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警部補 矢部謙三 その5

 益々エンジンが掛かってきたというかこの臨場感に馴れてきたというか。愉しいなこの世界に浸るのは。

それにしても出し惜しみしないというかここまで小ネタ詰め込んでも物語が破綻しないというのは空恐ろしい力技というべきか。って元々まともじゃなかったっけ。これだけなんでもアリというかそりゃおかしいやないけと突っ込む気にならないとなると最早呆れを突き抜けて爽快だ。何事でも突き詰めると違った世界が広がるという事か。

なんてよいしょはこのくらいにして、ついにロケ地にもモノホンが登場してホント随喜の涙ちょちょぎれでおましたなあ。母の泉ならぬ瞼の母教。宝女子村はマンマだし。もうねミラクル三井が出てくるんじゃないかとドキッとしちゃいましたよ。風車の景色は本物じゃないみたいだけど宝女子村に架かる橋はモノホンみたいに映りました。

極め付けは次郎号のドアが出てきて車体も出てきて。で中に乗ってるのは山田奈緒子。先週と同じで替え玉かと思いきやなんと本物(仲間さん)登場。ということは以前チロリと登場してた後ろ姿は本物だったのか?いくらなんでもそんな贅沢はしてないだろうな。しっかし完全にトリックの番宣として徹底しててそれだけで笑っちゃいますな。

内輪ネタ以外にも外輪ネタも豊富で、ライアーゲームみたいなアナウンス・教団のポーズは「ともだち」風味・斧を避ける様はクイントリックス(訛ってるよ)・セリフに出てくるは晴れ時々殺人だあいつか誰かが殺されるだあの。まだ他にも色々気づいてないけどあるんだろうな。

個人的にひっかかったのは心配無用之介とヒッジョ~にキビシ~!に強く反応してしまった。

で、肝心の犯人の推理ですけど。自分なりに目星はついてるけどそれじゃあ面白くもなんともないので別人だろうなきっと。ちなみに私は二番目の犠牲者ではないかと踏んでるんですけど。果たしてどうなんざんしょ。

ところでこれが教団とどう繋がるんでしょ。

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*しゃあ

別にアムロがかく叫んでいるという訳ではない。

「しゃあ」の使い方は色々ありそれを書いておこうかと。これ以外にもあるかもしれないがいまのところ気づいたものを。

「やらしゃあせんよ」(やらせはしないよ)

「貸しゃあせんよ」(貸しはしないよ)

とかいう「しゃあ」。「~せは」・「しは」と訳せばいいのであろうか。

こういう使い方以外に

「やらしゃあ」(やらせよ)「やらしゃ」(やらせ)

「かしゃあ」(かせよ)「かしゃ」(かせ)

といった「~(さ)せよ」という使い方もする。したがってその訳も必ずしも「~せは」となる訳ではない。

ほかの言い回しとしては「しょ・しょう」というものがあるが

「やらしょう・やらしょ」(やらせてよ・やらせて)

「かしょう・かしょ」(かしなよ・かしな)

といった相手の同意を得る(伺いを立てる)みたいな勢いが「しょう・しょ」にはあるが「しゃあ・しゃ」は命令的な勢いなのでニュアンスは異なる。

「しゃあ」は辞書に載っていないのであるがネットで調べると大阪弁で「せば」と訳されており「やらしゃあええねん」(やらせばいいんだ)とかいう風に使われるそうな。遠州弁でもこういう意味合いの使い方はするところであるが「せば」と訳すよりも「せれば」という感じの違いはある。

「やらしゃあええだあ」(やらせればいいんだ)

尚、こういう使い方の場合「さしゃあ」と「さ」が入ることもあり

「やらさしゃあええだあ」

といった場合もある。

ところで「せば」という使い方は無いのかというと

「やらしゃあやらいたでしっちゃかめっちゃかになるだけだし」(やらせばやらせたで滅茶苦茶になるだけだし)

といった使い方であれば「せば」という訳になる。

整理すると遠州弁における「しゃ・しゃあ」の訳はいまのところ

「~(さ)せよ」・「~せは・しは」・「~せれば」・「~せば」

というのが思い浮かんでいる。他にもまだあるんだろうか。

もちろん「おんしゃあ」(お主は)の「しゃあ」は別物であるのでここには含まれない。

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警視庁失踪人捜査課 その4

 大山鳴動して猫一匹といった様か。ほっといても成したという事件性のないお話しでありました。心配させやがってこの野郎とかいうお説教は無しみたいでしたけど。いいんでしょうかねえ。あれで本人に反省がなく親がご迷惑掛けてすいませんでしたなんて事だったら全然一件落着じゃないですよねえ。

空振りというか要らぬお世話みたいな捜査の様をこれだけ細かく描くってのも珍しいといえば珍しいとも思え、斬新な意欲作といえなくもないのかしらん。もちろん途中は事件性ありや?という見せ方ではありましたが。

引き篭もりする人って自分の城というか領土は綺麗にしてるものだという意識があったんで、あの部屋を見たらこれは引き篭もりじゃあなくて復讐心に燃えてるに相違ないという事件性を感じたということなんでしょうかねえ。

というか引き篭もりは裕福な人がするもので貧乏な家じゃあ無理だろうな。大人なんだから親は構うなほっとけ扶養なんかするなという気分になってきますな。ご飯食べにも下りてこないから膳を部屋まで運ぶなんて増長させるだけだという感じがするところです。

まあいずれにせよ必死こいて探し廻った刑事さんにとってはその使命感が肩透かしという結論でありましょうけど。それでも全員安堵の表情で締めたという事はそういうお仕事なんでしょうね。ああ呑気だねで済むのもたまにはいいかあよかったなって事なんでしょうか。

苦労を知らない奴に人を感動させるものを生み出せるものだろうかという疑問はあるところですな。人は皆何がしかの苦労や上手く行かない事を背負って生きていて、そういうものを共有して的を得てこそ共感を感じるのではと。もちろん努力と苦労と苦悩が同義語であるというのなら四年間の鬱積は苦労だったと置き換えられなくもないでしょうが。いくらなんでもそりゃないだろうに。

どっちみち犯罪性があるとすれば誰かにぼそっとでも伝えていさえいれば警察沙汰というこんな大事にならずに済んだのに、自分の行動を伝える人がいないというのが罪なんでしょうかね。誰も友達がいない家族とも接点を持たないというのは社会を混乱させる悪だと謳っているのであればなるほどなあでありますが。

そういう意味であれば最後これで更生出来て良かった良かったじゃなく面と向かわず発せずとも帰りしなにぼそっと独り言で聞こえないように説経垂れて欲しかったなと思わないでもないところでした。実際のドラマのセリフでは「頑張れよ」みたいな類のものでした。まあそうしないと納まりつかないところではありましょうが。

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あらあらかしこ

あくまで言葉遊びです。冗句です。

*「荒荒かしこ」

 非常にうねるような激しい情感的な内容の文で恐縮です(申し訳ない)という添え書き。

*「オラオラ書きこ」

 つっぱり上等なヤンキー等が四露氏苦調でしたためましたという締めの添え書き。

*「オレオレ賢」

 どうだ俺は賢いだろうという自慢を謳った添え書き。

*「荒書きこかし」

 まとまりのない文章をこいてしまって御免なんしょという添え書き。

*「あららあかっこしー」

 うわあ格好つけてるなあ自分という自己反省的添え書き。

*本当の「あらあらかしこ」は

「粗粗」+「かしこ」。

「粗粗」(あらあら)およそ。ざっと。大略。

「かしこ」惧れ慎むという意。敬意を表わす語。{恐れ多い意の雅語形容詞「畏し」(かしこし)の語幹}

つまり、甚だ簡単ではございますがみたいな感じの手紙の末尾に記される添え書き。女性専用だそうな。粗粗は男女共用であろうがかしこが女性専用という事なのか?「かしこし」なら共用だけど「かしこ」は女性専用ということなんだろうなきっと。それと、いくらなんでも「粗粗畏」と漢字で書くことはないんだろうな多分。

 

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*遠州弁と音便

穏便に済まそうとかいう「おんびん」ではなく音便の方の「おんびん」。知恵も無いのに屁理屈ひけらかしても浅知恵がすぐにばれようというものではあるが。極力引用でそれがばれないように化けの皮を厚着しつつ先に進める。

辞書によると「音便」とは

国語の単語・文節の一部に起こった発音の変化。い音便・う音便・撥(ハツ)音便・促(ソク)音便の四種が有る。

と書かれてある。

細かい説明を求めて検索してみたら「音便」というところが出たのでご参照あれ。

難しい話で理解している訳ではないが、音便というものは平安の時代に紡がれたものらしい。

例を辞書で探ると

い音便は「き・ぎ」が「い」に変わるもので、「咲きて」→「咲いて」・「脱ぎて」→「脱いで」・「白き花」→「白い花」

う音便だと「ふ」・「ひ」・「く」が「う」になるらしく、「赤く」→「あこう」・「扇」(あふぎ)→「おうぎ」とかがそうであるらしい。

撥音便では「び・に・み」が「ん」に変化するもので、「呼びて」→「呼んで」・「死にて」→「死んで」・「読みて」→「読んで」

促音便は「っ」が入るような変化、「「持ちて」→「持って」・「みとうもない」→「みっともない」・「やはり」→「やっぱり」・「とと」→「とっと」

以上のほぼ丸写しの事から推察すると遠州弁は「促音便」を非常に多用し「い音便」・「撥音便」もよく使う種族であるという妄想が成り立つ。脱線するが名古屋は「う音便」が多用されるらしい。「なってまう」とか

ところで一例として遠州弁の「ん」を代表とする発音の変化は遠州弁として流暢に言い易くするために変化したものだと思うのだが、遠州弁での変化を音便っていうのかしらんというお話し。

撥音便「び・み・に」が「ん」にというのであれば

「やけに重い」→「やけん重い」とかがそうであろうが

「どんもい」は「度に重い」とかいう風に解釈せよということなのか。

なら「あいつのところ」を「あいつんとこ」というのはどうなんだろ。

「ひょうきん」を「ひょんきん」というのはどうなんだろ。

「~というので」を「~つうんで」というのは?

とまあ、挙げたらキリがないくらい「ん」に化けるのである遠州弁は。なんか理屈と合致しない気がする。そうするとやっぱ「音便」とは違うのかな「訛る」というのは。それぞれの変化は今後別記事で羅列状態で挙げてみる。

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ちょっとショックいや大分かな

 仕事の帰りがてら本屋に寄ったと思ってくださいな。確かにそう滅多に寄る訳じゃないんでどこに何の本が置いてあるのか熟知してる訳ではないのでありますが。それでも雑誌とかはたまに買うといった本屋さんですわ行ったのは。

で、今日は雑誌コーナーが主な目的ではなく別のものを探しに行ったんですわなこれが。方言に関するような地方ネタを扱う書籍とホームページの簡単な作り方みたいな類の本を探しに。いつもは結構混んでるけど皆祭り疲れが取れないのか珍しく空いていて今日は見通しが良いという感じの店の雰囲気でありました。

どこのコーナーに置いてあるのか分かんないので急いでる訳でもないしということで端の方から順に見てけばいいだろうとうろうろしてたんですわ。結果から先に言えば結構熱心に探したけれどお目当ての本は見つからなかったんですけどね。その事自体は別にショックでもなんでもないんですわ。

ショックだったのはパソコン関係の辺りの本を注視しつつ右往左往してたときに気づいたんですわ、ふと遠くを見たら店員さんがこっちを凝視してたんですな。一瞬目が合った気がしたんですけどまあ偶然だろうと思って又本を探す方に集中したんです。

暫くああだこうだ自答しながらこれは参考になるかなあという本を探したんですけど価格見たら目ん玉飛び出そうな定価だったんでこりゃ失礼しましたって棚に戻したんですわな。

で、こいつぁ買えそうなのはこのコーナーには無いなと思ってそこを後にして目的変更して他の棚列を見回って方言の本探してみようと向きを変えたらなんとさっき目が合ったと思った店員さんとまた目が合った。最初目が合ってからその一連までの間の時間はおおよそ2・3分か。まさかずうっとこっちを見てたということか。

なんで?万引きと思われた?それしかないよなああの目は。でもどうして?そういう風体に見えたからか?そりゃ仕事帰りだからよれよれな服でこの店には不似合いと思われても仕方ないのかもしれないけど。でもですよ洗って無い訳じゃないから決してよれよれじゃないしそれにもう何年もほぼこの格好で仕事帰りにこの本屋に通ってるんだけどなあ。

そんな目で人に見られた事なんてそうそうあるもんじゃないのでそれがショックだった。

自分はそんな胡散臭く場にそぐわない人間と見られていたんだろうかと。まさか浮浪者に見られてることはないだろうが・・・でもなあ。

服装や髪型に気を遣うなんてことは基本しない人間でずうっと生きてきたけれど今日の自分は人様と言える領域というかレベルの装いに至っていなかったというのだろうか。

作業員風の格好に一枚羽織っただけだから不潔に見えたのかなんなのか知らないけれど油まみれな訳じゃないから本を汚すなんてことはないのは見てもらえば分かる筈。う~ん、やっぱなんで?ですわいな。もうきちんと服にもそれなりの注意をしていなければ怪しいと思われる年代に至っているということなのか?汚なそうなオヤジは忌みられるってか。

でも不良に思われた経験は生まれてこの方一度もなかったけれど今日は浮浪に見られたって事は経験出来たぞということでそれはそれで貴重な経験値を稼いだって風に考えればあれかあ。なんの得にもならんけど。

しっかしだなあ、今のままで改善しないと今後も同じように見られる可能性もあるってことだよなあ。他行ってもそうなのかなあ。めんどくさがりとしては生活パターンというか意識を変えなくちゃいけないのかと思うとホントショックだよなあ。

別に店員さんに対して不快だという事ではないですよ。商売なんだから店を守るという意識は大切ですし、万引きとか許しちゃいけませんからね。あくまでそういう風に見られるような隙を自分が作ったということが問題なんですわ。しかも普段と違うおかしな事をした訳ではなくずうっと変わらないでいたのに歳を取ったというだけで変わらなくてはいけないのかと言う事がくどいようですけどショックなんですわ。

それとも地域に密着した地元民が使うお店というものから脱却して遠方からの来客が増えたので、とある国のパジャマで外へ出るじゃないみたいなもんと一緒できちんとした装いをせよという事になりつつあるのか?んなわきゃないかあ。

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*長音化

「や」を「やー」としたり「あ」を「あー」と音を伸ばす事を「長音化」というらしい。

言葉であれば「すいません」を「すいませーん」・「すごい」を「すごーい」みたいな。

個人的には呼び方を「伸音化」として貰った方が分かりがいいのだが。いずれにせよあまりな講釈こくほど知恵もないのでこういう話しは本来は避けて通りたいところであるが。

まあとにかく「長音化」。その効能はなに?ということが記されてるところがネットで検索しても見当たらない。多分探し方が悪いせいなんだろうけど。

いまのところ思ってるのは方言に関しては何でもかんでも音が連なると長音化だとする傾向に思えてくるけどそういうのは危険だよなあと。特に遠州弁にはその傾向が強い感じがするだけに。

例えば「買いい」(買いなさいよ)。厳密な遠州弁かどうかは定かではないがこれは「買い+い」でないと説明がつかない。(「い」については別記事で説明しているのでそちらをご参照願えればありがたし。)

「買いない」とすればより判り易いだろうか。長音化ということであれば「買いなー」(かいなあ)であり「い」とはならない。「買いない」を訳すと「買いなよ」で「買い+な+い」ということであろう。

こういった辺の整備をしとかないとせっかくの古語の生き残りを使ってる遠州弁が色褪せてしまうような気がする。

遠州弁とかでなくとも「ほら」と「ほらあ」ではそのニュアンスが明らかに違うのだからして。

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*遠州弁で日記風ヲタ

明日から はあ仕事だってやっ。連休もわっきゃないしぃ、あっちゅう間だったなあやあ。

(明日からもう仕事の日々に戻るのかあ。連休があっという間に過ぎてしまったな。)

ほんで何してたかっつうと、ちっとでも腕磨かすかと思って結構パッソーなぶってただよ。でも全然だわあ。

(それで何をしていたのかというと少しでもパソコンの腕を磨こうかと思って長い時間パソコンいじってたんだけど全然駄目だったなあ。)

つうか時間有ると思うと集中しんくて知らなんでるうちいダラダラこいただかいやあ。尻叩かれんとかんだかいねえわし。んなわきゃないかあ。単に苦手なんだらなあ。よを分かった。

(というか、時間が有ると思ってると集中しなくて知らないでいる内にダラダラしちゃったのかな。自分ってプレッシャーとかがないと駄目なのかな。いやいやそんなことはないよな。単純に苦手なんだろうな。納得。)

まあなんしょ金遣わんかっただけでもよしとすっかぁ。のえ。

(でもまあとにかく浪費しなかっただけもよしとしようか。ねえ。)

にしたって連休まるさら晴れなんてど珍しいじゃん。普通どっかいちんち雨降るだにねえ。祭り出た衆ウハウハだったらなあ。明日ぁ声枯れてる奴とか真っ黒な奴どんだけいるかだなあ。ことしゃなんしょ満足だらあ。

(それにしても連休中毎日晴れの日だったのは珍しかったなあ。大抵はどこかで一日は雨が降るのにね。祭りに参加してた人にとっては喜ばしい限りだったんだろうな。明日は声が枯れてたり顔が日焼けで真っ黒になってる奴何人くらいいるかなあ。今年はさぞかし満足だろう。)

いっつもマジで仕事に差し支える奴いるでねえ疲れかあってて。祭りじゃしょんないっつって誰も怒らんけど。客も笑ってよしだでなあ。こんなんが通っちゃうだでちょっとどころか大分ひょんきんだらあ?こかあそうゆうとこだあれ。ホント笑っちゃうらあ。

(毎年ホントに疲れ果てて仕事に差し支えるような奴いるんですわ。それでも祭りじゃあしょうがないなって誰も責めないけど。お客さんも笑って許すしなあ。こういうのがまかり通るんだからちょっとどころか相当変わってるだろ?ここはそういうお国柄なんだよね。笑っちゃうよね。)

はなしゃあ戻るが雨なしってのは誰ん行ない良かっただかいねえ。

(話しを戻すけど雨が降らなかったというのは一体誰の行いが良かったからなのだろう。)

わしじゃないこたあ確かだけどぉ。ホント誰だいね。

(自分じゃないことだけは確かだけどね。ホント誰なんだろう。)

注、「ヲタ」というのは世迷言・意味もない事。

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ちょー

「ちょっと」と言っている。「超」とか言ってる訳ではない。

「ちょ」を長音化したものか?その効能は呼びかけの強調ということか。でも「ちょ」という言い方は普通しないので説得力に欠けるところではある。

逆に「ちょっと」の短縮されたものという勘繰りもできなくはない。まあどこをどうはしょれば「ちょっと」が「ちょー」になるのかは説明できないが。

「ちょーちょー」と連呼する事も多い。男女共用。

「ちょっくらちょっと」(ちょっとやそっとのこと・ほんのちょっと)というのを「ちょっくらちょー」と言う次第で、「ちょー」という使い方は遠州に限ったことではないのであるが以下の使い方には地域性があろうか。

「ちょー。ちょー、こっち寄って来たでえ。危ないにい。」

  (おい。おっと、こっちに寄ってきたぜ。危ないぞう。)

「ちょー。何やってるよをあんた。」

  (ちょっとあんた何してるの。)

普通はこういう状況では「ちょっと」以外だと「ちょい」とか言うのであろうかな。遠州弁ではそれが「ちょー」と言われているということである。訳としては「もう」・「あ~」・「おい」など状況によって変える方が分かりやすく必ずしも「ちょっと」だと限定しない方が訳しやすい。

今回例文は恐縮ながら動画を使わして貰った。

この動画では「ちょー」の他にも「おい」・「やあ」・「ちょい」の状況での使い分けが表わされていて参考になる。

緊急性が最も高い場合は「やい」もしくは「やあ」>「ちょー」>「ちょい」といった感じか。「ちょー」と「ちょい」の使い分けは急いてる時と余裕が出来た時に使い分けているようにもとれる。「やあ」は相手に指示する勢いが強い。

「超危ない」と聞こえるが「ちょー危ない」(うわぁおい、危ないな)と言っている筈である。ただし一度だけ「超」の表現を使ってると思われるのでそれと比較するというのもまた一献かもしれない。

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その5

 本題の黒い闇。全くの別物の蛇が出てきそうな感じになってきた風に感じました。孤高のジェネラルという風ではないのですねドラマの速水先生(西島さん)は。

そうなると事務局長(利重さん)はどういう役回りなんでしょうかねえ。

なんかここまで速水先生が関与してるみたいな描き方されると、速水先生が悪の巣窟に潜入して悪事を内側から暴くスパイだったくらいな話しじゃないと収まる気がしませんですな。もしくはオーソドックスに密かに行われていることが悪行ではなく善行だったとか。どうなるのかは知らないけど。今のところはちんぷんかんぷんですな。

イメージ的に本田さんが権力持ちの政治家役となると悪党という感じが反射的に思えてくるところだけれどこれで逆だったら凄いひっかけだよなあ。でもそういうたばかられ方も悪くない。

 で、今回の患者さんの方のお話し。お母さん(森口さん)のモンスターぶりは迫力あったなあ。自身が倒れてからは急に弱気になったのかえらくヤワになっちゃったけど、最初の詰め寄り方は観ててタジタジでしたわ。ぐっちー(伊藤さん)よく心が折れずにいれるよなあと思ってしまいました。

病院を離れて病気の原因を探るというのはドクター家でよく見たパターンでそこら辺は米国ならではだろうなと思っていたんですがその仕様を使われてましたねえ。

まあ患者の急変というのもその仕様でよく見たものですけど。この回はモンスターな母親も態度急変してしおらしくなったところが新たな工夫か。

でも面白いからいいかあ。救命病棟だって言いRのカメラワーク参考にしてたみたいだし血の月曜は24時風味で頭脳氏は椎S愛もどきだったし、参考にするのはこのドラマに限った事ではないのでしょうから。

参考にする事がいい事なのかどうかは定かではありませんが、とにかく上手く翻訳できるかどうかだろうですけどこのドラマは日本風味に上手く味付けされてる方だと思います。アリだなと。

で、どうでも良い感想ですけど、65.000円の請求書を白鳥(仲村さん)からなすりつけられたぐっちーの表情がほとんど狼狽した感じがしてなくて意外でした。まあ仕事一途でお給料の使い道があまりないから小金持ちなんでこれくらい屁でもないという事なんでしょうか。さすが白鳥そういうとこまでちゃんと見切っているんだなあ。

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*こわい

「恐い」とかいう意味ではなく「固い・硬い・堅い」という意味の方の「こわい」。むつかしいという「難い」は含まれない。

漢字で書くと「強面」(こわもて)と同じように「強い」と書いて「こわい」だろうかな。別に方言とかじゃなく調べたら辞書にも載っていた。

「こわい」形容詞{強い}反発する力が強くて、自分の思うようにならない。こわ飯・シーツののりが強い。とある。

「強飯」(こわいい)も辞書に載っていて、こわめしの雅語的表現。とある。

こわ飯とは普通はもち米にアズキを交ぜて炊かれるお赤飯のことを指す。

遠州では「お赤飯」のことを「おこわ」と言うのだが共通語では「おこわめし・こわいい」と言うのであろうか。「おこわ」だろうなやっぱ全国何処でも。

とまあ、「こわい」は方言でもなんでもない共通語なのであるが、全国的には古い日本語で廃れつつある言い回しなところを遠州では廃れることなく使っているということであろうか。本来の状態よりも「かたく」なっている状態を指す事が多い。イントネーションは「強い」も「恐い」も同じであるので「強い」という使い方を知らない人からしてみれば

「ご飯こわい」

と聞いて「ご飯が怖い?なんじゃそりゃ」という事になるのかな。「ご飯が硬い」と文句言ってるんだけど。そんな訳で落語の「饅頭こわい」を聞いても「ああ固いから嫌なんだな」くらいにしか思わないのが遠州人である。男女共用。

ちなみになんでもかんでも「固い」を「こわい」と言う訳ではない。つまり「頭が固い」を「頭んこわい」とは言わないということである。

例文

「ここの旅館の浴衣スゲエなあやあ。」

「何が?」

「着てみい。カッチカチでばかこわいにい。」

  (着てみなよ。カチンカチンで凄い固いから。)

「ほんとだ。糊んがんこ効いてるねえ。でも大抵の日本旅館はこんなもんじゃない?」

「にしたってこんだけこわくしててもこれん朝んなるとめくれてはだけてるっつうだでひょんきんだなあやあ。」

  (それにしてもこれだけ固くしてあってもこれが朝になるとめくれてはだけてるっていうんだから凄いよな。)

「あんたの寝相の方がひょうんきんなだけだら。」

  (浴衣の糊がじゃなくて、あんたの寝相がそれだけひどいってことでしょ。)

まあ大抵は風呂入って夕餉食した辺りには柔らかくなってるもんですけどね。

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絶対零度 未解決事件特命捜査 その4

 なんかホロリとくるお話しでしたなあ。三人の友情がとても健気で。それだけに一人の女狐の為に誤解と破壊を重ねてしまってたという結末はいとあはれ。

あそこまで賭して行った果ての報いがもう赤の他人と宣告されるというのは輪をかけてとてもせつない。しかもそれに尚追い討ちを掛けるように手を掛けた相手(先生)は善い人だったという取り返しの付かない事をした後悔。もうその虚しい儚さから彼らの行動の一部始終に感情移入しちゃうくらいなお話しでした。これだけ時を経た今頃何故耐えられなくなったというのも守るべきものが女狐だったと知るに至ってというのも納得でありました。「男というものはアホだ」という格言がよく分かるお話しでした。

それでもなんでせう決して美談でもなんでもないお話しではありますが、「友情」の輝きが煌めいていてなんか心があったかくなる。若気の至りを恥じた後は我が身可愛いく護身の為の隠匿に奔走とかいう風ではなくて、切ないけど後味がなんとなくいい見応えのあるお話しでした。満足です。

観ながらの憶測としては、三人のうち誰かもしくは共犯かだろうと。で、犯行に至った動機は先生が狼に変身してしまってのご乱交の成敗なんだろうなと。それかもしくは麗しの姫の犯行を庇い通してるのかなと思って観ていたんですが。オチと呼ぶのは下衆でしょうけど憶測とは離れていたです。

でもまあそんな礼賛な感想ばかり書いても、らしくないのでいつものひねた感想に移りますが。

些細に気になったのは今回の出来事は未解決事件じゃなくて失踪人捜査課の仕事じゃないのかと一瞬思ってしまいました。違うのかなやっぱこの部署でいいのかな?

大きく気になったところは、亡くなった先生が痴漢などではなく女狐を諌めていたという真実はどこでどうやって誰が仕入れた情報なんでしょうかねえ。そこがよく分かりませんでした。女狐が包帯君に遭遇した時真実を伝えたくらいしか思いつかないんですがそういう長話ししてた風にも映っていなかったし。包帯君が独自で調べられる筈もない訳だし。ん~謎だ。でも真実が明かされないと物語に深みが出てこないのは間違いないところだし。やっぱ謎だ。絶対零度だ。

「転落しました。」→「死んだんですか?」→「面白い聞き方しますねえ。」という流れ。「普通は生きてるんですかと聞くだろう」というのはそうなのかなあ?と思いました。別にアリなように思えましたけど私も変なんですかねえ。

「この宇宙人みたいな女一体何処がいいんだい?」には激しく同意してしまいました。よくぞ聞いてくれたと。その宇宙人の返答が「五月蝿いこの地球人」というのは座布団一枚でしたなあ。

証拠品から推理をしていくというのは、もし自分がその探られる側の立場だったらと想像すると、こっぱずかしい限りだなこりゃ。白日の下に曝されるというのは参りますわなあ。でも、押収されるにしてもドラマや邦画録画したDVDと仇留都DVDの山ばかりそれにこのブログぐらいなものだろうからこれで私の何が読み取られるんだろうこのプロ達にという興味は若干湧きますな。

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凧は嫌いじゃないんだ

 私は別に「凧」(浜松祭り)は嫌いじゃない。らっぱの音聞くと心がいまだ騒いだりもする。

だけどなんか知人から「お前祭り嫌いなの?」と誤解を受けているようなのでこの際解いておこうかと。まあ伝わろう筈もないけど。

親は「凧馬鹿」で一年の4分の1は凧に費やす勢いで、いつも随分早くから暇さえあれば(本当は仕事そっちのけで)公会堂行って凧の準備してた。その息子だから小学生の時分から凧場に連れられて中高生ともなると兵隊要員として落ちた凧拾い行かされてたり「てぎ」の糸引きとか町内の旗持ちとか陣屋を往復して凧の搬送のお手伝いとかしたものだった。

そんな感じで毎年参加していたのだが、転機が来たのは就職である。就職したところが悪かった。血も涙もなく夜勤・祝日出勤を押し付けてきたのである。抗えなかったてめえが悪いんじゃないかと言われればその通りではあるが。お陰で準備にも参加出来ず当日も凧場に参加出来ずで出るのはほぼ初練りだけなんていうざまで村八分状態となってしまったのである。町内の衆は仕事じゃしょんないよとか言ってくれたけど凧揚げるまでの準備とかは大変だというのを知ってるだけに気が引けた。役持ちのたすきを貰ったりもしたけど役持ちに相応しい事が何一つ出来なかった。したことといったら夜の屋台でお留守番というか、若い衆らが練りに行ってしまうと屋台の引き手が子供連だけになるとカーブや方向転換の際は困るので多少の大人が残らなくてはいけなく、その要員で練りには参加せず。と、初練りにおいては車止めとか練りの渦が崩れそうになった時のカバーとかくらいなもんだった。

もともと凧場には来ない癖に練りになるとたかって来る輩にむかついていただけにそういう輩と自分が同じになったことが嫌だったのである。それに参加してた頃の最後の方は女性が練りに参加し始めていてなんか違うよなあこれってという疑問も感じていた。

そんな感じで疎遠になっていくうちに市の中心街空洞化計画に参加して郊外に引っ越して今に至る訳であるが。

町が変わったんならオールリセットなんだから心機一転で出ればいいじゃん。なんで出ないんだという事については、幸か不幸か心身ともに頑弱な為参加しても足手纏いになるだけなので不参加としているのである。決して煙草辞めた奴の方が元々吸わない人より喫煙家にキツく当たるというのとは違う・・・・筈。

私は凧は嫌いじゃない。嫌いなのは女性の参加と太鼓の乱用とルールを守らないアホ。というような時代遅れな考えなので今は私の知ってる「凧」じゃないから出ないだけ。時代の針は遡らないからもう参加することはないだろうけど。

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*やっとこさ

物凄い些細な違いなのだが、共通語的には「やっとこ」と言うんだそうな。

「やっとこ」の意味は、かろうじて。ようやく。といったものである。

遠州では「やっとこさ」・「ようやっと」であるので「やっとこ」だと凄く物足りない感じがするところである。

もちろん「やっとこさ」が遠州弁であるということはなく、むしろ「やっとこ」なんて普通言わないというとこに地域性があるんだろうなと思って記載。

っていうか、おもちゃのマーチの歌詞で

「やっとこやっとこ飛び出した」ってのはあれか?

「ようやくようやく飛び出した」って言ってるのか?

ずうっと「やっ!」とかな掛け声発しつつ飛び出したと勢いを表わして言ってるのかと勘違いしてたようだ私。

まあそんな道草はともかく、全国的には「やっとこ」と「やっとこさ」はどういう分布になってるんだろう。ネットでみる限りでは甲州・京言葉・大阪弁として載っているのを見かけたが。遠州も「やっとこさ」表現の地域であることは間違いないであろう。

例文

「やあ。やっとこさ着いたあ。どえらいやあ。はあ死ぬう。」

  (あ~あようやっと着いたあ。はあしんど。もう駄目。)

「お疲れさんねえ。ちいと休んだら運んできた荷物全部小屋ん中入れとくりょう。」

  (ご苦労さん。少し休んだら運んできた荷物全部小屋の中に入れてくれ。)

「お~い殺す気かあ?」

  (何それ?こき使いすぎじゃないの?死んじゃうよ。)

「死んでからゆえやあ。そうゆう泣き言わあ。一雨きそうだでちゃっとやらんとかんだあ。」

  (そういう泣き言は死んでから言え。一雨来そうなんだから直ぐにやらないといけないのっ。)

「鬼い。」

  (あんたは鬼だ。)

「よくゆわれる。」

  (よく言われる。)

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遠州弁伝道師「長澤まさみ」氏のラジオ番組とな

芸能の世界においても遠州弁の使い手はそこそこおらるる次第でありしが、具体的に公の場にて台詞ではない遠州弁を披露される使い手は「長澤まさみ」氏くらいであろうか。しかしてその駆使せし場所は処構わずではなくラジオ番組にて遠州弁にご理解をという事らしい。地元民としては是非とも拝聴したいものだが、如何せん電波来たらずして聞く事能わずだいね。従って如何な風にぞ展開されてるのかはリスナーの感想ブログから推し量るしかないのであるが。

とある週にて遠州弁で唄われた曲の紹介をされて尚且つそれを共通語に翻訳されてたとな。さっそくそのサイトと思われる所にアクセスして歌詞を見たのだが、(一体どの楽曲の歌詞を紹介・翻訳されたのかは定かではないけれどとりあえず遠州弁で話さまいかという楽曲の歌詞を見て)

私生まれてこのかたずうっと遠州人やってン十年なんですけど、いやあ訳分からないすわ。分かりそうで分からないところがもどかしい。これをスラスラ訳せる人は凄いと尊敬してしまいますわあ。単語だけ考えると自分とこでも使うものが多いんですけど文章としてみると前後が繋がらないように思えて「言葉に出来ない」。「言葉にならない」んじゃなくてあくまで「言葉に出来ない」んでお間違いなきよう。一体どこの地域の遠州弁なんだろうこの言い回しは。浅羽の方言かるたにしても浜松人の私からしたら意味分からん事多いから

ホント「遠州弁」っつっても広いだいねえ、だで通じんこともあるだあなあ。もちろんあれだら?書き言葉にしてあるだもんで そりゃ話し言葉たあ違うだよをってなぁ有るだかもしれんがぁ。にしたってなあ。

批判だと勘違いされるのは嫌だから具体的にどこがどう分かんないのかとかいう事は書かないけれど、それにしても長澤さんはこれを訳せたというのだから、たいしたもんだ。磐田は遠州の真ん中辺りに位置してるといえなくもないから東西両方の遠州弁が耳に出来てるってことなのかしらん。

私みたいなレベルの低いながらも一応な遠州弁の使い手ですらよく分からんくらいですから遠州弁知らない人にしてみたらさぞかしちんぷんかんぷんな事だったでしょうな。それでも面白かったと感ぜられたんでしょうかね。

遠州弁の妙ってのは意味は分かるが言い方やイントネーションが変というのが味噌だと思ってたんですけどちんぷんかんぷんもこれまた乙ということなんでしょうかねえ。でもそういうのだと沖縄や東北の言葉の方が映えてるような気がするんですが。どうなんでしょ。

なにはともあれ張り切って遠州弁を認知させてください。といってもまあ重荷や抑圧になってはいけないので愉しめたうえでその楽しさが聞いてる人に伝われば最高ですからとにかくエンジョイしてくだされや。応援してるでねえ。ラジオ聞けんけど。

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*まい

「行かまい」(行こうよ)とかいう使い方の「まい」。

「まい」は本来打ち消しの言葉であって「~しようよ」という勧誘の意を表わす言葉ではない。

正しくは「まいか」であってそれがはしょられて「まい」と使うようになったと想像される。「~しようか」というよりも「~しよう」と言う方が強めの勧誘となる感覚で「まいか」が「まい」となったのではないかと想像されるところである。

ちなみに「まいか」は古語辞典に載っておりその説明は

「まいか」{「まい」に終助詞「か」のついたもの}①婉曲に希望し、勧誘する意を表わす。②強く命令する意を表わす。とある、

②の使い方は「下へさがるまいか」(下がっていろ)とかいう使い方で、遠州弁の「まいか」の使い方は①の方だけである。

「まいか」に関しては古い日本語を未だに使っているという事であって独自に創製された言い回しではないと思われる。ただこれが「まい」とはしょると共通語から離れて行って「なんのこっちゃ」という事になるのであろう。今はまだ無いけどそのうちもっとはしょって「ま」って言い出す者が現れるやもしれぬ。

他には「まいや」という言い方が存在する。「まいや」は若干上から目線的印象を与えるが「まいか」とほぼ同じニュアンスである。

あくまで基本は「まいか」であって「まい」は応用というか悪しき省略となるのかもしれない。悪しきというのは屁理屈上的な事であって実際使うに於いては習うより馴れろで別に反省すべき事ではないけれど。

実際に使用している状況でいうと、単に「まいか」の省略形という同じ意味使いということではなく勧誘度の強弱の差がついており別のニュアンスとなって異なる言葉と化している。

「行くに」(行くぞ)>「行かすか」(行こうか)>「行かまい」(行こうよ)>「行かまいか」(行かないか)

全く別の説明としては「まい」を「ない」とすれば全てではないが大体は意味が通る。

「行かまいか」だったら「行かないか」というように

「行かまい」→「行かない?」とすれば説明がつくのではなかろうか。ただし注意が必要なのは「まい」は「ない?」のような疑問形にはならないという事。

「まい」を「よう」とすると変換ではなく文章全体を共通語にしないといけなくなるのと「まいか」は「ようか」にはならない。

「行かまい」を「行かよう」ではおかしいので「行こうよう」としなければならないということ。

例文

「やあ、しまいにしまい。」

  (お~い終わりにしようぜ。)

「後ちょっとやりゃきりいいで、もうちっとやるわ。」

  (あとちょっとやればきり良くなるからもう少しやるよ。)

「あんまし根詰めんでもいいにい。どうせ明日もしにゃかんだでえ。」

  (あまり根詰めなくてもいいよ。どうせ明日もやらないといけないんだから。)

「明日早く帰りたいもんでちっとでも進めときたいだよ。」

「おおそうけえ。じゃわし先ご無礼するでねえ。」

  (ああそうなの。それじゃあ俺は先に終わるよ。)

「うん、おつかれねえ。」

  (ああ、お疲れさま。)

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新参者 その3

 誰かと思いきや柴本さんだったとはこりゃあがんこたまげた配役でありましたなあ。初回からオープニングとかで麻紀はちろちろ映像の中に映ってたけど、今日観るまであれが柴本さんだとはちいとも気づかなんだ。

しかも変に違和感感じさせない処がおとろしい。役者さんの化け具合というのは、げにも劇的なものなのか。もちろんあの髪の毛はなんだかなあではありましてお美しいとかお綺麗というものではございませんですが。喋繰り方といい食べ方の品の落とし具合といいえらく短いスカート等の装いとか様になっておられましたなあ。でもまあその力を借りてか見事なチャラさを感じました。あれじゃあおふくろさんもつい一言言いたくなるよなあと納得いく空気感放っておいででありました。

お話しの筋はある種出尽くされたような家族の誤解による壁を越えた上に辿り着く融和というものを描いたもので、尚且つ葬式を含めた他の展開も織り交ぜながらという慌しいものでありましたが、そういう制約の中で倍賞さんと柴本さんの役者力であざとく見せなかったところが見応えだったのかな。二人の間で右往左往する大倉さんという味付けが効いてたのもよかったんでしょうね。

本気でチャラかったらキモくて最後のオチはうそ臭く感じますから、性根は誠実というのとの兼ね合いの配合が重要とみて柴本さんを配したんでしょうねきっと。漬物漬けれる辺りは見た目と違って案外古風なのかも。そういう下地があるからこそ旦那の母とうまくやっていけそうに違いないという未来を想像させますなあ。そんなこんなでこの回の見所は「柴本幸」とぞ感じ入りける。つうかよくこの役受けたよな柴本さんと感心する事しきり。単なるコスプレでなかったところは凄いよなあ。流石に睫毛増量・目の周り黒枠とかいうのは避けておられてましたがそれは正解だったと思えますが、好奇心としてそういうお顔を見てみたかったという恐いもの見たさというのがちょっと湧きました。に、してもスカート短かったなあ。危うくエロオヤジの目線になっちゃうところですよ。もちろんそんな展開じゃないんで自重できましたけど。

で、本題の事件の方なんですが、青山(黒木さん)がそれぞれの出来事にことごとく関与してるみたいな展開でこりゃ青山が洗いざらい吐いてしまえば一気に解決するんじゃないのかと思えてきました。もちろん犯人が青山だったら言う筈ないでしょうけど。息子を見つけたことによってどういう新しい局面を迎えるんでしょうかねえ。

 で、どうでもいい感想なんですけど倍賞美津子さん。最近静岡県では深夜に探偵物語やってまして、で、そこに出てくる倍賞さん。若い。で、という流れの中で今日の倍賞さんを拝見した次第ですが、「自然」な感じがするところは変わんないなあと。

そういやあ話し変わるけど柴本さん、ドラマの悪魔の毛毬唄の時も最初誰だか分からない面相に難ある役を演じられてたなあ。清楚でおしとやかというイメージは風○火山と鹿男○をによしで固まってたけどそういうのはもう払拭しないといけないな。

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ちょっと苛々

 この黄金週間の内に期限条件が定められてる心具から今現在無期限と思われる地への転進を謀らんとするも、逆にブログの便利さを改めて知るに至れり。

とりあえず挫折していたホームページ作成に再び挑戦したんですけど、なんざんしょ、人には得手不得手というものがございまして私には不得手なんですわこういうの。一応こうして下さいというひとつひとつの理屈にはどうにかついて行けそうだが如何せんやるにおいてひたすらめんどくさい事だらけ。めんどくさい事が重なると訳が分からなくなってくる。分かったつもりでいただけという事を知る。

このめんどくさいという感覚は歳を取らないと理解できないだろうなきっと。なんで?とかもういいやとか頭来るとかというのとは違うのである。運動会なんかで走るオヤジが足がもつれて転ぶ哀れみたいなもんで昔はもう少しちゃんと出来たのにねという奴みたいなもんか。

そんなこんなでイ~ってなってる時にどこぞから太鼓叩いて「練り」やってる馬鹿っつららの騒音が聞こえてくる。祭りは3・4・5の三日間だぞ。前夜祭なんて勝手に決めてやっていいのか?どこの町内だか知らんがルールを守れってんだ。

なんて人の楽しみに水を差すような感情すら沸き立ってしまいました。ほぼ八つ当たり。

ホームページを作るぞと。知識が無いから簡単じゃないぞと。有料だったら簡単にやれそうだぞと。だからといって金は出せないぞと塵も積もれば山となるんだから。だから出せないから楽できないぞと。楽できない分面倒だぞと。

まあここまではいいとして問題はこの後だ。

いや~もう苦労(面倒)が嫌だ楽したい。でも楽をするには金を出せ。金を出すには元手がないと。元手がないなら稼がねば。稼ぐためには苦労しないと。でも苦労の種類変えても結局は嫌だ楽したい。

こんな循環の渦に巻き込まれて溺れそうだ。

金も無い知識も無い覚える気力も無いと続くとヤル気も失せてくる。出来上がりの夢想図(想像図)が若い時の様には描けないからエネルギー源である夢や理想とかいうのが見れないせいなのかも。

あ~あ、またドンドコ音が聞こえてきて集中できないわ。もう今日は諦めた。という5月2日晴れ。つうか明日からドンドコ解禁じゃん。もっと五月蝿いじゃん。駄目だこりゃ。まあ凧場に凧馬鹿らが集中してる内は静かだけれど。

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偉丈夫

あくまで言葉遊びです。冗句です。

*「胃丈夫」

 いくら間食をしてもどんな量においても必ず完食しそれでいて胃もたれもせず元気な胃を持つ人の事。

*「偉情夫」

 炊事洗濯家事全般をそつなくこなすよく出来たひもの事。

*「威情婦」

 威圧的な情婦の事。SMの世界の女王様を指すのかは定かではない。

*「異常歩」

 二歩とか後ろに下がるとかいう掟破りな歩の使い方。部下を歩に見立てて無茶(出来ない事)ばかりな手を打つ(命令をする)上司のヘボぶりを表わす揶揄。

*「異常夫」・「異常婦」

 ダメ亭主及びダメ女房の事。

本当の偉丈夫(いじょうふ)とは

体格が立派で背も高い男の事。意外なのは別に喧嘩が強いとか合戦で手柄を立てるとかいう腕力が条件ということではないようだという点が意外。

ただし「丈夫」(じょうふ)だとその意味は、責任と自覚をもって行動する、一人前の男子という意味になるらしい。ちょっと「偉丈夫」とは繋がらない気がしないでもない。

 

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*ので<もんで

共通語で「ので」というところを遠州弁では「もんで」と言う事が顕著である。男女共用。

「もんで」は「もので」の変化したものであろうから遠州弁の方が丁寧な物言いをしていると言えなくもない筈であるが、「もんで」と聞く方にしてみればとてもそうとは受け取れないんだろうな。当の遠州人でもそう思えるもの。

少し話しを変えて、「なので」というのを「なもんで」と言うかというと

「今日は雨なので中止とします」を「今日雨なもんで中止にせるでねえ」と言うかというと、言っても違和感はないところであるが、普通は「今日雨だで中止んせるでねえ」辺りであろうか。もしくは「なもんで」ではなく「なんで」。「なもんで」という言い回しが無いという訳ではないが、「だもんで」・「だで」となるパターンの方が多い。共通語でいえば「なのに」よりも「だのに」を遠州では多用するといえばいいのだろうか。

「もんで」は「ので」に限定されず「から」とも訳せるので使い幅は広い。それに「だ」を足して「だもんで」にするともっと用途が広がる。

例文

「いつもやっててもらってるもんで悪いで今日はわしやるでいいよ。」

「なにい珍しいことゆうじゃん。滅多んないこんだもんでこりゃ雨降るかもしれんねえ。」

「だらあ?珍しいこんすりゃ雨降るかもだらあ?雨降りゃそうすりゃ明日中止んなるらあ?」

「中止になるもんでって、なにそれ、あんたよっぽど嫌みたいだねえ。そんな嫌あ屋外朝礼のスピーチ当番。」

「嫌だよを。はあ神頼みでも迷信でもなんでもなんしょすがって中止ん願うだあれ。」

「そんなことゆうもんでじゃん。みんなからひょんきんって思われるだにい。まあ今日のうちに雨降って明日ピーカンだったら笑えるけど。」

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