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*「ばか」の種類

大雑把に分ければ遠州弁には

「ば」にアクセントがある「ばか」(A)と

平坦なアクセントの「ばか」(B)と

「か」にアクセントがある「ばか」(C)の三種類がありそれぞれ意味が異なる

凄いという意味合いの場合はCで「ばかでかい」

やけに・えらくに(相当に)という意味合いの場合にはAで「ばかに暑い」

とてもという意味合いではB。「ばかひどい」

もちろんこれが全てという訳ではないがこういう使い分けもあるよということで。

つまりイントネーションを正確に発すればかなり無茶ではあるが

「ばかばかばか穴んばかばかあいてて馬鹿馬鹿しい」(B・C・A・穴ん・BB・あいてる)(とてもすごくやけに穴がボコボコあいていて馬鹿馬鹿しい)

という表現が成立するところである。順番入れ替えることも可能。まあ実際はこんがらがってきて言うのが難しいのとAの場合は「ばかに」というのが普通なので

「ばかばかばかに穴んばかばかあいてて馬鹿馬鹿しい」

という言い回しになろうが。

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SPEC・警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿 その2

 このドラマは「ケイゾク2」と呼称されるんですね。1999年に放映された「ケイゾク」なる作品は見ていないのでそういわれましてもという気分なんですが、竜さん演じる野々村係長というポジションがそれを表わしてるそうな。とにかくそういう「2」という目線では私ありませんのであしからず。

能天気な視聴者としてこのドラマは面白い!毎週愉しみ!と思っている次第ですが、え~?なんで?という部分も同じ容量なくらい含有してると思える超微妙なドラマでおますな。まあとにかくはまってます。

第・エピソード・ファイル・ケース・その・パート・の巻・ナンバー等々回の数え方は数々あれど甲乙丙丁を用いる手があったとは。これってお初なのかな。甲から葵までで10だからこのドラマは最長でも全10話ってことか。11話あって最後はなんとするってことだったらそれはそれだけで興味が湧くけとこだけど。

捜査そのものはアリバイ崩しの妙があって面白かったけどもういっちょの天誅の一連の出来事については前回同様頭の奥がイガイガしてきたぞえ。

 不可思議は解いてこそが華。鼻を明かすとも申しますので、超能力という言葉で不可解に蓋をするというのは現実ならいざ知らずドラマではいささか曇天模様なりや。

なにせ因果を含むことばかりで溜まる一方の未解決な鬱積をドラマで晴らすみたいな期待があるからこそ印籠や仕掛け人に喝采をあげるのが視聴者の性という一面がある筈なだけに、盛り上げるだけ盛り上げといて最後うやむやにしてそういうもんだと因果を含まされたんじゃ現実と何ら変わらない。オチは大事だよね。たとえワンパターンと揶揄されようが。

まあコアなファン狙いということであればこの限りではないけれど。自分はコアな部類には属さない(筈)なので放置プレーは熱海でもう十分に味わって満腹なのできちんとした印籠を出して欲しいですわいな。一話完結じゃなくても。

今回のタネは人並み外れた聴覚って、異様に広範囲の音が拾えるのだとしたら雑音の方が遥かに量が多く必要不必要の取捨選択どころじゃあるまいにねえ。死にたくない(死刑になりたくない)からあらゆる手で必死にということなんでしょうけんど耳だけじゃ流石に無理っぽいでがんす。まあ凡人には理解を超える世界なんでしょうけど。

当麻(戸田さん)達は犯人?と闘ってるのか大いなる影と闘っているのか。これから何話進まなければどっちの展開なのか分からないところもまだ落ち着いて観れないところではあるなも。

とにかく謎の少年(神木さん)の存在がああそうなのへ~!となるまでこの落ち着かない気分は晴れないんだろうかな。それと津田(椎名さん)という存在も。

でもこんだけぐじぐじ書いててもキャラクターの色鮮やかさが魅力でありまして、これを観るのが愉しみなのは事実でありんして。へんてこりんなドラマだことというのは間違いない。

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*ばばっちい

そもそもこれが遠州弁なのかどうか定かではない(というよりほぼ共通語だろう)と思われるのだが

「ばばっちい」

共通語だと「ばっちい」で「ばばっちい」は地方性のある言葉だしょうという意見が合っていそうな気もするところで。はてさてどうなんでしょ。

遠州弁は「みみっちい」・「ちゃっちい」・「ぼろっちい」等こういった言い回しがよく使われる傾向にある。

とりあえず意味としては「汚ならしい」。「ばば」で「糞」をイメージさせるところである。

したがって「部屋がばばっちい」だと部屋が雑然としていて掃除してないから汚れているとかいう事(こきたない)ではなくて食べかすなんかの放置により異臭を放っているというような汚れというのをイメージさせるものである。

「ちい」は「~っぽい」といった意味合いであるので「汚ない」と言い切るのであれば

「ばばい」くらいでないと屁理屈としては矛盾するところである。ただし「ばばい」なんて言い方聞いたことはないので所詮屁理屈の論理は空っぽにしか過ぎないが。

とにかく「ばばっちい」の訳は遠州弁的には「汚ならしい」が適当であろう。

「ばっちい」は共通語では幼児言葉という分類だそうな。遠州弁での「ばばっちい」も確かに幼児向け言葉だけど大人同士で使っても左程違和感はないよな。

例文

「あんたなにい。変なばばっちいもんさわってるじゃないにい。」

  (なにしてるの。おかしな汚らしいもの触ってるんじゃないよ。)

「ばばっちくなんかあらすけえ。」

  (汚らしくなんかないよ。)

「じゃなに指で汚らしそうに持ってるよを。」

  (だったらどうして汚いもの触るみたいな持ち方してるのさ。)

「塗料塗ったばっかだもんで手に付いちゃんかんもんでそっと持ってるだよ。」

  (塗料を塗ったばかりで手に付かないようにそっと持ってるのっ。)

「ああそうけ。変なとこ置いちゃかんにい。」

  (ああそうかい。だったらむやみに置かないでよ。)

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医龍3 その1

 嗚呼好い良い佳いやさの宵酔い余威。ってか。あ~満喫した。あっという間の2時間8分だったな。

素人でもハラハラドキドキするんだよなあ。まるでなんだろ、WBCとかワールドカップを一喜一憂しながら固唾をのんでテレビ観戦してるのに迫る感じであろうか。

勝つと信じてるけど結果に至るまで負の要素をこれでもかというほど提示して不安にさせる手管が相変わらず冴えてるよなあ。皆テレビにかじりつきってとこもWBCやワールドカップでの光景に似てるし。まさに応援目線で観てるんだよなあ。

患者の不安というのもしっかり伝わってきてまたそれが煽る要因になってるし、さりげなくなのか勇気を出してなのかはよく分かんないけど医療訴訟の氾濫に蜂の一刺し加えてたっけ。

なんにせよ迂闊に「まかしょ」と言えないもどかしさってか。切ないのえ。お医者さんと看護師さんの「大丈夫」は嘘であっても心の支えになるもんだ。自分が入院してみりゃそれがよく分かる。

実況中継が説明口調であっても苦にならないというかだからこそ余計にどうすんだよ朝田(坂口さん)という気になってくる。故に素人でもハラハラできるんだろうな。しらふだとうざったく感じるところだけどそれなりにのめりこんで観てるから気にならないというのと、スポーツ実況における解説者さんの有り難味に近い感じすらある。

ハラハラといえばいきなり「よっ大統領」で、肖像権とかそういった類は大丈夫なんかいと思ってしまいました。ホンモノだよねえ。そっくりさんじゃないよねえ。

ドラマのテーマは「外科医の存在意義」であるらしい。かくもデデンと構えた上での始動であるけれどテーマの重厚ゆえの鈍重さがまったくなく次から次への息つかせぬ疾走感が相変わらず凄いよな。

加藤ちゃん(稲森さん)は帰ってきたけど、里原(水川さん)は居ない。ドラマの中で伊集院(小池さん)が独逸に行ってるからしょうがないと言ってたけど、独逸と言えばタイガー戦車。タイガー・たいがー・たいが・大河っていう深読みしていいのか?ええのんか?さてもさても大河ドラマは掛け持ち相成らぬという掟が厳しいようで。というか某国営放送の融通のなさなんだろかな。って深読みまでしてしまいました。でも最後の決戦時には顔出して欲しいよなやっぱ。それでないと総力戦って気にならないもの。まあ無理でしょうけど。

いずれにせよ初回は誰が集めた訳じゃないとは真逆の鬼頭(夏木さん)が集めたチームドラゴン。揃ったと思ったら強力なライバル現るで次回に続く。ってお医者さんばっかで看護師さんとか他のスタッフは今回チームには含まれないのかしらむ。

これからなんだろうな。これから暫く劣勢を味わうんだろうな。冷や飯まで食わされるんだろうかな。そこまではいかないか。共存なのか棲み分けなのか自然淘汰なのか弱肉強食なのか時代の要望なのか進化なのか。最後はどう落ち着くんだろう。

まあとにかく期待通りで嬉しき限り。木曜に愉しみが出来た。

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*だ

「だ」{助動詞特殊型}その事柄を肯定出来るものと認める主体の判断を表わす。

   {終助詞}一言ひとこと・相手を説得しよう(自分の言う事を噛みしめよう)という主体の気持ちを表わす。

意味としては辞書にある通りで特に遠州弁独特のニュアンスが付随している訳ではない。

それがこの「だ」につながる表現で

「だら」(だろ)・「だらあ」(だろう)・「だに」(だよ)・「だにい」(だよう)・「だで」(だから)・「だもんで」(だもので)

となると突如遠州弁となる次第。

他には確認の気持ちを表わす

「これ買うだ?」(これ買うのか?)

「これ買うだあ」(へ~これを買うんだあ。)

という辞書では説明できにくいものも存在してるほどに「だ」は遠州弁の根っこの言葉である。

そうはいっても昔っからそうという訳でもなさそうで、「づら」が遠州弁の根幹だったひと世代前の時代で考えると「だづら」・「だっつら」とかいう言い回しは存在してなかったように思え。それに「づら」との相性はそんなにいいとは思えないから「だ」は「づら」を駆逐し後に根が生えたのではと想像される。つまり元は

「これ買うづら?」

「これ買うづらあ」といった使い方をしていたのであろう。

じゃあそれはどっから種が飛んできたのかということになると「じゃん・だら・りん」方面からというのが一番距離的にも近いし可能性が高いよなあと。

でも、「づら」は駿河や伊豆・甲州でも使われる言葉であるけれど、経験上浅羽とか福田辺りの出身の人がこの「だ」(だら・だにではなく、だ)をよく使う傾向にある気がする。

この飛び具合はよを分からん。それはともかく

「づらあ」・「づらに」・「づらで」といった言い方が確かに存在していた事を考えると「づ」が「だ」に変化したのではなく「づら」が「だ」になった(戻った)と考える手立てもあろうかと。あくまで勝手な想像ですけどね。

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色んな「に」

遠州弁の「に」は「よ」と変換する。「そうだに」(そうだよ)のように。

これは初歩的な「に」の訳し方として間違ってはいない。しかし「に」=「よ」と決めつけると幅が狭くなる。このほかにもニュアンスは色々と有るのである。

「そうだに」にしても

「隣の子も行くそうだに」(隣の子も行くそうだよ)

「そりゃあそうだに。」(そりゃそうだよ。)

この他にも

「に」の語尾が上がる言い方だと疑問符っぽい感じになるが問いかけてるという訳でもない。

「そりゃ今は知らんに?むかしゃあそうだったっつってるだけで。」

   (そりゃあ今はどうなのかは知らないけどね、ただ昔はそうだったよって言ってるだけだから。)

これが語尾が上がらない場合

「そりゃ今は知らんに。むかしゃあそうだっただで。」

  (そりゃ今は知らないさ。昔はそうだったんだから。)

滅多に言わない言い回しであるがこういう使い方もある。

「そりゃ今知らんに昔ん通りにやったじゃかんのは分かるだけえが。」

  (それは今を知らないのに昔ながらのやり方をするのは駄目なのは理解できるけど。)

普通は「に」ではなく「で」や「と」を使うが「に」でも変ではない。

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ギルティ 悪魔と契約した女 その1

 悪魔と天使の両面を演じるが妙という事か。たまたまだろうけど他のドラマでも2面性を演ずるを愛でんとする作品がこないだ始まったばっかでどうしても較べてしまう俗人な私。まああちらは強気と弱気の切り替えだから較べるのはお門違いでしょうけど。

歳のサバ読みは上手いよなあ。陽気陰気とかじゃなくて覇気(気力)のオンオフの使い分けも上手いよなあ。怨念に近い復讐に快楽というか本能の解放を感じてる風には思えないけど、以前観た八犬伝での悪をきっちり演じてた「菅野美穂」という役者さんの実績をば考えるとあえてのそういう風に見せてるということか。

そう見せる事の効能は、根っからのワルではないという事。元は善人でそれがはめられたことによって根性がねじれた事に起因してるとはいえ精神異常にまでは至っていないという事を表わしているということか。というか「悪魔と契約」と謳ってるのだから精神(心)を悪魔に委譲してるという精神委譲ということか。

我(心)ここにあらずって事なんでしょかね。でも事を為した後我に返って脈を乱す様を犬に心配されるというくだりは冤罪による変貌ではなくやっぱこれも変身ものということなのか。

その報いを覚悟の上での因果応報で堕ちていくをいとあはれとぞ哀れみたるお話しなのかそこから立ち直る再生のお話しなのか。ってもう今度捕(と)んまさったら二度とシャバに出ることはなさそうですが。

それとも超シンプルに復讐コンプリートに喝采を送るお話しなのか。まさかね。

まあとにかく胡散臭い連中ばかりでそんな単純なものじゃなさそうですな。野上(菅野さん)がしこしこ復讐してたら想定してた以上の巨悪が燻りだされて対処に困るみたいな展開なんでしょうかねえ。その巨悪に対抗するのが真島(玉木さん)と堂島(唐沢さん)ってか。あくまで勝手な予想ですけど。

とくダネの番宣時においてオンエアー前に先に鑑賞させて貰ったんだけど初回でここまで提示してしまって後何を描くんですか?とかどなたかが質問されてたけど、私には謎ばかりで何が何やらですわあ。

どうやって真実(犯人)を知ったのか。失踪した刑事はなにをしようとしてるのか。

もし真島が胸に負として抱えている後輩焼き殺された事件と三輪(モロさん)が汚名を被った事件と野上の復讐の出来事とが全て一直線上に繋がったら凄い話しだと喝采をあげるところだけど、はてさてそうそうわがままな希望を叶えてくれるかどうか。

印象に残ったのは、駅のホームにて服毒自殺を強要するシーンで奥さんの無邪気に笑顔で手を振る姿と悪魔が一緒に映ってるとこはインパクトがあったな。

それとコンケルドでOLのお姉さんやってた石橋けいさん出とらしたのえ。

追記、訂正します。とくダネじゃなくてめざましでした。ごめんなんしょ。

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*しんじれん

これ単体で発した場合「信じられない」つまりアンビリバボーと驚いている。もしくは「嘘でしょ」と動揺してる。発言なり行為なりの出来事そのものを疑っている(信じていない)のではなく受け止めがたいということである。

一連の文章の中にはまってる場合においては訳は同じだがニュアンスが異なる。というか共通語と同じ出来事そのもの疑っている・信じていないという意味合いで使われる。

「あんたのゆうこんとてもじゃないけどしんじれん」とかいった

「あなたの言う事はとても信じるに足るものではない」という意味で

「しんじられない」の遠州弁お得意の変化「ら」抜き+撥音便化した言葉「しんじれん」ということになる。

単体使用の場合、よくセットというか並べて使われるのが「ひょんきん」・「ばか」で

「ばかひょんきんじゃん。しんじれん」

「常識を逸してる。ホントかよ」といった感じで驚き(または嘆き)を強調しなおかつ突き放した形になる。

好い意味での意外ということはまずもって無く、ほぼ悪い方に転がってく様に対して「ついていけない」・「理解できない」・「なんでそんなことする(言う)んだ」という事を訴えている。

つまり「夢のようだ。しんじれん」という使い方は普通は無いということ。こういう好い方に転がる場合には「嘘みたい」・「ホントにけ」とかを使う。

微妙なのは「うっそだらあ」といった場合。「嘘」であるので好い方使いの系統である筈なのだが悪い方への転がりで使われる事の方が多く、「嘘」=「うっそ」というものではないことになる。

単体の場合での「しんじれん」と似たような表現では「うそだあ」というのがあるがこれはイントネーションが尻上がりに高くなっていくという難しいイントネーションなので「しんじれん」の方が初心者向きであろう。共通語と同じイントネーションで「うそだあ」と言うと「信じないね」といった否定のニュアンスが強く別物の言葉となる。

例文

「あいついんじゃん。」

  (あいつがいないじゃないか。)

「朝ばか早く出てったにい。」

  (朝凄く早く出て行ったよ。)

「しんじれん。あの寝ぼすけがけえ。」

  (嘘だろ。あの寝坊助がかよ。)

「よっぽどいいこんあるだらあ。ルンルンだったでやあ。」

  (余程いい事があるんだろ。浮かれてたからさあ。)

注、「ほんとにけ!「あの寝坊助があ。」としたらその訳は

(へ~寝坊助にしては珍しいねえ。)といったニュアンスとなる。

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霊能力者 小田霧響子の嘘 その1

 初回は登場人物群の紹介と背景の提示に重きをなしているようで謎の解明を楽しむ勢いは薄めでしたな。まだこの世界が本格始動していない準備段階を眺めてるという印象でした。基本遊び心がメインっぽいので明るく見れそう。

推理ゲームとしては犯人二者択一の様相で特におや!びつくりという形ではなかったな。どっちに転んでもなんかの選挙絡みの足の引っ張り合いが動機なんだろうなと。

序盤あれだけ逃げ出したい気持ちが溢れていたのに依頼を受けてからは大衆の面前にて嘘をつき続ける道を歩むを可とする道筋を邁進するという流れとはなんかつながっていないようにも映ったけど。いっそのこと社長が霊能力者演じて彼女がマネージャーという事なら一連の行動(綿密な下準備)がすっきり納得する(マネージャーらしい行動と思える)ところだけどそれじゃ変身ものとはならないか。

ある種の変身ものとも思えるところですが、しかしてその変貌テクは高ビーとオドオドの二面性と声や服装・所作の違いでといういたってシンプルなもの。着ぐるみとかメガネやケバイ化粧という手段を使わない分役者力が問われる訳ですがもう少し見慣れないと見事な変身なのかどうか評価点がつきませんな。とりあえず今回はメリハリは確かについていたけれど顔見てなんで気づかれないんだろうという気で観てました。

まあとにかく「訳あり」で超能力者をやっているらしくその理由が明確に提示されてないので単なるインチキ霊能力者が問題を解決にするに超能力とは真逆の地道な調査によって解決に導くという隠し事の妙をコメディ一辺倒で描くという感じでもなく、どういう目線で観てればいいのか腰が落ち着かない感じであります。

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*浜松ついこないだの昔話 踊り

 そういえば昔ほんの一時期(昭和と平成の境目辺り?)阿波踊りを秋にやらされた記憶があるなあ。秋に凧の屋台引き回しとおんなじようなルートで西武から松菱までのものと田町のモール街を踊り歩くというコース。そのイベントが始まってから2・3年後に転勤したのでその後は知らないがまだやってるのかなあ。

同じ祭りでも凧は自発的というか町内の有志で始まった起源であるが、「秋の祭り」と称したイベントは市(定かではないが)とかのお声掛かりで始まったお達しが起源だったような。

(今じゃ凧もいつのまにか官に併合(統制)されて偉いさん(許可する人間)が介在するものになってるけど。)

とにかく会社単位で参加という構成で参加の手を挙げた会社んとこの社員は有無をも言わせずの有志と名乗っての参加という趣をそこはかとなく感じたなあ。上から下へ下へと指令が降りてくごとに参加要請(強制)が強くなってったという誰が言い出しっぺなのかは知らねどぺーぺーには迷惑この上ない参加要請だったな。

当然やってる方は楽しくもなんともなく、そういう想いは伝わるから観てる方にも凧の練り見てるような熱気は感じられない。というか痛々しかっただろうなさぞかし。それでも人だかり(見物人)には事欠かなかったんだから言い出しっぺはご満悦だっただろうかな。

確か「高円寺」というフレーズが記憶に残っててその人達は「ホンモノだあ~」でその踊りは「かっこいいなあ」とは思った。あれだけ踊れりゃそりゃ楽しいだろうと。そういう流れの方に勤務時間外?(残業しなくちゃいけないのに駆り出されて残業できなかったという時間外)に指導を乞うて練習させられたりもしたっけ。総合練習だとかいって流通元町にある産業展示館まで連行されて甲斐のない汗かいたりもしたぞ。

私らんとこは女性陣は浴衣?で踊ってたけど、とある企業なんかは女性でも法被姿で男とおんなじ恰好して踊らされていたっけ。好きならいざ知らずそうでないとしたらホント仕えるというのは取り様によっては悲哀だ。

これに参加して思った事は偉くなりたい奴はこういうものでも自己改造というか「楽しいもんだ」と呪文を唱えて喜んでやる姿勢を見せるものなんだと。

それと当然だけど「祭り」はアホになるにしても自発的にならなきゃ楽しくもなんともなく要請(強制)に堪え(応え)て踊っても損損というものだという事を確認したということ。ま、そんなの実際やらなくてもわかりきったことだけど。でも実際やったんだよなあ。

こういう経験をしてみると毎日が「ご陽気」で「お祭り」がお仕事の芸能人さんてのはとてもじゃないが真似できない職業なのだと別の意味で感心する限り。思ったことを思ったままにぐちぐち言える方が精神的には幸せな気がする。絶対成功者というか裕福にはなれないだろうけど決して負け惜しみじゃなくそれでも素直に生きてける分いいじゃないかと。

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*血迷い事 秋に練るのはおかしいぞ

 10月になるとそれぞれの集落で秋祭りが行われる。それは最近始まったことではない。集落によって異なるところであろうが大体は氏子単位での集まりでお社(おやしろ)に集って祭りをするのが殆どであった筈。

ところが近年「凧」に参加するようになった新興参加町内の連中がなにを血迷ったのか最近秋祭りにも「練り」をするようになった。太鼓やラッパがうるさい限りであるのだが。

練りをする場所がお社の中とかでなら騒音被害と祭り済んで帰宅時の黒装束もどきを車が気づけず轢いてしまう危険性くらいであるが。

今年はついに天下の公道を車止めして練りをしている光景に出くわした。

「凧」であんたが大将を味わってそれが快感でその優越感があまりにも都合よく便利であるので、秋祭りにおいてもいつかやる馬鹿が出てくるだろうとは思っていたがついに出くわした。

問いたいのは、詳しい事はよくは知らないが道路使用許可はきちんと取った上で通行止めをしているのかという事。

役員もどき(もしくは当番)が赤い警告灯振って車を止め道を占拠して練りをしている。

ちゃんと許可を取った事なら、許可したところになんで許可したんだとその理由を聞きたい。

許可なくやってるというのなら、道路・治安を管理してるところは無法者をとっちめて貰わないと困る。

許可そのものが不要で勝手にやっていいというのなら許可なくば悪い事だと断じて貰えるようにして欲しい。

具体的にどこの場所で練りしてたのかということは「ちくり」となるので書かないけれど夜「無法」に突如出くわす車の運転手の身にもなって欲しいものだ。

浜松まつりの3日間は許すべきものでその3日間については文句言うつもりはさらさらない。ただ他の要件で「凧」のルールを引用するのは納得がいかないし「練り」を盛り上げの手段にしてるようであり「練り」の目的から逸脱しすぎていないかと思える。もっとも「練り」に神聖な謂れは存在してないけど。

とにかく浮かれポンチで秋に道を占拠して練りするのはおかしいぞ。

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もやしもん その7

 映像の世界のいいところは音楽と違ってオマージュという括りで作風をパクってもお咎めがない点にあろう。より良いものへと突き詰める為には後に出てくる人が反復し別の人間の感性が混ざり合う事などが必要であろうて。そうしてこそより映像が熟成されていくものだろうと。

些細なことで盗作だと吠えたてる世界は醸されない分花火の如く瞬間に輝くのみで儚く感じられる。

この回のオープニング観ててなんとなくそんなことが頭に浮かんだ。もっともなんのパクリなのかは知らないけれど。

話し変わって登場人物。

無茶しよる 反省の色がない 過激なツッコミにもめげない 野人が如き逞しい

これらの条件を明るく昇華させて提示できるとなると「お笑い」の世界のお方を配置するが得策なんだろうな。

理屈は分かるけど唯一の弱点は大学生には映らない。

こういうのって経験値がものをいうんだろうから若造.なんかじゃ表現しきれない領域なんだろうとも思えるのだが如何せん歳をサバ読むには痛い。

このドラマの主人公って長谷川(加藤さん)じゃないのかと思えてきた。そのインパクトの大きさと研究室における重要な存在感から鑑みてこの人が話の中心点にいつも位置してるような気がするところ。

まあ主人公の直保(中村さん)に目的というか何かを目指すとかいうものが見えない分ただ浮かれてるだけの風に映るせいなのかもしれないが。

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*「しよまい」より「しまい」

「しよまい」より「しまい」。

「しようよ」と言ってる訳であるが、さてどちらがより遠州弁らしいかというお話し。

どちらも平素使われる言い回しであるが、傾向としては「しよまい」には名古屋・三河からの流れを感じるところであり「しまい」・「せまい」の方が独自性が強いように感じられるところである。

少し脱線するが、「まい」そのものが名古屋と共通してる感があり「まいか」とした方がより遠州弁らしくなるのではあるが。

「な。するかあ。そうしまい。」と言うのと

「な。そうしまいか。するらあ。」とでは勧誘の度合いが異なる。

遠州人にとって「まいか」と言われると拒否しづらく「まい」なら断りたい場合には躊躇はなしで拒否できる。

それと「しよまいか」という言い方は無い。

この2点から「まい」は「まいか」の略したものではなく別物という勘繰りが成り立つ。

で、話しを戻して「しよまい」と「しまい」。

ニュアンス的に訳すと

「しよまい」(しようよ)

「しまい」(するかあ)

「よ」が付く事によってニュアンスがどう違ってくるのか。あまり変わらない気がする。

じゃあ「よ」って何?助動詞の「よう」なんだろうな。

辞書引くと、①主体の意思を表す。「もう寝よう」。②相手に対する勧誘を表わす。「さあ、食べよう」。③婉曲な命令や希望を表わす。辺りの意味使いであろうか。

「まい」にもそういった意味合いが含まれてる勢いがあるのであえて「よ」は重複だから省いてもというか省いた方がくどくなくてさっぱりする感じがするけどそう考えるのは遠州人だけなんだろか。

「する」でなく「行く」とすると

「いこまい」

「いかまい」

という違いになるのであろう。こうするときっちし違いが出てくる。「いこまい」は遠州では滅多に使わない言い回しである。

「まい」ではなく駿河の「ざあ」に置き換えてみると

「いこざあ」という言い方は存在しない

「いかざあ」は存在する。

おそらくはやはり「しよまい」は遠州弁的にいうと外来種(名古屋辺りからの)で「しまい」がもともと遠州にあったものなんだろうかなと。意味的に違いはないし使い分けのルールがある訳でもないので共に並び立つという感じで存在してるということなんだろうか。

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