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ヤッターマン

 映画なんだけど、一人で映画館に行くには勇気がいる気がしたので挫折してテレビ放映したものを観ました。でも結構毒があって子供向けじゃなかった風に思え、こんなら映画館行けばよかった。でかい画面と音響の下で観たかったな。

ホントかどうかは知らないけれど三池監督が「ヤッターマンをやるまでは死ねない」みたいな発言をされたという事を何かで耳(正しくは目)にしたけれど、実際作品観てなるほどなと感じました。相対する同士が惚れた腫れたの類は私の趣味じゃないんであれですけど全編を流れる活き活きとした空気感は子供がおもちゃを持って自分の世界にのめりこんでるような感じがしました。普通他人はその世界を推し量る事が出来ないものですがそんな世界を覗きこめたみたいな気になりまして。もちろん子供みたいな発想という意味ではございません。いい年こいた大人が描く世界でありましょうや。経験値を豊富に持つ大人が遊ぶとこうなるというか。すんごい小さいこと(物)にも細かいというか遊び心が詰まってるみたいで。それはそれは大層リアルでございました。無論CGを見事に使っているものでありましょうがこのご時勢CG化と実写化と呼ばれる作品は別のジャンルのものという中でこれは実写化と感じました。

一騎当千のつわもの共が一気怒涛かつ一気呵成に活っき活っきな一喜一憂の息使い。息つく間もなく行き着く果てはまた明日ってか。一期一会ではなさそうな余韻がなんかいいですな明日も頑張ろうみたいな。

諸々の世の縛りから開放されるとこうもなんでもありなんだなあと思えました。それが独善的というか独りよがりにはなってないエンターテイメント性があって。

そう思えるのは、オリジナルが輝いているという下地がしっかりしてる点が大きいんでしょうけど私アニメのヤッターマンって見た事ないんでありまして。この世界感はお初で較べて観るということではなく単純にこの映画だけ観たイメージで物言ってるんですわ。おそらくはアニメを忠実に実写化されておられるんでしょうけど絵を人に変換するってのは並大抵の事じゃないでしょうからその匙加減が見事なんでしょうねきっと。

とにかくインパクト大だったのは深田恭子さんですなあ。一見の価値有りという風評は正しかった。個人的にはお声をもう少し落ち着いたトーンを混ぜてメリハリをつけて欲しかったなあという部分はありますが。別に「深田恭子」という役者さんに固定したイメージを抱いていた訳ではありませんが視られるという事を意識した上でのお芝居というのは今までにないパターンで新鮮でありましたなあ。もちろん通常の見せる(表現する)という放出系のお芝居もあって別人28号と映ったということではありません。あの「深田恭子」がドロンジョやるからインパクトがあるのであって見た事もない「深田恭子」がドロンジョやったんじゃインパクトないですからね。

世界感の割には大人びた印象を抱いたのはドロンジョの存在というだけでなく、戦闘中足が折れ曲がっててえらく痛そうに見えたり最初のロボット?がピラミッド?の中で壊れるに至る経過の展開とかを観てそう思えた訳でありますが悲壮感が重く漂う描き方でないだけにまあアリなんでしょうかねえ。小さいメカが涙を流す辺りはなんともはやという感じでした。ここまでくるとさりげないメッセージなんでしょうかねえあれは。なんて勘繰ってしまいそうですわ。

ひとつ気になったのは悪党3人組の登場シーン、ジャー?より出でし様はポップコーンまみれでありましたがなんかポップコーンが蛆虫みたいに見えてグロテスクに映りました。まさかいくらなんでもそう見える事を意図した訳じゃないでしょうからそこはスクリーンでこそであってテレビ向きじゃないところだなと思いました。

他に印象残ったのは役者としての仕事人生瀬さんの存在が光ってたなあ。

だらだらとした感想でまとめとかは特にないんですが楽しめた作品だということは確かな感想です。

でもこの作品に限らず不思議なことに映画館で観た映画って感想書くに躊躇してしまうような何か得体の知れないものを感じて、それがなにかというのをうまく表現できなくてなかなか書けないんですがテレビで観るとそういった不可思議な感じを受けなくて普通にしょうもない事浮かんでくるからあら不思議。この作品も映画館で観てたらそういう風に感じたのかな。

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警部補 矢部謙三 その3

 あ~笑えた。ドラマ観てこんな笑えたの随分久し振りだなあ。クスリ笑いとかはあるけど憚ることなく笑い声出たの何時以来だろ。そうだトリック以来だ。ってこれそうじゃん。

なんて独りつっこみしてしまうくらいな勢いの第3話でありました。謎解きというかクイズというか頭使うとこもあってと笑いあり推理ありとていとをかし。原幹恵さんのコスプレも売りのひとつなんでしょうかね。メイド姿が可愛かったなあ。「トリック」と「矢部謙三」は異なる世界感だという意識はあるけれどやっぱつかず離れずで近づいたりすると嬉しくなってしまう。まあ離れてもよし近寄ってもよしという幅の広さがあるという事で納得しよう。なんでもありだと。

今回はまあ見事にトリックネタのオンパレードでありましたなあ。我眉村でしょ壷八でしょスリットスリットビルでしょ着信音は数え唄でしょ。極め付けは展示品の数々。これでもかという物量作戦は見直しがいがありまんな。こりゃ気づかなかったけどまだじっくり見直せばもっとボロボロ出てくるのかしらん。

強硬突入の描き方も音だけでその無茶しよる具合が想像されて面白かった。

ネジ式君出とらしたなあ又。継続は力なりってか。

たまたま連鎖も笑えたなあ緊張感がなくて。

「たまたま殺虫剤の研究をしていたらたまたま神経ガスが出来てしまってそれがたまたま襲われた。」

ってこれのどこがたまたまなんだよと突っ込んでしまいましたわあまりの能天気な空気に。でもたまたまつけると確かに緊張感は削がれるもんだなあ。

後、ドラマ上では受けなかった事になってましたがアキバでのショートコントは私笑い止りませんでしたわ。あの涙ながらの敬礼姿が最高でおました。

さりげなく失踪人捜査課の話しをして援護射撃する辺りも遊び心として受けるところでした。なんでもネタにする貪欲さが堪りませんわ。

コマーシャルも山田奈緒子のチキンラーメン参入で益々増殖してきてその悪乗り振りがまた愉しい。映画の宣伝Cmもあり~のキリンもあり~のということでそのうちまるっとするっとみなきしトリックネタのCmで埋め尽くされる日も近いんじゃないかと思う次第。

今回は知恵袋のお二人は警護の方に回って別行動で支持するって展開でありましたがこういう形の方が見やすいかな。桂美晴(しほりん)と桜木(鈴木さん)は山田奈緒子と上田次郎の代用ではないのであるからしてこういった別のアプローチというのがいいような気がします。

大村課長(魁さん)は相変わらずいい味出てるなあ。緊迫感がかき消されるかのような空気感が堪りませんわ。

ゲストも芦名さん投入して凄いな気合い入ってるな。芦名さんがコメディやるのなんて観た記憶がないんですけど。これって貴重なのかしらん。

でも今回はなにより矢部謙三(生瀬さん)の限りなくいい加減なキャラが全開でいいなあ。ビルの屋上でのなんでもう一人いるんだ?という事のいい訳が特に印象が残りました。なんのひるむ間もなく誰も考え付かないようなあんな突拍子もない言い訳を立て板に水の勢いでかますのは凄い。さすが矢部謙三だ。

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*ないぃ

「え?あんた独身かあ?結婚してるじゃないぃ。」

これを共通語に直すと

「え?あなた独身なの?結婚してるんじゃないの?」

となる。「じゃないぃ」は「じゃないんだ」とも訳せなくもないがニュアンス的には「あっそうなの」といった「へえ~」という感じよりも「ホント?」といった疑問符をつける方が近いので「じゃないの?」若しくは「じゃないのか」とした方がよいのではなかろうか。

「ないぃ」を分かりやすくすると

「え?あんた独身かあ?結婚してるんじゃないいんか?」

とでもすれば分かりがいいだろうか。それの略されたようなものである。勝手な憶測だけど。

こうした言い回しが遠州独特かというとそんなことはないだろうな。関西辺りの「ちゃうんか」・「ちゃううん」と同じ傾向と思われるので関西寄りの言い回しが遠州でも使われてるぞという事なのであろうか。ただし関西風だと「ないいん」となるのであろうが遠州では「ないぃ」となるところが異なるところではある。

「い」を伸ばしての「いー」という長音化というのではなく「いい」と発音している。「ないのかい」の略された言い回しと勘繰れなくもないところであるが根拠は全く無い。

発音を説明するのはなんか難しくてずうっと言ってるとあれ?どうだったっけ?と訳わからなくなる。それだけ無意識に発している表現である。男女共用。

例文

「あれえ、なによをあんた。帰ったじゃないぃ。」

  (え~?あなた帰ったんじゃなかったの?)

「なによをいちゃかんだけえ?」

  (なにそれ?居ちゃいけないの?)

「ふんだだこたあないけどそんな口ぶりだったじゃん。」

  (そんなことはないけどそんな口ぶりだったじゃないの。)

「いつう。」

  (何時言ったそんな事。)

「さっき。」

「どこでえ。」

  (何処で言った?)

「トイレでえ。やっちゃおれんつってたらあ。」

  (トイレで。もうやってられないって。)

「職場の話しじゃんここの話しじゃありもしん。なに聞いてるよを。」

  (職場での話しでしょそれは。勘違いしないでよ。)

「あ、そうなの?」

  (あ~そうだったんだ。)

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警察庁失踪人捜査課 その2

 初回観た時馴染みにくそうと感じた空気感も馴れてみればどうにかなるものかしらん。苦にも感ぜず展開の妙を味わえて面白かったな。

信じた親が馬鹿だったのか禁断の恋に目覚めた息子が悪いのか恋した相手が最悪だったのか。

野次馬(視聴者)からしたらご両親可哀想としか映らないところでありまして、その結末は嗚呼無情極まりないものでありますな。

真にもって出会いとは摩訶不思議。親が立派だと子供がすねる。すねた上での恋は盲目。罪の意識は皆無なんでしょうねきっと。最後での逮捕劇の模様でそんな感じが良く伝わってきました。好きになる相手は感情に走らずよく考えて選べと。

パターンとして女性が駄目男に悪い事していると知りつつも好き故に貢いでしまうという構図は結構ドラマで見かけたりするところでありますが男が男に貢ぐというのは斬新でありましたな。正に盲点を突くというか普通は男同士なら脅迫とかが要因ですから無償の奉仕を犯罪に走った要因に持ってきたってのがコロンブスの卵。普通の常識では考え付かないものでありましょう。よく出来た迷宮でありました。

それを高城(沢村さん)は見抜いた訳ですから、凄腕の刑事さんなんだという事が良く分かりました。

それにしても一同打ち揃って人を見抜く鋭さを有していておお恐い。

とにかく意外な展開で面白かった訳でありますが、もちろん上質かということでは遊び人・薬等々お下品極まりないシチュエーションでありましたのでもうちっと陽の当たる世界で繰り広げて欲しい気がしないでもないところです。

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*どあたまくる

「凄く頭に来る」と言っている。ただし遠州弁での怒りのレベルでは「プンプン」に毛が生えた程度のものであろうか。むしろ「あたまくる」・「あったあきた」(頭にきた)の方が「カチンときた」クラスという怒りレベルが高いのは不思議なところではある。当然個人差もあろうが。

まあ「どえらいわあ」(とてもしんどいよお)と「えらいわあ」(しんどいんだ)みたいなもので大袈裟に聞こえる分うそ臭くなるというところの妙であろうか。

「ど」ではなく「ばか」を使う「ばかあたまくる」。どう違うのかというと、大して変わらない。どっちを使うかは人それぞれであろうしその強弱についても人それぞれであろうか。

強いて違いを探せば「どあたまくる」は「むかつくなあ」という不満で「ばかあたまくる」は「やってられない」に近い不平というニュアンスの違いであろうか。

例文

「なにちんぷりかあってるでえ。」

  (なにふてくされてんだよ。)

「ランチ○○と喰い行っただよ。で、わし好きなもん最後に喰いたい人だもんでグリーンピース後までくろに寄せて残いといただよ。ほしたらあんの野郎『食わんだけえ?』って言ってるうちから人の皿からかっさらっていきゃあがってよを。も~どあたまくる。」

  (ランチを○○と食べに行ったんだ。それで自分好きなものを最後に食べる主義なんでグリーンピースを端に寄せて残していたんだ。そうしたらあいつ「食べないのかい?」って言ってるそばから横取りして食べちゃったんだ。ホントむかつくわあ。)

「そりゃしょんないらあ。普通グリーンピース残しゃ嫌いだと思うにい。」

  (そりゃあしょうがないだろ。普通はグリーンピース残せば嫌いだと思うよ。)

「そんなの知らすかあ。ど怒れるやあ。」

  (そんなの関係ないよ。あ~むかつく。)

「ゆっただけ?ばかっつらって。」

  (そんなことするなって注意したのかい。)

「ゆったさあ。ほしたら『あっそう。』で終いだにい。はあやんなっちゃう。」

「一回やりゃあおぼわさるらあ拙かったって。次からは大丈夫だで許いてやんない。」

  (一度失敗すれば覚えるだろう。これで懲りただろうから許してあげなよ。)

「ばかこいちゃかんて。これで二度目だでねえ。」

「おおそうけ?そんじゃもう行かんこんにするしかないの。」

  (ああそうなの?それじゃあもう一緒には行かない事にするしかないね。)

「おお、そうするわ。」

この文章を「ど」を抜いて「頭くる」・「怒れる」とすると本気でむかついているという感じとなる次第。

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素直になれなくて その2

 役者さんを愛でるに於いては愉しいところですが、物語がなんか・・・。

「頑張れ」の効能と「自殺予告」の効果ですか?

 「頑張れ」って頑張ってる人に向かって放つと逆効果なんじゃないのか、むしろそういう事によって追い詰めていたりしていないだろうかと思っているので、不用意に使うには逆効果を伴うだけに「頑張れ」のドラマでの使いどころにはちょっと疑問がなくもないところです。それだけ彼らは頑張ってきていなかった努力が足りないという事なんでしょうかね。みんな一生懸命そうで頑張ってなさそうには見えなかったけど。「頑張ってるね」ならば薄らほのかに理解できるんですけんど。「頑張れ」は「成果を期待する」で「頑張ってるね」は「間違っていないよ」という意味でしょうから。

 自殺するに報告を要するしきたりなぞあろう筈もなく、「助けて」の裏返しなんでありましょうが注意を向けるため関心を引くために命を粗末にするのはなんだかなあという気分です。

しかも助けられた以降何事もなかったかのように振舞う様には違和感をば感じました。

 不思議な世界です私には。世代が違うからということで割り切っていいんでしょうかねえ。共感を覚えるというよりも動物園とかで珍しいものを見てるような気分です。

あと営業成績悪ければ自腹切れとかいう仕事。そんな仕事に固執せざるを得ない(他の仕事を選べない)社会は歪んでいるんでしょうな。これが現実にも起きていることなら警告として受け止めざるを得ない感じです。

まあとにかく全体的に歪んでる気がするドラマに映ります。光明が見えないというか。目的地が掴めない。どいうところに着地するんだろ。

でも樹里ちゃんと瑛太さんとの間の空気感はタイトルとは逆な素直と映ります。力んだ風でもなく当然なあなあでもなく。いいコンビだよなあと。この二人のお芝居観てるだけで満喫しちゃいますわ。欲を言えばもう少し展開が惹き込まれるようになれば有り難いんですけど。それは贅沢というものなんでしょうかねえ。

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*らちゃあかん

「埒が明かない」と言っている。「らちゃああかん」という言い方もある。

いくらなんでも「埒が明かない」は説明しなくともいいだろうということで説明を省くが。まあとにかく文字とすればどうってことない話しだが、でも遠州弁知らない人がいきなり「らちゃあかん」とか言われたら「はあ?」って事になるだろうなあ。

遠州では使用頻度が高いということが特徴でもあろうという事で記載。基本男言葉で女性の場合は(男も使うが)「らちあかん」。共用では「らちんあかん」

「埒もない」を「らちゃない」とか「らちゃあない」と言うかというとそれはなくあくまでも「埒もない」である。

例文

「どうよ。休めそうけえ?」

  (どう?休めそう?)

「駄目でえ はあ らちゃあかん。」

  (駄目だよもうきりがつかない。)

「駄目けえ。」

「当たり前じゃん。おんめえ次から次とどんどこ片っ端しからこっちん回してよこすもんでえ。捌きおせる訳ないじゃん。こんなで休める訳ないら?何考えてるよを。」

「いんやあダイエットしたいっつってたで昼抜いてもいいのかなあと思って回いただけどやあ。」

「てめえ後で説経な。」

「勘弁してやあ。冗談じゃんか。」

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当ブログ四年目に突入

 このブログが四年目に突入した。めんどくさがりでこまめに更新するなんてありえないと周りからは思われてるような普段の行いである私がである。自分でもそう思うという自覚症状がありながら何故か不思議と毎日更新して続けている。楽しい訳でもないのにね。

二年目年まではカウントを大層気にしていたが三年目の去年は気にならなくなった。発信してるという感覚が薄れて思った事を吐いてるだけのような感覚になりつつあるのだろうか。だから多くの人のアクセスを過度に期待せずに済むようになったみたいだ。

だからということもないのだろうがこの記事書くにあたって久方振りにアクセス数をチェックしてみたら一時期は一日平均100前後だったのが最近は50オーバーくらいで落ち着いている。通算での一日平均値は133程。一時期がんこアクセスあったものな。その貯金を今喰い潰してるって事だろう。記事数は今の段階では3100件程。うち下書き状態は560件程。また下書きが溜まってしまった。こないだ整理した筈なのになあ。全部書きかけというか、だからなんだという肝心のとこが抜けてるものばかりだから公開できる代物じゃない。そういう性格なんだろうな私は。

アクセス数が減って来つつあるという事はつまり来て欲しいという意欲がなければモロに数字に表れるものだなあと。読んでもらうための工夫とかの配慮が欠けているんだろうなきっと。でもいいんだ別に。

心具における利用可能容量は2.000MB。で、丸三年で使った容量は大体7.7MB3.87%を使っている。容量的にはまだまだいける。というか使い切る奴を見てみたい気分だ。でもいいんだ別に。使い切る程にはならないだろうから。

というのもココログは一年記事をアップしないと警告はあるらしいがブログ全体が削除される仕組みになっているらしい。ましてや会員であるだけに金の切れ目が縁の切れ目でもある。

普段の呟きや感想なんぞは消えてしまって何の問題もないのだが、遠州弁に関する記事だけは自分がこの世から姿を消しても残ってくれたら嬉しいなと思っている。

それだけにブログという形態が永遠に続くものとは思ってはいないが、少しでも延命できるようにそういう一年以上音沙汰なしでも消されない及び会費は不要というとこを探して引っ越そうかなと思っている次第で。

希望としては今は日付順にしかならない記事の配列があいうえお順等管理人に意思で並び代えれるとこがいいな。

なのでここはメモ代わりという意識でありまして。だから雑然としててもいいやという気になっていますです。ハイ。

もちろんココログが以前に戻って一年撤廃制度を取り下げてくだされば慌てて整えますけどね。移転することなく。そうすりゃめんどくさくなくて済むから。

そんなこんなでお見苦しいブログでありますが何卒よしなに。

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その3

週の中で火曜日が一番楽しいな。もちろんドラマを観るにおいてという話しですが。

どちらもえらくはしょらずに書くと長ったらしいタイトル。

しかしてどちらも長めのタイトルとは裏腹にシンプルな展開に感じられていいですわ。下手な勘繰りしようもない直球でありながらそれでも飽きさせないというのはその空気感が観ていて居心地がいいからなんでしょうかねえ。

片やタイムリミットこなた原因不明という違いはあれど片や時効こなた手遅れという時限爆弾抱えながらの犯人探しの過程が面白いという意味では似た傾向に思える次第。そういうのが連続しても一向に構わない気にさせるよく出来た展開というのがあるんでしょうか。それに疲れるほど頭使わなくて済むって面もありますしね。というか専門用語飛び交っていてついていける訳ないし。でもこのおいてけぼり感覚がなんか楽しい。

とまあふたつ一遍にして感想述べるのもあれなのでジェネラルルージュの事書きますが。

先にも述べた通り殆ど説明なしで専門用語バンバン飛び交うこの置き去り具合が堪りませんな。もうその世界に紛れ込んだみたいで。

今回はぐっちー(伊藤さん)の活躍は控えめでその分白鳥(仲村さん)と速水(西島さん)がご活躍でありました。

でもアスベスト被害だとか。長年勤務されてた方がもうおひと方おられたようなんですけど大丈夫なんでしょうかねえ。

それにしても暫くずうっとドクターハウス風味の方ばかり書いてきたけど本筋の方のジェネラルの疑惑。白鳥と速水は同期という旧知の仲とな?しかもいかにも胡散臭い目黒(嶋田さん)というジャーナリストの存在。なんか大分映画と状況が違うな。こちらの展開は映画と同じだろうとたかをくくっていたけどどうも相当捻りが加えられてるみたい。伊達にするっとまるごと二番煎じに甘んじるつもりはないみたいですな。

なんかこっちの方も興味が湧いてきました。キャラ的には仲村さんの白鳥が一番好きなんでいつ頃本気出し始めるのかが楽しみです。

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絶対零度・未解決事件特命捜査 その2

 週の中で火曜日が一番楽しいな。もちろんドラマを観るにおいてという話しですが。

どちらもえらくはしょらずに書くと長ったらしいタイトル。

しかしてどちらも長めのタイトルとは裏腹にシンプルな展開に感じられていいですわ。下手な勘繰りしようもない直球でありながらそれでも飽きさせないというのはその空気感が観ていて居心地がいいからなんでしょうかねえ。

片やタイムリミットこなた原因不明という違いはあれど片や時効こなた手遅れという時限爆弾抱えながらの犯人探しの過程が面白いという意味では似た傾向に思える次第。そういうのが連続しても一向に構わない気にさせるよく出来た展開というのがあるんでしょうか。それに疲れるほど頭使わなくて済むって面もありますしね。

とまあふたつ一遍にして感想述べるのもあれなので絶対零度の事書きますが。

今回はカメ(上戸さん)頑張る図がことに目立って他のメンバー少し控えめに映りました。もう少し各自の得意分野を駆使して合わせ技で事件解決に至ってくれたらもっと楽しいのになと。

ところでカメは被害者の足取りを追うに優れているということみたいに映りましたがそういう特技なんでしょうか。

ムロツヨシさんが出とらしたけど、最近ようお顔観ますなあ。

展開についてはカメの捜査により「げんさん」の存在を発見してから急展開という勢いでありましたがそういうもんなんかなあと思って観てました。当初の捜査でその存在浮かび上がらないものなのかなあとちょっとね。まあカルテから愛称であろう「げんさん」の名を導き出すというのは至難の技ではありましょうが。

ところで係長(杉本さん)と白石(中原さん)のターゲットは最初っからお医者さんだったんでしょうかねえ。私は「げんさん」現るまで気づきませんでしたけど。

そういやあ白石って苗字ドクターヘリの時も白石だったなあ(職業違うけど)。ってことはいつかゲスト出演で娘が出てくるのかしらん。なんてな。冗談です。

とにかく楽しく観れて観るのが苦にならないところがこのドラマの好きなところです。遺族の感情モロ被りで苦悩するという精神戦という側面はあっさり風味でいってくれれば嬉しいな。まったく描かないとなるとただの推理ゲームになってしまうでしょうからそれは避けるべきでしょうけど塩加減をねいい塩梅にしてと願いたい。

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*わりかし その2

「割合」と言っている。

「いきなり」を「いきなし」というような系統で「わりかり」とかいうのが元(共通語)かなとも一瞬思ったりもしたのだがそんな筈は勿論なく、元は「わりかた」(割り方)という言葉だそうな。

辞書にも「わりかし」は載っているので遠州弁という訳ではないのだが使用頻度が高いので記載した。遠州では辞書とは若干ニュアンスが異なる「意外と」とか「思ってたよりも」という意味合いで使われることも多い。

例文

「なによを。わりかしいけるじゃん。」

  (へ~意外と美味しいじゃないの。)

「だらあ?喰ってみんと分からんもんだってこうゆうなあ。」

  (そうでしょ。食べてみないと分からないものでしょうこういうのは。)

「見た目くどそうだんね。」

  (見た目はくどそうなのにね。)

「汁真っ黒けだでねえ。」

  (汁が真っ黒だからねえ。)

「かきこまぶすのが味噌かもね。」

「味噌じゃないにかきこは。」

「ばかっつら分かってるわっ。」

注、「かきこ」の説明は長くなるので別記事にありますのでご参照下さい。

続きを読む "*わりかし その2"

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*すやい

人を馬鹿ちょん呼ばわりする際の表現だそうな。

「すやい」なんてそんな言葉あるのか?みたいな存在を否定するのではないのであるが私は全く使わないし耳にしたこともないので「だそうな」としか言いようがないところである。私が思いつくとしたら

「どうせすやい」(どうするんだよっ)

くらいしか思いつかないがこれとは全く別種のものであろうな。

あくまで噂に聞く(ネット上で知った)範囲なので参考までにということで記載。どこの地域での表現なんだろうか。

「やることがすやいのぉ」(やってることの程度が低いなあ)みたいな使い方だそうな。

知っている人がおられたら以下について教えていただきたいところであります。

1、どの地域で使われているのか。

2、ニュアンスには愛嬌・嘲笑・怒り・呆れる・排除(どけ)・中傷・非難・鈍いなどどういったものが含まれているのか。

3、ばかっつら・とろくさい・どんくさい・へたっぴー。まだるっこしいなどといった類似した言い回しとどういう使い分けをしているのか。つまり使いどころですな。

4、漢字で書けるとしたらどういう字になるのか。

まあ私が無知なだけなんでしょうけど。

脱線するけど「ばかちょん」は「馬鹿だのちょんだの」などという言い回しの短縮形であって江戸時代にはすでに使われていたらしい表現。

「ちょん」は辞書では知恵が少し足りない・こと(人)とある。「ばかちょんカメラ」といえば誰にでも写せる簡単操作ということで使われている。

「ちょん切る」(ちょんぎる)は無造作に切るという意味でつまりなにも考えていなしに切るということからして「ちょん」という表現には頭を使っていないというニュアンスが含まれているのではないかと思えなくもない。某国への中傷表現というものでは決してないものである。

遠州弁での「終わりにする・きりにする」という意味合いの「ちょんにする」とは当然別物である。

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湯けむりスナイパー その14

 日曜日の23時30分からBSジャパンで「湯けむりスナイパー」を放映してくれる。あな嬉しや有り難や。

去年地上波においてしぞーか県では放映がなく、泣く泣く愛知県の電波にすがって観てただけに、今回のくっきりはっきり画面で観れるのは感謝以外の何ものでもない。

パルス飛び交う霞が掛かったような画像で観てたけどそれでも十分堪能出来た訳だが、こうしてけっこい画を観ると結構趣が変わるものである。

まずなんといってもその表情である。目の動きというか配りがきちんと見えるとこうも印象変わるもんなんだ。源さん(遠藤さん)案外表情豊かだったんだあと。元殺し屋さんだから感情は表に現われないのかと思っていたんだけど。もっとも顔が見えにくくとも体から発せられる気というのは映って見えてたんで意外という範疇ではありませんが。

忙しそうに働いてる時の楽しそうな目が新鮮でありました。

もやが掛かった画で観てた時の露天風呂は、これは湯気が満載と映って温泉気分に浸れた気になったけど、もやが晴れた画で観ると浴場だなと。情緒という意味では見えづらい分かきたてられるなにがしかのものが有るものかと。

内容については特に初回は新しい印象というものはないのでありますが、それでも毎週また観れるのが愉しみであります。

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*じゃあじゃあ

水がこぼれている様を言ってる訳ではない。

「これは何?」

「おととしのでえ。」

「じゃあこれは?」

「それはあれだあれ、確か最新作だよ」

「じゃあじゃあこれは?」

「もううっさい。てめえで調べな。」

とかいう風に畳み掛けて問うような場合に使われる表現。別に方言でもなんでもないところであろうが遠州ではよく使われるのではと思って記載。

似たようなものでは「それじゃあ」とかがあるが、「それじゃあ」だと若干突っ込んだニュアンスではなく話題を変えてみたいな感じと取れる。それと「じゃあじゃあ」には気分的には乗ってる勢いと急いている勢いがある。

より哀願調(おねだり調)だと「じゃさあじゃあさあ」・「じゃあじゃあさぁ~あ」・「じゃあさあじゃあさぁ~あ」・「じゃあさあじゃあねえ」などという言い回しがある。

「じゃあじゃあ」は基本女性及び子供が使う表現。男だったら「だったら」辺りであろうか。

「じゃあ」の代わりに「では」を使う「ではでは」という言い方があるかというとそれはない。というのも

「ではでは」

は遠州では「それじゃあね」と軽い別れの際に発する言い回しなのでそれと混同することは避けているからであろうか。

「ならなら」については使い手は居る。他には「んじゃんじゃ」などもある。

例文

「今財布に500円しかないだよね。これで買えるもんてどれ?」

「あっちんさあにあるもんならなんとか買えるらあ。」

「でもなあ、こっちの方が物良いだよねえ。これいくらあ?」

「そりゃ1500円だの。」

「うぇ~どたけえ。じゃあこれは?」

「そりゃあ800円かの。」

「じゃあじゃあこれは?」

「やあ、はあ諦めな。こっちんの500円のは無いだで。」

「まけてくれることはしてくれんだか?」

「まけんのっ。」

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新参者 その1

 始まる前の予測としてはこのドラマ、期待度よりも疑心度の方が上回っていたけど。

その危惧はゲスト(おそらく)の登場人物衆の活気で掻き消されて非常に面白かったと感じ入りました。杏さんの江戸前気風がよかったな。それを受けて立つ市原さんもやっぱ凄くて。香川さんクラスともなればそれはもう当然として。ホント人情劇としても成立するいい話しでありました。

でもホント途中まではどうみても香川さん犯人にしか見えないよなあと思って観てまして、あれ?これって一事件一話完結だったっけ?勘違いしてたのかなあとマジで思っちゃいました。見せ方というか展開の流れに見事騙されたというべきなんでしょうかね。

或る意味秀逸過ぎてなだけに今週は特別で来週はトーンダウンか?と思ったかというと、阿部さん演ずる主人公が魅力的でそうはならないで来週は来週でこれまた愉しみという感じがしてきました。

ホントこの人の前では下手な事言えないといった鋭さがとても鋭利で。そして笑い方がどことなく人を喰ったようななに考えてるのかこちらからは読みづらいという謎を抱えてるのでは思わせる得体の知れない人物像でありまして。

名探偵の要素を兼ね備えている不気味な人物とでも評せる主人公ですな。惹き付けられます。観るのが愉しみです。

ちなみに始まる前の疑心とは、この錚々たる役者さんの面子から察するにコメディになろう筈もなく迫力あれどドヨヨンと重苦しい展開のドラマになるのかなと思えていたのでそういうのはちょっとなあと。

でもそれは加賀恭一郎(阿部さん)と松宮(溝端さん)というキャラで予想してた空気感を変えてくれそうなので杞憂で済みそうです。

で、ちょっと外れた感想ですが、杏さんvs市原さんってどうなんだろう?と思っていたらまあ見事な丁々発止でありましたなあ。お父さんが控えめなだけに余計にそう映ったのかもしれませんが。それにしても杏さん役者さんとしての存在感と迫力を持っていなさるようで。でもモデルさんなだけにあの細さは如何ともし難しや。モデルと役者の掛け持ちをいつまでされるんでしょ。無責任な要望と叱られるでしょうけどドラマや映画しか興味ない者としては役者さん一本に絞って普通の体型となりて欲しい気がするのですがね。

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*浜松の春はかまびすしい

 今年の四月は雨が多かったせいで静かな静かな里の春であったのだが。

少しでも晴れ間が訪れる休日となると啓蟄が如き「祭り馬鹿」が現れてまだ5月でもないのに「練り」をしている音が聞こえてくるのである。若しくは「練り」の演奏をしている。その風が運びし騒音を聞きて思いしことは。

「練り」なんぞ練習いらんわ誰でも出来る。だで、んなもん当日やれ。習うより馴れりゃいいだ。練習していいのは屋台のお囃子だけだあ。

尚且つ始末に負えんのは太鼓を打ち鳴らす音である。

やあ、太鼓の音んどうるさい。まあちっとなんとかならんだか?

昔の近所迷惑の光景として映画やドラマで描かれていたものの中に朝な夕なのとある宗派でのお経を唱える日課の光景がよく挙げられていた。手持ちの太鼓叩いてドンドコドンである。それと較べれば長々としたものではないのでまだましではあろうが似たようなものである。なんにしても太鼓は遠くからでも聞こえてくるものである。らっぱや笛は聞こえてこなくても太鼓だけは聞こえてくるのである遠くであっても。近くでやられちゃ堪らんだろうな。

春の訪れを知らせる音にしては情緒の欠けらもない。五月蝿いのみにてござ候。

字い読めんだか?うるさいは五月になってからにせよやあ。

それにしてもいつから太鼓打ち鳴らすようになったんだろう。私が祭りに参加してた頃はそんな事なっていなかったのに。

全く根拠も確信もないけど、旧市内という枠が取り払われて一気に参加する町が増えた辺りからかなあ。

女性の参加も大体その時期と重なるんだろうか。太鼓もそうなのかな。

確かに昔から変化は続いているものである。例えば足元。粋がってた奴は地下足袋じゃなく雪駄履いてちゃりちゃり音出して歩いてた。他には、鉢巻に気を使う事はなくあくまで手拭いであって首や頭に巻いていただけだったし私ら「てこ」って読んでたんですけど手甲って書くんですかねえあれつけて凧場での動き易さを重視した装いだったし。法被の丈だって尻が見えるくらいのでなきゃ危なくてしょんないとかいう風に雪駄みたいに動き重視とは程遠い輩もいたし見た目なんかどうでもよくて動き易さ重視という輩もいたしで昔っからばらんばらんではありましたからなあ。一概に昔と較べて今は駄目になったとか言えたもんじゃないことは確かですけど。

でもまあ個人的には浜松のミスコンテストの審査で女性に法被姿をさせるってことが絶対おかしいと映る「凧は野郎の祭りだ」と思っている身としては、もう今の変遷というか常識にはついていけませんわ。だからじっとしてるのに遠くからドンドコやられると否も応もなくこんなのおかしい昔と違うって思ってしまう。ま、実のところはうるさい静かにしろというだけなんですけどね。

祭り当日は当然あんたが大将だでひゃあひゃあゆう方どうかしてるだん、祭りでもないのに「練り」やらすなあルール守れん近所迷惑だっつってるだあ。つうこんでえの。

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わが家の歴史 その3

 いつもながらの王道から外れた横道を往く。とにかくまあ長編なので見直すにしても大分時間が掛かるものでありまして。でも視聴率よかったみたいですね。これが当たらないとなるとドラマに明日はないようなもんで。とにかくこれでドラマにも力があるということを知らしめたことはなにはともあれ佳き事かな。

にしてもこれだけ綺羅星の如き役者さんが数多出演された上に同じ時間経過を表現してくということは、下世話ではありましょうがどうしても見比べてしまうという衝動を抑えきれないものであります。それぞれの役割分担は違うのにね。

まずは見た目での歳の重ね方

 基準を柴咲さんとすると、一番変遷を感じさせてくれたのはそれはやはり西田敏行さんと富士純子さんでせうな。覇気と老いの変化と長女に対する負いの心持ちが切なかったな。兄弟の中でということであれば榮倉さんが印象深かったな。インパクトがあったというべきか。しかして中身は変わっていないというところが味噌だったように感じられました。堀北さんはその対というべきか初志貫徹と年と共にの変化との対比というか。見た目は流行には敏感なようではありましたがそれでもどちらかというと地道に変遷されていてあまりインパクトを感じさせない。けれど中身(心根)というものが随分と変遷していて対照的な印象が強かったです。逆に殆ど感じなかったのは佐藤隆太さんと大泉さんかな。不変を何気に表現してるようでもあり男衆はその方がいいんだろうか。おじいちゃんには「老い」と「負い」の表現が要求されただろうから別物として。

数十年後を想像すると次女は大層現実主義で三女は全然変わらないままなんだろうかな。そんな想像の結果を観たかったな。意外と想像通りじゃなかったらそれはそれで何があったんだろうとまた妄想できるし。

いっせえのっせで同じように歳を重ねてくみたいな横並びでないところがうまく説明できないけどとにかく良かったな。兄弟と映ったかどうかはこの際置いといて。置いとくといえば役者さんの見せる化けレベル(演じれる年齢の幅)がどうのこうのとかも置いといて。なにしろ「旬の役者さん」って呼ばれるのは「今」を魅せているのであって「幅」を求められてる訳ではないのであろうから力量があってもあえて見せないという事してるのかもしれないから。

それぞれの役割

 「つるちゃん」という役柄は新聞を読んでたら「トリックスター」と呼ばれるキャラクターだそうな。「トリックスター」ってなんぞやと思ってネットで検索したけどその役割はイマイチ掴めないところだけれど「仕掛け人」とも「いたずらもの」とも思えない「つるちゃん」なだけに「お初」と呼べなくもない印象がありますな。私が浅はかなのかもしれませんが、災い・試練をもたらすのではなく福を招く(窮地を救う)というトリックスターってのは観た記憶ないですから。

ところで、つるちゃんって最後は要人警護の地位に辿り着いた訳で、その変遷を辿るとじえええ隊で体力を鍛え機動隊・連絡船でアクシデントでの際の処世を学び・南極・黒部で過酷を体験し、自転車夫で地理感を養いホテルマン等で接客を学ぶという流転の様でありました。ということは紆余曲折右往左往はあれど基本体育会系と思えなくもない。大泉さんに体育会系のイメージは微塵も感じないだけにこの配役正しかったんだろうかという疑問が生じるけれど、露骨に筋肉もりもりなガタイな人だったら果たして面白いと思えただろうか。房子の為に我が身の丈を省みず無理を重ねた末の満願成就という意味合いが籠められていたのかもと考えるといかにもそれが天職だったみたいな人であったなら面白味が削がれるのかなあ。

 長男について、あの時代は私生きていないので想像にしか過ぎませんけどモロ男子社会であろう筈で、いくら長女が一番年長でよく出来た人物だとしても家長は長男でしょうにと思えるのはおかしいんですかねえ。まあ伏線として幼き頃より体調宜しからずとて必然的にかくなりしという手立ては打っておられましたが。特異な家庭事情ということなんでしょうかね何事にも。長女に対するなにかしらの後ろめたさが終始垣間見られて家庭人としては駄目男の部類に入るのだろうけど自分もそういう部類に属するだけになんか共感してしまう部分がありましたなあ。もっとも社会人としての能力は月とスッポンであんなしっかりしてないですけど。でも絶対結婚したら尻に敷かれる旦那になるだろうな。そういう意味では時代の先行ってた人ということなのかもしれない。

 色んな人が行き交い蠢くだけにその中心点がぶれてたらハチャメチャな世界感になってしまうところを長女とお母さんが本柱(鵜匠)として安定させていたように感じられました。柴咲さんの追っかけ目線で観てたら「逞しい」のひとことで表わしちゃいそうで恐いところではありますが。極貧・裕福・貧乏という流転は我が身に起こったら堪りませんわ。受け止める前に現実逃避しそう。まあ働ける口がある社会ってのはなんとかなるという安心がどこかにあるでしょうから今失職するのとはその受ける想いは異なるものでありましょうけど。

それにしてもあれだけしんどい人生送ってたけど老けることなくお綺麗どしたなあ。やつれをマジで表現したらば画として見づらくなるは必至なのだが、だからといって綺麗過ぎるというのもうそ臭くなる訳で。その兼ね合いの匙加減が結構大切なんだろうけど常になんだろうボロは着てても心は錦で押し通されたのでしょうかねえ。しかしながら長女注視でドラマ観てたらそれは王道であって横道にならないので深くはしないように浅はかな感想でいいかあ。まあそれだけ全うに観ても見応えがあるドラマなんだろうな。

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*なんで

「どうして」と言っている。

別にごくごく普通の共通語で地域性のある意味使いをしている訳ではないのだが。すかしながら一般的に「どうして」と使うところを遠州では大抵「なんで」と言う事が頻繁な傾向であることに地域性があるかなと思って記載。

ちなみに「え」を付した「なんでえ」という言い方。「なんでえ」と「な」を強調していえば「どうして?」という意味となり「「なんでえ」と平坦に言えば「どうした?」という意味になる。このようにアクセント位置を変えることによって意味に変化を与えている。

例文

「いごかんじゃん。なんでだいやあ。」

  (動かないじゃないか。どうしてかなあ。)

「なんでだいねえ。」

  (どうしてだろねえ。)

「なにすりゃこうなるだかいねえ。」

  (どうすればこうなっちゃうんだろうねえ。)

「そりゃああれだらあ。なんもせんでほっぽらかいといたもんでだらあ。」

  (そりゃあれでしょう。何もしないで放置しといたからだろう。)

「んな気いさらさらないだけどやあ。」

  (そんなつもりはさらさらなかったけどなあ。)

「んでも結果としちゃあそうなるだらあ。」

  (でも結果としてそうなるんじゃないの?)

「なんでもいいけど、なんしょこりゃはあ駄目だのっ。やっぱ やごいなあ かんな。」

  (理屈はどうでもいいけどとにかくこれはもう使えないね。やはり作りが貧粗なのは駄目だね。)

「だからってうっちゃらかすっつうのもなんだかやあと思わん?」

  (だからといって捨てちゃうというのもどうかと思うけどね。)

「なんで?直せってか。」

  (どうして?直せって言うの?)

続きを読む "*なんで"

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