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うぬぼれ刑事 その6

受け手(うぬぼれ5)の側はほぼ完成してると思われ動き(刺激)が求められるとするとゲストの役者さんにかかっているような気がしてまいりました。つまり犯人役の役者さんがおいしいとこ全部持ってっちゃうくらいのパワーがある回が面白いんだよな。唯我独尊であろうとも染まらない勢いが要求されるんだろうかな。仲良しグループの中(空気感)に割って入ってもぶれないとこが鮮烈であればあるほど面白く感じるのかな。

それはとりもなおさず受けというか反応の機微を得意とする役者さんか押し出しの強さというか自らが反応するのではなく周りが反応してくみたいなフォワードタイプの役者さんかを推し量る目安にもなりうるということなのか。

考え過ぎかな。

でもこの回の小泉さんを観る限り、例えば歌手としてでの単体とかでの映え方と演じてる時の映え方は違って見えて、どちらかといえば反応するタイプにも思えるところでした。つまりなんざんしょ、この世界観の中にいても違和感を感じない人物に映ったということでこのお方は反応というか順応を是とするタイプのお方なのかなと。

もちろんあえて出しゃばらずとも十分印象が強く残るところでありましてその存在感はこの輪の中に入っていても燻ぶるものでは決してありませんが。

でもとにかく浮いた存在には映りませんでした。

で、以下はゲスト犯人さんへの希望ということなんですけど、ある意味なんざんしょ、うぬぼれ(長瀬さん)から見た時の画と他のメンバーから見た時の画がより露骨に異なるというあばたもえくぼ並みの変化を観てみたいなあ。誰しもがうらやむというものではなくて美しく見えるというそういう使い分けを演じられる役者さんがいるのならそういうのをみてみたいなと。

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熱海の捜査官 その4

 なんざんしょ。失踪した女子生徒の生死(安否)を確かめているのではなく何故こういう事件が起こったのかという真相とその犯人を捜してるのが主題なんでしょうかしらん。それはともかくえらく本格的なミステリーっぽくなって参りました。こういうのは久方振りなんで愉しいです。

小出しと称するべきなのか謎が毎週解き明かされていくのではなく毎週新たな謎が積み重なっていってるだけで、捜査としてはつまるところ何の進展もない。「大体わかりました」というセリフがなんだか眉唾っぽくて虚しくもある。

さりとて物語りは転がっていく。その転がり方は捜査官の活躍によって炙り出されつつある現象というのではなく何らかの意思によって初めからプログラムされたかのような粛々感すら漂う訳でありまして。

一体何したいんだこの一連の出来事を操っている奴は。

もっとも色んな出来事が偶然重なり合って結果かく状況に至れりという別案も排除できない喧噪ではある。

これだけそれぞれの思惑が交差してると最終的に知らぬは広域捜査官ばかりなりで南熱海の住人がみんな犯人だったなんてぶっとびも妄想できなくもない。

誰が得するのかという観点から見ても、今のところ誰も得してる人見当たらないし、何かの証拠隠滅というやむを得ずという感じもしてこない。愉快犯なのかな。

でもバスを海に沈めるなんて技はいくらネットを操る教祖様とて持ち合わせていないだろうから大人が関係してることは確かだろうな。今の時点で大人とつるんでるのはレミー(二階堂さん)と父親たる市長(団さん)くらいしかいないんだけど。

東雲(三吉さん)にあわやの瓶が落ちてきたという事は排除しようとする意志が働いていたということか。ということは何かの陰謀から脱出か離脱した裏切り者で星崎(オダギリさん)の側の人間(解決を求める側)ということになるのかな。まあ助けを求めている風にも思えないのであくまで一味であることには変わりなく、四十万(山崎さん)を騙す為の小芝居をしたという手もあるかな。

さっぱりわからないのはデジャブーみたいな事件の再発の様。あそこまで似せる意図はなんざんしょね。

まあ細かい事は色々無視したうえで、結末(結論)が数少ない(というか唯一の)男子生徒を巡っての激しい争奪戦だったなんてオチだったとしたらばこれは洒落にならない次第で、それだけはさすがにないだろうな。

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はあやってれんて

「もうやってられないよ」と言っている。これも「ら」抜き表現ということになるのであろうか。

やってられないと言っていても結局はやってる事が多く、軽い愚痴もしくはうんざりとした嘆きということであろうか。

この発言に対して「そんな嫌ならやらなきゃいいじゃないか」みたいな事を言うと話しがこじれるので「まあまあそうゆわすとを」となだめる一歩手前のお茶を濁すような発言で返すのが普通は望ましいところである。

本当にやめたいと願う場合は

「はあやってれん」・「やんなる」

本当にやめるぞとなると

「はあしらん」・「はあやめにするだあ」・「もう嫌」辺りであろうか。

例文

「いやあ、こう暑くちゃ仕事なんてはあやってれんて。」

「家で死んでるよりかはタダで涼める分いいらあ。」

「まあ一日中エアコン炊きっぱなしじゃ電気代馬鹿んならんでねえ。」

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*色々言い方はあるだよ

遠州弁においては「だら」・「だに」・「だもんで」とかがもてはやされる昨今であるが、他にも色々と言い方はあるだよ。その一部を羅列してみるべえや。

もちろん「だに」という言葉なぞはなく「だ」+に」であるように合体によって生み出されている物物であるが。(注、共通語訳については直訳というより誇張した勢いのものもあります)

 「だいね」

「そうするだいね」(そうするだよね)

 「だいな」

「そうするだいな」(そうするんだよな)

 「だなや」

「そうせるだなや」(そうするだよな)

 「だあな」

「そうするだあな」(そうするんだよな)

 「だのえ」

「そうせるだのえ」(そうするのが賢明だね)

 「だわ」

「そうせるだわ」(そうするつもりだ)

 「だわあ」

「そうするだわあ」(そうするんですわ)

 「だわな」

「そうするだわな」(そうするんだなこれが)

 「だや」

「そうせるだや」(そうするんだ)

 「だでね」

「そうせるだでね」(そうするんだからね)

 「だかいや」

「そうするだかいや」(そうするのかな)

 「でえの」

「そうするでえの」(そうするだよね)

他にも「だわさ」・「だかや」・「だいや」・「だで」等諸々とある。

逆に遠州では使わない言い回し

「ダスな」・「だんべ」・「だしょう」・「だじょう」・「でんな」・「でおま」・「でごわす」・「であります」・「でげす」・「でんがな」。傾向としては「で」よりも「だ」を多用する種族とも勘繰れる。

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GO LD その7

 なんかもの凄く情念に満ちた世界になってきたみたいです。三男は実在しないとな。

それが見えてたリカ(長澤さん)は何者ぞ。でも面接会場になんであんな小さな子が居たんだとかいった矛盾がこれでクリアにはなりましたな。しかし最初三男の遊び相手に相応しいから秘書に選ばれたのかと思ってたけどそれは悠里(天海さん)自身が選んだというで、じゃ、なんでリカちゃん人間を選んだんだろという疑問は新たに湧いてきますな。

人事を尽くした後は運にすがるというのはそこまで到達した(すべきことをすべてやった)人が言って初めて正論になる訳ですが、先週の感情の爆発具合から引き摺って考えるとちょっと心が病み始めてるんじゃないのかとも思えてきますな。

二週にわたってかくたる動揺の様が続くとそう思えてきます。なんか回を重ねるごとに壊れてくようでこのドラマ何を謳わんとしてるのかますますもって訳が分からない。

でも今までの回の中で一番面白かったな。リカちゃん人間のボケ具合も板についてきたというか「薬やってんの?」と言われた時の表情とかこの回が一番受けたし。それでいて想いを見る目があるという能力者というキャラ。面白いです。

それとは別に女性を見る目がないという長男。全てを兼ね備えてる野郎なんて「けっ」と思ってしまうくらいいけ好かない長男でしたがこれでちっと欠けた部分が垣間見られて人間っぽくなってきた。一度でも逃げ癖がついたら人間そうそうに元に戻れるものではありませんからこれでさげまん娘の堕落の囁きに傾いていったら使えない男になるんだろうな。

長女は長女であの様だし。純粋培養は免疫力が無いという証しであるんでしょうかねえ。

次男は地べたで胸を押さえてもだえ苦しんでたし、三人共GOLDの道は「ハイ!消えた~」って感じに映りましたけどそれでも誰か取るんでしょうかねえ。

大番頭の丈治(反町さん)の心配事も正論だったな。いつ本性が現われてお家乗っ取りに奔走するかもしれないという危惧を指摘してましたが、確かにそうだよなあと。鵜呑みでいい奴だあとするのは早計だなと。それに耳を貸さない悠里というのもなんかおかしいというか冴えが無い。

とにかく綺麗事がどんどん崩れてく一方な展開で一体どこ(何話)まで歯止めが効かない状態を引っ張るんでしょうかねえ。ホント障害を作り出す事にかけてはこれでもかという勢いで凄いよなあと思えるのですが風呂敷広げ過ぎて最後うまくまとめられるのだろうかという疑問が湧いてきます。この状態から見事納得のいく(強引でない)形で収束に持ってくというのであればどうやってという辺りを観てみたいところです。

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*くれる その2

「付ける」という意味。

「丸をくれる」(丸を付ける)

「しるしをくれる」(印を付ける)

こういう「くれる」の使い方は遠州独特なんだろうかネットで検索してもなかなかヒットしてこなかった。

例文

「どうでえアンケートは。順調けえ。」

  (どう?アンケートの具合は。順調にいってる?)

「渡す分にゃ貰ってくれるだん、読んでしるしくれる人いんくて参っちゃうよ。」

  (アンケート用紙受け取ってはくれるんだけど、読んで項目に印を付けてくれる人がいなくて参っちゃうよ。)

「質問の仕方ん悪かったじゃないだけ?」

  (質問の仕方がよくなかったんじゃないのか?)

「ほうかなあ。」

  (そうかなあ。)

「分からんかったらここんさあに丸くれときゃいいだっつうとこ作っとかんもんで難しかっただらあ。」

  (もし分からなかったらここに丸を付ければいいっていうのを作っておかないものだから敬遠されたんだろう。)

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ホタルノヒカリ2 その7

 これを観てなにか感ずるものがあるとかいうものはないけれど、観ててほんわかできることは間違いない。

つまり吸収するのではなく浸る(ひたる)ドラマなんだろうな。

こじれないアホ宮(綾瀬さん)とぶちょお(藤木さん)の関係がねちねちしてなくて心地いい。

双方のお邪魔虫たる小夏(木村さん)や和馬(向井さん)との葛藤よりも二ツ木(安田さん)と山田姉さん(板谷さん)との対比が面白い。

こういう風に考えるのは私がおっさんだからだろうか。アホ宮以外はみんな分別のある大人だもんな。若者の無茶加減を愛でるよりもこういうまったりの方が落ち着くことは確かだ。

それにしても後腐れのない霊感商法でよかったよな。これが後引くようないつまでも付きまとわれるようなものであったなら喜劇から悲劇へと変貌しかねないもの。47円女の本領発揮であったけど大丈夫か?ホントの悪意に遭ったらひとたまりもないような気がしてくる。今まではそういうのはすべてシャットアウトして家でひたすらごろごろしてたから大丈夫だったんだろうけど。

そういやあ1ではジャージ姿で飲み屋に駆けつけてたシーンあったけど、今はそういう光景はなくなったな。家と外のけじめはついてきたみたい。少しづつ変わっていってるってことでいつか47円女からも脱却してくのかな。でないといくらぶちょおでもぶち切れ通しと尻拭いで疲れちゃうだろうから。

知性の猛獣使いと本能の趣くままの野生獣のせめぎ合いって勢いでなんかのショーを観てるみたいでもあるな。雨宮蛍って「綾瀬はるか」の容姿なんだから普通は女性という男目線でみる筈なんだけどこのドラマにおいては野生獣にしか映らなくてホント珍しいもの見てるものとして観てられるんだよな。そういう意味でETとは見事な喩えよなあと想ひけり。

前にも書いたけど2では結婚までが描かれるんだろうけど3では子育て奮闘記というお題目で観てみたいな。もちろんあるとすればの与太話しですけど。

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*ほんとかや

「ほんとかよ」と言っている。女性は使わないので男言葉であろうか。

「よ」が「や」になってるというだけで意味的に特別なものが付加されてる訳ではない。

これが「ほんとかあ?」とかになると信じてない勢いが勝るのであるが「ほんとかや」だと疑いの要素は薄い勢いとなる。薄いだけで鵜呑みにはしてないだろうが。

状況によっては「そうであって欲しくない」という願望が籠もる場合もある。そういう場合にはニュアンス的に「嘘だろう」とした方が近い事もある。が、まあ「うそだらあ」(信じたくない)というそのものな言い回しがあるのであくまでニュアンスの問題であるが。

例文

「明日来るっつてたけど予定変わって今日んなったって。」

  (明日来るという予定だったけど今日に変更になったんだってさ。)

「ほんとかや。なあんも準備しちゃいんにい。」

  (本当かよ。まだ何も準備してないよ。)

「ちゃっとやるでえの。」

  (すぐやるしかないね。)

「ひょんきんじゃん。勘弁してやあ。」

  (そんな無茶振りは勘弁して欲しいよ。)

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逃亡弁護士 第七話

 しり上がりに面白くなってきた。一応一話からずっと見てたけど前回辺りから観るようになってきた。

「フクナガ」って誰だ?引っ張るよなあ。またその引っ張り方が久方振りに感じるいけずなもどかしさで早よ次回が観たい。このおあずけ具合が堪らんってか。

当初は単なる逃げつつ正義を行う「逃亡者(重いハンデを背負った正義の味方)」というお話しだったけど、それぞれの思惑が窺い知れるようになってきてハラハラしてきた。

今までは単に警察から逃げるという鬼ごっこのハラハラ感だけだったのが、人間同士の綱引き具合にハラハラ感が加わってつい吸い込まれちゃいますな。誰が相対峙する人間で誰が理解者で誰が協力者なのかの二転三転参天Doう~加減も面白い。

検察官の真船(北村さん)の不気味加減がまたいいんだよな。これが実は一番の成田(上地さん)の理解者だったりなんかしたら気分いいんだけど。どうなんでしょうね。

くそ真面目な成田というキャラを上地さんが違和感なく演じてるというとこがやっぱ味噌なんだろうな。しかも馬鹿正直という付加もついて見えるし。

余程の事がない限り結末は見事復帰であろうからそこに至るまでの紆余曲折をどう愉しむかのお話しなんでしょうけど人間関係図については二転三転参天Doう~で皆目全容が見えてこない巧妙さが感じられる。

いやホント楽しくなってきた。

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ジョーカー 許されざる捜査官 その6

 闇で裁くにおいても道理が整わなければ裁かないという掟を示した回ということでせうか。新米たる久遠(錦戸さん)の暴走によってその信念が明かされた訳ですが。

プレッシャーががんこだろうな罪を断罪するというのは。ここまでくると最後は白日の下にさらされて捕まるなりして重き肩の荷がおりてほっとするみたいなエンディングを想像してしまいますわいな。

今回は家庭内暴力という細かいケアでしたけど。しかしまあ悪人でも明確な犯罪を犯さずなおかつそれと立証されなければ普段のあざとい生き様に対して闇にすら葬られずのうのうと社会に解き放たれているという事なんですから。万能の救世主とはいかないようではありますな。

へまして尻尾が見えたら捕まるんでしょうけどしくじることなく頭も尻尾も突出してなければええじゃないかという輩はくさるけにいるんでしょうね。モグラたたきは永遠に続きそうな気もしないではないところですな。

で、この回のもう一つの流れは井筒課長(鹿賀さん)は何者ぞ。というかこっちの方が本流になりつつあるような気がしてきた。確かにこれなら久遠以外の登場人物が全て関わってくるのだからモグラたたきの必殺仕掛けの消耗戦やってるより遥かに深みと明快な結末ががありそう。

ひとつの事件に対してそれぞれが皆見解というか立場が異なるというのがまた凄いな。つるんでる筈のマスター(大杉さん)と伊達(堺さん)ですら見解が異なるんですから。この事件の再燃が元でチームに破たんが起きるとかいうような展開だけは勘弁して欲しいところだけど混迷と疑心暗鬼は愉しみたいところですな。

またぞろ犯人は警察内部という好ましくもなんともないお決まり(食傷気味な最近の定番)のものでしょうけど。もしそうじゃなかったら記憶に残るドラマになるやもだけど・・・ないだろな。

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*方言・訛り・弁・ことば・語

某国営放送のドラマにおけるスタッフロールを見ると、方言指導・~ことば・誰某としてある。

つまり土佐弁を土佐ことば・薩摩弁を薩摩ことばと。

言葉ではなくことばとひら仮名表記してある。外国語だと英語仏語とかであるが国内においては遠州語とかいう表記ではないようである。

るーるはもちろん必要である。

辞書にある各言葉の説明は

方言「地域的に見た、それぞれの言語(体系)の違い・狭義では共通語と違うものを指す)」。

弁「地方名の後につけてその地方独特の言葉遣いであることを表す」

ことば「社会ごとに決まっている、音声による表現」。

つまりなにも間違った使い方をしてる訳ではもちろんない。

でもなんでしょ、実際のところで考えると遠州弁としか普段言わないし「ことば」だと浜松ことばとか磐田ことばといったように遠州弁の中の細分類された言い回しという意識に思えるだけにもし「遠州ことば」と表記されたら違和感を感じるな。

「弁」という言い方は100姓と同じで自分が言うには問題ないが他人が言うと差し障りがあるということなのか。あまりそんな意識はしないのであるが。

方言という枠なら三河と遠州はひとくくりになるような気がする。なにせよく似てるから。ただ同じ言葉でもニュアンスが違う時が多々ある。

弁というのなら今の遠江の国の枠がしっくりくる。言い回し的には共通性を感じるが知らない単語が横行していたりもする。

ことばというのなら市町村別の枠だと思える。

つまり、なにを言いたいのかというと、今後もあり得ないことであろうがもし遠州弁をドラマで使うことがあったら某国営放送は「遠州ことば」とテロップに表記するんだろうな。でもそれってすごい違和感を感じるよな。

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夏の恋は虹色に輝く その5

 評価される演技とそうでもない演技の違いというのがもっと明確に提示してくれれば観てる方もそうじゃないだろうと応援するにしても歯がゆい気分になって恋とは別のところでやきもき出来るのだろうけど、そういうとこは極力はしょられていてやきもき出来ない。松本さんの腕ならそういう演じ分けが出来そうな気がするんだけどねんで提示されないんでしょうね。

とりあえずは理屈から入る演技と感情から入るお芝居は後者の勝ちって線がうっすら漂っていましたですが。桜(桐谷さん)に頼み込んで演技つけてもらった際の桜ホントはドキッとしたというお芝居はそういうことを意識してた風には映らなかったんですけど。観る者を惹きつけるお芝居ってなんなんでしょうね。「お前らしい俳優になれ」という神のお告げがあったけど。

その人らしい俳優ってことは公と私がリンクしてるってことなのか?んなわきゃないよなあ。なにをやってもその人にしか見えないというのは確かにスターの条件だろうけど少なくとも大雅(松本さん)の目指してるのはオールラウンドプレイヤーというか与えられたものが未経験であれなんであれ己を離して演じ切るというスターの条件とは違うところに目標を置いてる風にも映るんだけど。あの神のお告げとは今後どうリンクしていくんでしょうかねえ。

ここまで来たら役者として成功するところまで観てみたいところです。

恋のお話しはじれったいモードに入りつつあるようで着実に進展してるようでありますが役者の食い扶持の方は着実に停滞してるようでもうそろそろ進展してもらいたいものです。なんでもやりますとあいさつ回りしてたくらいだから転進とかするのかな。まあ諸々プライドが高そうだから役者稼業は死守するんでしょうけど。

お母さんの真知子さん(松坂さん)が現場復帰とかするのかな。そうしたらまたちょっと空気が変わりそうで面白そうだけど。詩織(竹内さん)がお呼ばれされた時に事務所の社長さん(松重さん)とかも呼んだってことでそういう発表というか決意をあの場でするんかいなと一瞬思ってしまいました。まあ妄想で終わりましたけど。

最後は大雅が苦心の末にドラマでの役をもらって、その役どころをきちんとこなしつつ詩織への決め台詞的な告白をも乗っけて重ね合わせて演じ切る。それが見事な演技と評価されるとかいう大団円ってな風になるのかな。勝手な憶測ですけど。

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*さっしゃりい

「さっしゃる」で辞書を引くと、「なさる・される」の俗語的表現。・「させられる」の老人語。となっている。

でも使い方としては遠州弁的には「さっしゃりい」だと「~さしあげなさい」という意味合いで使われてる気がする。辞書とは異なるということは地域性があるのかな。

丁寧な言い回しではあろうが雅語なんぞではなく俗語だそうな。遠州弁でもなんでもないところであるがこういう使い手が遠州にもいるからという事で記載。でもまあほとんど耳にすることはないけど。

むしろ「りい」・「りいな」という言い方が方言チックであろう。三河に行くとこれが「りん」になるのかな。

「時間きたら起こしてさっしゃりいな。」

  (時間が来たら起こしてさしあげなさいよ。)

「時間きたら起こいたりいな。」

  (時間が来たら起こしてあげなよ。)

「時間きたら起こしたりん。」みたいな?

といった感じで「さっしゃりい」を使うと丁寧な感じになるという仕組み。

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GM 踊れドクター その5

 面白いのか詰まんないのかよく分からぬドラマやし。

ひねくれたものの見方だけど、有能な奴が挫折してるからその再生が画になる訳で。これが凡庸が取り柄という一般ピーポが頓挫してという構図だったら決してドラマにはならないだろうなきっと。ある意味眠れる獅子の咆哮が楽しみという部分もあるけれどなかなか目覚めないな。

ドラマにはならずとも観てる一般人がこのドラマの登場人物の葛藤からなにか教訓めいたものとか勇気を貰えるというのなら応援送りたくもなるけどそういうとこまで再生されている風にも映らない消化不良気味なものを感じる次第。

じゃあ逆に面白いのかもと思える部分はというと、それぞれのキャラがきちんと立ってるところかな。出遭ってどれくらい時間が経っているのかいまいち分からんけど決してまだ長くはないだろうから短期間でこの遠慮会釈のない和気藹々の空気感が醸し出されるのは魅力である。桃子(田部さん)の一番下っ端なのに一番態度がでかいというのも嫌味がなく楽しく観れるし今回の町谷(小池さん)も見応えあったな。傑作だったのは氷室(椎名さん)の合コンの繰り返し押しネタだったなあ。こんな時にいうセリフかというタイミングがホント笑えた。

つまり役者さんを愛でるには愉しいが物語の筋道が詰まんない。最後の憂さ晴らしというかそれぞれの報復手段が椅子蹴り倒す・ご注意情報をさりげなく2連発とヲタクのお仕置きの儀式というのは大の大人のする事じゃないだろうと。盛り上げ方はきちんとしてるのに起承転結の結の部分が「結」ではなく「欠」じゃないかと思えるくらい溜飲が下がらない。

それは前回の土下座の効果というのもそうだったけど、今回のも誤診のトラウマからこの一件で抜け出せたのかはっきりしない。まあ現実はそんなものであることは実感してるからこの再起の部分の関してはそれだけリアルなのさと言えなくもないとこだが、デビューを目指す医者というぶっ飛んだシチュエーションの中でなんでそんなとこだけリアリティを追求するんだろうという疑問。かくも地道にではなくもっとどかんと豹変してくれた方が面白い気がするのは私だけか。

今回はタイムレースという要素もあったけど何を待っていたのか分からなくて心の整理でもしてるのかと思っちゃいましたよ。最後はこれに賭けるという「これ」を先に提示しておいてぎりぎりで「出た!」と一喜する方がよかったな。後で種明かし的に説明するより。

命の重さを有するおちゃらけ出来ない医療の世界とキャラクター達の放つコメディーの要素との融和の塩梅が難しいんでしょうねきっと。

いっそのことこの回は治療オンリーこの回は野望オンリーと分割して仕事の時は仕事としてきっちりやるし夢は夢で真剣でありながら面白おかしくという事に集中して描いた方がいいような気がしてきた。掛け持ちというか二足のわらじの美学を謳うというのであればこの限りではないところでしょうが。

まあこの回の感想は最後までひねくれた感想でありました。

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もやしもん その1

「もやしもん」。期待度高かったのにしぞーか県では放送されない。三代目明智小五郎に続いてこれも観れないのかという土地柄の悲哀を味わっていたんだけど。

それがBSフジで放送されたのでまずはめでたし。素直に嬉しいなと。

で、期待の第1話。掴みはOKって感じで明るいキャンパスライフが繰り広げられそうな予感。多少吸い込んだりしないのかという悪寒を感じなくはないけどそこはうまく処理してくれるんだろうなというのは期待。

この特異な能力をもって何を成し遂げるんだろう(つまりどういう得があるのか)というのが推測できなかったけれど、有用であってもしょーもないものであっても楽しければいいやというファンタジーを感じますな。

時としてファンタジーとファジーの境界線がなくてついてけないというかツッコミどころばかりでしらけるというのに出くわしたりするのだが、これはそういうことなさそうだ。

どうみても地球を救うみたいな愛と感動の大事業をなすヒーローということじゃなさそうでごくごく普通の一般ピーポ達が普段の営みの中での小さな漣(さざなみ)ににやりとする勢いみたいな気がする。というか小市民物語であって欲しいな。

原作は読んでないんで勝手な事書いてますけどまあそんな感じで掴みはOKですわ。

オープニングを見る限りじゃまだ登場人物半分くらいしか紹介されてないみたいだからまだ暫くは出会い系展開が続くのかな。濃いキャラばかりな感じがするけどバランスというのも欲すとこなのでいい塩梅の研究室のメンバーであって欲しいな。

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*せす

「なにせすだあ」だと「なにをするんだ」と訳せる。

「どうせすよを」だと「どうするつもり?」と訳せる。

つまる「せす」は「する」という事になる訳であるが。「せる」という言い方も存在している訳で共通語の「する」だと「せる」の方が近い。

A・「せ」が使役の助動詞「す」の未然形であり

「す」も使役の意を表す助動詞であるとするならば使役の連呼ということになる。

別の妄想として

B・「せ」が尊敬の意を表す助動詞未然形であり

「す」が「為」(他動詞)ある動作を行う・するという意味使いであるのなら本来の訳は「なされる」・「しなさる」という訳の方が適切に思えてくる。

実際使ってる感覚からするとBの尊敬の要素というのはまずない。むしろ上から目線である。Aの使役の連呼というのも「なにすんだ?」で「させる」という事ではない。

「あいつにやらせす」(あいつにやらせる)というのであればAで異論はないところだが

「なにせすだあ」にはあてはまらない。

尊敬の「せ」は「いらっしゃいませ」くらいしか思いつかないや。

つまり「なにせすだあ」の「せす」はAもBも当てはまらないもではないか。

「す」は使役というよりもおそらく動作を行うという意に「為」であろうからして、問題は「せ」なのだが使役でも尊敬でもない。今のところ言えることは「分からん」。

ただニュアンスとしては単純に「する」ということではなく「しでかす」みたいな勢いが「せす」には感じられることだけは確かな印象である。

「し」とせ」

「なにをするんだ」を遠州弁に変換すると「なにせすだあ」・「なにせるだあ」になる。女性言葉なら「だあ」を「よを」に変えればよい。

「しない」を遠州弁に変換すると「しん」と「せん」・「せない」。「しよう」を変換すると「しまい」と「せまい」・「せるか」。

このように「し」と「せ」が混合で共存する地域ともいえる。「へ」も使うなあそういえば。なんでもありということか。

「す」については「し」と「せ」いづれにも変わるのだが「する」という表現の場合には「せす・せる」はあるが「しす・しる」は聞いたことがない。

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