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ハガネの女 その3

 あえて書かなかったけどやっぱり認めざるを得ないのは、子役衆が凄いよな。

見事に子供社会に誘われ(いざなわれ)てるみたいで子供目線で観れるというか物事を感じられるところが繰り返すがやっぱ凄い。ええ歳こいたこんなオヤジでさえもそれぞれの子供達のとる行動や思惑が共感出来ちゃうんだからホントたいしたもんだ。

個人的には人格形成の上でとても大切な時期に他人を演じるという事が益になるとは思えないのでいくら子役が達筆ならぬ達演しててもいい事だとは思えないのでありまして。故にその演技を誉めそやす事は避けるが肝要かと思ってる次第。

 そんな事はともかくドラマに戻って、好きな子をいぢめるというのは今も昔も変わりなくでありますが、に、しても過激になるもんですなあ。引っ込みが付かなくなるという手合いも心当たりがありまして不変の道理でも時代が違うと洒落にならないってか。

それに気づかぬハガネ(吉瀬さん)は鈍感とされてましたが、傍目(大人目線)からしてみたら確かにいじめの域に達している訳でむべなるかなではありましたな。

それを受けてのハガネの対処が「褒めて育てる」でありまして。大人だよなあと。何事も子供と一緒になって(分かりやすく噛み砕いて)というだけでない対等な人間同士としながらも真理を諭す辺りは大人だよなあと。とにかく見事だよなあと感心しきり。ある意味決め台詞ともいえる訳だけどきっちり決まってますなあ。いずれにしても「正直に謝る」ということはほんに難しい事で。それが子供の社会までも許されない社会になってきているということなんでしょうかね。子供の世界は社会を映す鏡だとしたら確かにその通りかもしれないですが。謝るだけで正直かどうかは疑わしいですからね今の社会は。

ほんに面白いドラマではありんすが、唯一ハガネの惚れた腫れたは要らぬ物ぞぞと思いしが、そういう方向に進みつつありてその転についてはちと興ざめかな。あ、その転というのはその点と転換を掛けてみました。展開の展の方がよかったかな。

でも吉瀬さんの七変化というか色んなお顔が拝顔出来ていと愉しきかな。どんなお顔・お洋服でもお美しきを愛でるのは愉しき限りなり。

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*さ・さっ・さあ

「なんしょ終わりゃいいだもんで」(とにかく終わればいいんだから)

という文章の最後に「さ」・「さっ」・「さあ」を付けるとどうニュアンスに変化が生じるのかというお話し。

「さ」は辞書によると終助詞、①相手に強く主張する気持ちを表わす。「そんな事当たり前さ」。②軽く言い放す気持ちを表わす。「まあいいさ」。③自分が直接経験しない事柄を説明したり紹介したりする気持ちを表わす。「やっぱりそうなんだってさ」。④強い質問、反ばくの意を表わす。「どこいってたのさ」。⑤{文節の切れ目につけて}語調を整えながら話す気持ちを表わす。「それがさ、まずいことにさ、なっちゃった」②③④が軽く添えるのに対し、①⑤は強く発音する。とある。

「なんしょ終わりゃいいだでさ」だと

「とにかく終わればいいんだからさ」。共通語であって方言性はない。①・②・③のどれでも対応していそうだ。で、これを基準とすると

「なんしょ終わりゃいいだでさあ」だと

「とにかく終わればいいんだからさあ」。これも共通語であって方言性はない。ニュアンスとしては甘えた印象を与える。①・②の使い方であろうか。

「なんしょ終わりゃいいだでさっ」だと

「とにかく終わればいいんだからな」辺りになるのであろうか。そんなこと大した事じゃないからと言ってる風にも取れる。③の使い方であろうか。

つまりいずれも説明できるということでこれに方言性は無いということになる。

これを「や・やあ・やっ」とするといきなし遠州弁になるだってや。っつうのは否定でけんとこである。

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警視庁失踪人捜査課 その8

 なんか泣けた。若造の報復話しならいざ知らず、それなりに仕事してそれなりに高見に登りつめた中年がこういう周りが見えなくなるくらい純な行動をするというのが新鮮だったかな。それがうそ臭くないところが良かったです。

あれで全て積み上げてきたものが崩れ落ちたのかが気になるところだけれど。それについて(後日談)は描かれておらず妄想を働かせるしかないけれど、やっぱマスコミに祭り上げられてた分それと同様の勢いで叩き潰されそうでもあると思えるので棒に振ったんだろうな築き上げてきたものがと思ってしまいますわな。

でもそれでも行動に悔い無しであろうなと思えるくらいの失踪人でありました。それだけに穏便だったかどうかはともかく無事に救えてよかったなと素直に思えました。

物語の流れは途中の加害者が被害者という逆転騒動が意外で面白くありまして、その後の怒涛の愛し合う二人の物語へと突き進む様が見事でありました。

なんとこれで来週最終回とな。落ち着いて観れるだけにもっと続いて欲しいところだけれど、根拠は無いけれどそのうちパート2とかで観れる気がするというのは気のせいか。

役者力で惹き付けといて予想を覆す結末で突き放すという押して引いてのバランスがいいんですよね。全体の空気感も慌しくなく怒号もハイテンションもない淡々としたところでありながら抑揚がしっかりついていて決して単調ではないし。粛々と進むという言い回しの方がいいのかな。いずれにせよよく出来たドラマだと思うんですよね。

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*そうするとさいにゃ

直訳すると「そうすると際には」。ニュアンスから訳すと「つまりは」・「そうするとだなあ」など。「そうした時の際には」の変形と考えるのが妥当か。

なにかの話しを聞くなり見るなりしての反応というか自分の立場を述べるような時とかに発せられる言い回し。後に続く言葉を合わせると

「そうするとさいにゃ あれでえ」

「そうするとさいにゃ なんでえ」もしくは「なんだ?」

といった感じで歯切れが良くはない事が多い。というのも余りよく分かっていないか深くは関わりあいたくないことによる及び腰であることが伺えるからである。

したがってこう言われたら、理解・納得したかどうかは疑ってかかった方が無難ではある事が多い。

もちろん「そうするとさいにゃ おんしゃ大変じゃん」(そうなるとお前が大変になるだろう)みたいな「成程じゃあ一旦整理してみるとだなあ」という使い方もある。

どちらに転ぶかは次に続く言葉のよるということである。

はっきり自分なりの答えがあるような時には「そりゃあれだらあ」と言う事が多い。

例文

A「なによを。おんしゃらなに揉めてるでえ。」

  (どうした。お前ら何を揉めてるんだ?)

B「いやあこいつんやりよう馬鹿変だもんでやめよをっつってるだん、聞きゃあせんもんでやっきりこいてるじゃん。」

  (いやね、こいつのやり方がおかしいから止めろって言ってるんだけど聞かないからむっときてるんだ。)

C「なにゆってるだあ。今までこれでずっと通してきたのを何で変だなんてゆわれにゃかんだあ。」

  (なに言ってんだよ。今までずうっとこれで通してきたのを何で変だななて言われなきゃいけないんだ?)

A「まあそりゃ確かにそうだわなあ。」

B「はあ昔ながらの仕事してたじゃかんだあ。電卓の時代にそろばん使ってるようなもんじゃないか。」

  (もう昔ながらの仕事していたんじゃ駄目だろ。電卓の時代にそろばん使ってるようなものじゃないか。)

A「まあ楽になりゃそれに越したこたあねえでの。」

  (まあ便利になればそれに越したことはないからね。)

C「そんなこんゆうけどやあ、そおゆうおんしゃこそどう思うよを。」

  (そんな事言ってるけどそういうお前はどう思うんだよ。)

A「わしけえ?ん~。Bのいう通りに変えるとするわなあ。そうするとさいにゃなんでえどうなるよを。」

  (俺かい?そうだなあ。Bのいう通りに変えるとするわなあ。そうなるとつまりは具体的にどうなるんだ?)

B「なんだよよく分かりもせんで相槌うってただか?」

  (なんだよそれ。よく理解してないでうんうん頷いてたんかい。)

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*私だったらな遠州弁の言い回し その1

私は遠州弁の使い手と称しているが、それは標準語なぞ彼方の言葉であり共通語も標準レベルで話せないからという消去法的なものであって使いこなしを極めたマスターとかいうレベルではない。しかも昭和の言い回しであって今風では決して無いという時代からのはぐれ者。そんなへぼが遠州弁をネタにしてブログを書いているのであるが、色んなブログを徘徊してるうちに自分だったらこういう遠州弁を使うなといったインスピレーションが湧くことがある。(もちろん海賊版というかみなきしまるさら引用して改竄するのは礼儀に反するので丸写しとしないものを例文とします。)

文章の筋は、関西弁は聞きなれてるけど遠州弁は聞きなれてないからどうもね、という文章。遠州弁を否定する人のセリフをあえて遠州にしようという斬新な展開。

「関西弁だったら毎日のようにタレントさんとかが話してるのテレビで聞くで

なあも感じないだけど、遠州弁しゃべる人、身近に居ないもんでねぇ・・・」

これだと書き言葉と話し言葉とのちゃんぽんに感じるところであり恥じらいを感じなくも無い、これを恥じも感じない私だったら以下とするかなあ。

「関西弁とかだったらさあ毎日みたくタレントの衆らテレビで喋るの見るもんで

変に感じんだけど、遠州弁使う人近くにおらんもんでねえ、しょんないだよを」

もしくは

「関西弁ならさあ。しっちゅうタレントの衆らテレビで見るもんで

気にもならんだあ、遠州弁はなぁ、しょんないだよ近くに使う人おらんもんで」

当たり前だが標準語じゃないんだから正しい遠州弁なんてものは存在しない。要はなんしょ伝わりゃいいだあであるからして人の数ほど言い回しがそれぞれ存在していて構わない筈である。なのであくまで自分だったらこう言うなと思うという事なのである。

遠州弁は大体何を言わんとしてるのかは解せるが言い回しが他の地域の人からしてみれば変というところが味噌であろう。なのでまったく何言ってるのか分からなくなってしまったら旨味が削がれるところであろう。というか解釈不能が味噌であるならば東北や沖縄の言葉に遠州弁が勝てる筈がない。

つまり遠州人にしか分からないような

「関西弁とかわぁテレビんさあでよを見るもんでとんじゃかないだん、遠州弁わの。滅多聞かんもんでいがいがするだあ」

とかにしてしまうと面白味が失せるんだろうな。

しかしなんですわ、共通語を自分なりの遠州弁に変えるよりもよそ様の遠州弁を自分のに変える方が変換しやすいものでさあな。文法とか言う小癪なものではなかろうが言葉の順序配列が共通語とは異なるんだろうかな。結構奥が深い。

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*や・やあ・やい

遠州弁でよく使われる言葉。例えば「やあ行って来いやあ」という言い回し、ここでは「やあ」がふたつある。これは繰り返しか別物なのかとかいうどうでもいい細かい話し。自分の言葉では説明が上手くできないので辞書等の小難しい理屈を引用してみる。

古語辞典によると

「や」{感動詞}①呼びかけに用いる。②驚いたとこ、また、思いついたときに用いる。③はやし声または掛け声。

「や」{間投助詞}①感動・詠嘆を表わす。②問いを表わす。③呼びかけの意を表わす。④和歌・俳句などで、音の調子を整えるために添える。⑤事物を列挙していう。

「や」{近世語}「ある」の転と考えられる助動詞「やる」の命令形、「やれ」のの略。軽い敬意を含んだ命令を表わす。・・・なさい。

「やあ」{感動詞}感動詞「や」に同じ。掛け声。呼びかけにいう。

「やい」{終助詞}感動を持って強く呼びかける語。

「やい」{近世語}「ある」の転と考えられる助動詞「やる」の命令形、「やれ」のの略か。軽い敬意を含んだ命令を表わす。

国語辞典によると該当しそうなのは

「や」{終助詞}①同輩・目下の者を軽く促す気持ちを表わす。②自分自身に言い聞かせるな気持ちを表わす。③名前の後に付けて、呼びかけることを表わす。④{雅語}感動の気持ちを込めて文を終止したり、その言葉を述べることを表わす。

「やあ」{感動詞}①驚いた時、呼びかける時などに出す声。②かけ声

「やい」{感動詞}(俗語)ぞんざいに呼びかける言葉

以上ほぼ丸写しした辞書で説明されてる事から考えると、例文を変えて遠州弁の「やあど痛いやあ」(うわあ、凄く痛いよを)は古語的には「や、ど痛いや」{感動詞・間投助詞}もしくは「や、ど痛いやい」{感動詞・終助詞}ということになるのであろうか。国語辞典で当てはめると少しニュアンスがずれるような気がする。呼びかけるは当てはまるけど掛け声でもないしぞんざいでもない。

「行って来いやあ」(いってこいやあ)だと「行って来や」(いってきや){近世語のや}なのかな。「いってこ」(行ってきなさい)という言い方もあるので「きや」でなく「いってこや」かもしれない。

そんなこんなで遠州弁の「やあ」は「やー」といった長音化ではなく「やあ」であり、古語辞典にある「や・やあ・やい」と同じと考えた方がしっくりくるところであり、「やあ行ってこいやあ」でのそれぞれの「やあ」は異なる言葉であるということが言える。気がする。

国語辞典での解釈で言えば粗雑な表現という解釈になるが古語辞典からの解釈をもってすれば粗野な方言ではないということになる。他の地域の人がどう捉えるかは置いといて遠州人からしてみればぞんざいな物言いという意識では使ってはいないので国語辞典の解釈ということではなかろう。

かくして遠州弁は汚い言葉などではなく古い日本語を使っている昔ながらの日本語なんだと言い訳が出来る次第。という自分達(遠州人)にとって都合のいい解釈。

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その9

 全12話での今回は第9話。ドクター家的風味な医療推理と現状の問題提起による贈賄がテーマだった流れがここへ来て事件性を大きく帯びてきました。

死人にくちなし。しかしてその口を開かせんとする展開で。

急展開と言っても関連性はあり、今まではなんだったんだとかいう事では決してないのでありますが物語の流れは完全に映画とは別物になって来たことだけは確かなような気が。といってもどうなるか分かりませんが。でもドクターヘリは出てこなさそうな気がしないでもないところですな。

名前の記載の無いカルテとはジェネラル(西島さん)自身のものなのかしらん。老い先短い医者生命を悟って急くがあまり一身を投げ打って問題提起に全てを捧ぐという勢いで悪の手助けに加担する振りして最後はそれを白日の下に曝すという魂胆なのか。あくまで勝手な憶測ですけど。それだとなんかもったいない感じでなんだかなあですが。

いずれにせよ今まで犯人は病気だけでしたがこれで人間も登場したということは確かなようで。誰なんでしょね。

白鳥(仲村さん)の追い込み方の迫力も凄かったし、ぐっちー(伊藤さん)の遺族への説得と誠意は見事だったなあと思えたし、和泉先生(加藤さん)の動揺の様とそれを包み込む速水の器の大きさも感じたし。今回は役者パワーを十分堪能できたなあ。佐藤先生(木下さん)の奮闘努力の様も良かったな。

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絶対零度 未解決事件特命捜査 その8

 鵜の目鷹の目ぶんやの目。えぐいですなあ。これがドラマの中だけの想像上の悪鬼ならいいんですけどどうもねリアルっぽくて。

なんか昔の豊田商事の会長宅を取り囲んでた時の報道陣の事を思い出してしまいましたし最近のでも意味も無く移送車両を追い掛け回して興味本位に煽り立てたりと、「正義」や「道徳」なんて言葉はどこかに置いといて道理や横紙破ってこそ伝えられるもんであり、伝えなければ闇に葬られる隠匿ということであり伝えたものこそが真実となり報道として正しいんだという勢いが垣間見えて嫌な気分になりました。

ましてやこのドラマでは捜査の邪魔をするだけという存在でありまして。まあ予告編見る限りでは来週はちっとは改悛の情をみせるのかもという感じが無きにしも非ずなのかもしれませんが。

いずれにせよああいう連中と顔つき合わせていかなくちゃならないってのは、私だったらそれだけで仕事への意欲というものが失せてしまいますわな。

いまひとつの目は高峰(山口さん)の目。意気盛んかつ揚々とした自信が根底から覆された光景が描かれていましたがあれは切ないですなあマジで。そんな目線が印象的でありました。桜木(上戸さん)の「わかりません」というセリフが印象深かったです。下手に励ましても藪蛇でしょうし。

この回は次回に続くで結末がまだなので事件そのものをああたらこうたら書いてもどう転がるか分からないので書きませんが(まあどんでん返しはなくおそらくは脱出劇の妙といった風情でありましょうが)、唯一世間に名を残す術がこういうのとはなんだかなあではありましたな。別に密やかに人生終えてもいいじゃないかと思わんでもない感じですがそれは自分がもう若くないからそう思うだけなんでしょうかねえ。臭いものには蓋をという事では決してありませんが最後っ屁にしてはえげつないものではあるなと感じました。

とにかくこのドラマ安心して観ていられるのが悦ですな。それでいて軽い訳ではなくお気楽な限りではない余韻があって。そのバランスが妙であります。

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*しまいにゃおこるにい (改)

「堪忍袋の緒が切れるぞ」という警告。であるがもうこの時点で怒りを露にしているものでる。まあこのあと「あだける」なり「どたける」なりの行動を起こすぞという通告ではあるが。

「しまい」というのは「最後」・「終わり」という意味で

「しまいにしまい」(終わりにしよう)

とかいう使い方と同じである。「しまい」は広範囲で使われるものであり特に遠州弁という事でもないのだが

「しまいにゃおこるにい」となると遠州弁っぽくなるものである。

「ほんとおこるにい」との違いはよくわからず多分五十歩百歩な言い回しだと思える。「いい加減おこるにい」というのとも大した違いがあるのだろうか不明である。

例文

「おおこれ前から欲しかっただあ。買うでねえ。」

  (おおこれは!前から欲しかったんだよ。買うからね。)

「・・・・。」

「ええっ!これいいじゃん便利じゃん。これも買わすか。」

  (うわなんだよ!これいいじゃないか便利じゃないか。これも買おうかな。)

「ちょっとを・・・・。」

「ん~こっちんのも捨てがたいなあ。どっちんいいと思う?」

「あんたそんなも買ってどうするよを。使いもしんに。」

「ありゃ便利じゃん。今使わんくたって使うかもしれんじゃんか。」

  (あれば便利だろう。今使わなくともいつか使うかもしれないじゃないか。)

「使うもんだけ買いなよ。そんなお金ある訳じゃないだでねえ。」

「あれなにい!新製品出たじゃん。買い替えすかやあ。」

  (うわあなんだよ!新製品が出たじゃないか。これに買い替えようかな。)

「もうあんたねえしまいにゃ怒るにい。いい加減にしてやあ。」

注、タイトルにある(改)とはホームページ用に新たに書き起こしたという事務的な記号でありまして深い意味はありません。

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新参者 その7

 全十話と雑誌には記載されていての今回第七話。容疑者を消してく作業がずうっと続いてきていて今回は初めてその作業が無かった。

その分殺人事件解明に関して話しが進んだのか?となるとどうなんざんしょ。新たに提示された事は誰かが誰かを庇っていてその庇っている奴が犯人だと。それが真実なのかどうかは良く分かりませんがそれくらいしか分からなかったなあ。

刑事が一人辞職にまで追い込まれて得た成果というか情報は社長と秘書は普通の関係じゃないというお話し。浮気相手なのか隠し子なのかは定かではないけどあの二人の関係は前から薄々見え隠れしていたから目新しいヒントとは思えないところがちと?と感じる要因なんでしょうか。だろうから「庇ってる奴が犯人だ」以外には他になんかヒントありましたっけ。

残ってるのは三人。ここまで来て新たなる人間が現れてそいつが犯人だなんてことになったらなんだよそれと思ってしまうだけに、この三人のうち誰かが犯人なんだろうなと信じたいところではある。

今疑われてる人物が犯人で残りの三話は追い詰めていくことに終始して行くのかそれとも今一度容疑者消しが行われるのか。まあ多分後者なんでしょうねきっと。で、消去法で残った人が犯人という寸法か。

意外や意外ということで一度消した筈の火の粉(容疑者)がまた新たに燃え出して(新たな証拠証言が見つかって)そいつが犯人でしたという手も考えられなくはないところではありますな。

とにかくさっぱり犯人が読めないことだけは確かでありまして、そういう意味ではよくできた推理モノではありますな。

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「いかれぽんち」に「とんちき」

「イカレポンチ」に「頓痴気」(とんちき)。どちらも人を小馬鹿にする言い回しであるのだが。最近は聞く事がなくなったよなあと。

「頓知気」の方はネットの辞書にも載ってる共通語だが「イカレポンチ」は関西の言葉らしいとネットにある。語源は知らないが「フルーツポンチ」と掛かっていたのかしらん。

ということでネットで細かく知りたいがために再度検索してみると「ポンチ」の語源は関西方言の「ぼんち」で「坊ちゃん」の転と書かれてあったので「いかれた坊ちゃん」という事だが、「フルーツポンチ」と被る気がするのは自分が関西人じゃないからだろうか。

「イカレポンチ」はガキの頃よく使ってたし耳にもしたけど「とんちき」は使った記憶は無く江戸の落語とか時代劇の中くらいでしか耳にしなかったくらいだから時代的には昭和の言葉とそれよりももっと古い言葉ということなのだろうか。

そんなこんなで使い方としては「とんちき」については使いどころが分からない。

夢想するに「やいやいやい、このとんちきめ」とかであろうか。「うすらとんかち」と一緒なんだろうかしらん。

「イカレポンチ」の方は「狂ってる」みたいなもので

「あいつはイカレポンチだから言ってもしょうがない。」とかいう使い方をしてたかな。どちらも多少なりとも愛嬌を感じたりもするところであり殺伐とした今こそこういう言い方が必要とも思えるのだが新しく生まれようにも狂い方が洒落にならないくらい荒んでるから生まれようがないのかな。

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*よを

「よを」を共通語に訳すのは正直むつかしいところである。

遠州弁においては「やあ」=「よを」で「やあ」が男及びおばあさ言葉であることに対して「よを」は男も使うが基本女性言葉であるということである。

「どうかと思うよ」という言葉を例にすると

「どうかと思うやあ」が基本男言葉(女性も使うが)で「どうかと思うよを」が女言葉となる。

名古屋言葉の「ハヤシもあるでよを」・「だからよを」とかいったものとは別種だと思われるのだが男が使う「よを」に関しては名古屋言葉とほぼ同じでありこれがややこしい話しになっているような気がしないでもない。

しかしながらあくまで遠州弁の女言葉の「よを」はそれとは異なるものであることは疑いようがないところである。

遠州弁における「よを」は色んな意味使いで使われるのでこういう意味だと断定が出来ないところであるが幾つか例を挙げていくことにする。もちろん全てを網羅するものではないのであしからず。

「それよりかこっちの方がいいよを」(それよりもこっちの方がいいなあ)

この場合、わあ<よを<にい<でねえ<だ<だあ の順で強めになっていく。

「ほいじゃあわし先いくよを」(それじゃあ私が先に行くからね)

この場合、でえ<よを<わあ<わ<にい<に

「そうしんとかんだよを。当然じゃん」(そうしないといけないでしょう。当然でしょ?)

この場合、だらあ<だよを<だにい<じゃん<てえ<だでねえ

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土曜プレミアムの刑事ドラマ

 こういう警察内部に犯人がいるという構図をやたらと最近テレビで観る気がするのでありますが、フィクションという名の嘘っぱちとは申せこういうものは推理ものとしては掟破りも甚だしいんじゃないのかと。

いくら視聴者が意外な展開を望むからといっても道徳的に越えてはならないものを越えてる気がするところです。推理ものにつきもののお約束を打ち破るとかいうものじゃないような気がします。それにこうも打ち続くと奇抜でもなんでもない日常茶飯事でしかない食傷気味ですらあるところです。

どうせ嘘っぱちなら夢(理念)を見させて欲しいものですな。たとえ現実が冤罪やら未解決やらなんのでドラマの如き失望するものであろうとも、せめてドラマにおいてはなにがあっても警察は守ってくれる正義の味方という夢想を抱かせて欲しいし、海猿じゃないけどドラマで描かれた理想に憧れて実際にそういう職業を目指す人間も現れてくる可能性だって実際にある訳だから。

それぞれの思惑が交叉して組織として最善に機能しないとかいうのならまだ問題提起とか失敗から学ぶみたいな勢いがあっていいけれど。民間企業の信頼を失墜させるようなドラマが作られる事は滅多に無いのになんで警察なら不祥事を描いても許されるんでしょう。恨みでもあるのか文句いってこないからなのか。実際そうなんだからしょうがないのか。

いくら作りものであってもこうも警察内部の人間の犯行というシチュエーションが続くとそういうイメージがついてしまいそうでげっそりであります。まあ大袈裟ですけどね。そのうち探偵本人が犯人だったなんていう推理ものが出てくるんじゃないかと勘繰ってしまうほどです。

坂口さんの刑事役もスピード感溢れる映像とかもつい魅入ってしまうくらい途中まで楽しんで観れてましたが結末は興ざめでありました。

そりゃ確かに気がふれてたら罪を問えないというのはおかしいとは思いますが。

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