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闇金ウシジマくん その1(第3話まで)

 自分のドラマにおけるストライクゾーンはほんわかした余韻を味わえるものであって、こういうテーマと登場人物が勤しみ蠢く世界観というのはデッドボールゾーンであって普通は毛嫌いして試合放棄(鑑賞放棄)するところだけれど。

観たら不思議とこのドラマは観れちゃうというのだからなんでだろ

決しておとろしさを緩めている訳でもない。ほんにおそがい世界だがね映ってりゃあすのは。

でも観れるのはなによりも役者力によるものだろうなおそらくは。まずもってキャラが立ってなさる皆様方。らしいところは適材適所という事か。ウシジマくん(山田さん)の存在感の見事さは当然挙げるとしても、片瀬さんが効いてるんだろうかな。この方が出演なさると空気が明るくなる。華というよりもそういうオーラによるものだろうかな。

借りる方にも正義がない。言い訳はそれぞれもっともらしいところであるが切羽詰まると思考の幅が狭くなってくのがよく表れてるよな。反面教師に成り得る部分があるのかも。

貸してる側とて借りているという連鎖。苛める側と苛められる側に分かれてはいてもそれで誰が勝者で敗者であるという事でもない無常感がある。じゃ、なんのためになんでやってるんだ?という疑問が湧いて気になってくる。

弱肉強食を強く謳っている。ジャングルの中でのサバイバルを繰り広げているんだという別世界に仕立て上げているかのよう。だから平地からテレビ越しに身につまされることなく観ていられるのかもしれない。

主人公は人を視てる。いくら時代の仕組みがデジタル化してたり理屈っぽくあろうとも所詮人間はアナログであり理性を失ったらそうそう昔と大きく違うものではないんだ。勘繰れば人には数字やデータなどより重要なものがあるんだぞと言ってるかのようにも映る。

もちろんテレビの影響力というものを考えると、海猿が増えるとかならいざ知らずこういう手合いに光を当てて存在の免罪符を与えてしまったら洒落にならないが、この世にも閻魔様はいるんだぞという戒めな存在として成立すれば面白いのかもしれない。閻魔様に舌抜かれるぞみたいな金にまつわる事で溺れたらウシジマくんが来るぞとかいう恐れられる存在になればという事。

これが我が身に降りかかる火の粉の事として観たりなんかしたら限りなく堕ち込む事になるからそういう目線になったら観れたもんじゃなくなるけど。

第一話では夢という霞を喰ってる人間に地に足付けろと実力行使で教えたとも映る。一杯の茶碗に注がれたお茶がうまそうだったな。

第二話では等身大以上の生活は破綻するものだと改めて述べてる。ここでは救いの手はまだ差し伸べていない。差し伸べるのかどうかすら今のところ怪しいところ。

第三話は女性にたかる寄生虫にも一部の労わりの心有りってか。寄生虫駆除の作業員という感じだったな。これで女性の方は完治できたんでしょうかねえ。

因果応報というに直接的応報過ぎてとてもざまあみろという気分にはなりえませんがホント借りる側は野獣というか野生化してるよなあと感じ入りさせてくれる仕立てのドラマですなあ。野生の猛獣VS猛獣狩りといった風情も無きにしも非ずや。

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