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*「ふかす」は共通語だろうて

「ふかす」で思いつくものが三種類ある。どれも遠州弁とは思えないのであるが遠州弁と紹介されているところもあるとのことなので否定的記事として記載。

*ひとつは「蒸す」と言っている。ネットの辞書では「蒸す」と書いて「ふかす」と読むとなっている。昭和の辞書においてはひらがな表記で漢字は当てられていない。

辞書にもあるくらいだからこれは遠州弁ではない。「ふかす」と聞いて地方性を他所の人達が感じるのだとしたらそれは他所では死語となっている古い日本語が遠州ではまだ生きているということなのであろうか。

でも「ふかし芋」と言えば全国どこでも通用すると思うので「ふかす」は共通語だろうという気になる。まあ「線引き」や「タメ」みたいに遠州発で共通語に昇格したんだというのならあれだけど少なくとも昭和の辞書に載ってるくらいだからそりゃないだろな。

例文

「芋ふかいてあるで手え洗ったら食べない。」

「どこにあるよを。」

「ちゃぶ台んとこにあるらあ。」

「蟻んがんこたかってるだけど。」

「払って食やいいじゃん。死にゃせんて。食いもん粗末にしちゃかんにい。」

「腹おやいたらどうしてくれるよを。」

「正露丸くろの引き出しんとこにあるでそれ飲みない。それか食わんならわし食っちゃうで別に食わんでもいいけど。」

*いまひとつの使い方は「吹かす」で「大袈裟に」・「吹聴する」・「作り話し」とかいう意味で発せられる。全国的な使い方であろうと思われる。遠州独特というわけではなかろうて。

「をた」との違いは「をた」が世迷言みたいな元々からしてありえない話しという勢いで「ふかし」だと多少の事実を膨らましてありえない話しにするみたいな勢いの違いであろうか。

「嘘」との使い分けとしては「言い逃れ」・「その場しのぎ」というニュアンスが強くなり「嘘も方便」みたいな一部の理が「ふかし」を使うことによって全く存在しないんだぞと思ってることを表わす場合。それと、夢見たいなこと言ってるんじゃないよという実現不可能を指摘する場合という二通りの使い方が多いのではないかと思われる。

例文

「やあてめえふかしこいたじゃないらなあ。」

  (おいお前あることないこと言ったんじゃないだろうなあ。)

「ふんだだこた あらすけえ。」

  (そんなことないよ。)

「じゃなんで誰もいんよを。なんかすんごいことになってるつうもんで来てみりゃこれじゃん。なに?なんで?なにが凄いだあ。」

「凄いよを。おんしゃ来るってなったら蜂の子散らすみたいに皆いんくなっちゃっただもんでえ。凄いこんじゃん。」

*そしていまひとつの使い方は「アクセルをあける」。ぽんぽん用語か?こちらも多分「吹かす」であろうかな。

「エンジン掛ける時あんましふかし過ぎるとかぶっちゃって駄目だにい。」

「ここ広い道だからっつって思いっきりふかしてスピード出すとちゃっと白バイ飛んで来てキップ切られるでねえ。」

以上どの意味使いにおいてもこれを遠州弁と見なすには無理を感じるところと思えます。これ以外の用途での「ふかす」というのがあるのなら話しは別ですけど「ふかす」は共通語でしょう。

「夜更かし」で使われる「更かす・深す」は古語辞典にも載っている古い日本語であるがそういう意味使いの「ふかす」はさすがに遠州でも「夜更かし」以外に使うことはない。この意味使いで「ふかす」という言い方はない筈ですが。

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*はくせっこ

「落雁」の事。厳密に言えば「白雪糕」(はくせつこう)という干菓子で「う」が飛んで「つ」が縮んで「はくせっこ」と呼ばれるようになったらしい。しかもこう呼ぶのは遠州独特らしいと色んなとこで書かれてあったので多分そうなのであろうか。そういやあ考えてみたら子供の時分「落雁」なんて呼ばれるもの食ったことなかったものなあ。

「落雁」と「白雪糕」とでは製法が違うので「落雁」の事と説明するのはおかしいのであるがパッと見は似たようなものなのでまあいいかあということで「落雁」と説明した。それに違いなんて誰も知る由もなかったので「落雁」であろうとも「はくせっこ」と呼んで済ませていたのかもしれないだろうし。

食べた感触はとにかく口の中がパサパサしてきて、口の中の水分全部吸われちゃうんじゃないかと思えるくらい飲み物とセットでなければ食べきれるものではなかった記憶がある。

甘さは子供心にも甘ったるいと感じた程のものを食したので印象としてはかなり甘いものと記憶している。ただし昔砂糖を鯛のおかしらみたいな形に整えて詰められてた贈答品というものが盛んだったのでそれと記憶が混同しているのかもしれない。なにせガキの時分は甘けりゃなんでもよかったんで。チクロやサッカリンでもとんじゃかなかったくらいだから。

それはともかく「はくせっこ」は見た目がけっこいお上品なものなのでとにかく口に入ればいいやと思ってるようなガキのおやつとかじゃなく縁側で野良着のままの一服用茶請けとかな代物でもなく結構なお手前で点てられたお茶を一服する際に食する代物とかお祝い用の品なのだろうと思う。食す機会はお雛さまで供えられた後に飾り終えた後のお下がり頂戴辺りだったかな。

どうりで殆ど食べたという記憶が少ない訳だ。駄菓子屋とかで売られていたんだろうか。あっても手を出さなかったんだろうか。全く記憶にないところである。

砂糖の贈答品と混同してるかも書いたが、混同といえばある時期「白い石膏」を「はくせっこ」と言うものとも混同してたというのもあったやも。そんなの私だけか。

そんな脱線話しはともかく「はくせっこ」、昔懐かしな呼び名なのか今もなおここいらではそう呼ばれているのかは知らないが、この間スーパーでひな祭り用ということで売られてたであろう「はくせっこ」らしきお菓子があってその品名を見たら「落雁」と記されてあった。

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*「どひょんきん」と「ばかひょんきん」

遠州弁における「ひょんきん」については以前「ひょんきん」という記事で説明したように共通語の「ひょうきん」とは別物である。「ひょんきん」の意味についての細かい説明は以前の記事を参照していただく事として大雑把にいえば突拍子もないという意味使い。

この記事では「どひょんきん」と「ばかひょんきん」にはどう違いがあるのかという事を検討。あくまで検討なので正しいかどうかは定かではないのであしからず。具体的な使い分けがある訳ではないのだが、傾向というか方向性としてこういう使い方をしているのではないかと思えるという次第。

どちらも普通じゃない真似をしでかすという事であるのだが。

一言で言えば「どひょんきん」は「突飛」。

「ばかひょんきん」は「アホ」。

常識では考えられない事をするのが「どひょんきん」。

常識があるのかと疑う事をするのが「ばかひょんきん」。

例文

「あれえお宅の庭えらいこざっぱりんなったじゃん。」

  (おやまあお宅のお庭随分とさっぱりとなったわねえ。)

「聞いてやあ。それがさあ。○○さんとこの奥さんがあ。植えてあるの分けて欲しそうな事ゆうもんでよかったらどうぞっつっただよを。ほいたらあんたなによを知らんでるうちいいつの間にか植わってるのまるさら持っていっちゃっただにい。ばかひょんきんだらあ?」

  (聞いてよそれがね。○○さんとこの奥さんがね。植えてあったのを分けて欲しいみたいな事を言うものだから『よかったらどうぞ』って言ったの。そうしたらなんと知らないうちにいつの間にか植えてあったの全部持っていかれちゃったの。もう有り得ないでしょ?)

「あの人そおゆうとこあるだよ。こないだなんかゴミをさあ、集積所まで遠いもんで持っていかすのいやったいだか知らんけど家の前回収車通るとこ止めさして渡そうとしただよ。どひょんきんだらあ。」

  (あの人そういう所があるんだよね。この間なんかね、集積所までが遠いからゴミを持っていくのが面倒くさいのか知らないけれど回収車が家の前を通るところを強引に止めてそこで渡そうとしてたんだよ。もう信じられないでしょ?)

「はあもうついてけんねえ。ひょんきんじゃ済まんじゃん。」

  (もうおかしいよね。ちょっと変とかじゃないよね。)

ちなみに「ひょんきん」の上だと「きちがい」となることが多い。「ひょんきん」は普通じゃない・ついていけないという程度だが「きちがい」は迷惑千万関わりたくないというレベル。

繰り返すが「ひょんきん」及び「きちがい」共に共通語の意味とは異なるものである。遠州弁の「きちがい」とは「自分さえ良ければ他人に迷惑がかかろうが知ったこっちゃないという人間」のこと。

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*ねち

「歯茎」のことを指している。つまり

「林檎を齧るとねちから血い出る」

「はぐき」がどこをどうすれな「ねち」になるのか皆目見当がつかないのであるがとにかくそう言っている。男女共用。もう古い言葉で使い手は高齢化してきてると思われる。

例文

「なによを。口から血い出してえ。大丈夫けえ。」

  (どうしたの口から血が出ているよ。大丈夫なの?)

「そこんさあでおもいっきしすっころんで口ぶった。」

  (そこの所で勢いよく転倒してしまって口をぶつけた。)

「ねち切っただけえ。労咳とかじゃないだね?」

  (歯茎を切ったの?労咳とかじゃないんだね?)

「ドラマじゃあんめえし、んな劇的なわきゃないらあ。」

  (ドラマじゃあるまいしそんな劇的なわけないだろ。)

「いやあなんかあったら車はわしに譲るって遺言しといてもらわすかと思っただけえが。それっぱかなこんなら赤チンでも塗っときゃいいらあ。」

  (う~ん。もし万が一ってことになったら遺言で車は俺に譲る事としてもらうつもりでいたんだけど。そんな位なら赤チンでも塗っとけばいいだろ。)

「だったらまあちっと親切にしとけやあ。おめえには死んでもやらんわ。」

  (ならもう少し親切にしろよな。お前には死んでもやらないぞ。)

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とてもとても2010・1月~3月

この期間途中挫折が多かったです。ドラマ自体は見るのを止めたというのもあるんですが欠かさず見てはいたけど感想書くにおいて、はてさてと反芻してみると殆ど書く事がないぞという勢いのもありまして。というのが多かったです。

*とめはね!!鈴里高校書道部

 始めちょろちょろ中しぼしぼ終わり見ずして中途リタイア。

原作の漫画を知らしめたということで価値のあるドラマ化でしたが、原作とかけ離れていく世界感に馴染めませんでした。

*相棒シーズン8

 以前のは劇場版しか観たことなくてしかも動機がユイカが出とらすもんでという不純な動機でありまして。でも今シリーズは及川さんが出るなら見ようかなという気になって観始めたところこれが面白い。予想以上に面白い。

よくまあこれだけ何度も現場に居合わせる(遭遇する)なあという奇遇を感じたりはするのですが、見せ方が通り一遍ではなくて毎回手を変え品を変えで飽きさせないところに惹き込まれてしまいました。脚本が凄くいいんでしょうね。水谷さんの落ち着いた話し方も最近のドラマの定番となっているきゃんきゃん口調から離脱できて右京さんの声聞いてるだけでもいいなあと思えたりもしました。

事件も小さなものから大きなものまで動かす力だって様相でバリエーションに富んでいたし。ホント愉しかった。

*エンゼルバンク

 初回見て以降はパスしました。なんでせうね、ご結婚なされて気負った感じが抜けられるんかなと云う期待があったんですがそういう事もなく相変わらずえいやさの勢いでテンション上げ過ぎな感が否めずでござりまして。見ててしんどいのでございます。テーマは面白そうではあったんですが。

インタビューやトーク番組とかでのゆったりとした空気感が魅力的なお方に映って見えるだけにお芝居でもその空気感を失わずにいてくれたらいいのになあと何気に思ってしまいます。

まあドラゴン桜の真々子としてそのキャラを継続しなければ繋がらないということがあって致し方なしだったんでせうかね。

*不毛地帯

 もうお終いかいという感想であります。2クールに渡っての19話ですから短い訳ではないのですが。

民放における一番の長編を目指すとかして欲しかったですなあ。民放ドラマにおける最長が全何話でどのドラマがとかいうのは知りませんが。ホント大河ドラマ並みのスパンで描いて欲しい人物群でありました。もっとじっくり描いたらその人物の凄さが表わせたと思えました。

*泣かないと決めた日

 当初様子見で、まず見ないだろうなと思って臨んだのですが結局は最後まで観てしまいました。最初のインパクトが凄かったので帳尻合わせでいい目も観ておかないと割りに合いませんから。

初回の「いじめ」のオンパレードは半端なく。こんな絵に描いたようなやるせなさをこれでもかで提示してついてこれる視聴者どのくらいいるんだろうとすら思えた始まりでしたが。なんか共感される方が多いとかであにはからんやでありましたな。

出来る主人公が汚名を一身に浴びてそれを最後一気に挽回する展開でしたが、そこそこの能力(普通)の主人公がいじめのその都度ひらりひらりと払いのけてく平穏無事は作り出すものという展開というのを見てみたい気がしてきました。のらりくらりじゃ金のない奴は俺んとこへ来いみたいなすちゃらかになってしまいますからあくでひらりひらりとで。たとえ現実離れした絵空事であっても。

*まっすぐな男

 しほりんが出とらすで観始めたけれど、深田恭子さんと佐藤隆太さんがよくて目的が変わって観てました。こういう掴みどころのない不思議ちゃん演じると深田さんは秀逸だよなあ。それに振り回される佐藤さんというのも苦労を物ともしない感が湧き出ているから可哀想にという気も起こらず割れ鍋に綴じ蓋的雰囲気が出ていて楽しく観れました。

ただこの二人の間に優等生の佳乃(しほりん)が絡むと何故か重たい展開になってしまって正直健一郎(佐藤さん)と鳴海(深田さん)のやりとりの妙が半減してしまったように感じられてちょっと削がれた気がしないでもないところでありました。

もっと単純に噛み合わない二人が惹かれあっていく様を愉快なエピソードを交えてじっくり描いてくれただけの方が愉しかったな。

もちろんしほりんの役者としての力量を実績から鑑みれば重い軽いの調節は自由自在でしょうから「貫地谷しほり」がということではなく演出する側の塩加減の配慮が私にはしょっぱ過ぎたということでありましょう。

*曲げられない女

 役者力を愛でるドラマでありました。愉しめました。

出産ということはありましたが、それでもすんごい劇的な展開が起きるでもない流れでありまして。多少地味な分派手さという目鼻立ちを整えてバランス調整をするためなのかと思ってしまうようなありえないキャラ群ではありますが、外見とは異なって普通の神経してるから登場人物達の葛藤というものが理解できて観てる方もその輪の中に参加してるような気分で観れました。

終わり方もよかったな。すっきりした部分で謎残しなしという明快で潔さもあって。なにせちょっと受けると余韻残しでやれ映画化だあやれパートⅡで柳の木の下だあであざとい終わり方するドラマが最近多いですから。そういうのは選ばれた一部だけに許されるものでしょうにと。

*ブラッディマンデイⅡ

 全話観ました。ちょっと疲れました。

このドラマ観ておおっ!と思ったのはスパイダーの正体がということではなくそれを演じていた満島ひかりさんの変貌振り。二面性の狂気を見事に具現化されておられましたですなあ。見事に逝ってる風な眼つきと幼児化したようなお声にびつくりしました。お医者さんやってる時はさしたる印象を受けなかったので余計にというのもあるんでしょうな。

物語の流れとしましては、先が読めるからとかいう倦怠感などはないのでありますが。なんでしょうお約束を排除してるという新機軸を追っておられるのでしょうけれども作り手が描きたい結果へと至らしむるためへの展開が強引に映る部分が多くて、自分のような素人ですら不遜にも思わずつっこみたくなる事が少なからずあり。それに気がいってしまって。つまりのめりこんでいけていない。嘘はもっともらしくそれらしくつくべきだよなと思う次第であります。

間一髪と危機一髪と九死に一生とゾンビ化の境界線が曖昧で、あっさり天国に召される薄命な役名すらつかない一般市民もいれば何故か何発喰らっても平気の平左な奴もいれば深手を負っても不死鳥の如く軽やかに動き回るターミネーターな奴もいれば死んだ筈だよお富さんみたいな奴もいる。これ全てはらはらさせんが為と意外を演出せんが為の所業と推察するも精神論というか生きようという根性の違いで差が出るとは申せ人の命そのものは皆等しく同じ重さと儚さであるという考え方とは少し離れている気がしないでもなかったです。

敵か味方かという胡散臭さがこのドラマの売りでありましょうが、それはパートⅠで極めたとして別の売りを提示された方がよかったんじゃないのかと。パートⅠで強固な信頼感を持ったチームが今度は一枚岩で見えざる敵のベールを少しづつ剥いでいく様の丁々発止に特化した方が見やすかったとこではあります。

*特上カバチ!!

 面白かったです。全話楽しく見れました。堀北さんが印象深かったな。

*コード・ブルーⅡ

 一番愉しみにしててかつ期待を裏切らず愉しめたドラマでありました。

 フェロー達が劇的に成長して行くのではなくいつのまにかという勢いで医者らしくなっていく様の描き方が見事だったな。Ⅰはイベントの要素を愛でる勢いが強くⅡはそれぞれの内面的な要素を覗き見するような勢いが強くとワンパターンな展開ではなかったところがこのシリーズは奥深いと思わせるのでしょうか。

*木下部長とボク

 発想は凄く面白いと感じるのですが脱力系でも社会で生き残れるのだという為のテクニック(成功例)がどうも薄味に思えまして若干説得力に欠けた気がしないでもないところでありまして。

存在感ということでは板尾さんと宅麻さんががんこ映えてられましたなあ。関西のお笑いの方がたくさん出演されておられましたが全て役者さんで固めてあったならまた違った感じになったのかが気になるところでもありました。

*咲くやこの花

 ひらっちが出とらすで見たけど現代風味の味付けと江戸っ子の気風とがどうも相性が合う様に感じられなくて途中で挫折してしまいました。いい役者さん揃えられてるなあとぞおもひけるも字イマイチ大字なにや。

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*おい

意味としては特別なものはなくひたすらな共通語である。だが使い方が共通語的ではない。どういうところがというと女性が「おい」を使う頻度が高いというところである。

例文

「おいちょっと奥さん。こんなとこでなにやってるよを。」

  (あらまあ奥さん。こんな所で遭うなんてえ。)

「いやあホントこんなとこで遭うなんて奇遇だやあ。安売りだっつうもんで車飛ばいて来ただよ。」

  (そうですよねこんな所でお遭いするなんてねえ。いえね、安売りしてるって聞いたものだから急いで車で来たんですよ。)

「あんたもけえ。わしも。」

  (お宅もですか。うちもです。)

「ほんで買えただ?」

  (それでお買い物できましたか?)

「いやそれが来るの遅くて買えなんだ。奥さんわあ。」

  (それがもう来た時には売り切れていて駄目でした。奥さんは買えましたか?)

「いやうちも。もっと早くに気づきゃよかっただんねえ。」

  (それが私もなんです。もっと早く気づけばよかったんですけどねえ。)

それを聞いていた店員さん曰く

「特売明日だにい。」

  (特売は明日ですよ。)

「おいちょっとなによをそれ。」

  (え~!何よそれ。)

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コード・ブルーⅡ その11

 こんだけ猛々しい出来事が一気に押し寄せると、人間が考えられる許容量には個人差はあるでしょうから人それぞれでしょうが私としてはオーバーフローでありまして。それが却って淡々と時が過ぎていくかのようにもある意味思えてくる様でもあり粛々と進む静かなるエンディングのようにさえ映りました。別に詰め込みすぎだとかはしょり過ぎだと言ってる訳ではございません。ついていけなかったという事ではなく走りまわってる気になって余分な事考えてる暇がなかったということです。そんな感じで臨場感がとてもありましたなあ。

またそれも佳しという感じで早かったですね1時間と20分程が。じっくり見直していけばそれぞれの出来事の重たさが分かるんでしょうけど。とりあえずの第一印象はそんな感じでした。

医者個人の人生観を患者や家族に対して反映させるというのはどうなんだろうと思っていたんですけど、前の日にやっていたスペシャル番組の三方っ原の病院での実際の看護師さんの奮闘の様とかを見たらアリなんだなあと思い直しました。

病気を診るのではなく人を診るという考えは緋山(戸田さん)が気持ちを奮い立たせてメスを握る決意をした時の「モノではなく人だと思って切る」というセリフなどで表わされていたのでしょうか。

で、その緋山落ちたかあやっぱし。ま、しょんねえのってか。このドラマの愉しめるところっていくつもあるんでしょうけどその中のひとつとして結果に対しての良いとか悪いとかのハラハラの押し付けじゃなく毎回なんらかのお題の提示がなされてもそれの答え合わせをする訳でもなく、ひたすら存在して時が流れていくという空気感が苦ではないというところがこのドラマが愉しめる要因のひとつじゃないのかと。観てる方としてはそこに居合わせている証人みたいな立場で観てるようで。そんな感じでずうっと観続けて思えてくる事は、おかしな意味じゃなく色々あるけれどそのうちなんとかなるだろうって気になるところでしょうか。

なにしろ全ての患者さんを知恵と勇気と友情とゴッドハンドで助ける訳でもなしそれぞれ個人が心に傷を抱えてもがいている訳でもあるしと描かれている光景はどちらかといえば湿っぽい話しばかりなのにそれでもつい魅入ってしまうのは得体の知れない光明が見えてくるような錯覚に陥るからですかねえ。もちろん逃げ出さない気力と地道な努力の賜物であろうことは必須条件でしょうけど。

早々容易く答えなど導き出せないような高見に登りつつあるという事とも思える訳で大いなる成長記を愛でてるとも言えそうで。もっともとうに凡人の域を超えているんでしょうけど。凡人の自分が生きる上での参考にするには畏れ多いことばかりな訳ですが多少なりとも色んな事を考える機会をば与えてくれたとも思えます。

ホント全体としては重苦しい展開のドラマなんですが毎週愉しみに観ることが出来ました。Ⅲがあるとすれば当然観たい。

おちゃらけた感想を述べれば、酔うと始末に負えん藍沢(山下さん)と白石(新垣さん)というのが面白かったな。最後藤川(浅利さん)が黒田先生(柳葉さん)とフェローの中で一番距離が近いって風に感じられたのも気持ちよかったところです。

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鈴木さん親子のその日のユイカ

 ユイカが「鈴木さん親子のその日」という地デジに早よ切り替えたりいなと促すドラマに出とらした。その放送時間は朝も早よからの4時半からの25分間。

時間から推察するに三文の徳族か宵っ張り族のいづれかであろうが見た印象の判りやすさということを考えると早起き族の機械は苦手な人に宛てた内容である風に感じられた。映らなくて慌てふためく様を疑似体験で周知する手法で描かれておりました。

昔よく会社が見せてくれた同和問題の提起ドラマとか教習所で見た交通安全の啓蒙ビデオとかと雰囲気が似ていて懐かしい雰囲気の作りでありました。

私は宵っ張り族ですが流石に4時半は寝てますので録画して昼間に観ました。

こういう作品って登場した瞬間にどういう役割を担っているのかが観てる側に伝わらなくちゃいけない訳で隠し事はあったとしても人間としてはいわゆる謎(裏)を要しない見えたまんまの存在でなければならない事が多いのですが、ユイカの役はひねてる訳でもなく今どき珍しいよく出来た娘さんとかではなくごくごく普通のお嬢さんという役柄だったんでしょうか。そう映って見えました。でもおっかなそうなビルのオーナーさんに突っかかるとこを見てしまうと普通じゃないかなと思ったりもなんかして。ごくごく普通のきつい性格のお嬢さんということなのか。

こういった啓蒙ドラマって不思議としか思えないくらいいい役者さんが出演されるんでありまして意外と見応えあるものが多いと思えるのですがでもなんでせうあまり家族という感じが湧いてこない個人の集合体に映るというのがはお約束でもあるんでせうかね。このドラマはそういう部分どうなっているのか。我が家はもう地デジ化してるんで番組の趣旨とは関係ないとこ観てたものですからどうでもいいことが気になってしまうんですわ。

この娘はどっちに似たんだろ。お父さん似なんだろうなきっと。動きとか反応の間や仕方がなんか一緒だった。そうだとすると似たもの同士だから反目しあうのか反抗期?で距離があるのか。仲直りをするためにはどういう障害を越えなければならないのか。

仲直りのきっかけは地デジ移行悶着を家族みんなで乗り切った事にありということでありましたが正直な感想としてはお父さんに対してなんの壁が取り払われたのかよく分かりませんでした。もちろん作品の主題とはなんの関係もないことなのでどうでもいいことなんでしょうけど、家族(主に娘)の為に奮闘努力した姿が認められたという事なんでせうかね。

登場シーンの装いはお父さんが注意してたけど私もちょっとどきっとしました。確かに脇が甘そうな無防備感が湧きました。あの格好で若い男とあったりなんかしたらという気に確かになりましたわ。そういう意味では説得力あったな。

お父さん似であることと親からみたら危なっかしい感じというところに説得力があったということでしょうか。言いたいこと言うべきことははっきり口にするという役柄が多いですな最近。というかSGの関口という役はホント珍しいということか。

最近では徳永さんのプロモーションビデオとか猿ロック番宣番組のナレーションとかでお見かけしているのですが演ずる際の役柄から受ける印象とトークバラエティとかナレーションでお見かけする印象とに開きが感じられる訳でありましてむしろ関口っぽい役柄の方が映えてなおかつらしく映るんじゃないのかと思えるのは気のせいでありましょうか。そういう役に挑戦して欲しいものです。

風鈴・そうめん・ひぐらし鳴く夕暮れ。いまぞ季節は夏やあらんといふ割には庭の木々は芽吹く様なし。あの格好じゃさぞかし寒かろうにとつい思ってしまいました。役者さんは大変だなとぞおもひけり。

この番組見て思った事は、貴方の街の電気屋さんとこで買えばきちんとアフターケアサービスとして映るまで面倒見てくれるだろうにと思わないでもないところですが量販店に押されてもう存在しないところの方が多いという事なんでしょうね。

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*土佐弁と遠州弁

予めお断り申しあげおきますが、完全なるお遊びであって息抜き以外のなにものでもない記事であります。

最近テレビドラマで土佐弁をよく耳にする。土佐弁は個人的に好きである。遠州弁とどう違うのか妄想してみた。テレビからの土佐弁なので正しいのかどうかは自信はないし土佐弁のニュアンスが共通語と同じなのかも自信なし。

共通語→土佐弁→遠州弁の順で記載。

「どうして」→「どおいて」→「なんで」

遠州は「どうして」よりも「なんで」を好む種族だと思う。

「ちょっと」→「ちっくと」→「ちっと」・「ちょっくら」

「見てるから」→「見ちょるきに」→「見てるでえ」・「見てるで」

「やるぞ」→「やるぜよ」→「やるにい」・「やるでえ」

「何がだよ」→「何がじゃ」→「何がだあ」・「何やあ」

遠州弁だと男女に分かれ男なら「何がだあ」で女なら「何がよを」とかになる。男女共用だと「何があ」とかであろうか。

「そうだから」→「ほうじゃきに」→「そうだで」・「ほうだで」

「きに」という言葉は色々な意味使いで使われるのかしらん。「きい」という言葉も別種であるのかな。

「おぬし」→「おんし」→「おんしゃ」・「おんし」

「おんしなにゆうとるがじゃ」だと「おんしゃあなにょこいてるだあ」とかになるかな。「おんし」は遠州でも使うので違和感がない。

「あんた」→「おまん」→「おめえ・おんめえ」・「あんた・あんたあ」

「おめえ」は男「あんたあ」は女性がよく使う言い回し。「おまん」と言うのは遠州では言わないけど岐阜の郡上辺りでは使っていたなあ。これが名古屋辺りだと「おまあ・おみゃあ」になるんだろうかな。遠州ではとにかく言わない。

「~できない」→「ようせん」→「ようしん」・「よをやらん」

「ようせん」という使い手は遠州にもいるので親近感が湧く。

「何をいうのだ」→「何を言いゆう」→「何ゆうだあ」・「なにょこくだあ」

女性言葉なら「何ゆうよを」辺りだろうか。土佐弁は男女同じみたいだけど遠州弁は男女で異なる。

「するのかい」→「するがかえ」→「するだか?」・「するだあ?」

根拠がある訳ではないけれど印象としては土佐弁は「が」が多く使われる気がする。遠州は「だ」だけどそこんとこが違いと言えば違いなんだろうかな。

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特上カバチ!! その10

 嗚呼面白かった。おちゃらけ具合が影を潜めてシビアになっていくにつれて面白味が増した感じがしないでもないので当初のコメディタッチな部分というのは寄り道(迷走)だったんでせうかねえ。

それにしても示談をまとめに行った時のシーンで竜さんと坂口さんが並んで部屋に入ってくる姿は迫力ありましたなあ。坂口さんに悪徳が似合うかどうかは別として雰囲気だけなら威圧感があって間違いなく優勢と映りました。

田村(櫻井さん)が試験に受かったのかどうかは結局描かれずじまいで終焉を迎えた訳でありますが、これって続編意識してのことなんでしょうか。そんなあざということは多分ないのでしょうけど、なにせ前の「仁」が露骨だっただけにちょっと勘繰ってしまいました。

終わり方としては明るく希望に満ち溢れた未来を想像させるものですっきりでありまして。ハッピーエンドを好む私としましては満足なものでありました。

でもこの法律家さんとして生きる道の選択肢、弁護士か行政書士かどちらかというのを選択した根拠として弁護士では(使い方間違ってるけど)敷居が高くて相談しにくいという理屈、そして気軽な窓口でありたいという理屈。このドラマを観て真に受けて実際の行政書士事務所にそうやって駆け込む人が現れたらどうなるんでしょと思わないでもないところでありました。ボランティアだと大先生が電話で応対してたけど実際もウェルカムなんでしょうかねえと素人としてはふとそう思えました。

「本当に困ってる人が簡単に弁護士に相談できるんでしょうか」というセリフはそう聞こえました。そして

「医者の資格がなければ手をさすることしか出来ないようなもの」

という論法がなるほどと思えただけに医者でなくとも出来ることがあるという風に聞こえて「ふ~ん」という感じがしました。それに田村の怒りというか正義感は根深いところにまで鉄槌を下したいみたいだし。それを為すには弁護士目指した方がってつい思ってしまいました。

でもまあ本人がそう決めた訳ですからこれが正解なんでしょうねきっと。

この回お気に入りなのは若い二人が巣立ってオヤジ三人衆が事務所の前で感慨に浸ってるシーンが印象に残りました。

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*けっしい

「消しゴム」と言っている。基本男言葉。でも女子にも使い手は居る。ま、遠州独特ということもないだろうが遠州でも使うよということで。

例文

「はあずいぶんにけっしいちびてきたで買うかな。」

  (もう随分と消しゴムが小さくなってきたから新しいの買おうかな。)

「なにんするよを。砂けっしいけ、モノけっしいけ。」

  (何にするの砂消しゴムかいそれともトンボのMONO消しゴムかい?)

「消すと匂いする奴あるじゃん。いい匂いする奴。あれにしっかな。」

  (擦ると匂いがするのがあるだろ。いい匂いのするの。あれにしようかな。)

「女子じゃあるめえし似合わんでやめない。」

  (女子じゃないんだからさ馬鹿にされるから止めときなよ。)

「んじゃプラ消しじゃなくてゴムでいかすか。」

  (それじゃあプラスティックの消しゴムじゃなくてゴムの消しゴムにするかな。)

「おっ!男前やし。」

  (おお男っぽいなあ。)

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