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うぬぼれ刑事 最終話

 このドラマは善人説が前提のやうだ。

悪さする人間が一番何が正しいのかを理解している。

そういふ人間を捕まえるだけでは何が変わる?

正しく生きたひと思っても生きられない人間懲らしめたってふてくされるだけ。

許す心こそ寛容なり。

片手に手錠もう一方の手に婚姻届のうぬぼれ(長瀬さん)にはその心があったのだと。

なるへそ。と。

お話しの展開は見事だったな。凄いサクサクだったけど話しの辻褄と謎が氷解してく経緯が軽妙で

なるほど。と。

仕舞い方も余すことなく解決のハッピーエンドで。

いやさめでたし。ってか。

微妙に刑事の能力の低下が気になるところだけれどそれはなんというか平和の証しってことで

まあ、いいか。のか?

後味爽やかで観ててよかったと思える印象でおました。

誰がとは決められないほどの各人の役者力奮闘努力の甲斐ありて流石と愛でれたのがなにより。

あ~面白かった。

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熱海の捜査官 その8

 予想(覚悟)はしてたけど随分な放置プレーの終焉だったなあ。真理を導く為に手段を選ばずという悪魔に魂を売った学者という図式は定番であろうとも誠に以ておそぎゃ~限りで見応えあったとは申せ

そりゃあ確かに世間体としての事件は見事に解決で犯人確保に消えた三人救出ですっきりではあるけれど、なんでこの事件が起きたのかという根源がなにも明かされていない上に新たなるお告げがとかでホント余韻たっぷりで。

事件そのものはまるで大山鳴動してなんとやらみたいな盛り上げるだけ盛り上げといてせせこましいオチ(例えば偶然が偶然を呼んだとか)をかまし、脱力系の三木ワールドの本領発揮。などというボケオチも想定してたけど、実際はいやいやあにはからんやで大層遠大な動機の事件で意外でした。

それにしても抽象過ぎて、死の世界から生還した人間の不可思議さを問うているとも屁理屈(知ったかぶり)からいけば悶々と反芻できるのかもけど感覚でドラマ観る手合いの私としては反芻(そういう愉しみ方)はできないや。

どちらかといえばファンタジーというよりもファジーな印象の方が強くてなんだかなあ。

とりあえずはあの三人に何してたんだ?という事は明かして欲しかったよなあ。バスで捕捉した時点では意識とかもある健康体であったと思われるだけに何をして何のためにこん睡状態?にさせたのであろうかや。

それ以外にも放置プレーは色々諸々ありますが

だからといってこれで続編というかパートⅡみたいなのでより鮮明に事件解決を描いてしまうとそれは野暮や無粋ということにもなりかねないだろうし。

当事者の自供というか供述がなにも提示されていないから五里霧中の藪の中だよなあ。

観てて率直に思ったことはその先の世界(ラインを越えたという世界)の具体性を把握してないんなら描くなよと。逆に知ってて教えたらんというのだとしたら限りない「いけず」だよなあ。

まあでもとにかく愉しめたんだからよしとするかあ。でも残尿感半端ねえ。

もし、もしもよもやで万がいつ「Ⅱ」があるのだとしたら全く別の事件でというのがいいな。空気感は好物なんで。この世界観に浸っているのは心地いいや。

まずはともあれ結論としては「大体も分かりませんでしたよ」。変に分かった振りするより素直に分からんと言った方が気が楽だしこういう勢いでもドラマ愉しめたのは事実だもんな。「Ⅱ」があるならもちろん観まっせ。

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*たらずぶん

「足らず分」→「足りない分」となる。共通語だろうけど世迷言(嗚呼勘違い)かもしれないが若干使い所がという事で記載。

まあ実際普段使いで殆ど言う表現ではないのだが確かに使い手は存在するので。

基本かどうかは定かではないし私だけかもしれないが大抵はお金が不足するやりとりの中で発せられる事が多い。したがって

「材料の足らず分は他で代用すりゃいいじゃん」

とかいう言い方は全国的にはされているようだが強引かもしれないが遠州では殆どしないところである。こういう物に対する場合には「たらんぶん」(足らん分)という言い方をすることが多いのではなかろうか。

「材料ん足らん分他から持ってくりゃいいじゃん」

「材料費の足らず分は他から持ってくりゃいいじゃん」

とかなら言う。もちろんなんでもかんでも「たらんぶん」・「たりんぶん」で済んでしまう事は確かだが。

例文

「これいいだいねえ。前から欲しいたあ思ってただけえが高くて手え出えへん。」

「なにい、そんなに欲しけりゃ、たらずぶんはわしん払っちゃるにい。ええで買いない。」

「え~いいの?でもそれじゃ悪いじゃん。」

   (え~?いいの?でもそれじゃあなんか申し訳ない風に思えるんだけど。)

「ええよ。ここで恩売っときゃ後後なんかで使えるかもしれんで。」

「ホントにい?悪いやあ。じゃあ5万円だで、5万くりょ。」

「ちょっと待て、どこが足らず分だあ!まるさらじゃんか。」

「ふんだだことあらすかあ。消費税分は手持ちで払えるもん。」

「なんかこうなると『貸り』なんて気はさらさらなさそうだなあやあ。」

「いやっ?今日はいい人だあと想うに。」

  (そんなことないよ。今日はいい人だなあと想うもの。)

「今日は、かい。じゃあ止めっ!」

「しまった。買ってからゆやあよかった。正直者は損こくなあ。」

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*すと

「そうゆわすと」(そう言わないで)

「買わすと思った」(買おうと思った)

「あいつにやらすとしただに」(あいつにやらせようとしたのに)

というように「すと」にはいくつかの意味がある。そもそもこれが全部同じ言葉なのかという疑問もあるところであり、それぞれ別に記事にしてきたがここではひとつにとりまとめての紹介とする。

A「そうゆわすと」の「すと」は「ないで」と訳すのだがこの場合の「す」は打消しである。

B[「買わすと」の「すと」は「~しようと」と訳す何かをするぞという意思を表す「す」である。

C「やらすと」の「すと」「~させようと」と訳す命令を表す「す」である。

「と」についてはどれも大きな違いはなく「す」が大きく意味合いが異なるものである。

Bの「す」は「為」自動詞か他動詞のサ行変格活用「する」の文語形。

Cの「す」は助動詞下二段活用型「せる」の文語形というのが近い。

どちらも文語形というのが引っ掛かるところではあるが説明としてはこれに合わせれば屁理屈は成り立ちそうである。

問題はAの「す」で屁理屈でいけば「ず」助動詞特殊形.「ぬ」・「ない」の文語形。助動詞「ぬ」の連用形。というのははまるところであるが遠州弁では「ず」ではなく「す」である。なのであってる屁理屈かどうかは胡散臭いところであり説得力がまるでなく要はよを分からん。

共通してる不可思議な点はどれも文語形という説明がなされているが遠州弁は話し言葉であって書き言葉ではないのである。

つまるところ辞書から遠州弁の「すと」を説明する根拠は捻り出せないということである。

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*随分と違うもんだな

嘘か真か定かではあらねど、積志・浜北方面はご先祖さんがお武家さんという家柄が多かったという風聞を耳にした事がある。明治の時代になって武士廃業後移住した人が多かったぞよと。

そのせいかどうかは知らないけれど武家言葉「おぬし」の変形であろう「おんし」・「おんしゃ」を浜北の人は良く使う傾向にあるように感じられる。

ずうっと浜松ことばと浜北ことばに大きな違いはないと思っていたが最近それはとんでもない勘違いだったのかもと思えてきたところである。

そう思えた一番大きな事由はですねえ、なんか浜北在住のお方が遠州弁の歌詞で曲を作られておられるそうな。という事をこれも風聞で聞きまして。

で、そのサイトにお伺いして歌詞を拝見さしてもらっただけえが

まあ見事に違うもんだ。「飛ばさいてみる?」の記事でも書いたけど浜松と浜北で多少の違いはあるとは認識してたんだけど。

ここまで訳分からんとなると多少じゃなくて相当だと認識を変えないとだな。びつくりしました。

挙げたらきりがないのでちっとばか程を列挙しますが同じ遠州弁でもこうも違うものかとその奥(幅)の深さにホントびつくりですわ。

いずれも共通語訳がないのでどういうニュアンスなのか分からないので浜松人からしたらこう解釈してしまうという観点で書きますです。

*「ちんちんのお茶」

うちらんとこは「お茶がちんちん」。でないと違和感を感じる。普通は「~がちんちん」であり「お茶んちんちんで飲めん」とは言うが「ちんちんのお茶ん飲めん」とは言わないよな。「ちんちんのお茶なんか飲めすけえ」とかならなんとかアリだけど。

話し逸れるけどなにしろ美味しいお茶は熱湯で煎れるものじゃないから「ちんちん」はよからぬ事だからして。意識して熱湯茶にする人はまずいないもの。

話し戻して「ちんちん」はこの場合「熱過ぎ」という意味(熱いでもいいけど)。

「熱過ぎのお茶」という言い方となるから変なのかな。「熱すぎるお茶」と言いたいのであれば「ぬくとめすぎの茶あ」と言うかな。

まあ「の」をはめるから違和感を感じるのであって「ちんちんな茶あ」であれば「熱すぎなお茶」でこれならばあり。例えば「の」ではなく「な」とすれば「おめえなあ こんな ちんちんな茶あ 飲めすかや」みたいな感じで違和感は薄れるとこだけど。

「ちんちん」自体は東海に広がる言い回しで特に遠州弁という訳でもないのだがどこも使用文例が表記されていないのでどういう言い回しが一般的なのかよく分からないところではあるかな。少なくとも浜松と浜北は違うみたいだ。

*「時のあいさ」

うちらんとこでは「あいさ」は「隙間」とか「狭間」という意味の「あいだ」であって「合間」という意味の「あいだ」では使われていない。

「歯と歯のあいさにひっかっかってギスギスする」とは言うが

「休み時間のあいさにちゃっとやっちゃう」とかいう言い方はしないのである。

関西では浜松では使わない「合間」という意味使いをしているらしいのだが浜北はそういう関西風の意味使いをするらしいことが窺える。

*「しゃあしゃあ一人歩き」

意味そのものが分からないや。近い音での「いけしゃあしゃあ」(厚顔無恥)というのは使うけど「しゃあしゃあ」という「いけ」という接頭語を省いての単独表現は聞いたことがないけど浜北では使ってるんだなあ。浜松だと「いけしゃあしゃあ」以外では「知いらん顔して」「どじらん顔して」とかを使うかな。違う言葉なのかな「しゃあしゃあ」って。絶対異なる言葉だろうけど「おしっこしゃあしゃあ」なら分かるんだけどね。「いけしゃあしゃあ」とはどう違うんだろ。

*「遠州弁で話さまいか 忘れちゃかんにい・・・」

うちらんとこでは「まいか」は「一緒に~しよう」といった勧誘でありここでの場合の「にい」は命令・指示と解釈される。従ってこれだと「遠州弁で話そうじゃないか 忘れてはいけないよ」みたいな甘く誘っといての態度豹変と取れる。この場合じゃない「にい」として「置いてくにい」(置いてくよ)といった意思表示の「にい」というのもあるが「忘れるな」は相手に対してであって自身の意思表示じゃないから当てはまらないよなあ。

なので自分としては「遠州弁で話さまいか 忘れんでよを・・・」という方が自然な勢いなんだけど浜北の「にい」には「よを」みたいな依頼・願いとかいうニュアンスがあるということなのか。もしそうだとしたら「これ忘れんで持ってってよを」というのを「これ忘れんで持ってってにい」とか言うのかな。浜松じゃ言わないや。

あえて「にい」を浜松の衆でも理解できるように使うというのであれば「忘れちゃかんだにい」とすれば「忘れちゃあいけないんだよ」という感じでお仕着せ度は和らいだ忠告といった趣になるのだけど。もしくは「遠州弁を話しまい 忘れちゃかんにい」とすれば「遠州弁を話そうよ 忘れんなよ」となる。

個人的には語調を和らげるという事で「かんにい」を「おえんに」としたい気分になる。

 と、いくつか羅列しましたが、あくまでこれらは誤てりと否定しているものでは決してなくおそらくは浜北ことばにおいては正しいものなのでしょう。それを素直かつ単純に「ああ違うんだ」と感じてるということです。これらの楽曲を通して遠州弁が全国的に認知されたとしたら遠州弁の基本は浜北ことばとなるんでしょうなあ。

こういうのを例え浜松ことばで作ったところで掛川以東の衆らとかからしたら違和感をどのみち覚えるでしょうから、こういうのはきちんとしたものを発表したもん勝ちというか価値がある訳ですからね。くどいようですが決して足を引っ張る意図で書いているつもりはございませんであくまでその違いにびつくりしてるだけです。

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ホタルノヒカリ2 その11

 3は干物女の育児奮闘記だよな。なんぞと2が始まった時点でそう夢想してたけど。やっぱ3を期待したいところでありますな。一番自分の時間が取れないこの難関をどうやって乗り越えるのか。なんちゃって。

ついて来いと言わないぶちょお(藤木さん)の心持ちがよを分からんまま終わったなあ。ホタル(綾瀬さん)曰くの「野獣」の部分が最早枯れているのか、それとも独占欲というものをどっかに置き忘れて来たのか知らねども新婚というか始まりだけは理性と感情は別物だと思うんですけどね。

そういう意味ではよく出来た男(おのこ)と干物という普通の部類に入らない女との恋模様なのではなく、どっちもどっちな大層変わった二人の丁々発止という様であったのか。

理解不能の人間のすることに共鳴することは出来ないけれどほんわか出来た事だけは確かでありんして不思議なドラマだよなあ。

結局は干物女のまんまという事みたいだったけど、にしちゃあ料理したり野菜育てたりと変化してるんだよね。そんなのは些細な事なのか。

こういうキャラを作り出したことがナイスでありそれを具現化して嫌味が出ない役者さんが配されたということがグッドでありましたな。

二ツ木(安田さん)と山田姉さん(板谷さん)の存在も重要だったなあ。この二人がいなければぶちょおとホタルの葛藤が悶々でしかなく深みが出なかったであろうて。

なにより悪意を存在させなかったところがぬるめの湯好みの甘ちゃんな私としては一番のツボだったなあ。

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逃亡弁護士 最終話

 奇しくもというか合わせ技をはじめから意識して並べたのかは定かではあらねど

ジョーカー+逃亡弁護士から受ける印象は

「法はすべてを掬えない」というか「法に無知では巣食えない」というか

享受するにはそれ相応の知恵が回らないといけないということを謳っているように感じられ。それはずっこいよなあと。でも悪くはないんだからあら不思議ってか。

それが出来ない人間には「超法規」というか「逸脱した道理」でしか「救われない」という事を謳っているかのようにも勘繰られるところでありや。

とかいうたわけた感想はこれくらいにして

終わりになるにつれて尻上がりに面白くなってく展開で最終回に突入の体でありんしたが、とんまさってからの展開は呆気なかったなあ。超サクサク。多少はしょり気味に感じたんでこうなるのなら最初の二・三話でもっと話を進めとけばよかったんじゃないのかとふと思えてしまいました。当初はとにかく逃げつつも困ってる人を救うだけのお話しにすら映ってたんで。

まあ自身が弱者の立場で横並びにならなければ本当に途方に暮れてる人間には出遭えないという展開が第一義だと思えば間違いではないんでしょうけど。

一番の味方と思われてた人物があにはからんやの犯人だったという意外性は少し前の回からそれらしいところを提示していたからあら意外という勢いではなかったけれど、それでも通しで考えると味方と敵が入れ替わるという構図は見応えがあったな。

馬鹿正直を具現化する上での上地さんという役者さんのキャラはぴったりはまってたなあ。バラエティでのお馬鹿キャラというイメージが払拭出来ないから観なかったという人も周りにいたけど自分はバラエティ見ない人なので知ってはいましたがそういう目線で観てなかったから愚直という役にはまってるなあと思って観てました。

いかにもな悪党と善人にしか見えないがやっぱ悪党とではどっちが観ててわくわく来るんだろうと思うと後者のような気がするけど作り出すには難しいのかな。下手な背景乗せて同情の余地を残したりしないと成立しないのかな。

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でなによを

「それでなんだ」・「何を言いたいの」とかいうニュアンスの言い回し。

使いどころとしては、話しを変えるという転換の表現ではなく横道にそれたような流れを元に戻してくれよみたいな意思を伝える表現。男女共用だが女性寄りの表現ではある。

男言葉だと「でなんだあ」となり外国語の「でなーだ」と似たような風に聞こえることがある。状態としては非常にフラットで冷静な平素の状態で発せられることが多い。大抵の事は話しを切り出しても大丈夫かなと思われやすい。

「それでなによを」だと「ところで何?」となり「それがなによを」だと「それがどうした」と開き直ったような感じになる。苛々してる状態と推察されるところである。言いにくい事を言うような場合この発言をされると切り出しにくい。

例文

「う~しまった。わしあんたに怒られるような事したかもしれん。」

「なにがあ。わしおめえに無視したり馬鹿にしたり小馬鹿にしたり屁馬鹿にしたり呆れかあったりはした事あっても怒ったことなんかありもしん。」

「ん~なんか複雑。」

「で、なによを。」

「なにが?」

「さっきなんかゆってたじゃん。なに?なんかへぼこいたとか。」

「あ~、もういい。忘れて。」

「なんだよそれ。怒らんでゆってみい。」

「それがさ~言う事なんだったか忘れちゃった。」

「やあ、なんか気になるなあ。」

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ジョーカー 許されざる捜査官 その10

 こんな事いいな してくれたらいいな ってか。

しっかし各県警にそれぞれ居てくれないと平等じゃないだろうに。ドラマだと伊達(堺さん)のいるとこだけ神隠しが起きてたみたいだものなあ。

 あんな罪そんなを摘み一敗地にまみれてから

というか法で裁けない(一度正義?は敗れてる)からそうなるんであって。

それだったら呪術とかを発展させて呪いであざとく罪を逃れた輩を潰す技術を開発した方が現実的だったりなんかして。(もちろん冗句です)

要は心持ちの問題であって所詮いくら法をその都度良くしようと改正したってまた抜け道を探し出すいたちごっこが新たに始まるのだからして。

法とは別個の抑止力が必要なんだろうな。因果応報が具体的にならないと収まりがつかない事は確かなことだよな。それがなんなのかは思いつかないけど。「更生」とは夢幻というのが大前提なのは当たらずといえども遠からずの真理なんだろうかな。

被害者遺族の希望する事がなんなのか。溜飲が下がるという事と復讐を果たすという事と罰を与えるという事と社会から排除するという事がごっちゃ混ぜになっているのがややこしい限りで

復讐と溜飲は怨み屋さんにでも依頼して社会からの除外はゴルゴ十三か梅安さんにでもお願いするとしてジョーカーは罰を与えるという事を請け負うということか。終身刑で社会復帰の道はないということだからして除外という事も兼ねてるので梅安さんらの出る幕はないかもしれないけど。弁償させるという事だけは請け負わないようではあるかな。

いずれにせよ必要悪に関わりあいのない人生を送りたいものだ。

マスター(大杉さん)が犯人というのは予想通りの展開だったけど、島ひとつ隠蔽してしまうほどの力のある組織ならマスターが組織の事を嗅ぎまわってる奴がいることをきちんと組織に「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)してればあえて殺人犯すこともなかったんじゃないのかと思わんでもない展開ではありましたな。

なんかスペシャルがあるそうでそれ観てからドラマ全体の印象を述べた方がいいのかな。

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微妙だなあ

 ニッポン茶茶茶で日本柔道陣の活躍は誠に以て嬉しい限りの朗報揃いであるのだが

時間延長で録画のはしごしてる身としては「参っちゃうよ」これしきり。なにせ同時には二つしか同時録画出来ないんでずれて被ってしまうと後の方がぶった切られて録画されててああ無情。

所有している録画機械の性能のせいであって放送局に咎が有る事ではないのであろうが、それにしても安心しきってた分録れてない部分が存在するというのは倍がっくしだあなあ。

せめて時間延長によって三重に重なった場合での優先順位を指定できるとか設定操作がめんどくさくなければ付いて欲しいよなあ。一番観たかったものが欠けてて絶対観たいというほどじゃない番組がまるまる録画出来てるというのがつらい。

しかし同じ筋書きの読めないリアルが売りのスポーツ中継の中で相撲中継はよほどの事がない限り延長は無いというのは特異だな。

柔道は延長戦を含めても制限時間があるのだから目論みは立ちそうなものだがなんでだろ。試合時間以外に時間が延びる要因があるんだろうか。

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*の(物・奴)

「ねえ、燃すのってどれよ。」

  (ねえ、燃やす物ってどれ?)

遠州弁的には「の」=「物」・「奴」と解釈すると都合がいい。

古語辞典をひくと

「の」{格助詞}下の体言を省略して準体言のように用い、形式名詞となる。・・・のもの。・・・のこと。・・・の人。とある(抜粋)。

まあネットの辞書にもほぼ同様の意味が記載されてるけど古語辞典の説明が一番しっくりくるところである。

とにかく紛れもない共通語であろうものだが、これが

「ほい、燃すののってどれえ?」

  (ねえ、燃やす物ってどれ?)

となるといきなり方言っぽくなる。意味は同じなんだけど。

つまり共通語では

「の」=「の物」・「の人」

であって遠州弁は繰り返しになるが

「の」=「物」・「奴」

とするのが合点がいくのである。例文「のの」を直訳すると

「ねえ、燃やすの物ってどれ?」

とかとなる。つまりこういう言い回しが遠州弁であり、共通語を遠州弁に翻訳する際は単に単語を置き換えればそれでよしというものではないようなのである。

言い訳がましくなるが遠州弁を共通語に換えるのはそう難しくはないが共通語を遠州弁に換えるのは難しくてとてもぎこちない遠州弁になりがちなのである。

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*かじる その2

「掻く」と言っていて「かじくる」だと「掻きむしる」という感じになる。

遠州弁の「かじる」は「掻じる」とした方が相当であって「齧る」という文字は最早当てはまらない勢いである。

「蚊に喰われてかいいっつったってぼりぼりかじっちゃっかんて」

決して歯で痒い場所を咬んでる訳ではない。

「柱が猫にかじられてはあボロボロだよ。」

猫が爪を立てているということであって決して猫が咬んでとかいう事ではない。

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熱血!平成教育学院に松子登場

 漢字特化の回に松子が出とらっしゃっただでしかと観てちゃっと書いてる次第。

記憶が間違いでなければ松子って理数系の学部じゃなかったっけ?ってことでネットで調べたら法学部卒とな。あらまあな勘違いがあ。されどどのみち漢字とは縁がありしや?

其れが何故に漢字?という感じなりしが、其の所以は漢検の準一級をば取得されてる由とな。

へ~。

番組内容に関してはほぼ完成形といえそうな海千山千の錚々たるレギュラー陣の丁々発止な掛け合いを愛でるが味噌であろうからいつも通りの安定した楽しいものだったなあと。

そういう中での浮く事無くの奮戦は何と申しましょうか。中庸でよしとせん。ってか。偉そうだな自分。反省。

宮崎さんと盛んに会話されてた風に映ってたけど共演されてたっけ?

に、しても今年になってガールズの面々のテレビ参上が目立つよなあ。ユイカはバラエティ出まくり&ドラマでガールズの中で一番よく見かけるし、なぎもちょいだけどこないだドラマ出てたぞえ。しほりんはCmが印象的だしハワイへ行くの図もこないだ観たよなあ。ひらっちは大河で毎週観れてるしCmでもちろちろ見るぞよ。ちせもブランチで毎週見れるしと。

あとはどこぞでだれぞの共演を期待したいところだなあ。

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もやしもん その4

 畑泥棒に米泥棒とは嫌な話しだな。若気の至りの境界を越えている。ましてやそれが金儲けの為と言うのは輪を掛けていただけない話しである。いくら金がないからと言ってもだしいくら一攫千金だからと言ってもである。他人が精魂込めた物を搾取した上での成功だなんてたとえ当然失敗するに決まってるお約束であるにしても嫌悪感が湧くなあ。

誰が演じてもそう映るであろうが、これが実年齢相当の若造であったなら多少は嫌悪感が和らぐかしらん。な、わきゃないか。

今回は新メンバーが登場してこなかったけど、これで晴れて美里と川浜の両名が加わったということなんでせうか。醸すぞ~にしても長谷川(加藤さん)との不協和音を醸すだけのような気がしないでもないとこだけど。

とりあえず悪は必ず捕まるという構図だけは評価すべきとこだけど、泥棒捕まえるのに人力・機械力共にあれだけの労力をかけなければならないという空虚な努力を払わなければならない世の中というのは虚しいな。

でも長谷川の「時間がない」というセリフはどういう意味なんだろ。気になるところではありますな。

樹ゼミの目標はプラントみたいななんちゃらとかを造ることみたいだけどそれがこのドラマのオチに繋がるのかな。その為に今は人集めをしてるみたいなのは理解出来た。

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*「ばか」と「ど」の使い分け その2

「懐かしい」に「ばか」と「ど」を付けるとどうニュアンスが変わるのか。

「ばかなつかしい」。もう懐かしさでメロメロという勢い。想いが明らかにその時に戻っている(タイムスリップしてる)印象を与える。共通語で近いのは「なんて懐かしいんだ」辺りか。

「どなつかしい」。実は左程かく言うは少なし。余り感情が籠もっていない印象を与えるところである。共通語にすると「ひたすら懐かしい」という感じであろうか。

「ど」を普段使わない分他にはどういう言葉を使っているかというと

「がんこなつかしい」。これだと年月が相当経っている印象を与える。共通語だと「とても懐かしい」かな。

「えらいなつかしい」。これもほぼ「がんこ」と同じ印象であろう。共通語なら「相当懐かしい」だろうか。

例文

「こないだ押入れ片してたらどなつかしいもんめっけちゃってえ。」

  (この間押入れを整理してたら大層懐かしいもの見つけたよ。)

「なにい。」

  (なんをだよ。)

「ぺったん。」

「おおそりゃまたがんこ懐かしいもんめっけたじゃん。」

  (へえ、そりゃまたとても懐かしいもの見つけたじゃないか。)

「だらあ?鉄人の絵柄のなんかばかなつかしかったにい。」

  (そうだろ?鉄人の絵柄の物なんか懐かしい限りだったぞ。)

「鉄人かあ。えらいなつかしいやあ。隠密剣士とかわあ。」

  (鉄人か、なんてなつかしいんだろ。隠密剣士とかはあったの?)

「隠密剣士は無かったけどソランとか宇宙エースとかはあった。」

注、最初相手が乗ってくるか分からなかったので「どなつかしい」を使い、「がんこなつかしい」と乗ってきたので「ばかなつかしい」へと移行したという展開。

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