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ブラッディ・マンデイⅡ その1

 正式な番組名がよく分からなく前シリーズと混同するのもあれなので勝手にⅡ表示として話しを進めてきます。

とにかく劇的でしたな。相変わらず誰もが胡散臭くて。いくらなんでも前回からの登場人物は味方だろうという面持ちで観れるんで以前よりかは多少落ち着いて観れるようにはなっているんでいいんですけどね。

相手が全然見えていないんでまた当分防御に徹する展開になるんでしょうねきっと。以前はファルコンの力を吸収せんとしてファルコン本人に危害が及ぶとかいう心配はなかったようなんですが、今回の敵はどうなんでしょうね。邪魔なのかやはり取り込みたいのか。

謎も沢山提示されていて相も変わらず気になることが山盛りですな。

近しい人物が死んでいく様はひたすら切ない限りであります。なにも殺さなくても脅し(威嚇)だけじゃ駄目だったのかなと甘ちゃんとしては思ってしまいました。今度の敵は猶予とか威嚇・脅迫はなしで即実行という手口をモットーとしてるのでしょうか。偽折原マヤがてっぱうを即バカスカやたらと撃ちまくってたように。でもじゃあなんで総理に最後ひとこと告げたんでしょうかねえ。モットー通りに黙って粛々とやればいいのにとつい思ってしまいました。

ファルコンの上を行く相手「ホーネット」の存在に興味が湧くところでありましてどういう人なんでしょうね。ヲタク風なのかエリート風なのかとてもそうには見えない風なのか。男なのか女なのかというのもありますな。この対決が今後見せ場のひとつとして繰り広げられていくんでしょうか。

でもファルコンが操作してたパソコンホーネットに乗っ取られて監禁のライブ映像流され続けてたのを解除して再び操作出来る様にしたのは誰なんでしょうか。あの時点ではまだ南海かおる(芦名さん)は到着していないから解除できなかったであろう筈だったし。ファルコンがどのキー押しても如何ともし難かったものをどうやって誰がという疑問が生じました。澤北美姫(阿南さん)が萩原太朗(高嶋さん)の命(ひと芝居)によりやったという事なんでしょうけどそんな事簡単に出来るならもっと早くになにはともあれ回線をまず遮断してファルコンが躊躇してる事への説得を強化した方がよいのではという気がしないでもなかったです。

とにかく謎だらけなんでホント頓珍漢な事ばかり考えながら観ていたのですが、なんにせよ見応え十分にありましたです。パワーが落ちていないというかなんというか。愉しめそうです。

以下はどうでもいいような感想です。

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*てにをは抜き 上等

あくまで個人的意見です。多少何言ってるんだという内容でありますが。

「ら」抜き上等。と別の記事で書いたが「てにをは」抜きが顕著なのも遠州弁の特徴ではないか。まあ厳密には抜き(はしょり)ではなくて変形なんですけどね。

そうしておいて→そうしといて

買いに行く→かいいく・かいいいく

道を聞く→道聞く

絵を描かせたら凄く上手い→ええかかしゃ馬鹿じょうずい

今日は晴れたので→今日晴れたで

そういう事は先に言え→そんだだこたあ先んゆえ

もちろんゼロには出来ないが削れるものは削る。

ではどうやってバランスを保っていくかというと。

それは語尾を伸ばすことによって成り立たせている。

「買いに行く」を「買いい行く」・「絵を描く」を「ええかく」とするのがその例。「道を聞く」を「道い聞く」という言い方もする。

伸ばすだけでなく

「面白味がない」を「面白味んない」としたりもする。もちろん「面白味いない」という言い方もアリ。「人に聞く」を「人ん聞く」・「人聞きが悪い」を「人聞きん悪い」というのもあるか。「気が触れる・気が狂う」を「気い触れる・気い狂う」とかもそうかな。

「そうだと言ってた」を「そうだっつってた」みたいな「っ」になるのも同じ屁理屈からくるものであろうか。まあこれは「~と言う」が「~つう」になるので理屈が違うか。

いずれにしても抜くのは「ら」だけじゃないというのは間違いないだろうというのが遠州弁。

例文

共通語「私も行ってみたいと思っているのですが、機会がありませんでした。今年はぜひ時間を作って出かけていこうと思っています。」

「それはぜひそうなされた方がいいと思いますよ。実物を見るのはまた格別なものですからね。」

遠州弁「わしも行きたいやあたあ思ってるだけえがなんしょ機会んなくてやあ。だもんで今年ゃなんしょ時間作らかいて出かけすつもりなんだわあ。」

「そりゃ絶対そうした方いいって。ほんもん見るなあやっぱ格別なもんだでねえ。」

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不毛地帯 その12

 どうみても後手後手に回って交渉相手にいい様に振り回されてる感じの展開でありましたが、この状況から壹岐(唐沢さん)が事態を好転に向かわせたらこりゃすげえという話しではありますな。

それとも退きの殿軍となって被害を最小限に抑える戦をするという展開なのか。

そう思えるくらいこりゃご破算だなって思って観てました。

日本に帰国してから壹岐がとった行動で新聞記者の田原(阿部さん)と逢ったのは驚きましたが、果たしてどういう策を練っているんでしょうか。

ここにきて又鮫島(遠藤さん)が一枚噛んでいたということなのですが、今回に限っては鮫島の策略というよりもフォーク社のより一枚上の思惑という感じがして鮫島もフォーク社にいいように操られているようにさえ思えました。

こんな海千山千な相手と互角に渡りあおうなんて真に以て一筋縄ではいかないものよとつくづく思えてきました。

連戦連勝の商社マンなのかアイタタな部分も提示されるのか。早く続きを観たい。

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*あんま

「あんまり」と言っている。特に地方性が強い訳ではないよくある言い回しであろうが、世代を問わずよく使われるので記載。男女共用。

例文

「おめえあんだけぎゃあつく課長にゆわれても屁とも思わんだなあ。感心するわあ。」

  (君はあれだけこっぴどく課長に叱咤されても屁とも思わないんだなあ。感心しちゃうよ。)

「まあね、いちいちゆうこと真に受けてたら体持ちもしん。だで他の事考えてあんま聞いてんようにしてるだよ。昼何喰わすかなあとか。」

  (まあね、いちいち言われた事真に受けてたら体が持たないだろ?だから別の事頭に浮かべて殆ど聞かないようにしてるのさ。例えば昼飯何にしようかなあとか。)

「でも、てめえの代わりなんていくらでもいるだでなあ、みたいな事ゆわれてたじゃん。」

  (でもお前の代わりなんて幾らでもいるんだぞ!みたいな事言われてたじゃない。)

「課長もねっつったら黙った。」

  (課長もねって言ったら黙った。)

「そうゆうとかあ返すだなあ。」

  (そういうところは返すんだね。)

「ツボは押さえんとな。」

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とめはね!鈴里高校書道部 その3

 第3話にして原作とは似て非ざるものになりつつあるかのように見受けられました。

加茂ちゃん(赤井さん)と三輪ちゃん(浅野さん)の存在が部員数を5人にする為の員数合わせかのような扱いに映りました。つまりほとんどらしさが描かれていない。特にひろみちゃんへの絶対的な信頼が。

入浴シーンもなければ愛犬も登場しない。まあ犬に演技を求めるには時間も労力も工夫も相当なものになるのでしょうし、入浴シーンは必要か?と問われればあれですけど。あそこでそれぞれの性根がさりげなく表わされたりしていたし合宿に参加する前の筆を買う豆知識コーナーもはしょられてたし線香花火への願掛けとかいうそういった諸々が合わさった高校生活のひと夏の想い出という側面も削られていて情緒に欠ける勢いでありました。

この回のメインイベントであろう順位を競うくだりにしても勝った負けたな順位に焦点がいってしまい原作で描かれていた成長の証を実感するという側面が薄れているように感じられました。

原作読む限りでは書道に勝ち負けなぞないというのが清風先生の教えと推察するに、ドラマでは「書道甲子園」への推薦をする条件として順位の優劣を提示するというのはちと得心いかぬ次第にてござ候。

まあそんなこんなでこれはもう別物として見た方がストレス溜まらずに済みそうですな。

でも今のところは原作の方が間違いなく面白い。

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曲げられない女 その2

 第二話になって面白くなってきた。というか馴れてきつつあるというか染まりつつあるというか。とにかくなんか観甲斐がありそうです。

菅野さんのキャラ作りはどの作品に於いても徹底しているので最初見た時にはあっけにとられる感じでとっつきにくさを覚えたりとかするのですが。これが解かり始めるとはまるんですな。細かいところ(お約束)まで作りこまれていて。今回はチーズとかごみ箱とかマイケル フ~♪とか。実は熱い人間だというところも垣間見えて。愛すべきキャラだと今回判りました。とっつきにくさは全て我慢の上で成り立っているように映りました。だから普段溜め込んだ分ボカンと爆ぜたりするんでしょうねきっと。

初回での瑠子(永作さん)のあまりにも唐突で久し振りな出会いな筈にしてはえらく片想いの馴れなれしさにざらつきを感じたのですが。今回でその今置かれている家庭環境と共に「あんたも必要ないんだ私なんか・・・」というセリフでその押しかけ友人という理由の底が分かりました。何不自由の無いように見えて実はどこにも居場所が無いというのは自由じゃない訳で私では勤まりませんなきっと。お察し申し上げますってな感じですよ。

これで後は谷原さんの藍田というキャラの早紀に興味を示す理由が明確になればもっといいのになと思ったりなんかして。全てが明白じゃつまんねえ。謎だからいいんだという視聴者もおられるやもしれないんであれなんですけど。私的には今後繰り広がれる騒動にどう「曲げない」で決着をつけていくのかという事に集中して眺めたい感じなので早めにもう少し明らかにして欲しいところです。

目的が達成できていない女とどこにも居場所のない女と今のところ謎だらけの男と現実の狭間で揺れる男。見事に噛み合わない人々がなにするんだろうという興味よりもハンデだらけの中で最善を尽くす美学が謳われた方に興味がいくんですけどね。今回は空腹に耐えながら失職をも省みずなあなあの大人の道理に抗う萩原早紀で観ていてスカッとした部分が愉しかったです。

今回は何度か早紀は啖呵(というか爆発か)をきっていたんですが、どれも皆良かったですなあ。

しかしまあどアップが多いよなあと感じる画柄ですが「弁護士になってから言えっ!」とドア越しに捨て台詞吐かれた時の表情は特にいい顔してたなあ。それに第一話と較べて大分表情が豊かになったように見えたので観やすかったですわ。

それとどうでもいい事なんですが、警察官なのにビール呑んだ後にトライアンフ乗りくり回すのかよオイオイと思ったのですが見直したらノンアルコールのビール呑んでたんですね。ちょっと判りづらかったです。私が茫洋として観てたせいでしょうけど。「いいんですかビールなんか呑んで」とかで「大丈夫これノンアルコールだから」とかいう会話で説明するみたいなパターンに馴れ過ぎてしまってるっていうのもあったんでしょうね。

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*さげる

提灯を提げるという使い方の「さげる」。

辞書によれば「上部でささえてたらす」と書かれてある。モロ共通語で方言という部類ではなかろうて。

でもまあ「凧」で毎年提灯触ってる種族なんで全国的には死語化しつつあるところを遠州特に浜松では現役として残っているということであろうということで記載。

ただ最近は「提灯提げてんと駄目じゃん」と言わず「提灯持ってないと駄目じゃん」という人が多くなってはいるので遠州でも死語化しつつあるのかもしれない。

使いどころとしては、提灯・カバン(手提げカバン)などであろうか。

尚、「さげる」を「持ち上げる」という意味として使うと述べられている遠州弁紹介HP等もあるが、多少意味が異なる「お膳を下げる」とか「舞台から下げる」とかいった「どかす」・「はかす」と言う意味で使う「さげる」(持ち上げて移動させる)ということなら私でも理解出来るけれど

「これさげるの手伝ってやあ」

  (これ持ち上げるのを手伝って)

とかいう使い方は私にはちょっと判らない。

  (これどかすんで持つの手伝って)

とかなら判るんですけどね。実際は色んなとこで「さげる」=「持ち上げる」という訳で紹介されてるんで私が無知だということなんでしょうけど。少なくとも「提げる」という使い方での「持ち上げる」の意は「上部で支えて垂らす」物に限って使われるものであるので別物の「さげる」なんでしょうねきっと。

例文

「やあ、そこの若い衆らやあ。練りん出るなら提灯提げろやあ。」

「なしでもいいじゃん別にい。」

「はあ暗いだで車なんかに轢かれちゃ困るだで。」

実際問題法被は黒や紺系が多いので夜間無灯火はドライバーからしてみれば視認しずらいことこの上ない。練りは夜開くものであり道を使って行われるものである以上提灯なしでうろつかれるのは怖い限りである。提灯は個人所有というより組で支給される事が多いので終了後提灯を返納してから各自が帰路につく際での無灯火黒装束はもっと怖いものであるが。

配られるゼッケンとかを光りを(ライトを)反射するような素材かなんかにしてくれればいいのにと思わないでもない。

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我も我もと

俺が 自分が 私が あたしが あたいが あちきが 

オイラが オラが 僕が わしが 我が 

それがしが 拙者が ここもとが やつがれが ミーが 

ワタスが ワスが おれっちが わたいが わらわが 

朕が 余が 身共が うちが おいどんが 

ワイが わっちが わたくしめが ワが うらが 

当方が 若輩者ながらが 本官が 小生が 手前が 

愚僧が 麻呂が 俺様が 吾輩が 素人ですがが 

僕ちゃんが あっちが おいが こちとらが わたくしが

筆者が 拙僧が あたくしが 己が 畏れながらが

みたくしが 本職が 初心者ですがが 僭越ながらが 悪声ながらもが

卒爾ながらが こっちが 私ごときが あっしが 不肖ながらが

至らぬ者ですがが 不束者ですがが 未熟者ですがが わてが 吾人が

畏れながらが わちきが あが あれが

よってたかって我も我もと我を通す。

とかくこの世は棲みにくい。

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*くちんべた

「口下手」と言ってる訳ではない。そういう使い方ももちろんあるが、それとは別のお話し。

「口の周り」又は「唇」と言っている。「口下手」というのとはイントネーションが多少違うので聞き間違いすることはない。「ほっぺた」・「尻っぺた」に近い言い回しであろうが「ほっべた」とか「ほんべた」という言い方はしないので似てはいても違うものなのかもしれない。

他にも「くちぺた・くちっぺた・くちべた」とかいう言い方もある。まあ広い地域で使われてる表現であろうが遠州でも使うよということで。基本幼児向け言葉であろうが男女共用。

「あんたくちんべたんとこなんかついてるにい。おべんとつけてどこ行くよを。」

地域性があるのかどうかは知らないがここいら辺ではご飯粒とかを口の周りにつけたままの状態を「お弁当つけて(持って)どこ行くの?」と言って注意したりする。

「べた」とか「ぺた」は土手べり・川べりとかいう縁(ふち)とほぼ同じような使い方をしたりもする。この説明若干「縁」と「周り」は違うぞというのが難ではあるが。それに

「なによをあんた足ぺた泥まるけじゃんかあ。もうそんなで家あがっちゃかんでねえ。」

  (ちょっとを、足の裏が泥だらけじゃないの。そのままで家に上がったら駄目だからね。)

みたいに部位によっては「周り」を指さない場合もあるので「周り」という訳はあまり正確ではないのかもしれない。

辞書にて「べた」を調べると、該当するのは「一面に広がっていること」というところが近い意味であろうか。でもそれって「地べた」とか「べた足」であって「足べた」・「足ぺた」という意味じゃないよな。

まあとにかく辞書に載ってないんだから方言なんだろうという強引な理由で遠州弁として記載とした。

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*しらんよを

二通りの意味を成す。イントネーションの違いによって使い分けるという遠州弁の聞き取りでは高度な部類に入るものである。ま、実際耳で聞けば明らかに違うのでそんな大層なものではないが。

意味としてはどちらも「知らないね」とか言っているのだがその裏に含む意味合いが異なる。男女共用。

*「しらん」の「し」と「よを」を強く言う場合の「しらんよを」。

言い方(発音)として共通語で近いのは「しらんわ」であろうか。とにかく「知らない」と言い張っている(言い切ってる)ということになる。なんで私が知っていなくちゃいけないのという憤慨が籠もる事が多々ある。身に覚えがないという意味でも使われるので「俺じゃない」という訳になることもある。

近い言い回しでは「しらんにい」というのがあるがこちらの方がきつめ(突き放し)な言い回しになる。

*「よを」のみを強く言う場合の「しらんよを」。

言い方(発音)として共通語で近いのは「しらんなあ」であろうか。「しらないからね」というニュアンスで、私に振るなよとかいった迷惑な空気感が醸し出される事がある。聞いてどうするといったくだらん(愚問)という意味でも使われるので「あほくさい」という訳にした方が判り易い場合もある。

近い言い回しでは「あんたねえ」というのがあるがこちらの方が呆れ具合が増した言い回しになる。

例文(ふたつの「しらんよを」さあどっちだ)

「誰よ。ここんさあワックスかけてかわかいてただにその上踏んづけてったのわあ。跡んついちゃってるじゃん。あんたけえ。」

「しらんよを。今帰ってきたばっかだに。」

「ほんじゃなによを泥棒でも入っただかいやあ。貧乏人狙って何愉しいだかいねえ。」

「しらんよを。なんか盗られたもんとかあるだ?」

「見た感じないみたいだけど。じゃあ誰の仕業だかいねえ。」

「どうせ自分ボケこいただら。ドア近くからかけ始めて部屋出る時拭いた上歩いて出たの気づかなんだとか。」

「ああそうかあ。」

「おい勘弁してよをホントにけえ。」

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コード・ブルーⅡ その2

 白石(新垣さん)の自問から入るという形は新鮮でありました。しかもその問いはとても深いお題。果たして此の回で答え(自答)が出るのだろうかという感じで観てました。

白石のお題は「本当の自分」。

手術の同意の説明と今置かれている立場というものを知った上で緋山(戸田さん)に治療を勧める行動。

それらが医者らしくなってきたという反面人としての温もりが薄れたのではという葛藤。

医者らしいという事と人としてという事はイコールではないのか。流石にそういう話しは医者でもない視聴者には推し量れない答えでありますが。

私の頓珍漢な思いですけど、武士は武士らしく・男は男らしくみたいな意味であった上で医者は医者らしくという命題ならいかなる職種であろうとも滅私に徹して営業マンなり職人なりにとかに近づけるように自分を改造していかなければならない筈で「本当の自分」は放棄すべき話しのような気がしないでもないところでありますな。上手く共存存続出来るのが一番なんでしょうけど世の中そんなに甘くはないでしょうしね。どうしても「馴れろ」でしょうやっぱ。仕事する上において「本当の自分」ってのは必要なんでしょうかねえ。まあ私らみたいにプライベートと仕事を使い分けてる人間はそう思うけどお医者さんは24時間闘えますかという職業だからそれの折半が必要なんだということでありましょうか。

そんな大仰な事でなしに別の考え方をすれば、何かを為すに於いて「本当の自分」で事に当たる人なんてこの世に居るのかなと思わないでもないとこですな。それにもっと単純に家の内と外で意識を切り替えてるのが普通で、じゃあどっちが「本当の自分」なんだと思ってみたところでどっちも紛れもない「本当の自分」じゃないのかと。「本当の自分」というものが一個しかないと決め付けるのは正しいことじゃないのかも。なんてな。

いづれにせよ突き詰める事自体徒労に終わりそうな正解のない命題ですがそういう想いに至らないと壁が越えられないということなのでしょうか。

で、白石のナレーションの締めくくりは「一歩前に踏み出したい駄目な自分と一緒に」。

葛藤を繰り返しながら踏み出す勇気をということでありました。その勇気の維持する為の活力をどこから補給していくのかは述べられておられませんで。それはこれから描かれていくのでしょうか。

 で、目先が変わって藤川(浅利さん)のお題は「なんで俺はお前じゃないんだろう」。

自分じゃなく藍沢が現場に行っていたら患者さんを救えたかもしれない。橘先生(椎名さん)は己を知っている事を褒めてたけど逆に自分をよく知っているからこそ思い至る考え方。単に隣の芝生はとかいうものではなく自身の至らなさに虚しくなる感情。

こっちはお医者さんじゃなくても感じ入る感覚でありますな。

それを乗り越える術は、仕事は楽ありゃ苦もあるさってなもんで、綺麗事じゃないことに眼を背けないという意識こそが藍沢(山下さん)の言う「忘れない」という事なんでしょうか。ゴルゴ十三じゃないけれど臆病者こそが生き残れるということしかないんでしょうねきっと。達成感や充実感とかではなく締め切りや納期・失敗の恐怖こそが糧(最善の努力の源)となるということか。やっぱ仕事というものはしんどいものですな。

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*ばあばあ

「BAABAA」。床屋さんだとかおばあちゃんだとか言ってる訳ではない。対象物を強弱で表わした場合に強い状態であることを指す時の言葉。とはいっても風とかの自然に対してに限定して使うのが普通であろうが。したがって風の場合だと「強くピューピュー」とでも訳せばいいのだろうか。程度としては煽られる位か。

主な使い方を考えると素直に「風が強く吹いている様」と説明してもいいのだろうけど人によっては風に限らず使用することもあるので少しぼかした。例えば水道管が破裂とかして「水がばあばあに吹き上がってる」とかみたいな。

ところでだが、「ばあばあ」という言い方が遠州弁独特かは定かではないがとにかく遠州では使ってる。誰か他所で使って通じるかどうか試して貰いたいものだ。男女共用の表現。

似たような意味使いで「だあだあ」と「だかだか」などがあるが、「だあだあ」は「際限なく」とか「きりがない」といった「処置なし」といった印象の際に使われる。それと対象物は「ばあばあ」と違って大概なものに使われる。

「だかだか」は「どかどか」と訳せ量の多さを表す場合に使われる。「どんどん」・「次々に」・「矢継ぎ早に」などという意味合いで使われることもある。「今日はだかだか人がやってくる」とか。

「風が強く吹いてる」という場合

「風んばあばあ」と言うのが普通で、強く吹いているという意図では「風んだあだあ」とはほとんど言わない。

これは「ばあばあ」が強弱を表わす表現に対し「だあだあ」は質や量とかを表わす表現であるからであろうか。

同じように「風んだかだか」の場合でも訳せば「「風がどんどん」であり「風んだかだか入ってくる」とかで使うがこれも「だあだあ」と同様に「強く吹いてる」という意味合いではない。

では次にこれを「風」でなく「雪」とした場合

「雪んばあばあ」と言えば風の吹きすさぶ中で舞う雪を指す。共通語にしたら「横殴りの雪」とかであろうか。つまりこの場合「ばあばあ」は雪に掛かっているのではなく雪景色における風の勢いに掛かっているということである。

「雪んだあだあ」となれば雪が降り続くとか大雪が降っている(積もっている)状態を指す。共通語にしたら「降り止まぬ雪」とかであろうか。

「雪んだかだか」だと降る雪の量が半端ないとか絶え間なく雪が舞っているとかを指す。共通語だったら「どか雪」とかであろうか。

「風でスカートばあばあめくれて」だとその訳は「風が強いせいでスカートが大層派手にめくれ上がりまくって」とかになる。(もちろん捲れる様を言っているので「ひらひら」とか「ふわふわ」とかいう形の訳にした方が適切なのであるがそんな生易しい状態じゃない様を指すので共通語ではそれに適した表現が見つからない。強いてあげればブワッブワッととかガバッガバッと?)

「ばあ」ではなく「ばあばあ」と言うことでより強調するという効能の他に継続性や連続性とかも表現できることになる。

例文

「やあ往生こいたわあ。」

  (ああえらい目に遭った。)

「なによをどうしたでえ。」

  (え?どうかしたの?)

「さっきあそこんさあでひっころんでやあ。大金入れたトランクひっころんだ時に開いちゃって札束ばあばあ舞ってまっつぁおさあれ。」

  (さっきあそこで転んでしまってね。転んだ拍子に大金入っていたトランクが開いてしまって、中の札束がそこかしこに舞い散らばってしまって真っ青になっちゃったよ。)

「ゆってくれりゃあ拾いいっただに。最近小遣い少ないでやあ。」

  (言ってくれれば拾いに行ったのにい。最近小遣い少ないからな。)

「馬鹿野郎じゃん。」

  (悪い冗談だぞ。)

「で、どうしたよを。」

「そりゃあ必死こいて拾い廻ったさあ。」

「全部拾えただか?」

「なんとかな。でもそん時の周りの衆らの動きなんかそりゃどばやかったにい。」

  (なんとかね。でもその時の周りの連中の素早さといったらなかったよ。)

「そりゃあのっ。当然だらあここぞという時だでやあ。」

  (それは一攫千金のチャンスだもの当然でしょう。)

「特にシゲさなんかあんなはしはしいごけるなら普段からせよっちゅうくらいいごいてたやあ。がめった金取り戻すにゃあ往生こいたけど。」

  (特にシゲさんなんかあんなに俊敏に動けられるのなら普段からそれくらい動けよって言いたくなるくらい機敏だったよ。ポケットに入れようとしてた金回収するのに随分世話焼けたけど。)

「ほれみいわしだけじゃありもしん。」

  (ほらあ俺だけじゃないだろ。)

「外でこけてたら洒落んならんかったなこりゃ。」

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サザエさん

 日曜日。此処最近の中に於いては多少弛んだとはいえやはり寒い日である。なのでどこにも出掛ける気力是無くなんとはなしにほげ~と半日テレビをBGMに本を読んで居りました。

そして気づいたらサザエさんをやっていた。長寿番組に食指が動かぬ天邪鬼としては普段なら笑点ともどもスルーの対象でチャンネルチェンジするところなのだがそういう気力も今日は失せているのか漠然と放置したまま本を読み続けてしまった。

あと少しで番組も終わろうかという頃合に読みきってしまったので筆休めならぬ眼休めで画面に目をやった。そしたら磯野家のお茶の間のテレビがアナログテレビだということに目がいった。東芝がスポンサーなのにまだ地デジにしなくていいんだろうかとふと気になったけど廊下に置かれている電話もダイアル式だったんで嗚呼そうか昔の日本の風景を描いてるアニメだったんだこれはという事を改めて知った。もっとも自分が子供の頃はリアルな家庭環境で自分達と同時代という印象だったけど今は此処だけ時間が止まって古きよき時代という事になったのかな。

そういやあホント長いよな。声優さんとかもそれなりに代替わりして紡いでいるのだろうけど表に出ない苦労とか一杯あるんだろうなきっと。

こないだ実写版で観月ありささんがサザエさん役やっておられてがんこはまり役だよなあと思ったりもした訳ですが、観月さんだったらサザエさんの声優されても絶対違和感ないだろうなあと思えたりして。まだお若いから数十年後に声優さんの代替わりの必要性が出たとしても観月さんがおられるから安泰なんだろうなとふと思ってしまいました。

話しは脱線しますが観月さんといえば、今流れてる日本和装のコマーシャルがなんかいいなあ。HPで30秒バージョンも見たけど断然15秒の方がいいな。というのは「今?」と繰り返してる時の表情と座っている後姿が15秒の方が映えてる風に思えるんで。お顔立ちとか凄く華やかな感じなのに何故かささやかな幸せが凄く似合うという舞い降りたみたいな感じがいいんでしょうか。

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神戸新聞の7日間

 「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間・命と向き合った被災記者たちの闘い」という長いタイトル。自分も頑張ろうと素直に思えるドラマでありました。見応えありましたとても良かったです。

 命を賭してという表現はなにも身(肉体)の限界や危険という事だけではなく、それに挑もうとする者に覆い被さってくる心の葛藤との対峙とかいうものにも当てはまる言い方なんだろうなと思えてくるドラマでありました。勿論記者の人達が安全な処から取材をしているということではなく自らも被災者という立場であり。それこそ身も心もという状況であられたという両方兼ね備えていた事ではありますが。

 それと登場人物の皆さんのような取る物も取り敢えず駆けつける家庭(個人の事情)よりも優先出来る「仕事」というもの。それが自分に今果たしてあるのかと自問自答するとちょっとアイタタな感情になりまして仕事人として羨ましいなという印象も持ちました。助け合いが大事というところもアイタタで耳が痛かったです。反省という言葉が頻繁に浮かびました。

まずもって未曾有の大災害での出来事が描かれている訳でありますので観る方もおちゃらけであってはならず真摯でなければならないのですが、本当に自分もその場に放り出されたような臨場感がありまして余計な事考える暇なく引き込まれました。

そして、事実に裏打ちされた物語なだけにまさに事実は小説よりも奇なり。且つ又事実は小説より義なりや。それぞれの人達がそれぞれの場所で出来うることを最善を尽くして行う様はやはり感動します。作り事のあざとさというものもそれは「作り手の意図」を愛でると云う意味で色んな想い(感動とか勇気とか)を貰えるのでありますが、そういうものとは違った想いが事実を基にして生まれた作品にはありますな。

その想いってのは、自分がもしその立場にいたらどうするだろうという自答。まだまだ自分は甘いと再認識する起爆剤。忘れてはいけない記憶を繋ぎとめる作業。などなど。

伝えたいものありきで起きる事とか人物が配置されていくといった人間のアイデアで構築されていくフィクションと違って人の意思など介在せずに実際に起きる出来事に向かう人達が紡ぎ出す物語とでは伝わってくるものはやはり大きく異なるものであります。それはやはり説得力の成せる業なんでしょうか。

偏らず両方大事というのが大切だなあと思いました。

事実はひたすらにしんどいものだけど、それにきちんと目を向けさせる事が出来るよう工夫されていたドラマだと思いました。

人間が持つ内面の葛藤は普通では表に出てこないけれどそれを表に出して確実に観る者に伝えるというのも役者さんの仕事なんだなというのがなんか分かったような気にもなりました。

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*じゃん その3

実際使ってる状況から考えるのではなく、こまっしゃくれた屁理屈から考えていくと、「じゃん」は「じゃない」の変形とも勘繰れれる(共通語では勘繰れられるであろうが遠州弁はら抜きが基本)。もちろん変形ではという屁理屈は遠州弁としての解釈であって本家と呼ばれる相模の「じゃん」もこうであるだとは言っていないあくまでもの与太話しである。

「ん」の記事でも説明したが遠州弁では「そうしないと」を「そうしんと」といった具合に「ない」を「ん」に変える傾向が強い。なので「じゃん」という表現もその理屈を当てはめると本来は「じゃない」であったものが「じゃん」に変わったと勘繰ることが出来るのではないかと。

そうなると「だで急いでるじゃん」は「だから急いでるじゃない」という事になり、こういう言い方は女性的で、男だったら「急いでるだろ」という方が普通であろう。

つまり「じゃん」は女性言葉というのが本筋であり、それを男が侵食して使用してるという新たな屁理屈が浮かんで来る。

そう考えると「じゃあん」が「じゃあない」で、「だでこうして急いで来たじゃあん」(だからこうして急いで来たんじゃあないの)とかいう言い方が存在するのも納得がいくし、いい年こいた男がこう言うとドン引きされるというのもそうかと思えてくる。

だからといって今更になって男だから「じゃん」を言わないように注意しようなんて思ってももう遅い。もう完全に身に沁み込んでいるから。いつ頃から侵食するようになったんだろうか。少なくとも今は無意識に皆使ってる。

多少逃げ道を用意するならば「じゃんか」なら「じゃないか」であるからして、これなら男でも使える言葉だよなということで言い訳は立つ。

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