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ハガネの女 その2

 これは説得力あるドラマですなあ。嘘とは思えないリアル感を感じます。

今の子供は自分の子供の頃と較べたら色々な事を背負い込みすぎてるよなあと。あくまで理想を追うのに夢中で自分の事しか考えていなくて自分に正直に行動していたよなあ。だからその結果衝突とか結構したりもして厭な事も一杯あったけど、ここまで根に持つみたいな継続性はあったかなあ。あまりとにかく周りに気を使う(気にしてた)ことはしてなかった気がする。私だけかな?親の方だって生きていくのに精一杯な時代だったからそんな子供にばかり目を向けてる余裕もなかったから放任主義が普通だったからなあ。

今は生活に余裕もあるし一人っ子が当たり前な分一点集中で過度な期待で潰されてるのかしらん。みんなと同じ(イコール)でないと弾かれるというのは今も昔も同じだろうけど許容(同じと見なす)の範囲が狭すぎるんだろうな昔と違うのは。貧富の差というものが現実の中になくなっているから分からないということもあるんだろうな。

今回は親(大人)の関与が子に報いという展開でありましたが、かといって「正直に生きれない」という事が一番の癌なのかと思いきや決してそんな簡単な事ではなく子供同士(子供だけ)の世界に於いても歪(いびつ)さを感じたりもして。

ここには魑魅魍魎がとり憑いているに相違無いと思えてしまうような空気感が醸し出されていて、よく皆毎日学校に通う気になるなあとその勇気に感心する次第ですらありますな。

試しにいっその事全寮制にして親の介在を防ぐとかしたらどうなんだろうとさえ思ってしまいますな。

ドラマ全体の最後(結末)は予想がつく(明るい未来が予想できる)だけにそれに向かっての苦労努力の様と障害がえげつなくても耐えて観れそうでありまして、甘ちゃんの私でもこれは観れます。

それにハガネ(吉瀬さん)というキャラクターが明るくて救われますしね。こういう正義漢の塊は観ていて嬉しくなってきますな。ともすれば正義を御旗にするキャラというのは一歩間違えれば何様だよとか不遜だとか逆に無理してるとかでどっかで燃料切れとか揺り返しとかあるんじゃないかと思えて落ち着いて観てられない事が多いのですがハガネはそんな事がなさそうで嬉しくなってくる。こういう奴がいて欲しいと思えるキャラでありますな。

ただひとつ疑問なのは、前回の感想でも書いたと思うけどなんでこの時間帯なんだろう。もっと早くの時間こそが相応しい気がする内容であり、深夜に起きてるような人種に宛てるよりももっと他に観せるべき人種(リアルとリンクする人達)に宛てる方がいいような気がするんですけどねえ。

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*男表現と女表現 その1

厳密な使い分けが存在している訳ではないが、遠州弁にも男女でその使う言葉が異なる。

例えば「ほい」。女性言葉で男は発するものではない。逆に「やあ」。男言葉で女性が発すると引く。

こうした言葉の違いというものもあるが、言い回しというものも男女によって異なる事が多々ある。それを男表現と女表現と呼ぶとして話しを進めるとして。

では具体例を挙げるとすると、大分極端ではあるが

共通語

「何言ってるんだ そんな事ある訳ないだろう。」

男表現の場合

「おんしゃあなにこいてるだあ ふんだだこたあらすかや。」

女性表現では

「あんたねえなにゆってるよを そんなこんある訳ないじゃん。」

とかになる。

私は男なのでどうしても男表現中心の説明になるのであるが、誰か女性表現での遠州弁講座とかを開いていただけないかと欲するものであります。

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警視庁失踪人捜査課 その7

 ちょっと展開の意外性に話しが流れた感がありまして失踪人へのなおざり具合に残尿感が残りました。結局は犯罪に巻き込まれたという体で話しが進んでたんでしょうがないといえばしょうがないですけど。

でも都合が良すぎましたよね。警察を便利屋(捜索のプロ)として利用するというアイデアは斬新ですが、なんと申しましょうか縁は奇なりとなり過ぎで。警察にも顔が利いてなおかつ犯行を強要できるあんな都合のいい人に悪意の権化がたまたま飲み屋で知り合えたという奇遇は出来過ぎだいね。

お話しとしては面白くはあってもちょっと劇的過ぎてリアルっぽくなくよく見る刑事ドラマという勢いを感じました。それに悪党はもっと賢いものだろうに。いくら度を越した癇癪持ちという事でも自らが直接手を下したりなんかして今の登りつめた地位を棒に振る程の阿呆なんているのかしらんといったドラマならではの存在感を感じました。

こういう話しって悪意の連鎖でどんどん過激になってくというのなら色んな思惑が重なり合って勝手に走り出した暴走列車を如何に止めるかみたいな楽しみが湧くんですがひとりの悪党の悪意が一連の出来事を生じさせるというのは語りつくされてもいるようで新鮮さを感じないところであります。一種の伝言ゲームで話しがもつれてくのを紐解く様を観たいな。

でもコップの水を飲み干すシーンはびつくりしました。

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*け・けえ

「毛」の話しではない。

とあるところでは「けえ」を「~ですか?」と訳していたが、随分とニュアンスが違うと思える。そんな丁寧なものじゃないだろうにと。

「け」は「か」で「けえ」は「かい」とするのが私的にはしっくりくるところである。ただし「けえが」になると「かいが」ということでは変なので必ずしも「けえ」=「かい」にとはならないので微妙なしっくり感ではあるが。まあ奥が深いということでこうと決め付ける訳にはいかないようである。

「ああそうけえ」(ああそうかい)・「ああそうけ」(ああそうかよ)

「行くけ」(行くか)

「行くけえ」(行くかい)

「行くけえが」(行くけども)

「行こうか」だと「行かまいけ」

「け」・「けえ」は浜松でもよく使われるが、「けえが」についうてはどちらかと言えば本場は掛川近辺であるような気がする。浜松だと「行くけ」・「行かまいけ」にしても「行っか」・「行かまいか」という使い方の方が多い。「けえが」に至っては以前は使ったことがなかった。じゃあなにを使っていたかというと「だん」・「だあ」。「行くだあ」で「行くけど」・「行くだん」で「行くけども」というものを使っていた。

そんなこんなで私は本場の人間ではないので「けえが」に関しての応用についてはあまり細かい使い方のルールを知ってる訳ではないのだが、それでも最近は昔よりも交流が盛んになっているので「けえが」の言い回しは浜松にも大層浸透しつつある気がする。あくまで使用頻度の問題で昔は皆無だったという事ではないであろうが。

例文

「どうするでえ。行くけ?」

「どうしっかなあ。」

  (どうしようかな。)

「ホントなら考えるくらいだったら止めにした方がいいだけえが、なんしょ人足らんで来てくれると嬉しいだけどやあ。」

  (本当だったら悩むくらいなら止めた方がいいんだけど、でも人が足りないんで来てくれるとありがたいんだけどね。)

「そおゆわれちゃあ行かにゃおえんの。」

  (そう言われたんじゃ行かざるを得ないね。)

「頼むわあ。悪いがそうしてやあ。」

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*すか

ハズレという意味ではなく「あらすか」(ある筈がない)・「やらすか」(やる訳がない)・「買わすか」(買うかよ)といった使い方の「すか」これがA。

「やらすか」(やらせようか)・「やらさすか」(やらせようか)・「行かすか」(行かせるか)・「行かさすか」(行くようにさせるか)といった使い方の「すか」これがB。

「やらすか」(やろうか)・「あいつんやらすでいいよ」(あいつがやるからいいよ)といった使い方の「すか」これがC。

「あいつがやらすか」(あいつがやる訳ないだろう)がA。

「あいつにやらすか」(あいつにやらせようか)がB。

「わしんやらすか」(俺がやろうか)がC。

まず、AとBについて考えると

辞書によると「すか」では載っていないので「す」+「か」と思われる。

「す」{助動詞下二段活用型}「せる」の文語形。

「せる」{助動詞下一段活用型}①だれかにある行為をさせる意を表わす。「読ませる」。②相手のするがままにさせておく意を表わす。「勝手に言わせる」。

「か」{終助詞}①質問・疑問の意を表わす。「これは君のですか」。②反語の意を表わす。「誰が喜ぼうか」。③難詰の気持ちを表わす。「駄目じゃないか」。④勧誘・依頼の意を表わす。「出かけようか」。⑤事の意外に驚く気持ちを表わす。「なんだ君か」⑥人の言葉や諺や歌の文句などを反芻しながら、その意味や事実をひとりで確かめる意を表わす。「恋は盲目か」。

とある。Bの使い方に合いそう。

Aの使い方とは合うかというと上記の事から結びつけるに「す」は②の本人の意思で行為をするで「か」は②の反語ということで、「自らの意思でする奴がどこにいる」という意味が考えられる。

「そんなとこ誰が行かすか。行かないね絶対。」

  (誰が行くかよそんなとこ。絶対行かないね。)

とかいう使い方なら上記の説明で当てはまる。だが

「あんたやっただら?」

  (あなたがやったんでしょ?)

「やらすか。なんでわしんしんとかんよを。」

  (やる訳ないだろ。どういう理由で俺がやらないといけないんだ?)

とかいう使い方に対しては説明が上手く当てはまらない。これはおそらく「す」が違うんだろうな「せる」じゃないんだろうな。

別のものを探すと

「す」(為){サ変動詞}「する」の文語形。というのがあった。

文語形ということなら「~せんと欲す」とかいう奴かしらん。これなら「やらすか」だと「やらするか」とちょっと変だけど意味としては「やるをするだろうか」ということで繋がらない訳でもないな。強引だけど。

視点を変えたついでに「か」を古語辞典で引いてみたら

「か」{系助詞}疑問・不定の意を表わす。・・・か。・・・だろうか。反語の意を表わす事もあるそうな。

これだと辻褄が合いそうな気がする。「すかや」という言い回しもあって「やらすかや」(絶対やらないね)という「す」+「かや」という組み合わせにも辻褄が合うな。(もちろん「せる」+「かや」というのもあるけど。)

つまり人の事(Bの使い方)についての「す」は「せる」(①の意)で自分の事(Aの使い方)についての「す」は「為」(するの意)ということか。

それなら「やらす」が「やらせる」というのも合点が行くな。

「あいつになんかやらすか」

  (あいつになどやらせるもんか)

「わしがそんなのやらすか」

  (俺がそんな事するか)

という違った訳であっても辻褄が合いそう。

で、Cについては

「す」は「為」の「す」(する)であろうとして、問題は「か」。おそらくは

「か」{副助詞}の説明の中の勧誘・依頼の意を表わす。「出かけようか」。

であろう。

ということでA・B・C全て別物であろうと勘繰ることができる。

Aは助動詞「せる」+終助詞「か」の組み合わせ。

Bはサ変動詞「す」+終助詞「か」の組み合わせ。もしくは副助詞「か」。

Cはサ変動詞「す」+副助詞「か」の組み合わせ。

以上勝手な推論。合ってるかどうかは定かであらずな個人的見解。

しっかしまあ全て「すか」というのは正直こんがらがる話しである。でもこの使い方していて特に大きな誤解もなく生活できているのだから不思議な話しだよなあ。

補足

「かや」{終助詞}①(詠嘆・感動という意なので略)②{疑問の終助詞「か」に、詠嘆の終助詞「や」のついたもの}疑問の意を表わす。・・・であるか。③反問の意を表わす。・・・であるかい。・・・ものかい。

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その8

 ジェネラル(西島さん)に要注意人物と見なされたぐっちー(伊藤さん)でしたが、倫理委員会で何したんでせうか。なんか唖然と右往左往してた風に映りましてどこが要注意なんだかと。

ここでのやりとりの結末はは映画館で観たことあるぞと思いながら観てましたけど西島さんと仲村さんがど迫力ありましたなあ。もちろん瓜二つというものではなく全く別のお造りとなっていましたが。自爆テロには変わりなかったですから。これによってどう未来が変わるのか、警鐘を鳴らしたところで笛吹けどなんとやらという気がしないでもないですが。

しかしながらこういうのは劇でなくちゃ味わえないものでありましてドキュメンタリータッチじゃあ絶対感情先走りかなんかでまあまあここは穏便にと思っちゃいますからねえ。あそこまでいったら絶対興奮状態になって支離滅裂かつ感情論とかの雑念(不純物)や売り言葉に買い言葉とかがあるものですから。色々混ざるから濁ってしまって観づらいものですから。

そういう意味で観る者に伝えるべき感情だけを抽出して純度を上げて分かりやすくなおかつ勢いよく放出する役者さんの技術は凄いなあと。

まあ殆ど映画で観た時の感想と同じものでありますが、やっぱプロは凄いと。

もちろんリアル(現実的)じゃないと思えるのですが見せ場というものがないとというのも納得で大見得はとにかく見応えがありました。

凄いといえば、タクシー代わりに救急車なんか呼んでホント困ったちゃんと思いきや不治の病に冒されてたという顛末。そう思わせる程気丈に振舞っていたというのは凄い精神力だなあと。ちょっと痛いだけでわあわあ言う私とは大違いで凄いお人だなあと。

そういうえば「自分を裁けるのは患者だけだ」云々というセリフ。一瞬よぎったのは、職種を変えて当てはめれば「お客さま第一」と同じだよなあと。お医者さんもそういう意識でいいのかなあと。間違ってはいないけど公共性の高いものまでがそういう意識でええのんかしらんと一瞬そう思えてしまいました。もちろんそのセリフの真意は「救える命を救う為に万全を尽くすべきで病院側の都合で救える救えないが左右されてはならない」というメッセージでありましてそれは納得でしたが。一瞬そう思ってしまいましたです。

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*おっさま

「和尚さん」・「お坊様」と言っている。基本は檀家の衆が自分達のお寺さんのお坊さんに向かって言うもので僧侶全てを指すのかどうかは定かではない。

例文

「おっさまそうゆわしゃっただで間違いないらあ。」

  (和尚さんがそうおっしゃられたんだから間違いないだろう。)

「ホントかや。ゆったのおだいさまの間違いじゃねえらなあ。」

  (本当かよ。そう言ったのは金持ちの間違いじゃないだろうなあ。)

「ここら辺にいもしんおだいさまなんて。みんな水呑みばっかじゃん。」

  (この周りに金持ちなんていないだろう。ここいら皆貧乏人ばかりじゃないか。)

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ホームページを作るぞでも分からんぞ その1

 ここんとこホームページビルダーを使ってホームページ作りに「勤しんでる」というかむしろ「いそ死んでる」という苦闘中なとこでありまして、まあ要は分からんぞうという記事なんですけどね。

禁じ手なのかも知れないけど一気に完成させてドドンと公開ではなくちまちま継ぎ足してその都度変更したものを公開しているという毎日。前回課題だったページ内のジャンプの仕方はマニュアルに書いてあったのでクリアできたけど。別の難題が発生。これが自無知を超えたもので皆目改善策の見当がつかない有様で今現在両手を挙げてのぐりこのポーズ。

公開の際、「ページの公開」で「サイト転送」を実行しようとすると「エラーを特定できません」という表示が出て「×」印となって先に進まない。今まで出来てたのに今日になって出来なくなった。

とりあえずチェックと名の付くものを変更したページにそれぞれにしてみた。HTML構文チェック・HTMLクリーンアップ・アクセシビリティチェックをしてみたけど前日と変わったところはない。もっともそれぞれなんのこっちゃと理解してる訳ではないが。これら以外にエラーを探す手立てはあるのかな?

しょうがないので試しにと各ページごとに個別に「ページ転送」をしてみるとこちらは滞りなく動いてくれた。だが面倒だ。個別に転送処理をするのは。

ヘルプでサイト転送出来ない理由の項目とかあるのかなと覗いて見たけどそれらしいとこが分からない。転送中と転送後は書いてあるけど転送前はない。

無い知恵を搾り出してつらつら考えるに思いつく事はファイル数を増やしすぎたことによって対応しきれなくなったのかしらん。今42。前回までは40。容量は詳しくは見てないけど文字ばかりだからそんなに喰っていない筈。

まあとにかくエラーがあるのは重々承知した次第だが特定できなきゃどうすりゃいいのさという壁を越えられない。

というか個別に転送するのはOKなのになんで一括転送は駄目なんだ?わきゃわからん。

どうすべえかや。

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絶対零度 未解決事件特命捜査 その7

 ひたすらおっかない結末でしたなあ。寄生虫に侵食されて乗っ取られた(夢を食い潰された)宿主の不幸を描いていた訳ですが。なによりおっかないのは共生などではなくましてや飼い殺しや養殖ですらなく宿主そのものをを喰い潰し(殺傷)ても寄生虫は他の宿主に乗り換えて滅びる事はないというところでありますな。

しかしてその今回の不幸な宿主に同情出来るかというと、不遜がそう易々と直るとは思えないだけにいくらやり直そうとする決意に至ったとは申せ因果応報な気がしないでもないところでした。人間弱気になると優しさを求めがちになるものですから一時のものじゃないのかと。やり直して順調になればまた素が出るという勢いで。

もっとも設定の上では、性根は夢を抱いた純粋さを持った人間があり地獄に堕ちて人格までもが冒されて善人と呼べなくなったということで同情の余地アリなんでしょうが。

いずれにせよ、寄生虫はまだこの世を闊歩してる訳ですから倉田係長(杉本さん)が啖呵切ったとておちおち一件落着これにて平穏という気にならないところであります。今回の決着は所詮とかげの尻尾きりみたいなもんかと。

かくも会社のシャチョウサンでもこうも逃れようもなく絡め捕られるんだから平凡人ならひとたまりもなくなんだろうな。って貧乏人には歯牙にもかけず寄生なんかしてこないか。でもこまめに小さなことからこつこつとと励まれたら鬼に金棒というかなんというか。そうならない事を祈るのみです。まあ適材適所というか平凡人には平凡人を餌にする虫が存在する訳で平凡人だから安穏としてられる訳ではないですけど。

そう考えればどんな世界にも上には上がいるという事でどんな地位にいようともやってるやられてるという食物連鎖事は規模の大小はあれど同じように存在するという事が言えるのだぞという教訓が示されていたと取るべきか。

燻ぶっていても上昇志向の塊でいても所詮嗚呼無情という摂理を説いていたのか。どうせどこにいても無情ならば少しでもいい目をみるために上昇志向を目指したらどうかということなんでせうかね。それとも逆に分相応に励めってか。

なんて、巨悪(桜田門でさえ手出しが出来ない不条理)が出てくるともう殆ど白旗目線で観てしまうので今回はスッキリした後味ではなかったですね。

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*まあおこれる

「あらまあ」とかいう「まあ」ではなく、「それはそれはもう」とかいう「まあ」+「怒れる」。こうした「まあ」という使い方は「怒れる」だけでなく「しょんない」・「あきれる」・「ついてけん」・「やっきりこく」・「きぜわしない」などなど色々と使われる。

別に方言でもなんでもない言い回しであろう。が、人に言いふらしたい位の状態であることには変わりはないところであるが共通語的な憤懣やるかたないという勢いではなく遠州弁での「まあ」はとりあえず怒りは抑えているけれどもといった勢いというところが違いであろうか。

例文

「寄り合いどうだったよを。えらく時間掛かっただねえ。」

  (会合はどうだったの?相当時間掛かったみたいだけど。)

「はあねえ駄目でえ。○○さんが混ざると話しんややこしくなる。」

  (もうねえ駄目だよ。○○さんが入ると話しがおかしくなるんだ。)

「なんで?」

  (どうして?)

「はあどんどん勝手に決めちゃって周りの衆のことなかとんじゃかないもんでえ、なんしょまあおこれるだよ。」

  (もう周りの皆の事なんかお構いなしでどんどん勝手に決めていこうとするんでそりゃもう嫌になっちゃうんだ。)

「なんでえ、ちゃかちゃか決めてく人いたなら早く終わるじゃないだけえ?」

  (え~そうなの?パッパ決めてく人がいたなら早く終われるんじゃないの?)

「自分の都合だけでゆってるだもん。そんなじゃ困るもんでみんなして止めて話し進めにゃかんもんで余計掛かるだよ。」

  (自分の都合だけで言ってるんだから。それじゃあ困るから皆で止めて話しを進めていかなくちゃいけないもんで余計に時間が掛かるんだ。)

「いるだねえそうゆう人どこにも。」

  (いるんだねえそういう人ってどこにでも。)

直訳すれば「とにかく怒れる」であるが、ニュアンスはプンプンとかプンスカとかいう熱している状態ではなくいつまでも燻ぶり続けている勢いでむかついている状態を示す。ある程度怒れるとかいうことではない。

共通語での「まあ」は「何をおいても」・「なんといっても」といった使い方であるが、それとはニュアンスが近くはあるが異なる。

共通語に直すと「嫌になっちゃう」・「呆れちゃう」とかいう言い回しが近いか。ただしそれよりはむかつき度合いは強いが。嫌になる対象に直接ぶつける言葉というよりも他の誰かにぶつけるぼやき・愚痴という使い方が多い。

「まあ怒れたもんでゆったった。」(それはもう怒れたものだから言ってやった。)という使い方も確かにあるので全てが愚痴・つぶやきという訳ではない。

似たような表現との違いは、「なんしょおこれる」は「なんにせよ怒れる」といった冷静に怒ってる的要素が強く「まあなんしょおこれる」と同じようなニュアンスをふたつ繋げる言い回しも存在する。「ホントおこれる」は熱してる状態であり「やっぱおこれる」だと「どう考えても云々」で納得いかないというニュアンスといった違いがある。

「おこれる」の度合いについては強弱に関わりない。つまり「まあどおこれる」でも「まあばかおこれる」とかでもありだということ。でも「まあ」が入るとおこれる度合いは薄まるところではある。

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*「あまり」と「ばかり」

違いがあるそうな。古語辞典によると

「あまり」{接尾語}はその数以上をいい、「ばかり」{副助詞}はその数の前後をいう。したがって

「十日あまりばかり」は十二・三日前後の意。とある。

この例文だと複雑でかえってなんか訳分からなくなる気がしないでもない。

国語辞典では

「あまり」{造語}それよりもちょっと多いことを表わす。

「ばかり」{副助詞}ちょうどそう・なる(なった)状態にあることを表わす。とある。

脱線するけど「あまり」は古語では存在してたが一旦消滅した後現代語で造語として復活したということなのだろうか。ってな疑問がちらほらり。

で、今のところの遠州ではどう使い分けられてるのかというと

まず、「あまり」は変化してないが「ばかり」は「ばかし」と変わることが多い。

「十日あまり」と「十日ばかし」というのを例にすると

「十日程」と「十日くらい」という言い回しになってるような気がする。

「どんくらいで出来るう?」

  (どれくらいで出来るのかな?)

「そうさなあ。十日ばかし見てくれん?」

  (そうだなあ。十日くらいを目安にしてくれないか。)

「そうだいねえ。十日あまりででけるらあ。」

  (そうだなあ。十日程で出来るかだろう。)

「ばかし」を「ばか」と代えることも可能ではある。

「十日ばか見てやあ」

これが「ばかり」を「ばっか」にしてしまうと

「十日ばっかででけすかや。」

  (十日くらいじゃ出来る訳ないだろう)又は(十日ぽっちじゃ出来る訳ないだろう)

とか違う方向にいってしまうことになる。「ばかし」・「ばか」でもこういう使い方は出来るが「ばっか」はいい方(出来るという方)では使わない。こういう使い方では他に「っぱか」・「ぱか」とかがある。

古語辞典にあった例みたく「十日あまりばかし」とかいうややこしい言い方はしない。

それと「ばかし」・「ばか」で殆ど用を足していて「あまり」という言い方はあまりしないような気がする。「あまり」を使わない傾向にあるというのが遠州弁での特徴かもしれない。

「およそ十日以内」(十日あまり)と言いたいなら「十日切るくらい」・「十日もいらんら」・「十日で十分」とかかな普通使うのは。

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新参者 その6

 加賀恭一郎(阿部さん)に睨まれると、それはストーカーとかじゃなくむしろホラーに近いような悪寒が走るのであろうか皆ぞくぞくっと何かを察知して辺りを見回す。するとそこに加賀が居る。

ちょっと不気味だよなと思いしが、その実事件によって被害(心の痛手)を受けた人を救済してくという悪魔の衣を纏った仏さんという体(てい)。

でもなんでいざ逮捕?にまで及ばんとした人をいともあっさり無罪放免ごめんなさい誤解してましてと相成ったのかがよく分かりませんでした。

動機(結婚の障害)といい公衆電話の一件といい警察がとんまそうとするに至った根拠には合点がいったけど、それを覆す根拠がイマイチ分かりませんでした。サプライズの為に時間をその日の6時半と限定設定して直前に電話したというのは分かりますが殺害はその前に行われたとされている訳ですから、犯行に及ぶ事が出来なかった事を証明した訳ではない筈で。それに箸を見て祝福されていたと始めて知ったという状況からすれば、あの時点で祝福されてないからという誤解が動機になって犯行に及んだという事を打ち消してはいなかったように思えました。

つまり犯行は可能だったし誤解によるものとはいえ動機も十分ありえた事に変わりは無い状況ということに変化はないのでは。それが祝福されてないと思ったら祝福されてたってことだけでそれらの疑惑がチャラとなって無実ですというのはあれれ?という感じでした。

見方が悪かったのかな?

でもまあ先の事を考えるとせめて直前の三井さんへの電話はタチバナ(谷原さん)がしたというのはもう少しはっきりさせて欲しかったですなあ。おそらくは6時半に限定した理由を三井峯子(原田さん)には伝えたってことで事件とは関係のない事だったという事なんでしょうけど。別の本物の犯人からの電話かもという疑問が拭えてませんので。ここはすっきりさせて欲しかったな。

それともそのシーンあったけど私見逃しちゃったのかな?

罪の意識に捉われていた人を救ったというのは「ええ話しやあ」でありますが本編の捜査という面においては犯行が不可能だった証明とかなんやらがなされてなくておいおい置いてけぼりだよと思ってしまいました。

全10話らしいので来週辺りそろそろ犯人の影が見えてこないと流石に渋すぎる人情話しに思えてきますけどどうなんざんしょ。流星の絆に続いてまた三浦友和さんが犯人というのは出来れば勘弁して欲しいところではありますが、残ってる人ってもう殆どいないんですよねえ。

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ここんとこ

 ここんとこホームページ作りに掛かりっきりでブログの方がおざなりになってるといった風情の今日この頃。出来合いじゃないけど以前書きかけの記事を投稿しているのでそれでも毎日記事を載せるといったしのいでることだけは続いてる。

でもさっとチェックしてぱっと公開してるので記事自体の質はやばいかもしれない。誤字脱字は無いとは思うが「てにをは」が出鱈目で読みづらかったりなんかして。

まあなんですわ、パソコンのパの字も知らない人間がホームページ作ろうなんてのが無謀な話しそのものなんですが、それでもなんとかどうにかこうにか形が出来つつありますわ。こうしたいこうした方が絶対いいとかいうのが山ほどあるんですが知恵がついていかないけど。

前回カウンターが貼れないというのと飾り文字が定位置に落ち着いてくれないという事を書いたんですが、それはなんとか片がつきました。カウンターはこれでいいのだだけど飾り文字は諦めて普通に打ち込んだ文字を拡大してよしという後退した決着でしたが。

昨日、ホームページビルダー14買って来ましたわ。パソコンに始めから入ってた9ライトというので試しに作ってみたらこれがなかなかに前に進めたのでバージョンアップしてこれで本格的に作っていこうと思い立って。ここに至るまで結構色んなとこうろうろと徘徊したなあ。

で、今のところの悩みの種は

同一頁内でのジャンプの仕方が分からんぞ。あ行からわ・ん行までひとつの頁で表を作ってしまったので長大になりつつある。頁って何ページかに分割出来ないのかな。もしくは上からスクロールせずに各行にジャンプ出来ないか。色んなホームページ見学する限りジャンプは出来そうなのだが。ん~分からん。

機能が増えて益々用語が飛び交ってなにがなにやら。用語が分からないから躊躇するんだよな。

こういうのってまず順番として中身作り上げてから色んな機能を付属してった方がいいのか最初から設計図を作った上で機能を付した後に中身入れてくほうがいいのかどっちなんだろう。後者の方が正解なんだろうけどもうかんたんページ作成機能で始めちゃったからいらんとことかこうしときゃよかったみたいな変更したいとこがこらしょとあるんですわ。けど弄り方が分からん。

これって新たに作り直して差し替えた方がいいのか改造していけるのか。できれば改造のほうが能のない人間にしてみればその方が楽に思えるんだけどそうでもないのかな。

分からん事だらけで久し振りに頭使ってるんで熱出そう。説明書きなんて後から読めばいいやという性分なんで当分ああだこうだするんだろうな。マニュアル世代じゃないんで習うより馴れろで育ってきたんで右往左往するんだけどこれはしょんない部類だあれ。この状態が長く続くのかな。長いものには巻かれろっていうくらいだから別に悪いことじゃないか。なんてな。冗句はともかくまあ長い目でみてやってつかあされや。

遠州弁に特化したホームページなんで遠州弁知らない人には面白くもなんともないんですけど、まあ特産物なんで地元民としては残しときたいんですわ。ここまできたら意固地に近いのかも。

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*遠州では使われない言葉 「でら・でえらあ」

ご存知名古屋の言い回し。遠州では「馬鹿・ど・がんこ」を使うのでこういった言い方はしない。

当然この上をいく「どえりゃあ・でえりゃあ」などは使う筈もなし。

「めちゃ・めっちゃ」といった関西風の言い方は若い衆は遠州においても使い、それの変形なのか

「めさ・めっさ」という言い回しも若い衆の間ではよく使われているようである。これについてはまだ流行の域であって方言といわれるためには今後数十年経過した後にあらゆる世代で使う(もしくは年代のある時期で必ず使う)ようになってからであろう。

例文

共通語

「あのさあ、なんかものすごく雲行きが怪しくない?直ぐに降りそうだよ。」

名古屋弁(違ってたらごめんなんしょ)

「あのよを、でえりゃあ雲行き怪しいなも。まあかんかしゃん。」

遠州弁では

「やあ、ばかに雲行きやばそうじゃん。はあもたんらあ。」

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