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ストロベリーナイト その2

 見直してみての追記感想。(がん見じゃなくてえぐいとこははしょったけど)

常日頃人は誰かに必ず何某かの迷惑をかけて生きている訳だけれど、誰かの犠牲によって成り立って(明日の糧となって)いくという考えはやはり間違っているよなあ。このドラマでは犠牲を「いけにえ」と呼んでいたけど同じ事だろう。

明日は我が身やもという戦慄が緊張感と生きてる実感を与えてくれるなんて御託並べてたけどある意味自分さえよければという考えの究極ともいえる光景なんだろうな。

それは悪い事と知りつつも快感となって抜け出せなくなる麻薬のようなものらしい。いくら元気で前向きに日々を過ごせるようになったということであってもそれで自身を容認するのはおかしいよな。

ドラマ程誇張ではないにしても現実として部下ををこき使ってナンボみたいな管理者やその上の経営者も部下の犠牲の上に立って(人の生き血を吸って)生きてるようなものだし、弱い人間からゆすって金品をせしめるとか決して絵空事ではないよなことは色々あるよな。しかもドラマと違って法律とかでは裁いてくれない分始末に負えないものも相当ある。そういうのは間違ってるという思いに至る時点で出世みたいなのとは縁がない人間であるというのがモロばれではあるが。別にいいんだそれで。

ドラマには自分の事として観ないとついてけないものと他人事(野次馬)として観ないと見られない(訳分からない)ものとに大きく分けることができるとしたらこのドラマはどっちなんだろうかな。

心に痛みを持つ主人公みたいには強くないから見上げる事はあっても共鳴はできそうもないし

警察官という目線で観てたら人間関係にげっそりきそうだし

ショーを楽しむ被害者予備軍という目線には絶対なれないし近寄りたくもない

自分の背丈にあった居心地のいいとこ見当たらないから距離を置いての野次馬目線ということになるのかな。それでないとほぼ全編痛みだらけで身が持たないもの。案外一番痛みを感じていなかった犯人さんが居場所としては居やすかったのかも。なんてな。

それにしてもおっかないドラマだったな。怖いとかいうホラーじゃなくて、最近の事件のニュースと較べてもそんな大した違いがないようで、全て現実に有り得そうな事ばかりみたいだったから下手すりゃ自分にもって事も起こり得そうなとこがおっかない。

ま、さすがに野郎なんでレイプはされないけれど。それでもなあ、おやじ狩りとかには出くわすかもと置き換えればありうるよなあ。ネットで個人情報盗られておどかされたりもあり得るし。おっかない刑事とかも実際いるのかな、いそうだよな。いけないことした奴にはいけない事してもいいのかな。それで善人が救われるのなら・・・・ん~微妙。それを止めれない周囲というのも・・・って、見て見ぬ振りに限っては日常ですでに起きてる普通の事か。

やっぱ当事者としてどの場にもいたくないからこのドラマは野次馬目線が一番楽しめるのだろうかな。

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