« 2009年12月20日 - 2009年12月26日 | トップページ | 2010年1月3日 - 2010年1月9日 »

方言をブログに書くのは難しいだにい

 遠州弁に限った話しではないのかもしれないが、方言の話す先(相手)は一人に対してというのが基本の姿勢だと思う。

もちろん少人数に対しても対応可能ではあるが、確実に言える事は壇上の上に立って改まって不特定多数の人々に向かっては放つものではないという事。

よく普段は方言使うのにじゃあブログに書こうかとなると上手く出てこないというのはそういう意識の問題なんだろうなきっと。誰が見てくれるか分からないという不特定多数に向けてという意識が出てくるから書けないんだろうな。

 それともうひとつは、書き言葉と話し言葉は異なるものでありまして。

話し言葉は感情を伝えるもので

書き言葉は心情を表わすものでありますからして

まあそのぉなんと申しましょうか。方言は話し言葉でありましてで。

ブログという書き言葉の領域で述べたところでどこまで伝わるものやら。

ということからうまく書けないんだろうなきっと。まあ単にわかりづらい文章書いてるいい訳なんですけどね。

やはり読むことからよりも聞くことからでなくちゃいけないんだろうなきっと。音声付のブログとかにするのがいいんだろうなきっと。能がないから無理だけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

旗日(はたび)

「祝日」。

国民の祝日・国旗を掲げて祝う日。

実際私が子供の時分にはどこの家でも日の丸玄関とか掲げてたという記憶がある。

私が持っている国語辞典(昭和47年発行)に記載されてる祝日は十二日

元旦(旧四方拝)・成人の日・建国記念日(旧紀元節)・春分の日(旧春季皇霊祭)・天皇誕生日(旧天長節)・憲法記念日・こどもの日・敬老の日(もと老人の日)・秋分の日(旧秋季皇霊祭)・体育の日(東京オリンピック開会式の日に因む)・文化の日(旧明治節)・勤労感謝の日(旧新嘗祭)

振り替え休日なんてないから日曜に重なる当たり外れがある年もあった。週休二日制でもないから土曜日は半ドンだったし。

今はどうだろう十五日と三日増えてしかも振り替え休日アリだから随分と多くなった気がする。

数が増えて有り難味が薄れたのか学校教育のお陰で日の丸掲揚に躊躇する意識が刷り込まれたのか

日の丸掲げる景色を最近はまずもって見かけなくなったものである。

かく言う我が家も日の丸すら家に無い。昔はなんでも売ってる「デパート」に行けば買えた筈だが、今はどこに行けば買えるのかすらよく分からない。

自分も含めてだけど、何事も「ありがたや」という気持ちが欠如してるから感謝の念を表わす事がおろそかになっているんだろうなきっと。まあ祝うという意識はガキの頃から希薄で休める事が嬉しいだけだったけど。揚げてどうなるということではあるけどお国に対する帰属意識が薄れてることだけは確かなんだろうな。

 ところで旗日という言い方どの年代まで通用するんだろ。

私がガキの頃の正月三箇日の風景はとても普段とは雰囲気が違って異様に感じられた。商店も工場も全て閉められていてゴーストタウンのような閑散とした風景に感じられた。普段ならだだ混みの国1ですら車の往来は少なく、店屋のシャッターはことごとく閉められてあった。おせちは買出しできない為に数日間をしのぐものという一面があるのも成程なと今思うとそんな気がしてくるくらいどのお店も閉まっていた。

人は挨拶周りとか参拝詣でとかで見かけはするので廃墟という訳ではなくゴーストタウンという表現は誇張ではあるが異質な世界に紛れ込んだような錯覚に陥ったのは確かだった。お年玉を貰ったとて使う場所も開いておらず今思うと勿体無い話しだが早くデパートやおもちゃ屋が開けと時計の針が早送りになることを念じてたりもした。

マイカー・うち風呂なんぞは金持ちの家の話しだった時代で、バスや汽車、郵便屋さんなんかは奇特なこってという「ごくろうさま」という言葉が素直に出てくる時代だった。銭湯が正月営業してたかどうかは記憶がないや。

それが今じゃコンビニやらなんやら周年営業当たり前の時代。便利は確実に手に入れたけどその分当たり前過ぎて誰も「ごくろうさま」なんて思う人はいなくなった。

旗が掲げてある日は普段じゃない日という感覚は今もって鮮明に残ってる。それがいいことなのかどうでもいいことなのかは判断はつかないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

謹賀新年 2010

 謹賀新年

初春に 寅の尾をかる 羊かな

  あいや待て 虎の威を踏み 寅馬にだろ

    あんたらは 平和でいいねえ ほんとうに    

皆様のご多幸と繁栄をお祈り申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*遠州では使われない言葉 「おだっくい」

最近バンバンCmで流れてるしぞーか方言かるた。そのCmで紹介されてる言葉。(尚これはカルタに対する批判の記事とかでは決してありません。)

遠州ではまったく使わないので意味が判らない。

「お調子者」と訳されていたがどういうニュアンスなのか判らない。

つまり、すぐ「のぼせあがる人」なのか「図に乗る人」なのか「風見鶏な人」なのか「気分屋な人」なのか「おだてに弱い人」なのか「どこでも能天気」なのかとか。どういう「お調子」なのかその種類がね。

かるたでは酔っ払いが路上で踊ってるという絵柄だったけど遠州であの人物を指す場合路上という場所をわきまえないということを言いたいなら「馬鹿」・「ひょんきん」とかで度が過ぎて迷惑千万とかなら「きちがい」など。恥知らず恥さらしということを言いたいなら「ついてけん」・「ど恥ずかしい」とかになるかな。単にご陽気ということなら「浮かれてる」・「今日どうしたでえ」辺りであろうか。のり過ぎだと「ぶんぶん」・「いっちゃってる」近辺か。「ちょーける」・「ちょびちょびする」って言い方も遠州にはあるらしいが私は使わないので使いどころがよく分からない。

とにかくまったく使わない言葉なので「おだっくい」って大抵の遠州人は必ず「なにそれ?」と聞き返すことになろう。「オタ」(世迷言)でも「食う」のかな?今川の地元だから「織田」を「喰う」ってのは妄想しすぎだよなやっぱ。まあとにかく判りません。

蛇足だけどCmついでで言うと、「ぶしょったい」の一句。字あまりというか字足らずというか。私だったら

「ぶしょったい そんなかっこで どこ行くよを」

「ぶしょったい そんななりして そと出るだ?」

くらいにするかな。根拠がある訳じゃないけど「ぶしょったい」は「あんたなによをその格好。ぶしょったい。」みたいな先ず何がというのとかを述べてから放つ言葉という使い方が多いので頭に「ぶしょったい」を持ってくるのは苦労するところだろな。せめて「もう」とか「なによを」とかが頭にのればなのだがせんないことか。ぐでぐでなところでは

「どぶしょいら そんななりして 馬鹿ぶしょい」

と連呼するってのもひとつの手ではあるかな。

いづれにせよ、そのカルタ買ってないからCmでしか知らないけれど、まああれは「しぞ~か」つまり「駿河」のカルタであって遠州じゃねえよということで迷惑千万余計なツッコミなんだろうなきっと。失礼しました。決して商売の邪魔する意図ではありません。むしろバンバン売れて、「ほんじゃ遠州でも出さまい」とかいう機運になってくれる起爆剤になって欲しいと思ってます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

容疑者Xの献身

 実は私この映画、映画館で観ていなくて今回初めて観たと言う次第ですがやっぱ想像通り面白かった。ドラマでさんざっぱら愉しませて貰ったのになんという不義理な野郎だという話しではありますが。

観に行かなかった理由をこねれば、まずもってウケてる映画に反応するのもひねくれ者の名が廃るという事。それと最近は存外早くにテレビで観れるからそのうち観れるだろうとたかをくくっていたという事。テレビで愉しめたものはやはりテレビで観るのがいいんじゃないかと。別にドラマが映画化になることを批判的に考えてる訳じゃなくて混んでる映画館は好きじゃないという個人的な言い訳をしてるだけなんですけどねホントは。

でもなんですなあ面白かったですな。謎も深くて種明かしされて初めてああそうなんだと見事たばかられましてでございます。まあ映画は一二度観たくらいでどうのこうの言えるような深度ではありませんので、全うな(頓珍漢な)感想はおいといてどうでもいい感想をば。

  殺された元旦那が浜松出身ってのに反応してしまう地元民たる私。しかも住所の白羽町(白和に変えてあったかも)って実在するというのが味噌。こんなとこまできちんと作りこんでるのかと身近なものが映画の中に映ると実感出来るものなんだなあと。おそらくこれ以外というか全てにおいて上手な嘘でリアル感を醸し出しているんだろうなと思えました。

 あ、路上生活者の中に鈴木卓爾さんが居た!と気付いて、でも次に再び路上生活者が映し出された時卓爾さんの姿がそこになく、すげえチョイ役かあ、何しに出演されたんだ?と思いっきり思ってしまってました。

 テレビシリーズでの見せ場でもあった一心不乱に公式の海にダイブした後に謎はとべてすけたという湯川先生の絵柄が無かったのはちょっと残念だったな。

 堤真一さんの存在感が凄かったですな。どっちが主役なんだろうとマジで思っちゃいましたよ。それだけ見慣れてる湯川先生じゃなかったからってのもあるんでしょうけど。そういう意味で例外編として映画にしたっていう勢いは納得出来るのかな。途中嫉妬心が露になって恩の押し付けを勝手にするストーカー化したのかと思えたんですがあれも最初から計算されてたってことなんでしょうかねえ。それとも想定外の計画変更だったのか。そこら辺が何度か見直さないと読めないなと思えました。

 最後遺体の捜索してたシーンでジェットボートみたいなのがうろちょろしてたのがなんか気になりましたけどどういう意味があるんでしょうかねえ。

続きを読む "容疑者Xの献身"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*はあいいらあ

「もういいでしょう」と言っている。

例文

「まだ3分たっちゃいんにい。」

  (まだ3分経ってないよ。)

「湯ぅちんちんの入れただでちっとばか早くたってはあいいらあ。」

  (沸騰気味の熱湯入れたんだから少し早めでももう食べれるだろう。)

多分に感覚的であり想像予想で物を言っている感じである。

これだけで記事が終わるのもなんか味気ないので、これを言い回しを代えて色んなバージョンを列挙してみる。するとこらしょとある。

「はあいいにい」(もういいよ)

「はあいいだあ」(もういいんだ)

「はあいいけえ」(もういいかい?)

「はあいいだけえ」(もういいのかい?)

「はあいいもん」(もういいよ)

「はあいいじゃん」(もういいじゃないか)

「はあいいの」(もういいの?)

「はあいいわ」(今更もういいよ)

「はあいいだか」(もういいのか?)

「はあいいだん」(もういいんだけど)

「はあいいだな」(もういいんだな?)

「はあいいだに」(もういいのに)

「はあいいたあ」(もういいとは)

「はあいいでえ」(もういいので)

「はあいいだら」(もういいんだろう)

「はあいいだもんで」(もういいんだから)

「はあいいだで」(もういいから)

「はあいいっけ」(もういいんだっけ)

「はあいいっけか」(もうよかったんだっけ)

きりがないのでこの辺で。もちろん全てが最初の例文での「はあいいらあ」に置き換えることは無理があり、それらに対して新たに例文と説明全部つけてたら今度は長大な記事になってしまうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

とてもとても2009

 今年観たドラマの印象をば。改めて見直ししてということではなく今残ってる印象ということで。順位なんぞつける無粋は無しで印象の深いドラマを三つ挙げるとしたら

「湯けむりスナイパー」・最終回を除いた「JIN・仁」・「ヴォイス」かな。

尚、スペシャルドラマは含まないです。

年に関わらず今までの中で今もって印象に強く残ってるドラマということなら(基準は何度観ても面白いと思えるもの)

「トリック」・「踊る大捜査線」・「鹿男あをによし」かな。

「パズル」は去年はまったけど今観直してみるとその勢いが薄れて、逆に「鹿男」を観直したら面白かったんで入れ替えしました。リアルタイムだとどうしても粗ばかり探してるんでしょうかねえ私。リアルタイムでは鹿がどうも作りモノっぽいよなあとかいう眼で見てたんでしょうかね。

そういう意味ではこれらを越える印象のドラマは今年はなかったってことになるでありんす。まあ「鹿男」みたいに冷めてから観たら面白かったって思えることもあるかもしれないですから流動的ではありますが。

もちろん衝撃・インパクト勝負で繰り返して愉しむをよしとしない作品もありますから一概に上記に挙げたものこそが最高!とかいうつもりは毛頭ないです。

各ドラマを今振り返ってのおぼろげな印象は。

「本日も晴れ。異常なし」

続編があるなら又観てみたいな。あののんびりこんとした空間でどう興味を引く騒動が繰り広げられるのだろうと思って観てたけど、それぞれのパーツが終ってみれば凄い連鎖というか繋がって見事でありましたな。意外性もあって。脚本が良かったんでせうね。もっと方言を大切にしてたら雰囲気も大きく変わったかもしれません。青木さんだけだったかららしかったのは。それが残念かなと。

「メイちゃんの執事」

「水嶋ヒロ」という役者さんを知ったってことで貴重だったのかな。この時はまだ単なるイケメンさんだと思っていたけど。

「トライアングル」

とにかく豪華であり、犯人は誰っていうことなら最後まで引っ張られたなあ。でも疑心暗鬼の要素が強くて心安らかに観ていられなかったんでもう満腹かな。

「キイナ」

菅野美穂さんを愛でるドラマだったか。ひらっちとの相性も良かったかしらん。でも小池栄子さんの存在のほうが効いてたな。

「ありふれた奇跡」

セリフ回しが独特で観るのによいしょという勢いをつけないとしり込みしそうな感覚が残ってます。これ見て魚肉ソーセージにはまって今もって一日一本かじっているという実生活への影響力はありました。

「ラブシャッフル」

昭和のトレンディドラマ見てたような浮世離れしてた印象が残ってます。

「ヴォイス」

靴屋の老夫婦の回が秀逸だったな。

「ゴッドハンド輝」

ひらっちが良かったな。

「名探偵の掟」

推理小説をおちゃらけにしてその技法を解説した参考書みたいな印象が残ってます。約束事に縛られると便利な半分、行動の選択肢が限られてしんどいもんだというのが良く分かった気になりました。

「白い春」

阿部寛さんと遠藤憲一さんががんこ良かったなあ。白石さんも印象に残ります。展開というよりも役者さんを愉しむドラマという印象が残ってます。

「BOSS」

天海祐希さんを愉しむドラマということに尽きるんでしょうか。続編があればまあ観るでしょうね。安心して観れるとこがいいですわ。

「スマイル」

中井貴一さんが印象強いです。

「湯けむりスナイパー」

絶対又観たいドラマ。諸々に疲れたオヤジが現実逃避できたらなあという願望を叶えてくれるような空気感が好きで、大層なエピソードなんざ要らなくて、源さんの当たり前の事に感動する日々をほげ~と観ていたい。

「ぼくの妹」

今思い返してもよくわかんないテーマと流れでありました。最初は犯人は誰みたいな感じで中盤辺りから無謀な恋の行方。で、終盤はお兄ちゃんの心の安寧ってな勢いで。何を謳いたかったのか。強引な解釈でいけば「兄貴はつらいよ」ってかなんてね。

「赤鼻のセンセイ」

ん~。

「コールセンターの恋人」

名取裕子さんかな印象に残ってるのは。

「官僚たちの夏」

官僚組織のピラミッドの頂点に立って自分の目指す事を成さんが為にしのぎを削る割には、いざトップに立った以降の行動が薄味で。これじゃ何の為にライバル心むき出しで争うのかなんかよく分からないところでありました。

「ブザー・ビート」

しほりんがいい味出してたな。

「救命病棟24時」

ちょっと詰め過ぎの印象が残りました。まあ交通事故での短縮では致し方ないですけど。

「華麗なるスパイ」

こういう役やらせたら長瀬智也さんは安心して観てられますなあ。

杏さんを初めて観たけど存在感ありますなあ。

「猿ロック」

この世界感は大好物なんですが如何せんドスケベ度合いが激しすぎてそれだけが活力という勢いはくどかったかな。友情を最優先という姿勢をもっと明確に示して貰えれば観やすかったんですけど。阿吽の呼吸過ぎて見えづらかったということでしょうか。

「オトメン」

最後の締めがどうもね。桐谷美玲さんが印象に残ってます。

「ギネ産婦人科のおんなたち」

松下由樹さんと藤原紀香さんが印象深かったです。ユイカの役はその心情の移り行く様がちょっとはしょられ過ぎてて判りづらいところでありました。

今年一番満足のいく結末だったような気が。

「アンタッチャブル

Cmとタイアップしてたのが印象強かったです。一話見逃したけどめげずに観たという珍しいことしました。普通は一話でも欠けると頓挫するんですけどね。それほど興味があったということなんでしょうかね。

「JIN・仁」

最終話以外はドキドキワクワクでホント愉しかったです。最後はラストフレンズとかプロポーズ大作戦とかに近い印象の有終の疑でありました。

「東京DOGS」

継続は力なり。パートⅡとかでこの新機軸な世界感を安定させてもらいたいな。

 全体的なくくりで言えば

物語ということでは「ギネ」と「本日も晴れ」が良かったかな。

空気感ということでは「湯けむり」と「猿ロック」・「キイナ」かな居心地が良かったのは。

世界感ということなら「仁」・「ギネ」・「救命病棟」かな浸れたのは。

奇想性ということなら「仁」・「東京」・「名探偵」かな愉しくそんなのあるんかいって思えたのは。

役者力ということでは「仁」・「スマイル」・「ギネ」・「東京」かな魅入ったのは。

「ヴォイス」は面白い回とそうでもない回のムラがあったようにも感じられて微妙であります。でも物語・空気感・役者力のバランスが整ってた風に感じられて好きです。

続きを読む "とてもとても2009"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*はように

「早くから」と言っている。「早くに」という言い方が共通語訳としては合致するか。「親を早くに亡くした」というのを「親をはように亡くいた」といった具合。

「朝もはようにご苦労なこった」

  (朝っぱらから大変だね)

共通語だったら「朝もはよからご苦労なこった」と言うか。

「急げ」を「はよう」とか「はよ」とか言うのは方言でもなんでもないだろうけれど

「やあ はようしとくりょ」・「やあ馬鹿っつう はようせよやあ」

  (もう早くしてよ。)・(おいいい加減早くしろよな。)

となるとモロ遠州弁以外の何者でもない気がしてくる。

「はように」という言い方は方言チックな雰囲気が漂うところである。もっとも遠州独特ということでもなかろが一応よく使われるということで記載。男女共用。

例文

「やあ、提出日明日だったやあ。忘れかあってた。まだ全然手えつけちゃいんよを参ったやあ。」

  (うわあ、忘れかえってた。提出日明日だった。参ったなあまだ全然手をつけていないよ。)

「はようにだいときゃよかっただにい。そうすりゃこんな慌てんで済んだだに。」

  (早めに出しとけば良かったのに。そうすればこんな慌てなくても済んだのに。)

「ふんだだこんこいたって他にも色々あってなんしょ忙しかっただもん しょんないじゃん。」

  (そんな事言ったって他にも色々とあって忙しかったんだからしょうがないだろ。)

「しょんないで済んだらあんた世の中だあだあんなるにい。」

  (しょうがないが通るなら世の中しっちゃかめっちゃかになるよ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

出動 空飛ぶ消防士

 シベリアの森林火災消火に奔走するロシアの消防士さん達を追った番組だったけど。あ、ハイビジョンのチャンネルでやってた方です。

いやあ感動した。なんていうんでしょうね自然を守るという大義に生きるってのもあるけどそれだけじゃなくて森に対する愛情とかもビンビンで。大きな使命感と仕事を成しえる達成感と迷わない真っ直ぐな生き様とかが格好いいなあと。もちろん誇りは気高いけれど名も無き事を厭わずに、それになにより漢(おとこ)っぽいしね。

国が資本主義に変貌したことによって決して職場は裕福でも満足な装備でも人員でもない斜陽のような環境みたいだけど。やっぱお金の為に職に就くのとは訳が違う充実感というものが醸し出されていて、いい人生送っている人にしかない目の輝きと重みのある言葉を発していて。

これはいいもの観た。

貧素な装備とかを見るとまだまだ金満国の部類に入るであろう日の本から援助してあげられないのかなと思ってしまう不遜で何様的な私でありますが。でもなあ今の秋津島だったら話題の事業仕分けとかで同じように削られたりとかしちゃうかもなあ。NHKは金持ちなんだからこういう取材をしたことに対して謝礼金として大枚はたくってのならある種の援助とも読める訳ですからそういうことすればいいのにと思えたりもして。

こうした縁の下の力持ちさんをきっちり描いて伝えるってことは大事だなと思えました。今の日本でこれだけ使命感と達成感と仕事に対する誇りと愛情を持てる職業があるのかなと思ってしまったりなんかして。

日本にもこういう人達がいるんならいいのになと。最近どこの職場もかしこも歪みが生じていて仕事が愉しいという人ってのは芸能人さん以外見てないんで。いるなら見せて欲しいよな。希望が湧くように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*怒れてしょんない

「怒りが収まらない」と言っている。怒りが尾を引いている感じである。対象物に直接ぶつける場合もあるが、多くはやり場のない怒りを人に聞こえるような独り言として発することが多い表現であろう。

強調形は

「怒れて怒れてホントしょんない」

他の言い方では

「馬鹿怒れる」・「ど怒れてくる」

などがありこちらは瞬間的な印象になるが「怒れてしょんない」には継続性というか尾を引く感じがつきまとう

怒れて+しょうがない。この場合のしょうがないは湧き上がってくるというニュアンスと考えるのが妥当か。

また。似たような表現で「あたまくる」というのがありその強調形として「馬鹿頭くる」・「ど頭くる」などがあるが、こちらとの違いは

例文

「あんの野郎ホント怒れてしょんない。こんなとこいれんわ。」

「どうしたでえ。なにしたでえ。誰がでえ。いつでえ。ほんでえ帰るだけえ?」

「おめえもごちゃごちゃうっさい。気分悪いだでぶっさぐるにい。」

「気分悪いなら医務室行くけえ。それとも病院けえ。」

「そういう話しじゃねえわあ。もうあっちいけ。」

「あっちってどっちでえ。」

「くっそ~てめえ武道やってにゃあ本気でぶっさぐってるだにい。勝てんのがむかつくう。」

「いいたいこんあるなら直にゆった方いいにい。」

「言えりゃあ苦労いらんわあ。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*目はつむる?つぶる?

目はつむるもんだろうと真剣に思っている私であるが。辞書とかで調べる限りでは「つぶる」(瞑る)が共通語で「つむる」は方言・老人語と書かれてあって、え?というお話し。

じゃあどこの方言なのかということに興味が湧くのであるが、方言・老人語と謳っているのは昭和の辞書で現代のネット辞書などでは共通語枠の中に収まっている。つまりもう今となっては広まっていて元が分かんないということなのか。

イメージとして「つぶる」(瞑る)と「つぶる」(潰る)が似通っているので「つぶる」に静かに目を閉じるような穏やかさを感じない。どちらかといえば力一杯な閉じ方を彷彿とさせる。ホラー映画観てて思わず目をそむける時とか子供が頭洗う時などは「つぶる」で、静かにとか穏やかにとか瞑想するとかなら「つむる」だろうと。

また、例えばいいとこだけを見ようとか言う場合「欠点にはこの際目をつぶって」みたいな場合には潰す揉み消す勢いの「つぶる」でないと。「つむる」だと違和感を感じる。

これが「さびしい」(淋しい)と「さみしい」(寂しい)とかくらい明確に違えばいいんだろうけど、「わびしい」(侘しい)が「わみしい」となるみたいな訛りとかであればメリハリもつくんだろうけど、「つむる」に関してはその中間みたいで曖昧だよなあと。

でも「わみしい」ってどこも言わないのかな。「つむる」も似たようなもんだとしたら「わみしい」も「つむる」も遠州弁って屁理屈が成り立たなくもないけど。いくらなんでもそりゃないかあ。

とにかく遠州全域かどうかは定かではないが、うちらの集落とかでは目を閉じるに関しては「つぶる」より「つむる」の方が多く使われる気がする。

尚、「つぶらな瞳」とかを「つむらな瞳」とかにはさすがにならない。

例文

「目えつむってみい。いいもんやるで。」

「なにくれるよを。」

「いいで早くう。」

「分かったよ。・・・・ってなによをこれえ。」

「チケット。ノルマきつくてやあ。ねえ買って。」

「馬鹿っつら。しかもくれるじゃないだ?やなこったい自爆こけ。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2009年12月20日 - 2009年12月26日 | トップページ | 2010年1月3日 - 2010年1月9日 »