« *なんで | トップページ | *浜松の春はかまびすしい »

わが家の歴史 その3

 いつもながらの王道から外れた横道を往く。とにかくまあ長編なので見直すにしても大分時間が掛かるものでありまして。でも視聴率よかったみたいですね。これが当たらないとなるとドラマに明日はないようなもんで。とにかくこれでドラマにも力があるということを知らしめたことはなにはともあれ佳き事かな。

にしてもこれだけ綺羅星の如き役者さんが数多出演された上に同じ時間経過を表現してくということは、下世話ではありましょうがどうしても見比べてしまうという衝動を抑えきれないものであります。それぞれの役割分担は違うのにね。

まずは見た目での歳の重ね方

 基準を柴咲さんとすると、一番変遷を感じさせてくれたのはそれはやはり西田敏行さんと富士純子さんでせうな。覇気と老いの変化と長女に対する負いの心持ちが切なかったな。兄弟の中でということであれば榮倉さんが印象深かったな。インパクトがあったというべきか。しかして中身は変わっていないというところが味噌だったように感じられました。堀北さんはその対というべきか初志貫徹と年と共にの変化との対比というか。見た目は流行には敏感なようではありましたがそれでもどちらかというと地道に変遷されていてあまりインパクトを感じさせない。けれど中身(心根)というものが随分と変遷していて対照的な印象が強かったです。逆に殆ど感じなかったのは佐藤隆太さんと大泉さんかな。不変を何気に表現してるようでもあり男衆はその方がいいんだろうか。おじいちゃんには「老い」と「負い」の表現が要求されただろうから別物として。

数十年後を想像すると次女は大層現実主義で三女は全然変わらないままなんだろうかな。そんな想像の結果を観たかったな。意外と想像通りじゃなかったらそれはそれで何があったんだろうとまた妄想できるし。

いっせえのっせで同じように歳を重ねてくみたいな横並びでないところがうまく説明できないけどとにかく良かったな。兄弟と映ったかどうかはこの際置いといて。置いとくといえば役者さんの見せる化けレベル(演じれる年齢の幅)がどうのこうのとかも置いといて。なにしろ「旬の役者さん」って呼ばれるのは「今」を魅せているのであって「幅」を求められてる訳ではないのであろうから力量があってもあえて見せないという事してるのかもしれないから。

それぞれの役割

 「つるちゃん」という役柄は新聞を読んでたら「トリックスター」と呼ばれるキャラクターだそうな。「トリックスター」ってなんぞやと思ってネットで検索したけどその役割はイマイチ掴めないところだけれど「仕掛け人」とも「いたずらもの」とも思えない「つるちゃん」なだけに「お初」と呼べなくもない印象がありますな。私が浅はかなのかもしれませんが、災い・試練をもたらすのではなく福を招く(窮地を救う)というトリックスターってのは観た記憶ないですから。

ところで、つるちゃんって最後は要人警護の地位に辿り着いた訳で、その変遷を辿るとじえええ隊で体力を鍛え機動隊・連絡船でアクシデントでの際の処世を学び・南極・黒部で過酷を体験し、自転車夫で地理感を養いホテルマン等で接客を学ぶという流転の様でありました。ということは紆余曲折右往左往はあれど基本体育会系と思えなくもない。大泉さんに体育会系のイメージは微塵も感じないだけにこの配役正しかったんだろうかという疑問が生じるけれど、露骨に筋肉もりもりなガタイな人だったら果たして面白いと思えただろうか。房子の為に我が身の丈を省みず無理を重ねた末の満願成就という意味合いが籠められていたのかもと考えるといかにもそれが天職だったみたいな人であったなら面白味が削がれるのかなあ。

 長男について、あの時代は私生きていないので想像にしか過ぎませんけどモロ男子社会であろう筈で、いくら長女が一番年長でよく出来た人物だとしても家長は長男でしょうにと思えるのはおかしいんですかねえ。まあ伏線として幼き頃より体調宜しからずとて必然的にかくなりしという手立ては打っておられましたが。特異な家庭事情ということなんでしょうかね何事にも。長女に対するなにかしらの後ろめたさが終始垣間見られて家庭人としては駄目男の部類に入るのだろうけど自分もそういう部類に属するだけになんか共感してしまう部分がありましたなあ。もっとも社会人としての能力は月とスッポンであんなしっかりしてないですけど。でも絶対結婚したら尻に敷かれる旦那になるだろうな。そういう意味では時代の先行ってた人ということなのかもしれない。

 色んな人が行き交い蠢くだけにその中心点がぶれてたらハチャメチャな世界感になってしまうところを長女とお母さんが本柱(鵜匠)として安定させていたように感じられました。柴咲さんの追っかけ目線で観てたら「逞しい」のひとことで表わしちゃいそうで恐いところではありますが。極貧・裕福・貧乏という流転は我が身に起こったら堪りませんわ。受け止める前に現実逃避しそう。まあ働ける口がある社会ってのはなんとかなるという安心がどこかにあるでしょうから今失職するのとはその受ける想いは異なるものでありましょうけど。

それにしてもあれだけしんどい人生送ってたけど老けることなくお綺麗どしたなあ。やつれをマジで表現したらば画として見づらくなるは必至なのだが、だからといって綺麗過ぎるというのもうそ臭くなる訳で。その兼ね合いの匙加減が結構大切なんだろうけど常になんだろうボロは着てても心は錦で押し通されたのでしょうかねえ。しかしながら長女注視でドラマ観てたらそれは王道であって横道にならないので深くはしないように浅はかな感想でいいかあ。まあそれだけ全うに観ても見応えがあるドラマなんだろうな。

|
|

« *なんで | トップページ | *浜松の春はかまびすしい »

2・2010年のテレビドラマ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/211000/48066132

この記事へのトラックバック一覧です: わが家の歴史 その3:

« *なんで | トップページ | *浜松の春はかまびすしい »