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*こんぞお

「小僧」と言っている。まあ広範囲で使われる言い回しであろうが一応記載。「こんぞう」と書くのが正しいのであろうが耳で聞く限りではこう言っているので「こんぞお」と表記した。

遠州弁においては普通にもけなす表現においても使われるがさすがにお褒めの表現としては使われない。

「うちのこんぞお」となれば「我が家の愚息」と一応な謙遜で使われる。

「あそこのこんぞお」だと「あそこの家の悪がきは」などの「しょうもないやっちゃ」という意味合いで使われる。

同じ表現で「がき」というものがあるがそれとはどう違うのか

年齢の違いという側面もあろうか

年齢が高くなる順は悪がきといった意味の場合

「がき」<「こんぞお」<「若造」<「おっとさ」<「じいさ」

愚息という意味では

「がきんちょ」<「こんぞお」<「むっすう」<「せがれ」

といった変化であろうか。(あくまで一例)

他の違いは、「がき」は「ワル」・「物を知らない奴」という印象が付加されるところで「こんぞう」は「未熟者」・「半人前」という印象が付加されるという違いがあるようだ。

それと、「がき」は突き放した言い方でもあるので他人に対して発するのが基本であり「こんぞお」には馴れ馴れしさが伴うので基本身内に対してのものであろう。従って親しくないのに「おめえんとこのこんぞお」などと言うと「おいおい馴れなれしかないか」と思われたりすることがある。

例文

「あそこんさあのこんぞお甲子園に出るだってよ。おっとさ嬉しくてしょんないらしいに。」

「そりゃ堪らんなあ。親は応援バスとかチャーターしにゃかんとかでばかばか金飛んでくだって聞いたにい。」

「いいだよあの人見栄っ張りだで。凧ん時だってがんこな初凧あつらえてたじゃん。」

「しょっちゅう金んないっつってひゃあひゃあゆってる癖になあ。別の意味でしょんないこんだあなあ。」

「本人楽しくてしょんないだもんでいいだらあ。」

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その4

 自殺サークルの一連はいとあはれな結末でありましたなあ。

愛すべき人間への強い想いから発生した犯人への憎悪の念力が逆に愛しき人間に襲い掛かる大いなる誤解とはねえ。

でも犯人?は捕まえて吐かせなくちゃ娘の行方が分からないだろうにと思うのですが、そりゃあんたの憎悪の念が足りないからそんな事いうんだだということなんでしょうか。

まあ依頼者さんははなから復讐にのみ動いていたということなんでしょうけど。

真の犯人は誰なんだという犯人当てというのではなくトリック暴きがこの回の味噌であるところでしたが超能力が関わるとなるとルールもへったくれもなく自由過ぎて絶対解けないないよなあ当麻以外には。

一番怪しいと思われた人は三回目にしてやっと睡眠薬じゃなかったという事であったようでしたが二回のイベント企画実行するための準備やらなんやらでおじいさに金をせびったとか。それなりにイベントするのに金がいるんだろうなと思ったのだけど、じゃあバイクに乗ったあの娘御にそんな金あったんだろうかというのが不思議ではあるかな。親にせびった訳でもなさそうだし第一学生服着てた未就労者なんだから一体どうやって工面してきたんだろう今まで。金は天下の廻りものってか。金なんかなくてもなんとかなるもんさというメッセージなんでしょうかねえ。

それにしても伏線というか同時進行してるあやかしが色々とありそうで、それらが最後全部つながるのかなあと余計な心配したりなんかして。

最後は普通人VSエスパーの闘いという風になるのか、普通人が捕獲したエスパーを操ってのエスパーVSエスパーでのオールドタイプとニュータイプの勢力争いという勢いになるのか。

それともそれとも上のうごめきには蚊帳の外で最後まで当麻(戸田さん)と瀬文(加瀬さん)の日常業務を面白おかしく追っていくだけなのか。別にそれでも十分に思えるけど。

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*ごんごお

「五合」の事。

「ご飯を五合炊く」だと「ごはんごんごおたく」と言う。

50ccの原付バイクを「ごんじゅう」と言うのと同じ変化。

ただし「山の五合目」とかを「ごんごうめ」とか「サンダーバード5号」を「さんだあばあどごんごお」とは言わないようになんでもかんでもこう変化する訳ではない。基本はご飯での「五合」を指す。

例文

「あれ、はあ飯無いじゃん。何合炊いたでえ。」

  (え~!もうご飯が無いじゃないか。一体何合炊いたんだ?)

「今日は ごんごお 炊いた。」

  (今日は五合炊いた。)

「いつもの通りじゃん。じゃなんでおひつ空んなるよを。」

  (いつもの通りだね。それでどうして足りなくなるんだ?)

「炊いたつもりだっただけえがスイッチ入れるの忘れたもんできんのうの残りのおひやで足らんかなって思っただけど。やっぱ足らんかったかやあ。」

  (炊いたつもりだったんだけどね。スイッチ入れるの忘れて炊けてなくて。でもまあ昨日の残りのお冷やご飯で足りるかなって思ったんだけど。やっぱり足らんかったみたいだね。)

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医龍3 その3

 加藤ちゃん功名を焦る余り勇み足で面目丸潰れの回。

医者としてははっと目が醒めたんだろうからある意味めでたしなんだろうけど組織の一員としてはおめでたい人と評されるというか失態以外の何物でもなく。これで巧妙な功名の光明は見込まれなくなったというか。後片付けはつらいだろうなきっと。朝田(坂口さん)もちっと気を遣ってあげればいいのにと思わんでもなかったところです。

来週から逆風がより一層吹きすさぶ事になるんだろうな。4話にして最下層に到達するということか。早いなあ。

ただ、よく分かんないのは以前の手術だってモニターでみんな観れてたのに今回だけなんで全部の回線遮断するという事をしたのか。

記録と言う意味で普段通りのひとつは動いてるけどライブ用のカメラだけオフにしたということなのかな。だったらその特別ではないいつものひとつを通常通りに流せばいいじゃんと思えてしまうのは気の迷いか。

それにしても観ていて見苦しい回だったな。ゾンビ野口(岸部さん)が闊達洒脱になればなるほどそう思えて来たからこれは役者さんの腕による空気感なんだろうな。

でも来週はもっとひいこら感じながら観る事になるんだろうな。鬼頭(夏木さん)がただじゃ済まさせなさそうだから。

黒木(遠藤さん)の天下になりつつあるのに、相変わらず想定模擬は地下の機械室でやってたなあ。屋上は頂点(てっぺん)の証しで地下は日陰者を表わしてるのかなと前回思えたけれど、どうもそうじゃなくて個人の性格によるものらしい。

いづれにしても、この病院に虐げられても残るという意味をなるほどと納得するもので示されない限り今回の「仲間がいるから」という朝田の言だけではチームごとメス一本さらしに巻いて他の病院へ移って本懐を遂げるとした方いいように思えてしまう。

それともそういう事(他があるさ)が出来ないせせこましい世界というなのか。いっその事加藤ちゃんが小さいながらも楽しい我が医院立ち上げてそこで大病院ですら出来ないような事を困難の中見事やり遂げて見返していくとかいう方が巨人(権力争いの巣窟)の足元掬うみたいになって痛快なんだけどな。

なんて与太が浮かぶくらい主導権争いがどろどろしてて、これならよっぽど人は居るけど金はないというお金がなくて苦労する(知恵を巡らす)様の方がすっきりして観れそうだ。朝田なら戦場で鍛えた応用力があるから大丈夫そうだし。そういう発想の転換の妙を愉しむのもいいよなあと。まあ絶対そんな展開にはならないでしょうけど。

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三代目明智小五郎 その3

 すげえ唐突な上に強引な展開に映ったな。前二回もほぼおんなじようなものだった筈なのになんでそう思えたかというと。

それはやはり役者さんの遊び心の多い少ないの違いなんだろうな。それが役者さんとしての経験値によるものか生真面目なとかの性格によるものかは定かではあらねど。

このドラマに於いては余裕ぶちかましで丁度いい塩梅じゃないのかとすら思える。

な、だけに一所懸命もほどほどなくらいがいいんだろうな。ま、加減が難しいんだろうけど。

調子とテンポという点でいえば、テンポという事なら若い人のスピード感をもってすればテンポでつまづくことはなかろうが調子という事では柔道じゃないんだから一本じゃあ決まらないってか。弛緩と緊張や動と静とか押しと受けなどなどの多面性が求められての合わせ技が重要になってくるんだろうかな。

なんのかんの書いたけど要はこのドラマには芸達者さんこそが相応しいんだろうな。

ほんにゲスト出演の役者さんによって随分雰囲気が変わるドラマだこと。

今回はやけにシビア(深刻)なお話しに映って見えた。これから始まる三代目対決の序章という趣すら感じられちゃったりなんかして。

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長澤まさみ氏のラジオ番組に思う事 およそその2

遠州弁

いっつも書いてっけどラジオん電波こっち届いてこんもんで誰かんののブログの番組内容紹介のを見てっつう直じゃないもんで書いてるもんでどっかしらひん曲がってるかもしれんけどなんしょ「長澤まさみ氏のラジオ」のお話し。

祭りするっちゅう意気込みも本人「遠州弁の歌」っつうの?あれ聞いて知らん言葉こらしょとあるし遠州弁あれよりおもろく伝えるの自信失くいたとかみたいだけど、とんじゃかないにい。

あれの歌詞わしもちっとHP行って読まいてもらっただけが、わし生まれてこの方浜松人長くやってるし、しょっちゅう「あんたぁ方言きついにい」っつわれる人だけどそんでもあの曲群の歌詞の意味分からんこんの方が多いでね。悪口ゆうつもりなくてあれだよっ「やらまいか」とおんなしで外向けにいぜくってて普段遣いの言い回しじゃないらあ多分。あれだにい使い方変に思えるもん。遠州弁知らん衆向けだよきっと。だで気にするこんないよ知らんくても。それよか面白くせんでも自分の言葉でやりゃいいじゃん。

なんしょ重要なのは自分の言葉かどうかであって知らんの知ったかぶりしたりとか借りてきたような言わされてる言葉じゃあんた伝わるもんも伝わらんにい。それに方言は標準語みたく決まったもんあるじゃないだで知らんもんは知らんでいいし別に「長澤語」であってもとんじゃかないこんだらあ。違うぅ?違わんらぁあってるらあ?なんしょ伝わりゃいいだでやっちゃえやっちゃえ。

訳文(一部加筆)

何度も書いている事だけれども、ラジオの電波が浜松には届かないのでどなたかのブログでラジオの内容を紹介されてる記事を読んでという直接視聴ではない状況に於いてのものなので、どこか曲解した部分があるかもしれないけれども「長澤まさみさんのラジオ番組」に関するお話し。

遠州弁祭りをするという意気込みだったけれど、ご本人が「遠州弁の歌」なるものを聞いて知らない言葉が一杯あって自分は浅いと思えるとかあれと比較してみたら遠州弁を面白く伝えられるのかという自信を失くしたとらしいとな。

その歌の歌詞を私もHPでチェックしてみたけれど、浜松人としてそれなりに長いし常日頃周りから「方言がきついね」と言われる私であるが、そんな私でも「???」と感じる部分が多い。非難するつもりはないがこれはおそらく「やらまいか」と同じで外(遠州弁を知らない人)に向けて加工されたもので普段遣いの表現ではないのではないか。そういうものを意識しても意味がないのではなかろうか。それよりも自分の言葉を使って素直で自然なものを表わした方がいいと思う。

自分が知らない言葉を付け焼刃で覚えてさも知ってるかのように振る舞うのが嫌だということなのであろうが、つまるところ自分の言葉かどうかが重要であって他所から持ってきたような居心地の悪い言葉を並べても伝わる事は自分が思ってる以上に少ないものである。方言という括りはあっても標準語のように決まりがある訳ではない。つまり標準語がレストランの食事で万人向けのだとしたら方言は万人向けではなく家族だけへの家庭の味のようなものであり各家庭それぞれに味や見た目が異なるものである。そういう意味では「長澤語」という家庭(地域)の味を提示するという心掛けで十分じゃないのかと思える。その方が「長澤まさみ」が伝わっていいのではないかと。とにかく祭りをするという意気込みが萎えることなく開催される事を希望するところです。(期待と書くとプレッシャーだから希望という表現で)

で、

何も珍しい単語を紹介するだけじゃないだろうにと。例えば「にい」の言い方の種類とか。以下の如く字で表わすと同じでも

「そういうものなんだからね、分かった?」の「そうゆうもんだにい、分かった?」

「そういうものなんだよ、だからさぁもう諦めなよ。」の「そうゆうもんだにい、だで諦めない。」

とイントネーションひとつでニュアンスも変わるとかを実際の発音で紹介するとか。

手段はいくらでもあるわさ。まあ祭りは一回こっきりというのならあれだけど色々やってみるってのでいいじゃないのけ?

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*たげない

以前記事にした「たげた」の変化バージョン。広範囲で使われる言い回しだろうけど遠州でも使うよということで記載。

「たげない」(~してあげなよ・~してあげなさい)

「やってあげなよ」だと「やったげない」という風になる。

「~してあげないのか」という場合には「だげんだか」・「たげんだけ」と「ない」が撥音便化することがある。もちろん「たげないだか」・「たげないのか」という言い方も存在する。

例文

「ほら、重そうに荷物持ってるじゃん。ちっと持ったげない。」

  (ほらあ重そうに持ってるじゃないの。ちょっと持つの手伝ってあげさいよ。)

「え~腰おやしそうでやだよ。」

  (え~腰壊しそうでいやだ。)

「若いだになにじじくさいことゆってるよを。」

  (若いのに何を年寄りじみた言い訳してんのよ。)

共通語の使い方の「~してあげない」という意味使いの

「頭来たで、やったげないよ~だ」

みたいな使い方もするところである。特に混乱してどっちの意味なのか分からなくなるという事はない。

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黄金の豚 その2

 盛り上げ方が上手いよな。

の、割には大見得を切る手段が安直過ぎなくもなし。

観ていて確かに憤懣やるかたない気分に陥ってさあ主人公よどうすんだ?とその動向にドキドキしたまでは、おお~面白いと思えたけど

八九三のカチコミじゃあるまいし、もっと会計検査庁らしい手段で攻め込んで欲しかったよな。もちろんどんな手段かどうかは知識がないので思い浮かぶものではありませんが。納得しづらいところでしたな。

まあ見方を変えて対決者よりももっとのお偉いさんに直訴こいたという風に考えれば多少そうなのかなとも思えなくもないけど。

前半はとても人情味溢れてて面白かったけど後半は腰砕け(言い過ぎか)の勢いであったような。

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三代目明智小五郎 その2

遠憲さんがコメディしてる!

もうそれだけで観た甲斐があったというか貴重というか。

過激な平和主義の行き着く先ははた迷惑な不穏というのは最近流行だな。動物愛護といい環境保護といい。

女性の叫び声は町内会長さんの自作自演ということだったけど、いくらなんでも遠憲さんの声じゃないよな。アフレコだよな。ってこれオフレコじゃないよな。

お気楽な登場人物にハチャメチャな殺害方法の殺人事件だけど何故か動機だけはしっかりしてるんだよな。変に納得してしまいます。

それにしてもまた犯人に逃げられてたけどあの後ちゃんと捕まえてるんだろうか。こんなんだから能天気に観れちゃうんだよなまったく。でも生き返ってるんだから殺人事件じゃないよなこれも。

いやホントこれ面白い。ゲスト出演の役者さんが主役という勢いが強くてそのいつもと違う役を楽しんで演じてられる風でお遊びの要素が映っていていいですわぁ。田辺さんのゆるキャラ具合もとてもいい。

「主演を務める「三代目明智小五郎」ではコメディ部分の脚色・構成としてスタッフ参加している。」とウィキペディアに記載されてるけど、ボケきらぬうちの小林少女の高速ツッコミとかは田辺さんのアイデアなんでしょうかねえ。結構笑ってます。

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フリーター、家を買う。 その1・2

 第一話

しょっぱなのお寺かなんかでの社員訓練。変わる事(自己の意識改革)は悪い事ではない。でも改造は自らの意思で行われるべきであり強要されて変わるものであってはいけないような気がする。

あんなことする会社が栄えるなんてこの世の中間違ってるよなあ。と思えた。辞めて当然で正解だと思った。社会の歯車になるという事は誰かの駒になる事ではない。

それにしてもお母さん(浅野さん)が病気に侵されてく様は説得力抜群だったなあ。待ったなしにというか否応なしにしっかりしなきゃという気になるよな。重荷というかハンデを背負うのでは単に悲劇の物語りになるところだけれど独り立ちのカンフル剤といういい方に捉えれる主人公であろうかな。それとも事態の深刻さに気付いていないんだろうか。

タイトルは「買う。」という事だから「。」がついてる以上本当に買うんだろうな。でもこの状態では夢物語にしか思えない。でも本当に買うんだろうな。

 第二話

勤め人の経験値からするとこの主人公自分で気づいてなかったのか。仕事に見合う給料を貰う。その為の心の持ちようが皆無だってことに。こういうのが今の一般的な若者なのだとしたら指導する側にはまわりたくないよなあ。一話で自発的にではなく改造を施すのは如何なものかと思ったのと矛盾するところだけど微妙に思えてきた。

職安の人もいい事言ってたなあ。給料に見合う仕事をするのではなくて仕事に見合う給料を貰うものだ。誰が今のあなたを20万円払って雇おうと思うんですか?

これで心違いに気づいたのかな?この回の最後にはプチ達成感も味わったみたいだし。

このドラマは「辛抱」を描いてるドラマなのだろうか。お姉さんの「主婦はつらいよ」という描き方からもそう思えてくる。「我慢」と「辛抱」はどう違うんだろうというテーマでもあるのかな。お父さん以外はいつお母さんみたいに気持ちが潰れそうになってもおかしくない風にも映る。「我慢」も「辛抱」もやる事は「耐える」という行為で違いが分かりづらいものだけど「我慢」はいつか爆ぜるけど「辛抱」は実が生るものだから。

それが「家を買う。」という実ということになるのかな。でも今の状況じゃどうみても遥か彼方の夢物語にしか思えないけど。いまどき珍しいドラマだよな。

お母さんは辛抱堪らず心壊したみたいだけど本当の理由は「我慢」だったのかなお父さんへの。それ以外にも隣のおっかさもえげつないし。

でもなんざんしょ不思議と悲壮感が漂わないのがホント不思議だよなあ。家庭の陰鬱を現場のおおらかさが打ち消してるのかな。いい人ばっかみたいだもんな。

でも今の家だって十分過ぎる家であってなんでもっといい家をなんてことになるんだろ。

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*くんない その2

「くんない」が遠州弁かどうかは定かではないが希少ではあるが実際使われている表現なので記載。

元であろう「くれないか」の変形言い回しパターンは「くんない」だけではない。

「くれん?」・「くりょう」・「くりい」。「やってくれないか」だと「やっとくりょう」・「やっちくりい」とかになる。「やってやあ」・「やってよを」とかもあるがこういうのまで含むときりがないのでそらはパス。

「くんない」は「くれ」が「くん」に変化したものであろうか。「ない」は打消しではなく傾向としては「まい」と「まいか」との関係と同様のものであろう。でも、じゃあそういう理屈で「くれないか」があるなら「くれない」という言い方もあるだろうというと、それは無い。

「くんないか」という言い方はあってもおかしくないが実際にはほとんど使われていない言い方である気がする。

「くれん?」は「くん」と撥音便化せずに「くれ」のままで代わりに「ない」(ぬ)が「ん」に変化したものであろうか。

「くりょう」は頼んでるというよりも強めにお願いしてるといった感じであるがどう変化すればこうなるのかという屁理屈が思い浮かばない。無理繰りひねりだすとしたら「くれ」+「ろう」であろうか。

「くりい」はおちゃらけた印象を与えるところであるが「くりょう」より遥かにどう変化したのか思い浮かばない。

他にも「くんなまし」・「おくんない」とかがあるがここまで広げると遠州弁とはなんの関わりあいもないお話しになるのでパス2。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その3

 この回の標的は一目瞭然の悪党で、この回だけ観てたら仕掛け人もどきと思われかねないところだよな。

真島(玉木さん)は警察手帳が帰ってきたみたいだけど、刑事であることを芽衣子(菅野さん)に話すつもりはないようだ。彼が追っているのは失踪した刑事の行方の筈だが何故か主に野島芽衣子を追っている。

三輪(モロさん)が芽衣子の事件を追っているからという理由であろうがいまいち方向性が目的とずれている風に映るのは私だけか。そう映るのは三輪を追ってるそぶりが金輪際見られないからにほかならず探す気あるんかいと思えてくるから。

この事件の真相を解明すれば三輪に辿り着くということなのであろうが確信は持てない状態だけれど一連の自殺沙汰が芽衣子と関わっているという現在進行形の事件の方に心が捉われてるんだろうかな。

堂島(唐沢さん)は芽衣子の仕業というのを知っているみたいだけど、どのタイミングで記事にするんでしょうね。この雰囲気からすると芽衣子を助ける白騎士には絶対なりそうもないな。もしかしたら最後超難敵にぶちあたってそれを救うべく真島と堂島が芽衣子の支援者とかになるのかなと先週ふと思ったんですがそういうことはなさそうに思えてきました。

いずれにしても穏便に済むような話しじゃないだけに最後どう落とし前つけるんでしょうね。死を以て償いなさいというのは最後自分にむくのかしらむ。

興味としてはエンディング(復讐の鬼の結末)と事件の真犯人と背景の様でありましょうか。

真島と芽衣子がくっつくとかいう展開にあまり魅力は感じないけど。

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三代目明智小五郎 その1

静岡県ではなんで放送しないんだと

ぶ~垂れた甲斐があったのか(まさかね)

観たいという怨念が通じたのか(んなわきゃないか)

とにもかくにも三代目明智小五郎が神無月になりて降静せり。

日常の丁寧なスケッチの中から浮かび上がってくる身につまされるようなもののあはれを愛でる作品もいいけどこれでもかという嘘八百の世界を味わうのもまた好しや。

面白いと思える嘘八百が成り立つためには嘘も方便的なものに作り手と演じ手の熱情が映って見えるかどうかにかかっている訳で「馬っ鹿じゃなかろうか」が最良の褒め言葉であろう。

あざとさや力の入り過ぎは返って醒めるもの。けなす表現としては「よくやるよ」辺りであろうか。

おいてけぼりに至っては言葉なしってか。

初回観た限りではホント馬鹿ばっか。つまりいいぞこれは。

それに加えてトホホでのほほんとなるのはありがたや。

まあ推理というかトリックの妙を楽しむというには30分ではちと短すぎるところだが。

能天気な群像劇を愉しむのが正しいのだろうかな。これで会話の妙が加われば鬼に金棒なんだろうけど。初回における一番の印象は大家さん(要さん)の汗かな。奇行を愛でる勢いだったな。

しかし死に方がホント「馬鹿だこいつ」。

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*「よ」と「よを」

「おいぃ、急ぎの用あっただに、あんた全然電話出んじゃん。なんで出んよ。」

「なんで出んよ」となればとりあえずは怒りより理由を問い詰めている勢いが強い。

「なんで出んよを」となれば「なにやってんだてめえ」といった怒り心頭の勢いの方が勝っている。

正しくは「を」でなくて「う」だろうかな。あくまで音で書いているので「を」としているのだが「よう」が本来であろう。

古語辞典にある助動特殊型の「う」だと

①推量を表わす。・・・だろう。②意思を表す。・・・よう。③適当・当然を表わす。当然・・・するがよい。④命令・勧誘を表わす。・・・せよ。・・・したらどうだろう。

と説明のある中で①以外の意味使いのものであろうと考えられる。辞書においてもほぼ同じ意味のものが書かれてある。

したがってこれは発音が「よを」(または「よお」)であっても長音化ではなく「よ」+「う」という組み合わせのものではなかろうか。

例文

「おいぃ、急ぎん用あっただに、あんた全然電話出んじゃん。なんで出んよ。」

  (あのさあ。急ぎの用件があって電話したのに全然出ないじゃないの。どうして出なかったんだ。)

「しょんないじゃん。風呂入ってだもんでえ。で、なによを用って。」

  (仕方ないでしょお風呂に入ってたんだから。それで用件ってなに?)

「はあ遅いわあ。バーゲンであんた欲しかった品あったもんで買うけ?って聞かすと思っただん。はあ売り切れたで意味ない。」

「え~買っといてくれりゃあよかったじゃん。」

「はあ買ったかもしれんもんで聞こうとしたじゃん。」

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流れ星 その1・2

 凄まじい出逢いだよな。出逢いと書くより出遭いの方が相応しいか。これは久方振りに見応えを予感させるドラマだよな。

梨沙(上戸さん)にしてみれば前門の絶望後門の兄貴で選択の余地なしか。元(出逢い)は心の洗濯(癒し)をしに水族館来たんだろうにね。その切羽詰まってる感が凄くよく滲み出てるよなあ。何しても実を兄貴が刈り取ってく様がこれまた凄い。捨て鉢という表現がよく似合う。

自殺の現場を取り押さえなければ健吾(竹野内さん)もかくも突飛な願いを梨沙に願い出る事もなかっただろうに。あげな無茶なお願い普通じゃできませんもんね。なんで初回のしょっぱなに自殺敢行シーンをと思ったのですがこれが始まりの全てだったからなんですな。

描かれてる諸々の出来事に連鎖の辻褄が合うところですな。よくこんな出逢い創造できるよなあという驚きすらありますわ。

ま、そんな衝撃はともかく、ものの見事に住む世界が違うというか異質感が表現されていてこれがどう恋愛に変化してくのか見ものではありまして、興味はそっちに引っ張られつつあるところ。単なる内臓売買の後バイバイじゃ問題提起してさあどうだという喚起ドラマならいざしらずなんといっても月9ですからねえ。

金銭感覚からして明らかに違うし礼儀もそうだし共通項も見当たらないところだし。

どんなマジック使って二人をくっつける魔術をかけるんだろう。

とりあえず第2話では疑心暗鬼を愛でるが悦だったな。秘めたる行為の連続で色んな意味での不安が交錯していて。それでいてどよよんとした気分にならないという塩梅が絶妙だ。くどいようだが月9だから最後には成就するだろうという安心感がどこかにあるからなのかもしれないところ。

それと画が綺麗だな。綺麗な世界で内臓売買というドロドロの光景が繰り広げられるというのはなんか感じるところがあるな。

上戸さん今までと相当違うな。体当たりという表現で言い表せそう。

当然稲垣さんの兄貴の存在がハラハラさせる要因でおそがい限り。骨の髄までたかられそう。昔のドラマにはこういうキャラクター頻繁に見かけたズラが最近は見んズラで新鮮ズラ。こういう役やらしゃあ冨士真奈美さんが頂点だった印象ズラがそれを超えるズラか稲垣さんはよを。

先週風邪で感想書けなかったので1・2話合わせての感想でありまして、決して観てない訳ではございません。つうかむしろワクワクする。恋がじゃなくてこのシチュエーションが。

だってもし偽装ではなくきちんと結婚しても付録で兄貴が付いてくる以上梨沙の苦悩が晴れる事はないだろうしその余波は健吾にも必ずや襲い掛かってくるだろうから。そういう障害をどうやって乗り越えていくんでしょうかねえ。そうそう易々と消え去る玉じゃなさそうだし。

そういう諸々の障害を飲み込む健吾の懐の広さや奥深さが重要なんだろうけど竹野内さんが演ずるのなら余りありそうだから落ち着いて観ていれそうでもあるしもっとあれまなイベントが起きてもついていけそう。まあ兄貴だけでも十分そうだけど。

周囲の反対を押し切って結婚するんじゃなく反対を押し切って離婚しないというのも初めて観る光景でもあるし。とにかく斬新だよな。見応えがあるよなあ。

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獣医ドリトル その2

 こういった人に厳しいという人間が増えたなら世の中どういう風になるのだろう。

ってなんのことはない昭和の頃に戻るまでの話しだよな。昔はこういう人一杯居たよな。こういう態度に出れる為には自信やプライドというものが無ければ出来ない事で。

職人が幅を利かせる社会なら経験と知識の積み重ねでそういうものが心の中に意気地として持てることが出来るけど、今は毎日が革新と進歩で下手すれば昨日までの経験さえ使い物にならなくなるくらい積み重ねの価値では物言えぬ時代であって。

変化・変更に順応できる頭の柔らかい奴のみが生き残れるくらいで年齢を重ねる事は摩耗でしかないというのが今の世であろうからして、今の時代にドリトル(小栗さん)みたいな人間は稀有だろうな。「一刻」とか「頑固」・「一徹」とか呼称してたっけ。

そういう連中は非常に付き合いにくい事は確かだけどその自負は信頼でもある訳で、マニュアル通りの心非ずの「いらっしゃいませ」・「ありがとうございました」よりそういう人の「任せとけ」・「よっしゃ分かった」というつっけんどんな言葉の方が遥かに心が安堵出来て任せれるものである。

どっちがいいんだろうとかいう野暮な事は考えないけど、ドリトルを観てるとそういう昔を思い出したという次第。ひとつ直感的に浮かんだ事は、今は金を豊富に有してどんな時も恒に客の立場でさえいられるのならば神様でいられる分楽に生きれるだろうな。なにせお客様は神様だから。なので子供は賢いから学生の内から盗人やカツアゲしてでも金が欲しいと思えるんだろうな。昔は金とかじゃなくてまず人を見定められたもんな。相応しいかどうかとかを。金があってもどうにもならん世界がそこらはっちょうにあったような気がする。

まあそういう意味じゃ金出せば診察してくれる分ドリトルは現代化してるのかもしれないけど。

原作の漫画は少し齧った程度だけどこの世界観ははまると気持ちいいしそれをドラマでも同じように構築してるからこれはハズレ無しだろうな。役者さんもきっちりはまってるし。天邪鬼としてはあまりによく出来たものは気分的に面白くないのだが内容は観ていて確かに面白いのだから困ったもんだ。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その3

 なんかもう「石原さとみ」を愛でる会といった趣を感じるところ。

そんな中においても社長役の大島さんは印象あるなあ。役者さんに対して上手いというのが褒め言葉になるのかどうかは知らねども上手いよなとぞ映りにけりな。

テンポ感が好くて掛け合いが心地いい。表情と物の言い方にもメリハリがあって分かり易い。

アイドルさんの片手間じゃないよな。この二人の掛け合いは谷口(谷原さん)との掛け合いを凌駕している勢いすらで観てて楽しい。

で、物語りの方向は徐々に核心に進んでいくのであろうか警察が霊能力者を何故欲しがっているのかが明かされた。目には目をってか。しかもその神隠しの対象の中に響子兄弟の両親が含まれているらしいことがちらほらと。

これまでほぼ民事を扱っていたものが刑事事件でオダキョーの推理力が試されるというのは興味が湧くな。

ところでこの勢いだと警察に対しても偽能力者であることは秘めるみたいに感じられるけどどうするんでしょうかねえ。まあ別に見苦しい嘘じゃないから突き通すという手もありか。でも最後の大見得いくらなんでも警察で切りはしないだろうな。

いずれにしても最大の敵は神隠し(人間消滅)ということみたいであるが、それが同じ人物の犯行なのかそれぞれのケース別々の出来事なのか。同じ人物の仕業だとしたらスケールのデカい話しだよな。

怪奇現象や超常現象と呼ばれるものを解き明かして現実に引き戻していく様が痛快というのがドラマの主軸の筈であろうが、今回はちとその解明の妙は薄味だったな。

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*「せづようない」か「せずようないか」

以前「いづようない」(居心地悪い)という記事で「ず」か「づ」かにおいて「づ」を採ったのであるが。似たような表現の「せずようない」で「ず」か「だ「づ」かかを考えた場合。

「せずようない」。「せ」(し)+「する」+「よう」+「ない」で「する用ない」と考えた方がしっくりくる気がしてきた。

「せづようない」だと「せ」(し)+「つる」+「よう」+「ない」だと「つる」って何?という事になる。

まあ「す」+「する」と重複するのでいまいち説得力に欠けるところではあるがそれでも

「いづよう」だと「いづる」+「よう」で合うよなあとなんとはなしに思ったのだが、合うのはこの言葉だけのようでやはり「い」+「する」+「よう」+「ない」で「居てもすることない」というのがまともだよなあ。

ちなみに「居てもすることがない」と訳したい場合は遠州弁は「いずようんない」と「ん」が入らないとそうならない。

そう言う事で翻意して「いずようない」・「せずようない」という事に訂正することといたします。ころころ変わってごめんなんしょ。

こういうのって歴史的仮名遣いか現代仮名遣いかということもあろうし、そこいら辺は諸々無い知恵なりに絞って統一したパターンにしていきたいものだいね。

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パーフェクト・リポート その2

 同じ時間帯にドラマが被る訳ですが、私はこちらを選択して観ている次第。いまひとつの方は録画して後で観るを選択しております。

いいセリフが飛び交うドラマですな。行動でも過激に姿勢を示しているけど言葉でもちくちく刺してるような感じでしょうか。

「報道は誰かを抹殺することは簡単。だからこそ粗漏なく取材をしなければならない。」

警察のように捕まえてはくれないし消防士のように火が燃え盛っても消火してはくれない。病院のように治癒に至るまでのケアをしてくれる訳でもない。じゃあなにをするのかというと「知らせる事」。その知らせる意図というか都合が問題であって。

今まで観てきたドラマとかで描かれてる負の報道の姿は、推測憶測感情である事ない事書き立てられたりそっとしておいて欲しいのに騒ぎ立てたりプライベート暴かれて世間から晒し者にさせられたりというのが定番か。最近よく見るのは視聴率稼げれば粉飾上等という姿勢もよく描かれてるよな。知らしめるのではなく退治・潰す・矯正する事という姿勢もたまに観たりもするけどそれは不遜ということか(あくまでドラマの中でのお話し)。

今回は視聴率さえよければといったスクープ欲しい病が描かれていたんでしょうか。

正しい報道ってなんなんでしょ。今回は勝手(安易)な憶測で犯人の一味扱いした事を正してはいましたな。

「自分の目で真実を確かめようとは思わない訳?」

真実は見る位置からその姿は異なるもの。粗漏のない取材がどういうものかは定かではありませんが兎にも角にも肝心なことは「突き詰める」という事を述べていた風に映りました。

そのうえで「知らしめた」側はその使命を終え知った側はそれをどうするのかはそれぞれの人の判断に掛かってくるのでしょうがそれでも「切り口」という報道姿勢が確実に凶器及び関係者への後遺症になりうるわけで。それが犯罪者とか露骨な悪党に向けられてるうちはいいけれど巻き添え喰う方に向いたら怖いというか毒になりうるよなあと。

ドラマでは過去にその切り口(都合)によって本意でない形で報道されて結果として取材相手を裏切った事になりそれで蒼山(松雪さん)は心に傷を負ったということらしい。

曖昧な記憶ですが、坂の上の雲で大学生の秋山弟が新聞を読んでるのを兄が取り上げて曰く「己が確立してないのに人の意見を取り込むのは愚」と一喝したみたいなシーンが記憶に残っておりましてなるほどなと思えた次第。で、報道見てそれを鵜呑みにするのは危険だと思えてしょうがなく話半分が丁度いいような気がするところですな。

送る側だけでなく受け取り手が未熟だといくら正しき報道を提示されてもその意義は箸にも棒にもならないけれど毒にもならないとは限らない。どっちにしてもとにかくおお怖いということですな。知らぬが仏という言葉もありますしものによりけりでしょうが微妙ですわな「真実を知る」ということは。

「誰かを恨んで生きる人生は終わりにしよう。

ギルティの野上芽衣子に言ってあげなよそのセリフとつい思ってしまいました。

今回は対峙する側のない一方的な悪党の一人芝居だったのでけちょんけちょんに追い込んでたみたいだけど対峙して揉め事になってるような事例の場合報道する側の立場がどっちに立つのかという選択みたいなのを観てみたいですな。もちろんどっちも理がありそうな状況で。

それにしても人気女子アナ凋落の図は可愛そうなくらいみじめだったなあ。

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もやしもん その9

 居なくなって初めて気づくその大きさの図。

惜別の情に駆られるの図にしてはそこまでの関係を築いていたんだろうかという疑問が残る。

原作を読んでいないので勝手な想像だが、おそらくは最大イベントの発酵蔵の完成というものに至るまでのすったもんだの出来事が大幅にショートカットされた故であろうかなと勘繰られるところである。

そんなことは自分で色んなすったもんだ想像して臨めよと言われましてもとうに頭が固くなった人間には酷な話しですわ。ましてや菌が媒介する物語なんて妄想以前に想像もつきませんもの。

描かないことによってそれぞれの人が有している感慨を呼び起こすという感動の持って行き方も確かにありましょうがもやしもんの世界は特異過ぎて自分の引き出しに似通ったものはなく、ただ観るしかないのでありまして。

つまるところ、はしょり過ぎな気がしないでもないとこでありますな。そう思えるくらい結構遠大な物語であるということか。んなわきゃないか。

寛容なお父さんと口煩いお母さんが居てかしましい姉妹と悪がき三人と孤高の道を歩く兄弟という八人家族のお話しとも受け取れなくもなく、そのお母さんが居なくなるとどうなるという図と考えられなくもないけど、じゃあもう一人?の主役の菌をどう活用するんだという風に考えると、これはもう答え(次週以降の顛末)を観るしかないとこだよな。

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死人に口なし

あくまで言葉遊びです。冗句です。

*「死人に愚痴なし」

意味

死んだ人は寡黙だ不平不満を言う事は無い。

人は死ねば愚痴を言わなくなるという聖人君主になれるひとつの条件を満たす。

死んだ人への悪口は言わないのが死者に対する礼儀である。

*「視認に口なし」

意味

見た限りでは穴はない。(口はくちではなく図形というひっかけ)

万全な監視をしているという事。

*死人に梔子(くちなし)

意味

くちなしの花言葉は(数あれど)「私は幸せ者」。

ということで「あなたと出逢えて私は幸せでした」という感謝の気持ちを示す行為。

(注、本当にただの言葉遊びですのでマジにとらないでください)

本当の「死人に口なし」の意味は

死んだ人に罪を被せても反論されることがない、といった究極の口封じというかなすりつけ。いい意味で使われる事はまずなさそう。

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*遠州では使われない言葉 やん

「駄目やん」・「開かんやん」

とかの「やん」。

遠州弁では使わない。

「駄目じゃん」・「開かんじゃん

といった「じゃん」がほぼ同じ役割を担っている。

「やんか」は「じゃんか」であるが「やんけ」は「じゃんけ」と言うかというとそんな言葉は無い。

「じゃん」は共通語に直すと「じゃない」でどちらかというと女性言葉のように思えるところであるが「じゃん」=「やん」という側面からすると女性に限った言葉ではないとも思えるところである。もっとも聞き取る感覚でいえば「じゃん」=「やん」という感じはしないけど。でも「じゃん」以外に「やん」に近い言葉が思い浮かばないのでしょうがない。

例文 {本文は関西風・訳が遠州弁}

「ええやん。つれないこといいなや。」

  (いいじゃんかあ。冷たい事ゆわんでやあ。)

ちなみに遠州人がこの「やん」を実際耳にすると個人差はあろうが「でしょ」・「でしょうに」と聞こえ押しが強いというイメージが湧き「じゃない」と言い訳めいた感じに聞こえる「じゃん」とはやはり違う印象を持つ。

したがって「やん」は遠州で多用(連発)すると「いけしゃあしゃあ」という評価が下される危険性がある。そんな気がするところの「やん」である。

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