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*おぉいぃ

「おい」は共通語においては男言葉でぞんざいな言い方であるとなっている。

しかしながら遠州弁においては女性が普段使う言葉として使われている。と、「おい」の記事で書いたのであるが。

「おい」を訳すと「ねえ」とするのが訳しやすいところである。あくまで横並び(タメ)の表現であるので目上に向かって発する事は普通はしない。

従って「ね~え~」という共通語に当てはまる遠州弁は「おぉいぃ」ということになる。

「おぉいぃ、なにやってるよ」だと「ね~え~なにしてるの?」もしくは「あのさあ、なにやってんの?」となる次第。

これが「おいなにやってるよ」だと「ねえなにしてると」という事になるのだが遠州弁を知らない人にとっては限りなく「ちょっとなにしてんの」と詰問されてる風に聞こえるんだろうかな。

もちろん語気を荒げれば上記のような意味合いで使われるものであり、それだけ幅の広いのが「おい」である。

少々という意味ではなく呼びかけとして「ちょっと」という意味で言いたい場合でなおかつ幾分緊急性を要する場合には「ぉおい」と言う事が多い。

「おいちょっとなによを」(ねえなんなのよ)と言いたい場合には「ぉおいなによを」と言うということである。

共通語的に「ちょっとなによを」と発した場合逆に「待ちなさいよ」もしくは「なによあんた」などといった制止されてるという風に受け取られ反感を買いかねない状況になる事もある。遠州においては「ちょっと」といわれるよりも「おい」の方が親密度が高いということである。

例文

「おぉいぃなにやってんのさっきから。」

  (ねえなにやってんの?さっきから。)

「見りゃ分かるら。明日の準備。朝早いだで。」

  (見れば分かるだろう明日朝早いからいまから準備してるの。)

「準備したってどうせいつものこんで起きれんだもんで意味ないらあ。」

  (準備してもどうせいつもの事で起きれないんだから無意味でしょ。)

「ふんだだことあらすけえ、ちっとでも遅刻の時間すけなくでけるじゃんかあ。」

  (無意味な事はないさちょっとでも遅刻の時間短縮できるじゃないか。)

「そこまで気い遣ってるなら寝なしでいりゃいいじゃん。そうすりゃ遅刻もせんでいいし。」

「あのなあ、寝んでいったらその後えらいだにい。」

「なにせえ行くよを。」

「会議。」

「じゃどっちみち居眠りするだでえらくありもしん。遅刻の挙句に居眠りこくよりか遅刻なしで居眠りの方がまだましだらあ。」

「寝なしで行ったら居眠りじゃ済みもしん爆睡しちまわあ。」

注、「えらい」は「しんどい・大変」といった意味。

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その9

 始まっていきなり、あ、これは堤ワールドだなと確信的に思える。恒に革新的なものを目指しているからなのか核心的部分に突入したからなのかは定かではあらねど。明らかにこれは堤ワールドだよな。

なんでだろ。と訝しく(いぶかしく)思ったところで無条件で引き寄せられるんだから素直に愉しまなくちゃ損だよな。

それにしても血しぶき舞い散る夜の寒空に粉雪までもが舞い踊る様は、あえてな猟奇的なものを幻想のオブラートでくるんでなんとSHOW。

ま、ぶっちゃけていえばグロい行いをけっこい景色で薄めて抒情的に見せかけてるのかなとこのシーンに限らず全体的に。本格的な対決の序章だからとてそれにひっかけて抒情としたなんていうこたあないだろないくらなんでも。

まさにケイゾクの流れに連なっているかのようでまさしくこれはケイゾク2という事か。ケイゾクは破滅というか終焉に向かってる勢いだったけど今回のは玉砕上等の撃ちてしやまん哉。別れの儀式がなんか目立った印象これあり。

単に暴走列車を命を張って止めるとかいう侠気の勇ましさなんかじゃない悲壮感が漂うのはメイドインジャパンならではの美学なんだろうかな。

しかしながらこういう切羽詰まった状況の連続に於いてもしょ~もない小ネタを挟むとこが大好きだ。しかもそれらがなにひとつ本筋の流れとは無関係で邪魔してないから本題は本題の持つえぐいなままのシビア感が削がれないというとこが好きだ。

さあ、来週は最終回。なにも予測立てないで素直に観やう。

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*しーしー

「おしっこ」の事。厳密に言えば「小用を足す」であろうか。幼児言葉であって、大人が大人に向けて使うには相当勇気がいる。というかアホ。全国的な言い回しであろうが遠州でも使うよということで。

「しーしー」は長音化であろうから表記は「しいしい」ではなく「しーしー」とした。

他には「しーこ」・「しっこ」とかが使われる。「おしょんしょん」という言い方も耳にした記憶があるが稀な部類であろうか。「おしょうすい」(お小水)という言い方は病院などではよく聞くがこれって医療用語じゃないのかと誤解するくらい普段使わないよなあ。

幼児言葉によくある「お」をつけて「おしーしー」という言い方は存在する。が、「うんち」の方は「おうんち」と言わないのは何故か?不思議である。

「小便」ネタはそうそうないのでここで思いつく限り書いとこう。

大人が普段使う「小用を足す」の言い方としては他には「小便」・「しょんべん」・「便所」・「お便所」・「小」・「トイレ」・「厠(かわや)」など。山歩きでの女性仕様としては「花を摘みに」。

「小便」は「する」・「してくる」・「出す」が普通で「ひってくる」・「垂れてくる」とかは少数派である。

例文

「出掛けるでねえ。はあ荷物全部持った?忘れもんないらねえ。」

「持った。」

「じゃ、おしーしーは?途中でしたいっつても出来んで今しとけるならしてきなよ。」

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医龍3 その9

 家に帰って医龍を観るのが楽しみとなっている。いいドラマなんだけどよいしょと気合入れなくちゃ観ようという気になれないドラマとは一線を画すとにかく観たいと思わせる魅力がこのドラマには存在してる。

露骨過ぎる野口(岸部さん)の不死鳥を超えたゾンビの空恐ろしさというのもついつい気になるものではあるが。

やはり加藤ちゃん(稲森さん)という朝田(坂口さん)の首に唯一鈴をつけることのできる存在というのが魅力だよな。ある意味せちがらい駆け引きを一手に引き受けて朝田への束縛を和らげているから、朝田本来の(言い方は変だけど)手術馬鹿という水を得た魚的側面に集中できてる節が見られて輝きが増してる感じがいいな。不可能という文字はないみたいな絶対性が増したというべきか。

それを制御するかのように転落事故起こしてたけど、最早障害は自らにしかないという領域に君臨してる感が気持ちいいのかも。これが政治的とか営業的とかいうせちがらい事が朝田を阻む障害ということだとよわっちいとこがあるから歯がゆかったりするものだけど、そういった部分を加藤ちゃんが背負うから水を得た魚のように映るんだろうな。

水を得た魚といえば真柄役の谷村さん。この役者さんに憂いを帯びさせたりとか深い哀しみとか不安を表現させたらホント秀逸だよな。悲しみとか薄幸が似合うとかじゃなく芯の強さがある中でふと見せる弱気って感じでしょうかねえ。

ところで野口がついに鬼頭(夏木さん)を追い出した。凄い手練手管だよな。寝技もかくの如く鮮やかだし海外との交渉もしたたかで。天職は政治家なんじゃないのかと思え、なんで転職しないんだろうと思えてならない。この人はどのシリーズにおいても医療の問題点を突いてくる。今回は海外富裕層の取り込みで病院経営を豊かに。シリーズ2の時も儲からなければ潰れる時代の病院経営の有り方でシリーズ1では腐敗した大学病院の病巣。

一体最終的に何をしようとしてるのかこのお方は。

で、来週が最終回とな。メインディッシュは難しい手術の同時進行ということなのか。黒木(遠憲さん)はどうなっちゃうんでしょうね。朝田達が救わなければ収まりがつかないように感じられるのですが病名から推察するに専門外っぽく助けること能わずなんでしょうかねえ。

野口がてっぺん取ってどうなるのかというのも気になるか。でも例の如くなら今回も嗚呼失敗「なんでだあ~」というオチの筈なんですが。

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ブログ刑事に罪子

 深夜テレビをつけっぱなしというかBGM替わりにしてたら「ブログ刑事」という番組に罪子が出てきた。

こないだタ○リ倶楽部にユイカが出てびっくりしたけどこれまた思ってもいなかったのでびっくりした。

東海テレビ制作のバラエティ番組ということだからしぞ~か県では数週遅れの放送なんだろうな。服装も夏服みたいだったし。(調べたら6/29放送とあった。しず~か県は12/8)

内容に関しては特に感想があるわけではないけれど、罪子の印象は化粧の仕方のせいであろうが年齢お高めに見えるよな。ガールズの中では最年少なのにまるで年長組の部類かのように見えなくもない。これを色気とか艶と表するのであろうか。まさかね。

本質が変わる訳ではなかろうが別人と見受けられなくもない。職種が人をつくるのであろうか。そんなことはないか。経験値のよるものなんだろうかな。

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闇金ウシジマくん その1(第3話まで)

 自分のドラマにおけるストライクゾーンはほんわかした余韻を味わえるものであって、こういうテーマと登場人物が勤しみ蠢く世界観というのはデッドボールゾーンであって普通は毛嫌いして試合放棄(鑑賞放棄)するところだけれど。

観たら不思議とこのドラマは観れちゃうというのだからなんでだろ

決しておとろしさを緩めている訳でもない。ほんにおそがい世界だがね映ってりゃあすのは。

でも観れるのはなによりも役者力によるものだろうなおそらくは。まずもってキャラが立ってなさる皆様方。らしいところは適材適所という事か。ウシジマくん(山田さん)の存在感の見事さは当然挙げるとしても、片瀬さんが効いてるんだろうかな。この方が出演なさると空気が明るくなる。華というよりもそういうオーラによるものだろうかな。

借りる方にも正義がない。言い訳はそれぞれもっともらしいところであるが切羽詰まると思考の幅が狭くなってくのがよく表れてるよな。反面教師に成り得る部分があるのかも。

貸してる側とて借りているという連鎖。苛める側と苛められる側に分かれてはいてもそれで誰が勝者で敗者であるという事でもない無常感がある。じゃ、なんのためになんでやってるんだ?という疑問が湧いて気になってくる。

弱肉強食を強く謳っている。ジャングルの中でのサバイバルを繰り広げているんだという別世界に仕立て上げているかのよう。だから平地からテレビ越しに身につまされることなく観ていられるのかもしれない。

主人公は人を視てる。いくら時代の仕組みがデジタル化してたり理屈っぽくあろうとも所詮人間はアナログであり理性を失ったらそうそう昔と大きく違うものではないんだ。勘繰れば人には数字やデータなどより重要なものがあるんだぞと言ってるかのようにも映る。

もちろんテレビの影響力というものを考えると、海猿が増えるとかならいざ知らずこういう手合いに光を当てて存在の免罪符を与えてしまったら洒落にならないが、この世にも閻魔様はいるんだぞという戒めな存在として成立すれば面白いのかもしれない。閻魔様に舌抜かれるぞみたいな金にまつわる事で溺れたらウシジマくんが来るぞとかいう恐れられる存在になればという事。

これが我が身に降りかかる火の粉の事として観たりなんかしたら限りなく堕ち込む事になるからそういう目線になったら観れたもんじゃなくなるけど。

第一話では夢という霞を喰ってる人間に地に足付けろと実力行使で教えたとも映る。一杯の茶碗に注がれたお茶がうまそうだったな。

第二話では等身大以上の生活は破綻するものだと改めて述べてる。ここでは救いの手はまだ差し伸べていない。差し伸べるのかどうかすら今のところ怪しいところ。

第三話は女性にたかる寄生虫にも一部の労わりの心有りってか。寄生虫駆除の作業員という感じだったな。これで女性の方は完治できたんでしょうかねえ。

因果応報というに直接的応報過ぎてとてもざまあみろという気分にはなりえませんがホント借りる側は野獣というか野生化してるよなあと感じ入りさせてくれる仕立てのドラマですなあ。野生の猛獣VS猛獣狩りといった風情も無きにしも非ずや。

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*まう

「舞う」。どうみてもな共通語ではあるが遠州弁においてはどちらかといえば「舞い散る・舞い上がる」という使い方でよく使われる。

「埃んまうで水撒きない」(埃が舞うから水を撒きなさいな)

「舞を舞う」みたいな優雅な意味使いはしてないような気がする。こういう場合普通は「踊る」を選択する事が多く「まう」に関してはほとんどが迷惑だと思える事に対して使われているような気がする。

混同しやすい言葉であろう関西方面の「しまう」の略形であろう「まう」という言い方は、遠州では例外はあろうが基本しない。名古屋辺りでは使われているようで(素人なのでこれでいいのか定かではないが)

「窓開けりゃあすとまってまうでだちかんて」(窓を開けたら舞ってしまうから駄目だって)

とかいう使い方をするのであろうか。

例文

「おいちょっとを。黒板消し教室ん中ではたかんでやあ。粉んまうじゃん。」

「だって窓開けりゃ寒いじゃん。」

「あんたねえ。そっちゃ黒板消しけっこくなるかもしれんがこっちゃまった粉拭かんとかんくなるだにい。迷惑なこんしてると思わんだけえ。」

  (あのねえそっちは黒板消し綺麗になるからいいのかもしれないけどこっちはその舞った粉を拭かなくちゃいけなくなるんだよ。人の迷惑ってものを考えないの?)

「だってさぶいじゃん。風邪ひかす気けえ。」

「なにゆってるよを、馬鹿は風邪引きもしん。」

「誰ん馬鹿だあ。」

「あんたに決まってるじゃん。」

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宛名は「殿」か「様」か

 宛名をかく時、私は会社で「様」を付けよと教わった。

なんでか。「殿」では不遜であると。

そんなことはないだろう「貴殿」と「貴様」だとどっちが横柄と聞こえるかといえば誰が見ても判るじゃないかと思えるのだが。その事についての反論としてはそんな屁理屈片や武士の世、片や平民の世で使われた時代も用途も違う言葉を並べて較べる事自体馬鹿げてるというツッコミで確かにごもっとも。

冗談はともかく、実際宛名として使われてきた経緯という点で考えると、「殿」については官公庁が主に使っていて、それは民に対してエラそうだという事になって以降は「様」で統一されたという話しをどこぞで聞いたが確かかどうかは定かではない。でもなんとなく「殿」を発する人の背中には権威・権力を背負っていそうな感じは確かにするなあ。

それにそういやあ時代劇とかでは庶民は「おねげえしますだお代官さま」でおさむらいさんは「お代官殿何卒おたの申し上げます」みたいなセリフ吐きそうだものな。

警察とかでの感謝状とか貰うときその宛名は「殿」なのか「様」なのか。ドラマとかだと「殿」というイメージが強いけれどなにせ貰った事もないし貰った人も近くにいないので知る由が無い。なので想像だけどお墨付きという意味でいけば「殿」でもいいような気がするな。実際はどうなんだろ。

サービス業からの郵便は大抵「様」だよな確か。「お客殿」じゃなく「お客様」だもんな。取引先とかだろうな問題なのは。客と見なすか下請けと見なすかの違いだろうか。

自分(送る側)の後ろに看板背負ってるような心意気なら「殿」使っても差し支えないのだろうけど日頃の感謝をこめるとしたら「様」だろうな。

そういう意味ではサービス業でこの世が回ってる今は「様」一辺倒ということが無難なようだ。警察も役所もサービス業だなんていうくらいだもんな。

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*方言表記の仕方

そういえば、「そうダニ」とか「そうズラ」みたく

方言の部分をカナ表記する書き方というのがあったっけ。

書き分けできればそりゃ確かにどれが方言どこが共通語というのが一目瞭然という事になるのだろうけど。じゃあ

「おいあんたなにやってるよを」

を、そういった書き分け調で記載しても

「オイアンタナニヤッテルヨヲ」

ってな感じでまるさら(全て)カナ表記になってしまう。

細かく言うと

「おい」。共通語では男言葉であるが遠州弁は女性が多用する傾向にある。

「あんた」。「あなた」という意味使いというよりも単なる呼びかけの表現である事が多い。従って訳す際には「ちょっと」などとする事になる。

「なにやってる」。イントネーションの違いによってニュアンスが異なる。

「よを」。訳すと「のだ」・「のさ」。

ということで全体を訳すと「なにやってる」を共通語と同じイントネーションとした場合

「ねえちょっと何してんのさ」

という事になる。

遠州弁は自覚の無い方言といわれるのは、こういった一見「よを」だけが方言に思えても実際は全て方言というところにあるのであろう。

そういう事なんで、ここでは書き分け調の記載はしとりません。つうか出来んわな。

注、「なにやってる」

「なに」には「」(A)と「」(B)、「やってる」には「ってる」(C)と「やっる」(D)という言い方があって、あくまで一例だが例えば

A+Cだと「おいお前なにやってんだ」とかいう制止の意味での使い方となる。

A+Dでは「おいおいなにやってんだ」といった正せといった類いの意味での使い方となる。

B+Cでは「一体なにやってんだ」と問うている意味での使い方となる。

B+Dだと「あのなあなにやってんだ」という呆れてる勢いでの使い方となる。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その9

 黒幕現る。これにて謎の部分は解けた訳で。

後は罰を与えるのか罪を明らかにするのか。いくらなんでも死人が出たとてこれにて転進。芽衣子と真島は新たな人生を送るとかいう事にはならないだろうな。

罰を与えるのなら芽衣子(菅野さん)の復讐劇が繰り広げられるだろうし、罪を明らかにするというのなら真島(玉木さん)と万理(吉瀬さん)が奮戦するという事になるのだろうけど。どっちなんだろ。合体技は考えられないところだけれど、法やら警察では正義は行えないという思いは両者一致してるだけに想像外の手段を講じたりするんかいな。

直接手を下さないということなら宇喜田(吉田さん)と黒幕とが互いに疑心暗鬼になるようにしむけて同士討ちなんて事が妄想されるとこですが。

それにしても堂島(唐沢さん)この回は豹変してジャーナリストされてましたなあ。死を賭して記事を残すという生き様であり壮絶でありました。タイミング的にもう少し延ばせば突入してくれて助かろうものをと思うところでありますが、芽衣子を陥れた記事を書いた贖罪の念がそれだけ強かったということなんでしょうね。

他に気になるところはペットショップのオーナーさん(横山さん)。芽衣子への接し方が誠に以て至れり尽くせりな温情過ぎて却って不気味。黒幕関係の罪滅ぼし係もしくは見張り番とかなのかしらむ。なんて穿って見えちゃいますな。果たしてどうなんでしょ。

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フリーター、家を買う。 その8

 少しづつ明るい方向に向かいつつあるのに最後善意とは程遠い罠に絡められるというのは、なかなかに一息つかせない連続感がありますな。反復ではないけれどまたかよって感じで。

劇的なものは無いけれど実際生きてると有り得るよなと思える事の中からできれば避けたい事象を組み合わせるとこうなるのかという説得力がありますな。

それでも自分の事を気にかけてくれる他人がいるということはそれだけでも恵まれてると思えるから、決して最悪の孤立無援な状態の中でもがいてる訳じゃなく。だから頑張れてるんだといった勢いでしょうか。閉塞感や絶望感が希薄なところが観易いところでありましょうか。諦めれば済む話しじゃないってとこもあるし。

必要とされてるところに行く事がいい事なんじゃないのかと思うだけに就職活動そろそろ切り上げて大悦土木で頑張ろうという筋書きにはならないのかな。まあ今の状態で必要とされてるかどうかの確証は掴めませんが。

というか私の見方が悪いせいなのか就職してその会社でなにしたいのかという夢が見えてこなくて、採用されればそれでいいのかという疑問が拭えないところですな。

この就職難のご時世において「なにとろくさいことぬかしとんじゃ。」と言われてしまえばおっしゃる通りではありますが。

結局は何をしたいじゃなくて自分の居場所がそこにあるかどうかという事が大事なんでしょうねきっと。そういうのは入ってみなくちゃ分からないぞと。

大悦土木はそれが実証済みだということでいいんじゃないのかと思えるところですな。

というかそれよりホントに家買えるのか?今の勢いで。

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タモリ倶楽部にユイカ

 自分は殆どバラエティは見ない人間なのであるが、タモリ倶楽部は昔っから観てるのでありまして。

そのタモリ倶楽部にユイカが突如出て来たのでびっくりした。出演したぞなというのはブログで告知がなされていたけれど、しぞ~か県でのタモリ倶楽部は関東よりも数週遅れの放映なので内容及び出演者情報是れ無く何時出るかなんて分からず忘れかえってた次第で、ホント心の準備無くのいきなりでびっくりした。

で、感想はというと。やっぱ露骨ではないにしてもさりげなくいじられてましたなあ軽い下ネタで。つい弄りたくなる清涼感というべきかむくつけきオヤジ衆の中に羊が舞い込んだというべきか。それをどう捌いていたのかのかまではカメラに映し出されていなかったから謎であるが、少なくとも言葉で何か返していた風ではなかったように感じられた。微笑み返しという奴でしょうかねえ。

それにしても好奇心が強いのか物怖じしないのか定かではないがタモリ倶楽部出演とはねえ。そもそも「華」を必要としない番組でありそれぞれの道の好きもんさんや常連が集うというイメージを持っているだけに場違いな感じがしないかと気になったんですがあにはからんやの雰囲気で。(もちろん迎える側のプロの技及び編集の巧みという事もありましょうが)

最後誰(どれ)を選ぶかの大役を任されるも萎縮する事なく(見えた)そつなくこなす度胸というのも見受けられて存外違和感なかったな。ちなみに私はサンバーが好かったな。

それにしても相変わらずさりげなく一所懸命と映るお方だ。

でもまあなんと申しましょうかバラエティもいいけど役者もねとふと思いが浮かびました。

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*「どえらい」と「ばかしんどい」

「どえらい」と「ばかしんどい」。

共に「とても大変」と言っている。困難だという意でも体に堪えるという意でも使う。

では、どっちの方がより大変に聞こえるか。

言い方・使いどころによっても違うところでありあくまでの一例であるが、まず「えらい」と「しんどい」の使い分けを考えてみると

現在その状況に置かれているという場合

「えらい」は今の状態を考えると先行き不安だという勢い。

「しんどい」は今の時点で余力がないという勢いに聞こえる。

次に「ど」と「ばか」をはめるとどうニュアンスが変わるかという点。

「どえらい」と「ばかえらい」

「どえらい」だと無理と訴えてるような状態と聞こえ

「ばかえらい」だと愚痴っぽい弱音という勢いに聞こえる。

こうしたことから「ど」の方が深刻っぽく聞こえ「ばか」には多少の余力があるように聞こえる。

ちなみに「しんどい」の場合は「ばか」使いがほとんどで「ど」は使わない訳ではないが頻繁に使われる言い回しではない。

こうしたことから、「どえらい」の方が大層感が「ばかしんどい」よりも強いというニュアンスであると考えられる。それと共にそれでもやるとなると悲壮感が「どえらい」には加算される感じがする。

したがって

「どえらい」に対しては「無理すんなよ」とかいう労わりの返答が角が立たず「厭ならやめな」とかいった突き放すような言葉を発すると「鬼」と思われる結果になりがちであろう。場合によっては激励でもいい結果にならない場合がある。

「ばかえらい」に対しては労わりも十分有効ではあるが、「そうゆわすと頑張りない」とかいう激励を発しても問題ないし言い方にもよるが「ほれやりない」とか発破かけても左程悪い事にはならない。

何かをこれからしようという人に対し忠告として「どえらいからやめな」と言うのと「ばかしんどいでやめな」と言うのとでは違うのである。止めるつもりなら「どえらい」を使い馬鹿見るよという程度なら「ばかしんどい」を使うといった使い分けであろうか。

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流れ星 その8

 これで終わりでもヤバイぞ十分に。でもまだ続くんだよな。兄貴(稲垣さん)のせいか?それともまだ他に乗り越えなければならない障害というものがあるのだろうか。

それにしても健吾(竹野内さん)は格好いいな。武骨という程でもなしもちろん粗忽という訳でもなく静かなれども決して逃げない正面突破の恰好のいい男。朴訥とまではいかずとも寡黙な男というのも今時珍しい部類に入るのだろうか。

最近恰好いい男が登場するドラマ観た記憶がないので久方振りで、惚れてまうやろ~という気になるのも致し方なし哉。じゃあどういう男が最近のドラマでは闊歩してたんだろうと思い直してみると「秀でた男」とか「イレギュラー(特殊)な男」もしくは「選ばれし又は定めの者」。他には「イケメン」とかいうとこであろうか。普段は平凡(目立たぬよう)に生きるをよしとする人が一朝事ある時には男を見せるというのが恰好いいと思える男なんだろうか。

梨沙(上戸さん)は喩えるなら本妻に気兼ねする日陰の女という勢いで抑圧の中から解放されていない風に映る。そこから解放された時がエンディングなんだろうけど。

どうなればそこに至れるのやら。元婚約者への気兼ねは健吾の方の問題だろうから兄貴の存在が最大の難関なんだろうかなやっぱり。

先週兄貴と喫茶店で話してた相手は記者さんだった。衆目の目に晒して搦め手で妹を捕獲せんと欲すってか。蜘蛛みたいなお人だな。次週の予告編見ちゃったんでこの種が芽を出してそりゃもう大騒ぎさという方向に進むみたいだけど。だからといって妹が蜘蛛が巣を張ってるところに逃げてくるんだろうかという疑問は抱くよな。

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*いくだ

古語辞典で

「いくだ」(幾だ){副詞}いくら。なにほど。いくばく。とある。

辞書にはない。おそらく「いくら」だろうなということで

「いくら」(幾等){副詞}「ら」は接辞。①どれほどの・値段。②そんな(に)。「費用はいくらでもない」。③どんなに。「いくら走っても大丈夫」。とある。

近いけどなんか違う気がしてくる。そこで「いくら」が古語辞典にあるか調べてみると、記載があった。

「いくら」(幾ら){副詞}①できる。②うまくいく。③具合がいい。うまい。

なんか随分と離れてしまった感がある。今使われてる「いくら」と古語の「いくら」は似て非ざるものなのだろうか。

「いくだ」を遠州弁と合わせると

「いくだもあらすけえ、とんじゃかねえわ」

  (いくらもないよ。構ったこっちゃない。)

とかになりそうだ。ちなみにもちろん「いくだ」は遠州弁として使われてはいない古語である。

例文(あくまで言葉遊びですのでお間違いなく)

「市民会館まで行きたいだけど、こっからだとどんくらいかかるだかいねえ。」

「なんでいくだ?歩いてくだ?まあ歩きでもいくだもないだで10分みときゃいけるかあ。」

  (どうやって行くの?歩いて行くの?でも歩きでもいくらでもないから10分見ておけば行けるかなあ。)

ん~なんか訛ってるように聞こえるなあ。というか馴染んでる。とても古語という気がしない。なんかこういう使い手がいても不思議じゃないように思えてきた。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その9

 誠に以てたばかられ申し候由。面白い最終回だった。谷口(谷原さん)が警察官であるべき理由(というか準備室の必要性)が今まで不要に思えてたけれどこういうオチならなるほどと得心がいきました。うまく繋がってました。

最後の方まで谷口が透明人間(犯人)なんだあと思って観てました。おお、こういう意外なオチが用意されてたのかあと。これでエンディングじゃあ切ないやねえと思っていたのですが曲折はあれど「嘘も方便」というか「嘘も被害者を救う」という喜ばしき事なのかどうかは微妙ではありますが悪意の存在しない展開でまずにては目出度さも中くらい哉オダが春。

でも谷口犯人というのにおいての、オダキョー(石原さん)に近づいた訳(捜査妨害)というくだりや未解決事件をNo9に仕立て上げた経緯とかいうのに無理がなかった風に思えたし、なにより谷原さんの迫真の演技で説得力が増して映りました。

よくよく考えてみれば前回の終わりで真実に迫っていたであろうとこを妨害されてた訳だし、オダキョーが説明してた通り解明のヒントを確かに与えていたところだけど。種明かしされるまで気づきませんでいやあホント気持ちよく騙されましたです。

一番の役者は「谷口一郎」でしたけど、それでもオダキョーもなかなかに。

さすがに時間を止める手立ては無理があるだろうと思わないでもありませんでしたが。それは些細な事ということで。

この回印象に残ったセリフは「柔な嘘つきじゃないって事を証明しなくちゃ」というフレーズ。嘘だとばれて真実を語るのかという選択肢も提示しておいて、引退をも匂わせ、しかも透明人間の正体は信頼する人物かもで八方ふさがり。さあどうするオダキョー。という状況に持ってく手立ても見事だったように思えるところ。

そう盛り上げといてでもえせ霊能力者だという事は告白しないで解決に導くものと思ってたんですけど吐いちゃいましたねえ。しかしながらそれもオンエアしない偽収録という奇策でまだまだえせ霊能力は続く道筋残りたり。

今まで散々に業突くに思えた薫(大島さん)だけど一度も裏切る・見限る事無く響子を支えたという心温まる関係が殺伐感を削いで観易いところでもあったよな。偽収録の一計を案じるというのは愛情なのかやり手なのか微妙ではありましたが響子お姉ちゃんなら必ずなんとかするだろうと信じての事ということでありましょうや。

落とし前としては、当初「嘘も被害者を救う」という趣旨から出世の為に安易に嘘をつくようになった事への警鐘ということで。さすがに「ご利用は計画的に」という意味ではないでしょうが「便利は堕落の道しるべ」という教訓とも取れるものでありましたな。

ところで、ついぞ変化(へんげ)是なく小田霧響子が纏いし衣(衣装)は一張羅にあらした。つとに都度にて新たにたりては霊能力者の雰囲気ぞ醸し出でせしはいと難しき業也哉。

でもあの恰好しててもへなへなってなるとオダキョーには見えてこないんだからあくまで発するオーラが存在してたということか。

パズルもよかったですがオダキョーもよかったですな。○の上の雲での令嬢よりもこういうありえないっぽいキャラの方が似合うように思えるのは大いなる誤解か勘違いか。

続編の可能性も残した勢いだったから、もし続編が作られるなら観るだろうな。

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獣医ドリトル その7

 なかなかに話しが林立していて気忙しい展開であった哉。

100%の準備とはなんぞや。花菱(成宮さん)の葛藤はいかにせむ。学生の悶々と八つ当たり。それに付随した祖母の愛情。

ひっくるめれば覚悟とはなんぞやという主題でありましょうが、それぞれの都合が交差して慌ただしかったな。

男の友情は獣医を救う。って大いなる自爆的告白でこの回幕を閉じた次第でなんにも救われていないけれどこれが最後は実を結ぶということなんだろうな。あたら才あり目標もある医師がこれでしぼんでいったら目も当てられない話しだよな。自力で立ち上がるのかドリトル(小栗さん)がおやっさんが如く「立つんだまさる~」とか奮い立たせるのか。宮沢教授(石坂さん)が手を差し伸べるという手もあるか。

学生の一件に関しては本末転倒というか目的を見失った暴走感が滲んでたなあ。救う手だては初心に帰るということか。愛情は自己犠牲によって成り立つものというのはなんだかなあという気分にはなりますが事実なだけに問答無用ってか。祖母とあすかの行動から目覚めたということのようでありましたが、ただ母性的な慈愛による献身が男に宿るものなのかという疑問は浮かびますな。ま心持ちの問題という事なんでしょうけど。

100%の準備といい加減な気持ち(覚悟のなさ)とはどう違うんだろう。この回におけるあすか(井上)が遅参した理由は業務経験の少なさと人命救助によるものでいい加減さからは程遠い理由に見受けられただけに慢心と安住を諌めるにしてはこの違いが私には分かりづらかったかな。

それにしても祖母ひとり孫ひとりという家で犬の手術代と猫の治療及び入院費(一日5万円とな)を払いきれるんだろうかとつい心配になってしまいますな。仕方なく孫の進学費用から出したなんていう形になって獣医の道が閉ざされたなんてことになったらえらいこっちゃですがね。まあ円満を願うならなんらかの蓄えがあると思うしかないところでしょうけど。

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*きんぱら

「金原」と書いて「きんぱら」と読むものだとイメージするのは遠州人だけなそうな。他所では普通「かねはら」か「きんばら」で「きんぱら」には違和感が生じるんだそうな。

そうテレビのバラエティ番組で言っていた。

へ~そうなのとしか言い様がない。

名字の話しなんだから「飯尾」や「門奈」・「朝比奈」・「良知」などと同じで固有種なんだからいいじゃん別にという気も湧くが。確かに他所行って「かねはら」さんとかに向かって「きんぱら」さんと言うのは失礼にあたるよな。

なにしろ実際「金原」で「きんぱら」さん以外に出遭った事ないもの。無意識だったら確実に「きんぱら」さんと呼ぶよな。

ん~、注意しようがないだろうけど遠州外に出たら注意しよう。

ところで、テレビでは遠州の事を静岡県の西部地域と言っていた。「遠州」というのも全国に通用しないのか「きんぱら」と共に。どのくらい通用しないものなんだろか知りたい気もする。

ところでのところでだけど、名字で「ぱ」行は珍しいということで「北別府」と「三瓶」くらいと述べられてたけど「金春」は「こんぱる」だよな。「こんはる」や「かねはる」じゃないよな。

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*だにの使い方

「持ち行くだに」

これだけだと「持ちに行くのに」と「持ちに行きなさいよ」と二通りの受け取り方ができる。

「あんた持ち行くだに」

となれば「あなたが取りに行くんだよ」という事だと分かる。

「ゆやあ持ち行くだに」

これだと「言えば取りに行くのに」以外に解釈はない。

じゃあ「ゆわれりゃ持ち行くだに」とした場合はどっちか?

答えは「言われたら取りに行くんだよ」と「指示されれば取りに行くのに」の両方である。「あんたゆわれりゃ持ち行くだに」であれば「指示されたら取りに行くんだよ」であり「あれえゆわれりゃ持ち行くだに」であれば「なんだよ言われれば取りに行くのに」という方になる。

ついでに、これが「ゆってくれりゃあ持ち行くだに」だと

「ひと声掛けてくれれば取りに行くのに」となる。

まあ、これらは「だに」の説明というより「言う」の使い方によって「だに」が「だよ」と「のに」という訳にに分かれるという脱線話しであるが。

つまりなにを言いたいのかというと、話しの中においては「持ち行くだに」だけという言い方であってもイントネーションの違いと共に前後の言葉から略されたものを読み取れるので「持ち行くだに」だけでも流れで判断できるのであるが、発音が分からないうえにこれだけでしかも文字にするとどっちなんだ?とまごつく限りである。

書き文字として意図をきちんと伝える為には普段の言い回しでは略される部分をも書いておく必要があるようだ。

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