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プロゴルファー花

 微妙に面白い。女同士の嫉妬戦とかはお決まり過ぎてあれだけど石黒さんと借金取りの佐藤さんとムロさんが楽しいな。

成り上がり物語ということで考えてくと諸々出尽くされたほぼお約束(方程式)だらけのシチュエーションの中で物語が展開されていてお先が読めてしまう分絶対以前同様な傾向の役柄を演じた役者さん方と比較されて役者さんもおつらいだろうなあと思えてくる。

しかしながらそういう状況の中で役者さんを愛でるということで考えていくとそれぞれの見せ場みたいなところの踏ん張り具合が悦なんだよねえこれが。

人に薦めるには躊躇するが自分が楽しむ分には面白い。

本来そんなとこで楽しんじゃ駄目なんだろうけど面白かったのは、毎回繰り広げられてはいるのだが特に二話での借金取りの脅しにしょんぼりする花(加藤さん)という図。絶対加藤さん笑いを堪えてるなと思える後ろ姿なのに正面からの画になると神妙にうなだれてるという繋がらないズレというかギャップがね。

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警部補 矢部謙三 その4

 この回はえらく推理モノに徹したかのように映りました。美晴(しほりん)や桜木(鈴木さん)でなくとも私でさえその作りから「犯人はお前だ~」と七隈(高橋さん)だと目星はついていたのですが、はてさてそのトリックが分からないままでありました。

ビビッてないで突入されたしの下りは、あ、その場で見てるんだろうなというのは読めたんですが監視つきのマンション?を抜け出したトリックが考え付かなくて暴かれた時にああそうかと。アリバイ崩しの妙がありましたな今回は。

でもあれですわな。オープニングの情報漏えいしたのが自分達かと思ってビビる様は笑えたなあ。逃亡者もどきならぬ言い訳弁明かましまくりの逃避劇でもおっぱじまるのかとつい思っちゃいましたよ。で、苦し紛れの言い逃れが偶然たまたま的を得て無事事件解決に至るのかなと。まあそんな事はなかったですけど。出来ればもっと誤解を引っ張ってドタバタして欲しかったな。

でも本当に大村課長(魁さん)って愉しいキャラだよなあ。この人と片桐(原さん)の七変化(コスプレ)観てるだけでも楽しいや。四六時中じゃなくて普段(刑事姿)だとダサ目でそれが変身する変貌具合がお見事というかなんというかギャップが楽しい。それに加えてどいつもこいつも緊張感の欠けらもないのがホント愉しい。前に出たがる美晴と真逆の桜木のコンビの推理も光ってるし、とにかくナイスなチームであります。「映画化熱望」の文字が背景に躍っていたけどこの面子なら確かにそそるよなあ。

唯一、秋葉(池田さん)の矢部LOVEな想いからくる嫉妬というのには寒いものを感じましたがまあご愛嬌の範囲ということで。

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*かあ

カラスが啼いている訳ではない。

「行くかあ」(行こうよ)・「やるかあ」(やろうよ)

という「かあ」。別に方言でもなんでもないところではあるが、遠州における使用頻度は割かし高く地位・年齢を問わず使うというところに地域性があるやもと思い記載。男女共用。

「か」だと「行くか」(行こうか)・「やるか」(やろうか)といった感じで「かあ」よりも強要度合いが増す。例えばじいじ等が子供に「さあ行くよ」と告げる際の大雑把な誘い方の強要度を比較すると

行っちゃうに>行くに>行くにい>行くよ>行くよを>行くか>行くかあ>行くでえ>行かまい>行くけ?

とかになろうか。(「行くに」と「行くよ」の辺りは微妙であるが)

「か」を「かあ」とするこの言葉に限らず辞書は今も昔も長音化することによってニュアンスが変わる言葉を説明していない気がする。これが方言というものだとしたら地域性があるということになるのだが、はてどうでせう。

例文

「行くか。」

  (行こうか。)

「いやだね。」

「なんでよを。行くかあ。」

  (どうしてだよ。行こうよ。)

「めんどくさい。」

「そんなことゆわんでえ行かまいよを。」

  (そんな事言わないで行こうよう。)

「どうせあれだら?わしん財布が目当てだら?」

「・・・・・。ふんだだこたあねえよを。」

  (・・・・・。そんなことはないよ。)

「詰まるとこみると図星だな?」

続きを読む "*かあ"

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警視庁失踪人捜査課 その3

 失踪するには訳が在り、それは失踪人本人によるものか他の人間が失踪人を巻き込むものかとどちらかに分かれるものだと普通は考えるところであるけれど。

今回の事件?は結局は不埒監禁ではありましたが、追う側からしてみれば結末に至るまではどちらにもよるものとも映って意味深というか深い話しでありましたなあ。無事解決に至った後もそれぞれが抱える心の痛手が伝わってきて余韻が残る感じでありました。なんかほとんど廃人みたいになってたけど大丈夫なんでしょうかねえ。とても人間臭さを感じるお話しでありました。

ただ単に視聴者を騙し晦ます為のトリックというものではなくてそれぞれが抱えている負の要素が表に出てしまうとこうも複雑になるもんかと。

弟の存在と行動が結構物事を複雑に導いた風でもありましてホントそれぞれの想いというのが複雑に交叉していた人間模様でありましたなあ。

まあ、ちょっとあれ?と思ったのは罪の意識を抱えて生きてきた人間が死しかも殺人を題材とするであろう推理小説なんか書くのかなあと。その呪縛から逃れようというのであれば普通そこは触れてはならない領域のような気がするんですけど。当時を知る厭味な同級生が暴露してやるとかになる前は至って元気にしていたというのだから過去を知る厭味な奴がなんか言ってきても「そんな昔の事は忘れたわくらい」の事を言いそうな厚顔無恥なふてぶてしさがある風に思えるんですけど、この作家さんはものの見事に崩れ堕ちてしまっていました。その精神構造は凡人には計り知れないものになってるんでしょうかね。

とは申せ面白かったな。突入シーンはCSIの観過ぎのせいなのか突如米国に飛んじゃったのかと錯覚してしまいましたが捜査の進捗具合とその間の予想の様が見応えありました。或る意味最後まで結論の予測がつかなかったってのもありますしね。

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*「ど」の使い方

「どあたまくる」は「あたまくる」より怒り度は低いと以前の記事で書いた。

さりながら「ど」がすべてこういう事になる訳ではなく

「どこんでる」(ど混んでる)は「混んでる」よりも混み合っていると言っている。

これが「馬鹿こんでる」だと「馬鹿みたいに混んでる」という何とかしてくれ・呆れちゃうよ・怒れるとかいうニュアンスであるが「ど混んでる」はこの混んでる中に混じって目的を遂行しなくてはいけないのかといううんざり・嫌になっちゃうよというニュアンスになる。

「混んでる」だと「一杯居るねえ」というシンプルな感想もしくは状況認識で特に感情は含まれない。

つまり必ずしもこうなると断定する訳にはいかないが、こういった場合の遠州弁での「ど」を使う効能は「うんざり」を含むニュアンスになるということで、「どあたまくる」もその屁理屈に当てはめれば「やってられないよ」という訳で収まるところである。「あたまくる」は怒りが表現されてる訳だが「どあたまくる」は怒りよりも別の感情が表わされているともいえるのではなかろうか。

したがって「どこんでるやあ。」と言った場合その訳は

「混んでいて嫌になっちゃう。」という事にすれば発言者のニュアンスがより伝わることになる。

これが悪い方ではなくいい方で使う場合、例えば「どあたまいい」とかの場合にはその理屈は当てはまらなくシンプルに「度を越えた」という「凄い」という意味で「凄く頭がいい」となる。「度」ではなく「弩」という字になるのかもしれないが定かではない。

ところで「ばか」と「ど」は使いどころがほぼ同じなのであるが併用しない言葉があるかという設問。

例えば「ある」。「馬鹿ある」(沢山ある)はあるが「どある」は普通は言わない。あることにうんざりしていれば「どある」と言ってもおかしくはないが、「どある」というよりも「どたくさん」という言い方の方が普通な気がする。

「ない」も「馬鹿無い」(大変不足してる)はあるが「ど無い」とは言わない。言うとしたら「どがんこ無い」辺りであろうか。

「いい」だと「ばかいい」もあれば「どいい」もある。

という風に形容詞や自動詞に付くだ付かないだとかいう理屈だって整理出来ないが、「ど」と「ばか」の使いどころは必ずしも全て同じだとはいえないところであろう。

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ツウィッターなるものに登録

 ココログの機能でツウィッターなるものに連携投稿出来る機能が付いたとの報に接し、なんかよを分からんがとりあえずの試しとて終わり無き世のめでたさを。

で、何したい訳でもないんで何すりゃいいんだ?遠州弁かましゃええだかいやあ。

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最近何気に思った事 2010・4月

*担当者が外出中

最近よく見かける芸能ニュースとかで耳にする逃げ口上(ノーコメント)の決まり文句。しかも殆どがそれでちょん。深追いせず。

芸能人本人への追尾には不在なんか認めぬ勢いなくらいご執心なのにねと思わないでもない。これが組織となると武士の情けか相身互いなのかはたまた同じ穴の共食い避けなのか。パワーゲームバランスに則った大人の世界の弱肉強食によるものだとしたらその残りかすにはえらく生臭い腐臭が伴うものだろうて。

まあ芸能ニュースに限ったことではないのだから今の社会はそういう決まりになっているということなんでありましょうな。もちろん追及が甘いと行ってる訳ではなくてなんかのサインなんだろうかなと。それは推測憶測で報道を発しても無礼講という合図なんだろうか。

*たまに落ちて熱い

私が煙草の銘柄を変えた訳ではなく煙草が変わったという事なのだろうか。いつのまにかD-specなる文字が付いていた。いつ頃変わったのか記憶が無いが効能としては煙草の「におい」を抑えたと記されている。

それはいいのだが、この手に変わってから何故か火のついた部分が意図しない時にポトリとしかも落ちて欲しくない所に落ちる現象がしょっちゅうではないが度々起きる。灰皿に灰を落す時にトントンやる際に落ちるならまだしも煙吸ってて口元から離した際にポトンと来るのである。それがどこに落ちるかというとシャツの袖の中に落ちるのである。「あ!落ちた」と気づいても袖の中に入ってしまうとどうしようもなく、アチチっとなって慌てるしかないのである。幸いまだやけどには至っていないのではあるが堪ったものではない。

煙草の火の不始末は火事に直結するだけに気づかないとこに落ちないのは唯一の救いではあろうが。いや待てよ。熱いから気づくんであって気づいていない時とかもあるのかもしれない。注意散漫という言葉はあっても整理整頓という言葉は辞書に無い私であるからして、我が部屋は毎日がミッドウェー海戦時の赤城の甲板状態みたいなもんで小さな火の粉であろうともひとたび着弾すれば大炎上必死となる。

火事になって後悔しても後の祭りだからこりゃ値上がりする前に本気で止めないといけないのかな。煙草のせいじゃなくて止めなさいという天のお告げなのかな。追い討ちを掛けるようにニュースで値上がりするという実際の報を聞いた事だし。

*3Dテレビ

地デジに変えたばかりの境遇としては即再度買い替えしようという事は経済的理由で不可能である。そんな消費者の立場の私としては買い替えたいという欲望に駆られるためにはなにが触発される要因になるかというと。大人の意見ではあるがアダルトDVDが3D化されたら食指が動くかな。ここで言う大人とはもちろんスケベおやじの事である。

劇的に印象が変わる気がする。下世話な話しで申し訳ないが。

なんて話しを雑談でしてたら、制作費が掛かるからAVメーカーとかでは無理なんじゃないの?とかいう意見が出た。でも不要という意見はなく皆そそられた風が雑談の場を吹いていた。

*なんか増えたぞ

四月にはいってからスパムのコメントやらトラックバックがやたらと増えた。その原因は横文字の羅列つまり海外からと思われるものが現れ始めたからに他ならない。最近ココログにスパムと思われるものを自動で排除して尚且つ表示してくれる項目がついたので、それ以前からそういう類のものがあったけど目に触れることなく葬り去られていたものが見えるようになっただけかもしれないが。

幸いな事に横文字はなんて書いてあるのかさっぱりなので思い悩むことなく削除できるのであるがそれにしてもよく来るものよ。コメントの方はスパム防止認証画像の表示を選択してるのに。それをスルーできる裏技とかでも開発されたんだろうか。

*くだらないインスピレーション

活きたまま腸へ届けと願う善玉菌。ふと思いついたのだが口からではなく下から取り込んだらどうなるのだろうかと。どういう理由で腸に届きにくいのかは知らねど発想の転換で上が駄目なら下はどうだと単純にそう思いついた。子供じゃ有るまいしとは感じつつもふと頭に浮かんだのだからしょうがない。

でも大人がこんな事書くとそういう趣味があるんじゃねえのかと疑われるよなあきっと。子供的発想を大人がするとよからぬ方向と思われるということか。口に出しては決して問えないよなあ。

*ふと思いついた替え歌

自分のない奴は金んとこへGo

金にもないけど心配するな

見ろよ謳歌するお金持ち

自分が無くても成るだがね

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*こすけえ

普通は「来すけえ来る訳ないじゃん」という言い方をすることが多く「こすけえ」だけだとそのはしょり系という風に考えられる。

意味は「来ないよ」でニュアンスとしては言い切っている感が強い。訳としては正しくはないけど「絶対来ないね」とした方がいいのか。

つまり「来ないよ来る訳がないだろう」という事になる。

遠州弁での「来ない」という言い方は他には

「来んやあ」(来ないなあ)・「来んて」(来ないって)「来んにい」(来ないよ)・「来んだら」(来ないんだろ)・「来んよを」(来ないさ)・「来んら」(来ないだろ)・「こすかや」・「きすかや」・「こすかあ」・「きすかあ」・「こやせん」・「きやせん」・「こやへん」・「きやしん」

などなどあるがそれらの中でも一番言い切ってる言い方が「こすかや・きすかや」でその次くらいが「こすけえ・きすけえ」か「こすかあ・きすかあ」である。

ちなみに「こすかや」での「来すけえ来る訳ないじゃん」と同じ言い方は「こすかや来る訳あらすかあ」・「こすけや来る訳ねえら?」などとなる。

「こすかや」だと確信を持って絶対来ないという勢いで。

「こすけえ」だと絶対来ないという勢いではあるが確信の持ちようが「こすかや」よりかは薄いといった度合いの違いであろうか。

これに言い方を変えて「こやへんて」とか「きやせん」とか「来る気ない」とかいったバリエーションを増やしてくときりが無いので取り上げないが色々と言い方は存在するのである。

「来る」だけでなく「やる」でも「見る」でも「取る」でも他にも諸々このパターンで使われる。

例文

「今日は○○来ちゃいんみたいだん。どうしただよ。知ってる?」

  (今日は○○の奴来てないみたいだけどどうしてなのか知ってる?)

「そりゃそうだら。あんだけ啖呵きりゃそりゃこすけえ来れる訳ないじゃん。」

  (そりゃそうさ。あれだけ啖呵切ればそりゃあ来ないよ来れる訳ないだろ。)

「啖呵ってなにゆったよを。わしきんのういんかったで知らんやあ。」

  (何?啖呵って。俺昨日居なかったから知らないよ。)

「はあやってれんっつって大声だいてあだけまくってどたけってただよ。」

  (もうやってられないって大声張り上げてブチ切れて暴れてたんだ。)

「誰にい。」

  (誰にだよ。)

「お得意さんにい。」

「直接けえ。そりゃ死んだな。」

  (直接にかい。そりゃ終わったな。)

「だらあ?来れんらあ?」

  (だろ?来れないだろ?)

「わしも言ってみたいけど。にしたって根性あるなあやあ。」

  (俺も言ってみたいよ。それにしてもいい根性してるよなあ。)

「おれは止めんにい。」

「冷たいじゃん。つうかゆえすかやゆえる訳ありもしん。」

  (薄情だなあ。っていうか絶対言える訳ないだろ。)

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その4

 速水先生(西島さん)がかっこよかったなあ。でも闇も含有しているようでその毒が不気味。厚労省さんよと白鳥(仲村さん)に向かって正論ぶってたけど、あれは画面を通して本物の厚生労働省に向かって発したものとさえ映りました。返す言葉も無い白鳥の図からして、今回は速水先生の回でありました。

見応えという意味では治療シーンが迫力・緊迫感ありましたなあ。緊迫した中で花房看護師長(白石さん)の家族(広田さん)に向けて安心を届けるが如き笑顔も印象に残りました。和泉先生(加藤さん)という男勝りで気の強い人物が速水には絶対服従するってのも印象に残ります。「信頼」という盲目的な感じがよく出てるよなあと。長谷川先生(戸次さん)目線だと絶対専制王朝と映るけど和泉目線で観るとそうは見えないところがいいのかも。佐藤先生(木下さん)は速水先生と事務局長(利重さん)との間の板ばさみで今のところは速水先生を支える側だけどこの先どっちに転ぶか分からない雰囲気だし。

それぞれの思惑が交差していてそれでいてすわ患者を救うとなると一丸となりたるはこれすなはち見事かな。

で、肝心の疑惑の方はというと現金のやりとりがなされてましたなあ。飴じゃあなくて。政治家さんも出てくるみたいで大分映画とは違ってきてますなあ。ここまでくると全くの別腹というか別物であって新鮮ですわ。どうなるんだろこの結末は。

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*やまが

「山の住人(民)」ということであるのだが使う上で判断が難しい言葉であるような気がする。

「山家」と書けば「山の中の家・山村」という意味と辞書にある。「山処」と書いて「やまが」と読むこともあるそうな。

「山禍」と書けば「士農工商の身分制度でのどの身分にも属さずに山の中で暮らした一族」といった説明がなされてたりする定住しない流浪の人々といったものか。

「山家」のつもりならなんら心置きなく「あんたやまがの衆けえ」(あなたは山家の人かい?)とか使えるのであるが。

「山禍」だと身分制度に起因する差別用語的要素が濃くなり発するに躊躇することとなる。共通語では「さんが」と読むらしいが私の覚えではここいら辺ではそれを必ずしもではないが「やまが」と読んでいる。これが誤ってこうなったのかどうかは定かではない。

したがってたとえ「山家」のつもりで言っても「山禍」と受け取られかねない行き違いとかもあるだろうし。

話しが脱線するが、「山屋」(やまや)だと登山を悦とする人のことを指す場合もあって「あんたも好きねえ」と小馬鹿にしても問題ないというかむしろ言われて喜ばれるお褒めの言葉となることもある。脱線するけど「登山家」というくらいだからそれをはしょって「山家」とするのが普通だと思えるのだがそれを「屋」とするとはなんででしょうねえ。先に述べた「山家」と読みは違うが書くと同じになるからそれと混同しない為なのか、それとも「屋号」とすることで生業(なりわい)つまり生きがいと称するとかなんでしょうか。

「山師」であれば山に入って猟などの仕事をする人。鉱物を掘り出す作業をする人。使いどころは全く異なるが投機・冒険をする人。とある。

「山持ち」となればおだいさまだよな。

話しを元に戻して、「山家」・「山禍」いずれも方言とかではなく古い共通語なのであろうが、遠州弁は古い言葉を未だに使い続けているという特徴を有しており、昔ながらだと今では思いやりといった配慮に欠ける言葉となるものも時々生き続けてる場合もあって、微妙である訳なのであります。

詰まるところ今の世に置いては使うには適さない言葉というのが無難なのでありましょうや。

実際のところはこういう場合「山の衆」とか「山の出」(出身の出)とかが遠州では一般的に使われていると思われるので死語であろうが。

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絶対零度 未解決事件特命捜査 その3

 最後の遺族との挨拶に心が動いたぞという感じです。凄い大人の世界でありますな。流石北大路さんと言うべきか。回を重ねる毎に面白くなってくるようです。それぞれの人物の事が分かり始めたからかな。

何のために苦労するのかという目的が明確で。困難・障害の多い中でそれでもやりがい苦労しがいのある仕事だなあと。報酬や見返りでは決してない仕事の意義というのがあって、この対策室の人達は仕事人としては張り合いがあって幸せだよなあと思えてきます。

自分も一度くらいは感謝されてみたいものです。

やって当たり前。それが仕事なんだけど、達成感と感謝は別物ですからねえ。つうかやって当たり前のノルマが高過ぎて上手く行かない事の方が遥かに多くて嫌気との闘いみたいなもんですからねえ現実は。達成感は悪く言えば自己満足でしか過ぎないけど感謝は確実に栄養になりますから羨ましい限りです。

と、ドラマと関係のないところで感銘を受けてしまいました。

まあその分家庭を顧みない部分が垣間見えて、ああいう風になりたいという励みみたいな気にはなりにくい根性無しな私ですけど。そう思えるくらい絵空事ではない地に足のついた感じのするリアルな人間が動き回る現実的なドラマみたいで見応えありました。やっぱ愉しいわ。

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*い

「ほれみい」(どうだ見たかよ)・「ちゃんとやりい」(ちゃんとやりなよ)・「そうしない」(そうしなよ)・「これ買いない」(これ買いなよ)

共通語でも「これ買うんだ」を「これ買うんだい」・「もう帰るのか」を「もう帰るのかい」とかいう使い方があるので突飛な使い方では決してなかろうが、共通語だと子供の言い方もしくは老人が子供にのように甘えた・甘やかす言い回しと受け取られがちになることもあるのだが遠州弁においては動作・行動の指示や命令をする意思とかとして使われているものではなかろうか。したがって共通語と違ってどの年代においても性別に関わらず発せられるものである。

単純に「い」を「よ」と訳していいものかどうかは微妙であるが一番無難な訳と思われる。何故微妙かというと遠州弁の「よ」は命令口調の際に使われる事が多いので「ほれみよ」・「ちゃんとせよ」・「そうせよ」・「これ買よ」と混同してしまうと訳が分からなくなってしまうからである。遠州弁では「い」と「よ」では命令の度合いが異なって「い」<「よ」であるからして。

ところで「い」を使わないと

「ほれみ」(どうだ見たか)・「ちゃんとやり」(ちゃんとやれ)・「そうしな」(そうしな)・「これ買いな」(これ買いな)・「真っ直ぐ帰るだに」(真っ直ぐ帰るんだよ)

といったつっけんどんな命令口調になるものである。ただでさえ他所からは荒い言葉と言われる遠州弁だけに「い」を抜くと益々もってぞんざいな感じになるものである。「い」が加えられることによって柔らかい口調になる効能がある。

これが単に語尾を伸ばすというものだと(長音化というらしい)したら

「ほれみー」・「ちゃんとやりー」・「そうしなー」・「これ買いなー」・「真っ直ぐ帰るだにー」

などとなると随分と間延びした感じになるものである。したがって言われた方としては若干小馬鹿にされた印象を持ったりもしかねないところであろう。

あくまで「い」は長音化したものではなく「い」として存在しているところが味噌なのである。(全部がそうだとは言い切れないけれど)

じゃあ「い」とはなんぞやということになる訳だが。

古語辞典を引くと、「い」(終助)呼びかけの意を表わす。・・・・・よ。

いまひとつは、「い」(助動)尊敬の助動詞「る」の命令形「れ」の転・軽い尊敬の意をもって願望・命令を表わす。・・・・・てください。・・・・・なさい。とある。

辞書においては、「い」(終助)①(主に男性が)親しい間柄にある相手に気楽な気持ちで質問する文の末に付けて用いる。(『ね』よりはぞんざいな言い方)「元気かい・どうしたい」

②(主に男性が使う)心外だとかそうしてくれなくては困るという意味の文の末に付けて用いる。(『よ』よりは相手を責める意が強い)「早くしろい・何言ってんだい」

③相手に何かを訴えたい気持ちを表わす文の末に付けて用いる。「大変だい・間違えちゃったい」

辞書にある「い」終助詞の説明を読むと遠州弁での「い」との違いは遠州弁だと「い」<「よ」だが共通語だと「よ」<「い」とある事・共通語は基本男言葉とされるなど色々と異なる点があるような気がしてどちらかといえば遠州弁の「い」は古語辞典にある「い」に近い感じがする。なのでもしかしたら古い日本語が残っているということなのか。終助詞なのか助動詞なのかとかいうこ難しい事には触れずに感覚としてそう思えてくる。もちろんあくまでそう思えるというだけで正しいのかどうかは定かではない。

例文

「ほれみいに。ゆった通りじゃんかあ。」

  (ほらみなさいよ。言った通りじゃない。)

「たまにゃあまぐれで当たることもあるだよ。こんだんなあたまたまだって。」

  (たまにはまぐれで当たる事もあるんだよ。今度のはたまたまだって。)

「あんたねえ人のゆうこんにい耳貸さんとかんだにい。」

  (あのねえ人の助言には耳を貸さないと駄目だよ。)

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*どうよ

「おめえあれどうよっ」とかで使う「どうよ」。あいさつとかでも年齢に関わらず幅広く「最近どうよ」みたいな感じでよく使われる言い回しである。

ごく普通の共通語であろう筈だが地域によってはそのニュアンスや使いどころが異なるらしいというプチ方言の可能性がある言葉。その理由は大の大人が発する事に違和感を感じるという事が地域によってあるらしいからというもの。遠州ではむしろ大人が使う言い回しであるからして。

遠州弁的解釈では「君はあれどう思う?」つまり意見・感想を求めている言い回しとして使われているという特に何の変哲も無いものである。男女共用だが女性よりな柔らかい表現か。男言葉だったら「どうでえ」・「どうだあ」「どうだやあ」くらいであろうか。

「ほれ、どうよっ」という「どうだみたか」といった感じでも使われるところである。まあこれにしても感想を求めてることには違いのないところであるので「どうだっ」みたいな極端な勝ち誇ったというニュアンスではない。

「ほれ、どうよっ」と発して返答なしとかだと「無視かよ随分じゃん。」とかいう流れになることが多い。

単なる同調や相槌を求めてる訳ではないので「ほれ、どうよっ」で「「うん」とシンプルに応えると「うんって何よ」と問われることになる。あくまで意見感想を述べよということである。

ニュアンスとしては決して詰問調ではないのだが聞きなれない人からしてみればそういう風にとられるようだ。しかしながら表現側の意図するものは忌憚のない意見とか正直どう思うかとかいうものを期待している訳である。

意味的なものはともかくとして、その使いどころであろうか地域性があるのであろうか。

遠州でも目上に向かって発していい言葉ではない。あくまでタメか上が下への矜持を開かせんとする配慮からの言い回しである。

例外かどうかは定かではないが娘が母親とかに対して使う事も特異な例として存在するので厳密に上下関係に縛られるものではないが身内以外の相手に発する場合には大いに上下関係に縛られるものである。

共通語に訳せば「どうだい」・「どうかね」・「どうかな」とかであろうか。「どうですか」というようなものではない。ただしこれらの共通語の表現を遠州で使うと堅苦しい・距離を置いてるとかにとられやすい。意味は同じだが使いどころは異なるということである。

他の地域では「舐めた物言い」と受け取られるようであるが遠州では親密度・寛容度(何言っても許す)を示す表現として使われているものである。(もちろん無礼講ではない。)

例文1

「ねえ、これどうよっ。」

  (ねえこれいいんじゃない?どう?これに決めなよ。)

「どうよっつったってこんな派手なのいつ着るよを。着るタイミングありもしん。」

  (どうって。こんな派手なのいつ着るっていうの。着るような時ないでしょう。)

「ほいたらこれわあ。」

  (それならこれは?)

「ん~。いいだけん値段馬鹿高じゃん。とてもじゃないが手え出んて。」

  (う~ん。いいんだけどね。でも値段が凄く高いじゃない。とてもじゃないけど手が出ないよ。)

例文2

「どうよっ課長。終わったけえ?」

「おめえなあ。その口の利き方なんとかならんだか。」

「いいじゃん別に親愛の情なんだからさあ。」

「知らん衆聞いたら部下に舐められてる課長と思われちゃうじゃん。」

「心配いらんて。尊敬しちゃいんだでそう思われても間違いじゃないだで。」

「てめえ評価下げるぞ。」

「んじゃ超勤やらんでねえ。」

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新参者 その2

 証拠を積み重ね容疑者を焙り出してくのではなく、今のところはそれらを消していく展開というのは目新しい感じがします。が、それだと肝心の殺人事件にちいとも近づいていない風に映りはしないのかと思ったりもするところですが、しかしながらのなんのなんので隠し事は視聴者だけには教えますよという展開で着実に進展してまんな。知らぬは警察ばかりなりといった感じでありまして、観る側の視点としては加賀(阿部さん)追随目線ではなく傍観者という感じになるんでしょうかねえ。

だから何考えてるのか分かんない風に加賀が描かれているのでしょうか。不気味という文字がそこはかとなく漂うお人に映ります。いつか追い越されるんでしょうけどどの時点まで先行できるんでしょう。

気になったのは店の中にまで入ってあと少しというところで青山(黒木さん)の持つネタに興味がいってしまい又鯛焼きを買い損ねたというところ。あと四人だったのにと。余程気が短くて気になったらいてもたっても居られない性格なのか。青山の方が気難しくて気分を害すると取り返しがつかない性格なのか。それとも生き甲斐よりも仕事を選ぶという仕事人という事を表わすという事なのか。謎だ。よく分からない。

青山は単なる野次馬じゃなくて事件になにかしらの係わり合いを持っているようでありましたが、なんで加賀に全ての情報を提供しないんだろう。ま、それはおいおい語られていくんでしょうけど皆一癖ありそうですなあ。上杉(泉谷さん)の元家族ばかりを追うという理由も明かされていないし。息子が行方知れずのままで停滞してるというのも不思議といえば不思議。

ところで現場に残されていた証拠は名刺と人形焼きに落ちたボタン。見つかっていない首を絞めたひも状の物。それと第一発見者。このうち名刺と人形焼は消去されたとするとボタンか凶器が見つかるのか第一発見者を探るのかが残っている風に思えるところだけれど来週の予告を見る限りじゃそんな展開という感じがしなかった。

この回の最後の方で暴露した青山と息子(向井さん)が俎上に上げられるのかな。だとしたら警察の先を行くという傍観者の立場がなくなっちゃうとこだな。青山の秘密は一体どこまで引っ張るんだろう。加賀の耳に入るのはもっと後の方が面白そうに思えるけどどうなんでしょうね。

第一話での絞殺してるシーンを見直す限りでは犯人の背丈は被害者の背丈とどっこいどっこいくらいだった様に映りましたんですけど。それを真に受ければ犯人さんは女性なのかしらんと勘繰ってしまいますな。それと一度シロと思えた町の人間がやっぱ犯人だったなんてこたあないでしょうないくらなんでも。

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長きに「わたる」での勘違い

「長きにわたって懸命に作り上げてきた」

という文章において、普通は

「長きに亘る」だよなと思った。

でもこれを「長きに渡る」として記されてあった。

「長きに渡る」とすると誤字の部類に入るのだろうけどなんか感心してしまったりもする。まあホントは「長きを渡る」の方がいいんだけど。

「亘る」であれば「長い期間に及んで」という意味であるが

「渡る」とするとなんだろう大河を渡りきって辿り着いたたみたいな苦労が忍ばれたりもしてくる。つまり「渡り」とすると「長き」は苦労・困難というイメージが湧くところ。

と、感心したのだが

ネットの辞書においては「渡る」でありその中に亘るとも書くと記されていた。昭和の頃の辞書だと「亘る」は無く「亙る」として「及ぶ」という意味で載っており尚且つ「渡る」とは別物とされている。「亙る」は常用外で現在では「亘る」と記すとパソコンで漢字変換する際の説明書きに付されてあった。

つまり現在においては「わたる」は全て「渡る」と書くのが正しく「亘る」も「亙る」もそうとも書くという「渡る」の配下に置かれているということであろうか。

知らなんだ。いつからそう変わったんだろう。納得しかねるがとにかく「長きに渡って」は誤字ではないとな。創作表現なら上手いなあと思ったけどこれが正しいのだとしたら変なのって思えてくる。う~ん微妙。

イメージとして「長きに渡る」の「長き」は「困難や試練」であって苦難の果てにという印象が強くなり「長きに渡り第一線で活躍された」だとちょっとそぐわないような気になる。「長きに渡る地道な研究の成果が実り」なら違和感は湧かないとこかな。

「長きに亙り」での「長き」は「常に・恒に」という印象で「長きに亙り第一線で活躍された」ということに違和感は感じない。逆に「長きに亙る地道な研究の成果が実り」だとそぐわなくはないがざらつきを感じるかな。

ちなみに「互角にわたりあう」の「わたる」は「渡る」が使われるものである。

TPOに合わせた使い分けというとこで納得した方が無難なのかもしれないなもしかしたら。

追記(2011/6/6)

個人の感覚を述べたのであるが意外とアクセスが多く、ここは誤解があってはいけないときちんと参照を記しといた方がいいだろうと思って昭和の辞書(新明解国語辞典)での説明書きを以下に記す。

「亙る」{自動詞五段活用}①{・・・の間}引き続く。「5年に亙って」。②{・・・まで}及ぶ。「詳細に亙る説明」。

「渡る」自動詞五段活用}①そこ(の上)を通って向こう側に達する。「海を渡る」。②世間の人とつきあって暮らしていく。「渡る世間に鬼は無い」。③何かが相手の手から直接にその人の手に収まる。{広義では、間に人を介してそうなることを指す}。「屋敷が人手に渡る」。④双方譲らずに、何かをしあう。「よつに渡る」(四つに組む)⑤すみずみにまで達する。行き渡る。「印刷物が全員に渡る」。

ちなみに「亘る」は記載されていない。

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*すべた・ずべた

始めに申し述べておきますが地域によって意味が異なるらしいが遠州弁としては善い言葉ではありません。そこのところはご承知置きを。使わないに越した事は無いでしょう。

「すべた」は共通語で「醜い女」と辞書にある。

「ずべた」は辞書になく方言という範疇らしい。しかしネットで調べると地域によってとしてその意味は随分異なるようである。

四日市では「ずべた」=「地べた」・石川富山では「はげ頭」だそうな。

遠州では共通語の「すべた」に近い「あばずれ」・「貞淑ではない女性」とかいうニュアンスの言葉として使われている。「すべた」も「ずべた」も共にののしるような表現ということでは同じであろう。

ただし大雑把にいうと共通語の「すべた」は容姿の問題をであり遠州弁の「ずべた」は素行の問題をという違いがある。

「ずべた」の上をいくとしたら「ずべこう」とかになるのであろうか。この表現は辞書に記載されていて「不良少女」と解説されてる。そして「ずべ」は、「ずぼら」の意の「ずべら」の変化。とも書かれておりそれだったら共通語で「ずべた」という言い方があってもおかしくないのにと思えなくもないところである。

「ばいた」(売女)という言葉のように「た」は女性を表わしていることと思われるところで、「ずべ」というのが「ずべら」の変化であるなら共通語に「ずべた」という言葉があっておかしくないと思えるのだが。

遠州での女性への悪口言葉は「ちゃ○びい」とか色々あるものであるが「ずべた」については方言というよりも隠れ共通語ではないかと妄想している。

話しを変えるが、

「あのずべた なんかしらんが盛り上がってるなあ。」というのだと

四日市では「あの地べた理由は分からないけど盛り上がっているなあ」で石川富山だと「あのはげ頭どういう訳か盛り上がってるなあ」ってことになるのかあ。

始めにも述べたがあまりいい言葉ではないので例文はなしということで。

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