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*らとだら その2

これが違いの全てではもちろんないのだけれど、こういう使い分けの違いというものもあるよということで。

「おっきいら」だと「「大きいでしょう」

「おっきいだら」だと「大きいんでしょ」

「ほれみいおっきいら」(どうだ見なよ大きいだろう?)

「あそこ有名じゃん名物おっきいだら?」(あそこは有名じゃないの名物が大きいんでしょ?)

「ら」は実物を前にして「だら」は実物がない状況で

と言った風に使い分けをしているのであるが、これが「づら」を使うとどちらでも使える。もちろんイントネーションの違いによって使い分けがなされてあるので混同することはないのだが。

ちなみに「おっきいだ」となると「大きいんだ」といった風になり語尾を上げれば「大きいのか?」となる。

「やっぱおおきいだ。」(やはり大きいんだ)

「やっぱおおきいだ?」(やはり大きいのか?)

例文

「大仏ってやっぱおっきいだ?」

  (大仏ってやっぱり大きいのかなあ。)

「そりゃおっきいだら。」

  (そりゃ大きいでしょ。)

「どんくらいおっきいだかいねえ。」

  (どれくらい大きいのかなあ。)

「知らんよを。見たこんないもん。」

  (知らないよ見た事ないから。)

「さびゆく浜松よりかはおっきいだら。」

  (さびゆく浜松よりは大きいんでしょ。)

「そりゃおっきいら。っつうか較べるもんがおかしいに。」

  (そりゃあ大きいでしょ。っていうか較べる対象が変だよ。)

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*みしょうやあ

「見せてくれよ」・「ねえ見せてよ」などと言っている。つもり。男言葉で女性・子供の場合だと「みしてやあ」・「みしてえ」とかを使うほうが多い。

遠州弁を知らない人には「おい見せろ」と威嚇してる風に聞こえるかもしれないがそんなつもりはさらさらない。

ならば威嚇っぽいのはどういうのかというと

「みしょやあ」・「見せろやあ」とかになる。

命令っぽいのは

「みっしい」・「みしょう」・「みせよを」。

「みしょう」が「見せろ」で「みしょうやあ」が「見せて」という「やあ」が入ると柔らかい物言いになるというとこが遠州弁の味噌というかなんというか。

しかしながら「やあみしょう」とやあが先にくると「おい見せろよ」という事になるのはあら不思議。「やあみしょうやあ」となると「お~い見せてくれよお」となるのも摩訶不思議。

「見せて」という以外にも「やってみせろ」とかいう場合でも「やってみしょうやあ」・「試してみろよ」を「試してみしょうやあ」とかいう風に使う。

したがって本当は「みしてみしょうやあ」とか「みしてみしょやあ」であろうが重複するのではしょられているということであろうか。

「やあ」のほかに「やい」と代える言い方もあるが「みしょうやい」とかは使ってる方にしてみれば「やあ」と全く同じつもりなのだが現在の普通の遠州人でも「やい」は「おい」とか「こら」としか聞こえない。

例文

「やあなにやってるだあ。」

  (お~いなにやってるの?)

「おおちっとなあ面白いもんめっけただあ。」

  (うんちょっとね。面白い物見つけたんだ。)

「なによを。みしょうやあ。」

  (何?見せてよ。)

「これでえ。このビデオ。」

  (これだよ。このビデオ。)

「おお!これは。DVD化されちゃあいん映画じゃんかあ。ど珍しいじゃん。どこでめっけたでえ。」

  (おお!これは。DVD化されていない映画じゃないかあ。凄い珍しいなあ。どこで見つけたんだ?)

「だらあ。奥の物置ん中にあっただよ。」

  (だろう?奥の物置のところにあったんだよ。)

「ちゃっと見まいか。」

  (直ぐ見ようぜ。)

「それが駄目でえ。」

  (それが駄目なんだ。)

「なんでえ。けちらんだっていいじゃんか。」

  (どうしてだよ。けちな事いわなくてもいいだろうに。)

「だってベータだもん。」

「なんだよそれ。がっくしだなあ。」

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不毛地帯 その8

 「お母ちゃんに謝れ」ってのは小出がではなく壹岐(唐沢さん)がという話しでしたねえ。

無論谷川(橋爪さん)の説法は得心のいくものであり悔いることなかれということで謝る事ではないのせうが、詫びなければという壹岐の思いは私でもわかります。人の死を悔いなく送れるなんてことはなかなかないことですのでせんなきことではありますな。お察し申し上げますって感じでしょうか。

なんていう冗句はさておき、会議の結果はどうなったんでせうか。はたまた千代田自動車への処遇はどうなったんでせうか。

四十九日が過ぎてから米国行きを社長(原田さん)から打診されてたという事ですからあれから大分日が過ぎたということでありますが仕事におけるその間の様子は「悲しみを忘れようとしてがむしゃらになり過ぎていないか」みたいなことを社長が言ってた事から推し量るしかないのですが何をしていたのかどうもよく分からない作りでした。

自動車に関する商売話しは米国に行っても続くということらしいので米国に向かったからといって心機一転新たな仕事の着手ということではなさそうなのですが千代田自動車はどうなるんでしょうかねえ。

里井(岸部さん)との確執はそのどちらの方針が正しいのかは私みたいな素人には分からないのであれなんですがもうあちら立てればこちら立たずという状況にまで陥っているみたいに映りました。社長にとっては両輪として共に大切な人物であり、どちらかの肩を持つとかいうことはしないみたいでやれやれな状況なんでしょうねきっと。

ナレーションの勢いだと米国行きについて「過酷」という表現を使っていて米国行くことがなんか決して美味しい話じゃないみたいな印象を受けましたけどどうなんでせうかね。

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*ニュアンスは難しい

「ブルータスよお前もか」というセリフを遠州弁にしたらどれが一番近いニュアンスになるのだろうか。

単純に変えるなら「ブルータスうおんしもだか」辺りだけどそれじゃ能がないのでもう少し味付けしてみると色々言い方が浮かんで来る。まああくまで言葉遊びのおちゃらけですけどね。

「なによをブルータスあんたもけえ」

「なにいブルータスおめえもけえ」

「なにやあブルータスおんしもかや」

「なんでよブルータスおんしもだあ?」

「なんだやブルータスおんしゃあもを!」

「なんでブルータスもよを」

「うそっブルータスおんしもっ?」

「あれやあブルータスおんしもだ?」

「あれえブルータスあんたなにやってるよを」

「なんでえ?ブルータスぅまでえ?」

「勘弁してやあブルータスまでえ」

「ブルータスまで随分じゃん」

「ひょんきんじゃんブルータスまでもけえ」

「やあなんだやあブルータスまでえ」

それぞれ微妙にニュアンスが異なるのであるが

凄く意外ってことなら「うそっブルータスおんしも?」かな。

状況が分かってない程動揺してるってんなら「なんでえ?ブルータスぅまでえ?」か?

もう泣きそうって勢いなら「やあなんだやあブルータスまでえ」辺りか。

冗談じゃないよと憤慨してるのなら「なんでブルータスもよを」か。

冗談じゃないよと憤慨を越えて呆れてる(むしろ放心)なら「勘弁してやあブルータスまでえ」ぐらいか。

全く状況が分かっていないって勢いなら「あれえブルータスあんたなにやってるよを」かな。

一番冷静なのは「なによをブルータスおんしもけえ」かな微妙だけど。

結論じゃないけど、ひとつ言えることは名文句も遠州弁にすると台無しになるという事だけは間違いないようだ。

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ギネ・産婦人科のおんなたち その8

 医は仁術ならぬ医は忍術。ドロンとかいう手もあり耐え忍ぶという手もあり。

嶋先生(ユイカ)と玉木先生(上地さん)は海外にドロンだと思ってたんですがあわよくば状況が好転すれば翻意するのかなとも見えなくもなし。まあそこまでは薄情ではないですけどね観てる限りでは。なんとか状況が打開して欲しいものよという想いがあるようです。

ところで玉木先生刺されてましたねえ。不眠不休の上に命まで狙われるんじゃ堪りませんな。それでも自分だけの胸に仕舞い込もうとする心持ちは大層大人だなあと感心しきり。あの状況でも訴訟は実行に移されるんでしょうか。私だったらあざとくおそれながらと訴えでてそっちも手を出したんだからこれでチャラにしようとしますけどね。そこはやはり医は仁術ということか。

そんなこんなで玉木先生忍術も仁術も駆使して忙しい回のようでありました。

 忙しいということならそこら四方慌しい感じでありました。須佐美教授(國村さん)と瀬川弁護士(内田さん)は産む産まないで意見が分かれ、君島先生(松下さん)は教授への道の為の病院長との丁々発止。患者さんは儚い命のやりとりと。

以前全摘出でVサインってなんだかなあと思ったら、ここにきてその顛末が再発してきたのでありますが、なんで今頃になって?という疑問これあり。そんなもんなんですかねえ。

ほんとなにかと慌しいそんななかで一番心打たれたのは儚い命でありました。死ぬと判っていながらそれでも逢いたいと願う母の心というのは男にしてみれば推し量るに想像がつかないのでありますがそんな朴念仁でもジーンときましたです。瀬川弁護士の産みたいという強い決意とかもそうですがまさしく母は強しでその活力の源の根源は男には理解不能ではありますがそこから湧き出る迫力というものに押されることは確かでしょう。

柊先生(藤原さん)=トラブルメーカーとして見るか、未完の名医と見るかでドラマの感想が随分と変わってきそうなんですが、展開としてはトラブルメーカーという扱いで次回(最終回)に続くという流れのようです。

上からの覚えも目出度くないみたいだし一体どうやって一発逆転を放つんでしょうか柊先生は。ここまできたらまずは試練を乗り越えて現状のスタッフで現状のサービスの提供をというのがこのドラマの落とし処なんでしょうか。君島先生の理想とする人員が増えて育児所もできたりとかすれば出来すぎともいえる勢いに思えてきました。

当初謳われていた産婦人科医療の問題提起という面は明るい未来でドラマの結末となるのではなく現状維持で後退しないだけで精一杯の成功なんだということで示すということなんでしょうか。

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*けか・けえか

「あれ?ゆってんかったっけか。」・「ゆってんかったけえか」

訳すと「あれ?言ってなかったっけ」・「言ってなかったか

「けっか」・「けっかあ」という言い方もあり意味使いはほぼ同じ。多少過去(済んだ)の話題という印象が深まる。男女共用の言葉。

これを「けが・けえが」にすると

「言ってなかったけど・言ってなかったんだけれど」

とかいう風になる。

「けか・けえか」に「だ」を足して「だけか・だけえか」となると

「言ってなかったんだっけ」

さらに「だけが・だけえが」となると

「言ったんだけど・言ったんだけどね」

書いてて訳分からなくなってきたのでこの辺で。

「けか・けえか」は浜松でもようけ使うが「けが・けえが」は掛川言葉という印象が強い。ちなみに掛川言葉の「だけが・だけえが」浜松だと「だけどを・なんだけどを」とかの方をよく使う。

例文

「あれえ?自分なにしにここ来ただっけか。」

「なによをボケただけえ。」

「そこんさあでちっと呼び止められてたらぶっ飛んだ。あれえ?なんだっけかやあ。」

「・・・・・。」

「元んとこ戻ってくるわそうすりゃ思い出すかもしれんで。」

「どうせ大したこんじゃないだらあ?」

暫くして

「おお思いだいた。」

「なによを。」

「電話でえおめええんとこに。」

「馬鹿っつう!忘れるかあ普通。」

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東京DOGS その7

 野球賭博で尚且つ家族の為にといった今までの事件とは異なる日の本的などろどろっとした感情と勘定の入り混じった事件に映りました。以前先輩後輩のどろっとした事件もありましたがあちらとはなんか質が違った陰湿さを感じました。華々しくドンパチあった割には湿ぼったい事件でありました。いつもはカラっとしてた風に思えていたんですけどね。

由岐(吉高さん)との関係性の変化というのもその空気感に輪を掛けているのかもしれないところでもあるようです。 

記憶喪失が鍵となるドラマだと最近記憶が残ってるところでは「歌姫」があるけど。あちらは記憶が全損で欠落した部分が復活すると今の記憶を失うという時限爆弾の妙だったけれどこちらは記憶が一部欠損で欠落部分が復活しても今の記憶を失うことがなかったという次第。

では今回なにを時限爆弾と見なしたのかというとそれは立場ということか。仲間だと思っていたものが実は敵方だったという。

だからといって思い出す前の親密だった態度を翻して人間関係が露骨に敵対するのではなくその関係性を維持したいと願うのか苦悩するという図式でありました。

そういった苦悩するという意味では記憶を取り戻す前か取り戻した後なのかの違いだけで同じともいえなくもないのですが別人28号でいた長さというもので考えると深刻度の度合いがどうもねという感じです。

そういう事からなのか陰鬱な陰を落とすのは由岐の側のせいというよりも奏(小栗さん)の心の持ちように拠る風に取れる訳でありますが。

張り込み中のランニングマシンでのマルオ(水嶋さん)との意地の張り合いも以前なら嗤えたけどなんか無理っぽく映ってドラマ全体が湿っぽくなってきた印象を受けました。

そういう奏のノリの悪い状態でも明るいマルオがこの回の救いという風に映りました。ところで頼んでたケーキ後で受け取りにちゃんといったんでしょうかねえ。

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*あげるやるくれる

対象者によって三段階に使い分けされる表現。まあ間違いなく共通語なのだがそれでも「くれる」を未だによく使う地域として特徴があるのかなと思い記載。

尚、ここで述べる「くれる」は「誰かがやってくれるだろう」とかいう意味使いの「くれる」ではない。「成敗してくれる」とかいう意味使いの「くれる」である。

「物をあげる」を例にすると

「物をあげる」丁重さがある。

「物をやる」まあ普通。

「物をくれる」上から目線。

仏壇にお水を供える時には

「仏壇にお水あげて頂戴」であり

家人にお水を渡す時には

「お兄ちゃんにお水やって頂戴」

ペット用に水を汲む時には

「クロにお水くれて頂戴」

目上とかに「やる・くれる」を使えばえらそうにとなる。横並びに「くれる」を使うとむっとされる。ペットに「あげる」を使うと溺愛と思われる。

敬語っぽくだと「あげなさる・やりなさる・くれなさる」とかだと少しはお上品な感じになる。でも実際は「あげんさる・やりんさる・くれんさる」という言い方の方が普通だけど。

では、「やれることができる」という場合は

「あげれる・やれれる・くれれる」

手伝うだと

「手伝ってあげれる」

「手伝ってやれれる」

「手伝ってくれれる」

と遠州弁お得意の「ら」抜き言葉と相成る。ちなみに「ら」抜きしないで

「あげられる・やれられる・くれられる」

だと「やることが可能な状態だ」といった風にとられ敬語としてとられる可能性は薄い。まあ「ら」抜きと大きな意味の違いはないのだけど。

人に物を頼むような時に「くれる」を使うと一応へりくだっている勢いになる筈なのだが。

「お腹すいたでなんかくれろ。」

実際はとてもそんな感じには聞こえない。このように横柄に映るが気持ちとしては一応へりくだって(自らを卑下して)いるのである。かも。

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*じょうぶい

「丈夫な」・「丈夫だ」などと言っている。三河の衆も使うのを聞いたことがあるし検索しても相当数ヒットするので広範囲で使われる表現であろうが一応遠州でも使ってるよということで記載。

「だいじょうV」とかいうCmから発祥した死語があったが、遠州人には「大じょうぶい」(大きく丈夫な)とも聞こえるというビミョーな言葉であった。なんちゃって。

「丈夫い子だで」(丈夫な子だから)・「こりゃじょうぶいわあ」(これは丈夫だわあ)「大丈夫じょうぶいで心配せんでも」(大丈夫丈夫だから心配しなくても)

例文

「馬鹿じょうぶいにいこれ。」

  (凄い丈夫だよこれ。)

「そんなじょうぶいだ?でも こっちんのも結構じょうぶいにい。」

  (そんな丈夫なの?でもこっちのも相当丈夫だよ。)

「つうか やごいの探す方が大変だらあ。」

  (というか丈夫じゃないの探す方が大変だよね。)

「昔とくらべてばったもん減ったでがんこ選ぶに助かるやあ。」

  (昔と較べたら粗悪品が減ったから随分選ぶのに安心だよね。)

「でもこんだ目移りしちゃってたまらんにい。」

  (でも今度は選ぶのに苦労するようになったんだよね。)

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JIN・仁 その8

 え~とですねえ。どうもここんとこ録画機の具合がイマ一どころかイマ百な状況でありましてまた失敗してしまいまして。でもリアルタイムでは観ていたのでなんだかなあの状況ではありまして。そんなこんなで動顚しつつないつも以上に浅はかな感想となりますのであしからず。でもやっぱ面白かったですわいな。

 で、今回はすねる恭太郎(小出さん)。励ます一同という図。主は仁先生(大沢さん)がヤマサのご当主に器を試されるということでありましたが、恭太郎の苦悩の方が印象に残りました。

恭太郎はこれで得心いったんでしょうかねえ。成す事の大小ではなく相応の役どころを見い出すことこそ誉れなりといった感じでありますがそれで納得できたんでしょうか。帰り道仁先生におぶさられてのお帰りでありましたが、あれは呑んで呑んで呑み潰れて眠るまでなのか泣いて泣いて泣き疲れて眠るまでなのかどっちだったんでしょうねえ。

役どころと言えばの役者さん(吉沢さん)、けれん味たっぷりでありましたなあ。芸の為ならなんとやら。まさしく芸の為だけに生きてるようなお方でここまで徹底してると逆に清々しいと取るかあざとすぎて卑しいと取るか。

恭太郎への用事は聴衆の面前で土下座をさせるという事。もっとねちねちとした要求をするのかと思ったんですが案外これくらいで済んで大金工面できるんならいいじゃんと現代風に考えると思えたりもしてきます。もっともこんなことしたのがお母上(麻生さん)に知れでもしたら腹切れくらい言われそうですけど。それは大丈夫なんですかねえお母上には伝わらないんでしょうねえ。と、気になってしまいました。

そんな武士の恥を請けて困ってる人の為ならと自らの大金はたくなんざ宵越しの銭を持たない江戸っ子ってな感じで粋なことよと知らない人からみればいよっ!てなもんで見事な人気稼業の株を上げることになる。

多分金返済しろなんてけちな事は本当に言わないだろうなと思える程人気を大事にする根っからの役者さんだと見上げたものよといえなくもなし。金より大事なものを持っているということでは敬服する生き様ではありますが。

その分人を踏み台にすることを屁とも思わない面の皮の厚さは人として薄情この上ない。ここまでに登りつめるまでに相当苦い汁を飲んできたようでしたが、だからこそ人に優しくしようという考えになるのではなくだからこそ奈落に落ちぬよう今も貪欲でなければという考えのようですな。普段の人格が芝居に投影しないのかという気にもなりますが。

なんとも見る視点によって判断が異なるお人でしたな。でも芝居を愉しむお客という目線からいけば大した役者だという結論には至る傑物(いなせ)という評価になるんでしょうか。

それにしても悪党の手口はさすが江戸時代。証文詐欺の手口もここまで露骨なのは最早お約束か。

 そして肝心の仁先生の器の試されは、その無私の誠実さが評価されたようでよかったよかった。てっきりホワイトナイトはヤマサのご主人(石丸さん)かと思ってたんですけど澤村田之助だったとは大分意外な展開ではありんした。

それにしても「恩が増えていく」という考えは綺麗だなと思いました。感謝する心こそが人を動かす力だと。

 最後の民の声聞く目安箱ならぬ先の世を知る目安絵見て仁先生驚愕されてたけど、この回の出来事の何が未来をよからぬ方向に導いたんでしょうか。

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紙兎ロペ

 映画じゃないけれどそそられたものがありまして、それは東宝シネマズに映画を観に行くと映画が始まる前に観れるギフトムービーなるもの。その名も「紙兎ロペ」。

その効能は、刺激的なシーンを寄せ集めて観る者に期待を煽る予告編の乱れ打ちという中においてそれらとは真逆の超まったりとした2分弱のぬるい落ち着きを与えてくれる。

鷹の爪のマナーCmもいいけどそれはそれこれはこれといった趣でいいなあ。兎に角気持ちが弛むというかまったりして落ち着ける。

先輩?の横暴が鼻につくとかしたら厭だけどそうでなければ楽しいなこれ。

それと喋り方がなんか静岡県人っぽく聞こえるのは気のせいだろうか。すんごく身近に感じる喋り方だ。

個人的には今日観た海辺で佇んでる光景のものが好きだ。信号待ちでゲームのも面白かったな。で、踏み切りでのものはあまり好きじゃなかったな。

ところで何作あるんでしょうねこの「紙兎ロペ」って。

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*ど その2

弩なのか度なのか定かではないけれど(多分度だと思うけど)遠州弁では「馬鹿」と「がんこ」と共によく使われる「ど」。

以前(その1)でも書いたけど「弩」をはめるとしたらサイズ・規模とか較べる対象と比較してという使い方で、それ以外は度を越すとか度が過ぎるとかいう意味合いの「度」を使うほうがしっくりくるという考えに至るのは私だけか。

「ど凄い」・「ど旨い」とは「大層」・「相当」というニュアンスになるのであるが、全てがこういうニュアンスになるかというとそうでもない。

「どばか」だと共通語のニュアンスでは「お馬鹿」が近い。愛嬌が増すというか意味合いが「大層」・「相当」というものではなくなる。

「ど天才」だと天才を振り切ってちょっと変という感じになる。

「ど頭いい」となると切れ者過ぎて寄り付き難いみたいな感じになる場合もある。

つまり度を越えてしまうと形が崩れるという様を評してる感じになる。もちろん悪口に近い「変態」とかに「「ど」をつけて「ど変態」とかにした場合は「大層」・「相当」という訳が相応しいのであるが、本来褒め言葉であろう物に対して「ど」をつけるとちょっと待て(引く)という勢いになることもある。

最上級で褒めたい場合には「ど」よりも「馬鹿」・「がんこ」を使うほうがそう聞こえる気がする。

「あの人どいい人だにい」というよりも

「あの人馬鹿(がんこ)いい人だに」という方がしっくりくるものである。

共通語でも「馬鹿正直」・「がんこ正直」という言い方はあっても「ど正直」というのがないのと同様なものであろうか。

例文

「あれはどうするよを。」

「ど重いで人集めてから明日やる。」

「これは?」

「ど面倒くさくて気が向かんで後にせすだあれ。」

「それわあ。」

「そのうちやるでいいよ。」

「じゃ今あんたなにするよを。」

「やるこんないで呑みい行くけえ?」

「ホントもう どいい加減でやんなっちゃう。仕事しない。」

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