちまったわ。あ~あですわいな。

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遠州弁に変換 ドラマのタイトル編

がんこ強引ではありますがテレビドラマのタイトルを遠州弁に変換してみまいや。ドラマのタイトルって意外と方言にするには往生こくものが多く今まで出来なかったのですがこのクールでは結構変換出来たのでうれしいやあ。(以前のも書きますけど。)で、今後も変換できるのがあれば随時書き足していきます。

*タイトル直訳

「泣かないと決めた日」→「泣きゃあせんってした日」・「はあ泣かんだもんにした日」

「まっすぐな男」→「まっつぐな奴」

「特上カバチ」→「ど凄いヲタこき」もっと露骨だと「どひどいキ○ガイ」

「曲げられない女」→「曲げれえせん女」・「曲げれれん女」

「キミ犯人じゃないよね?」→「あんた犯人じゃないらねえ」

「冗談じゃない」→「馬鹿こいちゃかんて」

「暴れん坊ママ」→「なんしょ どたける おっかさ」

「大奥」→「馬鹿ひっこまったとこ」

*内容からイメージして

「1ℓの涙」→「だあだあの涙」

「働きマン」→「仕事好きな衆」(しごとずきではなくしごと、すき)

「斉藤さん」→「どがてえおっかさ」

「正義の味方」→「なんちゅうねえさ」・「ひょんきんなねえさ」

「あんどーなつ」→「いいとこまんじゅう」 これは強引過ぎるか。

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泣かないと決めた日 その4

 いじめがひと段落し魑魅魍魎の闊歩する様が描かれてる風に映った回でありますが、こうなると俄然怖いもの観たさで興味が増してきます。

と言っても方向転換したという訳ではなく、人を傷つける作業はなにもいじめだけではなく派閥争いなる足の引っ張り合いというダークなドロドロしたものとかも存在するもんだと。つまり地位や年数に関わらず人は誰しも皆それぞれ何がしかの傷を受けて毎日を生きているという事でありまして。スケールアップしてきたと取るべきでありましょうや。

なんて思える程なんか見慣れてきました。予告で次週から反撃開始とか謳われてましたからもっと観やすくなるのかもしれないですな。もっとも決して一筋縄ではいかず激戦が予想される訳でありますが籠城戦よりかは合戦の方が観ている方は観やすいんで。

それにしてもあげなことまでして足を引っ張るとは。会社って何するところなんでしょうかねえ。それを問うというとこまで掘り下げるんでしょうかこのドラマは。お客さまの為に何ぞという建前なんかではなくそこで働く人が会社というところで何をする為に会社という組織は存在してるのか。会社は何をして欲しくて場を社員に提供しているのか。

今実際に行われているいじめを再現して世に知らしめ、そういういじめに打ち勝つには如何にせんとかいうノウハウドラマだけではなく組織の中で働く事の意義というものをも提示するようなドラマだったら凄いな。

それにしても榮倉さんはたっぱがおありなのに誰かの後ろをちょこちょこついていく姿がホント可愛らしいことですこと。前回もそう思ったのですがやっぱりそう思いました。

頭くらっくらしてたみたいですけどその原因はなんなんでしょうねえ。病気ではなく心労に拠るものということなんでしょうか。半端無い時は胃じゃないということなんですかね。病気だったらこんな時に休んだらもっと立場無くなるでしょうし。

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*つった

「いった」と言っている。「釣った」と言ってるわけではない。足が「つった」ということでもない。

「言った」と「云った」どちらも「つった」に変わる。

同じように「言う」と「云う」も「つう」に変わる。

まあ厳密には「といった」・「という」であろうが。

どちらも広い地域で使われる言い回しで遠州独特ではなかろうが。遠州でも使うんだという事で記載。

ただしなんでもかんでも「いった」が「つった」・「いう」が「つう」になる訳ではなくある種の道理が存在するのだろうがそれについてはよく理解も把握もしていないので分かりません。

「今なんて言った?」は「今なんつった?」になる。崩せば「はあ?」か。共通語では「はあ?」はヤンキーの切り替えし言葉みたいな扱いであろうが遠州ではシンプルに「何?」と普通に聞き返す言葉である。まあ多少はめんどくせえなあというニュアンスは含まれるが。

「といった様に」は「つった風に」になる。崩せば「みたいにい」。

「という様な」は「つう風な」になる。崩せば「つうな」。

「そういう風に」は「つうな風に」もしくは「つう風に」になる。屁理屈からいけば「そおゆう風に」であって「つう」にはならない筈なのだが。崩せば「そんだだ風に」。

「さっき言ったでしょ」は「さっきつったらあ」にとはならない。「さっきゆったらあ」が普通。崩せば「ゆったじゃんさっき」。

「なんでもかんでも言えばいいってもんじゃない」は「なんしょつやあいいじゃないだでね」にとはならない。「なんしょゆやあいいっつうもんじゃないだでね」が普通。崩せば「このしゃんべえがあ」。

崩しはあくまで一例です。

「つう」を「ちゅう」という人も多く存在する。その違いや使い分けとかはあるのかというのはまた別の機会にでも検討するけどいまのところ不明。でもなんとなく「ちゅう」は関西や関東で多く使われてる言い方で遠州では両刀使いではあるがそれでもどちらかといえば「つう」の使い手の方が多い気がする。もちろん根拠のない印象だけど。

「という感じでやろうよ」という言い方を「つう感じでやらまいかあ」と「ちゅう感じでやらまいか」という違いでどっちをよく聞くかであるが、まあやっぱどっこいどっこいなのかな。

例文

「あれえ、あいつ今日いんじゃん。」

「体おやいたで今日休むって。」

「なんでえ。どうしたでえ。」

「痛風っつう風に聞いてるにい。」

「なによを通風って。風通し良くしすぎて風邪引いたってか。」

「まあひゃっこくして悪くしただかも知らんがそうゆうもんじゃないらあ。」

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コード・ブルーⅡ その6

 6話のお題は「真実」。それを話すのは難しい。隠し事には訳がある。それを無理繰り知ってしまうと後悔する。とな。

隠し事と嘘との境界線が判らないから知ろうとするということなんでしょうか。つくほうには隠し事であってもつかれる方にはそれは嘘であってという見方が変われば言葉も変わるということか。

そういえばスピッツのお歌の中に「隠し事のすべてに声を与えたら ざらついた優しさに気づくはずだよ」という一節があったけどそういう事なのかな。

「しらをきる」という言葉の「しら」は「白」と書く。潔白とかいう使い方のように「白」は悪い意味で使われるものではなく今回描かれてたエピソードの中ではどれが「しら」でどれが「隠し事」でどれが「嘘」だったんだろ。物は言い様でいくらでも化けますから微妙なところではありますな。

相手を陥れようとするものはひとつもなかった事だけは確かでありましてですが、どれも「知らぬが仏」という訳にもいかず「真実」に辿りついた展開でありました。愕然とはしてましたが知らなかったほうがよかったというのはなかった風に映って見えましたので来週辺りで立ち直るもしくは乗り越え成長するといった様が描かれるという算段なんでしょうか。

受験生の息子。良く出来た息子だあ。今時珍しいや。って確か昨日もおんなじような事書いてたなあカバチで。ああそうかカバチの息子役は太賀さんでこれも太賀さんだった。どうりで。別にワンパターンだと言ってるのではなく珍しいだけに貴重な役者さんなんだろうなと。優等生といえばユイカというのと同じようにこういう雰囲気を醸し出せるということは今の時代稀少で財産だよなと思える訳でありまして。ただ余計なお世話でしょうけど「太賀」という俳優名は一考の余地があるのではないかと。やはり姓名あった方がいいのではと思うのは歳のせいでしょうか。始まりは親を嫌う小生意気な自分中心というイメージでそれが話し合ううちにいい息子だと気づくという設定であったのでしょうけど若干小憎らしいガキという感じが薄かった気も致しました。まあこれは昨日の今日ということなんでそのイメージ無意識に引き摺ったということに拠るものなんでしょう。改めてカバチも見直しましたけど雰囲気きっちり別人ですからタイミングだけの問題でありましょう。なんか気になる役者さんです。

脱線しましたが話しを戻してこの親子の関係。反面教師の間柄でありますが反目し合わない理想の親子図なんでしょうかねえ悟りを開いているというか達観してるというか。普通は嫌って終わりですから。この二人から藍沢(山下さん)が隠し事には訳があるという事を教わったという印象を持ちました。あまり人からは影響されず自分で答えを見つけ出してくタイプと思ってただけに新鮮でありました。

白石家の悶着はお父さん誠実な人でよかったねとしか言いようがないところであります。だからといってなんで本人の意思など構わず進路を提示するのかの理由が良く分からないところですが。

それにしても四人の中で一番遅れ気味ともいえそうな緋山(戸田さん)に一番きつそうな試練(訴えてやる)を与えるなんてのは罪な展開だこと。どうなっちゃうんでしょうか。

ところでフェローの期間が終了したらそれぞれどうするんでしょ。四人共ヘリに乗らず別の道を選らんだら洒落にならないところですが。白石(新垣さん)は家庭の事情で父の意に従い緋山は遺族から突き上げ喰らって終了できるかどうか。藤川(浅利さん)は技能的にどうかで。今のところ藍沢くらいしか残りそうにない感じなんですけど。それをどう乗り越えるかということなんでしょうかね。

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*だかも

「そうだかもしれんの」だと「そうなのかもしれないな」と訳す。

つまり「~なのかも」という事であろうか。

「やってしまったかも」とかでも「やらかいただかも」と言ったりもする。関西や名古屋辺りなら「やってもうたかも」・「やってまったかも」とかになるのであろうか遠州弁的にすると(こういう言い方はしないけど)「「やってもうただかも」・「やってまっただかも」ということになる。「だ」など入れなくても特に問題なく会話が出来る筈なのだが、遠州弁では「だ」という言葉がそこかしこにちりばめられている。これは「だ」が大変重要視されているという証か。

だに・だら・だもんで・だで・だでえ・だとか・だあ・だん・だけえが・だだ(ふんだだ・そんだだ・編んだだよ)などと同じ部類に入る言い回しなのであろうかこの「だかも」も。

例えば「ゆっただじゃあ済まんだにい」

  (言ったというのでは済まないんだよ)

共通語訳にすると「だ」+「じゃ」は「~というのでは」

「だ」は遠州弁では重要であるだ。

例文

「そんなことからするよりかこっち先手え出しゃいいじゃないのけ?」

  (それから始めるよりもこっちを先に手をつけた方がいいんじゃないの?)

「そりゃあそうだかもしれんがあ。なんか先やっちゃいたいだよねえ気分的にい。」

  (それはそうかもしれないけどさあ。気分的にはなんとなく先にやってしまいたいんだよね。)

「めんどっちいもんからやらすなあ性分かもしれんけえが、なんしょ周りの眼っつうもんもあるだもんで楽なのからつぶいてった方が進んでるってこんでいい気がするだけどやあ。」

  (手間が掛かるものからやってしまおうという性分は分かるけど周りの評価ってのもあるんだから簡単なものから済ましていった方が作業が進んでると見られていいような気がするんだけどね。)

「そこまで言うだじゃあ そうせすかやあ。」

  (そこまで言うのならそうしてみようかな。)

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特上カバチ!! その5

 素直に観てて楽しい。コテコテのキャラが邪念なくこれでもかという位役割に徹して演じているだけにへこますにしても同情の余地なしで見れるところが見易い限りです。

純な二人の一途な恋模様にほだされっぱなしでしたが、見直してみればあのダニ親父野放しのままじゃんか。住吉先生(堀北さん)達の提案を育ててくれた恩を無碍に出来ないからと受け入れなかった好青年なだけに、今回は成人扱いという奇策で無罪放免になれたとはいえ今後再びダニ親父からなんかあったら邪険に出来ないだろうこの好青年はと思えるのは気のせいか。まだ後日談とか存在しててそのうちまたひと波乱とかが繰り広げられたりするのかな。

まあこの回は若い二人の波乱万丈の末の恋の成就というお話しであったとさということでそれで楽しめたんだから満足とするべきか。

それにしてもホントみんなコテコテでありましたなあ。今時あんな絵に描いたような好青年(太賀さん)絶対いないよなと思える程非の打ち所のない誠実さだったし。あれなら確かに助けてあげなよって思えますもの。

ダニ親父(山崎さん)のたかり具合も息子との対比とかなくてもまあものの見事で。まあなんと憎たらしいものかと。それでいて強奪金融連れ込まれた時の臆病加減も絶妙で。ホント反面教師としてためになりました。

大先生(中村さん)の「絶対許さん」キャラも映えてたし。最後はなんのかんのいっても娘を守る為に立ち上がって乗り込んでくるのかなと思って観ていたんですがそれはなかったですけど。所長としての凄さはまだ能あるだけに鷹の爪みたく隠されているのでしょうね。

なによりやっぱ最大の障害役であった強奪金融の百目鬼社長(本田さん)がよかったなあ。しっかり借金することの怖さが身に沁みてきましたわ。それでいてこのドラマの持つ空気感(バラエティ風味)に則っての軽さもあって。つまり闇(裏)で生きてるんだという怖さと倒すに躊躇ない見事な敵キャラの雰囲気と田村(櫻井さん)らと同じリングで闘ってる同じ階級のような存在感とが見事に合わさって絶妙でありました。

あれ以上マジだったら田村じゃ役不足だったろうしあれより軽薄だったら恐ろしさが失せるだろうし。

このドラマは法律という武器を使っての格闘戦というものを眺めてる感じがするだけに対戦相手としてのゲストの役者さんの腕前が問われるものかもしれません。そういう意味ではこの回はナイスファイトという感じでした。とにかく今回はためになる法律知識とかじゃなく狐と狸の化かしあいが楽しいという感じでありました。

それにしてもいつのまにか住吉先生が「田村」と呼び捨てにしてる事が当たり前に映ってきました。

田村の相手構わずの噛み付き具合も磨きがかかってきたようでありますが、あれで身の危険とか感じたりしないんでしょうかねえ。

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*おぞい

私は使わないので細かいニュアンスはよく判らないのだがこう言う使い手は確かに存在する。ネットで調べたら結構広い地域で使われてるみたいなので遠州弁と言いきれるものではないが遠州でも使ってるということで一応記載。

かく言われた経験から推察すると「ぼろい」といった勢いの表現のようだ。使い古してくたくたとかぼろぼろになってるような状態を指すらしい。ただし「ぼっこい」と違ってけなす意味合いで使ってるつもりはないらしいので素直な感想の表現で悪意はないらしい。が、余計なお世話と思う時も多々あるのでもしかしたら「ぼっこい」とどっこいどっこいなものなのかもしれない。

これは自分の誤解だったが、「おぞましい」の略したものが「おぞい」と思ってた時期もあった。

「あの幽霊屋敷馬っ鹿肝くておぞくてホント厭ったい」

みたいな。そんな勘違いでしたけど。でもこういう使い方もありそうな感じがしなくもないのは気のせいか。

例文

「やああれおめえの車けえ。がんこおぞいじゃん。いつから乗ってるよを。」

  (なああれはお前の車かい。随分使い込んでるじゃないか。もう何年乗ってるんだ?)

「はあかれこれ十年近くはこれ乗ってるかいやあ。」

  (大体十年近くはこれ乗ってるかなあ。)

「ここまできたら逆に値打ちでるかもしれんで頑張って乗るだね。」

「どっちみち金んないもんで買い替えれんもんで。いごかんくなるまで乗るだあれ。」

  (どのみち買い換えるお金なんてないから動かなくなるまで乗り続けるしかないんだよ。)

「あれえ古いのだと逆に税金とかなんやらで維持費高くね?わしまた道楽で乗ってるだかと思ったわ。」

「そうなんだよなあ。いっぺんに金使うかちょびちょびむしられてくか微妙っつやあ微妙だいね。」

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