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娯楽仮面コンケルド シーズンⅡ ② その2

登場人物を演じる役者さんは誰?という検索ワードが多いので。調べて分かった限りの事を。

OLのお姉さん。役名は「ミドリさん」演じておられる役者さんは「石橋けい」さん。ファンサイトまである有名な役者であらっしゃりますそうな。そのサイトにお伺いしたらえ~そうなんだという驚きでありました。「ピエトロドレッシング」のCmのあのOLさんもやっておられたんでしょうか。だとしたら随分と印象が違うものです。

テレビの中でで天気予報のお姉さんを演じておられるのが「藤井沙央理」さんだそうな。

で、肝心(主役)のコンケルドを演じておられるのは「安村典久」さん。静岡県のご出身だそうです。

個人的には黒き涙をとめどなく流して底知れぬ闇の淵から搾り出すような嗚咽ともとれる慟哭を発する「嘆きの人」が味噌だと思ってるんですが残念ながら役者さんのお名前はわかりませんです。

①にご出演なされていた元老院の御三方につきましてもお名前は分かりませんです。

コンコルドのCmシリーズは毎年結構好きで注視してるんですがそれにしても反応が結構ありますですな。かようなブログにもようけお越しくださられる方が多いです。

主役は「コンケルドさん」ですが、反応から推察すると「ミドリさん」目当てで観てられる方が多いみたいです。あのOLさんだあれ?ってな感じで。

なんかずれてるような気もするけど、どっちゃみっちゃ中途でシーズンⅠが絶えて残念であっただけに、こうしてシーズンⅡとして再スタートされたものが観れるのは嬉しいことです。正直シーズンⅠの終わり方は好きではなかったので、叶うならば明るい限りであってくれたらこれまた嬉しいことですな。こういうなんのコマーシャルメッセージなのか分からんけどなんしょ奇抜で面白いという姿勢は好きだいね。応援しとります。

因みにパチンコ屋さんです「コンコルド」さんは。って蛇足か。みんな知ってるもんな。失礼しました。知り合いでパチンコ通いしてる奴は今の時期家と仕事場にいるとくしゃみがとまらないけどコンコルド行くとくしゃみが出ないからと言って暇さえあれば(なくても)通いに行く口実としています。そんな彼にとっての「コンコルドへの道」は猫まっしぐら状態の一目散に向かうので出会いとかの人生ドラマにはならないそうな。野菜も好きじゃないから「コンコル道」も極めてなさそうですがそれでも楽しいみたいです。

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ラブシャッフル その7

 黒猫のタンゴって1970年頃の唄じゃあないですか。なんでみんな当たり前に口ずさめるんだ?という疑問が湧きますですな。電話二本持って三人で会話して粋なスタイル提示したり生活感の殆ど漂わない感じといいなんか死語であろう「トレンディドラマ」という印象が湧いてもきますです。

 でまあとにもかくにも芽衣(しほりん)は宇佐(玉木さん)とよりを戻すことを公表した訳でありますが、それを一番望んでいた宇佐が諸手を挙げて万歳するでもなくどこか狐に抓まれたような釈然としない有様。

考えられることは、二度あることは三度ある。ドラマ上では一回しかありませんがとにかくまたいつか同じような今度は離婚?という危機に見舞われるのではないかという猜疑心から。

気になる人がいると公表した相手が誰だか分からないという秘密を有しているから。

芽衣以外に宇佐が意識の中で自分でも気づいていなけど好きになった人が出来たから。などなど他にもあるんでしょうか。

まあ、宇佐は人を疑う人間じゃあなさそうで疑問に思ったら直ぐ口に出して解決しようとするタイプでしょうから猜疑心からということはなさそうではあります。

それにしても海里のおとうさんとの会話で「オレはモデルじゃない。」って言うから、じゃなんて言うんだろうと思ったら「スーパーモデルだ!」と機転の利いた冗句かまして意外性感じました。「今日は満月」とかもそうですけど相変わらず台詞回しが洒脱なドラマです。

 それにしてもそろそろ各自蠢き始めた勢いです。玲子(小島さん)はなにかしらの野望を抱いているらしくそれを諭吉が察知した。でもそれがなんなのか提示されていない。

菊田(谷原さん)は存外腹の中が灰色でもしかしたら黒いのかもしれなく。海里(吉高さん)の自殺を止める側でなく誘導する側のような印象すら与えてますし旺次郎に対しての態度もそういう眼で見たらという勘繰りもあるんでしょうか妖しくも映ります。

海里は父に束縛されていた風に映ってきてましたが、この回でそうではなくずうっと自殺癖が直らない中唯一絵を描いている時だけが死への呪縛が解けて活き活きとしてるから、恒に絵を描かせよう死への誘惑から脱却させようとしていたという親心だったということでありましたとさ。もともと誤っていた原因が菊田の言を真に受けていたからであって事の起こりは全て菊田にありという彼の手の中で全員がもてあそばれてるようでもあります。

 これがなんらかの逆療法で海里を助ける手段なら目出度し目出度しなんでしょうけど下手に旺次郎と亡くなった相手が似てると言う要因が絡み合っていて。なんかよからぬ方向を示しているみたいでもありますな。

 愛瑠はといえばこれが露骨に「満月」のせいなどではなく宇佐LOVEの方向に進んでいるようでありましてなんのこっちゃいという感じです。諭吉とは復縁(元々薄いけど)することはなさそうな吹っ切れ方でありました。

 で、その諭吉の方はというと愛瑠のあの字も出なくひたすら宇佐の為に諜報活動に勤しむ訳でありますが、玲子の思惑を知っていて芽衣の思惑までも知りえてしまうということで此処へ来て鍵を握る存在になってきたかのような印象でありました。

 海里は操り人形だペットだと言いたい放題言われてますが今現在は誰に操られている又は忠節を尽くしているんでしょうかねえ。

 これが昔懐かしいトレンディドラマだとしたら悪党は誰も存在しないでそれぞが葛藤の海をなんらかの形でどこかしらの地にまで泳ぎ抜くということになるのでしょうが、菊田の存在が気になるところではあります。負で終わるならな~んだという印象ですが実はいい奴だったという展開ならその手品を楽しみたいところであります。

 全10話ということみたいですから来週はまだどうなっちゃうんだこれっていう混乱と迷走が深く描かれるんでしょうかねえ。だとしたら元の鞘に収まった宇佐と芽衣にもなにか障害が発生して旺次郎と海里にもなんか起こるんでしょうかね。どのみち菊田がなにしたいのか読めなければ謎の方が大半を占める展開なんでしょうけど。

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*ちょうらい

頂戴(ちょうだい)のおちゃらけ言葉。

遠州弁でもなんでもない全国的な表現と思われるが家族間とかでは親愛の表現として子供が使うことが多いので記載。

ええ歳こいた衆が使うとさすがに引く。引くが使う時もある。

「くらはい」とセットで使うとお得。お返しに「くらっせー」という返事が返ってくるおまけがつくことが多い。

例文

「たんとくれたで、ちっと分けて貰ってもええ?」

  (一杯頂いたから少し分けて貰っていいかなあ。)

「ええよ。」

「自分 勝手にやってもいい?」

  (自分が分けてもいいかなあ。)

「今手え離せんでそうしてちょうらい。」

  (今手が離せないからそうして。)

「じゃあ皿貸してくらはい。」

  (それじゃあお皿貸してね。)

「ゆっとっけどまるさらはいやだにい。」

  (言っておくけど全部は厭だからね。)

「やだやあ。そんなこん する訳ないじゃん。」

  (も-そんな事する訳ないでしょ。)

「じゃ まかいたでやってくらっせー。」

  (なら任したからどうぞ。)

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ありふれた奇跡 その8

 結婚は家族でするもの。というより家族がするものという装いに映りました。連綿と連なることが大事というおじいちゃん(井川さん)の葛藤も意味は分かるんですけど今そこまで「家族」が深いものなのかは微妙な現実のような気がしますです。

古いと言う表現は勿論使いませんけど、新しくはないことは確かでしょう。勢いとしては同居が大前提のような勢いを感じます。二人の新天地に向かっての旅立ちという気配が見受けられないのはあまりにも二人だけの話しではないことに方向が向いているからでありましょうか。

そしてドラマの流れはあちら立てればこちら立たずの如何ともし難い深刻な状況に進んでいる風に見えます。翔太(加瀬さん)が悪い説を唱える中城一族を加奈(仲間さん)が説明して否定したことにより翔太を傷つけた加害者としての自責の念が生まれる。加奈のおとうさん(岸部さん)はだんまりを決め込むがおばあちゃん(八千草さん)は謝罪を述べに行く。

そこで今度は立場が逆転するかのようなおじいちゃんの発言にたじろぐおばあちゃん。それぞれ感情に流されること無く大人として節度のある言動ではありましたが、結構シビアな流れでありました。

 そんな中で唯一心が弛んだのは翔太のおとうちゃん(風間さん)の翔太に掛けた「がんばれ」みたいな言葉でありました。口は悪いですけど元気が出ますです。翔太に言ったんであって私(視聴者)に言ったんじゃないんですけど観てるこっちにもなんか元気を貰ったような温もりを感じました。確かにあんな善い娘さん二度と現れないよなあ(なにせ仲間由紀恵さんですからねえ見た目)とは思いますけど多分そうじゃなくとも翔太が決めたんならと応援してくれそうな気がしました。加奈と会って話を聞く時の言い方も聞きにくいこと気遣いながら聞いていたし息子の誤解を解こうと懸命でしたし。これで女装の趣味さえなければホントいい人だあと思えます。

 おじいちゃんとおばあちゃんの会話も見応えありました。おばあちゃんが非礼を詫びて過去の発言を水に流して欲しいという事とこんな孫ですがよろしくという挨拶の二つの意味が込められた訪問の意図だったんでしょうけど。迷い無く水に流すは了承なれどよろしくについてはお断りというおじいちゃん。意外でありました。孫の深い溜め息を間近で聞いてるだけに孫の喜びをまず第一とするのかと思っていたんで意外でした。にしてもこの会話見応えありましたですホント。それでも病院で加奈とあって「これは私の気持ちで翔太の気持ちじゃない。」というのはやさしさと言わずにはおれない感情が入り混じったという人を気遣いつつ本心を包み隠さず言った誠実さが印象に残りました。

 言葉の暴力といったものが問題視されてる今。抑制が効かず相手を傷つけたり、逆に言うべきことも言えず変な所から感情があふれ出してしまう人が自分も含めて多い中。相手への思い遣りと言うべき事をきちんと伝える見本のようなインパクトを感じました。もっともおばあちゃんは貧血起こすし加奈はへこんでましたから正解じゃないのかもしれませんが。

 加奈はこれで吐き出してすっきりとしたのかと言ったらそういう訳でもなく返って迷路にはまり込んだようであります。なんで迷走してるのかはさっぱり理解できませんが。分からないといえば加奈のスカート姿記憶が無いんですけどなんででしょうかねえ。自立する(一人で生きる)覚悟を表してでもいるんでしょうか。もしそうだとしてもし翔太と共に人生を歩むと決めたらスカート姿拝見出来ることになるんでしょうか。単純に好みの問題だったりして。

 翔太はやっと時を待つという姿勢のようで、もっと早くにこうしてればよかったじゃんと思わないでもないところではありますが。

 いずれにせよ、ここまできたら出来ないと思われた子宝に恵まれて両家ご満悦しか手立てがなさそうに思えて参りました。なるほどこれが「奇跡」か。と勝手に想像してしまいます。でもそれだと「ありえない」であって「ありふれた」にはならないよなあ。

 悪人がひとりもいない以上なにかを退治するわけでもなく不幸から幸福への変革のサクセスストーリーでもなく。今だって十分立ち直って不幸とは思っていない日常の中でかすかに見え隠れしてる明るい未来を掴もうと不器用ながらも懸命になってる姿を応援する感じでしょうか。ホント応援するしかないのですがそれでもなんでこんな諸々の感想になるんでしょうか不思議なドラマです。多分それぞれがそれぞれの人生をきちんと歩んでいるから一本調子というか前へならえにならないもどかしさ(それぞれの想い)があるんでしょうね。

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*あんたねえ

言葉そのものには方言の欠けらもないのであるが、使い方が遠州独特であり、しかも訳すにしんどい表現である。

非常に便利使いされており、意味においてもケースバイケースで決めつけが出来ない幅広さである。なのであくまで一例ということでこれが全てでは決してないのであしからず。しかも複合で合わさったニュアンス。まあただ分解してるだけなんだけどね。

男女共用であるが基本女性言葉という分類してもいいかと。野郎言葉だと「あのやあ」・「あんなあ」・「おんしゃやあ」とかを用いる。

*「あのねえ」という意味

ある意味あきれてる状態で放つ表現。

「あんたねえ、はああきれかあって物も言えんわあ。」

*「ちょっと待ちなさいよ」という意味

まず止めようという意思を先に伝える表現。緊急性を要しない場合で使われることが多い。緊急・即時の場合とかでは「ほい」・「やあ」が加えられて使われる。

「あんたねえどこまで行きゃあ気い済むよお。」

*「ちゃんと聞きなさいよ」という意味

真面目な話しするんだからきちんと聞きなさいよという今から話すことへの前置き。

「あんたねえ、人の話し聞かんで自分の都合ばっか言ってちゃかんだにい。だでよー聞きない。」

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カルピス・体にぎゅうっ編

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もう最近は見てないコマーシャルですが、15秒バージョンよりか30秒バージョンの方がいいなあと思える私です。

基本私にとって「長澤まさみ」さんは雰囲気で魅了する役者さんであって、容姿特にお顔についてはお美しいというかドキっとすることはあまりないのですが、30秒バージョンの方の柱に寄さりかかっている子においでおいでしてる姿には「おお!」と思える表情をなされておられて惹かれます。

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この前の「そのうちカルピス編」もそうですけど子供に向ける表情の時はいい顔されるよなあと。もちろんお芝居でというお話しですけど。やはりインタビューとかで窺い知る素の表情よりもきちんとした設定の中で演じられてる方が「長澤まさみ」の本領発揮という感じがしますです。このコマーシャルはカルピスのホームページでまだ見れますしメイキングの写真も掲載されてますがそれを見るとやはりカメラが回ってる時の表情が一番かと。やはりこの方はタレントさんではなく役者さんだと改めて思う次第でありまする。

ところで本題の「カルピス」。このコマーシャルの対象はお子様を持つお母さんという感じがしますですが、以前にも記事として書いたのですが、酒を止める為の代用飲料として禁酒に導いてくれた私にとっては恩義ある飲み物であります。しかし最近は葡萄の飲料に凝っている私でありまして「巨峰&カルピス」に一時期はまっておりました。いつも1.5ℓのペットボトルで買ってたんですが何故か近頃近所の店頭に並んで無い気がするのは勘違いの気のせいなんでしょうかねえ。それとも眼が悪くなったのかな。

なので個人的には眼に効くというブルーベリー+葡萄のカルピスがあると呑みたいよなあと思う今日この頃です。

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キイナ・不可能犯罪捜査官 その6

 このドラマへの自分(視聴者)の立ち位置は桜(小池さん)か、存在しないけど第2のアシスタントかな。もちろん第1アシスタントは尊(ひらっち)で。キイナ(菅野さん)はぶっ飛んでるし尊も武道の心得のあるびびりでありしかもエリートというキイナ寄りの飛び方してるから訳分かんないとこあるし感情移入するというよりも傍観者として横で観てる方が面白いし。

ごくごく普通でキイナの理解者ということでは桜が一番観てる自分にとっては近い風に映ります。捜査に加わるとか言うことはしなくとも居て欲しいしその存在は必需です。それだけに桜のセリフは納得できる(自分でも言うだろうなきっと)というものであって欲しいところであります。

 で、今回のお話しですが、呪いをぶっ飛ばせということでしょうか。

呪いの正体見たりストーカーってことでありました。もっとも呪いという精神的圧迫で死に至ることもあると謳われてもいたので全否定という訳ではなく説明がつくということで必ずしもぶった切ったという展開ではありませんで、要は呪いの覆いを被せた殺人事件を無事解決したという流れでありました。相手が子供であろうとも真摯に耳を傾けるという先入観を持たないのが解決への糸口でありました。

 まあ今回の展開についてはこれくらいにして、どうでもいい話しに突き進もうかなと。

 なななんと真一郎さん(塚地さん)に子供が。しかも三人も。なんてこったいな衝撃の真実と思ったら全然苦にしないキイナでありましたとさ。目出度し目出度しなんでしょうかねえこれで本人同士としましては。周り(桜と尊)は十分唖然としてましたけどキイナは振られたんじゃないと言う方が重要なことだったようで意に介していないようでありました。ただあんなんで戦場が如き育児の現場に立ち向かえるのかしらんという気にはなりましたですなあまりにマイペースでのんびりすぎてて。なんとはなしに二人を無条件で祝福する気にはなれないんですけどどうしてでしょうかねえ。

で、そのいっちゃん上の女の子。森迫さんじゃあありませんか。なんか久方振りに拝見した印象がありまして、随分お育ちになられたもんだと時の経つのの早さをば味わってしまいましたです。

ほんでマスクの花子さんこと中野さんは江口のりこさんじゃないですかあ。相変わらず全力が魅力でありますが。女の子を殴り殺さんと振り回す凶器(鉄の棒に似せたダンボールの筒)を思いっ切りそこかしこでぶち当ててたんで折れ目というかへこみ線が入っているのがチラリと映った風に見えました。そういう意味からしたら本格派(何事にも演技がマジ)の役者さんなのでホントに鉄の棒持たせて演技されたほうがもっと良かったんじゃないのかなと思ってしまいました。棒を鉄パイプに見せることよりも殺意を見せるほうに主眼をおいておられたようで軽々と扱っておられましたです。

でも真一郎さんあんだけ背中ボコボコにされても元気というんですからそうとう頑強な体してそうです。一体何して足の骨折ったと言う設定にされてるんでしょうか気になりましたです。もちろん真一郎さんがではなく塚地さんの方で骨折されたんで設定もへったくれもないんでしょうけど。

 ところで「キイナ」テレビ雑誌とかでは全9話となってますけどほんとかいな?えらい少ないですなあ。もうちっと観ていたいですな。

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*やれた

多分漢字で書くと「破れた」であろう。

ニュアンス的には「傷む」(いたむ)とか「綻ぶ」(ほころぶ)とかいう感じであろうか。壊れてはいない(使い物にならない)程度ではない「いたみ」みたいな。

辞書では「やれ」(破れ)として載っているので方言ということではないであろうが使用頻度が全国的には職業的専門用語化もしくは一般的には死語寄りではあるが遠州では普段の生活の表現の中で生き残ってるということであろうか。

ただし、辞書での意味は①やぶれ(ること)。やぶれた・所(程度)。②{俗語}刷りそこなったりして、だめになった印刷物。刷りやれ。  とあり、遠州で使われてる意味使いとは異なる。

遠州弁的使い方としては、物全般に対して使うものであり、共通語のニュアンスから外れて「やつれた」と混同されたニュアンスで使われることも多いので傷むほころぶという感じばかりでなく使い古しとか元気がないとか年期が入ってるとかいう印象を感じさせる表現でもある。

使い込んでへたった感じという勢いもある。荒んだ(すさんだ)とかしょぼくれたイメージは薄い。なので「しけた面」みたく「やれた面」とかいう言い方はしない。

「あんた服んすそやれてるにい」(あんた服のすそがほころんでるよ)とかいう使い方が普通ではあろうか。イメージとしては引っ掛けたとかで傷めた感じ(こういう場合はやんぶれたを使うことが多い)よりも使い込んだ末に傷んだ感じに聞こえる。

イントネーションは遠州では「れた」と「や」を強く言う。

例文

「さっきいあんたんとこに人来たにい。」

「誰?」

「知らん人。名前聞いたけど又来るっつって教えてくれなんだ。」

「ふ~ん。どんな感じの人?」

「なんか後姿がやれた感じかいやあ。」

  (なんかね。後姿に哀愁が漂ってた感じかなあ。)

「服が?」

「いんや雰囲気が。」

「なに?疲れかあってた?」

  (え?疲れ果ててた?)

「みたいな感じしたやあ。」

  (そんな感じがしたなあ。)

「じゃあ○○さんだあ。電話してみっかな。」

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メイちゃんの執事 その7

 影で暗躍していた出来事を指示していたのではルチア(山田さん)ではなく超お気楽安全パイと思われていた多美(谷村さん)の仕組んだことという驚きの展開。じゃあルチアはというかルチアに従う忍(向井さん)は口撃のみであったのかという疑問。上から目線の4人組に指令を出していたのが多美であったということであればルチアはそれらしいことをしていた訳ではないということになる訳で。しかしながらそれも全てルチア様の御為(おんため)と言った多美の言を真に受ければ忠誠心からの暴走でルチアは与り知らぬ出来事ばかりなりということなのか。かき混ぜてくれます。誰とファイトすればいいのか混沌として参りました。

で、まあそんなこんなで始まりましたが次なるシーンはクラスメイトみんながメイを探すという構図。いつのまにそんな信頼感を構築したのだろう。

そして危機一髪の状況。ついに絶体絶命で言葉のまんまで絶命かというとこで夢にうなされ気づけば部屋に戻ってる。その後の文句タレのシーンで理人(水嶋さん)が間一髪間に合ったということが想像される愚痴を剣人(佐藤さん)がこぼしていました。視聴者としてはあれだけ追い詰めといてレスキューのシーンを見せないとはという愚痴がこぼれそうなところではあります。

まあ多分洒落にならない警告という展開なんでしょうけどこういうはしょりはアリなんでしょうかねえ。と思ったら後になって事の顛末が語られてました。

 まあとにかくこの警告は功を奏したようで、見事学校辞めるという決意に至らせたということでルチアの多美に対する憶えも益々持ってよくなったことでしょう。

でルチアはどうして始末しなかったかと忍に問う。なんのことはない多美はルチアの駒のひとつであって全ての指示はやはりルチアが下していたということらしい。もしくは具体的な作戦指示を出しておらずもっと大まかにメイを追い出せという指令だったのか。具体的な作戦の立案については忍が担い実働部隊の頭が多美という構図なんでしょうかねえ。だとしたら多美を倒すもしくは味方に引き入れれば一気に形勢が逆転することも考えられる訳で。まあそれは忍にも言えることなんですけどね。

 で、ストレス溜まるぞと言ったレスキューシーンですが、後日談としてそのシーンが描かれてました。鍵を握ったは多美の執事。彼の口から多美のルチアに忠誠を尽くす理由が述べられていましたがふ~んでした。そして彼は何故メイと豆柴を救おうと思ったのか。理由は二つ。多美の手をこれ以上汚したくないということ。メイに期待していたからということ。「期待」って何を?ですな。多美はルチアに100%依存してこの学園にいると想像できる訳でルチアから多美を離して(解放して)欲しいと願うのだとしたらえらい難しい話しですな。

 それにしても同級生達。いつのまにか十把一絡げ状態になっていてなんか集団行動が目立つようになりました。もう少し行動に個性が出たほうが好みなんですけど。だからといってあの道化のような贈答品作戦はなんか違うような気がしますです。にしても最初あんだけ小馬鹿にしていた「うどん」をみんなして作るという絵柄は変われば変わるもんだという象徴なんでしょうかねえ。

そんでなんのかんのあっても結局は出て行くメイに理人が過去のいきさつを語り始めたのですが。壊れたルチアから逃げた後普段(庶民)のメイを見てその輪の中に入りたいと思ったということらしいのですが、ほいだったら理人が庶民になって暮らせばいいんじゃないのかその方がよっぽど自然に映ると思ったんですけど違うんでしょうかねえ。どこにいようとどっちみちトライアングルという構図にはなったのでしょうから「メイちゃんのトライアングル」ってタイトルにしてその後に「トライアングル」が続くってのも洒落が利いてそうかしらむと思わないでもない展開ではありました。

 庶民的感覚視点からいけばなら、やっぱ理人が執事辞めて剣人の兄として普通の職についてメイの傍で普通に暮らせばいいじゃんと思ってしまうんですが。それじゃあドラマになんないんでしょうねやっぱ。そういう役割は剣人ひとりで十分ということと、ルチアの執拗さがどこで何していようがそれを許さない状況で離れることが唯一のメイを安全に導く術(すべ)ということなんでしょうか。

 流れとしては立ち聞きとかで聞いてはいけない事とかを知ってしまって物事が意図しない方向に動くというせせこましいものではなく自らが相手にきちんと話して行動すると言う意思のままに進む展開でええですわ。偶然という中から発生する誤解と瓦解の繰り返しより、必然によって前進と停滞繰り返す熱いドラマですな。

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トライアングル その8

 暴走列車郷田号大暴走といった印象の回でありました。誰も信じられないということであろうことか丸さんまで疑う始末。あげくに妹(相武さん)が黒木のおとうさん(北大路さん)と逢ってた姿を目撃し二度と会うなという四面楚歌。

っつうか二度と会うな以前になに話ししてたんだともっと答え出るまで問うのが優先でしょうに。まあ命狙われるくらいだから妹にまで害が及ばぬよう懸命だったというのも分からんでもないですが。

ほんでもって疑われた丸さんも丸さんでありまして、なんであんな露骨に名簿リストを隠匿せんと欲したのか。なんかやらしい感じの出来事でした。「あれ?オレと同じ名前があるよ。」と驚けば済む話じゃないかと。後ろめたいことがたとえあったにしても口笛吹いてすっとぼけて気づかれぬようスルーしてしまえば済む話しとも取れます。ただ通り過ぎてしまうと偽造パスポートに話しが進まないから濡れ衣のひと悶着が必要だったのでしょうけど。

 それにしても今回は存外今まで謎とされてたものがはっきりしてきた回でありました。失われた手紙の復活、郷田(江口さん)が時効が来るまで息を潜めていた理由、黒すけに掛かってきた謎の電話の主。

ここへ来て黒木のおとうさん完全悪という構図が不確かなものになって参りました。根拠はまだないんですがそんな感じになってきた気がしますです。親子揃って葛城のおとうさん騙くらかいてる装いしないでもなし。

引き継いできた疑問集

1での?・あの事件のことを掘り起こそうと黒木刑事(稲垣さん)に電話してきたのは誰で目的はなにか。

8での答え・判明。おそらくは黒木のおとうさん(北大路さん)

4からの?・警察官じゃなくインターポールでなければならない(警察の人間では困る)理由とかもあるんでしょかねえ。

8での答え・今回は特になかったみたいです。

7からの?・郷田を殺そうとしたのは誰か?又は被害妄想で志摩野はやはり覚悟の自殺だったのか。

8での答え・自殺説は皆無で誤殺という方向。犯人不明なるも葛城のおとうさん(大杉さん)いと怪し。

7からの?・秋元は何を知っていてそのネタで今更なにをしようとしているのか。

8での答え・なんにも考えてなさそうな印象。

 今のところすんげえ怪しいのは葛城のおとうさん。他に該当者なしという勢いですな。だからといってこの予想のままで推移したら当たり前過ぎてミステリーとしてはヒネリが感じられません。そりゃ実の娘を殺す親は当たり前じゃないですけど推理ものとしたら今の流れから考えると意外性は感じられませんです。でもまあ動機という点からしたらさっぱり分からないミステリーではありますけど。しかしながらおとうさん犯人だったらなぁんだやっぱりという感想になると思います。だから違うんでしょねきっと。

ところでサチ(広末さん)はどういった役割を今後担うんでしょうか。おとうさんの情報を郷田に伝える役目なんでしょうかねえ。

 それにしてもここまでくると展開を追っかけしてるのに夢中で役者さんうめえなあとか愛でてる余裕なくなってきてます。そんな中で江口さんの得体の知れない不安におののく姿は印象的でおました。知らず知らずのうちに雰囲気変わってる風吹さんもすげえけど。

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*きさる・きさらん

閉まる・閉まらんという意味。

全てのものの閉じるに使う言葉ではなく、ふた(蓋)とかごく限られたものにしか使わない言葉。蓋以外にどういうのがあるかというと・・・実は思いつかない。

ふさぐ(塞ぐ)という意味もあるなら「穴んきさらん」(穴が塞がらない)という使い方もありえるのだが正直自信なし。とりあえず蓋には間違いなく使うので「閉める」の意味は間違いない。

どういういわれでこういう表現に至ったのか不明。

「服を着せる」ように「器に蓋を着せる」から変形して「着さる」という形になったと勘繰れなくも無いがその根拠はない。

蓋はかぶせるものであり、「かぶせる」・「かぶさる」の「かぶす」が異常変異して「き」に化けて「きさる」になったという勘繰りもあり得る。もちろんこれも根拠はない。

例文

「さっきいからなにうんしょうんしょしてるよを。」

  (さっきから力(りき)入ってなにごそごそやってるの?)

「それがやあ。ふたんきさらんだよを。」

  (それがさあ。蓋が閉まらないんだよ。)

「違う奴無理していれすとしてるだらあ。」

  (違う蓋無理して入れようとしてるんじゃないの?)

「んなことあらすけえ。これでいいだ。」

  (そんなことないよ。これで合ってる。)

「でもきさらんだらあ?きさるだ?」

  (でも閉まらないんでしょ?閉まりそう?)

「おっかしいなあ。」

  (変だなあ。)

「貸してみい。・・・ってこれさあ。ふたん回すのじゃなくて上からぶっさぐる奴じゃん。」

  (貸してみなよ。・・・ってこれ、蓋を回すのじゃなくて上からポンって押し込むタイプじゃないか。)

「うわあなんでえそれ。やいやい馬鹿こいた。」

  (うわあなんだよそれ。あ~あ失敗した~。)

「よく見んもんでえ。あわっくいがあ。」

  (よく見ないからだよ。あわてもんがぁ。)

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ヴォイス・命なき者の声 その7

 第七話は石橋蓮司さんで決まりでせう。長年連れ添った女房が切り刻まれるを良しとせぬ姿。そして命なき者の声を届けられた際の真実を知るにつれ高まる慟哭の情。送りを済ませ普段に戻った後の犬に呟く穏やかな面持ち。

正直他は少し霞んだ感じです。多少推理物かという思いもこのドラマには感じていたので、これほどまで情を映すドラマとして心が揺り動かされるとは思ってもみないことでした。良かったですわ。

とは言ってもそれを導いたは大己(瑛太さん)と久保秋(石原さん)の熱意。真実の声を伝えたからこその感涙というものでありましょうや。

物語はもういいじゃないか静かにそっとしておいてくれという法医学とは逆の信念の愛情と法医学からのアプローチによってこそ到達できる想いの発掘という対立が描かれていたことが一点。他には羽井(佐藤さん)の葛藤とその壁を乗り越える様が描かれていた点という二本立て。

 死んだものはもう生き返らない。事件性があろう筈もなくもう済んだことなんだから畳の上で亡くなったのと同じように扱って欲しいという遺族の想い。もし自分がそう言う立場だったら確かにそう想うことでしょう。

このドラマでは、そのままであったならボケてしまったという思いで送り出すところを、そうではなくガンに侵され死期を悟った妻が後に残る旦那の為に懸命に最後の力を振り絞って生きていたことを知ることが出来た訳でありますが。

たとえボケてたと誤解していたとしても旦那さんの亡くなった奥さんへの想いは色褪せる訳でもなさそうでありまして率直な感覚でいえば解剖せずとも良かったのではないかと思ってしまいました。ちょいと疑問に思ったのは警察の方とかでは既往歴とかは事件性がないと調べるとかしないのかなと。もしそれが分かってたら解剖せずともおおよその見当はついただろうにねと。まあ興ざめな感想ですけんど。

そういう邪念が吹っ飛ぶくらいの石橋さんの存在感でありました。この出来事で亡くなった妻に対する想いがより強まったというインパクトに感動しましたです。ええ奥さんやあと。物言わぬ妻のイメージすらも全て担って表現されてる風でありました。食卓でのシーンが唯一であとは生前の奥さんの行動イメージ映像など提示されず観てる側が奥さんのイメージ風景を膨らませるしかなかったのですが十分イメージ出来ました。

 もうひとつの羽井が壁を乗り越えるという展開。解剖中止となってほっとしたという素直な心情の吐露とそれを支える亮介(生田さん)と哲平(遠藤さん)の友情。頑張らなくちゃと納得させる決めの台詞吐いておられましたけどあまり強いインパクト感じませんでしたけど仲間だよなあと。一人じゃ乗り越えられないものでも仲間とだったら越えていけるよなと思えました。また玲子(矢田さん)の煽り方が世の中甘くないを具現化してるようで優しいんだか冷たいんだか微妙なところが効いてましたです。

これでもう羽井は無事壁を乗り越え法医学への道まっしぐらになったんでしょうか。壁乗り越えということでいけば、亮介は偉大なおやじの壁を越えたみたいですし久保秋はわだかまりが消えて思い残すことないみたいだし。後残るは大己と哲平の二人ですか。出来れば大己は天職なんだから迷いや壁にぶち当たった様は見たくない感じがしますけどどうなるんでしょうかねえ。

 推理物ではなく人情物という装いと映ります。それにしては常識というネジが一本はずれてそうな大己が声を届けるメッセンジャーというのも奇抜というかなんというか。酸いも甘いも噛み分けた温情とは無縁なれどその役目を果たす様は見事ではありますな。

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*そをゆわんもんでえ

直訳すれば「そう言わないからだよ」。

ニュアンスとしては「きちんと説明しないからこういうことになるんだからあんたが悪い」ということである。つまり私は悪くないあんたが悪いと正当性を主張しているという表現。ただし強く主張してる訳ではない。どちらかというとかわす感じ。強い(対峙する)場合は「しいらんやあ」が使われることが多い。

例文

「ここにあった○○知らん?」

「物置んかたいた。」

  (物置にしまったよ。)

「なんでえ。随分じゃん。」

  (え~どうして?随分じゃない。)

「そをゆわんもんでえ。」

  (ちゃんと言わないからでしょ。)

「ゆったじゃんかあ。」

  (言ったじゃないの。)

「しいらんやあ。いつゆったよを。」

  (聞いてないよぉ。何時言った?)

「いらんくないで捨てちゃかんって。」

  (使うんだから捨てないでよって。)

「だでうっちゃらんと物置入れたじゃんか。」

  (だから捨てずに物置に入れたんじゃないの。)

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本日も晴れ。異常なし その5(第6話)

 駐在さん(坂口さん)は東京から離脱してきたのか戦士の休息しにきたのか心機一転しにきたのか。デカ長(遠藤さん)は何度も帰京を促していて必要とされてて決していらん子じゃないみたいです。

なんとなく東京に返事のないラブレター送り続けてる相手の和美さんがこの島に関わっていそうな予感がしないでもないなと。だからわざわざこの地を選んだんじゃないのかなと。

 で、すごい短絡思考で一郎次郎のおとうちゃんってのがその和美さんなんかなと思ってたんですけど、そうではなかったみたいです。でも駐在さんはこの島の唄を便りにこの島に赴任してきたみたいでどこでもいいと言うことではなさそうです。

その唄(多分同じ唄)をもしかしたらの学校お別れ会で合奏しようとうらら先生。その準備する姿を見た元校長先生(前田さん)が幾分怪訝そうな顔をしたみたいでありまして、もしかしたらあの唄共通語に直したら子供が合奏するのに相応しくない歌詞なんでしょうか。

 今回は子供のおいたが激しく過ぎた回でありまして、ホント憎たらしく思えるくらい子供らしい人騒がせな顛末でありました。これを許したり謝りに奔走したり毎回つきあわされたりしなくちゃならない親という職業は本当に大変な労力と心労を伴うものだなと改めて思い起されました。

まあこの回のテーマは島の和を乱すもの又は乱す要素のある者は排除する方向に向かう意識とどう向き合って和の方向に人々を駐在さんは向かせるのかということでありましょうか。直接的な犯罪者本人でなくともその家族でいることは危険予知の思いから疎遠にする。ましてやその家族の下に本人がやってきたら益々持って警戒しなくてはならなくなる。だから「出てって」という結論に至ると言うのは至極普通の考えではあります。

これが島で生まれ育った者が馬鹿やれば話しも違うんでしょうけど他で村八分にされて流れてここへ辿り着いたとなれば輪の中にいれるのは努力が必要なんでしょうねえ。それはなにも島という環境に限ったことではない話しではありますが。

駐在さんは自身も東京で誤認逮捕をしてしまいその人の人生を滅茶苦茶にしてしまったという経緯を抱えているからこそ、しょうがないと流れに任すしかないという諦めの境地になる訳もいかず必死こいて庇おうと励むという展開でありました。

最後どう決着ついたかというと「子はかすがい」と申しましょうか母親同士同調するものがあったんでしょうか輪の中に無事収まることが出来たみたいです。でもあのガキ鎹(かすがい)というよりも「子はカスがいい」と言ったほうが適切なくらい利かん坊でしたけど。やはり島にいられるかどうかは逞しきおっかさ連中にかかっているようです。でももし子供がいなくて妻一人で旦那待ってたとしたらこうはなってなさそうでしたけどそういう時はどうしたんでしょうかねえ駐在さんは。

 ところでこの島全部で何人住んでるんだろうと時々疑問に思ってしまうほどいつも同じ面子で事が進んでいきますですな。診療所の回でぎょうさん見た以外ほぼ寄り合いでもなんでもこの面子であるのが不思議と言えば不思議です。

元校長先生は何事にも駐在さんのやることなすこと無駄だともののあはれを諭してますですが、おそらく自身若かりし頃は駐在さんと同じような信念に燃えていたけど挫折して今に至ってるんでしょうか。

駐在さんがやろうとしてることは理解出来るんですが警官という職業を考えるとここまで人々の生活の中に立ち入っていいのかしらむと思えてしまうところがこのドラマの弱点なんでしょうか。「民事不介入」という言葉が最近では怠慢を覆い隠す口実ではないかという意見も存在している現代において警察官のあるべき姿のひとつとしてドラマで提言しているのだとしたらえらい大きなテーマを扱ったドラマだなあとなるのですけど、まさかそこまでねえという勢いでそんな大層な感じはしませんです。駐在さんを真似しろとなったら24時間警官(勤務中)でいろと言ってるようなもんですから。

今のところ駐在さんのゴールがなんなのかまだ計り知れません。

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*だできらい

「だからそういうところが嫌い」という意味。「もう嫌んなっちゃう」というニュアンスで使われることも多い。

「だもんで嫌い」が短縮されて「だできらい」になったのであろう。「だから」という訳よりも「だものだから」という訳の方がすっきりする。

男女兼用の表現であるがどちらかというと女性の方が使用頻度が高いように思われる。ヒステリックな印象を受ける。ただし縁を切りたいとかいう使い方ではないのでカップルの間でこういう発言があっても「別れよう」とか「あんたは嫌い」とかいうことではない。

例文

「せっかく綺麗にしただにずかずかと裸足であがりくさってえ。」

  (せっかく綺麗にしたのにずかずかと裸足で上がってきてもう。)

「元気な証拠じゃん。しょんないって。」

  (元気な証拠だろ。しょうがないだろう。)

「何べんゆっても聞かんくて。も~、だできらい。」

  (いくら言っても聞かないんだから厭になっちゃう。)

「当然だらあ。猫にそんなこんゆったってしょうがありもしん。」

  (仕方ないだろ猫にそんなこと言ってもどうしようもないだろ。)

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サントリー角瓶 来店編

 静岡がどうたらこうたら言わっしゃってられるもんで静岡県限定のコマーシャルかいなと勘違いしてしまいそうなんですが、HPで見たらそうでもないらしいので多分地域ごとに地名を付け加えて放映してるんだろなと想像されます。

 そんな事はともかく、画がけっこくて惹かれますです。一服の映画を観てるようで背景とか眺めて酒と戯れるのも結構いいかもと思わせる店構えに観えました。開放的な全面窓というのが新鮮なんでしょうかねえ。自分酒飲まないのでドラマとかでの酒場のイメージでしか物言ってないんですけど、異空間の演出というか照明とかも含めて閉ざされた勢いを酒場には感じるんですけど。このCmのお店は開放感があるのです。それでも普段とは異なる異空間の演出がなされてる雰囲気があって。珈琲飲む雰囲気じゃなくてやっぱ酒なのかなと思えますです。センスがいいということなんでしょうねきっと。

 そういう空気が漂ってるのにお客の4人はママさん(小雪さん)に釘付けというなんとももったいないというお話しでありました。肝心のお酒は美味そうでしたけど。景色は水や空気と一緒でなくなってみないとそのありがたみに気づかないってことなんでしょうかねえ。もっとも景色の中で小雪さんががんこ光っておられるのでどうしてもそっちに吸い寄せられると言うのも分からんではないことではありますが。

こういうところで交わされる会話ってどんな感じなんでしょうかねえ。愚痴を言い合う場所ではないんだろうなきっと。此処に来る事が張り合いというか一日の愉しみなのかな。いいとこ見つけたなこの野郎羨ましいぞという感じです。

狭い石垣沿いの階段上の道から入る入り口のとこからお馴染みさんがニョキっと顔出してご機嫌伺いたててましたけど隠れ家的存在なんでしょうか。小雪さんから受けるイメージがおべんちゃら言うような印象を受けないんで一体ママさんとして酔っ払い相手に(紳士ではありましょうが)どんなこと話すんだろう。聞くイメージはあるんで聞き役に徹するのかしらむ。そういえば映画「三丁目の夕日」でも飲み屋のおかみさん役やられてましたけど天職そうには見えない(客あしらいが上手そうに見えない)とこがおつなんでしょうか。

お客にしてもお酒が介在しないと間が持てない感じも想像してしまうので、酒を呑むペースがウィスキーだと早過ぎることもなくこの空間に丁度いいのかな。輪の中に入るというよりも少し離れた席でこの光景眺めて時を過ごしてみたい感じになりますです。

色々と妄想が膨らむ景色のコマーシャルでありました。15秒よりやっぱ30秒バージョンの方がいいですわ。

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*金馬車(もう死語)

 ついぞ一度も行くことはなかった。なので場所すらもどこにあったのかさえ知らない。しかしながら「金馬車」といえば浜松に住む限りその名を知らぬ人はいなかったであろう有名な場所。だった。

大人の野郎共が鼻の下うはうは伸ばせる場所で、ガキの頃に大人になったらとかいう空想の会話の中によく出てきた言葉である。実際行ってもOKな年齢に達してしまうともう忘却の彼方で「よげんの書」が如き現実となってそこに訪れることはなかった。

ガキにとっての「金馬車」という言葉は、そこに通うことはオートレース場や競艇場に入り浸るのと同じなぐでぐでのおやじになる証のようなものであったであろうか。なにしに行くかというのは「美」という意識でショーを愛でる訳ではないことぐらいは道端に落ちてる雑誌のヌード写真ごときに一喜一憂してたガキですら分かっていた。

流石に大昔鴨江方面にあったと聞く「赤線」地帯のようなストレートなインパクトを生じさせることはないが、それでもいいとこの人が通うような場ではないことは確かなイメージであった。誤解の無いよう自己弁護しておくが赤線のあった時代は影すら知らない。

金馬車という言葉を日常会話の中でどういう使い方をしたかというよりも意識の中でようく出てきた言葉である。無論女子には分かるめえという世界感である。

 いづれにしても、ストリップを芸と呼ぶか否かは個人差もあろうが、芸で生計をたてる人が浜松にも存在してたが今はもう商売として成り立たないくらい浜松は都会から送られてくる文化を享受する・しに行くのみで発信することも根付くこともなく過疎化してることは確かであろう。

こういうことに限らず、ネットで便利に安く買えるからと遠方の商売繁盛に協力して、近くの店屋に金を落とさないからどんどん店が潰れて行ってしまってる。立ち読みや実物確認すら出来なくなって自分の首を絞めてる事に気づく人は少ないようだ。利便に走りすぎていないだろうかと不安になる。

金馬車の復活を祈ってる訳ではないですけど。

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