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Q10 その2

 からくり人間が登場するので、これは奇天烈の高校生版なのかなと思ったけど。別に奇天烈なだけに初めてのちゅうとかいう被せじゃないですけどね。

どうやらそうではなくて野ブタ系の悩める若人のお話しみたい。

この世代は悩むのが商売みたいなもんだからいけいけどんどんではありますな。迷うのは幾つになっても出来ることだけど悩むのはね。もちろん些細な悩みは幾つになっても尽きることはないけど、それを言っちゃあお終いよみたいな根源ネタは大人(社会人)になってからじゃ後の祭りにしかすぎませんから。悩む暇あったら仕事しろってね。

野ブタと異なる点は、野ブタが殆ど同年代の中での葛藤となんとなくの答えを導き出そうとしていたのに対してQ10の方は大人との接点もあっておそらくの応えを得ようとしてるといった感じか。

その分確認というか正誤のジャッジを受けれて最短距離かどうかは知らないけれど次に進める速度が早い気がする。つまりいつまでもひとつの事でじくじくしていないというか。とんでもない方向に迷い込むことがないというか。

それは悪い事じゃないし、実体験として違う世代の人間と接する事の大切さを身に染みて良くも悪くも感じているから、そういう事をこのドラマは謳っているとしたらナイスですな。

まあ。かつを観たさで観てるのであまり深く鑑賞してる口ではないのでこんな大雑把な感想しか浮かばないところでありますが。

でも、福田麻由子さんが来週から本格参戦するみたいなので来週からはしっかり観ようかな。

でもドラマのタイトル「キュート」とは読めんよなあ。やっぱり「キューテン」とどうしても言っちゃうよなあ。

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東野圭吾ドラマスペシャル 探偵倶楽部

 上物のミステリードラマでおましたなあ。二転三転するとこがいとをかし。

物語りの方向性を大雑把に二つに分けると、身につまされてこそのお話しと他人事であってこそのお話しに分けられるわけであるが、死人が出る(殺人)話しってのは基本後者の方が単純に知能ゲームとして頭の体操が出来てその謎解きが痛快である。

そういった意味では法務図にしても栗須亭にしても外国の世界であって自分たちの日常とかかけ離れていて生活感(リアルに生きてる感)を抱かせない分おとぎ話の世界(他人事)として楽しく見れる。

これが日本で物語りが紡がれると俄然汗臭くなる。

金田一さんなんかは古き秋津島における風習因襲を描いたお話しであるが日本人の根っこのおどろおどろした部分を描いていて推理物というよりも民族の陰湿な寓話という趣が感じられる。

そんなこんなのもろもろでメイドインジャパンの探偵物は背景が結構身につまされて寒風吹くうら悲しき崖に自分も立ってるような切実さが沁みる人間物語という方向になってしまいなかなか単純に痛快という余韻が湧かないところである。

このドラマはそういったものが感じられなくて痛快な後味がある特異な印象を受けました。

現場が金持ちの世界。主人公がぶっ飛んでる。常に冷静でロボットみたい。それがいいんだろうな。感情感傷に流されないジャッジメントという趣で。それでいて嘘くさくもないと思えるのはこういう人間が居たら面白いだろうなという願望が心のどこかにあるからなのかもしれない。つまり居て欲しいという想い。権力にも暴力にも屈しない立場というのも魅力的でそれでいて高圧的ではない姿勢も観ていて気持ちがいい。

金持ちが堕ちていく様は他人事でいられるから金の亡者がいくら堕ちても可哀相に思えないという貧乏人のねたみも満足させてくれるというお約束もきっちり満たしているし。精神がおかしいきちがいの犯罪よりも欲にまみれた正常な人間の犯罪の方が気楽に観れるのは事実だよなあ。

ま、そんな背景はともかく肝の謎解きが面白かったな。密室トリックと犯人と犯行を利用する小悪党とのひっかきまわし具合も妙で種明かしされるまで自分なりの推理予測がつきませんでしたもの。

ラジカセの声とリアルな声はいくらなんでも違いに気がつくだろうにと思えたのと、ひとりで首つりに見せかけるなんて無理だろうと思えたけど。

それともっと明確に助手目線オンリーで展開が進んでくれる方がより謎が難解に感じられたのかもとも思えましたです。法務図における和都村目線みたいな。

この空気感は心地いいからこれがシリーズ化されたら観るだろうな。ただしあくまで謎解き重視で背景は薄味でという要件が必需だけど。家政婦は観ないけどこれなら観るな。

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*衆と衆ら

「衆」と「衆ら」。どちらも「多くの人」という意味である。特に遠州弁という訳ではなかろうが、頻度の高さに地方性があるのではなかろうか。

では「衆」と「衆ら」。どう違うのか。

ひとつ目は

「あの衆」だと「あの連中」

「あの衆ら」では「あの人たち」

つまり親近感の違いで「衆ら」のほうが親しみを抱いてる印象を与えるものであり

「衆」は親近感が薄い印象を与える。

もっとも「親」という表現を使っているが見た事あるとか顔見知りというのとそうでないのという些細な差異においても使い分けられるので親密度の浅い深いの差異ではない。

どちらかといえばなんらかの関連性がある集団と関係性のない集団という違いという区分という感じであろうか。

共通語でも「ぼくら」・「うちら」とかいう使い方の「ら」と同じであろうか。「ぼくたち」・「うちたち」というのと印象が違うというようなものであろう。

ふたつ目は

「あの衆」だと「あの人々」

「あの衆ら」だと「あの人々は」

という「ら」=「は」という使い方。

「あの衆らどこ行ったよを」(あの人達はどこに行ったんだ)

「あの衆どこ行っただよを」(あの人達どこに行ったんだ)

という風な違い。

あくまで解釈上の講釈であって厳密な使い分けがある訳ではない。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるだろう的な思いつきの羅列である。にしてはふたつしか思い付かないのがちとせつない。

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その3

 「みしょう」イントネーションは違えど遠州弁的解釈だと「見せてみろ」と聞こえる。調子に乗って彼らを「未詳屋」と呼称するとかになれば「みしょうや」で「見せろよ」と聞こえるという次第。

ま、そんなくだらない事はさておきキャラクターがいいよね。存在してるんじゃなく生きてる感がある。これが展開の都合上配置されてるという印象を与えるようじゃお話しにならないところ。活きてるということであれば最良だろうけど。それってどうやって醸し出すものなのか。それは多分演出家さんと役者さんとの二人三脚で作り上げるものなのだろうかな。

てな訳で甲乙ときてこの丙の回から演出家さんが替わる。はてさてどう変化してくるんだろうという興味が湧くところ。

で、第3話観ての感想は、キャラの活き生き感は薄味になってその分ストーリーの綾に重きが移ったように感じられました。そう奇人行動言動鑑賞会から鬼神鑑賞会というか超能力の妙へとシフトしたというか憑依したというか。えらく真面目に見えたな当麻(戸田さん)が。それ以上に瀬文(加瀬さん)が急にとても砕けた感じになったな。

大きく疑問に思った事はなんで犯人は当麻に憑依しなかったんだろ。犯人分かっちゃいましたあなたでしょうの謎解き解説を邪魔すりゃいいじゃないかと。下手に自白にまで追い込まれたりするから逃げようなんて尻尾を出す事になるのだからして、口封じで当麻に憑依してそれこそおどろおどろしいけど飛び降りなりで自殺させちゃえば済む事じゃんと。えぐ過ぎですけど。とにかく当麻の口を封じさえすれば無罪放免になる可能性大に思えただけになんでそうしなかったんだろうと。

当麻にはそういう超能力は通じないという能力でもあるのかな。

小さく疑問に思ったことはなんで瀬文に対して二度も命を救って今回も骨折を完治させたりするんだろう。少なくとも瀬文に超能力がある訳じゃなかろうに。生かす理由はなんじゃらほい。

それにしても銃を突きつけられての絶体絶命の危機での乗り切り方はおおなるほどと思いました。言われてみればそうかもなと納得してしまいましたしよく気が付いたなあと。

とにかく超能力を有する者と有しない者の対決という構図がはっきりしたところでえらく勝ち目の薄い戦いのように思えるところ。

ま、その気になればという力を持つ者の驕りから水が漏れるを拾って追い込むというのは分からんでもないところだけど。そういう意味じゃ驕れるものは久しからずの現代版平家物語ってか。

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医龍3 その2

 相手のお手並み拝見の巻。ということか。ライバルと呼ぶに相応しいを見せつけてたなあ。途中なんかアクシデントがあってもその凄さを見せつけるが為の手術であろうから失敗はもちろんチームドラゴンが助に入るんじゃないかといった事は考えなかったんでハラハラ感はなく変に安心して観てたなあ。

お互い医者であって敵じゃないんだから共存すりゃいいじゃんと思えてくるのだが、そこはちゃんと過去になにか悶着があって外科を嫌ってるという設定が組み込まれて対峙の構図に粗漏なし。

思念模擬手術をする場所は「天と地と」の対比がくっきりで。かたや屋上こなた地下というのはいかにもな象徴であるが。これは現在の置かれている立場によるものなのかそもそもの性格によるものなのか。もっとも横に並んでやってたら画にはならないところだけど。次週以降は立場が変わっただろうからその行う場所に変動があるのかなというのに興味が湧くところ。

患者の身になって考えれば様々な負担を思えば黒木(遠藤さん)に託すのが心情というもので、メスとカテーテルの争議の餌にされちゃあ参るよな。大分恐縮してたみたいに映る。

そういう意味じゃあ手術終了後朝田(坂口さん)が患者さんに「良かったですね」と挨拶して患者とは遺恨なぞは存在してはいないという画柄があって欲しかったな。

とにもかくにもこれにて勝者は黒木という構図にて経営側も方向転換を決意し次回へ続く。朝田は病院を出ていく風に映ったけどなにしに外へ行こうとしてるんでしょうかねえ。両雄並び立たずして我に居場所なしとて新天地を求めんということか。

絵図としてはニュータイプとオールドタイプの世代交代のせめぎあいみたいな図柄にさえ見えたけどそういうもんなんですかねえ。

神の手不要論を野口(岸部さん)がぶってたけど黒木だって十分神の手じゃないかとつい突っ込んでしまいました。

なにはともあれドラマの主題に掲げられた「外科医の存在意義」というのがこれから語られていくということになるのか。

それにしても術着は黒だし、荒瀬(阿部さん)の操り人形のような無表情さといい鬼頭(夏木さん)の熟慮の末の二者択一の結果といい過度に煽るよなあ。だからこのドラマがエンターテイメントだと評されたりしてるところであろうけど、まあまあなあなあを一義とする日本の風土らしくない事は確かだよな。悩める医者や不遇な境遇を朝田がよき方向へ変えていくという展開が1と2であったとすればこの3にその要素はなさそうにも思えるくらいみんな露骨なほどに明確だよな。

だからこそ対峙という図が鮮明に浮かび上がってくるんだろうけど。単純に両輪として活躍してもらった方が病院側は万々歳じゃないのかと思えなくもない。金がないから二兎を追えずということなのかしらむ。そういう説明はされてないよな。

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*なにゑ

「なに?」・「なんだって?」などと言っている。つまり聞き返しているということ。

「ゑ」をはめた事で分かる通り発音が「ye」と特異である。

「はあ?なにゑ。」だと威嚇気味に「ああ?なんだって?」といった風に訳すことになる。が、言葉の勢い程には喧嘩を売ってる訳ではない事が多い。

以前述べた「ゐゑ~」との違いは「ゐゑ~」が「なんだよ」という勢いで

「ゐゑ~なにやってるだあ」(もう何やってるんだよ)といった嫌になる勢いであり

「なにゑなにやってるだあ」(なんだあ?何やってんだ?)といったおいおいとツッコミ入れる勢いの違いである。

共通語だと「あ?」に近いのであろうか。

怒りでもすっとぼけでも平常心でも大抵の状況で使われる広い用途の言葉である。

近い表現で「なにやあ」があるがこれとの違いは

「なにやあ」が「なんだと?」といった詰問調に近い聞き返しであるのに対して

「なにゑ」はよく聞き取れなかったのでもう一度といった聞き返しという違いであろう。

例文

「おい。今日あんたどうするよを。」

  (ねえ、今日あなたどうするの?)

「なにゑ。なにがあ。」

  (はあ?なんの話し?)

「昼飯。出前とるだ?」

  (お昼ごはん。出前取る?)

「外食い行くでいいわ。」

  (外食するからいいよ。)

注、文中の「なにがあ」は「が」が鼻濁音の方である。

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黄金の豚 会計検査庁特別調査課 その1

 設定は奇想で愉快たるが足枷が重たき事この上なし。

蛇の道は蛇で餅は餅屋というのは一理ありそうで暴く相手が親方日の丸というのも痛快だけど

履歴書の改竄(隠匿)は十字架としては重た過ぎるよな。ばれたら即お終いだよな。しかも悪事を暴くなだけに警察とはなにかと協調していかなければならないのだろうからして。それに臭い物にもきちんと蓋を着せるのだけが偉いさんの仕事ではなく足を引っ張るのも重要なお仕事だろうからして芯子(篠原さん)の活躍が顕著になれば絶対そこを突いて陥れてくるよな。マスコミだって顕著になれば食いついてきて過去がスキャンダルとして祭り上げられそうだし。天敵が多すぎるよな。

そういうハラハラ感は欲しくないだけに、言ってもせんないことだけど鶴の一声並みのお墨付きをもらっての大手を振ってミッションクリアする毎に刑を軽くしてやるくらいの人参作戦というのの方が正々堂々振る舞えるように思えるけど。

あえてこの手の種類の足枷をはめた理由がおそらくはあるんだろうな。あまり予想がつかないけどどう影響していくんだろ。

とりあえずこの回で一番好きなシーンは明珍(生瀬さん)が厠の大に籠もって「よげんの書」ならぬ「おしごとの書」(お子さん?との交換日記)をちまちま書いてるシーンだったな。これが数十年後に会計検査庁のバイブルとして崇められるようになるとか。それくらいスカッとする事が自虐的に書かれていそうだよなあと。

もちろん意図としては正義の心は有しているけど長い物には巻かれるという忸怩たる想いというのが表現されているものであって性根まで腐ってる訳ではないことを表わしているんだろうけど。

最後の追い込み(仕上げ)はマスコミがやってる絵図だったけどなんか爽快な印象は受けなかったな。

人物紹介に重きをなしてた初回だから本格的なのはこれからなんだろうかな。

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*ばっかじゃん

二つの意味がある。もちろん別の言葉であってひとつの言葉がふたつの意味を持つという事ではない。

一つ目は、「「アホかあ」と言っている。

関西風で説明したが共通語なら「馬鹿じゃなかろうか」といった感じでありましょうや。「ばかじゃん」よりも呆れた印象が強くなる。

女性表現であって男だと「馬鹿かあ おんしゃ」くらいであろうか。

例えば男が道行く可愛い娘さんの姿を鼻の下伸ばしながら目線で追う様を見てかくのたまう

「ばっかじゃん」

父親と息子がなんかの趣味の話しで無意味に盛り上がってるような時に母親が放つ

「ばっかじゃん。なにん楽しいよを そんなの。」

二つ目は、「ばかりじゃない」。

「さっきゆったばっかじゃん」(さっき言ったばかりでしょうが)。

「ばかり」を「ばっか」というのが味噌であり、「ばか」と言う場合もあるが「ばか」は「ばかり」と訳すよりも「くらい」した方が訳はスムーズとなることが多いので基本「ばっか」と「ばか」は別物と考えた方が自然である。

「ちっとばっかだもんでいいじゃん」(少しばかしなんだからいいでしょ)

「ちっとばかいいじゃん」(少しくらいいいでしょ)

例文

「あんたこないだ頼んどいたのちゃんとやっただけ?」

「こないだ頼まれたばっかじゃんできんよをそんなすぐにでけすかあ。」

「ばっかじゃんあんたなに聞いてたよを。今日のうちにやらんと後えらい目にあうにいっつったじゃん。」

「それならそうとちゃんとゆってやあ。」

「ゆったじゃんちゃんとを。ゆったにい。」

「え~どうすりゃあいいよを。」

「知らんよを。」

「えらい目ってどうなるよを。」

「知らんよを。」

「おどかいてるだけじゃないのけえ。」

「じゃ課長んとこ行ってきてみい。そうすりゃ分かるでえ。」

「・・・急に腹ん痛くなったで今日帰るわ。」

「おい、逃げちゃかんでねえ。」

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相棒 season 9 その1

 オープニングはスペックの異種返しかと勘繰ってしまう程の出だしでしたなあ。

突入現場で部下が血迷って発砲する様なんざ合わせたんじゃないのかと思える程に。

でもその後の顛末が超自然現象と超リアルな結末で似て非ざるものなりやと謳っているのか。まさかね。でももしそうだったら思わず「やるなあ」とぞおもへたり。そういうお遊びは好物です。

事件は「つづく」だし安定こそが「帰ってきた」と呼べる訳で事件以外はいつもの世界ということで特に感想はないんですが。それでもやっぱ観てて面白いよなあ。

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*「だら」と「だに」の訳し方

初歩的な遠州弁の訳し方として

「だら」は「だろ」

「だに」は「だよ」

こうストレートに訳した方が破綻が出にくくていいのではなかろうか。下手に気取って

「だら」を「でしょう」

「だに」を「です」

とかにしたら語尾を上げて疑問符形にした場合「です?」なんてことになって有り得ない日本語になってしまう。

しかもこれに「だら」の場合「あ」が付いて「だらあ」とした場合

「だらあ」で「だろう」

がスムーズであり「だら」=「でしょう」だと「だらあ」=「でしょうう」となってしまう。

深く突っ込んでくと矛盾が生じてくるので「だら」=「だろ」・「だに」=「だよ」だと言い切る事は正しくはないがとっかかりとしてはこの解釈が一番無難な訳のような気がする。

そうすれば「だらね」を「だろね」と訳せ変化しても対応できる。

女性が「だろ」と言ってるのはというのに抵抗があって「でしょう」としたい気分であろうが「おい」は使ってるでしょうが女性でも。共通語では「おい」は男性言葉で女性が発する事はない言葉となっている。「おい」はいいが「だろ」はちょっとというのは説得力に欠ける。

それと「ら」・「に」を「しょ」・「す」にと直すこと自体は、間違っているわけではないのだが「「だ」を「で」に直すからややこしくなるともいえるわけで「だしょ」・「だす」とすれば共通語ではないが変換という事に関しては違和感は生じない。

深く突っ込むと「だろ」・「だよ」では無理が生じるというのは例えば「だにい」。「決まってるだにい」を「決まっているんだよう」と訳せなくもいないが実際は「決まり事だからね」。「決まってるんだにい」であれば「決まっているんだからね」といった「だよ」ではなく「だからね」という訳になる。なので必ず「だよ」と訳すのが正しいわけではない。

したがって繰り返しになるが細かくは詮索せずとにかくとっかかりとしては「だら」=「だろ」・「だに」=「だよ」としとくのが無難であろうて。

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フリーター、家を買う。 その0

 風邪引いて気が弱ってる状態で観たので、お母さんが壊れていく過程が過剰に身に沁み過ぎて気が滅入ってきたので途中で一旦停止してしまいました。

全然荒唐無稽のお話しじゃないじゃないか。むしろ好きだぞこういうの。自分も頑張ろうって気になれそうな予感がする。

でも風邪引いてて必要以上に切羽詰まってきてしまう。

もっと普通の体調に戻ったらちゃんとした感想書くことにして今日はこれにて。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その2

 無実の罪を着せられ長い事ムショに入れられてた人間がなんで真の犯人を知っているんだろうという疑問を初回に抱いたのであるが。

今回は弁護士にその矛先を向けている。別にやりよいようにで順不同に復讐してくのは本人の勝手でいちゃもんつけるつもりはさらさらないけれど、もしかして分かっている範囲で自分を陥れた人に復讐してるだけで犯人そのものは分かっていないのかしらむ。と思えなくもないところ。

というか初回にコンプリートした二人は事件とどう関わっていた人間なのかがそういえばよく分からないぞ。共通項は高校にありという事みたいだけど、だからそれがなに?ってことでお話しは藪の中だよな。

堂島(唐沢さん)が凋落した理由も明かされてないしなんで未だに追っかけしてるのかも分からない。後悔の念でもあるのかな。あのなり見るとまさかねと思えてくるけど。

真島(玉木さん)がいつ野上(菅野さん)に刑事だとばれるのか。というか故意に隠匿してるのか恋で言い出せないのかそれとも請いでもない(聞かれてない)から言わないだけのどうでもいい事なのか。

失踪した三輪(モロさん)は冤罪だと気付いているから解明に疾走してるのか。

宇喜田(吉田さん)は真島を泳がせて何を掴もうとしているのか。

つうか何人に復讐すれば野上の復讐は完全コンプリートとなるのか。

堂島の弟分を焼き殺した「きちがい」はどうなるのか。単に嗚呼無情を表現するだけの存在で後フェードアウトしてくのであったとしたら溜飲が下がらないとこではあるかな。

野上の行動は真の犯人の炙り出し実施中なのか既に知っているのか。いずれにせよ犯人は誰だという推理的要素もあるかの如き展開。小出しの情報提示だから視聴者の目線というか立ち位置は真島の目を借りてという事になるんだろうな。

まあなんにせよいずれ劣らぬ腹に一物抱えた連中の集いでありまして、心安らぐところが希薄なのが風邪ひいて弱気な状態で観てる人間としてはしんどい事の乱れ打ちの様相で。まあ自分が早く風邪治せばいいだけのほぼいちゃもんな感想でして普通の体調であったなら意にも介さず面白いと思えそうな気はするけど。

落ち込んでる時に観て勇気を貰うドラマでないことは分かった。それとたとえ滅入っている状態で観てさえも先が気になるミステリーとして惹き込まれるドラマだという事も判った。

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Q10にかつを

 全くノーマークだったドラマ「Q10」。前評判的にどうみても主人公とほぼ同世代を視聴対象としてるような印象で幅広い層向けのドラマという感じはしなかった。なので自分的には視聴標的年齢層から外れるであろうからとスルーつもりだった。それでもいつも大概のドラマの初回は一応チェックしとくスタンスなのでこのドラマも録画をしておいた。

焦らずともそのうち暇な時にでもとまだ観ていなかったんだけど。

そしたらかつをがブログで出演してると告げてるではないか。

録画しといてよかった。でも事前に告知してくれよなとも思った。早速観た。

で、観た感想はスカート短けえ。出番も短けえ。でも確かにかつをだわぁ。

普段のんびりしてる人が運転すると人が変わる攻撃性を有するみたいないざ演奏となったらぶんぶんになりそうな雰囲気のインパクトはあったな。

スタンス的にかつをはミュージシャンと役者さんのどっちを目指してるんだろ。

勝手な想像だけど今後演奏シーンとかがあってその為にどちらもこなせるという事から起用されたとかなのかな。

ここんとこ風邪ひいててあまり深く頭使うのしんどいのでまずは直感の感想のみにて。

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*のえ

例えば「そうだのえ」

「そうだね」ということであるが、この言い方全国的なものと思われるが似たような言い回しで遠州弁として使われているものと使われていないものを区別してみると

「そうだいね」

「そうだらなあ」

「そうだのう」

「そうだの」

他にもあろうがぱっと思いつくところではこれくらいか。

「そうだのし」

は言わないとは言い切れないところである。滅多にないけど。

逆に普段言わないのは

「そうですな」

「そうでんな」

「そうでおまんな」

共通するのは「だ」を多用し「で」はあまり使わない傾向にあるという事なのであろう。

ちなみにこの「のえ」。発音は「のゑ」ではなく「のえ」。

仮に「のゑ」とした場合その意味は「の」=「ね」・「ゑ」=「なあ」・「だろ?」といった感じであろうか。「そうだね」で納得「そうだなあ」で共感といった趣の違いか。

大抵は「だ」+「のえ」の使われ方で「のえ」単独で使われること及び「で」+「のえ」は遠州では殆どしない。

例文

「ほれえ、隣のゆめちゃんも行っただであんたもトロトロしてんで行くだに。お父さんもなんかいいなよ。」

  (ほらあ、お隣のゆめちゃんも行ったんだからあなたも早く行きなさいよ。お父さんからもなんか言ってよ。)

「そうだのえ。遅れちゃかんでちゃっと出ない。」

「うっさいなあ。今行こうと思ってただにひゃあひゃあゆうもんで行く気なくいた。」

「そんな事ゆうなら行かんで困るのあんただではあ知らんでねえ。」

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獣医ドリトル その1

 動物も治すが飼い主の心も直すドリトル先生というお話しか。世間からの批判非難の嵐の中においても獣医を続ける鳥取の目指す先はなんぞや。というのがこのドラマのテーマというか徐々に解明される謎なのだろうか。

それにしても小栗さんの役作り、見た目原作に限りなく近くておおっ!てのがまず初めの第一印象ですな。

原作は読み込んだというレベルではないんですが浅はかな読者の印象からすると、原作との違いはその背中に背負ってる荷の重さがドラマの鳥取によりあるのかなという違いを感じました。孤高の戦士って感じで。色んな意味で色んなものと戦ってるなあと。

それにつけても魅力的なのは鳥取病院の作りだよなあ。心が落ち着く。それでいて器具は最新設備みたいでそのギャップもまた面白いかな。

まあ初回という事で特別なイベント目白押しという感じでありましたが、個人的にはもっと日常感のある方が好きなんでゆっくりとした時間の流れというかほっこり感というのも味わいたいところだすな。

命の大切さや重さを描くという点からあまり能天気という訳にもいかないだろうけど、もうちっと肩の力を抜いて飄々と戦うドリトルを観ていたいな。無理な相談か。でも使命感からくるドンキホーテ的な悲壮が漂う様ばかりだと観ていて疲れるのは素直な感想。

その塩梅のさじ加減を期待したいな。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その2

 なんで小田霧響子本人と気づかないんだろうと思えてもそれをいっちゃあお終いよ。という俗にいう「お約束」や「禁句」として済ますというのはどうなんだろうなという想いが初回観た時にはあった。

なんていうひねくれものの私でありますが、この回に於いてはそれなりに別人に映って見えた。衣服と化粧はともかくとして目配りと所作・声の張り具合で変化をつけていて別人とまではいかずとも確かに分かりにくいのかもと。

天才霊能力者の時はあの衣装でしか拝見していないので他の衣装でもそう見えるものかというものを観てみたい気もしますわな。

で、肝心の解明のお話し。はなから眉唾もののピーちゃんでありんしたがそのトリックをどう暴くのかというのが味噌であり暴いてからどう落とし前つけるんだというのももう一つの味噌な処でありましょうや。

郵便(日付)のトリックは気づかなかったなあ。へ~そうなのって感じで感心しました。

公の場でどう暴くんだろうと思ったら新聞偽造するなんて大仰な事するよなあとそのスケールのデカさを感じましたが警察官のすることではないだろうて。現実はフロッピー弄って捕まってるくらいなんだから大分姑息かなと。テレビ局がドッキリという名でのやらせって勢いで仕組んだっていう方がまだ多少おちゃめで済ませれるような気もしないではないところ。どっこいどっこいかあ。

もうひとつの味噌である落としどころは帳尻が見事であったよな。断罪するだけが真実じゃないという優しさはタイプだ私。

そういう点とは別に「石原さとみ」を愛でるが得策という視点もありそうだな。裏表の機微ということではパズルでの鮎川美沙子を凌いでるようにも感じられる。でもキャラクター的には今のところ鮎川の不遜の方が楽しいな。それを今後どう凌駕していくのかが楽しみでもあろうて。

ところでいつテレビ番組ネタから脱却して警察の手助けする本格的な捜査を始めるんだろ。それともこのままの勢いで最後まであくまでも主戦場はテレビ局でということなのか。でないと温情ある裁量は図れないものな。でも本格的な事件の捜査というのも観てみたい気もする。

いっそのこと最後はその才を活かしてスカウトされて全うな警察官となって手堅い給料貰うというのも悪い話しじゃないよなずうっとインチキやってるよりかは。

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*だのえ

「そうだのえ」。ニュアンスを訳すのに難しいところだが兎に角大雑把に訳せば「そうだもっともだ」と言っている。

「だ」+「のえ」という事であり、ネットの辞書を調べると「のえ・のへ」上代東国語「なへ」の転とイマイチ訳の分からない事が書かれていた。もうひとつは「のえ」奥豊後の方言で同等もしくは目下相手に同意を求める際に使われると書かれてあった。

これが遠州弁だとは思っていないが日常会話の中でたまに聞くので、まあここいら辺でも使ったりなんかするよということで記載。

「そうだよね」というのとは少し違って同意の要素がより強いので

「そうだそうだ」とか「もっともだ」といった感じの方が近いのかもしれない。

「だのえ」よりも「だの」の方が遠州ではよく耳にする言い回しではある。

「だのい」という言い方もあるのだがこれは「だのし」と同じで遠州での言葉とは距離がある気がする。

「だ」を抜いて「のえ」とかいう言い方をするかといえば「雪の白雪ゃの~え」くらいしか思いつかないけれど使っていそうな気はする。

例文

「明日雨降りそうみたいだで予定変えまいや。」

「そうだのえ。でもあれだらあ?はあ予約入れてあるだら?」

「つったって雨ん濡れてまで○○はしたかないらあ。」

「そりゃそうだん。なんかもったない気がしんでもないじゃん。」

「雨でもやりたい衆らいるだで。しんちゃんらに呉れてやって恩売っとくだあれ。」

「あいつらならやりかねんなあ雨でも。でもどんな恩売れるよを。」

「判らん。呉れてみんと。」

「案外とんじゃかなかったりして。」

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パーフェクト・リポート その1

 はみ出し者が一泡二泡吹かせて嗚呼痛快という定番に近い導入の展開だけれど。それを上手く利用するデスク黒井(平山さん)の存在が多少目新しくもありや。なんせ飼うのには骨が折れるがそれでもネタを持ってくるいい猟犬だと認めて陰で応援してるのか言葉通りに弾き出そうとしてるのか言動不一致なところが実に胡散臭くていいよな。

とりあえず感じた事は、キャラ設定とかも含めて超斬新という印象はなく非常にオーソドックスな展開だよなあと。昭和っぽいドラマかと。昔こういうパターンで楽しく観れてただけに嫌いじゃないけど、コアなファン向けでない安全無害な安心感もあって広い年齢層を意識した作りなのかなあ。もっとも昭和との違いは息抜きと家庭の事情を描いている部分か。

それか報道の王道(理想)を描くとこうなる事は時代に関係なく不変だということか。それとも兵隊さんが武器を銃弾から映像とマイクへと品変えて「月月火水木金金」の精神で日夜戦う戦士いまだ健在ということでもあろうか。剣呑剣呑。まあ銃口を向ける先を憶測とか感情とかで間違えないで貰いたいものだと思うしかないところですが。真実という統帥権を乱用する様だけは見たくないよな。

めざましかなんかで小日向さんがTBSは録画でこっちは生で観てといった趣旨の発言をされてたのを見て言われた通りにこっちを観た次第であります。

その番組中報道に関わるものとして感慨があるという旨の発言をキャスターの方がされてたけど、報道に関わらない一視聴者としては総理がコロコロ変わる今のご時世においてあの総理がもし優秀な総理だったとしたら「入院」という嘘も方便でええじゃないかなんでほじくり回して辞任に追い込むんだ?という気分で観ちゃいました。やっぱ視点は違うものだよな。

まあとにかく取材の対象が肝であろうからそのターゲットと結果が爽快かどうかで面白いかどうかが分かれそうです。

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耳をダンボに

「聞き耳を立てて」といってる次第であるが。

昭和オンリーの流行語でちょんなんだろうかな。平成人に果たして通じるや否や。

知らない人にしてみれば当然「ダンボ」ってなに?というそもそもの疑問が湧くところであろうが、ネズミさんやアヒルさんが今もランドで闊達達者なのにこのキャラだけはどうして過去のものになったんだろうね。

栄枯盛衰はトッポジージョのみにあらずや。例え天下の出図似居であらむとも。

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一言に注目

「その一言に注目していたら」

言葉は耳だからして目を注してもとふと思っちゃうよな。

「注目」①目をそちらに向けて、よく見る事。{狭義では、変わった物や珍しい物を好奇心から見ることを指す}。「注目の的になる」。②注意して見ること。{狭義では、そのものの価値・意義を認め、十分に注意する事を指す}「注目に値する」。と辞書にある。

注目を使う事によって発言内容よりも相手の反応する様に興味があるという風になるんだろうな。つまり何を言うかよりも反応(表情)の方が気になってるという事に映る。

ということは相手をガン見してるという状況が想像される。別におかしくはないのか。

では、目を伏せて(他の動作をして)相手の反応を耳のみで窺っているという状況ではどう言えばいいんだろ。

「何と言うのかと耳を凝らしていると

「耳をそばだてていると

「聞き耳を立ててると」

「傾聴」・「拝聴」は確実におかしいよな。

「耳をダンボに」は確実に昭和だものな。

う~ん、一体なんて言えばいいのだろ。

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もやしもん その8

 このドラマ、主人公は直保(中村さん)じゃなくて長谷川(加藤さん)に相違ない。

それだけ異様な特殊能力を有していてもこのメンバーの中に入ると霞んでしまうという濃いキャラ軍団だ。

そういった中で群を抜いて印象に残るのは長谷川であろうと。今回はモロに長谷川去るという展開のお話しであり確実に一番長く映ってたし。

それになんざんしょ直保の能力を具体的に発揮して実を結んだという事例が今までなく、美里と川浜にいいように悪用されてるだけで主人公らしい見せ場があったという印象がないというのもあるよな。

まあ原作読んでいないから忠実なのかなんなのか知らないのですが、直保が醸すぞ軍団と結託してなんか凄い事(良い方で)起こすのかなと思って観てきたんですがそういう意味では超普通?な流れだよな。

大学に入る、悪友とつるむ、謳歌するってことで言えば。

その点長谷川の方が遥かに背景が特異で服装も特異で研究室に居る意義とかも印象深いものな。

別にぶ~たれてる訳じゃなくて単純にそう思ったまでのことで、このドラマは面白いという事に変わりはないんですけど。

それにしても寝てる際の悪玉菌と善玉菌の合戦絵図は見応えあったな。このシーン観れただけで観た甲斐があったというもの。

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病院で死ぬということ

 快楽に流るるを悦とする自分にとってこういう映画は確実にぴりりとくる「ちゃんとしっかりしろよ」という忠告になるんだよなあ。深夜枠のテレビで観ました。

1993年 監督 市川準

ドキュメンタリータッチにて至極淡々たる様なれど、お仕着せのメッセージとかが感じられない分自ら考える量が増える。

自分がもしそこにいる立場だったとして、見送る側としても観れるし去りゆく側としても想いにふけて観れる。

色々思うとこはあるけれどそれを人に言っちゃあお終いよ。人それぞれだし。でもひとそれぞれなだけに同じことの繰り返しなんかじゃないから馴れるなんてことは決してないんだろうな。

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ミラクルバナナ

 2005年作品 監督 錦織良成。テレビの深夜枠でやってるの観ました。

後味が爽快だよな。観終わった後ほっこり元気が湧くのは流石バナナの力ってか。って葉っぱのお話しで中身の話しではないけれど。でも実のない話しじゃあないんだよなこれが。

始めの一歩は人間一人の熱意から始まるけど、それが実を結ぶ為には色んな人を巻き込んでいく人の和が不可欠だというのがきちんと描かれていて佳いもの観たという余韻が残ります。希望から現実へという膨らみ方がいいテンポだったな。

その巻き込み方が誠実(無心)なとこが心地良かったし巻き込まれる側も気分いいんだろうなという気がしてくる。小さな一歩だろうけどそれが今後もっと大きく膨らんでく予感を感じさせるとこが謙虚な美でもあるかな。

悪党がひとりも出てこないのが私の好み。もっとも主人公の不感症に近い動じない心の視点で物語りが進んでいるからであって実際自分が目の当りにしたらそうは映らないのかもしれないけど。

とにかく元気を貰える映画ですな。

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*「ど」と「ばか」の違い その2

「ど迫力の映像の作品」という言い方はあるが

「ばか迫力の映像の作品」という言い方はしない。「ばか迫力な映像の作品」はある。

「映像がばか迫力ある」はあるが

「映像がど迫力ある」はない。「映像がど迫力である」はある。

「役者がばか揃ってる」はあるが

「役者がど揃ってる」はない。

「ど」と「ばか」はほぼ同じ意味合いであるがどんな場合でも置き換えられるという完全な互換性がある訳ではない。

別の視点から違いを考えると

「ど根性蛙」はあっても「ばか根性蛙」はない。

「ばか正直」はあっても「ど正直」はある。(日本語変だけど)

同様に「ばか真面目」があって「ど真面目」もある。

もちろんニュアンス的に「ど」と「ばか」は違うものである。上記の例でいえば「ど」は感心で「ばか」は無駄にというニュアンスの違い。これらは正直・真面目といったどちらかといえば褒め言葉に付いた場合の事。

では、けなし言葉に付いた場合はというと

「ばかひどい」・「どひどい」は共にある。

「ばか汚い」・「ど汚い」も共にある。

こういった場合にニュアンスの違いはあるかというと微妙な違いはあるがどんぐりの背比べでそう大した違いはないところである。

したがって遠州弁の素人さんは滅多やたらに「ばか」をつけるのは危険である。けなし表現においては差支えない事が多いが多少なりともいい方向に捉えようとする場合の凄いという表現には「ばか」を使うのは差し控えた方が無難である。

とはいっても「ど」も褒め言葉もどきであっても掛かる言葉によっては同じようなものとなるので「がんこ」・「えらい」がより無難ではあろうが。

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