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*あんなあ

「あのなあ」と「あんなの」。もちろん同じ言葉ではない。遠州弁という訳ではなかろうが一応記載。どちらも男言葉で女性の場合だと「あのねえ」か「あんたねえ」と「あんなん」か「あんなの」辺りであろうか。

関西寄りの表現っぽくもあり。遠州は関東と関西が入り混じってるといわれるが、確かにそう思える言い回しであろうか。遠州弁での受け取り方のニュアンスは以下のような感じであろうか。勿論個人差があるのでこうだと言い切る事ではない。

「あのなあ」という意味では「あのねえ」という言い方も使われる。「あのねえ」と「あんなあ」の使い分けについては、「あのねえ」は横目線で「あんなあ」は多少上から目線という感じの違いになる。

「あんなの」という意味使いの「あんなあ」においては「あんなの」という見下した意味合いと「ああいうの」(ああいったもの)といった単に比較対象の相手という意味使いの両方が使われるので言い方を間違えると何を偉そうにと誤って受け取られる事がある。

「あんなあと」で「ああいうのと」、「あんなあは」で「ああいうのは」、「あんなあが」で「ああいうのが」。「あんなあで」で「ああいうので」、「あんなあも」で「ああいうのも」などという風に訳すのがスムーズである。もちろん「あんなの」の意味使いでも同じである。

例文

A「遅いじゃんなにやってたよを。」

C「わりい。腹減ったしベンチ見えたもんでちょっと道外れて休憩してた。」

B「あんなあ、勝手にちんたら動いてちゃかんて。」

  (あのなあ、勝手にプラプラ動いちゃ駄目だって。)

A「そうだよを。一緒に登り始めた衆 はあとっくに着いてるだにい。見てみい。頂上で手え振ってるにい。」

  (全くだ。一緒の登り始めた人達もうとっくに着いてるんだぞ。ほら見てみなよ。頂上で手を振ってるだろ?)

C「あんなあと一緒にせんでやあ。装備とか見りゃ判るじゃんレベルの違いがあ。」

  (ああいう人達と一緒にしないでくれよ。装備とか見ればレベルが違うって分かるだろうに。)

B「おんなし人間じゃん。」

A「つうか素人だもんで余計余分な事しちゃかんだよ。事故の元なんだから。」

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その8

 しぞーか県では今、深夜で「ケイゾク」が再放送されている。スペックを盛り上げんと至れり尽くせりなサービスの提供で感謝してる次第であるが。

それにしても「ケイゾク」って流石世紀末に作られたドラマというべきかなんか破滅に向かって行くような絶望感に溢れたドラマだよなという風に穿って見える。前半はご陽気に刑事ライフを満喫してた(使命に燃え才を存分に発揮してた)のだけれど後半部が先に述べたように一人消え二人消えというおそがい展開に朽ちていくようだがね。(ちなみにおそがいは名古屋弁で遠州弁ではおとましいと言う)

「スペック」がもし「ケイゾク2」であるのだとしたら今後の展開も同様におそがいものになっていくのだろうか。あれは世紀末だからそういう世相を反映してたと勘繰れなくもないけど、今同じ展開に進んでいくとしたらどういう反映の理屈をつけるつもりなんだろ。同じ理屈だとなんだかなあという気分だけど。どうなんでしょねえ。

 なんて思いがつら第8話を観たら、その気がにょろにょろと芽を出し始めたみたい。身内の血しぶきも出始めたっぽいし。せっかく助けておいてあれはないだろうと。ああいう無常感煽ってそれのどこを楽しめというのだろう。

共通項は法で裁けないものへの嗚呼無情というところか。警察組織を敵に回すという展開も酷似しつつあるよな。

ニュータイプの人間はイレギュラーとして処分されるべきか特権階級として君臨するのかというせめぎ合いとも思えないし、ドラマの落としどころが読めないな。

それにしてもよく分かんないのは瀬文(加瀬さん)を使わなくとも津田(椎名さん)を拉致できる実行能力と情報収集能力があるんじゃないのかこの組織には?と思えるところ。なんで回りくどく瀬文を介したんだろ。

ま、なんにせよこれ以降は黙して観るしかないのだろうかな。

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*「づら」と「だら」・「だに」の関係

「そうづらか」(そうだろうか)。

「づら」は最早死語の遠州弁のようなもので使い手は希少である。その後継(代り)に「だら」・「だに」が使われるようになっている。

「そうづら」は「そうだら」・「そうだに」という風に変化してきている。

しかしながら

「そうだらか」・「そうだにか」という言い方は理屈上では考えられるが実際には存在しない。(だらかは使ってる地域があるかもしれないがうちんとこでは使わない)

このように「づら」表現の何もかもが「だら」・「だに」に移り変わったという訳ではない。

「づらか」の他にも「づらで」・「づらよ」とかいった言い回しなどは「だら」・「だに」に置き換える事は出来ない。

ちなみに「づらか」は「だか」・「け」。「づらで」は「だで」・「もんで」。「づらよ」は「だよ」とかであろうか。

昔の遠州弁を真似るにはとにかく「づら」を駆使すればらしく聞こえたものであるが、今はそんな単純なものではなくなっているのである。

「づら」の使い手は明治生まれくらいまでであろうか。昭和生まれはおおよそ「だら」・「だに」の使い手である。昭和ひとけたの世代は両親が「づら」でありながら本人は「だら」・「だに」の使い手という変遷期の世代になるのであろうか。

一体何があったというんだろう。

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医龍3 その8

今日が第八話。全十話みたいだからあと残り二話。揺るぎなくドラマティックだよなあ毎回。

あの子を万難を排して助けるというのが3のメインかと思ってたけれどそうでもないみたい。つまりもう少し朝田(坂口さん)のトラウマ克服に時間を費やすのかと思ってたんだけどこの回でクリアになったかのようだ。

そうなると残った残尿感はなんだろう。VS野口(岸部さん)と黒木(遠憲さん)との確執。他には鬼頭の目指す理想とチームドラゴンとの関わりあいくらいしかすぐには思いつかないな。

どれも患者を劇的に救うというヤマ場に繋がらないんだけど、一体何をどうやって最終回盛り上げるんだろう。

ああ、でもあの子はまだ心臓移植を待っているんだっけ。

居残り練習が上手くいかず鏡を叩き割り苛立つ朝田というシーンで割れて歪んだ鏡に映る朝田の表情が左背後から背中をよぎって右にと移って映る際、表情が左は苦悩で右はCGとか使って悪鬼かのような(人間じゃないみたいな)怖い形相もしくは焦燥の表情に露骨に変貌して映るのかなと思って観てたら案外そうでもなかった。ホラーを意識してしまったせいだろうかな。そういう穿った目線でみてたんでどう読み解けばいいのかという正解がよく分からなかったけど何を表わそうとしたんでしょうかねえ。見直してみたら苛立ちから絶望(諦め)に変わったみたいと判断しましたけど。

それにしてもあの高さから落ちた際、直に地面に叩きつけられた訳ではないとはいえ骨折してないってのはどんだけ強靱な肉体してるんだろう。懸命(壮絶)なリハビリのシーンは前回あったけれど過去のトラウマだけが後遺症として残ったというのはホントかいなとつい思えてしまう。余程火害を最小限に抑える落ち方をしたのだろうから参考としてどう落ちたのか説明が少し欲しかったな。

そんなこんながありながらでも最後は見事朝田復活で爽快感がありましたなあ。いいチームは決して責めたりはしないという事なのか。いい時もあれば悪い時もあるさ。その中においてベストを尽くせばという許容力の違いなんだろうかな。自分の身の回りじゃ無縁のお話しだよな。自分も含めてだけど。

ところで朝田の復活を助けるのは黒木かなと前回思えたんだけれど、それは的外れもいいとこだったようだ。むしろその逆で朝田が黒木を救うという勢いすら浮上してきた。

 で、凄い頓珍漢な事だけど、なんとなく思ったんだけど、医龍ってタイムレース的要素も結構ある訳で。それに加えて前回の加藤ちゃん奮闘記、前々回の伊集院踏ん張る記と違う視点で物語りが紡げる層の厚さが有る訳だから。

いっそのこと24もどきの或る日の一日をそれぞれの目線から別々の物語(ドラマ)として追っていき最後は一同打ち揃って成功に至るというお話しにしたら面白そうだなと。

どういうことかといのを上手く説明できないけど、例えば火曜日は加藤ちゃんがメインで「加藤ちゃんの巨塔」。水曜日は伊集院主役の「助手はつらいよ」。で木曜が朝田で「医龍」。金曜日が皆揃って「チームドラゴン危機一髪」。登場人物は皆同じだけどそれぞれが金曜日に向かって頑張る図をそれぞれの立場と観点から描くみたいな。もちろんそれに「がんばれ野口くん」とかが加われば鬼に金棒だけど。いや御法度もなんのそののあの手この手の変化球だから「安田くん」か。なんてな。

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黄金の豚 その7

 面白かったなあ相変わらず。

で、何が面白かったんだ?と反芻して見ると、はて?さて。特にインパクトがあったとこが浮かんでこない。展開的にはほぼ毎回のお約束に近い勢いだし・・・・。偉いさんが同じ穴のムジナで下々の人間が正義を振りかざしても所詮嗚呼無情という流れはドラマの中に於いては新しくもあるけれど現実では溢れてるからドラマよお前もかあとさしたるインパクトもなし。

それともまだ続きがあって超偉いさんに金返せなんて言うのかな。だとしたらその序の章ということでこの回だけで面白度を測るのはアホなことだけど。

でもまあとりあえず強いて挙げると明珍(生瀬さん)が気になるところだけど。これも序の章の前触れということになるのかな。勝手な憶測だけど。

展開云々じゃなくてやりとりが面白いんだろうなきっとこのドラマは。

多分役者さんを愉しむドラマなんだろな。個々の役者さんをというのではなく掛け合いを。

知り合いで「ハケンの品格」がツボという奴がいて、そいつ曰くそれよりもこっち(黄金の豚)の方が掛け合いが面白いんだよなとのたまっていたけどパワーアップしてるというとこが面白味を増す要素なんだろうかな。

大泉・篠原コンビが秀逸ということか。

自分は「ハケンの品格」は正直流し見したようなもので比較する程覚えてないのでそういう楽しみは見いだせないけど堤家がお気に入りだな。

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*とうに その2

「とっくに」・「すでに」。

遠州弁でもなんでもない共通語であるが使用頻度が多い事に地方性があろうかと思って記載。古い言葉であり他地域では既に死語化してるということであれば遠州弁と呼べることになるのだがどうでしょうね。って思ってネットで調べたら関西ではよく使われる表現ということらしい。なので改めて言うと遠州でも使うよという事で記載。

「そんなんはあとうに忘れたわあ」

  (そんな事もうとっくの昔に忘れたよ)

「とうの昔に」とした場合に「とっくの昔に」と訳すべきところであろうがニュアンスとしてはこの方が近い。つまり「とうの昔に」の省略形が「とうに」という言葉になっているとも考えられる。

で、「とっくのとんまに」という言い方は流石にとうに使われていない。

尚、発音は当然の如く「とおに」。

ちなみに「とうのむかし」を漢字で書くと「疾うの昔」。であるからして「とうに」は「疾うに」と書く事になろう。

「お前は既に死んでいる」というフレーズを遠州弁にすると

「おんしゃあとうに死んでるでねえ」などとなる。

例文

「やあ、こんどあいつに会ったらさあ。最新の情報おせえてってゆっといて。」

  (あのさあ今度あいつに会ったらさあ、最新の情報教えてって言っておいてくれないかなあ。)

「ゆっても無駄だにい。」

  (訊いても無駄だよ。)

「なんでえ。」

  (どうしてだよ。)

「だって、はあとうにやらんくなったもん。」

  (だってもうとっくにやらなくなっちゃったもの。)

「え~!あの馬鹿好きがけえ。」

  (え~!凄いはまってたじゃないか。)

「凝りすぎて飽いただなきっと。」

「ほどほどが大切ってか。」

「だの。」

  (だね。)

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ギルティ 悪魔と契約した女 その8

 なんか停滞感を感じた回に思えました。宇喜田(吉田さん)の上に位置する真の犯人を存在を探るべくアプローチが見受けられなくて、ほぼ対溝口(金井さん)への処置という横道にそれた印象があるからでしょうか。

つまり誰が実行犯で誰が野上芽衣子(菅野さん)に罪を着せたのかという事が。って冤罪に導いた実行犯は宇喜田か。

そうなると明かして欲しいのは誰が殺したのかということだけど。

ドラマのパターンとしては意外を売りにするとしたら今まで登場してきた人物となるのが常道で、最後に突然いきなり見も知らぬ者が出てきて真犯人ですというのは考えにくいのだけれど。このドラマにおいてはそれらしい人が見当たらない。

犯人は最後に湧いて出てくるのかそれとも既に姿を提示しているのか。

他の興味としては、隠匿しようとする大きな力に対抗するのか。野上芽衣子は最後どうなるのか。

真島(玉木さん)がどんどんおかしくなってくのと、堂島(唐沢さん)がホワイトナイトっぽくなりつつある。堂島がなんで落ちぶれたのかの説明はないのかな。

久し振りな終わりどころか先すら読めないドラマですわな。面白いかといわれると万理(吉瀬さん)の心配がことごとく的中してく様が不気味で面白いどころじゃない気がしてくる。かといって怖いもの見たさという気分にもならないし。閉塞感を味わうドラマということなのかな。

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*「やらまい」と「やりまい」

どちらも「やろうか」と促しているのであるが、これの違いはどう違うのかというお話し。尚、「やらまいか」は含まない。あれは別種。

「先やらまい」

「先やりまい」

これだと強要度は「やりまい」の方が強く感じられる。つまり

「先やらまい」(先にやろうよ)

「先やりまい」(先にやっちゃおう)

といった感じであろうか。

別の言い回しで考えると

「これ買わまい」(これを買おうよ)

「これ買いまい」(これを買おうぜ)

パターン例としては

「やるかあ。いいじゃんやらまい。」・「ええでやらまい」・「なんしょあれだでとにかくやらまい」

「やりまい」に関してはあまり定番のパターンが浮かんでこない。つまりごちゃごちゃ抜かさんと「やるぞ」と言い切っているからであろうか。

そういう意味では「やらまい」はあの手この手で勧誘してるということになる。

ところがこれが「やらまいか」となると勧誘表現である事は「やらまい」と同じなのであるが何故か断りにくい言われ方である。

断りづらい順位でいくと

やるらあ<やるかあ<やるでえ<やらまい<やりまい<やるにい<やるだあ<やるだよ<やらまいか

あくまで個人的な順位付けですのでお間違いなきよう。尚、他にも言い様(よう)は「なんでやらんよを」とか「やらにゃかんじゃん」とかあるがきりがないので。

これ以外に「やらまい」と「やりまい」の違いは立場の違いというのもあろうか。

「やらまい」は目上には発しにくい。

「やりまい」はその点場合によっては目上に発しても許容範囲内に収まることがある。

最も目上に対して無難な物言いは「やるかあ」であろうが。これも親密度がなければカチンとこられるところである。

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フリーター、家を買う。 その7

切ない事この上無しとぞ想いけり。見入ってしまいました。

同じミスを何度も重ねるとかいうレベルの話しじゃないですからねえ。最早トラウマとまでなっている事が再び現実を襲った訳だから。

ここから脱出するってのは生半可な事じゃ出来やしないもの。克服とかいう表現じゃ表しようがないくらいの強い意志が必要となる筈で。

その活力がどこから生まれるんだろうというのが特に気になって観ていたんですが。

観終わっての感想は、そうだよなあと共感するところです。

どんな職業であろうとも怖さからは逃れる事は出来ない。払拭しようなどと思わない事というのは大切だよな。なまじっか鈍の感で忘却の彼方になど追いやったらそれは慢心を生む結果にしかならないだろうし。怖さがあるからこそ勇気が試され、たとえ些細な事であろうともひとつ乗り越えれば達成感が生まれる。

ただ恐れと怖さの境目がはっきりしていないと漠然とした恐怖におののく事になるけれど、このドラマではそれを仲間のパワーで吹き飛ばそうぜという勢いで描かれてましたな。三人寄れば文殊の知恵は確かにそうですけど。

社長(大友さん)はその漠然さを「自信は神出鬼没」と表していたけど、じゃあどうすんべやとまでは語ってくれなかったなあ。まあそれは今回のような崖っぷちに追い込まれた状態に限らず日常の茶飯事だからここで掘り下げても詮無い事ではあるけれど。

で、誠治(二宮さん)の説得は。

プロポーズっぽかったな。「辞めんなよ」を「好きだ」と置き換えたら告白になるよなあと。別に茶化してしる訳ではなくてそこまで全身全霊と映ったという事です。

仲間の大切さが一番の薬というのは確かになあで。それを見極めれることが出来たなら一生の仕事として最高だろうな。馴れ合いとは違う共有感は結構難しいものですけど。

個人的には一度逃げ癖がついたら一生抜けないという思いがあるけれどそれは誰も言ってなかったような。叱咤する事はトラウマに対しては逆に萎縮させてしまうということなのかな。

ところでお母さん(浅野さん)。この回なんか急に快方に向かってるみたいな気がしたんですが気のせいでしょうかねえ。言動がしっかりして映ってた。

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*「まるさら」と「みなさら」

「まるさら」と「みなさら」どちらも丸ごと・全部とかいう意味であるが使いどころが違うからこそ二つの言葉が存在するのであろう。

「まるさら」は「全部・原型のまま」とかいったニュアンスであるが「みなさら」だと「全て・根こそぎ」といったイメージが湧く。

近い言い回しには「まるきし」と「みなきし」というのもある。

共通語にすると「まるきり」・「みなきり」であろうか。

単なる言葉の説明になってしまったので、元に話を戻して

「まるさら」は必要なものをすべてという事であり、

「みなさら」は必要・不必要は後で選別するからとりあえずそこのあるものをすべてという勢いがある。

つまり畑に植わってあるものを持って来いという場合極端なことをいえば、

「畑行ってまるさら採って来て」となれば栽培されてるものをすべて収穫して来いということになり、

「畑行ってみなさら採って来て」となれば雑草だろうがなんだろうが生えてるもの片っ端から抜いて持って来いということになる。(さすがに土まで取って来るような超ボケは考えられないが)

まあ現実にはにんじんなり大根なりの対象を言うからこういう「みなさら」でのボケは生じないが。

辞書をひくと

「まる」部分に分けない全体。

「みな」全部のものが。残らず。

という違いがある。その他には辞書に「まるごと」は載ってるが「みなごと」は載っていない。

遠州弁においては「さら」を付けての「みなさら」という言葉が存在する。

例文

「そこんさあのお盆の上にある○○まるさら持ってきてやあ。」

  (そこにあるお盆の上に載ってる○○をまるごと持ってきて頂戴。)

「はいどうぞ。」

「あんたお盆さら持ってきて人の話し聞いてんだか。」

  (お盆ごと持ってきちゃって。人の話しちゃんと聞いてた?)

「○○がなんだか分からんもんでなんしょみなさら持ってきただよ。持ってるで欲しいもん取ってやあ。」

  (○○ってのがなんなのか分からないからとにかく全部持ってきたのっ。持っているから必要なものを取ってよ。)

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流れ星 その7

 各々の面倒な事情が入り混じったやりとりがしんどくもありせつなくもあり。それでいて観れるというのはやっぱ健吾がかっこいいからなんだろうな。優しい上に芯が通っていて苦難からは決して逃げないんだからそりゃかっこいいよなあ。

ここへ来て梨沙(上戸さん)のお兄ちゃん(稲垣さん)はお金目当てというよりも妹の奪還に重きをなしてきたようにも映る。ちゃっかりお母さん(原田さん)から頂戴してるところは流石転んでもただでは起きないところではあるが。観る側が思ってる以上に妹を大切に想ってるかのように見えました。

ただその手段が幾分歪んでいるところはなんとしょうであろうが、妹に対する今までの理不尽な振る舞いも歪んだ愛情表現だったのかな。構って欲しいみたいな。勘繰り過ぎか。

この回の最後で喫茶店で話し合ってたのは弁護士さんかなにかなのかな。徹底抗戦の構えのようだ。来週から法廷ドラマに変貌するのかな。んなわきゃないか。どういう方なんでしょうねえ。

重責は神谷先生(松田さん)に映ったような回にも映りました。その決断は長引くのかなと思って観ていたんですが結構早くに決断されましてちょっと意外ではありました。

マリア(北乃さん)の様子が大分覇気が失せてみえたのでじっくりという訳にはいかなかったんでしょうか。そういう事より怪文書にびびる事無く決意したのは健吾(竹野内さん)と梨沙から揺るぎない何かを感じ取ったという事とした方が意気を感じてという勢いで格好いいけど。おそらくはその両方なんでしょうね。そう思わせる健吾ですから。

手術室へと向かったところでこの回は終わったけれど、手術無事成功でめでたしという事にはならなさそうな雰囲気ですな。いくらなんでも手術がうまくいかなかったなんて展開には進まないでしょうけど、どうなるんでしょうね。

この回最も印象に残ったのは兄貴同士のやりとりでした。言う事いちいち無茶がないところにどう健吾は反論するんだろうと思っていたら

「分かりません。でも僕は(自分の)妹を苦しめたりはしない。」

卑屈に頭を下げずに二の句を告げさせなかったこの切り返しの言葉は凄かったなあ。でもこの後に「あなたと一緒に居ても倖せになれないと思います。」と言われて

「じゃああなたなら梨沙を幸せに出来るんですか?」

と何故言い返さなかったんだろうと。手放すなんて思いもよらない事だったから思い浮かばなかったのでしょうか。しかしながらもしこう言い返したとしたら健吾はなんて答えたんでしょうねえ。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その8

 キーワードは「今まで」という回。

今まで母親らしい事してくれなかったという想いによる確執。

今まで何してたんだと瀬戸際に立たされるS。

で、開き直って今まで禁断とされてきた扉を開けんとするS。

ほんで、なんといっても来週最終回って。

今まで何やってたんだ?

ってお仕事か。弟の為に。

ところでこの回の本編、今までの恩に報いんと周りの人たちの想いがかく怪奇現象を呼びたり。

それを察せよと諭す&今までの誤解を解かし見事親子の和解に至らしむる。

確執はあったが内心は今までずうっと信じていたという娘の図。

それをとりなす響子であったとさ。めでたしめでたし。

今回の説法は今までの中ではいっちゃんなるほどという勢いがありんした。まあそれまでの説法はともすれば嘘くさい部分を兼ね備えていたという事になるわけですが。まあ霊能力という謳い文句じゃしょうがないか。

その分トリックが嘘というより無理っぽかったからバランスは今までと一緒か。いくらなんでも化粧で同じ人間を複数作り出すというのはなあ。てっきり鏡とか映写とかしたのかと思って観てたんだけど。そういう意味では意外なトリックではあったけど。喜々とした意外ではなかったな。

んで全然話し変わるけど、かつを参上。劇団員役。セリフなし。叫び声あり。つまりその他大勢。でもあのそわそわもじもじ感がよかったな。オダキョーの病院待合室におけるトリック暴きの際他の連中はほぼ棒のように突っ立ってただけだったけどその間の目つき動きが小動物っぽかった。余分な動作かどうかは観る人にもよるだろうけど棒よりかずっかいい。

それで話しまた元に戻るけど来週最終回っだてさ。せっかくオダキョー(石原さん)が板についてきたみたいに見えてきたのに。はあ仕舞いたぁの。せめて普通に11話まであって欲しかったなや。警察が手に負えなかったヤマがたった一話で解決できるんかいな。という怪奇現象が来週起こるのか。

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*おっとろしく

「おそろしく」と言っている。ほぼ俗語だろうな方言とかじゃなくて。遠州弁でもなんでもないが使われていることは確かなので一応記載。

ニュアンスは「非常に」+「驚嘆している」が合わさったものといった感じであろうか。「おっそろしく」という言い方もあり多分意味は同じであろう。基本男言葉であろう。

なんでこういう言い方をするのかは不明。多少勘繰るにおそらくは茶化すという意趣を含ませたいのであろうか。

「また随分」とか「やたらくしゃ」とかいった言葉が前につくことが多い。

他の言い回しだと「がんこ」・「がんこに」 決して恐いと怖れているわけではない。相当なもんだと感嘆している。「おっそろしい」だと怖れてるというニュアンスで使われることもあるのだが「おっとろしい」の場合は「こりゃまた凄いね」という意味使いが殆どであるところが違いであろうか。

例文

「なによをこれえ。この寿司一個がまぁた随分おっとろしくでかいじゃん。」

「でかいらあ。」

「喰いおせるだか。一個で腹一杯んなっちゃやへんかあ?」

「かもしれんの。でも大丈夫だらあ。おんしゃ食い意地ばかがんこだで。」

「失礼しちゃうやあ。」

「なんでえ褒めてるじゃんか。」

「どこがよを、全然褒めてもしんに。」

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獣医ドリトル その6

 がきんちょを諭す回。自らの信念を反芻する回でもあったのか。

人に物を教えるというのは何にでも当てはまる事ですが、自分がそれを本当に理解しているかという試金石でもある訳でありまして。ドリトル(小栗さん)も富沢教授(石坂さん)も淀みなくがきんちょらに諭してましたからねえ「分からん」という深淵な疑問への応えを。なんじゃそりゃと応えになっていないものをがきんちょらに分からないまでも感じさせたというとこが上手く丸め込んだというか説得力があったというか。

まあ、ひねた考えじゃなければ、人にであろうと動物にであろうと相手を労わる気持ちがなにより肝心ということを見事に猪との関係を通して諭したということになるのですが。

そういう意味では未だ木鶏たりえずなどという事はなく一文字に邁進しているんでしょうね自然(野生)との共存の道を。

迷うことなく進んでるその道はどこにつながるものなんでしょうか。日々高額の治療費を要求する毎日をこなし続けてるドリトルからは今のところそれが読み取れない訳でありまして。それが見えたところが最終回なのかな。それともTBSドラマだからこその「仁」のように続編の色気見せつつ肝心なとこははぐらかして日々是戦いを描いてちょんとするのか。

それにしても、都合のいい時だけ大人に頼り、都合の悪い時には自ら動いて大人を顧みない。子供の特権が如実に出ていましたな。

それを見事に捌いていたんだから忍耐力のある人なんだろな。流石に包容力があるかまでは分かりませんが。いづれにせよ自分だったらあっちいってろとかつい言っちゃいそうだもの。

ちょい気になったのは猪駆除における役場への報酬請求額と猪の手術費を先生にいくら要求したのかという金額が気になりましたな。それと金幾ら也というのをがきんちょらは知る事になるのか否か。

美徳で終わった感があるだけに現実知ったらん~どうでしょうというのがね。ま、もちろん野暮は言いっこなしと言われればそのとうりなんですがね。

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*「へん」と「せん」

「やらない」を例にすると

「やらへん」・「やらせん」は「やろうとしない」と訳せる。

「やりゃへん」・「やりゃせん」の訳は「わざとやらない」と訳せる。

「やりゃあへん」・「やりゃあせん」だと「やりやしない」という訳になる。

シンプルに「やらない」は「やらん」。「やりゃん」という言い方はない。

蛇足であるが「やりえん」だと「やれない(出来ない)」という事になる。

さて、「へん」と「せん」はどういう違いがあるのかというお話し。

どちらも遠州弁として使われる表現である。

訳す場合にも明快な違うがあるわけではない。イメージ的には「へん」は関西風の味がする。撥音便を元に戻すと「へん」は「へぬ」で「せん」は「せぬ」になるのであろうか。「へない」・「せない」という手もあるが「へない」はないよなおそらくは。

幾分強引に違いを探すとなると

「やりゃへんよ」だと「やらないよ」

「やりゃせんよ」は「やりはしないよ」

例を「出来る」に代えてみると

「できへん」・「できせん」

出来ない理由が異なって聞こえる。

「できへん」だとなんらかの準備が足らなくて(道具がないとか人数があつまらないとか)で出来ない風に聞こえる。つまりやりたいのだが出来ない。

「できせん」だとなんらかの障害があって出来ない風に聞こえる。どちらかといえばやるやらない以前に出来ない。

誇張気味ではあろうがこういったニュアンスの違いが感じられなくもない。

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