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*はすとんがらす その2

以前「はすとんがらす」(すねる・ふくれっ面などの不快を表わす表情)の記事を書いた際、「はす」ってなんぞやのまま分からず仕舞いであった。

そういえばと思いだし「はす」を使った言葉って他にないのかなと巡らし(妄想し)たら

「はすっぱ」(蓮っ葉)という言葉が浮かんできた。

その意味は、言動が浮薄なこと。女性の態度や言動に品がない事。また、その様。そのような女性をも言う。とネットの辞書にはあった。

繋がりが何もないから「蓮とんがらす」という事ではなさそうだ。

話し変わって、鳥のくちばしを「はそ」と言い鳥のくちばしのようにとがらせる様「はそとがらす」から変化して「はすとんがらす」となったという説があるということだが、これについては「」という漢字が「くちばし・はし」と読むというのを見つけたところで「はしとがらす」が変化して「はすとんがらす」となったという繋がりが浮かんできた。

合ってるのかどうかは知らないが話しの筋はこれで通った事になる。

まあくちばしは最初っから尖っているものであって状況によって尖らせたり変化するものじゃなかろうというつっこみはあり「はしみたくとがらす」ということであるなら分からなくもないところではあるがそうではないところに無理が出そう。それにくちばしのような口の表情からすねるとかいうイメージは湧かないのがネックでに思える。「はし」を「はそ」もしくは「はす」と言うというのも無理がなくもない。

突飛な考えではあるが「はしぼそがらす」・「はしぶとがらす」を漢字で書くと「嘴細鴉」・「嘴太鴉」と書くそうな。これのどっちかが変化して「はし」+「とん」+「がらす」=「はすとんがらす」となったという妄想も生まれなくもないな。「嘴太」だったら「はし」+「ぶとん」+「がらす」となってありえそう。もっともカラスがいつもすねて見えるとかいう事はないので説得力は皆無のただの語呂遊びの領域だけど。

他には「端」ではしをとがらせるということで、口先を尖らせるというのではなくて口の端を尖らせる事を「はしとんがらす」で「はすとんがらす」になったとも勘繰られる。表情的にはムッとした感じとなってすねるというイメージには近いところである。しかしながらこれについても「はし」が「はす」に変わったのかの説明が想像がつかないのでなんだかなあではあろう。

などと色々妄想しとりますがやはりなんと申しましょうか、「はすにかまえる」(斜に構える)という「斜」が不快を表わす際に口が斜めになってすぼめる様から「斜とんがらす」じゃないのかと以前の記事で述べたのだが、意味的な「すねる・ふくれっ面になる」という事を考えるとこちらの方がいまも合ってるような気がするところである。

ところで、似たような言い回しで「ちんぷりかある」というものがあり、これとはどう違うのかとかを考えると。

「ちんぷりかある」は態度として横を向く・視線を合わさない・口を利かないといったものが思い浮かぶ。表情としては怒ってるという大雑把な類いでありこういう表情をすれば「ちぷりかあってる」ことになるという特徴的なものは思い浮かんでこない。

「はすとんがらす」はどうなのかというと、はて?となる。どういう態度を指すのかどういう表情を指すのか曖昧模糊としていて具体的なものを説明できない。こりゃ言葉の元を探るよりまずこっちのほうを先に説明できるようにしないといけないな。

諸々結論が出ないがとりあえずその2。

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*遠州では使われない言葉 「やん」

「やん」は関西の言葉であろうか。

「さっきから言ってるやん」とかいう使い方であろうか。

遠州では「やん」はまずもって使われない言葉である。「やない」という言い方もしない。では、代わりに何が使われているかといえばその代表的なものは「じゃん」であろうか。

「さっきいからゆってるじゃん」

「やん」が「やないの」の略だとしたら「じゃん」は「じゃないの」の略ということで似たようなものという事では辻褄は合うような気がする。

他には「らあ」を当てはめても違和感はない。

「さっきからゆってるらあ」

もちろんニュアンスはきつめになって受け取る側の印象が異なるものであるがこちらの方がイントネーションを変えることによって「さっきから言ってるでしょうに」というニュアンスや「さっきから言ってるでしょ」といったようなニュアンスなどの使い分けの幅がある。

それはともかく関東は「じゃん」で関西は「やん」。似た言葉に思える。元は同じ言葉なのだろうか。「じゃん」は三河や相模では以前から使われていたらしいのだが個人的には遠州弁においての「じゃん」は「づら」衰退後に使われ始めたと思えるので西と東で「じゃん」と「やん」にきっかり分かれるとは一概には言えないのかもしれない。つまり過去形だが中間点が存在してたのかもという勘繰りがある。

つまり昔の遠州人だったら「なんしょかんしょさっきっからずっとゆってるづら」となるであろうなと。

ところで関西の人は「じゃん」にはどうも馴れないという話しを聞くと、単に置き換えれば済むというのではなく使いどころが違うということなのだろうか。

「いいじゃん」と「ええやん」では自分が「じゃん」は使うが「やん」を使わない種族というせいもあろうが受け取る感覚はそういえばなんか違って聞こえてくる。

「それくらいいいじゃん」と「それくらいええやん」とした場合「いいじゃん」は細かい事言うなよといった逃げの勢いで「ええやん」は駄目押しというか「なあいいだろ?」と押している勢いに感じるところである。

「じゃん」だと許可を求めるお伺いの勢いに感じるが「やん」を使うと自分の意思を宣言する勢いに感じるところである。こういうところが遠州人からすると関西方面の人ははっきりものをいう人種だと思える要因であろうか。もちろんあくまでそう聞こえるという事であって発した人の本意ではない場合の方が多いのであろうが。

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とてもとても 2010・10~12月

 この期は見応えのあるドラマが多かった。とても多かった気がする。それぞれのクールごとに小割りにして出せばいいのにと思える程に粒が揃ってたなあ。

基本私は優劣とかつけない主義だけどあえて記す、SPECは秀逸だったな。

家に帰るのが楽しみな気分になったのは、医龍3・SPECかな。

尻上がりに興味が湧いてきたのは、フリーター、家を買う。・Q10だったな。

 おじいちゃんは25歳

 なんでか知らんが当ブログでのドラマ感想ネタで今年一番アクセスが多かったというドラマ。別にデータを取っている訳ではないのであくまで感覚であるがこの反応は「らすとふれんず」以来の事だよな。つまり一年に一度あるかないかの反応だということ。にしちゃあ視聴率的に好評だったという話しは聞こえてこないというあら不思議。それはそれはつつましい数字だったらしいのだが観たものの与えるインパクトは比例せずに大きかったのかしらむ。記録が残るドラマではなくて記憶に残るドラマということなのか。

感想としては新鮮ではあったかな。藤原さんの昭和っぽい雰囲気は絶品でありんした。個人的には昭和というよりそれ以前の世代というドラマのお作りに思えたところでありしが。役者パワーで無理を有理(あり)にさせた力技というドラマといえるのであろうかしらむ。

 龍馬伝

 年間通してのドラマだけどまあこの時期枠とみなして。ついぞ感想は書かなかったけど全話観てました。なにせしほりん出るわひらっち出るわで見ない訳にはいくまいとて。

あれを史実と思ったら痛い目に遭うだろうなと思いつつそう思わせる臨場感にほだされての迫力感を楽しんでました。それに土佐弁はやっぱしいいな。

 霊能力者 小田霧響子の嘘

 馴れるのに何話か要したけど馴れたら気負わず楽しんで観れて面白かったな。ほぼ「石原さとみ」の変化を愛でるが如きであったけど谷原さんのぶっとび振りも結構いけてた。大島さんて確かアイドルのお方と記憶してたけど役者さんとしてなんら違和感ないどころか存在感があったしオダキョーとの掛け合いが軽妙で面白かった。

キャラが活きてただけでここまで楽しめたんだから、これがもしすごい本格的なミステリーネタを仕込んでいたならばこれは「トリック」級のドラマという評価を得られたであろうか。

 黄金の豚

 これほど毎回一話の前半部分と後半部分で面白いといやはやとに分かれる感想になるドラマも珍しい。人(役者さん)を愉しむドラマだった気がする。

 ナサケの女

 第一話が他の観たいものと被ったので観ていなかったせいもあって感想は書かなかったけれど他の回は観てまして、非常に骨のあるドラマだったなあというのが感想でした。よく出来てるよなあと。

変な話しではありますが、一話の配分が前半部分黄金の豚的(調査)で後半部分ナサケの女的(組織としての遂行)だったらこれは凄い滅多に観れない極上のドラマに思えただろうとつい思ってしまいました。

 パーフェクトリポート

 面白いドラマだったんだけどスポーツ実況中継の延長で他のドラマと被り一話断念したので感想書く資格失くしたのでありまして残念至極。ドラマそのものは一話欠けたけれど最終回まで楽しく観れた。

人の数ほど都合が有ってそれを横紙破りするのが報道ということなんだろうな。それがいいか悪いかとか喝采を浴びるかどうかとかも人の都合でそれぞれだろうし。と、思いました。

 Q10

 これはもしかしたら同世代の時に観ていたなら名作の部類に入ると思えたのかもしれないと感じさせるドラマだったな。だったと曖昧なのは、そうと感じるには自分は歳を喰らい過ぎて後の祭り状態で直接響く事はなく予感でしか過ぎなかったから。世代限定のドラマだったのかな。でも限定から外れた自分からみてもなにがしか伝わってくるものがあった。

ちなみに予感がしたという点を挙げてみると

*見事な悩みっぷりだった事。答えの出ないものを探すもがき具合が滲んでた。「佐藤健」という役者さんの力量によるものだろうなそう思わせる要因は。役者さん的には「柄本時生」の存在もあなどれなしでもあった。個人的には「福田麻由子」が映えてたという印象であり、かつをも出てたし。

*大人達を優しい視線で描いていた事。大人のえぐさとかいうのを極力排して反抗期の世界でもがいてる目線からみても否定に走るのではなく頑張って生きてるんだなと思わせる善意が感じられた。小川家の空気感が秀逸だったな。

*奇抜な発想を強引だけど破綻を感じさせずに上手くまとめた事。ロボットの登場という破廉恥な物語ということでその助走には苦労が偲ばれたが走り始めたらそういう事が気にならないくらいに展開に引きずり込まれていた。

故にこれは凄い作品なのかも。そう思えるのに商売(視聴率)上可もなく不可もなくという塩梅だったという要因のひとつに謳い文句「高校生とロボットの恋愛を描く学園ドラマ」というのがあったのではないかと想像される。まるでインモラルかのような印象を与えるフレーズで芳しくないというかドラマの本質を突いていなかったのではなかろうか。観る前はえぐい話しなのかと思え敬遠する気でいたくらいだから。

あにはらんやの心象スケッチドラマで見応えのあったドラマでしたが、強いて難点を探すとすれば将来の伴侶となる人との出遭いについて。全然口説いてないじゃないか。上手く出来過ぎじゃないのかと僻み根性が芽生えたところくらいか。

 秘密

 観たというより見たという字の方が相応しい鑑賞だった。ユイカ目当てで観てたという邪な視聴者だったからというのもあるけど役者さんがででんと演じるという提示よりも読み手の頭の中でキャラを想像してく方が楽しめるような気がするお話しに思えて。どうしても役者さんの持つイメージが束縛になって入り込めないなにかがあると感じた次第。旦那の顔出しなしの目線オンリーで話が進んだ方が深入りできたのかもとつい思ってしまいました。

ところでさんざっぱらの期待持たせで男心をかき乱して迷走に追いやるという役柄であったであろうユイカの先生役。イメージ的にはそんなタイプに見えないだけに役者力ではたしてうまく気もそぞろにさせれたや否や。見た程度なのでなんとも判断つかず。

 医龍3

 このハラハラのスタイルが定着していて安心して愉しめるところがいいな。かといって印籠が何分ごろに出てくるとかいうみたいなお決まりに固着しない部分が溢れていて途中から観ても内容が全て分かるとかいう事はないから全部観てはじめて楽しめる。

音楽が強く効果的というのも特徴ではあろうかな。音量を大きめにした方が愉しめるドラマだった。

やはり加藤ちゃんが居ると居ないのとでは違うな。朝田と加藤ちゃんはセットだと思う。

 スペック

 とにかく面白かった。どこぞの世界へトリップしたみたいな世界観が独特で旅行感に満ちていたよな味わいがあった。

話しの筋といい意外性といいキャラの濃さといいそれに対応する役者さんの妙といい遊び心との兼ね合いといい程よい放置といい、全てを兼ね備えていたドラマに感じた。

ただ演出家さんが替わりばんこだったせいなのか瀬文のキャラが回によっては別人か?と疑ってしまうブレを感じたのがだちかんて。とは思いました。

記憶に残るドラマであったな。

 獣医ドリトル

 あまり漫画の方を読み込んでいる訳ではないので胸を張ってこうだと言えないところですが、原作の悪い飼い主への成敗の仕方は絆創膏が必要になるくらいの絵にも描けない恐ろしさとして表現されてましたけど、流石にドラマでその手を使える筈もなく言い負かして二の句を告げさせないという追い込み方をしていましたがこの方が納得度は高かったのでは。

 流れ星

 月9はどちらかというと観ない傾向にある自分がこのドラマは観た。色恋沙汰にあまり興味がなく月9はそれがメインテーマである事が多いからであるのでが。

もちろんこの「流れ星」も純愛をテーマにしたものであるが、男の生き様というのがかっこよくてそれに惹かれたというのが大きかったな。

両方の兄貴がとにかく印象に残る。いまどき多くを語らない男というのが珍しい限りでかえって新鮮だった。

 フリーター、家を買う。

 なかなか光明が見えてこない展開ずくめだったけどそれでも弾けるであろう最終回まで我慢して観れたというのはお気楽主義の私にしては珍しい事だった。

それはおそらく役者力によるものだろうな。悲観に満ちた空気感に染まらない逞しさとは別の生きてる感が滲んでたせいだろうかな。

 ギルティ

 最後まで不毛な出来事のままだったな。悲哀と評するには微妙でもありこれ観て何を感じればいいのだろうという気持ちになった。復讐というテーマである以上番組始まる前から展開は予想してたので予想外という流れでは決してなかったけれど粛々と進む様はある意味意外の部類に属したかな。

 闇金ウシジマくん

 役者力に引く付けられて観たという感が強いドラマだったな。普通だったらこんなおそぎゃー世界のドラマ敬遠するもの。債務者の人間模様が結構決めてだったのかも。もちろん「山田孝之」という柱があってこそだけど。

内容については、詰まる所金が絡むと人に人権はなくただ本性のみが渦巻いているかのようなお作りであった哉。金に振り回されて堕ちてくもの後を絶たずの光景は教訓にはなりえたところであった。唯一の理性と思ってた千秋(片瀬さん)も途中暴力的になってその思いが崩れて最後は辞して面目を保ったけど不動の存在であって欲しかったな。

何が面白くてこの商売やってるのか最後まで分からなかった。

これ観て思えたのはやはり金に振り回される生き様だけは避けないとという思いかな。当たり前の感想だけど。

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*男表現と女表現 その2

男言葉と女言葉といった純然たる言葉による区分がなされている訳ではないのだが、遠州弁には言い回しの違いによって男表現と女表現というものが存在している。

それらの違いについてはホームページの言い回し衆において男表現と女表現とに分けて記載しているところであるがそれとあえて重複したうえで説明をしてみる。

まず細かいながらも存在する言葉の違い。

共通語で「なに訳のわからない事いってるの」を遠州弁で言った場合。

「あんたなにゆってるよを」

「おんしゃなにこいてるだあ」

どっちがどっちかはあえて述べずともおわかりであろう。

「ほいちゃんとみてんと駄目じゃん」

「やあちゃんとみてんでなにやってるだあ」

これも分かるであろう。先が女性で後が男性。そして男女共にの共用的な言い回しでは

「おいちゃんとみてんと駄目だらあ」というものがある。

と、ここまでは露骨に分かるものであるが

共通語での「ちょっとぉ何してるのさ」を遠州弁で言うと

「おいなにしてるよを」

「やあなにしてるよ」

遠州弁を知らない人からしてみればどちらも男だろうにと思われるやもであるが、先が女表現で後が男表現なのである。先を男表現にすると「おうなにしてるだあ」とかになる。

「おい」は女性も使うというのが遠州弁の特徴でもあるのでそれが分かりづらくさせているのであるが。種明かしをするならばこういった声掛け的な「やあ」は基本女性は使わないという点と、「「よを」は女性がよく使う傾向が強い。

「おい」と「よを」を使っているということで女性表現と判断できる。男性については「やあ」の使用だけで判断できる。という点において男女の区別が判明するという次第。ちなみに男は「おい」というより「おう」という方が多いという傾向にあろうか。女性は「おお」は使うが「おう」は使わない。

では次に言い回しによって分けられる違い。

共通語で「そうしてもらえるとありがたい」というのを

「そうしてくれると助かるやあ」

「そうしてくれりゃあ助かるだけど」

声掛け的な「やあ」は女性は使わないと前に述べたがこういう使い方「やあ」=「なあ」での「やあ」は女性でも使うというのが紛らわしいところでありかつ人によっては隔てを有しない場合があるのだが基本は先が女性表現で後が男性表現である。

「そうしてくれると助かるだよを」(そうしてくれると助かるんだけど)

「そうしてくれると助かるだわ」(そうしてくれると助かるんだ)

「そうしてくれりゃあ助かるに」(そうしてくれると助かるわ)

「そうしてくれりゃあ助かるでえ」(そうしてくれると助かるんで)

あくまで基本の話しであって、厳格に分かれている訳ではないので男であっても女性表現を女であっても男性表現を駆使する事もある。

「じゃん」にしても「じゃない」という意味使いからすると女性言葉と思われるが今は性別関係なしに使われているくらい男女の言い回しの違いがなくなってきている。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その11

ほんでもって誰も居んくなった。

快楽殺人の末路はかくも悲惨ということを謳っていたのであろうか。

なんか渇いた印象を与えるドラマだったな。潤いが欲しくなる。

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遠州弁かるた や行 追加

「やいやいや やいのやいので やっきりゑ」

意味

あ~あだよ。あれこれ言われて頭にきちゃう。

や行はこれで三つ目か。どれを選ぶか悩むとこだのえ。

とりあえずホームページの方には連記しとこう。

それにしても相変わらず「る」は捻り出せないな。これが出ないと完成とならない。

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フリーター、家を買う。 その10

 なかなか光明が見えない展開のドラマだったけど惹きこまれて観てたなあ。

日常の閉塞を打破せんとするクーデター、家を買う。とかといった奇天烈な展開に陥らず大層地に足の付いた地道な育成物語であったかな。育成をはめた理由としては再生というには現状回復というには前に進んでるからはまらないし、成長というには青臭い部分が見られないだけに育成という字が似合うかなと。それに周りの人々の支えというものも大層な力であったし。育ったというんじゃなくて育てられたという部分も大きかったんだろうし。

就職決めてから家を買ったんだからタイトルに偽りありではあるけれどこれが一番すっきりする形だよな。

就職先かく決まりたるは至極得心のいく様たりや。

会社を切り盛りするする人からしてみれば、本音で付き合える社員が欲しい。それは社員間でも上下の間に於いてもということであればなお良い。

社員からしてみれば必要とされてるのは能力というだけでは物寂しい話だ。

人間は機械じゃないのだから新品の時が一番性能を発揮する訳じゃなく馴れるに従って能力が向上していくものであろう。

それを見極めてから決断するというのは共によい道だろうな。

職種にもよるだろうけど、主人公の就職への道はそういう流れに沿った理想の形を表わしたものなんだろうな。

それにしても「二宮和也」という役者さんは硫黄島で地を這っても障害を抱えながらセールスマンの道を選んでも不治の病に侵されて余命短しでもとにかく如何なる状況に置いても悲壮感とか破滅感を感じさせない役者さんだなあ。だからこういう陰鬱に飲み込まれそうな状況だらけのドラマでも観れたんだろうかな。

井川さんはえらいお綺麗であらしゃった。それでいて女性という側面よりもお姉ちゃんという家族のひとりという側面が主で現われていて。単なる綺麗綺麗じゃないよな。

個人的にこの回好きなシーンは大悦社長(大友さん)とおやじ(竹中さん)の会話のシーンが印象深かったな。久しぶりに大人の男のさしの会話をテレビで観たというか。ぎこちなく距離を置いた中に共通項を見い出すシンクロ感がなんかリアル。だからといってその距離は決して縮めないとこが大人の距離感だよなあ。

ああいう挨拶が出来る大人に憧れる。

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*らあ=ろう

「らあ」は「ろう」と訳すのが分かりがいいのではと以前書いたが、その変化の流れを書くと以下のようになるのでは。(あくまで推測です。)

「らあ」→「らう」→「ろう」

「だらあ」→「だらう」→「だろう」

「ら」→「ろ」

例えば「行くだらあ」では「行くだろう」という事である。

「行くら」だとその訳は「行くろ」という事になる。共通語的にはおかしいのであるがこういう言語なんだということであろう。遠州弁には存在する言い回しである。

そして「そうだろ」といよりも「そうだろう」という方が正しい言い方であるとするならば

「だらあ」(だろう)こそが正しく「だら」(だろ)は雑な言い方と考えられるところである。

もっともこの屁理屈には無理があるというか大きな弱点は、「らう」・「だらう」なんて言い方読んだことも聞いた事も無いという点にある。

ところで「ろう」という言い方であるが共通語では「だろう」のみであって「ろう」という言い方はないのであろうが、「そうせるろう」という言い方は東海では実際存在するところであり遠州では「らあ」と「ろう」はそのニュアンスが違うものとして使い分けしている。

「ろう」は確信度合いが強い勢い目の推測や予測であり

「らあ」はそれより確信があるわけではない憶測や予感という使い分けである。

「雨が降るろう」と「雨降るだらあ」では降水確率が違って聞こえるのである。

このようになんでもかんでも「らあ」と発してる訳ではないのである。

ところでこの「ら」と「ろ」の関係、「ら」が「ろ」より古いのか「ろ」の変が「ら」なのか。

「ら」は古語の「らむ」の変だという考え方もあるくらいだから現代使いの「ろ」よりも「ら」の方が古いのかな。根拠はないけど。

例文

「○○は持ってった方がええだかいやあ。」

  (○○は持って行った方がいいのかな。)

「誰か持ってくるらあ。荷物これ以上重たくしたかないでいいら持ってかんでも。」

  (誰かがもってくるだろう。荷物これ以上重くなるの嫌だからいいよ持って行かなくても。)

「ふんだだこんこいたってもし誰も持ってこんかったら往生こくにい。」

  (そんなこと言ってももし誰も持って来なかったら厄介な事になっちゃうよ。)

「あいつ心配性だで持ってくるろう。大丈夫だよ。」

  (あいつなら心配性だから持ってくるよ。大丈夫だって。)

「あいつって誰よを。」

「やっさ。」

  (やす君。)

「今回来もしん。駄目じゃん。」

  (今回来ないじゃないか。駄目じゃないか。)

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流れ星 その10

 惚れた腫れたについてはどうにも嗜好として味わうという領域ではないので一番の盛り上がり部分についてははしょって観たという横道外れな視聴者でありますが。

平たく書いてしまえば臓器売買という因果応報で艱難辛苦を味わうお話しであるが、しかして誰一人として不幸に陥っていないという不思議な現象が摩訶不思議。これぞ綾というものかというとこが面白かった哉。

最大の難関の誰も裁けないアニキ(稲垣さん)をどう捌くのかという点が最も注視したところでありますが意外と身を引く様があっさりだったかな。

飛び降りたるシーンにて即座に思いしは理由はなんだ?と。

妹の心は我の元に非ずして最早健吾(竹野内さん)の元にありとて悲観したる故と推察したるも、そんなやわな奴だったかいな?と。寄生先は妹だけではあるまいてと思えるだけに。あてつけだったのかな。

もしあそこで命を絶っていたらどういう展開に転がったんでしょうかねえ。梨沙(上戸さん)は負い目を一生背負い続けなくちゃいけなくなるだろうから最悪の結末にはなっただろうな。

でもまあ死ねるに死ねずで梨沙がまた戻ってきてこれで元の鞘に収まったと思ってたのに通帳見てそうじゃないことに気づく。

で、どうするのかと思ったら別の寄宿先へと宿替えという様。懲りないお人だこと。変な意味で逞しい。

結構徹底抗戦に勤しむ粘着力の強さと手段を選ばぬ暴発性を併せ持つお人のように思えていただけにこの引き具合は淡白に思えてしまいました。

つまるところ最後までこの人何考えてるのか分からないというお人でしたな。

この人がいたからこのドラマが盛り上がったというかハラハラしたというか。

でも健吾の男らしさが一番光ってたってとこがこのドラマの主軸だったよな。

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*きちっと

「きちんと」と言っている。場合によっては「きっちり」・「正確に」というニュアンスでも使われる。

ネットの辞書にも記載があるくらいだから共通語であろうが促音便を多用する遠州弁では「きちんと」よりも使用頻度が高いのが特徴か。それと「きちっと」と「きちんと」を使い分けてる節が見受けられるところもある。

「きっちり」を「きっちし」、「ばっちり」を「ばっちし」とかいうのとはもちろん別種であろうか。そう思えてくる理由は「きっちし」は若者が使うみたいな世代的な違いであって意味的にはほぼ変わらないのであるのに対し「きちっと」と「きちんと」は意味的な使い分けが存在してそうだからである。

そういう一例として

「きちっとしなさい」だと正しなさいといった姿勢や服装といった見た目(外見)を指し

「きちんとしなさい」だと改めなさいといった態度や受ける印象といった内面的なものを指す

みたいな違いか感じられなくもないところである。共通語でもそういった受け取る印象の違いみたいなのが存在しているのか分からないが遠州ではそういう印象の違いで使い分けしてる感じがする。

「きちんと生きなさい」とは言うが「きちっと生きなさい」とは言わないといった具合に。

そういう傾向で似たような共通語には「しゃきっ」と「「しゃきん」があろうか。

ちなみに「ちゃんと」(しっかり)というニュアンスは「きちっと」・「きちんと」どちらにも含まれていると思える。「ちゃんと」と「きちんと」・「きちっと」の使い分けは曖昧でよく分からんが。

「マニュアル通りにちゃんとやった」と「マニュアル通りにきちっとやった」とでは受ける印象はやはり違うのだろうな。

例文

「いつまでやってるよを。んなもんちゃちゃっとやっちゃやあいいじゃん。」

「そうゆうわけにゃいかんだよ。手え付けた以上きちっとやらんと気が済まん性格だもんでねえ。」

「そうゆう性格は他でやっとくりょ。」

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獣医ドリトル その9

命あるものと付き合うには覚悟がいる。

そういうことなんだろうな。

カワイイ可愛いキレイ綺麗なだけじゃ務まらないよと。

頼られる事のありがたさを噛みしめられるのは飼い主の特権だろうけど頼みごとに選り好みする権利はないよという教えでもあろうかな。

面白かったけど、全体的に真面目で統一されていて、もう少し笑いとまではいかずともほんわか・まったりした光景とかが差し挟んであればそのギャップで緊迫感が増してより楽しめたような気がしたよな。

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しょんないTV その2(第3回)

「しょんない」という言葉。

駿河と遠州でそのニュアンスは異なるのかもしれないので先に遠州弁における「しょんない」を述べておくとその意はふた通りのものがある。

「しょうがねえ」と「しょうもねえ」。

「やっちゃったものはしょうがねえ」とかいう使い方の「しょうがねえ」と「しょうもねえ冗談言うじゃない」といった番組でも説明している「しょうもねえ」。それが大雑把ではあるが遠州弁における「しょんない」の意味。

ということでのしぞ~か県のみのローカルバラエティ番組「しょんないTV」。確かに「しょんない」。この両方の「しょんない」を兼ね備えてる気がする。それが緩いけど面白いとこ。

どこがというのを勝手な感覚でぶった切っていうなれば

ピエールさんの遊び心「しょうもねえ」くて思わずにやけてしまう。一応段取りとかを考慮にいれてのご発言も垣間見られるところだがそれを壊す勢いの広瀬アナの反応への駄目出しに近いつっこみとかも笑える要素である哉。

広瀬アナの進行具合「しょうがねえ」くてつい笑ってしまう。瀧さんのつっこみにボケで返すとこは天賦の才なのか。普通ボケに対するつっこみという流れを見慣れてるだけに新鮮なところである。

新人アナのお目付け役であろう杉本アナ?がふたりの暴走を止められない様もなんか笑える。(まああえて止めておられないのでしょけど)

取り上げるネタがそもそも「しょうもねえ」。

まとめようという気が見られないところが「しょうもねえ」。このぐだぐだ感が性に合えばの話しだが私にははまった。

つまりなにもかもが「しょんない」くて看板に偽りなしなんだかな。どれも力の入れ具合がなるくて肩ひじ張らずに観れるのも気楽でいいとこかも。(あくまでそう見えるということであってプロを舐めてる訳ではありません)つまり痛くないテンションということ。前にも書いたけど盛り上げんと全力を尽くすプロの技は時として痛いけどこの番組はそう見せないことを心掛けてさえいるように思える。

それにしても静岡朝日テレビは愉しいアナウンサーを獲得したもんだな。ニュース読みとかの本来のアナウンス技術とかはよくは知らねどバラエティに関してはその野放図な姿が画になるところである。逆にいうとなかなかに独自のバラエティ番組を作るということが難しい地方局においては宝の持ち腐れにもなりかねない感すら湧いてくる。

持ち上げ過ぎてもあれであるが、まだみるいからこその輝きなのかどうか今後場馴れしてはしはし仕切れるようになったらこの印象がどう変わるのか注視していきたいところである。突っ込まれてナンボという気がしないだけに素人いじりを得意とするタイプには思えないからリポートという役柄に果たして向くやらな。

そうそう先の記事で笑うと「志○未来」に似てるやもという事を書いて「○田未来」好きの知人にどうか?と今度問うてみるべやと書いた応え。数日を経て見たか?と尋ね見たとの応え。で?と問うたら「なるほど」と返ってきた。

「しょんないTV」をネットで検索したらば、この番組「○曜どうでしょう」みたいに育てばいいねという意見があった。なるほど言いえて妙だなと感心しきり。

と、えらい長い前置きはここまでにして第3回。

これまでは県内における知れ渡ったような処は素通りしてしょんない処探索してというものであったが。今回はしぞ~か県出身の一流の方にしょんない事お願いするというものであった。

なるほどこれもありだな。企画の幅が広がった感じ。

寄り道のプラモ屋さんの画も面白かった。

次回はなんと元旦にありとな。ある意味凄い。しょんなくないだが大丈夫?

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*そうさあぁ

「当たり前じゃないの」・「そうに決まってるだろ」などと言っている。「さあ」を強く発音する。

他には「そうだよをぉ」・「あったりまえじゃん」などがある。

「今頃何言ってるの」というニュアンスよりも「そりゃそうだよ」というニュアンスの方が強めであろうか。

「今頃何言ってるの」だと「なにゆってるよを」とかが使われる。

例文

「え~とを、確認したいだけどさあ。先ずAをやってほんでBやってそれから最後にCやるじゃんね。」

「なに素人みたいなこん聞いてるだあ。」

「いやあこの作業えらいやっとかぶりだもんで、心配んなっただよ。」

「お~えらい殊勝なことほざくじゃん。」

「そうさあぁ。ミスこいたらてめえで弁償だらあ?洒落んならんもん。」

  (そりゃそうさ。ミスしでかしたら自己弁済になっちゃうだろ?洒落にならないもの。)

「とんじゃかないらあ。主任に泣きつきゃなんとかしてくれるらあ。」

  (そんな萎縮することないって。主任に助けを求めりゃなんとかしてくれるだろう。)

「主任よくたって課長駄目じゃん。しかも今日出張じゃん主任。」

  (主任が擁護してくれてもあの課長じゃ駄目だろう。しかも今日主任出張だし。)

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