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*ぼっちい

「ぼろっちい」と言っている。

似たような表現で「ぼっこい」というのがあるがそれとの違いは「ぼっこい」は作りが粗末といった感じで物の古い新しいには拘らなしに使われるのが多いのに対し「ぼっちい」は古いとか磨耗・消耗したような物を指すことが多いという違い。

辞書・ネットの辞書どちらにも載っていないので使われてる地域の範囲が狭い言葉であろうが方言(遠州弁)と呼べるのかどうかは微妙ではある。

これが「へぼっちい」・「しょぼっちい」・「びんぼうっちい」とかなら分かりがいいのだろうか。もちろん意味はそれぞれ異なるけれどこういう傾向の言葉だということではあろうと思われる。

例文

鹿さん「そろそろ買い替えまいや。」

熊さん「なんでえ、そりゃぼっちいかもしれんがまだ使えるじゃん。」

鹿さん「物持ちいいなあ解かるけど。ぼっちいとかゆう問題じゃなくてさあ。アナログ放送じきに無くなるだもんでえ。」

熊さん「直ぐにじゃありもしん。そんなもん直前でいいだあ勿体無い。」

鹿さん「知らんにい。あたふたしてもを。」

熊さん「なにんあたふたせるだあ。」

鹿さん「そりゃあよく知らんけど。直前だと足元見られて値段高くなるかもしれんじゃん。」

熊さん「今が安いって誰んゆえるだあ。ところでアナログしか映らんテレビしか持ってんでテレビ観れんくなっても受信料取られるだかいやあ。」

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剣客商売スペシャル道場破り

 いやあ堪能満喫しました。お決まりの量産タイプや現代劇風なものではなくこういった上質の時代劇を週に一作観れたら幸せかも。とにかく極上でした。

時代劇でなければ表わせないものが絶対存在するというのがやっぱりあるに違いないと思えます。

それはなんだと言い表せられればいいんでしょうけどまだよく分からないんですよね。

勧善懲悪が超明快ということもあるのでしょうけど現代みたいにストレスと闘っているような根暗さがなくおおらかであり、誰しもがよしんば悪党ですらさえも人生を懸命に謳歌してるような全力感があるからなんでしょうか。悲しむにしても笑うにしても素直で一所懸命に映りしかもそれがオーバーに感じない。

的外れな事を書いてしまいましたが、とにかく全てが人力の世の中というものが生身の人間を描くにおいて絶妙のシチュエーションなんだろうなという事なんでしょうか。

それだけにマンパワー(役者さん)の力量が問われる訳でありますがそれはもうこのドラマに於いては申し分ない訳でありまして。

中村梅雀さんががんこよかったなあ。凄い昔に「ぶらり信兵衛道場破り」って時代劇があって結構好きだったんですが。飄々としたお侍さんが何か事あると道場破りしてせしめた銭で窮地を救うというような展開だったと記憶してるんですが。それとおんなじだあと思って観てましたがこちらの方が遥かに人間臭いものでした。恨みを買って非業な最後を遂げるというのはまったくもってう~んであります。さりげなく武者修行時代にも同じような事の連続で帰りたくても帰れないというのはホントそうだよなあと。

何かを為すには何かを捨てなければならないと言う意味では良心を捨てて悪事の限りを尽くしてた高月南里(温水さん)もおんなじようなもんでしょうか。

死んだら勿体無いと思える人が亡くなっていくから情が移って復讐劇(報復劇)であってもすっきりするんですけど、現代劇では勿体無いと思えるキャラを作るのに苦労するところですがこの時代ではそういう人に事欠かない勢いであり、人としての質の問題として考えると昔の方が立派な人が一杯居たのかもしれないですな。それはリアルな江戸時代の人間の話しではなくて長い年月をかけて創られてきた「時代劇」という創作された時代の中での人間の話しなんですけどね。

ところで無粋な疑問ですがあの焼き討ちが起きなければ果し合いは行われたんでしょうか。

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泣かないと決めた日 その2

 ドラマの内容とは関係のない感想なのでありますが。

 突飛が連続し続けていくらなんでもそれらを一身に受け止める角田美樹(榮倉さん)に感情移入して観るなんてこたあないだろうと思っていたのですが、この間職場で談話してたら「もう頑張れって応援したくなっちゃいますよを。」ともろ被りの奴がいたのでびつくりしました。

まあ確かに歳も若い部類に入るので周りからいいように使われてる境遇ではありますが、あの主人公の目線で観れるというのは普段こちらが気づいていないだけで自分達先輩に対してそういう意識を抱いていたのかとちょっと驚きました。逆に言えばそういう風に観れない自分は多分主人公とは逆の立場にずうっと居たという事なんだろうかなあ。

つまり疑似体験として味わうにはそれに近い境遇の人には出汁が効いてて味わい深く、実生活の上で似たようなことを体験してない人には考えられないくらいピリ辛でどうもという事なんでしょうか。

自分ではそんなことしてる側だという自覚は全くないんですが知らず知らずのうちになんかしてるんでしょうかねえ。

大昔の細腕繁盛記とかおしんとかなどがウケたのはそういう境遇に共感を覚える人が多かったという時代性があると思うのですが、そういうのはもうとうに昔の話で今はもう「辛抱」という耐える美学なんてタンスの奥とかに片されたと思っていたんですが。

どっこい未だ生きてるんだという事なんでしょうかねえ。それともより地下化して陰湿にパワーアップして潜んでいるのか。明日は我が身なんてこともあり得るのかな。う~ん剣呑剣呑。

ところでドラマに限ったことではないのですが、最近は「いじめ」と「仕打ち」の使い分けがちょっとわかりづらい感じがしないでもないですな。今はなんでもかんでも「いじめ」とされてるみたいですけど。どっちもよくはない事ですけどそれでも仕事場でのいじめと仕事上の仕打ちとではする方もされる方も心の持ちようとして異なる気がするんですけど。

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*遠州と三河の「だらあ」の違い

遠州と三河の言葉は近い。でも違う。しかも同じ言葉を発してもそのニュアンスが異なる。らしい。

らしいというのは実際近くに豊橋衆がいて一緒に仕事してても物言いに於いてなんら行き違いとかが生じるということがないからである。むろんここが浜松だということで相手が気を遣っているということもあるのだろうが。「りん」以外は特に違和感を感じたことはないのである。

でもいろんなブログとかを拝見してくと遠州弁と三河弁は違うというのが書かれてあるのをよく読む。

とりあえずその違うといわれている中から「だら・だらあ・らあ」を取り上げてその違いを検討してみようかと。

ウィキペディアの三河弁に載っていた例文で比較してみる。例文三河弁と三河弁を訳したものはウィキペディアから遠州訳と遠州弁変換は当方が考えてみた。

*「次お前の番だら?」

三河(次、お前の番だろ?)

遠州(次、お前の番だろ?)

これは同じである。多少違いを探すとすると語尾が上がっているので遠州だと(次お前の番だよね)となってなんか頼み事をこの後言いそうな雰囲気を有する感じになるくらいか。

*「明日から10月だらあ」

三河(明日から10月だよねえ)

遠州(明日から10月だろう)

三河の訳を遠州弁にすると(明日から10月じゃんねえ)

*「携帯の電波入らん(だ)ら?」

三河(携帯の電波、入らなくない?)

遠州らの場合(ね、携帯の電波入らないだろ?)

  だらにした場合(携帯の電波入らないんだろ?)

三河の訳を遠州弁にすると(携帯の電波入りゃせんらあ

*「これさっきクジで当てただにい。いい(だ)らあ。」

三河(これさっきクジで当てたんだ。いいでしょう。)

遠州だらあの場合(これさっきクジで当てたんだ。多分良い物だろう)

  らあの場合(これさっきクジで当てたんだ。どうだいい(羨ましい)だろう。)

「いいらあ」の場合は殆ど三河との違いはない。

こうしてみると大きく違うことはないが微妙に異なるものだというのが分かる。そしてもし三河弁では「だらあ」と「らあ」に違いがないのだとしたら、遠州弁では「だらあ」と「らあ」では意味合いが変わるというところが違うところであろうか。というか「だらあ」の意味使いが異なるということなのか。

奥が深い。やっぱ実際耳にしないことにはよをわからんしい。

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不毛地帯 その14

 来週が気になります。はよ観たい。どうなるんだろう。というかどうするんだろう。

はらわた煮えくり返ったとこで終わるんだもんなあ。こういうのとんびに油げって言うんでしょうかねえ。いやそんなもんじゃないな。「鮫に油を」じゃまんまだし。

ま、とにかく横槍の凄まじさに圧倒されました。石油公社のお偉いさんがあの人っていうのも世の中なにで繋がってるのかその縁に出来すぎだろうと穿ってみたりもするところですが。

これが最後のご奉公という想いが壹岐(唐沢さん)にあるみたいなこと先週描かれてましたからこの一件絶対なんとかするというか成し遂げるんだろうなと思うのですが、どう動いて鮫島(遠藤さん)達をギャフンと言わしめるのでありましょうか。政治家さんとか使うのかな。外国の海千山千と組むのは自動車の一件で懲りてるだろうし。どうするんでしょうねえ。興味が湧きます。

里井副社長(岸部さん)が療養でいなくなって心置きなくという風になるのかと思いきや大門社長(原田さん)に苦言を呈してちょっと空気が悪くなったりなんかして。

つくづくこの人は世話女房が過ぎるお方なんでしょうか。最後副社長の時みたいに社長とも袂を別つようになるというのだけは観たくないです。

回を追うごとに面白くなってきて観るのが愉しいです。

それにしても何をやっても鮫島が立ち塞がるという風に映るんですけど。いつもどんな時にもかち合うというのではなくて、描かれていない他の仕事とかで鮫島とかち合わない時にはそれなりに障害があったとしても乗り越えて順調に仕事が進んでいくけど鮫島とかち合うと必ず激戦区になるってことなんでしょうかねえ。

兵頭(竹野内さん)に接触を求めてきたいかがわしい連中は一体どういう連中だったんでしょうかねえ。胡散臭いだけということだったんでしょうか。

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恵方巻きなんちゅう風習は知らんにい

 ありゃあ名古屋の風習みたいに思ってただあ、聞いたとこじゃ関西の風習らしいなあやあ。

それん最近浜松辺りでもひゃあひゃあゆうようなっただよ。

ふんだだもんはホント最近の最近だもんでそれこそあれでえそんなんやらんだってとんじゃかないらあ。

なんしょ今まで無しで生きてきて別に不都合あった訳じゃないだでねえ。

正月にやってたテレビ番組でゆってたけど、大安だあ仏滅だあっつう六曜は明治の世になって歴注が禁止されての苦肉の策として暦に使われてそっから大衆に広まったってこんゆっとった。

これえ真に受けりゃあ大安とか気にするのも流行廃りに乗ってるだけじゃんつうことになるだいやあ。

まあさすがにそこまでぶつくさゆっても始まらんこんだもんでゆやあへんけど。

なんしょあれでえの、めんどっちいのはやんぴかはしょりにしといてそうじゃないもんならちゃっと食いついてちっとでもいい目みたいと想わすなあずうっと巡って続くもんだらなあ。

歳の数だけ豆喰えっつわれて勘定するのに往生こきつつポリポリ喰ってる奴がゆったって説得力のない話しだん。ちっとそう思っただよ。

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*聞き違い

「そこに行った方が食べられたりするんですか?」

一瞬そこに行った人が食われちゃうのかと思いました。そりゃ大変だと。

普段から共通語で生きてる人にしてみれば「そこに行かれた方がそこで食べられたりするんですか?」とかで別に変じゃないでしょうけどそういう風に聞こえなくて

「そこに行かれた方がライオンに食べられたりするんですか?」みたいな風に聞こえるんですわ。これって遠州人の性(さが)なんでしょうかねえ。

ところでそもそもの「そこに行った方が食べられたりするんですか?」って言い方は正しいんでしょうか。

まあ、「そこに行かれた方がそこでお食べになられたりすることが出来るのですか」とか「そこ行かれた方がそこで食べることができるんですか?」ということなんでしょうけど。

遠州人的には「そこに行った方が食べれたりするんですか?」という方がしっくりくる。よく言われる「ら」抜き言葉であろうか。

普通に共通語で生活してる人はそうは思わないのだろうかな。

例文

「ワニは非常に珍しいお肉で滅多に市場に出回らないんですよ。ここではワニを養殖してるんですね。買う事が出来ますし、近くに調理してくれるお店もありますのでお越し頂ければ食べられたりも出来るんです。」

「へ~そこに行った方が食べられたりするんですか?」

「いや貴方が食われるとか言うそんな危険なとこじゃないですよ。」

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曲げられない女 その4

 早紀(菅野さん)が悪夢を見るは曰く付きならぬ曰くが憑いてる部屋のせい?それとも今まで生きていてずうっとこんな感じなのか。それともそういう霊感みたいなものを兼ね備えているシャーマンの素養があるのか。

「ひとり」が「独り」と相成ってそれまでの孤高であっても目指していた目的の意義を見失い、孤+独=孤独となって糸の切れた凧となってしまったのを仲間の協力で切り抜けたという展開でありましたが。

それと共に中島先生(平泉さん)も早紀によって折れた志を再び奮い立たせたという図でもありました。これによって無職から解放される早紀であったとさ。という事で観ていてよかったよかったという感じでありました。こういうのは好きです。

でもあれですよね、一度折れた心を再び奮い立たせるのってホント大変な事なんですよね。それは自助努力だけでは如何ともし難いもので、周りの有無をも言わせない空気や流れとか他に選択肢がないという背水の状況とかでないとなかなかもう一度奮い立つことはできないものでしょう。

大抵は生活の為とかのやんごとなき理由があって折れたくても折れる訳にはいかないから折れる前に卑怯でも何でもうまいこと逃げるもので折れるところまでに至らないものですが早紀は曲げられない人ですし中島先生も似たもの同士みたいな曲げたくない理想を掲げておられそうですから。

ドラマでは早紀という猛烈なパワーを有した人物に出遭ったからこそ中島先生は再起動できたんだろうな。一度折れた心を奮い立たせるという至難の業を表現する為に接吻するんじゃないかと思えた位近接して翻意を促すという形をとられたんだろうかな。あれくらいガツンとやらなきゃうそ臭く(都合良過ぎ)映りますから私は違和感感ぜずなるほどと思って観てました。

早紀の方はというと中島先生に父の面影を重ね合わせて、その人が今降りようとしている様を見て目が覚めようとしているところに瑠子(永作さん)の

「自分で泣けないんだったら私が手伝ってあげるわよ!」

と言って完全に目を覚ましたという形でありましたが、泣き方が可愛かったでおますなあ。びんびんでもぎゃあぎゃあでもなくかといってこらえでもなく堪った膿を出してる感じが出てるなあと思えました。でもあんななぐさめの形は初めて観たって勢いで予想もつかない手段でありました。面白かったです。

「つぶやいったあ」とかやる人だったのか。

公園のベンチでたそがれてたけど画的になんかあまり観た事もないような画だったなあ。まさか長時間撮影しての早回しなんていう単純なものじゃないでしょうねえ。もしそうだったらあのシーンだけで相当な時間費やしてるってことになりますから。いくらなんでもそういうことはないでしょうけど、ちょっとしたシーンでも工夫されてて面白いですね。

無気力無感動状態なのにチーズには手を出さないということがあれ?と思いました。自暴ではあっても自棄ではないということだったんでしょうか。手にはつかないけど勉強はしようとしてたみたいですからそれを表わしていたということだったんでしょうか。きっかけさえ見つかれば大丈夫という。それにしては重症に見えてましたけど。

その後ネックレス失くしたとかいうからあの接近戦で中島先生の服のほうに引っ掛かってしまったのかなと思ったんですがそういうことでは無かったです。あれは元に戻ったということを確認する為の出来事だったんですね。てっきりネックレス取りに事務所行ってその時に中島先生から手伝いをやってくれみたいな話しに繋がるのかなと予想したもので。

このドラマのテーマは「誰にも必要とされていない」というものなのでしょうか。三人に共通するキーワードはこれのようです。だとしたこのドラマのエンディングは三人とも「必要されてることを実感する」という形が提示されるということなのでしょうか。それは必ずしも無事10回目にして合格するというまでの顛末ということではないということなのでしょうか。だとしたら合格しようがしまいが「必要される」を得るという終わり方もあるのかな。

で、以下はどうでもいい感想。

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「にい」と「ほい」

ユーチューブで遠州弁と検索してみたらとてもおもしろい動画を見つけました。

うなぎつかんじゃいました

子供連がうなぎつかみに驚喜してる様で14秒程の短いものですが、まあ見事にモロ遠州弁丸出しで。

耳で聞く限りではこう聞こえます。

「あーちゃんだって触れるにい。」

  (私だって触れるぞう。)又は(触れるもんね)

「おい濡れちゃってるにい。ほい濡れちゃってるでえ。」

  (ねえ濡れちゃってるよ。ちょっとを濡れちゃってるって。)

発してる子が女の子かどうかは全く判別できませんが言葉はおそらくはおばあちゃんから受け継がれたものでありましょうか女性言葉です。男言葉なら「ほい」ではなく「やあ」ですので。

「ほい」の使い方が特によくて、あの瞬時の中でも「ちゃんと話しを聞きなさいよ」といったやっきりこいてる加減が絶妙で、しかもしっかり上から目線が出ていて言われた方の「うっせえなあ」という気分も味わえる見事な使い方で「これぞ」というものであります。

おそらくは本人はそういう意識はなく言ってるのでしょうが、おばあちゃんにいつもこう言われてるので似たような状況に遭遇して無意識に出てるんだろうなと想像されます。

「にい」の使い方も可愛らしいと感じます。他所の地方の人が女性の「にい」が可愛いと思えるのも頷けますな。イントネーションは書き文字では伝わらないものですからやはり聞くのが一番。しかも同じ「にい」でもイントネーションの違いで意味が変わるのが分かるということもしっかり表わしている。

文章の流れも「~だよ~だって」という遠州弁らしい形がきちんと出ています。この後続きそうなのは「あ~あ、どうするよをあんたあ」とか「も~あんたわあ、なにやってるよを」とか「ゆってるだになんで聞かんよを」とか言われそうだよなあ。

こういう活きてる遠州弁の音声を私もいつかはブログの中で届けたいものです。遥かなるまほろばですけど。

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*ゆっとくわあ

「言っておくよ」という意味的にはどうということもない共通語でどこが遠州弁だということであるが。

しかしながらそのニュアンスについては方言的かもしれないかもと思い記載。使用頻度も高いし。

使い方としては「ああゆっとくわあ」(一応言っておくね)みたいな感じでそう言われた方としては「頼むにい」(頼むよ)と念を押さずにはいられないような感じになる。つまり親身じゃないというか乗り気じゃないというか。他の事に気がいってるとかということも考えられる。

これが「ゆっとくでねえ」辺りになれば必ず言ってくれるという気がするし「ゆっといたらあ」とかでも安心できるのだが「ゆっとくわあ」だとなにかのついでにとか本当にきちんと言ってくれるのかどうか不安になる勢いである。「ゆっとくわ」だと大丈夫だろうと思える範疇なので「わ」と「わあ」ではニュアンスは違う。

なにもこんな曖昧なニュアンス使わなくともいいのにと思えなくもないのだが結構日常会話の中では頻繁に使われる言い回しである。

言ってはくれないんじゃないかと思わせといて実はきっちり言ってくれたりすると善い人だあとか思われたりなんかするものであるが多用するとその人に対する信頼度が低くなるものだしだらしないと思われ「ちゃんとしなさいよ」とかしょっちゅう言われかねないし。

「言う」に限らず「やる」でも「する」とかでも使われる言い回しである。

例文

「あっちゃんにさあ明日途中から雨かもしれんで傘とか忘れんでよっつっといてくれる?」

「うんゆっとくわあ。雨とかなら止めとかにしんの?」

「別に外 居っぱなしっつう訳でもないだもんでとんじゃかないらあ。」

「ふ~ん。分かった。」

「ちゃんとゆっといてよ。忘れちゃかんにい。」

「雨でも行くにい っつってたよ つやあいいだら?」

  (雨でも行くよって言ってたよって言えばいいんでしょ?)

「傘忘れんでっつやあいいのっ。」

  (傘忘れないでって言えばいいの。)

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コード・ブルーⅡ その4

 第4話のお題は「過去」。

それに対する明快な答えみたいなものは提示されておらず、強いて挙げれば「自分だけで抱え込むは損」という事であったでありましょうか。

痛みは消えないものでそれは「共有」することによって和らいだり前を向く為の源となるっていう感じでしょうか。

白石(新垣さん)と緋山(戸田さん)はそれで心が軽くなったようでありましたが、他の人達は抱えたままでこの回が終わったように映りました。

でもそういうのって戦友並に同じ境遇で苦労しあうくらいでないとなかなか難しい気がしていて、どんどん付き合いが希薄になってく今の社会では生まれにくい「仲間」のような気がしますな。

それぞれが自分の中の葛藤というものでしたが、冴島(比嘉さん)だけは恋人から浴びせられる外からのものという毛色の変わったものでして。なんとなくな形で解決したみたいでした。もちろん私だったら「あっそう、判った」みたいな捨て台詞吐いてもう甲斐甲斐しい事するの止めちゃいますから、あれだけ罵声に近い事言われても変わらない態度を取り続ける事は立派だと感心するばかりでありますが。あれは「変わらない」ということが乗り越えるための答えなんでしょうか。

橘先生(椎名さん)の過去はやるせないですなあ。私なんかじゃ心が潰れちゃいますわ。ホント切ない限りの回想シーンでありました。普段見せてるおちゃらけた物腰はこの一件に拠るものなのでしょうか。誠実の裏返しみたいな。三井先生(りょうさん)との始まりはなんとなくこれだろうかという予測が立つ感じですんで今度は別の道を行ったとこが描かれるんでしょうかねえ。

で、以下はどうでもいい感想。

 エレベーター内での白石と緋山の会話は珍しくファンキーでありまして、ああいう光景見ると緋山は若いなあと。「先生」と呼ばれる職業ですから仕事中は年齢不問な訳ですのでなんか新鮮に映るシーンに思えました。

「ごめんね」・「謝るな」の掛け合いがとても面白かったです。

白石が見てたメールの発信者は思わせぶりに言っていたけれどてっきりお父さんからのものかとその時思ったのですが、その発信者は緋山もびっくりAUってな勢いのお店のママさんからのものというので私もびっくりでした。元「男」ということでかつ白石がああいう手合いと出遭うことが出来るとしたら元患者さんなんだろうなと想像されるところですがシリーズ1見直したら第7話で出て来た大山恒夫さんだったんですな。バンコクで性転換手術してきて絶食しなくちゃいけないのに失恋の自棄食いでケーキ喰らって腸閉塞で往生してた患者さん。「人の痛みを分からないブス」を白石によく浴びせていてという患者さん。担当は白石だったけど緋山は最初救急車で担ぎこまれた時に遭っただけに映ってたけどひと目見て分かったってのは緋山って記憶力いいよなあ。

あの時お店のダンサーとして働いてるから観に来なさいとか白石に言ってたけど、ちゃんと行ったんだ白石は。それに自分のお店持てたんだメリージェーン。でも白石に当てたメールでの名前「恒夫」って。色々吹っ切れたということなんでしょうか。

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*身長の言い方

決して遠州独自の言い回しというものは存在しないのだが、普段はこういう言葉を多用してるよということで。

*「うわずえ」

辞書等による共通語だと「うわぜい」(上背)が正しいらしい。個人差はあるが遠州では「うわずえ」と言う人が普通に存在する。「うわぜえ」・「うわぜ」という言い方をする人もいる。

例文

「あんたうわずえあるねえ。ほんじゃあそこんさあの荷物手え届くらあ。ちょっと取ってみてやあ。」

  (君上背があるねえ。それだったらあそこの荷物に手が届くだろう。ちょっと取って貰えないだろうか。)

*「せえ」

「背」。厳密に訳せば「背が」とか「背の」とかいう話しになるのだが。

「せえたかのっぽ」という共通語もあるだろうからごく普通か。「背伸びする」というのを「背え伸びする」という風に使うのが方言っぽい。

例文

「あれえ暫く見んうちにおっきくなったねえ。あんた今せえいくつあるよを。」

  (おやあ暫く見ないうちに随分と大きくなったねえ。今身長どのくらいあるの?)

こう問われると「一個しかねえわ」と言いたくなる人は多い。が、実際そう答える人はいない。

*「たっぱ」

おそらくはこれも外から入ってきた純然たる遠州弁ではないと思われる。でもまあ普及しているので記載。男言葉であろうか。

例文

「あのにいちゃたっぱあるでこんくらいひとまたぎだらあ。」

  (おのお兄さん身長あるからこれくらい一跨ぎだろう。)

*他にはごくごく普通に「身長」か。言い方は「しんちょお」と言う人が殆どだが極稀に「しんちょ」という言い方をする人もいる。

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特上カバチ!! その2

 第3話冒頭の麻雀の賭け金踏み倒し。理屈はそうでしょうけど弱者を救う図には思えませんでしたな。賭け麻雀する事自体悪さしてるのはを覚悟の上でやっているので因果応報という気がしないでもなく都合のいい事だけ法律を振りかざしている様で後味が宜しくないように映りました。無理目な事でも頼まれれば厭といえない性格だというのを表現されてるのでしょうけどなんかしっくりこない感じでした。

それでも最後の方の重役会議の場に乗り込んでの演説というか啖呵は正論で言い放った後の大団円も爽快でありましたなあ。よくぞゆうたと思います。観ていて気持ちよかったです。決着への展開は随分と都合よくいい方いい方にと進んでいきましたがアリだと思いました。これくらいでないと溜飲が下がらないくらい現実がとてもおかしいことになっているんでしょうから。

本当に困った時に助けてくれるのは数字でも制度でもお役所でもお金でもなく「人」ですから。そういう財産をトカゲの尻尾扱いにして尻尾切りをしてくようなサバイバルに未来があるとは思えないし、契約だあパートだあとかの弱者を生み出してなんかあったら切ればいいや切り易いしみたいな制度そのものに疑問を感じてるだけに、人としての道を説く以外にもそういった制度の存在を否定している勢いでありまして。ここまで言えば天晴れというほかありません。

でもなんで設定として彼ら弁護士じゃないんでしょ。

ところで田村(櫻井さん)はなんか相当な味覚音痴のようですな。住吉(堀北さん)は元ヤンと言ってたし。元ヤンということで度胸があって仲間を大事にするということが今の行動と信念に繋がっているというのは分かりますが、田村の味覚音痴はどういう繋がりがあるんでしょうかね。

そういえばこれって昔やってた「カバチタレ」というドラマの別バージョンみたいなもんなんですかねえ。大分イメージが違うのは友情と恋愛がテーマだったからでしょうけど「特上カバチ」の方は闘うというのがテーマなんでしょうか。いくらなんでも田村と住吉が恋愛モードに入るなんていうことはないでしょうな。それは特に観たいとは思わないのでファイトに徹して欲しいところです。

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ハッピーフライト テレビ地上波初放送

 いやいやまたまた魅入って見入っちゃいましたよ。映画館に数度足を運びDVDも買ってこれでもかっていう位こらしょと観てるのに。それでもあっという間にエンディングまで突っ走るこの勢いは色褪せないですわ。しかも事の重大さが観た回数だけ判ってくるっていうのもあるし。

映画が103分という長さですのでカットされた部分ってのはおそらくエンドロールのところだけでしょうか。しかも見せ方が違っているのでお顔が拝見できました。スッチャーデスさんに憧れを持ってた高校生が最後夢が叶ってスッチャーデス姿でロビーを闊歩する姿がくっきりと。映画ではお顔の上に文字が被って誰なのか判りませんでしたからこの方がよかったのかな。

やっぱ何度観てもあの小憎らしいガキがスパナ盗めるタイミングがあった風には思えないところです。

新しい発見とかいうのは特になかったんですが、観れば観た回数分だけ凄いことしてるなってるというのが理解できてきて観直しがいがありますな。それはとりもなおさず判りやすさを求めて専門用語を誰にでも分かる様に変換したりとか各人がとっている行動の説明を細かく説明したりとかしていないという作りになっているからで。それがプロ集団という臨場感を生んでいるのでしょうか。

観てる側に迎合することなく専門用語バンバンというのはプロらしさに溢れていてとてもいいのですが本職でもないし飛行機マニアでもない私にとっては最初観た時テンポのよさに引き摺られてかくもありえないトラブルに巻き込まれて往生してるのかという意識が薄かったので、その経験値からするとテレビで初めて「ハッピーフライト」観たっていう人には鈴木和博(田辺さん)の汗はおっちょこちょいの汗にしか映らなかったのやもしれませんな。

そういう意味ではWBやSGと違って矢口作品にしては素人でも直ぐはまるものじゃないというとっつきにくさがあるのかもしれませんが、何度観ても愉しめる事に違いはないのでやっぱり私ははまります矢口ワールドに。

悪党は出さない。悪意は介在しない。一癖ある人達ばかり。でもやるときゃやる人達。

そういう人達が繰り出す愉快な画がどの作品にも万遍なくあるのがいいんですよね。裸足のピクニックだけは微妙ですけど。まあとにかく小難しい余韻が残るのではなく観終わって爽快になれるエンターテイメントな感動が矢口ワールドだと勝手に思っているのでありまして。

だから次早よ作ってください。って話し全然繋がらないけど。でも、「ハッピーフライト」をテレビで観て素直に一番に思った感想です。まだ新作の情報は全く聞こえてこないんでとりあえず今からDVDで音声は監督のコメンタリーで「ハッピーフライ」観直すことにするかあ。

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*遠州では使われない言葉 「なも」

モロ「尾張」といった感のある言葉。その意味するところすら遠州人には理解出来ない。なんてことはなく、遠州弁なら「なや」・「やあ」とかがはまるのだと思ってた。

「そうだなも」というのだったら「そうだやあ」・「そうだなや」・「そうだいね」みたいな。関西だったら「せやなあ」・「ほうやなあ」辺りになるのであろうか。

と、いう風に思っていたのだがネットで調べたら敬語表現と書かれてあった。本物?の上町言葉と呼ばれている名古屋弁は京言葉並みに上品だというのは私でも知っていることなので遠州弁と違って名古屋には敬語表現の方言が存在するということについては得心がいく。

となると「そうだなも」って訳すと「そうであります」・「左様ですね」とかになるってことか。

「なあ」=「なも」とばかり思っていたが全然違ってたってことになる。でも別の名古屋弁紹介HPとかでは「あのなも」を「あのねえ」と訳されてあって、敬語表現であるというのならば「あのですねえ」とかでないと違和感が生じる。一体誰に対して「なも」を使うべきなのかとかいうのも判らない。

こうなるともし「なも」が敬語表現であるならば、元に戻って(前言撤回して)やっぱ遠州人には理解出来ない。なんてことがあり遠州弁に該当する言葉が見当もつかない。が、遠州人が実際耳にして敬語を使われてるとは露ほどにも思えない事だけは確かであろう。

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