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おじいちゃんは25歳 6話

 「おとうさん」を「後藤さん」と聞き違えるというアイデアは凄いな。それだけでも笑える話しだが、聞き違えたままで暫し会話が進んでいくというああ勘違いの展開がホント笑えた。みんな気付かないんだもの。

それ故他人にとやかく言われたくないという意識から逆に本音が飛び出るというのは、観終わって冷静に考えると有り得るのかな?と思ったんですが観てる最中はそんな疑問が湧いて来なかった不思議。

なんでだろとつらつら思うにそれはやはりおじいちゃん(藤原さん)が持つ器の広さから何言っても聞いてくれそうだし飲み込んでくれそうな雰囲気があるからなんだろうなと。そうでなければ他人と認識した人間の前で内々の恥じみたいな話しを切り出したりはしないだろうなと。いくら家族の者が後藤さん(おじいちゃん)に対して敬意もしくは一目置いてるという雰囲気を醸し出しているという空気感が覆っていても。それとも第三者がいるからこそ逆に火が点いたということか。いやさここはやはり前者を選択しときたいところだな。

紀彦(高橋さん)を殴って叱る様に他人が何をするとばかりにお母さん(菊池さん)がおじいちゃんを阻止した際、おじいちゃん吹っ飛んでたというのは、案外よわっちいなと思えた。まあお母さんの愛情の強さの強度を表わした図ということでありましょうが結構口だけみたいでショックだったな。逞しいだけじゃなく強くもあるおじいちゃんというのをイメージしてただけにそれが壊れたみたいで。

それはともかくその後舅と認識した以降誰にも言えない心情を吐露するというのもただ単に舅という関係によるものではない人間性にほだされての結果だったんだろうかな。

とにかく「子はかすがい」ならぬ「おじいちゃんはかすがい」の図ってか。でもその昔婚前交渉が如何に世間体において負の要素であるというのが平成人にどれだけ伝わってるんだろうとふと思ってしまいました。案外あっさり風味に感じられたけど結構な抑圧だった筈で。後ろ指刺される夫婦という重荷というのも多分背負っていたんだろうなあ。

もっともまだ離婚届焼いたまでで当人同士の和解が成ってはいないけどそれは追々という事なんだろな。描かれるかどうかは分からないけど。次の回突然元の鞘に収まっていたとしても違和感はないわな。

とにもかくにもこの回は「お父さん」と「後藤さん」の言葉遊びの妙が絶品だったな。それが第一。それにほろりとくる夫婦間の愛情も味付けされていて中身も充実してて面白い回だったな。振り返ると30分とは思えない中身という感じだったな。

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