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警視庁失踪人捜査課 その5

 今回は法月(小日向さん)の口説きのテクニックを堪能した回といった趣でしょうか。重たい口を開けさせる手管がなるほどと思って観ていました。

いつも高城(沢村さん)ばかりがご活躍という展開ばかりでなくこういうのもアリでいいなあと思いました。

親父がどうしようもない悪徳でその憤りを煽ってすわ犯罪かと思わせるように展開としては進んだのでありましょうが早くに血液型の話しが出ていたのでほぼ家出だろうなと踏んで観てしまいました。

素直に悪徳な親の巻き添えを食っていたいけな娘がという目で見てればもっと楽しめたのかな。

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警部補 矢部謙三 その6

「ネジ式」って何?というのを耳にするけど、「つげ義春」の名作なんだけど年代のギャップがあるのかしらん。時代を超えて今でも読み継がれてると思ってたけど違うのかな。そういやあ先週から出てきてこないなあねじ式君。見落としたかなあ。

てな事言ってるうちに終わっちまったよ。あえて遠州弁で言えば、「なによをどんばえ~なあやあ」(訳・早すぎるよいくらなんでも)。

犯人さんは誰?という推理は半分当たったけど、それと教団とどういう繋がりがあるんだろうと思ってたらこういう落とし処かあ。ある意味矢部謙三(生瀬さん)が事件の結末においてガチョ~ンとなるとしたら初恋の人しかないだろうから薄ら仄かにこのオチは納得はいきますが。にしたって殺人が行われると知った上でしかもそれを暴くのに協力して表彰されて始めて目的が達せられるというのは奇遇と偶然と超常現象とが重ならない限りは砂漠で米粒探すくらいありえないだろうと。

まあ当初恨み晴らさの人物が代行を立てないでいたならあそこで実行出来たのがすごいあてが外れてかくなったという事で理屈は通るのでほぼいちゃもん的な感想でありますが。

教団の教祖様のあのお方は事務方で居られたのは気づいていたのですが、ただの賑やかしではなく加担してるだろうと感じていたので前回の感想の際には書かなかったんですけど、実際どうだったんでしょうかねえ。煽ったのかどうか

逆に今回気づいたのは矢部の子供時代の彼「ともだち」の世界でも生瀬さんの子供時代演じてた役者さんだったですねえ。今頃気づきました。それにしてもあのヅラ。千枚通しが突き抜けれないというのですから調合金かなんかで出来てるんですかねえ。意味無いだろうに硬くしても。

散々迷路に迷い込んでいた事件が桜木(鈴木さん)と美晴(しほりん)が出張ったらあれよと言う間に解決というそのギャップも面白かったな。

今回は片桐(原さん)の見せ所が薄めでありましたな。

前原さんはなんでお面を付けてたんだろう。なんらかの事情でご本人出れないのでその代用かと思ってしまった訳ですが最後登場されてあれまあでありました。

出来ればトリックもドラマに帰って来てもらいつつそれと交互にこの「警部補 矢部謙三」もケイゾクして観られたらいいのにな。この面子はホントナイスでありました。

キャラとしては大村課長(魁さん)がダントツに面白かったなあ。超控えめな桜木と超突貫な美晴のコンビも良かったですたい。とにかく誰が突出していたというのではなくチームワークのよさが表れていてそこが愉しかったです。

とにかく続編を希望いたします。シリーズ化で。

それにしても矢部が昔話しに勤しんでから土蔵からのサインに気づくというシーンの場所「キミ犯人じゃないよね?」に出てきた場所とそっくりだったなあ。だとしたらしほりんあの場所で二度目の撮影に望んだということか。

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*遠州では使われない言葉 「ちん」

ちん (副詞)-と 落ち着いてすましている様子。「-とすわる」

とある言葉を捜していたら見つけたという昭和に発行された辞書に載っていた言葉。

「ちんとすわる」なんて聞いた事もない。

ネットの辞書にもない言葉。ネットで検索すると方言としてヒットする言葉。

でもしつこくネットで探して見たら「ちんと」でネットの辞書に載っているよと。で、「ちんと」で調べるとあった。意味も「ちん」と同じであった。

もしこれが全国的に使われている言葉で遠州だけが使っていないとしたらある意味「逆方言」といえなくもないところであろうな。表現が変だけど。

じゃあこういう様子を遠州弁ではなんと言うかというと、どういう状況で落ち着いているというのかが「ちん」なのか良く理解できないところであるが「ちんと座る」をよからぬ方向なら「知いらん顔して座る」・「いけしゃあしゃあと座る」とかで、いい方だと「普通にして座る」・「気にもしんと座る」・「ででんと座る」とかか?あまり適切なのが思い浮かばないな。

とにかく遠州でこう言われても全くもって「ピン」とこない言い回しである。「きちんと」・「ちゃんと」とかの言い間違えじゃないのかとさえ思うかもしれない。これほど全く聞いたことも無い言葉というのも珍しいよなあ。

でも「ちんぷりかある」(すねる)の「ちん」と同じだとしたら全くない訳じゃあないか。全然意味は繋がらないけど。

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*はいぼ

「灰」の事を指すらしいのであるが、聞いたことはあるが私は使わないので「だそうな」としか言えないところである。「灰」ならなんでもかんでも「はいぼ」と言ったのか、どうなんでしょうかねえ。

囲炉裏や火鉢・行火(あんか)・かまど・風呂焚き・蚊取り線香などなど生活していて出てくるものだけを指すのかな。それとも外で焚き火とかして出来る灰なんかでも「はいぼ」と言うのかな。いくらなんでも「石灰」を「いしはいぼ」なんて言い方はしてないんだろうな。

今は殆どの家は灰が出る生活をしていないので使い道がなくもう死語の部類に入るのだろうかな。

「ぼ」を付すところが味噌なんだろうけれど、「ぼ」とはなんなのだろう。「ぼ」で思いつくのは「きかんぼ」・「おこりんぼ」とかの「坊」からきたであろう「ぼ」くらいなもんだけど。「とうせんぼ」とかもそうなのかしらん。親しみを込めた「愛称」なんだろうかな。

ちなみにネットの辞書には「ぼ」・「坊」より子供及びそれに準じる物を指す。(つくしんぼ)。とある。

「灰」はそれ(準じる物)には該当しないような気がするから「坊」ではないような気がする。つまり「ぼ」の意味するのものは結局はよく分からん。

火鉢に使われる灰は上質?なものらしく、ガキの時分ばば様のところの火鉢の灰を弄くってったら簡単に補充がきくのもではないらしくえらく怒られた記憶がある。そういえば火鉢の灰が舞う様を灰神楽と言うけれど灰神楽という言葉は好きだな情緒があって。でも実際の光景は洒落にならないけど。遠州弁だと「はいぼかぐら」と言うのかしらん。まさかね。ついでのまさかね続きでいうと「猫灰だらけ」って「猫はいぼまるけ」って言うのかしらん。

かまどや風呂焚き釜から出るような灰は肥料として使われてたし、生活に密着してたからこその親しみを込めて「ぼ」を付す言い回しになるのかな。想像ですけど。

遠州独特という訳ではなく三河の方でも使うらしい。私は使わないので使いどころが不明なので例文はありません。

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*あべし

「あべし」・「ひでぶ」と既に死んでいるとかいうお話しじゃあなく。

古語辞典に載っていた「あべし」という言葉のお話し。ただしおちゃらけ記事ですのであしからず。

「あべし」{ラ変動詞「あり」の連体形「ある」に助動詞「べし」がついて「あるべし」となり、その撥音便形「あんべし」の「ん」の表記されない形}当然だ。適当だ。道理にかなう。とある。

適当というのはいい加減という意味ではなく妥当とかいう意味合いなんだろうな。最近の「適当」って「相当」というより「雑」という使い方の方が圧倒的に多いから一瞬「へ?」と思ってしまいました。

遠州弁に近づけるとしたらどうなるかと妄想してみる。

意味を無視して言葉尻を捉えて考えると「ある」+「べし」=「あべし」を模して「ある」+「べえ」=「あんべえ」としたら「あんべえ」という使い手は居そうな気がする。流石に「あべえ」は居ないだろうな。ただし「あんべえ」に「当然だ」とかいう意味はない。使い方は「そうに違いあんべえ」(そうに違いなかろう)。まあ遠くもないか。でも「そうに違いあべし」なんて言わないだろうからやはり近くはないな。

意味だけで近いものをと考えると「普通そうだらあ」くらいに落ち着きそうで単語で言い表せるものが思い浮かばない。

「だべし」となると別の漫画の世界になっちゃうけどこれは遠州では使わないけどどこかの方言なんだろうな多分。

すごい話しが飛ぶけど漫画の話し。「あべし」と言って死んでいった者は「道理にかなう」とか言って死んでいったということなのだろうか。だとしたら納得して死んでいった事になるが漫画で見る限りでは訳が分からないといった表情でとてもそうには見えないが。古語から来た言葉じゃなくて偶然の一致というか他人の空似な言葉ということなんだろうな。

ちなみに「ひでぶ」というのは流石にどの辞書にも載っていなかった。遠州で「ひでぶ」と言ったなら即座に思い浮かぶのは「ヒデ」が「ぶう」つまり太った「ヒデ」という人の愛称。

例文は完全におちゃらけです。

例文

「こっちよりあっちに置いた方がしっくりくるんじゃないの?」

「応。あべし。」

「なんだよ既に判断力死んでるのか?」

「ちゃうわあ。道理にかなうってゆってるだあ。」

「訳分からん事こいてんでちゃっといごかせやあ。」

「駄目でえ。わし腰があべしだもんで持ちいん。」

「なんだよ腰が道理にかなうって。」

「いや腰が既に死んでいるってこんで。」

「やあ、その『あべし』って意味どっちかにせいやあ。こんがらがるわあ。」

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その6

 「ぐっちー認識のズレ珍しく大きいねえ。」白鳥(仲村さん)語が炸裂してましたなあ。こういう減らず口は好物です。飄々感を表わすという事もそうですが、白鳥は奸物っぽくもある扱いづらいお人なだけにこうでなくちゃという感じですな。

今回闇の概要が映し出されたのかと思ったらあの告発文どっかで見たぞ。ほぼ字句はそのまんまの奴。でも映画での差出人は和泉(加藤さん)じゃなかったぞ。って和泉ってキャラ映画には居なかったもんな。

まあとにかく全然別の闇かと思いきや告発文の登場であれ?でありまして。惑わすなあ。ん~面白い。先が読めぬ。

今回もうひとつあれ?って思ったのはセリフが大分説明口調になってたなあ。今までのなんのこっちゃの置き去り具合が悦だったのに。その効能で病院に居るというプロ集団としてのリアル感が増してた感じだったのに、説明のオンパレードでなんか劇に戻ったみたい。

でもまあ速水先生(西島さん)って色んなとこに頭巡らさなきゃいけないんで大変だろうなあと。白鳥からはやいのやいのでぐっちー(伊藤さん)からは心のケアをと促され和泉先生や車椅子の患者からは誤解されつつ病気と対峙して退治していかなくちゃならないんですから。全部かまってたら身が持たないから治した患者の事は忘れてくという言い分もなるほどなあと思えたりなんかして。

もっとも治った患者さんの元気な姿を見て医者として頑張ろうという気力になるという和泉先生の意見の方が全うな気はしますが。

速水先生の信念は目先の成果を求めないということなんでしょうかねえ。大事の前の小事って普通とられますから自分が生死を彷徨った事は小事なのかとなんて冷たい人だと思われても自業自得な気もしますが。とにかく普通じゃない天空の人という感じはしますな。

花房看護師長(白石さん)と火花バチバチな会話してましたけどあれは女の火花だったんでしょうかねえ。速水先生42歳・花房看護師長35歳・和泉先生29歳という設定の筈ですけどそういう感情アリなんでしょうかねえ。自分としては尊敬と崇拝だけの方が見やすいんですけどね。告発文は嫉妬によるものかなんなのか。よく分かりません。

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*こどんでる その2

以前の記事で「沈殿している」と訳した記事を書いたが用途としては「空気が滞ってる」・「空気が悪い」とかいう事を指す場合もある。

共通語に直せば「よどんでる」(澱んでる・淀んでる)という事である。何故「よ」が「こ」になるのかはよく分からない。憶測であるが「よど」が痰・つばとかを連想させるからであろうか。それはないかな沼とかに対しては「淀んでる」って使うものなあ。もしかしたら「澱む」と「淀む」を使い分けるために「澱む」の方を「こどむ」としたのかな勝手な想像だけど。男女共用。

例文

「全然発言ないなあ。会議だもんで活発にやらまいや。」

  (全く発言がないなあ。会議なんだからもっと活発にいこう。)

されど暫し沈黙は続く

「やあ○○、なんかここんさあ空気んこどんでるでなんとかせよやあ。」

  (ちょっと君、なんか空気がよどんでるからなんとか打破してくれないか。)

「ちょー無茶振りしんでやあ。なんとかせよってなにやりゃいいよを。」

  (ちょっと待ってよそんな無茶な事言わないで下さいな。なんとかってどうすればいいんですかあ。)

「ナイスなアイデアだいて盛り上げるとかやあ。」

  (ナイスなアイデアを出して盛り上げるとか。)

「出てこんもんでこどんでるだらあ。まあひょんきんなこんなら出るだけどぉ。」

  (出てこないから停滞してるんでしょうに。まあ突拍子もない事なら浮かばない事もないけど。)

「おめえのひょんきん洒落んならんで余計空気こどむかもなあ。」

  (君の突拍子もない事って洒落にならないから余計空気が悪くなるかもなあ。)

「ひどいことゆってくれるじゃん。んじゃまあとりあえず窓開けて空気入れ替えまい。」

  (随分な事言ってくれるじゃないですか。それじゃあまずは窓を開けて空気を入れ替えましょう。)

「別に酸素薄いとかじゃないだで。そんなんで雰囲気変わらすかや。」

  (別に酸素が薄くて息苦しい訳じゃないんだから。そんな事で雰囲気が変わるわけないだろう。)

「分からんよをやってみんとを。効くかもしれんじゃん。」

  (そんなのやってみなけりゃ分からないでしょう。もしかしたら効果出るかもしれないじゃないですか。)

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絶対零度 未解決事件特命捜査 その5

 福田麻由子さんが出とらした。随分と久方振りな印象を受けるが気のせいか。相変わらず業を背負うというか幸薄い役のようで。

展開としてはあんたが犯人という方向性を限りなく示してるけど、希望としては「違う」と思って観たいところですな。最後笑顔になればいいのにな。って次週に続くってか。それにしても大きゅうなられて。

あくまで真実を白日の下に晒す為の懸命な行動ということで、動物殺しの罪には問いたくない感じです。しょっぱなの犯行現場のシーンでは金網に血が付いてたけど赤い髪飾りの人が握り締めてる包丁には血が滴っていなかったから時既に遅しで犯人は立ち去った後という感じがしました。なんらかの理由で阻止しようとでもしたんでしょうかねえ。と思ったもので。でも何かの間違いでも塚本(宮迫さん)に傷を負わせてしまったのだから無実の孤高な私立探偵という訳にはいかなくなってしまった事は確かでしょうが。それにしても人を寄せ付けない壁とそれに付随する悲哀を表現させたら相変わらず見事だよなあ。

見せ方から憶測するに、すげえ大雑把な直感で根拠なぞないけれど犯人はなんちゃら動物推奨会の職員なんじゃないのかなと。動物殺しはそう踏んでるんですが人殺しの一件は皆目見当がつきませんわ。どう繋げてくるんでしょうかねえ。今回は珍しく塚本がヤル気出してましたなあ。

で、先にも書いたけど珍しく次週に解決持越しという展開でありました。来週まで待つというのは長いな。それにしても福田さん少女役という制約から放たれて役の幅が広がって愉しみだな。個人的には不幸とは対極の能天気な役柄とかいうのを観てみたい。

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*あんだ

古語辞典を引いていたら「あんだ」という言葉があった。

意味は{なんだの転}なにごとだ。とあった。

という事はなにか?志村さんが放つギャグの中で婆様の

「ああ?あんだって?」

と言うのは古い日本語だったのかあ。

古語辞典ではいつ頃の時代の言葉とか記されてないけれど。

へ~と思ってしまいました。なんてなっ。東村山辺りではまだ生きてたということなのかな。

ちなみに遠州ではこういう言い方はしていない。なので遠州弁に結び付けようとしても無理がある。が、強引に例文をひねり出してみる。

例文

「すいませ~ん。どなたかおられますかあ~。」

「あんだよ~。そんなでかい声出さんでもぉ聞こえてるわあ。」

「あ、すいません。あのですね、町内会のものですけど祭りの寄付お願いしに来たんですけど。」

「あんだって?祭り?あ~、うちゃあ祭り出んで勘弁な。」

「そんな事言わないで。今年は芸能人さん呼ぶ事になったんで寄付をホント集めないと厳しいんですから。」

「芸能人って誰来るよを。」

「え~と確か杏とかいう方だったかなあ。」

「あんだって?」

「はい。」

「はあ?なにんはいだあ。誰かって聞いてるだあ。」

「だからあ・・・・」

注、あくまで言葉遊びのフィクションですので実在の芸能人さんがいたとしてもその方とはなんの関連性もありません。

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*わるいやあ

「すみません」と言ってる。申し訳ないという意味合いであろうか。別に直接的にご足労を掛けた時とかに使うだけではなく感謝の気持ちを伝える際に使われる。「謝る」というニュアンスは薄い。男女共用。

遠州弁では知らない人にものを尋ねる時くらいしか「すいません」は他人行儀と感じて使わない傾向があるし「すみません」も殆ど使われない。

別に謝らない種族だからという事ではなく、その代わりになんと言ってるかというのが「悪いやあ」であり「済まんねえ」とかであろう。

「申し訳ない」は「悪いやあ」で

「感謝するよ」は「悪かったやあ」という言い方をする事が多い。

「やあ」の他には「ねえ」を使うこともある。ってこれは共通語か。「わるいねえ」と「わるいやあ」とではニュアンスが若干異なり「ねえ」の方が幾分上から目線と遠州では取られやすい。

「にい」を使って「わるいにい」だと「それじゃあわるいにい」とかの使い方で「それでは申し訳ないから」という意味合いになる。「わるいらあ」だと「申し訳ないだろうに」という感じであろうか。

ご好意に甘えてという気はあるが一応礼儀として断りの表現をする時とかは「それじゃわるいよう」(それではご迷惑でしょう)・「それじゃあわるいでえ」(それでは迷惑掛かるから)とかを使う。

先に述べた「それじゃあわるいにい」は本心で断る場合に発せられることが多くこれらのニュアンスの機微を計らないと奥様同士のつきあいとかで「言葉が通じない人」(無神経な人)と思われぎくしゃくする。

つまり断る気でいる時には「わるいにい」・「わるいで」・「かんで」。(強く押されれば断らないが)

どうしようかなと迷ってる時には「わるいらあ」と相手の反応を窺い

頼もうかなと内心思ってる時には「わるいよう」・「わるいでえ」を使うという使い分けがなされているということであろう。微妙なのは「わるいって」。どのパターンに対しても使えるので言い手の真意が計りづらい。

「ごめんなさい」と言うべき状況で「悪かったやあ」を使うと誠意が足りないと「あんた何様よ」などと思われる事が多い。

例文

「頼まれたもん持ってきたにい。どこ置く?」

  (頼まれた物持って来たよ。どこに置こうか。)

「悪かったやあ。重かったら?そこらへん置いといてくれりゃいいよ。」

  (重かったでしょ?有り難う本当にお手数かけたね。そこら辺に置いてくれればいいよ。)

「いやあ、そんな重かあなかったに。ほいじゃここんさあに置いとくでねえ。」

  (いや、それほど重くはなかったよ。それじゃあここら辺に置いとくからね。)

「まあ上がって茶あでも呑んでってやあ。」

  (まあ上がってお茶でも呑んで行ってよ。)

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新参者 その4

 下町気質の人間との係わり合いを持っての人情劇というパターンになってきたように感じられました。元は刃傷劇な筈なのにとつい。

でもやっぱ面白かったです。原田さんががんこ存在感ありましたなあ。頑固親父を説得するなんてよく出来るなあと感心する有様。私だったら近寄りません。というか近寄れません。君子じゃないけど危うきになんとやらですわ。

誠実で無欲な弟子(恵さん)の存在も大きかったな。親方の偉大さを別な角度から表わしてたみたいで。

ま、とりあえず今回で分かった事は被害者は安産祈願に勤しんでいたという事か。誰のだろう。他になんかあったのかな。

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あいすみません

死語の枠とするのは無謀な話しではあるけれど、でも最近聞かないよなあと思って。「すいません」はよく聞くけど「すみません」がね。地方によって違うだろうけど。

「あい」は「相」と書く訳だが「相互」みたいな互いにという意味合いとしてではなく「すみません」を強調するために使われるそうな。「まことに」・「本当に」とかと同じということか。

辞書によると「あいすみません」では載っておらず「あいすまぬ」(相済まぬ)で載っていた。意味は、①そのままにしておけない。②申しわけない。

「すみません」は辞書によると、おわびや、人と交渉を持つ時に使う言葉。とある。

「すいません」は昭和発行の辞書には載っていなかった。

ネットの辞書では、「すいません」は、すみませんの転。「すみません」は相手に謝る時。とある。いつ転じるようになったんだろう。

標準語の伝道者たるアナウンサーさんは今どういう使い方をしているんだろう。使い分けとかしてるのかな?それとも「すいません」で統一してるのかな。聞いてみたいもんだ。

平成の今は、すいませんもすみませんも同じと述べられているけれど個人的な感覚としては違いがあるように思えてくる。

すいません=ごめんなさい

すみません=申し訳ない

事後と事前というか。起こってしまった事に対するのが「すいません」でこれから起こり得る迷惑に対してあらかじめ述べときますというのが「すみません」とかな。

「すみません」という言い方がマナーの欠落という文化と共に廃れてきていてとにかく「すいません」と謝れ・謝っておこうという使い方しかしなくなったんだろうかな。

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*遠州では使われない言葉 「じゃ」

「そうじゃ」・「そうじゃけえ」・「そういうもんじゃ」

といった使い方の「じゃ」。廣島方面の言葉としても有名だけどおじいさの言い回しでも一般的であろうか。

辞書では「じゃ」(助動詞) である。だ。

しかしながら遠州ではじいさまでさえほとんど「じゃ」を使うことはしない。それは「だ」を使うからである。というのも「だ」というのは

「だら・だに・だもんで・だあ・だん・だけ・だけえ・だけえが・だで・だ」などといった遠州弁としての根幹を成す「だ」だからであるだ。

遠州で使われる「じゃ」は別種の「じゃ」で辞書にある

接続詞 (それ)では。「じゃまた明日」 接続助詞 では。「あるじゃないか」

という使い方の方だけであろうか。

「ほいじゃなによを」といった「なら」という意味合いのものである。

脱線するが、「ほいたらなによを」という言い方も同じなのでニュアンスの違いはあるけれど「じゃ」=「たら」=「なら」=「では」ということもいえるかもしれない。ちょっと飛躍しすぎたかな?

冒頭に挙げた例を遠州弁として訳すと

「そうじゃ」(それなら)「そうじゃ知らんよを」(それなら知らないわぁ)・「そうじゃけえ」(そうならけえ)・「そういうもんじゃ」(そういうもんなら)「そうゆうもんじゃかんだらあ」(そういうものじゃ駄目だろう)

などとなる。ただし「そうならけえ」なんて言葉は存在しない。ので、例文はない。

話しを戻すが、とにかくそんなこんなで「じゃ」という言い方は遠州ではせず、「だ」を使うのである。ヒアリングの方は「じゃ」を発せられても理解は出来る。ただし大抵は「やあおじいさぁ」(おいお前はおじいさんか?)と突っ込まれることは確かであろう。

例文

「むかしっからやあ、そういう風に決まってるだあ。」

  (昔からのう、そういう風に決まってるもんじゃ。)

「知いらんやあ。初めて聞いたにいそんなこと。いつからよを。」

  (聞いた事ないよ。そんな事言われたの初めてだよ。いつからそう決まってるの?)

「わしん小さい頃にい大人衆そうゆってだだあれ。」

  (自分が小さい頃には大人の人達がそう言っていたのじゃよ。)

「変なの。」

「変じゃあらすか。なんしょそおゆうもんだでそうしにゃかんだあれ。」

  (変じゃないっ。とにかくそういうものなんだからそうしないといかんのじゃよ。)

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土曜プレミアム 坂本龍馬のお話し

 タイトルいい加減でごめんなさい。ついつい最後まで見てしまいました。結構面白かったな。と、よいしょしておいて。

暗殺の再現の際の三太刀の数秒間の実演(検証)というのは迫力あったな。説得力もありました。

龍馬がどういう三太刀で死に至ったのかというのはホント説得力ありましたが、でも、ちょっと待てよと。中岡慎太郎の方は十数箇所の傷を負ったということらしいんで、それはどうみても龍馬への攻撃と同じ時間(数秒)でそれらの数の刀傷を負わせれるとは思えない訳で。片や数秒片方はその倍以上掛かったってのはどういうことなんでしょうかねえ。

三太刀を疑う訳じゃないけどしっくりこない感じがしました。役割分担が決まっていてなおかつ剣の上級と下手の違いで手間取ったというのにしても龍馬の方を始末した方が手助けして時間短縮とか図らなかったのかなあと。

に、してもくどいですね最近のこういう手(歴史の新たな一頁とか新発見とか謳う)の番組のCmの前の繰り返し連呼というのがどのテレビ局でも。思わせぶりも程度が過ぎると苛ついてきてしまいそうです。

ダヴィンチコードに引っ掛けて龍馬コードとか例えるのなら少なくとも映画みたく番組としての推理の結論はかくたらんくらいのまとめはして欲しかったな。煽ってよしというのはなんだかなあと。

昼間にBSで別の龍馬暗殺を取り上げた番組やっていたのを観ました。龍馬づいてるなあ今日は。そこでは中岡慎太郎犯行説を取り上げていた。英国の使い番という立ち位置もなるほどなあと思えるのだが夢がないなあと思ったりもしたところで晩方のこの番組でありまして。

龍馬への敬意は感じられましてそれはそれで良かったし、年表で行動を追っていて分かりやすい部分もあったなあ。あの僅かな活動期間であの偉業というのを考えるとホントに駆け抜けたという言葉がぴったりはまる感じだよなあ。業績ばかりでそこに至るまでの奮闘の手順とかが随分薄味だったけど。一介の脱藩浪人がなんであんな人脈を作りえたのかがよく分かりませんでした。

個人的には再現ドラマでの安田美沙子さんの言葉がよかったな。

見せ方にバラエティ番組的盛り上げ方の要素が勝りすぎるように思えたけど、繰り返しを廃して1時間ちょっとの番組とするか、もっと討論の時間を増やして番組としてのなんらかの結論をまとめてくれたらもっと興味深く観れたやも。

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