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*やりえなんだ

「やれなかった」と言っている。途中で挫折したとも手をつけることすら出来なかったともどちらとも取れる。

「やりおせなんだ」・「やりきれなんだ」とかなら途中で挫折もしくは手に余ったで「やれなんだ」・「やりいんかった」とかなら手出し出来なかったと取れるのであるが「やりえなんだ」は曖昧である。

漢文調にすれば無茶苦茶だけど「やりえることあたわず」みたいな感じであろうか。

蛇足だがこれが「やりえん」なら「出来ない」とかで「やりいん」なら「やる能力又は意思がない」みたいになるのであるが。ちなみに「やりいなんだ」という言い方は存在しないので「やりえ」というとこが同じなので「出来ない」という意味合いが強いんだろうかな想像だけど。

例文

「ただいまあ。」

「あれえ、早かったじゃん。イベント観い行ったじゃなかったけか。」

  (え~?随分と早かったじゃないの。イベントを観に行ったんじゃなかったの?)

「いったにゃあいっただん馬鹿混んでてたもんで諦めて帰って来た。」

  (行ったんだけど混んでたから諦めて帰って来た。)

「他になんかしてこんかったがけえ。」

  (代わりになんかしてこなかったの?)

「なんか他のこんやるかあって話しいあっちゃんとしただあどこも混んでて結局やりえなんで、ほんでさぶいもんではあ帰るかあっつうこんになっただよを。」

  (なんか他のことでもしようかっていう話しにはなったんだけど、どこも混んでてなにも出来なくてそれに寒くなってきたもんだから帰ろうよっていう事になった。)

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剱岳 点の記 DVD その1

「画が口ほどに物を言う」。

本編は勿論の事、特典映像「木村大作の春夏秋冬フィルムライブラリー」というのがホント凄い。なんなんでしょうねえこの迫りくる物は。「詩情を撮る」と謳われてますけどこれ観ちゃったら普通にテレビに映ってる「けっこい」景色が霞んじゃうというか心動かなくなっちゃいますわ。「綺麗」とかいう言葉じゃ言い表せない何かが刺さってきますです。これだけでも商売出来るに違いないのに特典映像で出し惜しみなしというのは太っ腹というか。こちらとしては得したと言うか儲けた気分というか、ありがたやありがたやという気持ちで一杯ですわ。ケチらんでレジェンドボックス買って大正解でしたわ。

私も昔なんちゃって山登ラーだったんで3.000m級の山々は何度か登ったことありまして。その拙い経験値からすると、こげな珠玉の景色がお目にかかれることはまずもってねえでがんすよホント。息がしんどい寒い足痛い落ちたら死ぬぞとかいう自分が生きてる事と向き合うだけでホント精一杯で景色は見えていても心の奥ではそれどころじゃないというせいかも知れませんがね。とにかく己の身の事よりも撮るんだ視るんだという強い信念がなくちゃとても無理でんがな。

山の他にも様々な景色がありまして、特に荒波しぶく凛とした厳しさの景色は凄かったなあ。お花畑にそよぐ風も確かに映っていたし。

えらく感動してしまいましたわ。映像特典で感動したのは初めてですわ。

 で、肝心の本編につきまして。

映画館で二度ほど観に行ったのでどうしてもそれと較べて観てしまうというせこい根性でありますが。率直な印象を述べると。

前半部分は映画館で観た方が映えた気がして、雪山部分になると途端にDVDの方がええがあという気がしたんだがに。

行者さんを担いで下山する沢沿いのシーンとかなどの雨風凄まじきシーンなどは私の家のテレビの性能によるせいでありましょうが視認しづらいものでありました。映画館ではもう少しくっきり観えた気がするんですけんど。

駅に迎えに行って家に向かうまでの道中握り飯を頬張るシーンでは映画館では美味しそうに観えたんですがDVDで観るとあまりそうは思わんかったですちゃ。

逆に雪山でのくっきり加減は映画館で観たよりもその奥行きが増した勢いでこんなに美しかったっけと改めて感じ入ったという感じでしたちゃ。

内容につきましては観た感想をどうたらこうたら御託並べるのは映画館で観た時の感想書いてますんで特に新たに追加で書くことはないですし、オーディオコメンタリーはまだおそぎゃーくて挑戦してませんが(なにせ監督自らが述べておられるようなので)私が感じた頓珍漢な感想述べてもね。

公開前から凄い楽しみにしていて封切になってから二度映画館で観て満足して、DVD発売したらば初日に飛びついて。今こうして二度ほどDVD見続けて満喫してるんですけど。やはりこの作品は愉しめますです。

この映画はその愉しみ方が普通に見慣れてる映画とは異なる気がするので誰にでも勧めれるものではないのかもしれませんが、私はハマリました。

で、やっぱり山登りにわくわくしつつ草鞋編んで準備してるシーンがいっちゃん好きなのは相変わらずな私です。

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不毛地帯 その9

 その豪胆米国をも怖れず。戦勝国と敗戦国の意識というものがこの時期まだ相当に存在したであろうに、たった一日で難題をまとめあぐるはその肝のすわりに驚愕するばかり。しかも知恵も磐石ときたもんだ。

威勢抜群なれど脳たりん、理屈はあってもへたれというのが出る杭にならないという意味で人間五十歩百歩的平等としてよく出来てるところなんですが。この壹岐(唐沢さん)という人はそれに当てはまらない傑物でありますな。ホント弱みを見せないお方でございます。

 里井(岸部さん)との確執の模様は、里井が反壹岐総意のお御輿として立ちはだかっているというよりもシンプルに個人対個人の里井VS壹岐という勢いに感じられるようになってきました。敵を作るもやぶさかでない壹岐の信念優先な行動から社内にも敵が多いだろうとて。それまでは社内が二つに分かれてのいざこざかなとも思って観てたんですがどうなんでせうかねえ。この光景ってのは観てて面白いかというとよく愉しみ方が分からないところです。

大門社長(原田さん)はこの回では壹岐を応援してるようですが、今後どちらかが去るまで確執が続くんでしょうか。それとも和解の道が訪れるんでしょうか。

鮫島(遠藤さん)と仕事上和解して共闘し始めたら晴天の霹靂で面白いんですけどね。子供同士は結婚したみたいだし絵空事でもなかったりなんかして。まあありえないでしょうけど。

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*いかすだら

「行くんでしょ」・「行くんだろ」と言っている。

「カッコいいよお」とか言ってる訳ではない。

穿った解釈で説明をすれば「行かむと欲すだらふ」が縮こまって「いかすだら」になったと。もちろん嘘ですけどまあこんな感じの解釈しても遠くないような気がしてくるくらい遠州弁は古い日本語という感じがする。

行くに限らずやるでもなんでも大抵はこういう言い方をすることが多い。

「いくらあ」だと「行くでしょ」と決め付け具合が強くなる。

例文

「今日これからあっちゃんちいかすだら?」

  (今日これからあっちゃんの家に行くんでしょ?)

「いくよを。なんでえ?」

  (行くけどなんか用?)

「あっちゃんのおかあさんにゆっといて欲しいこんあるだよ。」

  (あっちゃんのお母さんに伝えて欲しいことがあるんだけど。)

「え~そんなん自分でゆってやあ。」

  (え~そんなの自分で言ってよ。)

「わし今から行かにゃかんとこあるだで。ついでだでいいじゃん。」

  (今から行かなくちゃいけないとこがあるの。行くんならついでに言ってよ。)

「紙かなんかに書いといてやあ。忘れちゃかんでえ。」

  (忘れないように紙とかに書いて。)

「いいよそんなめんどっちいこん。ゆってくれりゃあ済むこんだで。」

  (いいよそんな面倒くさいことしなくても。言ってくれれば済むことなんだから。)

「なにゆうよを。」

  (なに言えばいいの?)

「来週の会合の資料の確認。各部署の意見書の取りまとめとを、公民館の場所取れたかの確認とを出席人数の把握とを。後ぉそれからあ・・・・。」

「・・・やっぱ紙ん書いて。覚わさらんわ。」

  (やっぱり無理。紙に書いて。)

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*やりさいすりゃ

「やりさえすれば」と言っている。

「え」が「い」に変わっただけなのだが何故「え」が「い」に変化するのかは不思議。

「やる」に限ったものではない。この言い方の味噌は「~さいすりゃ」。男女共用の言葉。

例えば「動く」とかだと「いごきさいすりゃ」となる。ただし例外的に「する」においては語呂がよくないのか「しさえすりゃ」と「い」に変わることは普通はない。

例文

A「どうせすかねえ。」

  (どうする?)

B「どうしまいか。」

  (どうしようかねえ。)

C「どうにもならんら。」

  (どうにもならんだろ。)

D「ごちゃごちゃこいてなんもしんよりか、なんしょやりさいすりゃちった前ん進まるだでやらまいやあ。」

  (ごちゃごちゃ言ってなにもしないよりもとにかくやりさえすれば少しは一歩前進するんだからよろうよ。)

A「そりゃあそうだん、どうみたってこの人数じゃこんな重たいの持ちおせんら。どうやって人集めすか考えんと腰おやいて話しんならんくなるにい。」

  (そりゃあそうだけどどうみてもこの人数じゃあこんな重いの持ちきれないよ。人集める工夫しないとこの人数じゃあ腰痛めてお話しにならないって。)

D「いいじゃん。腰おやしゃあ病休で休めるだで。」

C「そんかわし帰ってきたら席なかったりして。」

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ギネ・産婦人科のおんなたち その9

 最終回。医は仁術、医は人海戦術そしてついには塵灰戦術ってか。一度返上して再起を目指すという終い方でありました。

に、してもこれはデジャブーかと思ってしまう程に再び手術室が大渋滞という巻でありました。後手に廻された瀬川(内田さん)の運命や如何にという展開は、以前の二の舞じゃあ洒落にもならないだろうから成功するにちまいないと思って観てはいたんですが、大分ハラハラして観てました。

全体的な印象で言うと、悪意も悪党も登場しないドラマである事は私の好みとするものでありますが、それにしてもな暗雲が幾度か柊達に襲ってきて抑圧感に満ちた印象でありました。確信犯のような苦しめようという悪意が存在しないのにこのプレッシャーってのはそれだけやばい状態に陥っているってことの証ということでせうか。

終ってみれば君島先生(松下さん)は男気をみせて教授にまで突き進み皆の希望を牽引する馬力を見せ付けてなるべくしてなった勢いがあって心地よかったところでありました。

柊先生(藤原さん)と玉木先生(上地さん)は成長記というか人として医師としての成長を愛でたということでせうか。

薄らほのかな光明が見えそうなって勢いの後味のすっきりした感じでありました。

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*あれ

意外な事に気づいたりした際に出る言葉。「おや」とか「え?」みたいなものか。男女共用。

例文1

「あれあんたこんなとこいていいだ?」

  (おや?君はこんなとこにいていいのか?)

「なによをいちゃかんだけ?」

  (いてはいけないのかよ。)

「だってきんのう電話で必ず伺いますっつってんかったけ。山田さんとこにい。」

  (昨日山田さんのところに電話で必ず伺いますって言ってただろう。)

「やっべっ。そうだった忘れかあってた。」

  (やばいそうだった忘れかえってた。)

例文2

「このくっさぶいになんでいっつもそうめんなんだ?」

  (どうしてこんな寒い日なのにいつもそうめんなんだ?)

「あれこないだこれでいいっつってたじゃん。」

  (え~?この間これでいいって言ってたじゃないの。)

「だれんそんなことゆったよを。いっちゃいんにい。」

  (誰がそんなこといったんだ。言ってないよ。)

「ゆったじゃん食欲ないで暫くそうめんばっかにしてって。」

  (言ったでしょう。食欲ないから暫くはずうっとそうめんにしてくれって。)

「いつの話ししてるだあ夏のこんじゃんかあそれ。」

  (いつの話ししてるんだよ。夏のことじゃないかそれは。)

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*とばさいてみる?

「飛ばしてみるかい」と言っている。テレビで浜北の衆がこう言っていたのをスケッチしたのであるが。

意味は分かるけど実際自分が言うとなると「とばかいてみるけ?」というだろうなと思った。

もう少し細かくして「とばさいた」・「とばかいた」としてみる。

私の感覚だと「とばさいた」は「とばさせた」で「「とばかいた」は「とばかせた」となる。鳥を放つとか自らが飛行能力のあるものをというのなら「とばさせた」で違和感がないのだが、紙ヒコーキとか竹とんぼとかみたいな他の力が加わってこそ飛ぶようなものに対しては「とばかせた」という方がしっくりくる。

かくも同じ遠州弁といっても異なるものであり、統括統一して「これぞ遠州弁」と謳ったものを誰かが作り上げたとしてもきっとそれぞれの集落から異存が出るだろうなと思った次第。でもだからといって浜北言葉浜松言葉掛川言葉とかで凝り固まったら「遠州」という表現の意味はない訳で微妙。

言い方は違えども意味は通じ合うというツボだけは同じというのがいい形なんだろうなきっと。

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東京DOGS その8

 取調べ室ってBOSSで天海さん方が使われてた部屋とよく似てたなあ。単にホントにある実際の取調べ室を再現したから同じに見えるのか経費節減で使いまわしとしたのか、それともBOSSの続編ありを見据えてセットを残してあったものを眠らせとくのもなんだから使っちゃおうなのか、このドラマお得意のギャグのひとつなのか。

いづれにせよああいった無機質な部屋はどうなんでしょうねえ。あまり好きな作りではないんであります。ああいう冷たい感じの方が吐き易いもんなんでしょうかねえ。かえって心が弛まず心の壁を厚くするような気がするんですけど。

で、神野。追い詰めそうでなかなかといった感じで。まあ後3話?残ってるから後2話くらいは出し惜しみとしゃれ込むんでありましょうや。でもなんかあのお声と後姿から拝察するに「仲○ト○ル」さんっぽく映りましたがやはり気のせいでせうか。

神野って幾つだ?という疑問がずうっとあったのですが、仲○さんが演じられる年齢ということならば、由岐(吉高さん)は渋い好みということで納得いきますですな。まあ外れたらただの世迷言ですけど。

 銃撃戦だと烏合の衆が現れるみたいですけど奏(小栗さん)は人数に合わせて行動を決定してる訳で、探索突入とかのシーンではサバイバルゲームやってるような感覚で観てるんで、そういう見方してるといつのまにか行動がフリーズ&フェードアウトしてしまう衆の存在というのはどうも緊張感が削がれたりなんかして。

ところで由岐の記憶って、神野が生きているとしたら実際に起こった事とどうも一致しない気がするんですけど一体どうやって帳尻合わせてくるんでせうか。

 謎の解明というよりも心の揺れを描いた回ともいえなくもない感じで以降は「信頼」・「友情」とかいったものが主題としてより鮮明になっていくんでせうか。

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*きやせんとこやせん

「来ない」と言っている。細かくいえば「来やしない」ということか。

この「来」を「き」というか「こ」というかでの違いはどう違うのか。

多少寄り道するが、古語辞典では「こ」(来)はこう説明されている。

「く」(来)の命令形。「く」の命令形は「こよ」であるが、中古までは「よ」をつけないで用いられた。

と、ある。

カ行変格なので「こ・き・く・くる・くれ・こよ」。つまり「き」は連用形で「こ」は未然形か命令形ということになる。

ちなみに遠州弁では「こっちこ」(こっちに来なさい)という言い方があり、そんなことはないとは思うが上記の論法で言ったら遠州弁は凄い古い日本語を使ってるということになる。まあ普通に考えれば未然形の「こ」だろうなここはやっぱし。それに「こっち来なさい」の他の言い方として「こっちこぉ」とか「こっちへおいで」というニュアンスだけど「こっちきい」ってのもあるし。

ま、そんな自分でも理解できていない辞書からの受け売りの小難しいことはともかくとして、そんな事とは関係なく個人的な感覚でいえば

「待ってるのにきやせん」だと「待ってるけど来ない」。遅れる理由がなんかあったのかなあという気になる。この後に続くとしたら「なにしてるだやあ」とか「なんかあっただかいねえ」とかが違和感がない。

「待ってるのにこやせん」だと「待ってるのに来ないじゃないか」と憤慨度が高くなる勢いを感じる。この後に続くとしたら「あいつなにやってけつかるだあ」ってな勢い。

「くるっつっただにきやせん」では「来るって言ったのに来ない」

「くるっつっただにこやせん」だと「来るって返答したのに来ようとしない」みたいな確信犯的にあいつ来ないんだという感じになる。

もちろん「き」と「こ」を入れ替えても意味は成すのであくまで個人的な感覚なのであろうが。まあ「き」よりも「こ」のほうがキツイ物言いには聞こえることはそう間違いではないのではなかろうか。

それと年長者など目上が下の人に言う言葉は「こ」が基本で「き」でも可という感じで同列とかだったら「き」が基本で「こ」を使うとえらそうな感じになるって考えもあるな。ちなみに目下が目上にという丁寧な感じだと「こられえせん」・「こられやせん」といった感じで「き」は使わない。

ところで「せん・しん」(せぬ・しない)を「へん」に代えるとその意味合いはどう変わるかというと

「きやへん」・「こやへん」

「へん」は「せん・しん」と較べて柔らかい感じになるので「おっかしいなあ」といったニュアンスが強まって憤慨度が隠れる感じになるので「き」と「こ」の違いはあまりない印象になるような気がする。

あくまでなんのまとまりもない私見である。

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JIN・仁 その9

 まさにといった勢いの火事場の馬鹿力を発揮する仁先生の図ってな感じのそりゃあもう迫りくる火の粉も怖れぬ気迫というか根性を示した仁先生(大沢さん)でありんした。

大言壮語を普段吐かないどちらかと言えば控えめで穏やかなお人柄とお見受けしてきた訳でありましたが辰五郎大親分(中村さん)との丁々発止と自らが身の危険が迫りながらも手術に没頭する様がいつもと違った一面を垣間見たような気がする回でありました。

野風(中谷さん)の決意した想いと行動というのもこの回の重要な部分でありましたが、やっぱ辰五郎親分みたいな傑物とタメ張ってしかも気に入られるという事がインパクト強しでありました。武士である恭太郎(小出さん)ですら辰五郎親分の前では借りてきた猫状態に陥るくらいのオーラ出し捲くりという空気感なのに医者の悪口言われたことで反論しようとする仁先生は凄かったなあと。

そりゃ相手が誰なのか知らなかったという事もあったんでしょうがその場の空気を読めないお人というのもあるんでしょうかねえ周りがあんなに萎縮してたのに。手下の人に「なんだてめえ」ってつかかられそうになって辰五郎親分が「おとといきやがれ」と制した時「江戸だあ」と感嘆してたけど、いくら現代から来た時代違いというハンデはあるにしてもここでそう言うかあとこりゃ普段であっても世俗離れしてるとしか思えない気になってしまいました。

そんなお人が売り言葉に買い言葉で医者の意地(心意気)を言い張るってのは清水の舞台からという心境だったのか医者としてのプライドからだったのか。後で後悔しまくってたところから推察すると医者としてのプライドからだったんでしょうかねえ。私なんざ仕事のプライドなんざひたすら薄い限りなんでああいう状況だったらすいませんと意味もなく謝って仕舞いにしますけどね。

で、野風との一件があった後に火事が起きて土蔵での医者の意気地をみせ辰五郎親分から天晴れと認められた訳でありますが、こちらは集中力の賜物なんでしょうね。仕事でも趣味でもいいからなにか寝食忘れて没頭できるものを持つ人は幸せだと思えるんでそういう意味では仁先生は幸せな人なんだろうなと思えてきます。

それにしても今まで支えてきてくれた人が離れていく危機が毎回仁先生を襲うようです。現代では恋人未来を、江戸に舞い降りてきてからは緒方洪庵先生を亡くし今度は医術の支えの咲(綾瀬さん)を縁談で心の支えの野風を身請けでという具合。坂本龍馬(内野さん)にしたって暗殺の魔の手が迫り来つつあるみたいだし。

人に支えられてという意識が強いお人なのにそれなのに人との縁が儚いというのはせんなきことでは済まないような気がしないでもないところですな。

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*びっけ

「びり」。「びりっけつ」がはしょられて出来た表現であろうか。

子供の時分によく使っていたが大人になると「どべ」・「けつ」・「どんけつ」とか言うようになったので子供言葉であろう。この言い方が遠州弁の言い回しなのかは不明であるが、ネットで調べると関東辺りでも近い言い回しがあるみたいなので、うちんとこの衆らの勝手な造語ということではなさそうでちゃんと存在しているのは間違いないところであろう。というかむしろこういう言い方を遠州でもしてたという言い方の方が正しいか。男子女子共用の言葉。

使いどころはなにせ大分前の事なので細かいことは思い出せない。が、悪意や中傷の籠もった表現ではなかったような気はする。

例文

A「やあ、野口公園集合な。」

  (いいか野口公園に集合だぞ。)

B「何時にい。」

  (何時にだよ。)

A「家にカバン置いたらちゃっとでえ。」

  (家にカバン置いたら直ぐに来るんだよ。)

C「そんなどいい加減でいいだか。」

  (そんな大雑把でいいのかよ。)

A「びっけの奴みんなでしっぺな。」

  (最後に来た奴は皆からしっぺということで。)

D「それずいぶんじゃんわし一番遠いだに。」

  (それはないよ僕が一番遠いんだから。)

A「ダメ、はあそう決めただで。」

  (問答無用。もうそう決めたんだから。)

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