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*ゐゑ~

「ゐゑ~。何やってるだあ。ざけんなよな。」

ニュアンスで訳すと「お~いなんだよ。何してんだよ。いい加減にしろよな。」。

音でいけば「YEAH」と書く方が分かりがいい言葉である。

発音が難しいのであるがとにかく決して「いぇえ~」という発音ではない。つまり「わいゆえよ」ではなく「やゐゆゑよ」の発音である。「wa wi yu we yo」といった「ゐ」=「wi」・「ゑ」=「we」ではなく「ya yi yu ye yo」での「ゐ」=「yi」・「ゑ」=「ye」であろう。

例文を「お~いなんだよ」と訳したが感情としては「もう嫌になる」という勢いで「泣けてくる」・「もううんざりだ」というような感じである。効能としては凄く嫌そうもしくは悲観的という印象を与えるところである。

文章の頭に持ってくるとこういう意味合いになる。

しかしてこれが文末に付くと別のニュアンスの言葉になる。

「そうだのうゐゑ~」となるとその意味は

「そうなんだよねえ」と訳すところで具体的に「ゐゑ~」をどう訳すかは難しいところである。「おっしゃるとおり」というニュアンスであるが強いてごり押ししての訳ならば「なんだよねえ」・「だよね」とかであろうか。

こちらには嫌そうなといった感じはなく「同調」・「得心がいく」といった「全く以てその通り」といった印象を強めに与える効能がある。

前でも後でもどちらも男言葉であろう。女性の場合は前に付く場合は「おい」・「お~い」後にという場合は特に思い浮かぶ表現はなく普通に「ねえ」であろうか。

似たような言葉の「やあ」との違いは、「やあ」には怒りの要素の方が強く反発してる勢いであり「ゐゑ~」は辟易の要素が強いという違いである。

「やあ勘弁してくれやあ」だと「勘弁しろよな」

「ゐゑ~勘弁してやあ」だと「勘弁してくれよ」

といった勢いの違いが生じる。

例文

「ゐゑ~、なにやってるだあ。」

  (お~いなんだよ、なにやってんだよ。)

「みりゃ分かるじゃん。」

  (見て分かんないのかい。)

「んな余分なこんなんかするじゃない。どうせ最後はとっぱらうだで。」

  (そんな余分なことするんじゃないよ。どうせ最後には取り払うんだから。)

「そうゆわれりゃあそうだのえ。」

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何気に思ったこと 2010・9月

*世襲・世襲と朝鮮は進む 世襲居よいか棲みよいか?

*みんないい人でありたいと願ってる。それはいいことであるが。

問題は誰に対していい人であるかということであろう。外(社会)においては必ず相反する力が綱の引っ張り合いをしているものである。あちら立てればこちら立たずの世の中においてすべてにいい顔でいることは返って信頼を失うものである。

八方美人は嫌われるもんだよな。世に出るにおいては敵を作るというかそういう覚悟が必要なんだろうきっと。

*とにかくスピードアップが生命線とばかりにかまびすしい昨今でありながら以前より確実にのろくなっているものがある。

それはDVD。ビデオの感覚を有してる身としてはこの読み込みの時間は苛立ちを覚えるところである。これがブルーレイ対応になってからそれがより顕著になっている。

機能が増えることよりもサクサク操作を重視して欲しいよなあ。

*投資マンション悪質勧誘

リアルに堪らない話しだよな。実は私が働いてるところでもその執拗な勧誘に滅入った人がいてその姿を目にしてるだけに自分にその難が押し寄せたらと思うと震えがくる。

なんとかなんらんもんかねえ。

*2ちゃんねるは世間の声なのか?

ニュースというか何か事あると物事の経緯と共に2ちゃんねるでの反応を載せてあるネット記事を最近よく目にする。

まるで一時期の有識者の意見と同じような扱いに映る。

それに対して記事にした人の意見が載ってるかというとそうでもない。まるで2ちゃんねるの意見が世間を代表する声のような扱いに思えてくるけど、なんだかなあという気がしてくる。

新聞が世論を作り出すのとどっちがいいんだろうという気もするけれど。

風評に踊らされるか扇動されるかのどっちかでしか世論というのを知る方法はないのだろうか。

*親の年金欲しいがあまり死亡を隠匿する者後を絶たず。おいおいという話しだが、そういうあこぎな事してる世代の年齢みたら自分も遠い先の話しではないぞと。

大きく違わない年代の人間は、キレやすい子供を育てただけでは飽き足らずかくもあこぎに生きているとはなあ。いやはやなんとも。キレやすい子供は年金なんか払わねえよと吹いてるし。ひきこもりという寄生虫まで誕生させてる始末で。結局戦争を知らない子供達は日本国にとって不作の年代だったということなのか。脱脂粉乳呑んで育つと脳足りんになるものなのか。

単にお金の問題ではなくて、ある意味心のどこかに「葬式一切が面倒くさい」というのがあるのかな。年々結婚式がド派手になっていった世代の癖してと考えるとそれは薄いか。あの頃はとバブルのせいにはさすまいぞ。

*掘ったり埋めたり

車でよく通ってるところで。

一年前くらいのお話し。去年まで田んぼだったのが3分の1ほど整地されて建売住宅が作られてた。さすが建売というべきかあっという間に家が2軒建ってた。

そんな感じで2か月ほど過ぎたら残りのうちの半分が整地され始めてた。つまり元あった田んぼの3分の2が住宅地に変身したということ。

そんなこんな感じで1年程過ぎたら残りの3分の1の整地が始まった。

自然が減ったと嘆く気でこれを書いてる訳ではなく気になる点はその都度下水やらなんやらで道路をほじくってるということ。

しょっちゅうなんのかんので掘ったり舗装したりの繰り返しはなんか二度手間の域に達している風に思えてくる。壊すために作る積木じゃないんだから掘る為に舗装する道路という勢いなのはん~という感じだよな。

パネル式というかジグソーのピースみたいなはめ込み式に道路ってできないものなんだろうか。

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*うい

時代劇でのお決まりの言葉

「うい奴よのう」

この「うい」ってなんぞやというお話し。

「愛い」と書くそうな。で、意味は

感心だ・殊勝である・可愛い。とある。

目下に対して発する言葉だそうでどうりで身分制度のない現代からしてみれば不遜な空気が漂う。褒め言葉らしいのだが時代劇の悪党が発するフレーズという刷り込みが効いているのでこんなこと言えば石が飛んできそうではある。

「初」で「うい」と読んで「初陣」・「初産」といった

「初めて」という意味で使う「うい」という言葉もあるが

「うい奴よのう」の「うい」には当てはまらないようである。

同じく「初」(もしくは初心)と書いて「うぶ」と読むという事も出来るので

「うい奴」=「うぶな奴」でてっきりそっちの「すれていない」という「おぼこ」系な意味だとばかり思ってた節もある自分。

でも「愛い奴」というのが正しいらしい。

当たり前だが遠州弁においても「愛い」を使うことはない。誤解してた「初」の方であっても。最近「かわいい」は「可愛い」と「カワイイ」の二種類が使い分けられていて至極めんどくさい事この上ないところであるが「愛い」はこのどちらの現代語の「かわいい」にも当てはまらない気がする。そもそも何に対して「うい」という感情が起こるのかがいまいち分からん。

そういうことなんで遠州弁でなんというのが近いのだろうというと、はたと困るな。俗語的には「やるじゃん」とか「キャワイイ」とかだろうけど遠州弁としては多分ないなこりゃ。

例文

愛い奴と 浮いた言葉に うつむきて

 歯が浮くわなと 舌打てど

  初々初心にて みこよくしとこで

   ウイウイセボンと 返したり

注、「初々初心」は「ういういうぶ」と読んでつかあされ。

   可愛いねえと言われてうつむいて

   歯が浮くような事言うんじゃねえよと舌を打ちつつも

   それでも初々し気に愛想良くしてはおこうかと

   歯の浮くセリフで返答す 

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*くり その2

「へそくり」・「やりくり」・「むりくり」

とかいう「努力・工夫」というか「なんとかして・強引に」というニュアンスが「くり」には感じられる。漢字のすると

「臍繰り」・「遣り繰り」・「無理繰り」

と書くから「くり」の「く」は「繰」という字がはまるんだろうな。

辞書等で調べる限り「繰り」に「なんとか・どうにかこうにか」といった意味合いがあるとは書かれていない。

しかし「繰り」を使うと意思を感じる訳で自然の流れでは決してそうならない故意が含まれる気がする。遠州弁では「繰り」を多用する傾向にあると思えるのだが気のせいか。

「繰り返す」とかの反復という意の「繰り」ではなく意図的(もしくは強引)なものを感じさせる言葉を羅列してみる。

「ほじくる」・「かじくる」・「いじくる」・「ちみくる」・「はしくりまわる」・「つれくりまわす」・「やぶくる」・「こねくる」・「せせくる」

いずれも「くり」の後に「ほじくりかえす」のように「かえす」か「まくる・まわす」が付く事が多い。「倒す」も付く事がある。

例文

「閉まりゃせん。」

「あんた無理繰りはめすと壊れるにい。」

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*遠州では使われないことば でら

どえりゃあ・でえりゃあ・でら

名古屋の言葉。どれも「物凄い・大層・度を越えて」とかいう意味であろう。

どれも遠州では言わない。「えりゃあ」の部分は素直に「えらい」である。

凄いの意の「ど」については遠州では「がんこ」・「ばか」。「ど」も同じように使うところである。

なので遠州弁だと「どがんこ」・「どえらい」・「ばかすごい」・「がんこひょうきん」とかになる。脱線するが「ばかえらい」だと遠州弁では「大層しんどい」という意味になる。

名古屋のように「ら」が「りゃ」に変化する事は無い。それと「どえ」が「でえ」に変化する事も無い。「大事」を「でえじ」とは茶化した場合でない限り言う事は遠州ではしない。

憶測だが名古屋は「ら」が「りゃ」になって「どえりゃい」になり、次に「い」が省かれて「どえりゃ」で最後「どえりゃあ」と「りゃ」の長音化になったのか。

「でりゃ」とは言わないのかな。

「どえりゃあ」・「でえりゃあ」はなんとなくどういう使いどころなのかはわかるんですが「でら」は単語の意味は分かるんだけどどういう場合に使うのかよく分からないので近くはあれど別の言葉なんだろうかな。

そういうことで例文というか名古屋弁の文と遠州弁の文との比較を示すのが一番分かりがいいんだろうけど「でら」の使いどころが分からないので略します。

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*あんた

「あんたどうすんの」(あなたはどうするの?)

といった「あなた」(貴方)という意味使いもするところであるが。

「あんたさあどうすんの」(あのねえ一体どうするんだい)

といった風に遠州弁においては「あのう」や「そのう」と同じうまく言葉が出なかったりする時などにつなぎや呼びかけとして使う語として「あんた」が使われる事が多い。

男女共に使うが頻度からして女性言葉という感じである。男は「やあ」・「なあ」・「あんなあ」とかをよく使う傾向にあり「あんた」の使用はすけない(少ない)。

他の言葉としては「おい」・「ほい」とかがあるが「おい」も「ほい」も多少の緊急性が伴うが「あんた」・「あれ」とかには「おい」・「ほい」程には取り急ぎ感は感じられない。

それと緩衝というか言い方を柔らげる効能が「あんた」にはある場合がある。

「急ぎの用あって電話しただに、あんた全然出んじゃんなんで出んよ。」

この場合「あんた」には「あのねえ」と呆れてる要素が含まれ、「あんた」を抜いた場合には何故出ないという事を詰問する勢いになる。

相手に気を遣うとかではなく自らの怒りを抑える為に付す場合もある。

例文

「あれえ、あんたあれだにい。ほい。ちょっとを」

「なにい。なによを。あんたなに言いたいだよ。」

「いや大したこんじゃないだけえがあれだよ。」

「だでなによを。言いたいこんあるならはっきしいいない。」

「あんたん着てるのあれだにい。後ろ前だにい。」

「なにがあ。どこがよを。別に後ろ前じゃありもしん。」

「名前が出てこんだよ。なんつったっけか、その~。それ。」

「も~やっきりするやあ。なにい。」

注、服に詳しくないので思い付きません。なので「それ」は何を指すのかは想像にお任せします。

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*こぞむ・こどむ・こずむ

こぞむ・こどむ・こずむ。「こずむ」は辞書にある共通語だし競馬用語にもあるのだが「こぞむ」・「こどむ」は辞書にないので方言か俗語扱いかのどっちかであろう。遠州弁と言い切れる根拠もないのだがネットで調べる限りでは「こぞむ」と「こどむ」は遠州人しか発していないようだ。

「こぞむ」と「こどむ」は境界線が非常に曖昧で同じ言葉が集落によって変化した可能性もあるのといやいややはり別の言葉である可能性もあるというどちらもありえてはっきりしないのだが、あえて違いを捻り出すとしたらば(あくまで私見です)

「こぞむ」は例えるなら粉末ジュースを水に入れただけで掻き回していない状態。本来混ざりあっていてこそのものが分離してる状態で、下に沈殿してる部分を指す。「もっとちゃんとかきまぜない。下んとこにまだこぞんでるじゃん」

「こどむ」は例えるなら沼の水。混沌とした状態。「水がこどんでて底がよを見えん」。空気の循環が良くなくて息苦しいような時に「やあ空気こどんでるで入れ替えまい」などと換気を促したりとかで使う。「こぞむ」が「沈殿」だとしたら「こどむ」は「停滞・蔓延」といった体か。共通語であれば「淀む・澱む」(よどむ)もしくは「濁る」。

「こずむ」は「偏む」と書ける共通語。①心が明朗さを失う。②競走馬の筋炎や筋肉痛で歩行がぎこちない様を指す。③大勢が一か所に集まる。とネットの辞書にある。

地域性があるとすると、例えば異物がこびりついた様。膝をぶつけて血が死んで(内出血して)治るにつれて当初広くあおたん状態になっていたものが消えていく中でなかなか消えない(治らない)という部分を指す。とかを「こずんでる」と表現するとか。「大勢」というワードには当てはまらないが溜まる・おかしいという意味では②か③の意味使いに近いか?①の意は使わないなあ普通は「へこむ」を使うよな。

ちなみに「こづむ」だと古語辞典に①かいこづむ(つまづいてうずくまる・傾く)。②(肩などが)こる。とある。漢字は当てはめられてはいなかったので「こづむ」=「こずむ」(偏む)かどうかは定かではない。

繰り返すが「こぞむ」と「こどむ」の使い分けは非常に曖昧で上記に挙げた例を入れ替えても違和感がないくらいである。特に使い分けをしている訳でもないので同じ言葉が地域によって言い方が変わっているだけという可能性もある。私らんとこでは「こどむ」を多用していたのかもしれない。

「こずむ」については明らかに異なる言葉であり、たまたま音が近いということであろう。

意味的にも違うものであるがそれ以外にも「こぞむ」・「こどむ」は物に対してで「こずむ」・「こづむ」は人や動物に対して使うという相違点が感じられるところである。

例文

「見舞きたにい。どうでえ調子わあ。」

  (見舞に来たよ。調子はどう?)

「いやあ大分よくなっただけえが、まだ足とかこずんでてはっきしせんだよ。」

  (それがさあ、大分よくなっては来ているんだけどまだ足の辺りに違和感があってすっきりしてないんだ。)

「なんもしんと寝えってばっかでいるもんでだらあ。なんか部屋の空気がこどんでる気がするだで、それも良くないじゃないのけ?薬わあ。」

  (なにもしないで寝てるだけだから治りが遅いんじゃないの?それとなんかこの部屋空気が良くない気がするからそれも原因なんじゃないの?薬は飲んでるの?)

「医者くれるもんで飲んでるよ。でもこれがさあ水に溶いて飲む奴なんだけどうまく溶けんですぐこぞんでこれが飲みにくいだっ。」

「口ん入れて後で水飲みゃいいじゃん。」

「それやるとすんげえ粉っぽくてむせるだよ。」

「まあなんしょ早くよくなってね。」

「うんありがとね。」

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*くちつけたの

「くちつけたもの」。「器に口を付ける」つまり飲むという事。「箸をつける」と同じ。

「箸つけたの」であれば「食べかけ」を指し

「くちつけたの」であれば「飲みかけ」を指す。

「つける」を漢字で書くと「付ける」。

「唾付ける」という言い方もあり共通語だとは思うのだが「くちつける」で検索しても接吻系しかヒットしないので、もしかしたら地域性があるのかもと思って記載。

まあ、勘違いでしょうけど一応ね。

味噌は「の」=「もの」という事。それの実用例。

例文

「や、のど渇いたでここんさあにあるジュース飲んでいい?」

「それわしくちつけたのだで水汲んでくるで待ってない。」

「もう飲めりゃなんでも構わんでええって。」

「つうかそれジュースじゃなくて薬溶いたのだもんで。」

「うそっ!やあはあ遅いわ。飲んじまってえ。」

「あ~あ、知らんにいどうなってもを。」

「なんの薬よを。」

「便所は友達。」

「う~腹ん痛くなってきた。」

「気のせいだら。んな早くになんか効きゃせんにい。」

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