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ラブシャッフル その3

旺次郎(松田さん)はいい奴だ。どうしてこういう機微をあの若さで掴めるんでせうかねえ。半端ない生き方してきたからなのか生まれ持ってのものなのか。どちらにしても言い訳がめんどくさいと思える野郎はかっこいいってことなんでせうね。私だったらまず言い訳先に考えますもん何事も。

みんなそれぞれ葛藤を抱えていて真面目に考えれば暗いお話しなんですけど、えらくカラッと仕上がってるというか観ていてお話しの流れについていけます。とにかくキャラが立ってるからそれぞれが観てて面白いです。

なんかそれぞれの関係が共有財産みたく思えてきて、ともすれば最初どういうカップル同士だったか一瞬分からなくなってしまう感じです。それだけにチューした何したというのは一人(人妻)を除いてはグロい印象になりますです。友達に映るせいなんでしょうか。そう思える仲のよさに感じます。

とりあえず忘れそうな元の関係性を確認しとくと。

宇佐(玉木さん)は芽衣(しほりん)に婚約解消を言い渡されて動揺中。式の準備の方は着々と進んでおり超大物の名が列席者に連なっていて今更引くに引けない世間体。第1希望は芽衣とのよりを戻す事。というかそれ以外に手立てなし。イベントに参加してる理由は芽衣が参加してるから仕方なく自分も。その割には人妻(小島さん)とベッドを共にするなど周りからブーイングが起こるほど大活躍中。やれば出来る人らしいのだが現在色褪せ中。

芽衣は宇佐が嫌いになった訳ではなく元の闊達だった姿に戻って欲しいと願っている。じゃなんでこのイベントに参加してるんだ?という動機は私には理解不明。

旺次郎。何をしたいんだか目的が読み取れないが面白そうと思ってることは確か。二度とも職場?に連れて行って写真を撮影してることから考えれば素材としての興味しかないのか。元のコンビは人妻上条。

上条。群れない。したがってその行動からしか読み取る情報は得られないのだが今のところ快楽の追及にしか思えない。

愛瑠(香理奈さん)。元は諭吉(DAIGOさん)とのカップル。諭吉の一方通行で持て余し気味であったところにこの企画が提案され現状の展開を変えようと乗っかったという勢い。今回では菊田(谷原さん)に想いがある風に見えた。

諭吉。宇佐に親近感を持つ。当初は愛瑠しか目に入らなかった風に見えたが今回は楽しんでたみたいであった。もう吹っ切れたのか?

菊田。言いだしっぺ。しかしてその目的は他人を救うものではなく自らの呪縛との葛藤によるものと今回明かされたような感じ。愛瑠とは境遇が似ているらしく距離が今回縮まった風に見える。

海里(吉高さん)。菊田が講釈垂れていた普通とは異なる思考を奏でる不思議の塊。宇佐とはなんか相性というか同調できそうな要素を感じた。

今回は小洒落た会話が少なめで、結構それぞれ吐き出す心の内の吐露というので占められていたような感じでした。半ばは不協和音が鳴っていて早くも人間関係に破綻が生じるのかあとドキッとしましたが最後無事鞘に収まってよかったよかった?

最終目的(希望)が読めているのが宇佐と芽衣。恋とは別の意図を叶えたいのが菊田。これ(交換)で何したいのか読めないのが旺次郎と愛瑠。なにも求めていないのが海里。これはラッキーと思ってるのが上条。途中で意図が変わりそうなのが諭吉?いまのところ私にはそう映っております。とりあえずえげつない(腐敗的な)恋人探しのゲームではなくゲームをすることによって大切な友人を得、ある人にとっては恋人の元に辿り着くという自己成長だけに留まらないアットホームドラマのようです。面白いですこの世界感は。それこそ一話まるごと日がな一日ホールの居間?で、のんべんだらりんと他愛ない会話してても楽しく観ていれそうです。

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すこんくって方言じゃなかったのね

「すこんく」一矢報いることなく完敗・得点を競うゲームとかで一点も取れず負ける様。

辞書ではそう書いてあった。英語だそうな。なんだ方言とかじゃないんだと。しかも使い方間違ってたし。

浜松はオートレース・競艇それにパチンコとお上が公認の勝負事に勤しめる場所には恵まれているところである。そういうとこでその日の収支がえらくマイナスな時に「今日はすこんくでえ」とかいう使い方を大人がしていたような記憶がある。

私の親は理想の反面教師でしてまさに「すこんく人生」一直線だった。なので私は上記の賭け事にはああはなりたくないと誓い無事手を染めることなく生きてこれた。

話が脱線したが、「すこんく」という言葉は共通語の「おけら」に近い響きだと認識していたのだが共通語の意味はそういう使い方じゃなかったんだあとつい最近気づいた。まあ大した違いがあった訳じゃないけど。とにかく途中で勝とうが何しようが最終レースが終わってみれば財布が空っけつのことを「すこんく」だと。でも全部負け(全敗)のことだったんだなあと。

まあ死語に近い印象はあり、昔の大人が使ってただけで今もこの言葉が使われているのかはそういう場に出入りしていないので不明。

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ありふれた奇跡 その4

このブログにおいて今の時期一番反応が多いのが「ありふれた奇跡」であります。必ずしもドラマに対する想いの量は視聴率とは連動していないんだなと改めて思えた次第であります。もちろん私の感想は突飛で的外れですので共感を得られることはありませんですが。かようなところまでお越しくださる方が多いと言うのはただ楽しい(面白い)というのではなく多くの人の想いの琴線に触れてる作品であるんだろうなと。

前回口をへの字に曲げて一っ言もしゃべんない神戸(松重さん)と二人しかも車という密室の息が詰まりそうな空間の中で我関せずと自分の思案に没頭出来なおかつ「あ~もうわかんねえ~。」と声を発して悶え苦しむ翔太ってのは、本当に思い詰める性質なんだなあとつくづく思える訳でありまして。それを振り向きも驚きもしないという神戸には笑ってしまいましたが。

藤本(陣内さん)のカーテンもないテレビもないという生活を本人は便利を切り捨てると称されていましたが修行僧のような生活と表現するには後退的な印象がやはりしました。つまり負け惜しみですか。翔太は自分を虐めてるだけだとさりげなくたしなめてましたけど。それでも最後は欲しいそぶりというか構って欲しいそぶりがなんか元気そうでした。めんどくさいお人です。

これは「ありふれた」人達のお話ではなく平凡から「あふれた」人達の奇跡を描いてるぞ、なんて書いたら趣旨を理解してないと作り手さんの怒りを買う事必死ですが、平々凡々とは一線を画してる気がするのは確かです。もちろん波乱万丈とは程遠いですけどなんか抱えているものがありふれたよりも重い感じがしますです。

まあそんな脱線話しはともかく家に向かうまでの道すがら裏道という宝物を教えてしまう辺り、凄い最高のお出迎えを翔太(加瀬さん)はしてるのかなあと。歩きながら話している際「子供」というキーワードに加奈は過敏に反応してた(曇ってた)風に映りましたけど伏線なんでしょうかねえ。それに応える加奈も誠実を感じとっていたんでしょうか。

その後の一連の出来事はスルーしまして、翔太の仕事場に体をおやしてしんどそうな元職人さんがたいやき持ってきてるシーンがありました。職人は体が資本壊したらそれで終いというのはおじいちゃん(井川さん)に続いて二人目のセリフのような気がします。これは将来翔太に起こる出来事の伏線なんでしょうかなんて勘繰ってしまいました。

展開の順番前後しますがこのドラマ二人で会話するシーンが多い中で、お母さん(戸田さん)とお師匠さん(吹越さん)の惜別のシーンと翔太と藤本(陣内さん)の電子レンジあげるいらないの押し問答してるシーンが印象に残りました。

惜別のシーンはなんかここだけ舞台のお芝居観てるようで。ありえそうな会話のやりとりなのに情感的過ぎて絵空事(夢の中)のように思えて、どうも苦手ですわいな。反対に押し問答のシーンは加瀬さんの本領発揮というか普段の生活の中ではあり得なさそうな遠慮の仕方?な会話のやりとりなのにとても普通っぽい感じがしました。好みの問題ではありますがファンタジーだと思って観てはいないので違和感を前者には感じました。一体どういう効能があったんでしょうか不明です。

そして、なんかおかしな奇遇と申しましょうか変な縁(えにし)がありそうで渡る世間はいと狭しってか。どういう関係なのかはまだ明かされていませんですがお父さん同士なんかお知り合いみたいです。名前も住まいも知らない者同士らしい。推測するになにかの同志同士のようでありそうです。

当の本人達はいざ知らず、両家は何故か本人そっちのけで盛り上がり兼ねない状況であったのが、お父さん同士のその関係は翔太と加奈の関係に水を差す障害になるんでしょうかねえ。それともこの回の奇跡ってのがこれかしらむ。

スルーした部分を蒸し返しますけど、今の人には通用するのかどうか知りませんが一昔前の男女という装いでなんか同調してしまいましたです。改札口で待つ時間。帰りを送る際の降り際での車の中での時間が無くなったような会話。などなど気まずいんだか永遠に続いて欲しいんだか自分でも分からないような瞬間ってのがね。

そろそろ翔太に秘密がありそうにもなくなってきてこのドラマ翔太にくっついて観るという居場所を見つけた感じです。これで腰を落ち着けて観れるなと。

で、すんごい脱線話しなんですけど、加奈(仲間さん)を家に迎えるまでの町内の散策がてらの景色で安売り王の看板が目についてしまいました。ホント脱線しますけど、まだあるんだと。浜松では随分と前にその看板を見かけなくなったのですが。ちなみに今家にある当時のビデオ引っ張り出したら2つほど出てきました。「鏡の中の欲情」85分で表示価格税込み1980円。内容は変質者が出てくるものでタイトル通りのものですがきちんとしたストーリーで面白いです。監督さん他役者さんも名を聞かないお方ばかりですが価格以上の結構な作品でした。もうひとつは「郵便配達はベルを三度鳴らす」有名な映画のパクリタイトルで監督・脚本・出演は村西とおるさん。役者さんは横須賀昌美さん・清水大敬さん他。お話しの内容は監督さんから推し量れるようなもので70分。表示価格税込み16.480円となってますが1980円くらいで買った筈です(いい加減な記憶ですけど)。末路についてはほとんどいい話を聞きませんが、価格破壊の先陣を切った意義は多少はあったのかなあと。

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*ちんちん

これだけだと大抵はお湯が沸騰してる状態を表わすことが多い。どちらかというと適温を越えて沸き過ぎというニュアンスにとれる。

しかしながら使い方は幅広く「鉄板はあちんちん」となれば「鉄板はもう十分あったまってる」・「雨漏り直いたいだがトタンちんちんで足降ろせやせん」(雨漏り直したいんだけどトタン屋根が日に焼けて熱くて足踏み入れられない)という風にお湯に限ったものではない。

とにかく熱せられてる様を表現する言葉である。だからといって「かっかする」を「ちんちんする」とは言わない。感情表現としては使われない。

この表現については名古屋でも使われているらしく特に遠州固有種の方言ということではなさそうである。

例えで言うと共通語の「それだと凄く熱くなり過ぎてしまうから駄目なんだよ。」というのを

名古屋だと多分「ほいじゃ でえりゃあ ちんちんになってまうで かんわあ。」かな?違ってたらごめんなさい素人なので。

遠州弁では「そんだと 馬鹿がんこ ちんちんに なるもんで かんだよ。」となる。

共通語にはこういう意味使いは存在してないらしく「ちんちん」というとひとつの意味しかなく、聞くとドキッとするらしいが発音というかイントネーションが異なるので混同することは我々現地人ではあり得ない(ちんちん電車のちんちんと同じイントネーション)。したがってなんら恥じることなく男女共に使う表現である。

例文(今回はリアルにありそうな会話ではなく完全に創作のおちゃらけ)

「知ってる?ド○フのコントでうんこちんちんっての。」

「知ってるよ。それんなに?」

「あれさあ、うんこがちんちんってこんだで要はやけくそっつう意味だらぁ?」

「違うらあいくらなんでもぉ。」

「じゃあちんちんってなによを。」

「そんなん知らすけえ。」

「知らんで笑ってるだか?」

「いいじゃん別にい。」

説明しよう。うんこがちんちん。つまり糞が熱せられている。ということは糞が焼けてるということだから「やけくそ」になるという論理である。もちろんこれは冗句であって遠州人が実際のコント見てそう思ってた訳ではない。

ちなみに「ちんちん」。どういう意味なのか未だに知らない謎の言葉である。憶測でものを言えばやかんや鉄瓶が沸騰すると蒸気で蓋が踊る。その際「チンチン」と音が鳴るところからきているのではと想像するところである。

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キイナ・不可能犯罪捜査官 その2

ポルダーガイストやらなんやら摩訶不思議な超常現象+思い込みによる心理的抑圧の解放という展開でありました。

あまりお話しの内容についてはふ~んで感心する以外にないのでいつものたあけた感想をば。

ちゃん付けじゃなくてさん付けなんですねあんな小さな娘なのに。一人の人間として人格を尊重し目上視線でなく敬意を払うというのが理由なんだろうけど、助けてあげると言うのなら親愛の情を伝えたほうがいいのではと思ってしまいます。最近よくある警察密着とか謳われてる番組で、そこに出てこられる実際の警察官さんはその殆どが方言を駆使されてます。身近である証とも思えて好感が持てるのですが。だからちょっとさん付けは距離感(事務的)を感じてしまいました。トウキョウの警察さんはこうなんでせうか。よそよそしいというかせちがらいですなあなんか。

記憶が事実と異なる。自分が殺した訳でもないのにそう思い込んで事実を捻じ曲げて本当であるかのように思い込んでしまう。普通想い出や古い記憶とかは自分の都合のいいように変えてしまうものですがこの場合は逆でした。なんかとんでもないことが起きると体の防衛機能が働いて記憶や意識をシャットアウトしてしまうとうことがあります。そのあとに非常に強い罪の意識が働いて自己嫌悪に陥ってあのような別人格さえ生まれるほど自分を責めた嘘の真実を作り上げたということなんでしょうか。それにしても声が変わるのは目新しい表現ではないですがやはりドキっときますなあ。

リアルな話し私もバイク事故に遭遇した時、危ないと感じてブレーキをかけたまでは記憶があるのですがその後の記憶は全くの空白で断片すらなく気がついたら対向車線側の民家の塀に激突してて野次馬さんに大丈夫かと声を掛けられた後だったということがありました。声を掛けられた時気を失っていたのは確かですが、相手とぶつかったのもそれから転倒することもなく道路を横切り塀にどうぶつかっていったのか記憶が欠落していました。

なので記憶が飛ぶという経験は私あります。ホント不思議な経験でした。でもだからといってその空白を補うために悪い方に記憶を作り上げるというのは信じがたいとこではありますな。もっとも私の場合空白は空白でしょうがないと思って想像を働かせることはなく警察にも素直に記憶がないんですと言って済みましたのでなにかしらの帳尻というか納得を求める必要はなかったんですけど。

なのでこういう話しは体験上半分私信じます。信じない半分は悪い方に意識を導くということ。

ドラマの方に話し戻しますけど、病は気からと申しますが、真相判明報告会議の席で皆言ってたけど思い込みを取り払うのは警察の仕事じゃないという。もっともだと。どうすんだろうと思ってたらそれを見事解決に導く展開でありましたな。

突っ込む訳じゃないですけど科学で説明がつくとは申せあんな異常現象が立て続けに起こりしかも新築というならば普通住宅会社の方にクレームの嵐攻撃するのがまともだと思うんですけど耐え忍んでおられたんでしょうかねえご両親は。我慢強い人達だと感心しきりです。まあこういう親だからこそ過剰な罪の意識の捉われてしまう心優しき子供が生まれるという理屈は納得ですけど。

キャラクター及び役者さんの方の話しでありますが、尊(ひらっち)前回でキイナ(菅野さん)の才に至極感服したようです。「過ちを改むるに憚ることなかれ」を即座に実行したようです。出来ればもう少しエリートのプライドを持ってキイナなにするものぞと抵抗して欲しかったです。ひらっちが演られると恋には絶対発展しそうもない印象を受けるので男女のコンビですが色恋沙汰に走ることなく素直に相棒として観れるのがいいです(言い方替えれば人畜無害キャラが良い)。今後どうなるかは知りませんが。(なって欲しくはないです。)

キイナは今回糖分補給のシーンはあまりなく状況も状況でしたからのんびり感が薄めの印象に映りました。キャラが変わったのかなと思える一歩手前といった印象でしょうか、はきはき感が伺えました。やるときゃやる人なんだなと。個人的にはのんびり感漂う方が好みなんですけど。新たに分かったことは怪奇現象を怖がらない人だということ。先入観とかは持たず怖いものなんて存在しないのかな。なんで振られたのかは不明。というかそうは見えないんですけど。この謎はいつ明かされるのでしょうか。

今回は具体的な犯人というものがいなかったこともあってより犯人を断罪するということより被害者を守るというのがキイナの頑張る動機のように映ります。頭が爆ぜるくらいの知識を詰め込み、尚且つ人の心の苦しみさえをも感じようとするってえのは容量オーバーにならないのか心配になるくらいの感じです。ところで一度こらしょと詰め込んだ知識どれくらい知識として頭の中に保管されるんでしょうかその保存期間に興味がありますです。カメラを忘れる位意識しない事については激しく無頓着らしく、そいうとこで帳面(ちょうづら)合わせてバランス取ってるんでしょうかねえ。とにかく不思議ちゃんキャラが面白いです。

不思議といえば、こんだけ優秀な人が何ゆえ別班とかに祭り上げられてるんでしょうか。そうなった経緯とかも知りたいところではあります。協調性とかがないからなんでしょうか。

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*えらそうこく

生意気な口を利くと言う意味。発言だけでなく生意気な行動とかでも「えらそうこく」を使う場合がある。

共通語だと「えらそうに」であろうか。

ちなみに「えらそう」だけだと「しんどそう」という意味合いもあるので「えらそうに」だと遠州ではどちらの意味(大変そうに・生意気に)でもとれるので「こく」がつくことが多い。「こく」がつけば必ず生意気にという意味で使われる。

例文

「やあ。怖いやあ。まあちっとブレーキ早めにしてくれん?」

  (おわ~。怖いぞお。もう少しブレーキ踏むの早めにしてくれないか。)

「えらそうこくじゃないにい。ふんだだこんわ免許取ってから言えやあ。」

  (生意気言うんじゃないよ。そういうことは免許取ってから言えよ。)

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メイちゃんの執事 その3

このぶっ飛んだお話しの流れをこの歳で楽しめ何かを得よというのは酷ではありますが、「榮倉奈々」を楽しむのであるならば結構楽しいドラマです。困難に立ち向かう勇気とかを描いていると思われますが元気はつらつさには体育の授業不摂生が理由で参加できず見学に勤しんでるような立ち位置です。

七変化とまではいきませんが雰囲気がころころ変わる感じが悦でありますな。それでいてなに着てても心は変わらないと映るところが味噌なんでしょうか。女性の役者さんの中には男子の中に入ると映えるけど女子の中に紛れると印象薄くなる方とかその逆のタイプの方がおられるんですけど、榮倉さんはどっちもまかしょという感じでどのシーンでも存在感に翳りがないとこが珍しいタイプの役者さんだなあと思えます。中性的ともいえる訳ですが。大人の中に混ざると多少薄く感じますので全てに於いて映えるという訳ではないのでしょうけど。相応の歳になって人見知りされなくなったらどういう役者さんになられるのか興味が湧くところです。

漫画みたいじゃなく漫画を演じている訳で、そうすると最近では「のだめ」が直ぐ思い浮かんで来る訳ですが。比較するのはご法度なのかもしれませんが感情表現を複雑なキャラにさせないという点がよく似てる勢いです。つまり皆行動については単純明快直情的で判り易い。しかしそれぞれの思惑という謎を含んでいるだけにドラマの世界感の判りやすさからくる透明感と展開の綾を織り成す暗躍の不透明感さのバランスが難しそうだなと。「のだめ」は音楽の高みを目指すことにみんなが向いてた分、様々な葛藤を各自抱えていながらも目的意識がはっきりしていて観てる方もゴールが予想できてより集中しやすかったでしょうから。いまのところ対メイへの違和感ということで統一されてますがこれが今後理解者が増えていく展開ということならばそのバランス(飄々・協調・反目)の調整がより難しくなりそうで作り手の腕のみせどころになるのでしょうか。

それにしてもこれを演じられてる役者さん達は大変だろうなと思えてきます。先週までのえげつないイジメキャラが突如味方キャラに変貌していかなくてはならないのですから。そのメリハリの切り替えとそういう部分だけを抽出して見せなければならない(つまり漫画キャラ)のですからもう別人格に生まれ変わったみたいな一人二役のような印象です。キャラクター作りが一定しないという訳でもありますが、まあ変身キャラを演じるなんてそうそうないでしょうからそういう意味ではやってられて楽しまれてるやもしれませぬが。服装とかで違いを表現できない分変身モノとは異なる大変さは要求されるんでしょうか。

特に登場の仕方からして漫画以外の何者でもない役を任せられておられる谷村さんはそれ以前がシビアな役どころばかりだった印象が強いだけにどう対応されるんだろうという興味がありますです。今のところ気配も感情も消しておられるようですが印象が薄い感じであります。こういう役って意外性が勝負みたいなとこが重要な気がするので予定調和ではないアドリブの多用が求められるのではと勘繰ってしまいます。

で、多少お話しの流れの感想書きますけど。前回もそして今回もお嬢様とそれに付き従う執事との深い関係(替わりは居ない・失いたくない)が描かれていましたけれど、恋愛禁止という条項が示されてた通りともすればそう取れてしまうような誤解を招きそうな展開でありました。このドラマでは執事は主を映す鏡のような関係みたいにも見えるのでそういうとこをもうちっと描いてくれたらいいのにとつい思ってしまいますです。決闘の決着は次回で描かれるのでこの回は不協和音の苦悩が描かれていた回ともいえる訳でもありまして爽快な展開とはいえなかったのですが先にも書きましたが榮倉さん眺めてるだけでも楽しいのでほげーっと見てました。

でも知世はどこに?

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トライアングル その4

蠢く闇が妄想で膨らむ一方です。さながら釣りをして、見事ヒットして釣り上げようとしても予想してた以上の大物過ぎてなかなか浮かんで来ず、格闘してる間浮かび上がってくるその姿をつい妄想して膨らませてしまうような夢見る状態でしょうか。さすがにドラマですから逃した魚は大きいということじゃなくきっちり釣り上げてその全容を明かしてはくれるでしょうけど。果てさて何がかかっているのやら興味津々です。餌は今のところサチ(広末さん)のようにも思えます。さながら釣り師が郷田(江口さん)で乗ってる舟は警察丸で船頭は黒木(稲垣さん)か丸山(小日向さん)か。船主は黒木のお父さん(北大路さん)ってか。いやちょっと悪乗りしました。

音楽がパワーありますです。惹き込まれるし突き放されるし煽られるしといいように操られてるような気分です。エンディングの曲がまたドラマの重厚さを増すようで余韻が残りますですな。

ところで観てる側の立ち位置ですけど、どこにも身の置き場がないんですけど。普通だったら郷田(江口さん)なんでしょうけどよく分からなさ過ぎて後くっついていける安心感が得られないんですわ。心の内を明かさない主人公についていくってのは結構しんどいもんなんですけど、こういう意図なんでしょうね多分。それでいてこの空気感についていける(いこうという気になる)のはどうしてなんでしょうかねえ。やっぱり謎を知りたいという好奇心が強いということなんでしょうか。まあとにかく面白いです頭爆ぜそうなのは相変わらずですけどいいですわ。

お話しの流れは、前回現れた痣のある男の出現でどう転がっていくんだろう。あっけなく犯人こいつってなるのかしらむ。郷田は時効になった犯人を追ってるんじゃなくその裏にある何かをあぶりだそうとする様を描いていくのかなって思ったんですけど。この回は謎引き摺ったままでふ~ん引っ張るんだあと。なんて思ってたら最後にお母さん(風吹さん)が衝撃の告白かまして唖然のまま次回へ続く。なんだそれ?黒木のお父さんは当時なんかやらかしたみたいで口封じじみたことに奔走してるみたいだし。なんだよそれパート2ですな。

で、引き続きの疑問集

1での?・まずもって郷田はなにをしようとしているのか。ずうっと追い続けているらしいのだが何を。

4での答え・郷田は早智絵しか見ていないのか。確かにそう見えるけどどうなんでしょうねえ。自分は刑事じゃないという台詞ありましたけどやっぱどうしたいのか相変わらず疑問のままです。警察官じゃなくインターポールでなければならない(警察の人間では困る)理由とかもあるんでしょかねえ。

1での?・あの事件のことを掘り起こそうと黒木刑事(稲垣さん)に電話してきたのは誰で目的はなにか。

4での答え・進展なし。今も疑問のまま。候補は郷田・富岡・お父さんくらいか。

1での?・富岡(谷原さん)が本にしようとしたその内容とはなにか。郷田は何故それを読みたかったのか。

4での答え・進展なし。今も疑問のまま。郷田が頼んだ記事は直ぐ?載せれた訳だからその筋ではそれなりの力がありそうなのですが、じゃなんで本にしない?本でなくても連載記事にすればいいのにってそれじゃ金にならないか。少なくとも郷田はもう興味が失せてるようですけど。

1での?・タイトルのトライアングルって何を意味してるのか。

3での答え・まったくの進展なし。

2からの?・志摩野って何者?

3での答え・不明のまま。ただしサチという人物にだけ反応しており事件は余計なものという考えを持っていそう。実は訳アリの名乗り出れないサチの親族だったりなんかして?

2からの?・殺そうとした理由は?そして誰が?何のために?

4での答え・依頼主は痣のある男(宅麻さん)。依頼された男は威嚇のつもりが郷田が飛び出てきて誤って刺してしまったみたいっぽいに思えました。目的は手紙の抹殺であってサチの消去ではなさそうです。これで決着でいいんでしょうね。それにしてもエレベーターでの警告は始めからそう決めてた行動なんでしょうかそれとも郷田というおまけが付いたから変更したのか。にしちゃあ準備万端だからやっぱはなから威嚇警告ということだったんでしょうか。まだ次週以降も手紙に粘る(こだわる)のでしょうか。でも使われてないであろうビルを勝って知ったるようにエレベーターいじくることが出来る(電気も)ってどういう人なんでしょう。落ちぶれた格好してるけど世を忍ぶ仮の姿なんでしょうかねえ。

2からの?・サチの養母(風吹さん)の心の病はあの事件があって以降?それとも事件が起こる前から?

4での答え・なんとなく事件後というより事件前から発症してたっぽい感じです。

3からの?・富岡(谷原さん)はどこまで真実を知っているのか。

4での答え・痣のある男の存在は初耳っぽかった風に感じられたので全てを知った上での本にするしないといってる訳ではなさそう。むしろ肝心な部分が欠けていてそれを未だ探っている状態っぽい。そう考えると再び事件が動き出すように仕向けるために電話したのは富岡?とも考えられる。

で、追加というかこの回での新たな疑問。郷田の目にはサチは早智絵の影としか映っていないのか。黒木の父上(北大路さん)が此処へ来て事件もみ消しを謀ったとも伺える様相を呈してきて果たしてその真相は如何に。

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だあたあきた

物凄く頭にきたという意味。

「ド頭にきた」が変形してこうなったと思われる。

非常に感情が先走っている状態を表わしてるといえる。

「ど怒れた」との違いは「ど怒れた」ムカッと来たニュアンスであるのに対し「だあたあきた」はやってられないといったニュアンスが強めになる感じである。むかついたことに変わりはないけれど。まあ微妙な差でしょうか。

例文

「くっそーまあた門前払い喰らっちまってえ。いっつもだでホント今日という今日はだあたあきた。くそ怒れる。」

この場合言う前はやってられない状態だったのだが、自分の発言で火がついてムカッときてしまったために「だあたあきた」と「くそ怒れる」が並んだ格好になっている。

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ヴォイス その3

今回は前回までイマイチその人物背景が読み取れなくてぶつぶつ、と書いた久保秋(石原さん)の背景が描かれた回でありました。この回のためにあえて心の壁みたいな読み取らせないような演技されてたんでしょうか石原さんは。ま、そうはいってもどういうとこに住まってて諸々とどういう嗜好なのかみたいなドラマとは関係のない普段の生活の背景については相変わらず不透明なお姫様状態でありましてご利用は計画的にと観てるつもりなんですけどどうもいまひとつ人間像が想像で浮かんでこない感じであります。なんでヒールの高い靴をいつも履いてるんだろうとか親を早くに亡くされたにも拘らず自炊経験なしで料理が下手?のまま今に至れたのかとか。まあどうでもいい事なんですが。とにかくこれで心に引っかかっていたものが取れたのですから来週からは心に一点の曇りなく晴れ渡った想いで青春駆け抜ける人になるんでしょうか。

それにしても近頃(15年前ですけど)の7歳って発育良いんですねえ。中学生くらいかと思ってましたです。確かに回想シーンではランドセル背負ってましたんで小学生でしょうけど。

で、大己(瑛太さん)の推理は医学生というより相変わらず現場に行って足で稼ぐ探偵さん・刑事さんのような印象です。でも推理の結果については大己が分かってもその時点では観てる私にはちんぷんかんぷんな状態だったんですが、謎解きを聞くとなるほどなあと。

つまり推理物としては大変よく出来てるなあと。

学生物ということからすれば、それぞれが抱える苦悩も描かれていて。それに若者が馬鹿者に変わる変化ぶりもきっちり存在してて仲の深さが回を重ねてもっと濃くなってきたらつらい事もあろうけど楽しいだろうなあみんなしてなんとか乗り越えていくんだろうなあという予感がしてきます。

羽井(佐藤さん)と桐畑(遠藤さん)のコンビは二人で一人なんでしょうか。なにやらいつも行動を共にしてるようで。方やフィギアヲタクこなた元ヤンキー。普通なら絶対出会い認め合うべく筈もなさそうな種族の二人が組むという効能を楽しみたいところでしょうか。相手に対しては方や苦手こなたむかつくという構図は出来てますけどだからといって排除(いじめ)とかはせずフェアと素直が入り混じった関係でうまくいくなんて希少価値以外の何者でもないですから。

見守る大人達も味があって。今回みたいな豪華なゲストの役者さんが出張ってこられるとしたら見所満載で楽しいです。

ところで意地が悪いのかもしれないけど、3話とも善人の声を聞いた展開だったけれど、悪党の声を聞いたりするのかな。そういう時彼らは挫折感や希望の想いがひるんだりする試練になるのかなとふと思ってしまいました。

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*のの

例文1

「他ののじゃかんだけえ。」

  (他の物じゃ駄目なの?)

「他ののわなあ。なんかいやったい。」

  (他の物だとねえ。なんか性に合わないんだよね。)

「そんだったらさあ、今日は買うののやんめにして次にせるかあ。」

  (それじゃさあ今日は買うっていうのは止めにして次来た時にしようよ。)

*注、訳で「のの」を「のは」・「のでは」と替えても訳が成立する

他のでは駄目なの?

他のはねえ。なんか性に合わないんだよね。

それじゃさあ今日は買うのは止めにして継ぎ着た時にしようよ。

例文2

「これだれんの?」

  (これは誰の?)

「○○ちゃんのの。」

  (○○ちゃんの物。)

おそらく「のの」を訳すと「~のもの・~のこと」みたいなことになるのであろうか。ただ例文1のように「のは」に替えても意味が通じるのはなんでだろ。

共通語だと「の」で済むのであろう。

根拠はなく感覚だけの推測ではあるが、「忘れる」を「忘るる」とか「そうせらるる」とかいうのと同じような古い日本語的な使い方なのであろうか。

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*つんぶした

潰した壊したという意味。

詳しい話しは「つんぶれる」(つぶれる)でしてあるので略。

例文の訳もついでに略。

例文

「家寄ってくけえ。まあ上がってきない。」

「まあた どうせ どんぎたなく してるだらあ。」

「失礼しちゃうやあ。けっこかないけど足の踏み場くらいはあるにい。」

「なあんか踏んづけてつんぶしたら一生ゆわれそうだで遠慮しとくわあ。」

「おお そうけえ ほいじゃ またなっ。」

「またのっ。」

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本日も晴れ。異常なし その1(1・2話)

似てると思ったのは私だけのようで周りでドラマ観た人に聞いても同調無しでした。もう笑うしかありません自分の眼を。でもやっぱ似てるよなあ。

で、まあ熱い男に南の島は何故か合います。これがしばれる雪景色であったならどういう印象だったのかなという気にさえなるくらいの熱い駐在さんであります。心に傷を受けた人が新天地でふっきれようと俄然と張り切るというのは違和感のない設定ではあります。雪国だと逃避、南国だと療養という構図が植えつけられてるせいかもしれませんがそれに見事に乗っかってしまえば楽に観れそうです。そう考えればドラマの終焉は駐在さんの人としての再生ということなんでしょうか。にしちゃあこの張り切り振りは迫力あります。空元気には見えないです。

島の人々の草食系っぽい感じとの兼ね合いがいかにも肉食系な駐在さんの今にも切れそうなくらいピンと張った糸のようにもという勢いを増幅しているようにも映りますし、何にも分かっちゃいないというよそ者という空気感も確実に漂って参ります。

医者の方がよかったと言われるくらい望まれてきた訳でもなくむしろうっとおしいくらいの夢追い人。それに対して現状を受け入れたうえで最善を尽くすという思考に生活の知恵を見出してる島民とのギャップが勝負どころなんでしょうか。って勝った負けたの話しではないですけど。

おそらくは挫折に打ち勝つというのがテーマなんでしょうか。職業が警官という理由はどこで活きてくるんでしょうか。1・2話見る限りじゃなんでもやる課の県庁職員とかでもセーフな感じがしますが。

きび畑の守人光生役の青木崇高さんに役者根性が見えました。その発するイントネーションは明らかに風土を感じさせるもので、役に対する姿勢が据わってるなと。光生が出てくるシーンがお気に入りです。

それにしても沖縄時間みたいなまったりゆったり感なぞ露ほどにもなくせりふのやりとりも溜めとかなく非常にテンポよく次から次へと色んな事が展開されて行きます。結構忙しないドラマです。ですが人情味とかが必ず一話の中に挿入されてるようでほろりとさせてもくれます。今回の兄弟の絆ってのも途中まで皆と同じ嫉妬だと思ってみてたのでその落としどころは案外意外で展開の妙を味わえました。唯一ツッコミいれるなら、で、医者は?これで決着?急患が出たら?折衷案だけど解決案ではないのでは。もちろんじゃあって他の先生が直ぐ来てくれたらうそ臭くなってしまいますけどね。

このドラマ始まる前はとりあえずチェックでいいかあ位に思っていたんですが、登場人物達の人となりが分かってきたらこれは楽しくなりそうだなと思い直しました。

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ao akua その2

とにもかくにも、応援してくださる方に対する感謝の気持ちというものを形にしたいという想いで尽くされていると感じるDVDでありまして。

つらつら考えるに作品にしか興味を抱かない私のようなえせ応援者がこのDVD観ての感想をああたらこうたら書くのはおこがましいなと。

なので応援者足り得ない者があつかましくもおこがましくも書いたその1は封印して、傍観者の目線として書き直ししたその2の方をアップするのなら撥は当たるまいてと。もちろんメッセージを発信してくれたことに対してのありがとうございますといった感謝の念はありますです。

このDVDではハワイの自然からパワーをもらったりそこに住む人から労わりをもらったりといった何かを吸収してる樹里ちゃんと、絵を描いたり芝居をしたりといった作品にパワーを放出してる「上野樹里」と、普段の普通に息してる樹里さんといった多面的な捉え方をされていると言う印象でありました。「上野樹里」を知らない人が「上野樹里を知る入門編」として見れるかともし聞かれてもメッセージ性が強いので正直分かりません。ただショートドラマを楽しむとかよくあるイメージビデオの類ではありませんので「上野樹里を楽しむ」ものではないでしょう。しいて表現するなら「上野樹里が伝える」DVDという言い方でしょうかねえ。

栄養素を吸収してる時のその感受性の強さは過敏過ぎるほどの勢いで、だからこそ作品という形で放出する際の強いパワーの源となりうるのかなと納得出来るのですが、普通なら見逃してしまうようなことにも煌めきを見い出す細やかさは大音量で襲い掛かってくるようなフラッシュのようなものに遭遇したりなんかしたらその精密機械のような繊細さは果たして保てるのだろうかと心配になってくるほどのアーティスト的資質に感じます。

作品に向かい放出してる時の目の輝きは印象的でした。一人二役?それとも一人を二分割?としたような二つの役の別人格提示(演じ分け)は衣装眼鏡といった容姿の切り替えだけでない生きてきた背景の違いまで想像させる感じでした。それがどこから発せられてるのかよく分かんないんですがとりあえずは眼からかなと。眼の輝きといえば特に絵と対峙しつつ絵と会話してる辺りの活き活きとした眼が印象に強く残りました。料理も創作物ということであるならば料理してる姿も手元と作品(料理)の出来上がる工程ばかり映してないで製作中の表情とかも提示して欲しかったのえという印象はあります。

普段の樹里さんはテレビとかでよく見かける飾りも気負いも無いお姿で話しされてていつもの通りいまいち説得感に欠ける嫌いがあるのですが、これが劇中で同じようなことを演技の中で発するとなるほど深いこと言うなあと感心してしまうというギャップを感じてしまいます。普段は間違いなく誤解されやすいタイプだろうなあと。まあ普段上手く伝わらない分作品に籠める想いが強くなるのかなと想像してしまうんですけどね。

全体の印象を反芻してみて改めて強く感じることはとにかく「上野樹里」はなにかを放出してる姿が画になるなと。目の輝きが印象的でした。

あと、思わずイメージが湧いてきたフレーズがあって、それは「思い込んだら試練の道を・・・・」

仕事とプライベートの切り替えなぞなく24時間「上野樹里」をしてる樹里さんなんだろうかなと。飛雄馬も泣き虫なほど繊細だったけど野球一筋ド根性だった。樹里ちゃんもそんな感じかなと。まあ体おやさんようにねとしか言いようがないとこです。体が弱ると心も折れやすいですから。

不思議なのはこれだけ揺るぎない自分を持ってる人がお芝居となると「憑依型」みたいなそういう役柄の人格(上野樹里が見えない)に映って見えるのか。理屈で納得して役作りしていくのではなく何か他のエッセンスを体内に取り込んでいるのでしょうか。それとも「上野樹里」そのものの引き出しが種類量共に多くてそこから抽出して提示してるだけで別に「憑依」してる訳ではないのか。強い感受性と吸収力を持つお方だという光景を見せられると私が勝手に決め付けてきたものが揺らいできます。しかしながら自身だったら絶対そういう行動や言動をしないであろうキャラを演じる際「そういうことはしない自分」はどこに置いておくんだろう。閉じ込めておくのか「そういうことはしない自分」を「そういうことをする自分」に改造していくのか。

絵は素直だったけどお芝居だって素直だよなあ。まあ不思議ですわ。もっと不思議なのはお宅訪問してる人がのだめや瑠可とイコールだということですけど。

どこで聞いたのか忘れましたが凄い役者さんて演じてきた役柄の人生をずうっと背負い込んでいくという話しを聞いた事があるようなないような。つまり演じた分だけその架空の人物の人生を体験したその経験が役者さんに人間味の深みとして蓄積されていくのだと。「上野樹里」という役者さんも演じ終われば一旦全てリセットクリアにして容量を空けるというのではなく何らかの形で人間の器という入れ物に蓄積してくタイプなんでしょうかねえ。別な表現で言えば頑固な割には染まりやすい。感性の鋭さと旺盛な仕事に対する情熱というものを考えると駆け足は容量オーバーで体(心)に毒のような心配してしまうんですけど。

とにかく太く短くということだけにはなって欲しくないなと。演技の源は想像性ではなく感受性かなと推測されるけどじゃあそれをどう調理して芝居という形にもっていくのかは秘伝のタレで門外不出の非公開なんでしょうか。

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*ちゃちゃっととちゃっちゃとの使い分けその2

どうもこの二つの使い分けが分かりにくいという事で。あくまで遠州弁における使い分けなので共通語的使い分けではないやもしれぬのでそこはご注意を。

まあ要は「さっさと」と「ささっと」との違いみたいなもんであろうが。

「ちゃっちゃと帰る」(とっとと帰る)

残業やらされちゃかなわんでうだうだせんとちゃっちゃと帰る。

(残業やらされたらかなわないから早々に退散する。)

「ちゃちゃっと帰る」(急いで帰る)

今日見たい番組あるから間に合うようにちゃちゃっと帰る。

(今日は見たい番組があるから間に合うように速攻で帰る。)

「ちゃっちゃと料理せよ」(早く料理しろよ)

くっちゃべってんでちゃっちゃと料理せよやあ

(話に夢中になってないで料理しなさいよ。)

「ちゃちゃっと料理する」(ささっと料理する)

遅くなってごめんねえ。今ちゃちゃっと料理するでねえ。

(遅くなってごめんね。急いで料理の支度するからね。)

「ちゃっちゃと行ってちゃちゃっと帰ってこい」(とっとと行ってそそくさと帰ってくこい)

「ちゃちゃっと行ってちゃっちゃと帰ってくる」(今直ぐ行って体のいいとこで帰ってくる)

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