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カーリング中継を見てて浮かんだ疑問

 オリンピック及び世界選手権が終わりて早幾年。んなわきゃなくまだ1ヶ月も経っている訳ではないのだが。春のドラマ群が始まるまで見たいテレビもなかったので録画しといたカーリングの試合の模様を繰り返し茫洋と視ていた休みの日。

それで浮かんだ疑問幾つか此れあり。ただ見てるだけのど素人の疑問なんで的外れなものですけど。聞くとこ知らないんで要望も混ぜてここでつぶやいてよしとします。

*ストーンを投げた際ラインを越えた辺りでストーンに内蔵されている緑色のランプが点灯している風に見えるのだが、何に反応して点灯するのか。これって何をチェックする為に光るんだ?

*スキップが投石者に指示を出す時対戦相手のスキップが距離はあろうが背後霊のように後ろに位置する。あれは何をしているのだ?そういう決まりなのか?

*投石者は投げる際どこを目印としているのか。つまりどこを見て投げているのか。

*ごく稀に投石者が「ウォー」でスキップが「ヤップ」と違う指示をする場面があった風に感じられたが、そういう場合掃く人はどっちの指示に従うものなのか。

どちらかというと指示というよりも掃く人の判断に対しての応と否の意思表示とも思えたりもするが。

*ハウス内で石が止まるか止まらないかの辺りで相手スキップが相手の石を掃いているけど、止まって欲しい側と少しでも外に出したい側の意思が交差した場合攻撃してる(投石してる)チームは相手スキップに掃くなと言えるのか。つまりハウス内では両軍入り乱れてスウィープできるみたいだけど揉めたりすることはないのか?

*日本はアマチュアらしいが世界ではプロが存在するのか否か。名ばかりのアマチュア(国営)は別として居るとしたら誰?どこの国?オリンピック等に出てくるの?

プロも居るのだとしたらその中に混じってアマチュアがメダル狙うなんてそりゃ無謀だろうと思える次第。

*他国のチーム構成は選抜なのか日本のように普段のチーム丸ごとなのか。

*世界選手権決勝で独逸が10エンドで行った先行で一点リードしてる状態でふたつガードを置くという戦法は観た事ない旨のコメントを解説の方が述べられていたが何故そうしたかの結論というものが明確にされていなかったけど、それをきちんと説明されてる読み物とかないのかしらん。なんか消化不良でんがな。

*世界戦とかではストーンが停止するまで排除したり結論付けたりしないところであるが、ゆうチューブとかで国内戦を視ると未だ動いてるのにそそくさとストーンを扱う様が目に付いた。ついでにいうならば国内戦に限らず靴のすべり止めという名かどうかは知らないけれど着脱自在の靴のカヴァーを放り投げたりする様とか持ってる箒を床に投げたりする様はどうも目に付くところである。そそくさとする習慣がついているのであろうか。

*独逸のユニフォーム格好よかったな。中国の朱だか赤+黄色も一目瞭然だしスウェーデンの黄色+青も目に焼きついた。日本は黒に金のラインなんかしらねえ。白に赤のラインよりもいいよなあ。でもこれって国ごとに色とか暗黙のうちに決められてるんでしょうか。

*彼を知り己を知れば百戦危うからずと申しますが、世界のチームの情報がなんも入って来ない。知らない相手と戦うとなれば見る視点としては日本ガンバレしか存在しない訳で。視聴者としてはもっと選択肢を広げたいな。カーリング協会とかのHPなんかでそういう世界のチームの紹介とかして視野を広げたいものでおます。個人的には世界選手権での独逸チームがお気に入りになりました。仲良しだけじゃない空気感がね。

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警部補 矢部謙三 その2

 なんかね色んな感想ブログ巡ってみると少数だけれども期待してたけどどうもイマイチと思ってるお方がおられる。それは憶測ですけど「トリック」と「矢部謙三」をごちゃ混ぜにしているからであって「トリック」本編と同じなものを期待するのはお門違いなんじゃないかなあと思う次第なんですよ、とつい思ってしまいましたです。人それぞれでしょうけど。

「矢部謙三」の役回りは過去に於いて「広報人 矢部謙三」を代表とする「トリック」の番宣番組であるといういわば前説みたいな役割に徹してきたのであり、そしてそれは「トリック」本編とはまったく異質の矢部ワールドが展開されてきているのであると思っておりますですハイ。それを踏まえた上で今回のドラマを観るべきではなかろうかとかように思う次第なんですよ。つまり本編「トリック」を喰う訳でもなく継ぐのでもないものだと。

スピンオフと銘打たれているのかは定かではないですがむしろスピンインというか「トリック」の世界に異質な「矢部謙三」が入り込んでいるのであってどちらかといえば破壊者という存在なのだと。そんな猛獣を如何に山田と上田が捌くかというのが悦な訳で。その牙を磨き爪を研ぐ場所がここなんだろうということですわ。

かく平素は傍若無人のデストロイヤーが山田と上田にかかると影を潜めざるを得なくなるというのが味噌な訳で、だからこそ普段のフィールドを描くにおいては恒に結果オーライなだけのハチャメチャであって欲しいおぞおもひけり。

そんななだけに今回の潜入捜査というのは相手(潜入先)に合わせるという展開にならざるを得ず傍若無人な矢部ワールドが展開されにくいよなあと。或る意味矢部が振り回されるのは似つかわしくない気がします。

でも小ネタは相変わらず冴えてるよなあ。いきなりブラッディ○ンデイのパロディかよ。取り入れるに機が敏なりしや。

相変わらずと言えば大村課長(魁さん)今回も冴えてたなあ光ってたかどうかはヅラを取って貰わないと確認できないけど。もう存在自体が可笑しくなってきた。誰か返事しろというくだりが今回一番笑えたです。

ネジ式君今回も登場したけど毎回出てくるのかなあ。面白いのか?と問われるとよく分かんないですけど継続はなんとやらかもですから。

トリックネタは今回一見したとこじゃ見受けられなかったけどあったのかしらん。千里眼・桂木弘章は捕まった筈だから同姓同名なんだろうな多分。でも捕まったの2000年頃だからもう出所してるのかなあ。

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*だもんですから

「明日の予定になってるだもんですから。」

共通語に直すとおそらくは

「明日の予定となっておりますので。」

「明日の予定になっているものですから。」

辺りであろうか。砕けたとしても

「明日の予定になってるもんですから。」

であろうか。

遠州人はこの「だもんですから」は共通語と信じている。なので公用というか仕事においてもお客さん等に丁寧な言葉という意識で使っている。

「だもんで」という言い回しは「だもんでお客さんねえ」(ですからお客さんねえ)といった「ですから」・「だから」という接続詞みたいな使い方以外にも存在している風に思えなくもない。例文を共通語を意識せずモロ遠州弁にするならば

「明日の予定んなってるだもんで。」

辺りとなる。つまり最初の例文をクソ丁寧に訳すと

「明日の予定になっているものですからすから。」

みたいな感じになる。変である。だがこう言っていることになる。これに違和感を特に感じないというのは遠州弁の理屈においては問題ないからである。だが共通語としては重複しているということになるのか。

考え方を変えて「だもんですから」に近い共通語を探す。となると「なものですから」が思い当たる訳であるが

試しとて「だ」を「な」に変えてみると

「明日の予定になっているなものですから。」

これもなんか変である。したがって「だもんで」は「なもんで」と同じじゃないような気がする。「てなもんで」を「てだもんで」という言い方とかも存在しないので「だ」を「な」に変えればそれでよしという訳でもないようだ。だが同じだと勘違いして遠州人は使っている節がある。

単純に「だ」を抜けば済む話ではあるがそうは中々問屋が卸さない次第でありまして。それほど遠州弁における「だ」は重要な言葉なのであろう。逆に言えば「だ」を封印すれば多少は共通語に近づけるということも言えるのかもしれない。なんてな。

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警視庁失踪人捜査課 その1

 静かなドラマでありんした。こんだけ芸達者な役者さんが打ち揃えばすんごい丁々発止が繰り広げられるのかと思っていたんですが、三すくみ状態ならぬ五すくみくらいな勢いで至極淡々という感じでした。

ドラマなんだから無理して起伏や強弱をつけて盛り上げなきゃ(ヤマ場をつくらないと)という論法(お約束)なぞ勿論ないのでありますし、プロ(職人)が紡ぐ世界はかくも整然と粛々と進むものだという事を表わすということでもありましょうが、お気楽なドラマを見慣れた視聴者としては異質な匂いを感じるところです。

決して作りが静かだというのではなく、ド派手な失踪の模様や容疑者(参考人)を追いかける刑事もののお約束ともいえる「走る」様があったりと決して起きている現象は穏やかではないのですが何故か息遣いを感じにくいというか燃え上がる雰囲気が伺えないというか。

まあとにかく皆腹に一物もっているような不気味さが存在しているみたいに思えるせいなのかもしれないですが。

この空気感が馴染むかどうかでこのドラマが好きか嫌いかに分かれそうな感じもしますが、その点私は鈍いのでもうちっと観てみないとなんともいえないところです。

でもまあこの静かに流れていくように映る理由は犯人探しのミステリーというよりもタイトル通りの人探しという事が主題によるものなんでしょうか。正直なところ、あ~面白かったという事ではないけど詰まらなかった訳でもないという感じで。でも決して普通(平凡)という訳でもない感じでよく掴めない。

やっぱもう少し様子見致します。

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*おとましい その2

以前にも記事にした「おとましいこんでえの」の「おとましい」という言葉。

この言い回しが同じ遠州でも地域によってその意味使いが異なる(偏っている)事を最近知った。

以前書いたのは、基本は他人に対しての「気の毒」・「大変」といった慰めの表現で

自分のことを言った場合には「だるい・苦しい・しんどい」という弱音(つぶやき)というものであると。

しかしながら色んなサイトを訪問するに、こういった法則に当てはまらない使い方の文章を拝見したり、どちらか一方のみの説明をなされてるサイトがあったりというのが多かったのでもう一度考えてみることにした。

疎ましい・おぞましいといった共通語とは似てはいるがニュアンスとして考えると微妙に違う言葉ではないかと以前推測で述べたのであるが、「おいたわしい」(お労しい)・「痛ましい」とは他人に対して発するにおいてはその意味は同じであるのに気づいた。もちろん「いた」がどうすれば「おと」に変化するのかという説明は無理であるがニュアンスは確かに一致するよなあと。

しかしながら自分のことを言う場合にいて「痛ましい」ではそぐわない。どちらかといえば「疎ましい」が近い。

視点を変えて辞書を引いてみる。「おとましい」は載っていない。

古語辞典を引くと古語辞典にはあった。

「おとまし」形容詞シク活用 好ましくない。いとわしい。=うとまし

「おとましい」口語活用の形容詞 おとまし

とある。つまり遠州弁の「おとましい」が古い日本語の生き残りを未だ使っているのであるのなら「おとましい」=「疎ましい」ということになり、その意味は「いやでたまらない感じ」ということになる。

現在遠州弁で使われている使い方と較べてみると自分に向けて発する場合の意味合いと合致することになる。が、他人に向けて発する場合の意味合いとは合致しない。

以上の事から推測すると遠州弁の「おとましい」は二種類存在していて、それをひとつの言葉と考えるから矛盾が生じるのであろうか。屁理屈(根拠)からいけば「古語の生き残り」が正統で「痛ましい」の変形は捻じ曲がって使われてる亜流ということになりかねないのだが。

実は私らんとこはその「痛ましい」という方の「おとましい」を主に使っていて「古語の生き残り」の使い方はしていないのである。自分が使ってる方が正しいとしたいところはであるが、これはどうも分が悪い。でも実際そう使っていても支障は特にない。それで通用しているのである。

まあ分は悪いが、だからといってお世継ぎ(正統後継者)を決めるような必要がある訳でもないのであるからして、素直に「痛ましい」の変化と「古語の生き残り」の二種類が合体したものが遠州弁の「おとましい」として使われているということで納得しようではないか。そして合体したことによって「忌み」な事を表わす言葉として使われるようになったのではということでちょんにしまいか。

以上勝手な憶測話しでした。

はっきりしてることは古語辞典に載ってる言葉が遠州ではまだ使われているということ。それは「おとましい」という言葉。意味使いについては辞書の説明からは変化しているということ。

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素直になれなくて その1

 ツイッターなるツールが基盤となっての縁(えにし)が紡がれていくドラマのようだ。このブログにもツイッターなるものと連動させる機能が備わるようになったということであるが、いい訳がましく同じことをぐちぐち書くタイプの私には文字制限は抑圧なので手を出す事は今のところしていない。「簡潔明瞭」と「整理整頓」は私の辞書にはないのである。

そんな事はさておき、樹里ちゃんと瑛太さんのコンビ作品。はてさてこれは観ずばなるまいて内容云々はさておき。

どこかで「上野樹里」を評して「有り得ない存在を力ずくで具現化させる表現者」みたいなことを読んだ。「有り得ない」とは「のだめ」に象徴されるような漫画(非リアル)のキャラとかを示すのだろうか。「力ずく」というのは強引にということではなくて一点の霞もないくらい快晴にその役になりきるということか。演じている時の姿に「上野樹里」は映ってこないのは自身を封印する滅私の力が強いということなのか。などと勝手に解釈して成る程な上手い事言うもんだと。

容姿はそんな変わる筈もないのだから内側から放出されるものの色味が変化するんだろうかな。

なんてまた再びそんな事はさておき、肝心のドラマの感想。

惚れた腫れたはどうも得意分野ではないので見所とかの感想は出てこないところです。日常の閉塞感の打破という側面もあるのでしょうか。出会うという事は。

ツイッターってのは普段思った事を言ったところでどうなる訳でもないけれどもそれを溜め込んで鬱積して下降線な気分が蔓延するよりも見知らぬ誰かにぼそっと話して同調して貰うことにより吐き出せるというストレス発散ツールもしくは見知らぬ人とでも繋がれる(一人じゃない皆同じ)事を実感するツールなのかなと未利用者は想像したんですけど。

なので或る意味ドラマの最後の最後辺りに出会いがあって、ドラマの大半は直接関わり合いのない人間同士の文字の繋がりのパワーで元気を貰いつつそれぞれの生き様(日常の奮闘振り)が描かれていくのかなと思っていたんですがいきなりな出遭いからの展開でありました。逢って相手を知ってしまえばそれはツイッターとかじゃなくてメールになっちゃうんじゃないかと思えなくもないところであります。まあ未利用者のいう事ですからとんでもない的外れな事言ってるのかもしれませんが。

いづれにせよ嘘も方便となりうるのかと勘繰りたくもなるような本当の事を言わない(職業を偽ったりとか)付き合いを「仲間」と呼べるのかどうか。それも恋のテクニックさと断じられたらああそうですかなんですが、タイトルが素直になれなくてということですから我が身に対する恥じらいということなんでしょうかねえ。

嘘はどこかでばれるものでしょうからその破綻をどう見せるのかがドラマの味噌なんでしょうか。それとも百聞は一見にしかずで逢ってみなけりゃやっぱ分かんないもんさ人間ってのはというテーマなんでしょうか。んなわきゃないかあ。

意思の疎通具合とすれ違いと誤解とかでハラハラさせるという手合いのものでしたらホント私の得意分野じゃあないんで傍観者になっちゃいそうですが果たして何を魅せてくれうるんでしょうかねえ初回観た限りじゃよく分かりませんでした。彼らの終着点が。

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*遠州では頻繁に使われない言葉 「っぺ」使うは「っさー」

「~だっぺ」・「いなかっぺ」とかいう「っぺ」・「ぺ」。

私のブログタイトルでお分かりのように「田舎者」は「いなかっさー」と「っさー」であり遠州弁では「っぺ」という言い回しはしない。愛称とかも同様に「しげっぺ」とかではなく「しげさあ」とかである。

辞書によると「ぺ」(接尾語){兵衛の変化「ぺい」の短呼}①非都会人的な(洗練されていない)人に対するけいべつの意を表わす。②身近の人の名前につけて親しみの意を表わす。とある。「さ」は辞書には載っていなかった。

遠州における「ぺ」の印象は「屁」が先ず第一に思い浮かばれ、すかしっぺ・最後っぺとかいった「屁」についてしか言葉が浮かんでこない。

そうはいっても全く使われないと断言する訳にはいかず、例えば「言いだしっぺ」とかは使っている。他の言い様を知らないということもあろうが。

辞書にある①の意味での使い方は遠州でも使う。使い分けとしては「っぺ」は軽蔑で「っさー」は愛嬌(愛称)という使い分けであろうか。個人差はあろうが「っさー」は侮蔑的に言う際には普通は使わないものである。(言われた方はどう捉えるかは別としてだが)。侮蔑的に使うとしたら「っさ」の方であろうか。例えば「田舎っさ」とかだと①の使い方で「田舎っさー」だと②の使い方に近いみたいな。

②についてはこれも個人差・地域差はあろうがあまり芳しくないところである。遠州で親しい証として愛称とかで「っぺ」を使ったとしたらそう呼ばれた方にしてみればいい気はしないところではあろうから注意が必要ではある。

つまり「っぺ」と同じ意味をなすのは①の意味の場合遠州では「っさ」②の意味の場合は「っさー」ということであろうかと。あくまで私見である。

①・②以外の使い方として「っさー」は以下のようなものがある。同じ言葉かどうかは定かではない。まあ当然他人の空似で別の言葉であろうが。

使い方例としては

「もっさりとしてるなよ。」を「もっさーとしてんじゃねえわ。」

「一度にどっさりと寄越すなよ。」を「一遍にどっさーと寄越すなや。」

こういう言い回しの効能は「うんざり」といったニュアンスが籠もるところであろうか。

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*おおぼったい

しぞーか県で広く使われている言い回しであるが地域によってそれぞれ微妙にニュアンスが異なっているらしい。

無理繰り訳を捻り出すとしたら(つまり根拠の無い予想)「傷を負う」の「おう」が「傷を受ける」という意味であり「体の異変」とはそこはかとなく繋がるので

「負うぼったい」(原因については思い当たる節がないけどなんかおかしい・いつもと違う)と妄想できなくもないところではあるが根拠がない分説得力は薄いだろうな。

色んなサイトで紹介される訳は

駿河辺りでは「うっとおしい」・「五月蝿い」・「気に障る」

遠州では「腫れ気味」・「むくんでるっぽい」・「若干違和感を感じる」

まあ合わせれば我慢出来る範囲ではあるが腫れ気味などでうっとおしい・気になるということであろうが。

しかし「ぼったい」という言い回しは「~気味・~っぽい」であるのが遠州弁の定義(大袈裟か)であるので駿河での「うっとおしい」という訳のようなそのものずばりを表わす事はないので相容れない部分はある。個人的には「ぼったい」は駿河の言い回しじゃないかと考えているので遠州は変形バージョンなのかもしれないが。

まあ強引に解釈すれば「痛い」程ではなくかといって普通でもない状態が「うっとおしい・五月蝿い」と考えられ同じものだといえなくもない。

共通しているのは身体の異常に関する際に発する表現使いが主流であるということ。「部屋のインテリアがごちゃごちゃしててうっとおしい」というのを「部屋のインテリアがおおぼったい」とは言わないであろうから。

次に視点を変えて「ぼったい」を省いて「おお」となればそのものずばりを差すのかというと。例えば「くらぼったい」なら

「なんか暗ぼったいやあ」(なんか薄暗いよう)が「なんか暗いやあ。」(なんか暗いよう)

となる訳が成立するのであるが「おおぼったい」に関しては

「なんか下腹の辺りがおおだやあ。」

なんていう事はない。「おお」なんて言葉がないからである。つまり「おお」とはなんぞやと考えてもせん無き事であくまで「おおぼったい」でひとつの言葉で分割できるものではないということであろうか。理屈に合わないところではある。

最初に案として出した「負う」が「おお」であれば「負う」+「ぼったい」という図式が成立するんですけどねえ。とにかく「おお」とはなんぞやの明確なものを提示しなければ他所から来た人にとっては「なんじゃそれ?」という言葉のままで習うより馴れろにしかならないものであろう

体の不調を訴えるものなだけに正しいニュアンスが伝わらなければね。使いどころとしては悪くなる予兆を訴えてるような状況で使われる事が多いような気がしないでもない。

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絶対零度・未解決事件特命捜査 その1

 このクールのドラマってみんなタイトルが長いよなあ。とかいうどうでもいい感想はこの辺にして、益々もってよりどうでもいい感想をば。

 建物の造りが好きだな。木の廊下を歩く際の靴音の響きをもう少し味わいたいところです。科捜研の造りとの対比は何を意味してるんでせうかね。あちらが機械を駆使した理屈ならこちらは道具を持たずに人間の創意工夫でということなんでしょうか。

 桜木泉(上戸さん)のやけに感情にほだされる部分が印象に残りましたがこれは対策室のメンバー構成でそれぞれの得意分野の振り分けということなんでせうかね。深沢(丸山さん)が機知・高峰(山口さん)がプロファイリング・白石(中原さん)が昔ながらの地取り・塚本(宮迫さん)が武闘派という振り分けでカメさんは人情心情とかいう風に。それだと白石先輩とかぶる部分があるのではという気がしないでもないところですが。それはおいおい分かることなんでせうか。

どじでのろまなカメの成長記というフレーズはどこかで聞いたぞという気がするのですが、まさかそういう展開になろう筈はないでしょうけど基本はそんな勢いなんでしょうかねえ。でもカメの聞き取りの際のメモの取り方ホントにきちんとメモ取れてるのかなって映りました。聞き入ってばかりで。でも英語の文章とかスラスラ読めるンだから頭脳明晰なんでしょうねきっと。

いつもお泊りしてるようだけど一体夜中何してるんだろ。過去の事件の資料の山の中で眠りこけてたみたいだけど予習復習に勤しんでいるということなんでしょうか。

 なんとなく早足に感じられた事件解決の流れと映りました。なんで?と問われてもどこがとはうまく申せませんがこの早さだと一話完結より数話に分割してより濃密に迷路を歩く様を描いた方が私的には好きではあります。スパンスパンパズルのピースがはまるのは最後の最後に怒涛でというのが好みなんで。そこまでに至るまでの迷走と暗中模索の景色が好きなんですよね。

コメディの要素はなさそうでして、その方がなんかいい感じに思えました。

なんだかんだ書きましたが、兎に角面白そうです。

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ウィキペディアの遠州弁でお遊び その2

ウィキペディアの「遠州弁」の記事でちょっとお遊びを。決して茶々入れるとかじゃなく単に遊んでるだけですのでお間違いなく。なんかね、自分の使う遠州弁と違うんでそれと比較してみようかなということですわ。遠州弁にも色々あらあなということですよね。

とあるウィキの例文。今回はわかりづらいやというお話し。

「そこにいたっただに」

訳はA「そこに居たんだよ」とB「そこに居たのに」と二通りのものが考えられる。

この文章、ポイントとなる「だに」のイントネーションが違うので耳で聞けばどっちなのか分かるのであるが文字だけだとどちらと言ってるのか分からない。

「ついさっきまでそこにいたっただに なんで声掛けんかったよを」

となればBである。

「ついさっきまでそこにいたっただに ホント嘘じゃあらすか」

となればAである。まあこういう場合「だに」じゃなくて「だにい」が普通使われるので比較としての説得力が薄いが。

まあとにかく、つくづく文字だけでかつ簡潔な文で方言を伝えるのは難しいものである。

もちろんどちらもそれぞれの項目の中で説明されているので抜けてるという話しではなくてどっちともとれるという判りづらいというだけの話しであるが。それだけ方言というのは同じ言葉をイントネーションを変えて別の言葉(使い方)にするという事が頻繁だという証でもあろう。

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チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋 その2

 謎解き要素が濃くて面白いぞ。ぐっちー意外と出来る奴で面白いぞ。

なんかね病名を探る会議の模様がドクターハウスを彷彿とさせるんですけど。患者は嘘をつくもんだとかスタッフに症状から考えられる病名思いつくまま言ってみろとかね。

それがいいとか悪いとかじゃなくてですねえ、病気を見つけていく過程のあれは米国人同士の葛藤の様だから他人事として傍観的に観れたんですけどこれの日本版となると温情義理人情治療費等に鑑みカラッとしたものにはならないんじゃないのかと思っていたんですわ。

なんかよく言えばチャレンジ精神と全ての可能性の追求で困難を乗り越えるということ、悪く言えば検査検査の薬漬けという気がしないでもないえらく理屈=道理という感じで。日本で義理人情欠いたら嘘臭く(現実離れに)なるんじゃないかと。

でもこのドラマはそういうものをうまく乗り越えているみたいです。というのも冷静(ともすれば冷徹)な部分はジェネラル(西島さん)に任せて情緒的(日本的)な部分をぐっちー(伊藤さん)が担っているという役割分担で見事日本訳に成功してるという感じでありまして。とにかく面白いぞ。

肝心の白鳥(仲村さん)が追う疑惑はおそらくは映画とは大きく異なることはなさそうに思えるので個人的にはこの配分目の前の患者8割疑惑の追及2割(勝手な目分量ですけど)という配合がナイスだなと思えます。

まあ映画も原作も観ておられない方にとっては二兎を追うみたいな展開に思えたりする危険性があるやもですが。

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三代目明智小五郎

しぞーか県民は観ること能はずいと口惜しや。あくまで個人的な言い分にしか過ぎないが、それはそれは大分大いに相当至極随分非常にかなりとてもがんこに期待してただけに放送されないというショックはでかい。

いっそのこと電波障害地域とかへの救済措置である地デジ難視対策なんたらやらに駆け込んでなんとかして受信してSBS飛ばしてTBSからの電波で直接観ることが出来ないだろうかなどとやいのやいの職場の連中と話しあったりしたが、風の強い日にNHKに限って映りが悪いという電波状況の我が家では該当しないので結局たわごとでしかない。

ホント、ア~アである。

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*身内の呼び方

遠州人がよく使う身内の呼び方。以前の記事で個別に書いたところであるがもう一度今度は取りまとめたものを記事とする。基本は本人に声を掛けるのではなく他人に家族(身内)の事を話す際に使われる表現。もちろんこれが全てではない。

父→おっとさ・おとっさ・おやじ・父親・おとおちゃん

母→おっかさ・おふくろ・母親・おかあちゃん

夫→だんな・つれ・亭主・うちの

妻→つれ・おっかさ・女房・(「かかあ」の使い手は存在するが少数である)・うちんの

姉→あんねえ・あねえ・ねえさ・ねえちゃ・上んの・姉貴・ねえさま

兄→あんにい・にいさ・にいちゃ・上んの・兄貴

自分(本人)→わし(実際にはボクとかわたし・俺等であるが遠州弁の基本はわしなので)

妹→いもおと・下んの

弟→おとおと・舎弟・舎っ弟・下んの

我が子→ちび・ちびすけ・がき・がきんちょ・うちの子・こぞう・こんぞう 複数の場合は ちびら・がきら・うちの子ら

祖父→じいじ・じいさ・じいさま・じいちゃ・じっちゃあ・じっちゃま・おじいちゃん

祖母→ばあば・ばあさ・ばあさま・ばあちゃ・ばっちゃあ・ばっちゃま・おばあちゃん

叔父→おじさん・(おんじい)

叔母→おばさん・(おんばあ)

義理の兄弟などの場合は「義理の~」という言い方になる。ただし「上んの・下んの」については義理の関係の場合には使わないことが多い。「うえんのの義理の兄貴」といえば「上の姉の旦那さん」ということである。

親に対してよく付加される「馬鹿・クソ」については「おやじ」にしか付かないのが普通であろう。「おっかさ」に「馬鹿・クソ」が付く言い方を聞いた事がない。「おっかさ馬鹿だもんで」という言い方はよくあるが「馬鹿おっかさだもんで」という言い方は普通はしないということである。

「おんじい・おんばあ」は私らんとこではほとんど使わない言い回しであるがそういうところもあるらしいということで参考として記載。

最近はどうか知らないけれど、ちょっと前なら「パパ・ママ」は小学生までで中学辺りになると周りから「まだママかよ」って囃されたりして自然消滅していったものであるが今はどうなんでしょ。もっと前なら「パパ・ママ」なんぞはおだいさま(金持ち)のセリフであって庶民が使うなんてことはなかった。そんな感覚で生きてきただけにドラマとかで高校生・大学生辺りが「パパ・ママ」というのには違和感があったし大人が発すると背筋が痒くなるのである。昭和人としてはええ歳こいて何甘えてるとつい思ってしまう、浜松はそういう風土だと思っている。

「パパさん・ママさん」だったら比国辺りの就労者が発する言葉としてインプットされてるんで違和感ないんですけどね。

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*お勝手やる

「勝手」とは台所に関した事。「勝手口」なら台所の出入り口。

共通語であり別に遠州弁でもなんでもないところで「勝手」に「お」をつけるのもごく普通の共通語である。

しかしこれに「やる。する」がつくとなると途端に遠州弁っぽくなるところではないかと思えたので記載。

「お勝手やる・する」というのは食事の支度をしているつまり調理していると言っている。

まあ全国どこでも使う言い回しであって決して遠州独特という訳ではないだろうけど遠州でも使うよという事で。

例文1

「まいど~三河屋で~す。・・・・・。奥さ~んおいでる?」

「ほい悪いやあ。今お勝手やってていごけんもんでえ悪いだけど勝手口ん方廻ってくれん?」

例文2

「あれえもうこんな時間じゃん。お勝手やらんとかんで奥さんごめんねえ。」

とかいって井戸端会議を抜ける口実となすこといと多かりき。

続きを読む "*お勝手やる"

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わが家の歴史 その2(第三夜)

三谷作品は悪党や対抗・対峙するものは登場するけど悪人や非道を登場させないということで、その法則を決して裏切らないからこそ甘ちゃんの私としてはとても安心して観れるというのがいいですね。誰を愛でてもいいじゃないかという自由さがある。

話の筋を面白くする為だけに人を殺めたりやたらと陥れるというのは作り手に努力というか工夫が足りないのじゃないかと思う今日この頃。家族の誰を注視していっても愉しめるというこのドラマはそういう点では一線を画していてホント色んな見方が出来るもんだ。でも誰を見ても言える事は「バイタリティ」ということなんだろうな。

そんなこんなで見方はホント色々あろうが、主人公の政子(柴咲さん)を愛でるのは王道過ぎるので私は横道をいざ往かん。

まあ、つるちゃん(大泉さん)最高というのの正当性を改めて述べた訳でありますが、それ以外にしぞーか県民として地元の勇がお二人も出とらすでその事にも触れないとね。

 「長澤まさみ」さん。今回は世間知らずのお嬢様、淑女から娼婦への変遷。それに海難事故の際の体を張ったスタント?と諸々今まで演じた事のないであろう事をばなされてましたなあ。演者としてのイメージは世間一般の普通らしさが「長澤まさみ」らしさでもあった風に思えていたのですが「波乱万丈」もいける口でしたな。ばつが悪そうな様なのは相変わらずのお得意ではありますが。

煙草の吸い方がやけに違和感なくて、もしかしてこの人スモーカー?とさえ疑ってしまいかねない姿が印象的でありました。といっても直ぐ煙吐いてましたから実際には飲んではいないみたいでしたけどね。

それにしてもドラマでは売り文句にはしてなかったみたいですけど、「東大出身の踊り子」なんて肩書きついたら相当に興味湧きますなあ。「あそこまでまで見せてなぜもっと見せない」というしぞーか県民にしか分からないであろう深夜Cmの冗句がつい浮かんできました。もうちっと脱がなくても良いから妖艶に腰で踊る様を観たかったな。ってその前に履歴書に東大卒と書けばまっとうな職業選択出来ただろうにと思えるのでこの流転の様は劇的な「波乱万丈」ではありますがなんとなく「波乱盤上」というか波乱を盤上で練ったみたいな作り込み過ぎなんじゃないと思えなくもないところでありますな。こないな激しい流転が八年程のスパンで流れたというのは激流なんてもんじゃないすよね。息つく暇もない感じで。でも行き着く場所があってよかったよかった。ってまた放浪したみたいだけど。ホント理解不能なお人でありますな一之瀬ゆかりという人は。

同じ「波乱万丈」でもつるちゃんは認めてもらいたいが為の男磨きというのが終始一貫してた訳でありますがゆかりの方はそうした一貫性がみられなかった分訳分からなく映るのでしょうかね。

一時期記憶喪失になって正気に戻ったら竜宮城並みな世間になっていて居場所がなくて死のうとしたけど死に切れなくてそんな自分が厭で自らを貶める行為ということらしいんですがなんかそういうとこもよく理解できないところでありました。

でもチープな厚化粧でも十分お綺麗というのは意外でありましたな。Cmとか見る限り濃い目のお顔で綺麗と思ったことなかったんで。昭和顔ってことなんざんしょうか。

血い吐いて突っ伏すとこなんざホント顔面蒼白って感じでリアルでありましたなあ。

とにもかくにも見応えありました。よかったですよ「一之瀬さゆり」役。

 で、もうひとりの地元の勇たる砂羽さんでありんしたが。マリアという控えめでありながら旦那の後にしっかりとついていく我慢強さが溢れててよかったな。野郎目線でいくとこれだけ女性が一杯出てきてそれぞれの人生歩んでる様を観ると、どうしても自分だったら誰を一番嫁に欲しいかななんて考えてしまうのでありますが。私だったら質実剛健なマリアが一番かな。

 それにしても有名人八女家にどっと押し寄せ本妻さん(天海さん)目を白黒という様は痛快だったなあ。でも転居してからは付き合いなくなっちゃったんだろうか。

放浪記ネタもよかったな。なんか尊敬の念が感じられて。

運動会がエンディングの華というのには物凄く「庶民」を意識したけど、数多の有名人と接してはいてもそれぞれ名を残すでもない人達であるという証という風に考えれば確かに運動会は家族にとって一大イベントなんだろうかな。仕事よりも家族の絆ということも謳ってるのかしらん。私はドラマで描かれた時代は知らないので時代考証や背景が懐かしいとかいう感慨はなかった分どうしても人物の生き様というものに目がいってばかりいましたんでそういう意味ではこれで終わり?っていうはっきりしない感じがしないでもないところでした。具体的にどういうものが見たかったのかといわれても返答に困りますが、ナレーションをしてた未来の実は今(現代では)何をしているのかという姿は見たかったなあ。

でも子宝に恵まれたのが長女ひとりというのは。ちと不思議。

でもでもやっぱ第三夜もつるちゃんだったなあ。あ~面白かった。結婚受諾の時のあの表情がとても悦でありました。つるちゃん主役としたら房子(榮倉さん)のウェディング姿でハッピーエンドというのがエンディングでもよかったんじゃと思わないでもないけどそれじゃ当たり前過ぎるということだったのかな。

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わが家の歴史 その1(第一・二夜)

つるちゃん(大泉さん)最高!

都合のいい時に都合のいい場所で都合よく現れては八女家の窮地を救うという作り手にも都合のいいであろうというあざといキャラの筈ながら、愛嬌に溢れていて愛すべきキャラとして印象深いというのは特筆すべき存在でありますなあ。

つるちゃんがいなかったらこのドラマ結構シリアスな方向に舵が向いてしまって重たい物語と映りかねないだろうなきっと。

私的には我が家の歴史というよりもつるちゃん奮闘記という風にすら思える次第で愉しいや。

あとはいっぱしの男となって房子を迎えに行くのを愛でるのみってか。

それにしても流転の人生ここまで全国行脚出来たら凄いよなあ。なんで仕事が長続きしないのかが語られていないけどなんなんでしょうねえその理由は。警察予備隊と警察を勘違いしてたというギャグには笑えたなあ。その後無事機動隊員になったみたいだけど八女家のピンチを救ったが故にお役御免になっちゃうというのもねえ。しかしてそれを恨むでもなく常に明るいというところがつるちゃんの一番の財産なんでしょうなきっと。悲壮感が感じられないもの。それに加えて経験という手に職を豊富に持つという蓄財も相当なものなのだろうなきっと。実がなっているのかどうかは不明だけど。

とにかく第三夜においても何をおいてもつるちゃんが気になります。

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*なまじっか

辞書にもきちんと記載されているれっきとした共通語であるが、多少古めかしい感が否めないらしく死語に近づいているようであるが、遠州では普通に使われているとして記載。

ネットの辞書では「なまじ」の口語表現で「いっそのこと」(なまじっか言わん方が良かった)・「ちょっとやそっとのこと」(なまじっかな事では言いくるめられない)とある。

「なまじ」については辞書には{生強ナマジヒの変化}十分な成果が期待出来ないのに何かをあてにする様子・それで十分だと言える状態には達していない様子とある。「なまじ口を出したのがまずかった」・「なまじ知ってるだけに始末に負えん」。訳としては「つい」・「中途半端に」と訳されている。

辞書にないニュアンスが遠州弁にあるかというと、まあそんな大きな違いというものでもないが「なまじっか」には「余程・よっぽど」・「却って」・「まだ」といったものが辞書には記載されていない意味使いがあるところである。

「あいつと組む方がなまじっかまし」(あいつと組む方がまだまし)

ただし「余程・よっぽど」という意味では「ずっとか」という表現があるのでこれと比較したら「ずっとか」よりも弱めの「どちらかというなら」という意味使いの方が正しいニュアンスであろうか。私個人の感覚としては

絶対まし>まし>ずっとかまし>まだまし>なまじっかまし>いっそまし

という強弱で捉えている。「なんしょまし」がどこに入るのかが悩むとこだったのでこれはちょっと外した。

例文

「今日この後どうせるでえ。」

「家ん帰っても暇だもんでどっか行くなら付き合うにい。」

「そうけえ。でもあれだにい結構ハードだにい。こんなこんなるだったらなまじっか声かけてくれん方がありがたかったやあとか後でゆわんでよを。」

  (そうなの?でもあれだよ、結構ハードだよ。こんな事になるのならいっそのこと声掛けてくれないでいた方が良かったなんて後で言わないでよ。)

「なにい。なにしいどこ行くよを。」

  (え~?何しにどこへ行くの?)

「そりゃいいとこまんじゅうでえのっ。行きゃ分かるで。」

  (それは内緒だな。行けば分かるから。)

「いやあなんか不安になってきたやあ。聞かん方がなまじっかよかったかやあ。」

  (う~ん。なんか不安になってきたぞ。聞かない方がかえってよかったのかなあ。)

「はあ決めただらあ?ええで行かまい。」

  (行くって決めたんだろ?さあ行こうぜ。)

注、普通「いいとこまんじゅう」は本来親とかが我が子に対して発するものであるが今回はあざとく方言チックにするために使用した。

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