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まさに

「正に」と書くものだと思っていたけれど

「将に」と書く人が居るのだという事を知ってあれまあ。

で、ネット辞書で調べてみると

説明文は「正に」に有り、「将に」は=「正に」とだけ記されてあった。

昭和の辞書を引くと「まさに」には三つの漢字が当てはまって

「正に」何の疑いもなく、その事が・(それ以外の何物でもないと)認められる様子。たしかに。

「将に」もう少しの所で決定的な瞬間が来る様子。ちょうど今。

「当に」良識上、当然次の事をすることが要請されることを表わす。

注として「正に」は「当に」・「方に」とも書き「将に」は「正に」・「当に」とも書く。とある。

つまりなにか。「当に」と書くのが一番無難ということか。これからそうしよう。でも「当に」と書いて「まさに」って読むとは案外思わないからなんじゃこりゃって思われかねないなあ。

少なくとも「今まさに目の前を通過いたしました」とかいうリアル感を表現するような場合には「将に」を使う方が「正に」よりも適格だということだけは分かった。

でも現在の辞書に則って考えると例の場合においても「正に」でよいという風に変化してることは確かなようだ。

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*で・でえ

意味使いそのものに方言性はないのだが、話しと話しのつなぎの言葉として遠州弁では非常に重宝されている言葉。別記事で書いた「でえ」のパートⅡ。

小癪な(小難しい)言い方をすれば「で」接続助詞、「活用語の終止形に付く。原因・理由を表す。」という説明がなされている。

「今日はいい天気だ。で、布団干すぞ。」

みたいな。これを遠州弁にすると

「今日いい天気だで布団干すにい。」

となる次第。

「で」と「でえ」とではその意味合いは微妙に異なる。

「で」は「ので」

「でえ」は「から」

したがって「今日天気いいで布団干すにい」という言い方はあっても「今日いい天気で布団干すにい」とかいう使い方は存在しない。

これに「だ」が前について「だで」・「だでえ」とすると

「今日いい天気だで布団干すにい」という言い方が成り立つと共に「今日天気いいだで布団干すにい」という言い方も存在して使い方の幅が広いので重宝であり「だで」・だでえ」が「で」・「でえ」よりも多く使われるところである。

訳すと

「だで」は「だので」(だから)

「だでえ」は「なのだから」

とかになる。

ところで共通語の「でだ」(それでだの略か?)。遠州では「でえ」を使う事が多いので「でだ」の使用頻度は少なめな傾向にある。

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その7

 至極全うな迫力ある展開でありましたなあ。

悟られに対抗する術はなんじゃらほいと想像しつつ観ていたけど

1、てっきり冷泉(田中さん)のように無我の境地で対抗する。

2、野獣の心に勝る無心なしとて下心満載でエロく攻める。

なんてなしょうもないアイデアが浮かんだけど正解は眠くなるのを待つ。

その説明を訊けば確かに。物凄く脳を使うのだから人一倍疲れて睡魔が襲う。それに抗しきれない。なるほどなと。ちょっと待てとか突っ込みようがないくらい正論だなあとそんなに頭使った事も無い私のような人間でもそれくらいは納得するものでありました。

まあ強いてあれ?といのを勘繰れば組織の一員なんだから単独行動してるとこしかないというのには違和感があるよな。マネージャーとかいう名目でガードする人間が付き随っている方が自然な気がするのは気のせいか。なんで恒に単独行動してたのかの説明が欲しいとこではあろうかな。どうでもいい話しだけど。

冷泉確保後の処遇についても当然だよなあと。ただなんざんしょ「一」の住所ってのは、あげなへんちくりんな珍名なんだし当麻(戸田さん)の情報収集能力を駆使すれば簡単に探し出せそうな気がするんだけど。なんで今までしなかったのか。「にのまえ」は分かっていたが漢字で「一」と書くというのを知らなかったとかいうことなんでせうかねえ。

前回の病を処方する者もそうだったけど冷泉も同様に決してその能力を喜んでいないという悲哀が描かれていた。そういうものなのかねえ。

地居(城田さん)もなんか能力者っぽく見えてきた。別れ際に志村美鈴(福田さん)のこめかみ辺りを不必要に触ってたけどなんか仕掛けたのかな。

ホント登場人物殆ど能力者みたい。むしろ本当に何も能力を持たざる者を探す方が難しいような気さえするところですな。

ここまで心の中に影(苦悩)を抱えてきている瀬文(加瀬さん)が部下を救えたらどうその雰囲気が変わるんだろというのが気になってきた。その為には病を治せる者の協力を得なくてはならないのだろうけど、それは来週描かれるのだろうけど長引くのかな交渉が。

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おじいちゃんは25歳 8話

 必ず最後は老いが活ってか。にしたって全八話たあえらい短けえじゃねえかよを。

などと訳の分からぬことをばほざいてしまいましたが最終回は瓢箪から駒?それとも嘘から出た真?の図。隠し事が出来ないのが江戸っ子の性ってか。あけっぴろげが美徳だもんな。

前回で命短し心せよじいちゃんという図式は打ち消されたので、末永く家族仲良く暮らすのが落ちなのかと思ったら「じいちゃんカムバック」だったという展開。嵐のように現れていつのまにやら去っていく。。

立ち上げたばかりのお店ほっぽり出して長男は後どうすんだべと思わずにおれないところでなんだかなあ。これでいいのだとは思えない勢いはあるな

トータルで四時間のドラマ。一時間枠だったら雰囲気違ってたんだろか。二時間枠で二夜連続だったらどうだったんだろう。30分だからこそよかったのかな。

にしたってまだまだやる事は色々あるだろう。例えばの話し、希薄になった隣近所の間柄とかノルマに喝!するような商売のなんたるかとか家庭の再建だけにとどまらず広い範囲で昭和パワーの影響力というのを指し示して欲しかったな。

つまり元に戻るが全八話たあおめえさんえらい短けえじゃねえかよ。え?

ってな感じが素直な感想でありますな。

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*にい その2

「にい」は長音化のものと「に」+「い」のものとのふたつが共存している言い回しであるような気がする。というのは勘違いだという事に最近気が付いた。

例えば

長音化だと「言やあ買うだにー」(言えば買うのに)「に」を強調する言い方。

「に」+「い」だと「絶対買うだにい」(絶対買うんだよ)「い」は軽い命令。

こうした違いならはっきりと分かるところであるが

「行くにー」(行くよぉ)と「行くにい」(行くからね)

となるとそのニュアンスの違いは実際耳にしないと分からない。もちろん文章としてならば

「ほらあ、くるってんで あっちゃん帰れんくなるで行くにー。」

  (ほらあ、遊びに夢中になってないであっちゃん 帰れなくなっちゃうから行くよぉ。)

「ほい、そんな帰りたくないならはあ知らんでねえ。先行くにい。」

  (もう、そんなに帰りたくないならもう面倒見切れないから先に行っちゃうからね。)

で、違いは判断できるが実際はこんな長々と言う事は無く単に「いくにい」だけで済ますという事が多いのでさてどっち?というのが判りづらいところである。

なんぞと思っていたんだけどどうも違うらしい。

そもそもの「に」とはなんぞやという話しであるが、説明するにおいて国語辞典にも載ってはいるが古語辞典の方が納得がいくのでこちらを載せると

「に」{接続助詞}①逆接の確定条件を表わす。・・・のに。・・・けれども。

これに「い」{終助詞}①呼びかけの意を表す。・・・よ。②命令の意を確かにする。③強めの働きをする。

この「に」と「い」が合わさって「にい」となる。

ってことでなんのこたない、「い」には命令的要素②と強調する要素③の両方を兼ね備えているということになる。しかも呼びかけの要素もあるという。

したがってあえて「にい」の他に「にー」などという存在をこじつけで捻り出さなくとも「にい」だけでなんにでも辻褄が合うのであった。

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医龍3 その7

 先ず以てこの記事は時々ライトな遠州弁が混ざりますんでよしなに。

医龍はいつもより大きめの音量で観る方が面白いだいね。迫力が増すというのと音楽の煽り方が堪能できるからだろうかな。

それにしても、僻み根性沁みついてるだか知らんが面倒臭いこんぞうだなあ。しかも間が悪いときてる。(もちろんドラマ的にはナイスタイミングだけど)

でもこれで体張ってる朝田(坂口さん)の姿を見て自分も闘う決意を持って逞しくなったという成長を為したということでめでたしか。あれだけてめえの為に体張られちゃあ頑張るしかないもんな。あれでもへなってたら男じゃねえもんな。朝田にしたって予想外の早期回復のカンフル剤になったようだから好しというべきか。

でも打ち身や骨折とかの障害はいくらなんでもあるらあ。大丈夫なのけ?手術なんか出来る体なのか?ってやっぱ無理っぽいじゃんか。足を摺る姿がリアルっぽかったなや。んなことよりどうするだいやあ。

それはそうと加藤ちゃん(稲森さん)。揺れる心の加藤ちゃん。覚悟が据わった加藤ちゃん格好いい。加藤ちゃんを愛でる回だあな。鬼頭の前で言った大丈夫は空っぽかった。朝田の前で発した大丈夫は不安を打ち消そうといきがってそうだった。元彼の前で発した大丈夫は気迫がみなぎってた。この変遷の表情が冴えてたなあ。

にしたって手術はハラハラしましたなあ。一難去ってまた一難。このハラハラ感こそが医龍の真骨頂だな。模擬で上手くいかない様の提示もこれまた効いてるんだわなあ。

ふんで戻って朝田。ほれ見いに、やっぱ駄目じゃん。手え震えてるじゃん。無理だらあ。どうするだいやあ。気合で治るもんなのけ?ホントどうせすよを。ばれなきゃいいっつうもんじゃないら普通。ま、これについては次回のお楽しみってか。

なんとなく根拠もなんもないだけえが、それを黒木(遠憲さん)が治すんじゃないのかとちっと思えてきたけどそれは分野が違いそうだし無いかやっぱし。それとも体重減ってこたあそのうち黒木が体おやいてそれを朝田が治すってか。これも眉唾もんな妄想ではあるな。

鬼頭(夏木さん)だって腕自慢のお医者さんだった筈だけどそういうとこは見せんで最後まで進むだかいやあ。変な話し朝田の手術だって上で見てんで自分やりゃよかっただにと思わんでもなかった。

野口(岸部さん)は相変わらず虎視眈々みたいだし。

とまあこんな感じで医龍らしい手術シーンが堪能出来た回であったな。山を最初の2分を如何に収めるかという工夫の部分に持ってくるのかと思ったらその後の予想外への対処に充てるという二重構造のハラハラ感が見事だったな。

最初の山の2分間はホントに2分で長回しで撮ったのかしらむ。迫力あったな。

その次の山には朝田も加わってといったチーム故の美点が籠もっていたなあ。

まあとにかく加藤ちゃんに尽きる回で面白かった。

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黄金の豚 その6

 砂羽さんに袴田さん。

どちらも浜松出身の役者さん。出演されてましたなあ。ででんと。

お話の筋は、金の卵を産む鶏が不公平な配分によって与えられてた餌を貯め込んでた事を糾弾するというもの。

使い道が今までの通り私腹を肥やすというか着服しての豪遊してるとかなら成敗致すもこれ爽快なりしが今回はどうもそういう匂いこれ無く。他にもっと尻尾捕まえる奴いくらでも居るだろうに。そういう奴を全部平らげてからにしろよと思わなくもない展開でありましたな。

貧乏性は罪ととれなくもなかったな。

それでも悪党色を出さんと夜に襲撃させたりで色つけてたけど悪党色にまでは染まって映らなかったなあ。

別にあれですよ郷土の役者さんに肩入れしてるとかいうことでそう思えた訳じゃないですよ。あくまで貴重なる才をこういう形で葬るというのがなんだかなあと思えたという次第。これがあのうだつの上がらない学者さんとかから研究をパクってるだけで本人は金勘定以外能がないなんちゃって学者とかなら話しも変わってこようもんなんですが。

まあ今回は上司たる者の心得を説くお話しと考えてみればそういう葛藤がちゃんと描かれていましたからそういう視点でみていけばよかったんでしょうけど。

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おじいちゃんは25歳 7話

 早とちり・早合点は江戸っ子の特技ってか。喧嘩っ早いだけが江戸っ子の特徴じゃねえってか。

でもこれで冷凍状態に陥った事による身体的障害は無いということを示したということで、今の団欒はほんの一時のまほろばという事ではない事を述べてるんだろうな。

嵐の夜に凍った後に嵐のように現れて嵐のように去っていく訳ではないというのは一安心ですな。

もう確実に一家の大黒柱となっているだけに最後居なくなるというオチは期待してないもの。

この人は理屈じゃなくて道理で生きてて、それが徹底してて妥協しないからスッキリ出来るんだろうかな周りの人間は。

昭和の辞書には

「道理」世間で正しいと認めた、行いの筋道。とある。

ネットの辞書には

「道理」物事がそうである筋道。ことわり。わけ。人の行うべき正しい道。とある。

まあそんなに大きく意味が変わってきてる訳ではないのだが現代のほうがより理屈が立っていそうな勢いではありそうだ。

人間は時として理屈(法則や法律)ではどうしようもない出来事に遭遇するものである。

そんな時に、「なんでそんなことするの、ばっかじゃないの。」と呆れられてもそうする事によって前に進めるというのは昭和の道理なんだろうかな。

今回のその道理は相撲ということであったのか。

平成の道理からすると理屈に合わないものな相撲するってのは。相撲なんかとって何になる?ということわりとか訳があるじゃなし。

で、どうでもいい話であり末端の細々当ブログでのという些細な話しですがこのドラマの感想記事他のドラマでの記事と較べてえらく反応(アクセス)が多い。視聴率的に好評という話しは聞いた事ないから世間的に非常に評判になってるとも思えないのだけど。なんででしょうかね。大分以前の「らすとふれんず」以来のアクセスがあるんですよ川崎さん。

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*なんでしにゃかんよを

「どうしてしなくてはいけないのか?」と問うている。

反論・不同意を表わしている。というか物凄く嫌がってる・従いたくないんだぞという事を訴えている。言い方で語気を荒くすれば拒否・拒絶という意味に変わることもある。

「いやだね」というよりもなんでだと理由を言え、納得すればやってやらんでもないという勢いで拒絶度は薄くなると一見そう思えるところであるが実際は拒否する意思の方が強いので妥協する意思は低く「いやだね」というのと大して変わらない嫌がりようなのである。あくまで一例であるが拒否具合の強さでいうと

「いやいやあ」>「いやだね」>「なんで?」>「なんでしにゃかんよを」>「え~随分じゃん」>「嘘だらあ」>「ほんとにけえ」>「勘弁してやあ」>「鬼ぃ」

とかになる。「なんでしにゃかんよを」はほぼ中間の言い回しといった趣であろうか。

この状態を覆してやらせるには随分と骨が折れるものである。

例文

「それ終わったら後掃除しといてよを。」

「え~!なんでしにゃかんよを。十分綺麗じゃん。」

「見た目で判断しちゃかん。手え抜いたらきりんないだでやるこたあきっちりやらんとかんのっ。」

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おじいちゃんは25歳 6話

 「おとうさん」を「後藤さん」と聞き違えるというアイデアは凄いな。それだけでも笑える話しだが、聞き違えたままで暫し会話が進んでいくというああ勘違いの展開がホント笑えた。みんな気付かないんだもの。

それ故他人にとやかく言われたくないという意識から逆に本音が飛び出るというのは、観終わって冷静に考えると有り得るのかな?と思ったんですが観てる最中はそんな疑問が湧いて来なかった不思議。

なんでだろとつらつら思うにそれはやはりおじいちゃん(藤原さん)が持つ器の広さから何言っても聞いてくれそうだし飲み込んでくれそうな雰囲気があるからなんだろうなと。そうでなければ他人と認識した人間の前で内々の恥じみたいな話しを切り出したりはしないだろうなと。いくら家族の者が後藤さん(おじいちゃん)に対して敬意もしくは一目置いてるという雰囲気を醸し出しているという空気感が覆っていても。それとも第三者がいるからこそ逆に火が点いたということか。いやさここはやはり前者を選択しときたいところだな。

紀彦(高橋さん)を殴って叱る様に他人が何をするとばかりにお母さん(菊池さん)がおじいちゃんを阻止した際、おじいちゃん吹っ飛んでたというのは、案外よわっちいなと思えた。まあお母さんの愛情の強さの強度を表わした図ということでありましょうが結構口だけみたいでショックだったな。逞しいだけじゃなく強くもあるおじいちゃんというのをイメージしてただけにそれが壊れたみたいで。

それはともかくその後舅と認識した以降誰にも言えない心情を吐露するというのもただ単に舅という関係によるものではない人間性にほだされての結果だったんだろうかな。

とにかく「子はかすがい」ならぬ「おじいちゃんはかすがい」の図ってか。でもその昔婚前交渉が如何に世間体において負の要素であるというのが平成人にどれだけ伝わってるんだろうとふと思ってしまいました。案外あっさり風味に感じられたけど結構な抑圧だった筈で。後ろ指刺される夫婦という重荷というのも多分背負っていたんだろうなあ。

もっともまだ離婚届焼いたまでで当人同士の和解が成ってはいないけどそれは追々という事なんだろな。描かれるかどうかは分からないけど。次の回突然元の鞘に収まっていたとしても違和感はないわな。

とにもかくにもこの回は「お父さん」と「後藤さん」の言葉遊びの妙が絶品だったな。それが第一。それにほろりとくる夫婦間の愛情も味付けされていて中身も充実してて面白い回だったな。振り返ると30分とは思えない中身という感じだったな。

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*17

17を「じゅうひち」と言うか「じゅうしち」と言うか。別に遠州弁に限った言い方ではないけど遠州ではどうなのかなと思って。

私は「じゅうしち」と言ってるな。年齢でもない限り「じゅうなな」というのはあまり言わないし聞かないかな。でもないか。言う人は言うなあ。まあともかく

い~ち・にい・さあんって数えてくと7は「ひ~ち」って言うんだけどな。七五三は「しちごさん」って言うかなあ。7は「ひち」だけど17だと「じゅうしち」っていうんだよなあ自分。九九だと例えば3×9=27「さんくにじゅうしち」・7×9=63「ひちくろくじゅうさん」・8×7=56「はちひちごじゅうろく」って言ってるよなあ。

つまりばらばらである。周りに聞いてみたら「ひ」と「し」は共に使うがそれぞれ異なっており決まりがあって使い分けてるわけではないようだ。

地域性としては「ひ」と「し」どっちが多く言われるのだろう。

共通語はどっちなんだろう。

って事で辞書を引いてみたら「しち」はあったが「ひち」はなかった。

「しち」が共通語で「ひち」は地方性があるということか。

ちなみに「質屋」は「しちや」で「ひちや」と言う人は周りを見回してもいない。

そういうことでは遠州人は「し」の発音が苦手な種族ではない。かといって共通語として「し」を使うべきところで必ず「し」を使っている訳ではないというちゃんぽん使いが多くを占める種族だといえそうだ。

正確には広くアンケートとかとって調べないと正しい事は言えないけれど両方使うという事だけは確かであろう。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その7

 黒幕が早くも登場したのか?それとももっと上がいるのかな。いるんだろうなきっと。

ところで真犯人は誰なんだろ。流れ的には宇喜田(吉田さん)を最大の標的に据えたともとれる勢いだけど、真犯人についてはさらりとした梅酒ってか。なわきゃないだろうな。

とにかくどこをどうすればそうなるのか見当はつかないけれど三輪さん(モロさん)の意思を継いだら野上芽衣子(菅野さん)は真っ当な人生を真島(玉木さん)の協力で生きれるのかもしれないという目が出てきたようにも見えてくる。なわきゃないかあいくらなんでも。事実を知ってる堂島(唐沢さん)の存在がある限り無理だろうな。

この回は万里(吉瀬さん)の格闘シーンが印象に強く残ったな。

それと芽衣子の人間らしい葛藤(感情)がより露わに映ったところ。どちらかというと今までは目が据わってるか死んでる(愛想)かどちらかの表情が殆どを占めていたけど真島と接した時と真島の事を想う時の表情に精気が感じられるようになったという印象の回だよな。

復讐者が主役ということでドラマとしての最後の落としどころが皆目見当がつかないから黙って次回を楽しみにするしかないとこだけどホントどうなるんでしょうね最後は。

ところで堂島はなんでフーテンしてるんでしょうねえ。あそこまで堕ちるなんて普通じゃないように思えるので、自らの判断でそうせざるを得なかったのか強い力でここまで追い落とされたのかそういった理由は明かされるんでしょうか。なんか気になりますな。

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フリーター、家を買う。 その6

 おいおいこのオヤジ(竹中さん)家庭を顧みずホントしょーもないやっちゃなあと先週まで思ってたんですがね。今週はなんでか知らん内に誤解であって欲しいよなオヤジの浮気というのはと思って観ちゃいました。

今までされてきたお母さん(浅野さん)のお父さんを擁護する発言は誠治(二宮さん)視点で観てたからお母さんの言葉は曇りガラス越しの思い込みなんだろうと思ってたんですが、結局はお母さんの言う事が一番正しいという事が表わされた回でありましたな。

かっこつけて「別れてきた」なんて最後までうそぶくところはなんとしょうでありますが、確かに急に変貌するのも恥ずかしいお年頃なんだからしょうがないという範囲内の嘘でありましょうかな。

でも、なんでいきなりオヤジにも一部の理があるのかもという気にさせたのか。見直して観察するに誠治が問い詰めた際に珍しく反論も開き直りもしなかったからかなという事に至りまして。あってるかどうかは素人の観測ですので怪しい限りではありますが普段らしからぬところにくそオヤジからしょうがねえオヤジへの変貌が窺えたという次第で。

しかしながらこういう時は強気のお姉ちゃん(井川さん)の存在は有り難い限りでありましたなあ。誠治だけだったら忸怩たるままで禍根が残るままで過ぎていったでしょうしオヤジも自分から実はなんて言いだすこともなかったでしょうから。

まあいずれにせよシャイにも程があるとよからぬ方向に行き易いという事は確かなようで。やはり言うべきことは言う人であるが肝要という教訓ではありましたな。それにしてもオヤジの本来の姿については見事にたばかられました。作り手の見せ方の勝利で視聴者としていいように転がされてたと思うとちょっと悔しい。

でも哲平(丸山さん)とあかり(岡本さん)の急接近についてはあまりにもとんとんと拍子が好過ぎてこりゃなんかあるぞと思っていて、そう思ってた通りになってそれは読めてたぞと。これで五分だな。って何勝負してるんだろ自分。とは申せ悲劇にはなって欲しくは無いですな。そういうドラマじゃないだろうこれはという気がします。復活を期待したいところでありますな。

ところで普段この時間帯は帰宅途中でリアルタイムで観れないので録画したものを観てるんですが。今日は祝日という事でリアルタイムで早送りなしで観てて今更ながら気付いたんですが、

オープニングのタイトルロールの際の絵に新居?の前で誠治と真奈美(香理奈さん)が二人並んでの図があったんですねえ。今頃気付きました。なにせ普段ここは早送りしちゃうんで。

でまあ、って事は最後このふたりはそういう風に落ち着くのか。知らなんだ。

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おじいちゃんは25歳 5話

 お金を転がして利ざやを稼ぐのは働くという事じゃない。働くという事は汗水たらしつつ自分の腕を磨き己も生活も向上させていくものだと。決して自らを消耗していくものであってはならない。

それぞれ楽な事ではなく大変なことであり疲れるということは共に同じであろうが、同じ疲れでもそれは大きな違いであると。別の意味でくたびれもうけは働くという事ではない。個人的にはそう受け取りましてでございます。

良い事ようやっと如実に示した感がありますなあ。

それにしても初回からお金の話しがぼろぼろ出てたけどこういう事に繋がっていたんですねえ。長男もひきこもりという事ではなく「神」となっていたという予想外の展開でありました。

ま、おじいちゃんからみたらひきこもりも神もおんなじ事ではありましょうが。

確かに株で儲けるというのは真っ当な仕事という概念は昭和においてはなかったように感じるところで納得のいくところです。

しっかしまあ25歳のおじいちゃんって設定相当無理があるのに違和感を感じさせないってんだから「藤原竜也」という役者さんは凄いよな。

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*遠州では使われない言葉 あんがとない

「あんがとない」

本家ではないにしてもなんか遠州弁っぽくもあり遠州で存在しても不思議じゃない感じがするが、実際こういう使い手に遭遇した経験はないから遠州ではこういう言い方はしないんだろうな。

これが「あんがとね」とかだったら聞いた事がある。

ただし「ありがとね」と較べると軽薄な印象がするのでなにかしらの(照れとか立場上とか)言う事に躊躇する状況とかが付加されていると判断されないとなめた物言いと取られる。

話し戻して「あんがとない」

一体どこの言葉なんだろうか。ネットで検索してもたくさん色んなところで使われてる(多少おちゃらけ的用途が多いが)のでよく分からない。

共通語と違う点は「り」が「ん」に変化してる点と「ない」という言い回し。

撥音便化ということで「り」が「ん」にというのは遠州弁でも得意技であるが

「ない」の使い方が遠州弁とは異なるところである。

「ない」は「なよ」。「い」は軽い命令を表わすというのが遠州弁における「ない」であるが、強引に遠州弁的理屈で解釈すると「ありがとよ」という訳になる。吐き捨てっぽい印象を受けてしまいそうである。

この場合の「ない」は「ね」という意味であろうから「ね」ということであるを遠州弁的屁理屈をごねれば「に」であり「あんがとに」となる。でもそんな言い方は存在しないのだから所詮屁理屈である。素直に「あんがとね」だろうな実用使いとしては。つまるところ「ありがとない」の「ない」は遠州弁的ではないということか。

さて、実際に「あんがとない」を耳にした場合やはり「ありがとよ」という印象は受けないので遠州弁的理屈では解読できないところである。実際受ける印象はおじいちゃんとかが「ありがとねおかげで助かったよ」みたいな感謝の表現に聞こえる。

遠州弁っぽいけど遠州弁ではないなこれは。もちろん多分だけど。

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「しごく」と「こそぐ」

「しごく」(扱く)細長い物の先を握り、片方の手でこする(ように手元に強く引き寄せる)槍を扱く。稲穂を扱く。

「こそぐ」(刮ぐ)こそげる。ということで

「こそげる」表面に付いた不要なものを削り落とす。なべの底をこそげる。

と辞書にある。

わかりづらいところであるのでもうちょっと生活上の例を挙げて違いを述べると

明太子の皮と身を分ける際包丁の腹などを使い身を押して皮から剥がす行為。これが「しごく」。つまり欲しいのは身の方であるが行為としては皮だけにするという作業。

魚の鱗(うろこ)を取る際包丁などを使い鱗を身から剥がし取る行為。これが「こそげる」。これは鱗を排除するという行為。こちらは身だけにするという作業。

他には靴の裏に付いた泥をへらなどを使い落とすことを「へらで靴の泥をこそげる」とかいう風に使う。

皮むきを「こそげる」とは言わないようだ。

つまり身(中身)を剥ぐ(取り出す)のが「しごく」で皮(付着物)を剥ぐ(除く)のが「こそぐ」ということであろうか。例は剥ぐだけどもちろん剥ぐに限ったものではなかろうて。

この使い方が共通語的ではないとしたら遠州弁ということになるのだが、まあそんなことはないだろうと思ってはいる。

ところで「しごく」は「しごいとく」とか言うのは確かだが

「こそぐ」は「こそいどく」とか言うのかどうか。普通に考えると「こそげとく」というのが共通語っぽいところで「こそいどく」だと方言っぽくなりそうなところである。

尚、「しごく」には「しごき」の意味も記載されている。「特訓でしごかれる」とかの「しごき」である。強制的というニュアンスが「しごく」にはあるということなのだろうか。

「こそげる」にはそういったものはないのかな。

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流れ星 その6

 今回は、ついにぞ津々浦々に臓物を金で買いたりと公と相成った。

臓器売買は犯罪と説く医師(松田さん)。

いやいやこの金銭のやり取りは臓物購入資金とかじゃなく結納金だと言い張れば言い逃れは可能なんじゃないのか?と思うのはせこい大人の考えなんでしょうかねえああ言えばこう言うという。

そんなあざとい御託はともかく、死に逝く者の言葉は何より重いもの。それが願いであればより重い。しかも我が身の事よりも自分の事を想ってくれる気持ちであるならなおのさら。

それを聴かずんば人として廃る。

医師にも言われ妹(北乃さん)にも拒絶され自分のやってる事は単なるエゴかと苦悩する健吾(竹野内さん)。それを打ち消す梨沙(上戸さん)。

通しでいくと迷いの中に溺れかけてる回といえそう。

といった流れをしれっと書いて感想とするには失敬にあたる程な展開でありました。せつないですなあひたすらに。いい奴程早死にするというのはホントせつない限りですわ。

それとは別に瞬きしない方のお兄ちゃん(稲垣さん)は標的をお母さん(原田さん)に絞ったのでありましょうか。この回起きてる事は序の段でこれからより陰湿にたかってくるんでしょうねえ。いやあ剣呑剣呑。

それにしても間を大切にしてくるドラマですよねえ。こういうの好きですわ。背中で語るとか行間で伝えるとかいう物言わぬところから滲み出てくる湧水のような表現私大好物なんで、ホントいいですわ。アップテンポはセンスでそれはそれで愛でるに愉しいけれどあくまでそれは別腹で。主食はこっちなんで嬉しいぞと。

 タイトルの「流れ星」。その意味するものはなんぞやと勘繰ったりもするところですが、めざましテレビで主題歌の「流星」からとったドラマタイトルだという事を聞いた。

普通、星が流れるってことだとそのイメージするとことはふたつ。命尽きてというイメージと願い事というのが湧くところですが、命名のいわれを聞くと別に登場人物の誰かがお星さまになるとかいう暗示の意味はなさそうではありますな。

でも今回ひとつ星が流れた。あながち関連が無いとは言い切れなくなってきてはいますな。

 初回観た時、竹野内さんのお顔がなんか細くなってるなあと思えたのですが前回辺りから細からず太からずのお顔になられつつあるような気がしてきてました。

身も蓋もない想像でもの言えば、(すげ~観たい期待の)映画「太平洋の奇跡」の撮影(5月~7月)が過酷で相当お痩せになられたということであろうが。

それが却って味が沁みてよかったんじゃないかと。というのも始まりが絶望のずんどこでありそれが梨沙(上戸さん)と出逢って色々な苦難を背負ったとはいえ努力を重ねつつ光明が徐々に見え始めていっているという展開であろうからこの後どんな困難が訪れても未来が明るいと思ってるんだというのが窺えるようで。

といってもこの後まだまだいくらでも難問が待ち受けていそうで・・・・。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その7

 あっ!小林少女(小池さん)だ。三代目明智探偵の助手という職を投げ捨ててアイドル目指して活動してたんかあ。感慨深いなあ。「小池里奈」というお方は演じてると不思議と印象が残るお方ですなあ、ネットで調べたら去年から今年の春頃までめざ○しテレビのコーナーに出てらしたらしい。観てた筈だけど記憶に無いや。演じてこそというお方なんでしょうか。

地道な捜査には嗤えたなや。シュークリムを片っ端から食べてその店を見つけ出すという手段とその姿にはホント嗤えた。

不良姿の谷原さんも存外違和感感じないとこはおそぎゃー限りであるがとにもかくにもその年齢サバ読みの幅と共に硬軟の振り幅の大きさが愉快である哉。

そういう意味においては石原さんもオダキョーとオダキョーじゃない時の別人28号具合が板についてきたのか見慣れて来たのか定かではないけどそのギャップが愉快でありせば。

事件?のあらましは結構込み入ってて珍しく種明かしするまで全容が掴めなかったな。ほぼ人情物でありそれをどう大岡裁きが如くオダキョー(石原さん)が裁くのか。それも結構な見ものだったなや。

来週からいよいよ本格捜査に入るのかしらむ。楽しみだのえ。

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*よを その2

ひとくちに「よを」といっても「あのよを」=「あのさあ」・「だでよを」=「だからさあ」といったように「よを」=「さあ」であると断言して訳せないのが遠州弁の「よを」。というのも

「痛いなあ何するよを」(痛いじゃないかなにをするんだ)

「何よをそれ、どこのよを」(何だいそれは、どこのなの?)

「もちろん見い行くよを」(もちろん見に行くさ)

「そっちん方がいいよを」(そっちの方がいいんだけど)

といった風に「よを」を訳すとこうであるという決まった語句にならない。もしかしたら同音で違う言葉に分けられるのかもしれない。

つまり共通語の「よう」と遠州弁の「よを」は異なるものである。

話しの向きをちょっと変えて

「それよりかこっちの方がいいよを」(それよりもこっちの方がいいなあ)

この場合、置き換えの表現としては

だん=けえが<わあ<よを<にい<でねえ<だ<だあ の順で強めになっていく。

「ほいじゃあわし先いくよを」(それじゃあ私が先に行くからね)

この場合、でえ<よを<わあ<わ<にい<に

「そうしんとかんだよを。当然じゃん」(そうしないといけないでしょう。当然でしょ?)

この場合、だらあ<だよを<だにい<じゃん<てえ<だでねえといった順になる。

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獣医ドリトル その5

 人がさんざめくドラマですなあ。群像劇といった入り混じるものではないのですが、それぞれが微妙に絡み合う事によって人の心が変わっていく様を愛でる感じでありましょうか。駆け込み寺じゃないんだからそれを救世と呼ぶかは定かではあらねど良い方向に導いているという事は見え隠れ。

なんと申しましょうか、動物を介した人間模様の交差点。それを進め止まれと巧みに捌く姿はまるで医者は仮の姿なお巡りさんってか。随分と警笛の吹き方がぞんざいだけれど的確だから有無をも言えず。

あくまで捌くであって裁くにあらずとて。死地に向かわんと彷徨するものには後顧の憂いを与えて決意を鈍らせ、それによって男はつらいよ状態になっても耐え忍べる根性も有り。

まあいくらきつい事言ってもそんな人じゃないってのはバレバレである事に違いないとこでありましょうが。

で、この回は信じるものこそ救われるの図でありましたでしょうか。夫を信じ自分を信じ。母を信じなかった息子はそれを恥じ。

それとも諦めない心は素晴らしいということなのか。

いずれにしても私にはどれをとっても真似のできない話しでみんな偉いなあと思いつつ眺めていました。

猫にしたって病院前に段ボールに置かれて別れた時点で、うちの猫だったら間違いなく「フリーダム!」と叫んで野良化して後追うなんてことないですからねえ。みんなとはそういう意味でも動物も含まれている訳でありまして。よく出来たみんなのお話しだよなあ。

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おじいちゃんは25歳 その2(4話まで)

 四話まで話しが進んでふと思えた事は。

なんかおじいちゃん明治以前っぽかないか?御年71歳ということは戦前教育と戦後教育の狭間くらいになるのかな。

いくら「でえく」さんの気風の良さが信条という江戸っ子とは申せ、あの世代の人ってあんなだったっけ?と思えなくもない。

ホストを説明するに太鼓持ちって・・・・。ホステスの男版っていやあ済むだろに。そういうと男の風上にも置けねえとかいってあたけそうだからという思いやりというか配慮が言い手にあったのかな。

まあ面白いから別に構わないんですけどね。というか枝葉にこだわって肝心の崩壊した家族の再生というテーマになかなか目がいかない状況ですな。

金遣いも気風がよさそうだけどどこから捻出してるんでしょね。お金の使い方の違いとか提示してるんでしょうか。自分の為に使うことよりも人様の為に惜しまないとかいう美点とかを。つまりやせ我慢の美学みたいな。まだそうには見えないけど。

まず腹を割って話し合うというのは行われていましたな。それによって喧嘩とかの軋轢が生じても水に流す術が昔はあった筈で、今は廃れてというか忘れ去られていてぎくしゃくが改善されない世の中になってるように思えるのでその忘れられた術を再現して欲しいよな。

何を腹にしまって何を腹を割るべきなのかという選択基準なんかも教えて欲しいよなあ。

それにしてもカルチャーショックの戸惑いというのは薄味だよなあ。テレビなんか見てびっくりしないのかなあ。ってカメラの順応も凄いけど。そういう事はテーマじゃないんだろうなきっと。

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*とんまさる

捕んまさる

捕まる(捕獲される)という事であるが、「さる」という言い方が遠州弁を駆使しない人にとっては「しなさる」・「やりなさる」といった丁寧な「なさる」という言葉と混同し易くややこしいという事になるらしい。遠州弁の「さる」は「さる」=「なさる」ではない。どちらかといえば「さる」=「される」という方が近い。

「とんます」は捕まえる側の立場の言葉であって「とんまさる」は捕まる側の立場の言葉である。共通語だと例えば「つかます」と「つかまされる」の間柄と同じであろう「とんます」と「とんまさる」は。

「虫とんますとなんかいいことあるだ?」

  (虫を捕まえるとなんかいい事あるのか?)

「とんまさってざまあない」

  (捕まって世話がない)

決して「お捕まりになられて様(立場)がない」とかいう事ではないところである。

ところでこの「さる」。他の地方では

やりんさる・しんさる

などこういう言い方は色々あろうが、遠州での「さる」表現は先にも書いたが「なさる」と言う意味ではないので全くの別物であろうか。

それと「とんまさる」くらいで他はほとんど使われない言い回しである。元は一杯あった「さる」表現が廃れてこれだけ残っているのか元は無かったところにこれだけが何処から入ってきたのか定かではないが

やりくさる・しくさる

といった「くさる」表現は豊富に使われているので

「ん(な)さる」・「くさる」という区別なのかもしれない。が、「とんまさる」はどちらにも当てはまらないか。

「んさる」だったら「つかまんさる」であろうし

「くさる」なら「つかまりくさる」というのがスムーズに聞こえる。

実際使う言い方を並べ立てると

とんまし・とんます・とんまさす・とんまさる・とんまさった・とんませ・とんまさらん

とかで、とんまる・とんまする・とんませるとかいう言い方は聞いたことがない。

「とんまさる」は「ざまあない」・「おやおや・あれあれ」などというニュアンスが籠もる言い方である。「かわいそうに」とか「(捕まって)残念」とかいうニュアンスは薄い。

つまり丁寧に言ってる訳ではないことだけは確かで他人事的な距離を置いた言い方である。

これが自身のことを言う場合例えば

「やあ信号無視でとんまさってやっきりこいちゃってえ」

  (あ~あ信号無視で捕まっちまってショックでがっくりきたよ)

といった風に「馬鹿見た」という自虐的ニュアンスが籠もることになる。訳す際は「捕まっちまった」とするのが具合がいい。

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