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*もっぺん

「もういっぺん」(もう一度)と言っている。シンプルに訛ってるもしくは略されているというお話し。

意味とか使いどころとかも特に地域性がある訳ではなかろうて。まあ広い範囲で使われる言い方で遠州弁というべきものではないのだろうけど遠州でも使うよということで。男女共用。

感情に関わりなく、怒っていようが(なんだともっぺんゆってみい)聞き取れなくて聞き返そうが(え?もっぺんゆってやあ)恐縮していようが(わりいだけどもっぺんゆってえ)どんな状況でも使われるというものであり決しておちゃらけた表現ではない。まあ目上に使うには勇気はいるが「もっぺんたのんます」くらいは言ったりもするので遠州では基本誰に対しても放てる言葉ではある。

共通語的解釈がこうなのかは知らないが遠州弁的には「もっぺん」と言われたら要所だけかいつまんでするなり話したりしてもいいのだが「もういっぺん」とか言われると再現というかはしょらずにするなり話しをしなければならない感じになることが多い。(必ずしもこうなるという訳ではないが)

ちなみに喧嘩買うぞみたいな使い方での場合

「もっぺんゆってみい」と「もういっぺんゆってみい」とでは「もういっぺん」という言い方の方が威嚇度合いは強まる感じになる。

例文1

「なにい?よを聞こえなんだでもっぺんゆって。」

「だでえ。雨きそうだでえ、まあちっとしたら帰らまい。」

「まだ降らんらあ。大丈夫だよきっと。心配性だやあ。」

例文2

「なにい?よを聞こえんかったでもういっぺんゆって。」

「天気予報で雨降るっつってたし空も暗い雲見えてきたでえ、はあじき雨きそうだでえ、降られる前に帰らまい。」

「降るかもしれんがまだいいらあ。大丈夫だにきっと。降ったら降った時でいいじゃん。」

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とめはね!鈴里高校書道部 その4

 え~。ギブアップします。全6話では描ききれないものが多すぎるので全く別のストーリーということなんでしょうねえ。

このドラマを見て原作漫画を知って買って読んではまったということで、こういう面白い漫画があるという事を教えてくれた事には感謝申し上げますが、このドラマ見て原作もこういうものかと思われない事を祈るのみみたいな別物と変化しています。

縁役の池松壮亮さんのイメージ雰囲気ピッタリなのをはじめどの役者さんも役柄と合っていて違和感とかはないのですが、どうにも展開がね。それはなんだと問われたら、漫画読めば分かるがね。

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*やきば

「焼き場」つまり「火葬場」のことを指す。物を燃す焼却場の事を指す事はここいら辺ではしない。そういう所は「焼却場」と言っており「火葬場」とは区別して使っている。地域によっては「ゴミ焼き場」といってるとこもあるそうだがそれでも「焼き場」と区別はしている。

関東から移住してきた人にこの言葉を発したら意味は解かるがそんなの使わないよとのたまわれた。愛知県民の若い衆に同じ事問うたら何それって顔された。辞書を引いてもきっちし載っているので決して方言ではないのだが最早古い表現であって未だに使われているのが珍しいという事であり。その珍しい部類に入るのが遠州だという事になるのであろうか。っていっても世代の問題だろうなきっと。

そのうち普段使いにおいて死語になるだろうから今のうちに書いておこうかと。昭和の頃は普通に「火葬場」の事を「焼き場」と言っていたんだと。

「焼き場」そのものは茶化していいようなところでは決してないのでふざけた例文とかは自粛とします。

よく映画やドラマとかでは煙突から立ち上がる煙を見て形を変えて人が天に召されてく様をイメージするとかいう光景を観たりするけど浜松の「焼き場」ではそういう光景を見るみたいなイメージはないかな。立地条件ということもあるのかもしれないし、経験上では親戚衆の接待応対とかで茫洋としてる暇なぞなかったので見上げてる時間なぞなかったという私の勝手な印象かもしれないけれど。

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不毛地帯 その13

 男の嫉妬はおそぎゃーなあという感じでありましょうか。里井副社長(岸部さん)の行動の原動力というか憑き動かされる動機は息切れとかじゃなく出世欲とかでもなくて壹岐(唐沢さん)に対する嫉妬芯と映りました。

壹岐というお方は補佐してなんぼの者と自分を位置づけてるのだとしたら里井副社長にも大門社長(原田さん)の後継者に貴方がなられても同様に補佐しますとか言えばいいのにと思えたりなんかして。言わない理由はやっぱ自分も社長の椅子に興味があるからか人として肌が合わないからとかいうのがあるんでしょうかねえ。

こういう偉いさんの世界に足を踏み入れたことなんて全くないんでよくわかんない所であります。

ところで鮫島(遠藤さん)が見事出し抜いた訳で有頂天極まれりかと思いきや、奥さんに尻叩かれていて。そうかこの人の原動力はここにありかあと妙に納得してしまいました。それにしてもぶつくさ言ってる姿は非常に世俗的でえらく印象に残りました。もともと悔しがり方とか人の不幸をあからさまに喜んだりと人間臭い人でありましたが愚痴というか弱音を吐くとこを見たりすると観ている限りにいては面白い人だよなあと。

もちろん部下になんかなったら無茶言われそうでとてもついていけそうにはありませんが。上には上がいるんだというのがよく分かって面白かったです。あの傍若無人の鮫島にさえもって感じで。

とりあえずこの一件については壹岐は一敗地にまみれたということでけりがついたのでしょうか。連戦連勝という訳ではないということでありましょうか。ま、神じゃないんだからそりゃそうだという事ではありますが。でも地位的には鮫島の奥さんをキーっとさせたように結果ポジションアップした訳でまことにもって評価というのは凡人には測れないものですな。

それにしても競争心の度が過ぎたというか男の嫉妬というのは久し振りに観た気がします。いじめや蹴落としとかとは結構今も描かれてはいますがそういうのとは明らかに違うもので最近はそういうものは最早失せたのでしょうか。もちろんあった方がいいとは思いませんが。困難や苦痛を伴うような事であっても行動しようと駆り立てる発奮材料としてこの時代は有効利用されていたということなんでしょうか。壹岐は全く持ち合わせていないようですけど。

話し変わるんですけど、たまに思えるのはこういうビジネスのドラマって大抵はひとつの案件に対して全力投球してるというイメージがいつも湧くのですが地位が上がれば上がるほど統括的な役割になる筈でそれぞれの部署から上がってくる様々な案件に忙殺されるんじゃないのかと思えるんですが。そういうものは画にならないから省かれてひとつに絞って描かれているんでしょうけど、凡庸な時間の使い方知らない者としてはどういう時間の使い方すれば描かれてる時間と省かれてる時間が24時間以内に納まるんでしょうかねえという謎がいつも生じます。

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*そういわすとを

「そんな事言わないで」と言っている。

頼むよぉとかお願いだからというニュアンスが含まれている。つまり低姿勢。

低姿勢ではあるが敬語ではないので目上や恐れてるような相手には使わない。横並びか苦手な相手に対して使うことが多い。目下に使うとなめられやすい。基本男言葉。

女性の場合だと「そんなことゆわんでえ」とかが使われる。

基本姿勢は笑顔(作り・愛想笑顔も含む)なので相手が

「しょんねえなあやあ。」

とかで受け入れてくれればいいのだが、受け入れられない場合に相手から

「なにへらへらしてるだあ。」

とか言われたりなんかしてその場の空気が重くなることもある。

例文(さりげなくかわされたという図)

「今日はちゃっと帰るでねえ。」

  (今日はとっとと帰るからね。)

「そういわすとを。今のとりあえず仕上げちゃいまい。」

  (そんな事言わないでさあ。今やってる分仕上げちゃおうよ。)

「明日でもいいじゃん別にい。」

  (別に明日でもいいだろ。)

「だって何あるか分からんじゃん。」

  (だって何が起こるのか分からないじゃない。)

「ひとつはっきりしてるのはちゃっと帰りゃドラマが観れる。」

「冷たいじゃん。」

「おおなんとでもいってくりょ。」

  (うん、なんとでも言って。)

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曲げられない女 その3

 特にこれこれうしゃしゃとかいうような感想はないのですが、不思議と観ていて吸い寄せられる感じではありました。役者パワーの賜物なのでしょうか。

母親の死という決して軽くない顛末でありましたのでご陽気にという訳にもいかなかったせいもあるのでしょうが今後の自身の行く末に疑問を抱いてるみたいな迷走ぶりに映ったのが停滞感を感じさせたんでしょうかねえ。

無いとは思いますが藍田光輝(谷原さん)と早紀(菅野さん)の恋愛ストーリーに話しが進むのはなんとなく展開が安易過ぎて大分厭だなという印象を持ちます。

これが光輝と瑠子(永作さん)というのであればアリだとは思えるのですけど。

まあ別に早紀の終着点が幸せな結婚という訳ではないのでしょうからそんな恋愛成就話しに舵を取るようにはならないでしょうけど。むしろ足枷なのかな満願成就の為には。

まあそこまでオーバーじゃあないにしてもとりあえずこの回は「曲げられない」じゃなくて「曲げれない」って勢いでしたね。ちょっと足りないっていうか抜け落ちたというか。私のとこの方言であるならば「曲げれない」でも正解なんですけど東京じゃあ許されないんでしょうね「ら」が抜けた生き様というのは。

「ら」ってのは何かというとおそらくは大志のことでしょうか。私なんざ生まれ育ったとこで生きてるんで大志なぞなく日々生きてますからね。故郷を出て東京に行くにおいて大志を見失ってしまうということは腑抜けに映るのかな。

お母さん(朝加さん)は早紀にとって目標だったのか指針だったの帰る家だったのか。そしてその生き様は早紀にどういう影響を与えてるのか。そういうのは次週以降にならないと見えてこないのかな。まあひとつ言えることはぽっかりと大きな穴が空いたということは間違いないみたいに思えました。それを今後どう埋めていくんでしょうかね。「埋める」だと元に戻るってことだから「産める」とした方がいいのかな。今の閉塞を脱却してニュー早紀になるということで。

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泣かないと決めた日 その1

 これっていじめじゃなくて殺人じゃね?と思ってしまいました。ということは2話以降は怨み辛みで死んだ主人公が成仏せずに化けて出てひとりづつ呪い復讐してくとかいうストーリーなんじゃないのかとさえ思っちゃいますわ。そう思えたくらい徹底してましたなあ。

でもとくダネ!の番宣の際にドラマで描かれている逸話はほぼ実話が元だとかいう話しをされておられたので洒落にならない限りでありますな。まあおそらくは逸話の集合体であって一人の人が一身に受けた事では流石にないでしょうけど。でもこの状況から這い上がっていけたらさぞかし爽快なのかも。

そう思わせてくれる展開でないと大分しんどいですな観ていて。なにしろ殺されかけた訳ですから。

逆にいえばこれ以上は無いという事も考えられなくもないので後は昇るだけっていう理屈も成り立つかも。まあ私のようなお気楽な甘ちゃんが考えるとかくなる次第でありまして。

でも当分はこの展開が繰り広げられてくんだろうな多分。理屈とかじゃない人の好き嫌いは間違いなくあるものですから。それにしても四面楚歌というか見事なほどに邪険にされてるものですなあ。我が身に置き換えたとしたらあだける勇気なんか勿論無いから配置転換願い出るか辞めてるかどっちかでしょうなきっと。

これで立ち直ったら確かに「生きること働くことの意味を問う」という謳い文句も大袈裟じゃないよなと思えます。でも今のところ観ていて「楽しい」という表現は全然相応しくない訳で攻勢に転じる転機が訪れるまではなんと申しましょうかというのが正直な感想であります。そしてこれ観て「おもしろい」という感想も湧かないのは自分は決してMじゃないなというのも実感したというか。まあ軟弱なだけなんですけど。

いずれにしてもインパクト大であったことは確かでありまして掴みはOKでありましょうや。「愉しい」かどうかはまだもうちょっと様子見しないとでありますが。

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*ちっとたったら・ちっとしたら

「少し経ったら」。「間を空けて」・「時間を置いて」とかいう意味。つまり「ちょっとしたら」・「暫くしたら」とかいうこと。まあ特に説明の必要もないのであろうが、こういう言い方は共通語を使う人はしないだろうと思って記載。

ちなみに「ちっと」は辞書にも記載されてる共通語で方言でもなんでもない。でも共通語的には「ちょっとたったら・ちょっとしたら」と言うだろうなと。まあ些細な事ですけど。

「ちっと」(少し)とはどれくらいの時間の経過を指すのかは個人差が大きいので明確には言えないのだが「ちっとたったら」より長ければ「ちいとたったら」・「すこしたったら」「まあちっとたったら」でそれより長かったら「ええ加減たったら」でもっと長かったら「だいぶたったら」・「がんこたったら」それより長ければ「やあっとたったら」とかになる。(勿論これ以外にも言い方はあるのであくまで一例。)

同じような言い方では「あいだおいて」というのがあるがこれもとくに遠州独特というわけでもない普通の言い回しであろう。間の感覚は「ちっと」とかのような細かさはないのでどのくらいという時間的な事は言っていないことになる。

「あいだ」を「あいさ」と遠州弁では言うと以前書いたがこの場合においては「あいさおいて」という言い方はしない。「あいさ」というのは「空いている空間」つまり「隙間」みたいなもんで時間的な「間」を指す表現ではないということであろうか。

「ちっと」に近い言い回しで「ちょっくら」というものがあるがこちらの場合「ちょっくらしたら」という言い方はするが「ちょっくらたったら」という言い方はあってもおかしくは無いだろうがまず聞かない言い回しである。こういう状況では「ちょっくら後に」という言い方が普通使われる。こうした場合の「ちょっくら」も「あいだおいて」程ではないがどのくらいという時間は触れていない感じである。というのもなんか他の用件を済ましたらみたいな時に使うことが多いからであろうか。

例文

「やあがんこに混んでるなあやあ。待ってたらあんた昼休み終わっちゃうにい。他行くかあ。」

  (うわあ凄く混んでるよ。順番待ちしてたらこれじゃあ昼休みが終わってしまうよ。他のところにしようよ。)

「どこんさあもおんなじようなもんだらあ。時間が時間だで。いちおお他んとこ行ってみすけど他も混んでたらちっとしたらまた来てみまい。ここホント旨いだでえ。」

  (昼の時間なんだからどこも同じようなものだろう。一応他のお店に行ってみるけど他も混んでるようなら間を空けてもう一度来てみようよ。本当にここは美味しいんだから。)

「旨いなあええけど間に合わんかったら悲惨じゃん。」

  (美味しいのはいいけど仕事時間に間に合わなかったら最悪だよ。)

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Ohレジ袋

 今度浜松ではレジ袋の新たな決まりが4月から行われるそうな。レジ袋有料化策を謳っても足並み揃わず笛吹けど踊らずで市の方針に従ったとこは正直者は馬鹿を見るという状況であった気もしないではない昨今だったので市としては業を煮やしたのかな。最初(レジ袋有料化開始の頃)はレジ袋をなくしてしまえというような勢いだったものな。

そういう勢いは別に不思議じゃないのでああそうやっぱりなってな感じで全うな事(大義名分)言ってるしそうなんだろうなあとも思えるのだけれど、実際ゴミを出す利用者としてとなるとええ!そうなの?ってな感じですわ。

レジ袋をゴミ袋として使用しない事。これはしていないからあれですけど。内袋としての使用もしない事。これは厳しい!

というのもレジ袋を部屋のゴミ箱の中のゴミ受けとして使っていて溜まったら45ℓのゴミ袋にポイしてるというつまりな内袋として使って重宝しているからでして。これがご法度となるとやれやれだ。GOGOというやれやれじゃないですよ溜め息ついてのやれやれですわ。喩えで言えばお皿洗うのめんどくさいからラップ巻いて使ってるみたいなもんでゴミ箱汚れたら面倒なのでレジ袋で汚れないようにしてるのですから。

 浜松市のHPで内容を読むと大まかには

レジ袋はプラスチックとして再利用出来るから別にする。

処理費用が節減出来る・CO2の排出量を削減出来る。

(まあ正論ですけど経費節減した金額は何に使われるんだろ。)

但し書きというかなお書きで

なお、汚れたレジ袋は燃えるゴミに入れてください。とある。

(汚れたという目安はどういったものなんだろう。)

(内袋って他に新聞紙とかが記載されてたけどレジ袋と新聞紙以外にどういうのが存在してるというのだろう。思いつかないや。)

まあとにかく部屋のゴミ溜めたレジ袋から中のゴミをゴミ袋に移し変えれば済む話しなんですけど綺麗とは言えないその使用済みのレジ袋をプラゴミとして出していいものやらという判断が微妙なとこではありますな。

 話し飛ぶけど以前はゴミの集積場所はコンクリート打ったスペースに当日三々五々皆が持ち寄って出していた。鍵とかネットとかなしに。それがある時どこか他所の人間が深夜その集積場にペットの死体を投げ入れていったり分別ルール無視のゴミを投棄されたりした。そうなるとゴミ収集の方では持って行ってくれない。残された方(地元住民)としては悪意のよそ者のせいで堪ったもんじゃない。だから見張り番当番制にしたり檻小屋のように厳重に施錠したりと防衛策に閉口したりもしてきた。

今回の決め事は悪意のよそ者に限らず善良な地元民でもルール守りきれないことが出てきそうな厳格さに思える。これもルールに従わないからと持ってってくれない罰ゲームを喰らわされたら堪らないなあ。でもだからといって我家は悪くないからと正々堂々ゴミ袋に名前書けばいいじゃないかというのも非常にいただけないところでそうなることは御免こうむりたいところである。江戸の世のような究極の再利用文化とかでなければこういう軋轢は消えることないんだろうかな。消費は美徳だという観念が重きを成してる限りはどこまでいってもいたちの追いかけっこかもですな。

それともレジ袋が銭になるとかすればゴミとして棄てる人はいなくなるよな。アイデアはなにも浮かばないけど。

でもこういうことに取り組んでもコンビニとかのゴミ箱に無分別な状態で捨ててくとかならまだしも駐車場に放置してったり道路に投げ捨ててくような連中には蛙の面になんとやらでしょうな。そういう連中の後始末費用が市としては案外馬鹿にならないんじゃないのだろうかとふと思ってしまいます。

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山田

 厳密には静岡県ネタであって遠州ネタではないのだが。

静岡県で流れるコマーシャルで「山田」といったら直ぐ思い浮かぶのがひと昔前なら

「俺たちにゃ明日はない・・・・・・」

学生服の山田やまだ~♪である。

それが最近じゃあ全国規模での世間一般と同様に

ヤマダ伝記であろうか。(勿論誤記ではなく当て字)

最近学生服の山田のCm観ないなあ。まだ録画出来てないんでなんとかゲットしたいんですがねえ。ちょっと昔?にCD出したってテレビが言ってた記憶あるけどあの時に買っとけば良かった。とりあえずビデオで録画してた頃の昔の番組見直して発掘してるけどなかなか見つからない状況ですわ。

そういう欲を言ったらもののついでなんであの懐かしの

よこちのペット可愛い可愛いお友達・田子重~でお買い物・伊東に行くならハトヤ

とかもまだ捕獲してないので捕獲したいな。でも商売ごと故の栄枯盛衰という掟からしてもう観れないのもあるんだろうな。

美味しさどんどんお弁当ドンドンと漢方薬一筋の荷居屋と較べて選べるみやひでと喰ってみなけりゃ分からない煮豆とかは捕獲できたんだけどな。小さな幸せ噛み締めるんにゃは捕獲してるかどうか微妙だけど。

一応娯楽仮面コンケルドも全話捕獲できた筈だろうし。でも捕獲出来ててもどのDVDに焼いたのか全く整理してないからこっちも捜索しないと直ぐには見れないんだよなあ。残念。

方言かるたもいいけど県内Cm集めたDVDを2980円くらいで出してくれないかなあと密かに思っているのだが。方言はしぞーかって言っても遠州と駿河ではバランバランでバランスとるの大変だろうけどCmは東中西部共通だからね。方言よりか共感しやすいんじゃないかと。

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コード・ブルーⅡ その3

 よくよく考えてみれば挫折と葛藤の連続という中でふるいにかけられそうになっている寸前で踏ん張っている姿が綿々と綴られてるという、決してお気楽主義の私には不得手な展開のドラマなのに。

それでも毎週愉しみに観てるというのはなんででしょう。

もちろん役者パワーの為せる業ということもあるのでしょうけど、今時珍しいガチンコな生き様というのが新鮮だからなんでしょうか。逃げない避けないその先になにがあるのかよく分かんないけどなんか観ちゃうんですよね。不思議な魅力を感じます。

 で、今回は考え得る最善を尽くして死なれたじゃあそりゃ甲斐がないってもので。それでもやはり崩れ折れる一歩手前で踏ん張る姿が描かれていました。

ありゃあ誰だってへこむわなと思いますわ。それでも喘ぎながらも次(前)に進もうとする姿が映し出されていました。その踏み出す活力の素ってなんなんでしょうねえ。フェロー同士の支えあいとかライバル心からなんでしょうか。自分は独りじゃないというのもそういう意気を奮い立たせているとかなんですかねえ。

フェロー達の今の状況が先の見えないトンネルの中なのか方向が分からない砂漠のど真ん中なのか後戻り出来ない絶壁をよじ登ってる険しい峰なのか。フェローからの卒業という命題がはっきり示されてるとは申せそれがゴールでもあるまいに。いっちょ前になるにおいてミスが向こう傷(経験値)として許されない(カウントされない)という職業はつくづく特殊で大変だなあと思えます。何が楽しゅうて茨の道を歩くのだろうとつい思っちゃいますな。

そしてもうひとつ。Ⅱになって毎回あるキーワードが存在していくような気がしてきました。それに沿って生じる出来事もリンクするが如きに転がっていくみたいな展開。「奇跡」・「本当の自分」ときてこの回のキーワードは「嘘」。

医者に「嘘」は許されない。そう藍沢(山下さん)は定義づけていたけれど。本当にそうなのかなと思ったりなんかして。告知とかいう小難しい事は置いといて、このドラマに於いては運ばれてきた患者さんに対して「大丈夫ですよ」とかいう表現はされない印象を持っているのですが。曖昧な記憶でいうと他の医療を扱うドラマでは看護師やお医者さんがそう言って患者を安心させるというシチュエーションをよく観る気がしています。あれが「嘘」でなかったとしたら病院でお亡くなりになられる人は居ない筈で。こりゃやっぱ「嘘も方便」でしょうと。実体験として私が腹痛をおこして七転八倒しながら病院に担ぎ込まれた際「病院につきましたよもう大丈夫ですよ。」と看護婦さん(当時はそう呼んでいた)に言われた事があります。そう言われた時は本当に安堵した気持ちになれたのを覚えています。こういう「嘘」(根拠のない言葉)だって十分救いになるもんです。こういうのは許されるものなのじゃないかと。

藍沢の言う「嘘」と人を勇気づける魔法の言葉が同じか別物なのかは定かではありませんが全てを否定する必要はないんじゃないのかなと頓珍漢なこと思いながら観てました。

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*ぱあぱあ

「PAAPAA」。「ばあばあ」(baabaa)と同じく風とかに影響される様。何かが舞い上がってる・めくれあがってるとかいう様の程度を表わす事に使われる。ネットで検索してもヒットしないのでもしかしたら遠州特有な言い回しかもしれない。

使い方としては「風ん来て新聞ぱあぱあめくれて読めやせん」みたいな。

「ばあばあ」との違いはその強弱の違い。「ばあばあ」が煽られる叩きつけられる捲れあがるとかいう吹き飛ばされるような強さに対して「ぱあぱあ」は押される当たる捲れるといったやや強めの風を感じるみたいな感じか。

例えが不適切かもだけど、スカートが捲れる様でいうと

両手で押さえても押さえ切れないような様だと「スカートばあばあ捲れる」と言い。

抑え続けないと捲れてしまうような勢いで舞ってるような様だと「スカートぱあぱあ捲れる」などと言う。

どちらも連続した勢いになるので一瞬捲れるというのではない。

共通語で同じ用途だと「ひらひら」とか「はらはら」とか「ぶわぶわ」とかになるのであろうか。強弱の順だと(私見であるが)

弱 はらはら<ひらひら<ぷわぷわ<ぱあぱあ<ぶわぶわ<ばさばさ<ばたばた=ばあばあ 強

ってな感じか。まあちょっといい加減だったかなでもまあ大体これくらいだろう多分。「ぱあぱあ」と「ぶわぶわ」とは近い感じがしてるけど微妙にニュアンスが異なる。それとも「ぱたぱた」くらいでいいのか。

だとしたら大雑把に説明するには「ぱたぱた」・「ばたばた」が遠州では「ぱあぱあ」・「ばあばあ」になるとしとけばいいのかな。細かくいえば違うけど。

例文

「今日は風強いなあやあ。」

「ほんとだよを。埃んぱあぱあ舞っちゃって眼え開けてれんわ。」

「眼鏡しててそんなちっこい眼でも駄目けえ。」

「ひどいことゆうやあ。」

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龍馬伝にしほりん登場

 意外と早くなご登場にて、ちと嬉し。

てっきり「わしはこんな土佐にいとうはなかった」みたいな感じで去年味をしめた経緯を踏まえて龍馬の幼少の頃の話しとかを一月は引っ張り通すのかと思っていたんで嬉しい誤算でした。

まあそんな与太はさておき、出ました千葉佐那。凛と背筋が伸びておられましたなあ。こういう芯の通った役柄も良し、飄々・淡々とした役柄も良し、妄想ばかりのへなちょこな役柄でも良し。リアルな年代のみならず年齢さば読まないといけない老若いづれの役柄にも違和感なし。コメディもシリアスもまかしょという勢い。時代劇でも現代劇でもなんにでも化けれて違和感を感じさせない見事な化けっぷり(役作り)。

よく分からない人には具体的な出演作品挙げてどうだと納得させたいとこだけど、そこかしこから引っ張りだこでその出演作品のまあ多いこと。これだけで納得いくでしょうということで挙げるの止めますけどガールズの中では化けるのが役者さんの仕事だとしたら一番役者さんらしい役者さんかなと思えます。(樹里ちゃんは表現者というかアーティストと言った方が近い感じがするしまだ長い年月を描くような作品に出ていないから)

どういう役の「貫地谷しほり」が観たいとかいうのではなくどんな役でも観ていたいという感じでありましてこういう感覚は香川照之さんとか及川光博さんとかを観るのと同じ感覚なんですよね。まあ好き嫌いの問題というのもあるかもしれませんが。

でも存在感を発光するのではなく空気感を醸し出すっていうんでしょうか。別に主役が似合わないとか華がないとかいう意味ではないですよもちろん。画面を通して伝わってくる影響力の大きい役者さんが私タイプでありまして、勝手な考えですけど、それには自らが光り輝く存在であるか伝える情報量の多い存在であるかのふた通りがあるんじゃないのかと。龍馬伝で云えば福山さんは前者のタイプの見本ともいえる訳で、後者のタイプが香川さんとしほりんじゃないのかと。太陽と月という喩え方はどうかと思うのですが他に言い様がみつからないんで使いますが太陽は福山さんでそれと対をなす月の存在が土佐では香川さん江戸ではしほりんという感じでありまして。そして違う輝きがどこであっても両方観られてるという事でありましてなんかいいですわ。(決して光と影とか言う意味じゃないですよ太陽と月という喩えは。あくまで違った輝き方で輝いているという意味です。)太陽は恒に丸くその形はひとつだが中から発せられる光りを放つ。月は満月三日月とその姿を代える。

ところでこのドラマにはひらっちも陸奥宗光役で出るみたいだけど共演するシーンとかあるのかな。そうなったらより嬉しいんだけどそうならないかな。

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*みたく

「~のように」と言っている。三択とか言ってる訳ではない。

「みたいに」の変形というべきか。

「みたくに」という言い方もあるがほとんどは「みたく」を使うことの方が多い。ネットで調べるとなんかこう言う表現に虫唾が走るという人も居られるようであるが遠州弁としてはごく普通に存在する言い回しである。もちろんこれが遠州独特というものではなく遠州でも使ってるよという事で記載。他所にいったら使わないほうがいい言い回しということで遠州人は注意したほうがいいのかもしれない。

「そんなことばかりしてるとお父さんみたいになっちゃうよ。」

「そんだだこんばっかしてるとお父さんみたくなっちゃうにい。」

「~のようにして」だと「「みたくして」となる。

「いらっしゃい。今日はどういう風に頭やるだ?」

  (いらっしゃい。今日はどのような髪形にする?)

「芸能人の○○みたくして。」

  (芸能人の○○みたいにして。)

「顔が顔だで似ても似つかんにい。」

  (顔が違いすぎるから似ても似つかないよ。)

「いらんこんじゃん。」

  (余計なお世話。)

とかいう会話例を以前書いた。

「みたく」は共通語だろうと思っていたのだが何故か辞書に載っていない。必死こいて検索するとかろうじて茨城弁や津具の方言などと紹介されていたのを発見した。ってゆうか本当は紹介されていないだけで全国どこでも使ってるんじゃないのかという気がするのだけれど。気のせいだろうか。

よく使われる言い回しは「みたくして」。意味は「~のようにして」。

例文

「あんたねえ。いくら字い下手だっつったってねえ、まあちっとけっこく書きない。見本あるだらあ。」

「見本見て書いてるよを。でもなんか知らんが見本みたくしたくてもそうならんだもんでしょうがないじゃん。」

「ほんとちゃんと見てるだけえ?ヤル気ないもんでどっか向いて書いてるだらあ。」

「失礼しちゃうやあ。マジでちゃんと見てるよを。」

「だったらなんでこんな不真面目みたくな字になるよを。」

「知らんよをこうなるだもんでえ、しょんないじゃん。」

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特上カバチ!!  その1

 一話と二話の併せた感想でありまして。初回観る限りでは田村(櫻井さん)と住吉(堀北さん)の丁々発止で仲良く喧嘩して切磋琢磨していく物語りなのかと思っていたのですが、二話の最後でなんで?という展開でとりあえず呆気に取られたというか一本取られたというか。昨日の敵は今日の供。一体全体何考えているんでしょうかねえ住吉は。でもなんか見下し加減が面白そう。

正義漢の塊みたいな田村という一心不乱な濃いキャラはともすれば浮き捲くる暑苦しさを伴ううっとおしさが感じられるものですが、このドラマはそうはどっこいって感じで周りのキャラが一心不埒かどうかは定かではありませんが輪をかけてより濃厚でありましてこの中に入ると田村がなぜが大人しめに映ると云うからあら不思議。

勿論見せ方そのものも巌流島ありクイズあり漫画みたいな効果線ありとバラエティ色たっぷりな奇想天外というものでありましてこれくらいこれでもかということになればそりゃ確かにキャラもぶっとんでいかないと追いつけないよなあと思えますが。

いづれにしてもよってたかって演技も演出効果もバラエティ色の濃いドラマのようであります。それでいて依頼案件の一部始終は義理人情と社会の冷淡さが真面目に描かれていて二面性のあるドラマのようです。

正直こんな人達に命運預けていいんかいと不安になりはしますが、とりあえず今回の騒動はナイスな結末でありました。この真摯と珍事のバランスが絶妙であるならばこれは面白いドラマになるなという気がしてきました。

金の貸し借りは友情をも蝕む。それを見事に解決に導いた訳でありますし法律の豆知識とかはためになるものではありますしこじれた話しの流れというものも絵空事ではないありうるよなものでしたし役者さん観てるだけでも愉しいし。

強欲なのかもしれませんが後何が加わればこれは面白いときっぱりいえるようになるのでありましょうか。よく分かんないんですがもう一味欲しいなとなぜか思えてきます。恋愛がらみとかじゃなくてそこはかないゴール地点でしょうかねえ。まあそれは追々描かれていくんでしょうけど今のところそれが推測できない。なにしろ昨日の敵は今日から供ですからねえ。呼び捨てにされてた「田村」ですから友じゃなく供(従者)扱いみたいなことが起こる展開ですからホント先が読めません。

住吉がなんらかの工作の為に身内になったとかいう事じゃなければここまでが出会いと各人の紹介といった趣で来週から落ち着いた流れがスタートするっていうことなんでしょうか。それとも予測するのはまだもうちょっと様子見した方がいいのかな。

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*ゆうのいいじゃん

「ゆうのいいじゃん」。「ゆう事いいじゃん」という言い方もよく使われる。

多分遠州弁を知らない人がこれの正しいニュアンスを示せといわれたら苦労するであろう言い回し。直訳したら先ず以って日本語として繋がらない。

「そうゆうのいいじゃん」(そういうのいいじゃない。)とかとは全く異なる意味使いなのである。

「おばあさゆうのいいじゃん『わし知らん』だってさ。」

  (おばあさんの言い分が呆れちゃうよね「私は知らん」だって。)

おばあちゃんのいう事に嗤っちゃうよね・呆れちゃうよね・随分な事言ってくれるよね・とんでもないこと言ったよね・何様だよね

とかいった状況に応じて細かく意味が変わる言い回しである。大雑把にいえば「よく言うよ」みたいな感じと「ねえ聞いて聞いてひどいんだから」的または「ふざけんじゃないよまったくもう」的なニュアンスの表現。パターンとしては「ゆうのいいじゃん」の後にどう言ったのかを復唱するというのが多い。基本女性言葉であり男はあまり使わない。

言い方としては厭そうに言うというのが基本。なにしろ悪口・陰口を言うのであるからして。

この言い方の基本は「ゆう事」(言う)であるが「やる事」とか「する事」などでも使われることがありえなくもない。が、殆ど聞かない。

尚、ごくごく稀であるが「殊勝な事いうじゃないか」・「泣かせることいってくれる」とかいう意味合いで使われる事もある。滅多にないが。視線的には上から目線なので大抵は大人が子供に対して使う場合が多い。こちらでの使い方は男女共用。

「あの子小さいだにゆう事いいじゃん『何かてんだう事ありゃゆって。』だって。」

  (あの子小さいのにこれが殊勝な事言うんだ「何か手伝う事あるなら言って」だってさ。)

例文

「なんかさあ町内会のゴミ当番周ってくるの早い感じしん?」

  (何気に思うんだけど町内会のゴミ当番周ってくるの早い気がしない?)

「結構なんだかんだゆってやらんずるい衆いるでねえ。真面目にやってたら馬鹿見ちゃう。」

  (結構なんだかんだ言ってやらないっていうずるい人達居るからねえ。真面目にやってると損しちゃう。)

「そうゆやあ向かいんとこの家もなんもしんねえ。」

  (そういえば向かいの家もなにもしないよねえ。)

「あそこのおばあさゆうのいいじゃん『うちゴミ出さんだで当番やらんでもいいだあ。』だってだにい。そんで当番やりゃせんだもんで。」

  (あそこのおばあさんの言い分が呆れちゃうよね「うちはゴミは出さないから当番やる必要ない」とか言うんだよ。そういって当番やらないんだからねえ。)

「ええ歳こいてなにゆってるだいねえ。」

  (いい歳した大人が言うことじゃないでしょうにねえ。)

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