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未来からの恋人 その1

これは遠大な夫婦喧嘩か?

に、しちゃあ超テクノロジーを駆使してのド派手な喧嘩だこと。

しかしてそのやり直そうという手法はストーカーまがいという超アナログな手立てでそのアンバランスさがなんか笑える。

役者さんは手練れ揃いだから展開に集中して観れるから気疲れせずで楽しいや。

夫さん(内野さん)の企みとしては出逢いそのものを否定するということで、出遭わなければお互いがもっと充実した仕事を為し得たという事らしい。夫婦生活は互いを束縛して萎縮させてたということか。

それにしても本来上手くいく筈のものを邪魔するという流れは斬新だな。普通は上手くいこういこうとするのに対する障害を如何に乗り越えるのかが味噌なのにこのドラマはその逆を行く訳だから。

でもおそらくは過去を散々弄ったおかげで未来に戻ったら里花(上戸さん)そのものが変わっていて結局は添い遂げる要因に繋がったってことになるような気がする。いくらなんでも思惑通り結ばれなかったのがハッピーエンドということじゃ切なかろうて。

どうやって過去に戻ったのかが明かされてないけど、もし里花までもが過去に戻ってきたら凄いしっちゃかめっちゃかになって野次馬的に面白そう。まあその為には出逢わなかったようにしむけたいのは里花の方で誤った部分を是正しようという意識の博と丁々発止という構図でないといけないだろうから未来の里花が降臨してくることにはならないだろうけど。

未来の生活は決して貧乏とは思えなかったけれど、あれは人類の生活文化が向上してるという幻想なのかそれとも一応の成功者たりえたということなのかどっちなんでせうね。10年戻ったってことだからそんな社会が向上するとも思えないので成功者ということなんでしょうかね。

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チャンス その2

 全6話ということもあってサクサク進んでるけど、きちんと四季を織り交ぜて丁寧な作りのように感じますなあ。景色が綺麗だったな。このくそ暑い夏だから一幅の清涼ということで雪景色を観て涼んでみたかったという気分もあったけど。そこまでは無かったのは残念

主人公のビジネスに勤しんでる時の隙のない装いと化粧の姿と無頓着この上ない牧場での姿のギャップもさりげなく自らの心持ちのオンオフの切り替えを表わしていてメリハリがあるなあ。

それにしても都会で働いている姿を形容すれば「馬車馬のように」という体で、その働いたおぜぜで馬の主たらんとする姿は道楽ではなく生きがいであり、働く意義ってなんだろうなとつい思ってしまいますな。前を向いているのは間違いないとこだろうけど羨ましいのかどうかよく分からないな。

愛する家族を守る為という当たり前の事にも通じるのかもだけど、子に期待を寄せるの比ではない競走馬への根拠のない期待の膨らみ具合が家庭とは違う質を感じてまさに競馬のロマンが垣間見られるところですな。命をつなぐ儚さも描かれていたけれどこれって養育費が2頭じゃ大変だからとかいう作り手の配慮じゃあないだろうなとちょっと勘繰ってしまいました。でもこれで「運命」というワードが強まったことは確かでしょうけど。

実る実らないはまだ先の話しだけどこの回ではとにかく働く意欲の源になっていて公私の両方が満たされた状態の主人公という勢いでありましたな。

ライバルの風雲児はビジネスで立ちはだかるキャラだとしたら今後兵糧攻めでもしてくるなりしてちょっかい出してくるんですかねえ。まさか土俵を変えてターフの上でしのぎを削るなんてことはないでしょうな。ま、その方が正々堂々な対決といった勢いにはなるけど。そんな代理戦争みたいな夢まで託されたんじゃ馬も重圧かかって堪らないよなあ。

それにしても共同馬主の話しはサクサク進むのかと(一人目には断られたけどホワイトナイトなカメラマンが現われて三人揃うのかと)思ったけどそういう訳ではなかったな。まだ馬主デビューしてないから今後どう転ぶか分からないけど。そんなこんなで意外と試練も用意されていて単純なサクセス&立ち直り物語というお話しでもない訳で、6話でどう詰め込んでいくんでしょうかねえ。いくらなんでもG1取らせるなんて無謀な展開は無しでしょうけどどこまで描くのかな。引退繁殖の輪廻まで描くのかしらん。まさかね。

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*あんたちゃんと時間にこんとかんだにい?

直訳すると「あなたきちんと時間通りに来ないといけないんだよ」であるがニュアンス的には「遅れるんじゃないよ分かってるの?」と言っている。

この言い回しの味噌は「時間にこんと」という言い方と「だにい」のアクセント。

まず「時間にこんと」。意味するところは「時間通りに」・「その時間に」ということである。

他にも「時間にならんと」(その時間にならないと)・「時間みて配分考えない」(時間を見計らって配分を考えなさい)などがある。

つまり「その」だの「計る」だの「通りに」(正しく)だのをはしょって「時間」とだけいうところが遠州弁の特徴か。

次の「だにい」のアクセント。

音通りに表記すると「だにい?」というのが近く、疑問符がついたような語尾を上げる。しかしながらその意味するところは念を押すといったものであるので疑問符を付すと意味としておかしくなるのだが実際そう発音するのでそかく記載した。こうする効能は「忠告」・「念を押す」といったニュアンスを醸し出すところにある。

これが普通の「にい」のアクセントで発するとそのニュアンスは「世間とはそういうものなんだから」とかいう一般常識として来るのが当然という「押し付け」という感じになる。

もっとも「~しんとかんだにい?分かってる?」という言い方をはしょったから疑問符がつくんだという解釈も考えられるところではあるが。

例文

「今日は午後から打ち合わせだでねえ。あんたちゃんと時間にこんとかんだにい?」

  (今日は午後から打ち合わせがあるんだからね。くれぐれも遅れるんじゃねえそ分かったか?)

「な にい。わし遅れたこん一度もありもしん。」

  (なんだよ随分だなあ、俺遅れた事なんか一度もないじゃないか。)

「そりゃそうだ、来るか来んかだでねえ。」

  (そりゃあ確かに来てるか全く来ないかのどっちかだから遅刻はないけど。)

「だらあ?」

  (だろう?)

「だらあじゃねえよ。やばいもんで言い訳こいて来ん方がもっと悪いじゃねえか。」

  (だろうじゃないよ。まずい!怒られるって事で言い訳作ってこない方が遅刻するよりもっと悪質じゃないか。)

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熱海の捜査官 その6

 この回の最大の謎?は領収書の整理今日中に出来たのだろうかということ。なんちゃって。

消えた女子生徒は犯人の一味なのか被害者なのか。まあそれに尽きる訳ですが。バスを海に沈めるなんて芸当は大人が関与してなければいくらなんでも出来ないだろうから。これはもしかして市民打ち揃いての寄ってたかってな全員参画のイベントなのかなと。

と、思っていたけど超難解な数式の図が提示されて椹木(山田さん)だったら不可能じゃないのかもとも思えてきて。

いやはやなんとも此処に至っても迷宮の中を堂々巡りしているようでさっぱり判りませんです事いとをかし哉。

大人達は着実になあなあで繋がっているのが徐々に現われつつあるところだけれど四十万(山崎さん)の裏と表のギャップやら東雲(三吉さん)の失われた記憶というのが真(まこと)かすっとぼけかどうかの狸ぶりの可能性も含めて、まっことあやかしだらけで面妖な。

元カノだらけの拾坂署長(松重さん)だって怪しいといえばいえなくもないよな。蛇川の供述を星崎(オダギリさん)に伝えていない風に思えたし陶芸クラブのママ(広田さん)から何か耳打ちされてたみたいだったけどその内容を明かしていないし東雲が星崎のところに泊まるという旨をレミー(二階堂さん)にいち早く伝えていた情報通のウェイトレス(小島さん)だって署長の元カノってことでその情報源は拾坂さんのリークという勘繰りも成り立つところ。もっとも警察官が犯人という構図は一番嫌いなのでそうであったらどっちらけの猫ずらしってなもんですけど。意味違うか。

これは安全パイ(事件とは関係ないだろう)だろうというのもぼちぼち出てきてはいて、レミーはいつも蚊帳の外みたいだからこの一件も蚊帳の外っぽいし、朱印組はどうみても知恵の回る悪事は働けそうな感じがしないし。後はみんなやっぱどこかしら怪しい部分があるよなあ。まあ旅館のご主人(岩松さん)と桂東さん(ふせさん)はさすがに違うだろうけど。

それにしても見せ方がぞくぞくしてきますなあ。数式のおそぎゃーさを恐れ入り屋の風情で説得力持たせたり、プチ廃墟ツアー感覚になれたり、そこでの思いきり憂さ晴らすかのような破壊蹴りの爽快さとか画的にも魅入るシーンが多かったです。

あと残り2話の筈だから来週すべてが明かされる筈はなかろうが、果たして全部の謎の答えを提示してくれるんでしょうか。それとも描け逃げか。

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うぬぼれ刑事 その9

 いやあそれにしても節操がないですなあ。見事に片っ端からといった趣で。

まあ犯人さんに心ときめくという特殊能力なんだから致し方なしだけど。

そろそろ刑事としての勘と恋心との違いに気づくべきだろうとも思えるのだが、頭の中で別の回路じゃなく同じ回路で反応してるから区別しようがないのかしらん。里恵(中島さん)以外においては立ち直るのが早そうだから微妙に本気の恋心とも思えないところだけど。

でもどちらかというとこの回はあったかい家族を愛でたみたいでほっこりした部分の方が印象が濃かったなあ。この両親にしてこの子ありというのが納得いったというか。とても幸せそう。

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*遠州では使われない言葉 われ・おまん

二人称である「お前・あなた」という言い方で遠州では使わない言葉。他にもあろうが思いついた限りだと

「われ」

「きさん」

「おまん」

「みしゃん」

「あんさん」

「おまえさん」

「君」(皆無ではないが普段使いでは言わない)

「あなた」もどちらかといえば「あんた」となることが多いので、改まった時(共通語を話してるつもりの時)とかでしか使わないといえば使わない。

「てめえ」は二人称としても使われるが「てめえでなんとかするんだな」(自分でなんとかするんだな)という風にも使われる

では、相手を呼ぶ際の基本の遠州弁はなにかというと。

女性は「あんた」が主流であることはほぼ間違いないところであろう。

問題は男であるが「おんしゃ・おんし」は私らんとこではそう頻繁に放たれる言葉ではない。実用では「おめえ」・「おまえ」。「なあ」・「やあ」・「おい」とかで済ます事も多い。とはいってもこれらが遠州弁の基本というにはぞんざい過ぎて異論が出るであろうところである。

基本はというと愛称で呼ぶというのが基本ではなかろうか。よくは知らない人に対しては「あんた」であろうか。

話し変わるが知らない人からいきなり声を掛けられるという際、「おにいちゃん」・「「おにいさん」とかいう言い方。遠州弁だと「にいちゃ」・「あんちゃあ」とかになるのであるが。

知らない人から「にいちゃ」とか「あんちゃあ」とか声かけられたら警戒するところであるが発してる本人からすれば「やあ」程つっけんどんでなく「おめえ」程馴れ馴れしくもなく丁度いい塩梅に思えるから使うのであろうがこれほど意識が伝わらない言葉が不変というのは不思議である。他に言い方が存在しないからなのだろうがもし見事にはまる表現を見つけたらこれは凄い発明(もしくは発見)ということになるのだろうか。

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GOLD その9

 成功者がどツボにはまっていく様を丁寧に描いて何を愛でればいいのやら。そりゃ溜飲が下がるくらい傲慢不遜の悪役キャラならいざ知らずそういう感情に至らない主人公の転落図というのは見所が掴めない。

スポ根物の艱難辛苦なら最後の栄光が予想される光明が見え隠れするのでついていけるし貧困から登りつめるサクセスストーリーなら辛抱も努力のうちとして観れるものであろう。

そのどちらにも当てはまらない始まりが超がつく順風満帆からというスタートであっただけに考えられるエンディングの予想図は試練が幾度かあったけど見事初志貫徹して望みを果たしたくらいしか思い付かないけれど、このドラマはそういう予感すら思い浮かばない。期待の星すべてが崩れ去ってるんだから。

ある意味初めて観るパターンとも言えなくもなし。何を愉しめばいいんだろ。

この回は特に最後の大団円に向けての最大のハードルを飛び越えんとしてる最中らしいなだけに奈落の最深部にいるんだろうな。それともこれにまだ輪を掛けての苦難が用意されてるのかな。それにしてもこれらのハードルは負というか足を引っ張るものばかりで一段階段を駆け上る為の前向きな障害じゃないだけにどよよんとした雰囲気は否めない。しかもどれひとつ元の順風満帆に戻ってない。

これで病みを胸に抱える次男はあくまで長男が奮起する為のかませ犬だったなんて展開だったら洒落にならないよなあ。目的のためには手段を選ばぬおよそ主人公らしからぬダーティなイメージになるよなあ。

ホントこのどツボの状態からどうやってどのように感動できるエンディングに持ち込もうとしてるんだろう。多少なりとも無理や強引な展開があったら醒めるやも。そういう意味ではシビアに観てしまうよなあどうしても。

よっぽど意外かつ納得のあっと驚くエンディングが用意されてるんだろうなあ。ここまで貶めといてだから観る目は厳しくなるわさ。たんに悠里はホントは情の厚い良い人で子供を思い遣る良い母でしたというのでは納得しづらいよなあ。

具体的にどうなれば痛快と思えるのかと言われてもイメージが湧かないけど。

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*ぐんじょ色

子供の頃よく言ってたなあ。これが遠州弁なのかどうかは全く定かではない(おそらくは全国的だろう)のだがこういう意味での使い方をしてたというのを残しておこうかなという事で記載。もしかしたら地域によって使い方が異なっているかもしれないので。

まず言えることは決して「群青色」ではない。ネットで検索すると「群青色」の方言という意見もあるようだけど私らんとこでは絶対そうではない。凄い安物の「あお色」という勢いであろうが、むしろ「うんち色」という感じだという意見の方が同感するところである。

「ぐんじょういろ」(群青色)と書かれてあった青のクレヨンを初めて見た時、「ぐんじょ色」とは似ても似つかないとても綺麗な青で違和感を覚えたのははっきり覚えているところである。

なんだろ、「ぐんじょ色」ってのは色んな色混ぜ合わせ過ぎて輝きを失しなってしまったような印象を抱く色と申しましょうか。「ぐじょぐじょ色」と申しましょうか。「灰色」ではない事は確かだけど。経験上でいくと「土色」(茶系)に近づいてくみたいな。具体的なこういう色という記憶がないや。

土色といっても油絵具の「アンバー」や「シェンナ」のような自然な色ではなく、自然界には存在しないようなくすんだ土色だったようなイメージがある。

「どどめ色」とかも言ってたけどそれとどう違うのか今はもう全く記憶がないけど、とにかく「残念な色」を総称して「ぐんじょ色」と呼んでいたんだろうかな。「ぐんじょ色」といってよく色のセンスを疑われて囃されたような記憶が残ってるけど。

中学辺りまでは言ってたけど高校に入ったらもう忘却の彼方だったかな。もっとも授業でお絵かきの科目はなかったからというのもあろうけど。

追記

周りの人間に「ぐんじょ色」のことを問うたけど、結構同じ浜松でも意見バラバラだったな。私の意見は「混ぜた色」であってそういう色のクレヨンなんかなかったというものだが、「やまぶき色」とおんなしでそういう色のクレヨンが確かにあったという人もいれば「群青色」を真似したもので安価な分「ちんけな青色」という人もいた。

「ぐんじょいろ」というクレヨンが実在したのかが気になるところである。

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ホタルノヒカリ2 その9

 指輪紛失の一連のあたふた加減が面白かったです。オチはほぼ王道なのに決してしらけることなく愉しく観れました。分かっちゃいるけど笑えるってのは今は志村けんさんくらいなだけにこれはもうれっきとした芸として成立してますな。

雨宮蛍というキャラクターを演じれるのはこの人(綾瀬さん)しかいないんだろうな。全くもって能天気で且つ「アホ宮」とつい言いたくなるぶちょお(藤木さん)の気持ちに同感できてしまうお間抜けさが限りなく天然であり、しかしながらどんくさくはあれど決して邪魔くさい訳ではないというバランスに長けてる。まあどんくさいというよりも野生化してるという表現の方が近いか。それでいて仕事モードではきっちり社会人してるというギャップに違和感を感じさせない。

仕事モードだけでなら名のある役者さんならどなたが演じられても個性は違えどらしく観えるところだろうけど、アホな部分を他の役者さんが演じると多分賢さをどこかしら封印してるようなあざとさを感じそうだ。けど綾瀬さんならリアルっぽく映るのはあら不思議。

このドラマはもう存在感の勝利であって、語られる物語りの逸話はどれも大仰なものはない。そういう抑揚の起伏が激しい訳でもないのに愉しく観れるのは動物園で行動展示を観てるような感覚と一緒なんだろうか。

このドラマ観てなにかを得るという訓えめいたものは感じられないけれど、動物園行って気分転換してるみたいな感覚にはなりますな。

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*だらあ?

「そうだろう?」と言っている。同意・同調を求めている。

「そうだらあ?」の省略形であろう。文章の頭に来る。もしくは一番最後。

「だらあ?そう思っただよ。」

  (そうだろう?そう思ったんだよ。)

「今日は成果あなしじゃ帰れんでねえ。だらあ?」

  (今日は成果なしでは帰れないからね。でしょう?)

頻繁に使われる言い回しである。冒頭にくる場合、そうだろ?と疑問符を付してはいるが「やっぱそうじゃないの」というくらいの「ほらみなさい」的発言である。

最後に付く場合は「でしょう?」という同調して欲しい依頼といったニュアンスとなる。

どちらにおいても「だらあ?」であって「だら?」とした場合そのニュアンスは詰問調になる。

例文

「きんのう行ったら馬鹿混みやあ。ゆう通りだったやあ。」

  (昨日行ってみたら凄い混雑してたよ。あんたの言う通りだったなあ、)

「だらあ?だでゆったじゃん今週だだ混みだでやめときないって。」

  (だろ?だから言ったじゃないの今週は非常に混むからやめといたほうがいいって。)

「でもさあ、今週行っとかんと月曜使うに間に合わんだもんしょんないじゃん。だらあ?」

  (でもさあ今週行かないと月曜日に使うのに間に合わないんだからしょうがないじゃない。そうでしょ?)

「つうか過ぎたこんだけど先週行きゃよかったじゃん。なんで行かんかったよを。」

「うん完全に忘れかあってた。」

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くろだかり

人が物凄く集まって身動きが取れないくらい大勢いる様を指しているのであるが。ってあえての説明すらいらない言葉であろう。全うに言うならば「黒山の人だかり」であろうがその短縮形なのだろうか。

何故か辞書に記載がない。ネットの辞書においてもである。

じゃあ方言だ俗語だと言えるのかというとそんな事はないだろう。辞書には記載はないがウェブ検索には相当数ヒットする。地域的に限定集中してる風でもなく全国的に広く使われていそうなのである。

もし間違った使い方であってもこれだけ使ってる人が全国に散らばってるとなると市民権を得そうな気もするのだが。

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ジョーカー 許されざる捜査官 その8

 なんかどんどん回を重ねるごとに面白くなってきてますなあ。当初は現代版仕掛け人かと思われたけど井筒課長(鹿賀さん)のあやかし具合が絶妙で訳分からんくなってきて益々深部に分け入ってるようで闇が深くなってきている。

二話に亘っての模倣犯との対峙も決着をみたけれど冴子(りょうさん)が殺されて否応なくあすか(杏さん)の兄夏樹が殺害された一件に深く関わりあいを持たざるを得なくなってきている。

冷静さを保てというのが無理っぽい怨念も篭もりそうな話に突き進んでいくんでしょうね。同僚殺されて元恋人も殺されたとなれば復讐心も湧いてくるでしょうし。おまけに知らない方がいいなんて最後の言葉(忠告なのかな?)を聞いちゃったらもう行くしかないでしょうな。

全10話みたいだから来週はまだ「誰が」というのは明かされないでしょうけどマスター(大杉さん)か課長だったら観たくはないとこですな。まあマスターは神隠しの引き取りやってただろうから冴子の口封じしてた時間はなさそうでしたけど。

それにしてもホント課長は何者なんでしょうねえ。凄い気になるところです。

あと2話ということで終わり方はどうなるんでしょうねえ。もう足を洗って一から出直しとするのか、激震が去って日常に戻りつつラーメンすすった後に「俺が裁く!」と業を背負いながらも励むのか。伊達達にも何らかの裁きが下されるのか。

神隠しは伊達が初代という感じでもなさそうだったからもし伊達達になんかあっても次代が生まれそうな感じではありますな。

あすかの存在も気になるところですな。仲間に入るとも思えないけど。警察に嫌気がさして冴子の後を継ぎジャーナリストとして新たに神隠しを追うのか。兄貴の無念を晴らした後はキャリアとしてのし上がっていくのかな。

ところで神隠し追うって冴子言ってたような記憶があるけどそれがなんでこの事件を追うように変化してったんだろう。その転機がよく分かんないけど繋がっているっていうことなのかな。

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何気に思ったこと 2010・8月

*今年の夏って異様な暑さで辟易の極みであるのだが、唯一例年より過ごしやすかったことがある。

それは蚊の出没がことのほか少なかった事。もちろん皆無じゃないから蚊取り線香は手放せないのは変わりはないが凄掻くムヒの出番は少なかったな。

*昔の空想科学って大抵は公共物の進歩であって個人所有が充実するものではなかったような気がする。つまり規格品が発展して誰もが同じものを使うという平等・公平・共有な世界というものが根底にあったような。それに似たような精神世界がスタートレックでも謳われてたような曖昧な記憶があるな。つまり私欲独占欲とかいうのが衰退するんだと。

でもなかなか現実はそれに近づいていない。そういう発展を妨げているのはオンリーワンが最高みたいな風潮で公共性という意識が薄れつつあるからな気がするところである。贅沢の限りということもあるだろうし、相手を思い遣るという目的のマナーの欠如から次の人が使えなくなることに躊躇がないとか他の利用者のことなんか関係なく如何に自分が満足するかが重要という意識が邪魔してるんだろうな。

欲深いというのもあるのかな、限定商品とかに食いつくとか他と一緒じゃ嫌だとか使い回しは御免こうむるで。除菌にこだわりすぎるきらいも輪を掛けているのやも。

作る方も共有というある種の決まりの前提のもとに作ってもそれに従わない挙句に想定外な使い方をされて賠償を要求されてしまう始末に将来を見据えたうえでの冒険が出来ない。

すぐに飛びつくミーハーはいつの世にも栄えてはいるが移り気で薄情なものである。高級性は望んでも恒久性に興味が薄い。

アトムなりな空想を現実化しようという勢いはあるが、その精神にまでは実現化しようという勢いは萎える一方のような気がするところです。

*銀行のCmが溢れてる。昔は考えもつかなかったのにな。

*海外への旅行者が増加傾向にあるとテレビが言っていた。

所詮日本人は金持ちなんだろうな。それとも無理をしてるのかな。どっちにしてもエアコンやらなんやら「~無しでは生きられない」ものの数が増えていてそれらが生計を圧迫してるんだろうな苦しいとお嘆きの貴兄の方々は。

節約と節制の違いはよくは分からないけど「~無しでは生きられない」という呪縛を解いていけば案外穏やかに生きられそうな気もしないではない。

そうはいっても昔ながらではお話しにならないことも確かに多い。例えばこう暑くてはエアコンは最早生きてく上での必須アイテムであって呪縛のアイテムとは言い切れず気を抜くと熱中症で葬られるという温暖化の世界。

考え方だけにとどまらず自然への対応も含めての移り変わりは確かに存在する。だから時代に即して生きてくというのは大変だ。何が正論で何が呪縛かは自分で決めてくしかないんだろうな。少なくともこれでもかという広告やら皆やってるからとかいう何かに踊らされて判断してくのだけは嫌だな。

*就職浪人ががんこ増えてるというニュースをテレビでやっている。救済処置として数年は新卒扱いとする・就職活動に専念する期間を設けてはどうか等の手立てが講じ考えられてるそうな。

つまるところ欲しい人材ではないというか仕事に生かせる技術や知識を有していないからであって、一体学校で何をやってきたのかを問うた方がいいのでは思ったりなんかして。専門学校化せよというつもりは毛頭ないのだけれど時代の要求に応えられる人材を輩出していないということもあるんじゃないのかとふと思えてしまう。

まあ人生の敗北者に限りなく近い自分が言ったところで説得力は無いが。

説得力という事ではとある漫画家さんがいい事(正論)言ってたなあ。大雑把に書くと批判というか自分の世界をぐいぐい押しつけてくるような人に対し、そういう読者(客)という立場なら何言ってもいいんだと勘違いしてる輩に対して「才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴は、目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ」。単なる怒りの発露ではなく結論は自分の世界があるのなら努力して自身で作品を作り上げろと諭してる訳であるが、よくぞ言ったと。でももしかしたら自分もこの傲慢な手合いの一人なのかもな。反省しよう。

*以前放映されてたドラマとかが有料で見れるようになったとな。

似たような感じの出来事としては水を買うってのが思い浮かぶな。一昔前なら水を売るなんて商売になるのか?というのが常識だったけどそれが覆されて今じゃペットボトルの水を買って飲むのが当たり前にすらなってきている。という事例。

それとおんなじでテレビはタダという常識だったけどそれが覆されてテレビはお金を出して見るものという風に変わっていくのかな?

*自転車と歩行者との間の交通事故において自転車側に高額賠償判決

その事自体は自転車のマナーの悪さは常々感じているだけに納得な気がするのだが。あざとい自転車乗りは歩行者とは関わりあいたくないからということで今度は車道を走るようになるんじゃないかと車に乗る者としては危惧したりもする。

車道も歩道も迷惑がられる不幸なポジションにある自転車であるが、それでもやはりバックミラーも付いてないような車両が車道を走るというのはなんか怖い。

歩道も駄目車道も駄目ってことでつまるところ走るとこがないんだろうな自転車には。

*臓器移植のニュースが流れてる。これって善意そのものだろうな。

だけどもそのうちたとえ家族であろうとも自分の腹が痛むわけでもなしとてくれるじゃもったいないから売ってやるとか言い出す家族が現われそうな気がしたりもして。なにせ給食費とかも払わないで済ませようなんてのが最早ニュースネタにすらさえならないというあわよくばの性根が蔓延化しているのだから。

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*「いいじゃん別に」と「別にいいじゃん」

順序の違いで大層ニュアンスが変わる言い回しがある。

表記の言い回しがその例ともいえる。

「いいじゃん別に」は相手の言い分にも一理あるとは思ってはいるが「これのどこがいけないんだ?」・「構わないでよ」みたいな我が道を行きたい・行かせてという勢いであるが

「別にいいじゃん」は相手の言い分に不同意であり「どこが悪いというのだ」という「構わないでくれ」というニュアンスのものと、不同意以前に聞く耳持たずで「口をはさむな」「ほっといてちょうだい」みたいな拒絶感が強く滲む。

「いいじゃん別に」は「まあまあ・なあなあ」で

「別にいいじゃん」は「うるさいなあ」とったニュアンスの違いとなる。

例文1

「なんであんたいつもそうなの?たまにゃ言う事聞きなさいよ。」

「いいじゃん別に迷惑かけてる訳じゃないだで。」

例文2

「なんであんたいつもそうなの?たまにゃ言う事聞きなさいよ。」

「別にいいじゃん自分の勝手だらあ?」

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こいちじかん

「小一時間」とは言うが「小二時間」とは言わない。無論「小三時間」とも言わない。

「小一時間」の「小」は「もう少しで届く」・「満たない」ということで「一時間に満たない」という意味とある。

例えば「映画を観て時間を潰す」という場合。「小一時間映画を観て時間を潰す」という表現に違和感を覚えないのであるが現実的にはそりゃおかしな話しであろう。映画は大雑把にいえば二時間辺りが上映時間である。正しくは「小二時間映画を観て時間を潰す」というべきであろうが、そういう言い方には違和感を覚えるものである。

「小一時間」という表現は「少しの時間」という訳でないと辻褄が合わないのであるが暗黙の了解のうちに使われているのであろうか大概「小一時間」で済んでしまう。比喩としての表現なのであろうか。「小一日」は言うかもしれないが「小一週間」や「小一分」・「小一秒」とは言わないよなあ。

「小」の表現は他には「小一万」というのが思い浮かぶのであるがこれも同様であろう。でも「小一万で足りる」とか言ったら「一万円を切る」ということで実際二万もかかるとしたらオイオイといういう事になるから「少しのお金」という訳にはいかない。でもこれも「小二万」とかいうことはしない。あくまで「一」。しかも「千円」・「拾円」には「小」はつかない。

こういった曖昧さが難しい限り。「一」の意味するものはなんぞやというのが味噌になるのだろうか。

ところで「小せがれ」の「小」はここで述べてる「小」なのだろうか。大人に満たないという意味だとすれば含まれない事もないのだろうけどさすがに「小僧・小娘」系の「小」であって違うだろうな。

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*どかんとする

例えば冷房の効いた室内から炎天下の外に出た瞬間。

例えば暑い日の日中に路上駐車してあった車の中に入った瞬間。

そういった際の感覚を「どかんとする」・「どかんとくる」と表現する。「むっとする」・「むわっとする」より過激だというニュアンスである。熱風が押し寄せるとかいう衝撃ではなく温度差の変化が激しい時の体感である。

体感というか肌(全身)で感じる衝撃でありその感覚の反応は人それぞれであろう。

自分はエアコンが駄目な人間なので映画館でむちゃくちゃに冷やされた後に外に出た際のあのドカンとする感覚は生き返った気分になるありがたいものであるが。

一般的には好ましからざる状況というニュアンスで使われる事が多い。漢字で表せば「暑い」を通り越した「熱い」と感じる様ということであろうか。ただし体全体で感じる場合であり料理中に油が飛び散って熱いとかいう部分的な熱さを指すものではない。つまり熱いものに触れて「アチッ」というような状態では「どかんときた」とかいう使い方はしないということ。

瞬間的な感覚でありずうっと熱い状態の中にいることを指すものではない。つまり「どかんとした中にずっと居た」とかいう言い方はしないということ。

「どかんとくる」という言い回し自体は方言でもなんでもないものであろうが暑さを表現するのは共通語的ではないらしい。さりとてこれを遠州弁だというのも気が引けるところであるので遠州でも使うよということで記載。

例文

「このくそ暑い日に外回りは死ぬな。」

  (このくそ暑い日に外回りってのは堪えるなあ。)

「そのうえ路駐で停めといた車に今から乗るだで?」

  (しかも路上駐車で停めておいた車に今から乗るんだぜ。)

「入った瞬間のあのどかんとくるのが堪らんなあ。」

  (入った瞬間にくるあのむっとした感じが堪らないよなあ。)

「しかもハンドルちんちんで触れたもんじゃないだもんで。」

  (しかもハンドルなんかもう焼けた状態で触れる状態じゃないものな。)

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熱海の捜査官 その5の2

 学園内の雰囲気は閉塞と退廃が入り混じったものでありますな。屈折や狂気というのはあるのかな。

平然と階段で女生徒同士の接吻。それに反応しない周囲。他にすがるものがないのかというような宗教。この陰鬱とした世界の中で起きたのがバスの失踪。誰がは知らねどなにかからの離脱という様相であったのが運転手さんの死亡によって俄然事件性が増してきました。もっともバスを沈めたという大がかりな行動が行われていたのでその要素は始めから多分にはありましたけど。

 当初包帯で顔を隠していた東雲。顔を隠す意味は?人が入れ替われる効能がある。おどろおどろした「すけきよ」風味を漂わせる効能がある。どんな顔なのか興味が湧くという効能がある。

もっとも入れ替わってどうなるというツッコミにボケるネタは思い浮かびませんが。

あえて家族等からの失踪した女子生徒の経歴や人となりを最小限?でなおかつ小出しでしか提示しないというのはなんでだろ。

 なんかあると星崎(オダギリさん)は敷島先生(藤谷さん)のところへ聞き取りにいくのはなんでだろ。北島(栗山さん)が平坂(萩原さん)のところに出入りするのと同じ了見なのか。いくらなんでも本当に「大体分かりました」状態でほぼ直感的に敷島を疑っていてボロを出さないかチェックしてるということはないだろうな。

なんでもボロボロ話してくれそうなレミー(二階堂さん)はスルーしてるというのも目的(事件解決)のためには手段を選ばないという手法ではないみたいだけど。美意識を持って捜査にあたってるのかな。でもあれかあ、下手に問うと暴走して手に負えなくなるからという事もあってスルーしてるという側面の方が強いかあ。

真の実力者というか力関係というか上下関係が読めれば首謀者との対峙という構図が生まれるんだろうけどそれが誰なのか全く分からなくて誰と丁々発止してるのか掴めないとこがえらくミステリー風味を強く醸し出してるよな。

動機とかはどうせ最後にならないと見えてこないだろうから考えてもせんなきこと故想像しないけど、この一件で得するもしくは隠蔽できて満足してる人ってのが誰なのかってのも全く掴めないなあ。誰にとっても他人事みたいに思える。唯一学校側の信用が崩れるのでいい迷惑だろうけどそれは先生個人や生徒たちにとっては関係ないことだものな。

 署長の拾坂さん(松重さん)。やたらと元彼女出現というプレイボーイみたいだけどまだ他にも元カノいるのかなあ。警察官が事件に関与してたらドン引きだからそういう影の実力者であっては欲しくないところだけど。

あと見たくない結末は一同皆打ち揃っての事件だったなんていうオチ。広域捜査官以外は皆なんらかの協力をしてこの事件を作り上げていたなんていうのは嫌だな。やっぱこいついかにも怪しいと見せかけといて犯人じゃないとかこいつがまさかの犯人かあという驚きを愉しみたいものですから。

 それにしてもテレビ朝日HPの熱海の捜査官の項目は内容充実してますなあ。用語辞典なんか気がつかなかった小ネタの種明かしみたいで。自力で見つけれなかった口惜しさがあるんでカンニングしてるようでもあり見たいけど見るの止めましたけど、手帳も丁寧だし。

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*ぼちぼちいかまい

「そろそろ行こうか」と言っている。「いかまい」は別の記事で説明しているので今回の味噌は「ぼちぼち」。れっきとした共通語ではあるが辞書等にある説明と若干異なる部分があって多少方言の要素がありそうだと思って記載。

「ぼちぼち」を辞書で追うと

「ぼちぼち」{副詞}・(方言)ぼつぼつ。とある。どこの方言なんだろう。

「ぼつぼつ」{副詞}①小さな点・穴があちこちにある形容。②(急速にではなく)少しずつ事が行われる形容。とある。「そろそろ」というよりも「そろりそろり」の方が近いニュアンスのように思えてくる。

昭和の辞書にはかくの如く「ぼちぼち」は方言としてあるが、現代のネット辞書等には方言であるという表記はなくなっている。ということは現在では共通語に昇格した言葉ということになるのかな。

それにしても「ぼちぼち」に「ぼつぼつ」の①の意味使いなんてあるんだろうか。

例えば「そこらはっちょうに穴ん凹ぼちぼち開いてる」みたいな。

遠州ではそんな使い方滅多にしないぞ。と。普通は「ぼこぼこ」だものな。

それになんだろう「少しずつ行われる」という意味合いの「まあ、ぼちぼちやるでえ」とかの「そろりそろり」はもちろん言うのだが今回のお題の「ぼちぼちいかまい」(この状況は)もういいだろう、だから行こうよといった意味合いの「そろそろ」的なニュアンスが遠州弁の使い方であるがそれは辞書の説明の中にはない。

だがそういう「そろそろ」という意味合いはネット等の現在の辞書には書かれてあるところもある。

ということは、昭和の頃は「ぼちぼち」は方言でその意味使いは独特なものであったが現在は遠州での使い方が浸透して全国的な言葉となって共通語に昇格したという勘繰りが思い浮かぶところである。

もっとも関西地方の方言と謳われてるところもあるので遠州弁だと言い張る根拠もないのであるが、だがもしかしたら他の地域の人には遠州弁での「ぼちぼち」のニュアンスは伝わっていない場合もあるやもしれぬ。

ちなみに関西風の「儲かってまっか」・「ぼちぼちでんなあ」とかいう「まあまあ」という意味合いの使い方は遠州ではしない。聞く限りでは意味は通じるが話すことはない。遠州では「もういいだろう」というニュアンスでの「そろそろ」の意味使いと「そろりそろり」(のんびり焦らず)という意味使いのものが殆どである。

「三分経ったではあぼちぼちいいらあ」(三分経ったからもうそろそろいいだろう)

ちなみに「そろりそろり」という意味合いでの「ぼちぼち」と似たような言葉には「とろとろ」・「しょろしょろ」などがあるが、これらは自覚がない事が多いもっさり(のんびり)であるが「ぼちぼち」には意識(自覚)してという感じに受け取れるという違いがある。

例文

「はあいいらあぼちぼちいかまい。」

「今休んだばっかじゃん。」

「あんた時計止まっちゃいん?日が暮れちゃうにい。」

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