« 2009年10月18日 - 2009年10月24日 | トップページ | 2009年11月1日 - 2009年11月7日 »

記事の整理

 季候の変わり目に体が対応できないのか、頭がクラックラして眩暈がしたんで。すわ風邪かと市販の薬を服用し早くに就寝したところ。何とか次の日持ち直し、やあ治ったかと思ったのは勘違いで。

2日後に再びよからぬ状態に陥り土日は養生に徹することとする。

つまり火曜にやばいかもで木曜にへいちゃらかになって。で、金曜やっぱ駄目じゃんで今日は家で死んでることにした。ということですわ。市販の風邪薬で好転するんだから流行のなんとやらではなさそうだ。

 まあいつにもまして家に居るということだが、はてさてさしてすることが見当たらない。掃除を含む部屋の片付けとか無理に探さなくてもすることは本当はいくらでもあるのだが「面倒くさい」ものは無理したら風邪がこじれるという言い訳を念じて目をつぶる。

動き回らなくともいいことといったらテレビ観てるかパソコン弄ってるかだけど、今日はものの見事に見たい番組がない。録画したのを見直すにも気力が足りない。

したがって残されたことは「寝る」か「パソコン」。まず「寝る」方を選択したのだが寝てたら今年に入って家に居つくようになった猫が添い寝しに来て重いし熱いしで寝てられない。猫って本気で寝ると「暑い」というより「熱い」という勢いを感じる。こりゃ今年の冬はいつもより暖房費節約できるかしらん。

で、残された手段「パソコン」を今弄っている状態。新しい記事のアイデアも無いのでブログをちいと整理しようかと。そしたら下書きが450件以上溜まってた。こりゃいかんと削除を主にした整理をすることにした。なんだよを、結局つまるところ目をそむけた掃除をしなくちゃいけないんだ。まあ身から出た錆びだから仕方ないけど。

全くもって今となっては何を書きたかったんだか自分でも分からない記事5件削除。

完全に時を失した内容の記事3件削除。

最早メモでしかない未完の記事を「めも」に集約が12件。

どうしようか扱いに迷う記事が3件。

そうすると残りは、え~と430件辺りか。え~い面倒だ全部一気に公開しちまえ~ってな風にはこれがならない。

メモのレベルではないが未完のものが殆どなのだ。つまりなんだろう起承転結でいうと起承くらいは書いてあるんだけれど転結が思い浮かばないもの。

書いたけどこれでいいのか?という自問自答に答えが出せていないもの。

そんなのばっか。

遠州弁ネタに関しては出しても問題ない完成したものが多いけれど、一日一投稿という掟を自分に課しているんでなにも思い浮かばないことがあってもストックとして数があるのは心に余裕が出るからという出し惜しみなんでこれはしょうがない。

つまりああだこうだ理屈をつけて、削除するにはもったいない、かといって完成できない、だから公開できないってものばかりだあな。やらんよりやった方がましとはいえ実りの秋にしては成果の無い整理作業だぞこれは。理想は100以下少なくとも200までに留めておきたいが後200削るのは骨が折れるぞ。こりゃ無理したら医者行くのに風邪で行くより骨折治療で行きかねない。どこがって?そりゃもちろん倦んでる頭蓋骨ってか。

でもこれで私という人間がよく分かった。私は「散らかし屋」だということが。食事は少しづつ食べて残すという「喰い散らかし」。本やDVDとかは法則も信念も方向性もなく「買い散らかし」で「読み散らかし」。服は「脱ぎ散らかし」、雑誌は「置き散らかし」。会社でもあんたの机は「散らかしっぱなし」とよく言われたっけ。

今、なんかのCmで「ぱなしはなしというはなし」とかいうCmが流れてるけど言い様を替えればそれはモロ私に対するあてつけか?

まあこんなとりとめのないことだらだらと書いてるのは頭が風邪に冒されてるせいかもしれないと言い訳しとこう。でもホントちびちびでもいいからなんとかしないとこのペースで量産してくと整理しようという気力が完全に失せかねないな。記事の総数約2.700の内下書きが400を越えるってのは普通なのか?違うだろうな多分。

まあとりあえず過激な量(内容はスカスカですが)の記事をいちどきに公開する時があるやもしれませんがそれはこういう理由だということで。決して閉店セール一挙在庫放出とかいう理由ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

アンタッチャブル その3

 いきなりお金が空から落ちてくる。それを我先にと拾う人々。こりゃ「落ちてくる」というより「堕ちていく」という表現の方が的確だなあ。あさましいったらありゃしない。もちろん自分がその場に居合わせたら同じことしますけど。

話しは逸れますが

「あっそこっ右に右折」・「根拠の無い邪推は止めて」などなど

余分というか重複表現がやたら目立つドラマです。意図的な印象を受けますがその効能はどういうところにあるんでしょうか。ギャグにしては笑えないところです。

で、本題に戻って。

空からお金が落ちてくる。誰が何の為に?

川から死体が上がった。誰が何の為に?

整形疑惑を追え。真か嘘か。

告発文書現る。嘘か真か。

それぞれバラバラと思える出来事も一人の人間を軸にすれば繋がるという展開。鍵を握る女性の証言。その女性曰く。

「信じていいんですか?」重く深い言葉ですなあ。

自分の経験で直接記事にされたとかいうことは勿論ない平々凡々な私ですが、よく知るところが記事にされたことはあります。それで思ったことは、まさに「ものはいい様に書き様ひとつ」だということを感じました。

「信頼」というものを記者に求めるのは無謀であり、「真実」は星の数ほど角度を変えればあるもので。

「信じていいんですか?」を「私の伝えたい事を記事にしてもらえますか?」と置き換えて考えてみればおそらく答えはノーじゃないかと思うんですよね。

などと思いながら観てたら話し始めた訳でありまして。話しの辻褄は合うんですが個人がやるにしては嘘っぽく聞こえてしまいました。だって一億円あればトンズラしないまでもかっさらって隠匿してしまえばそれだけでも溜飲さがりますから普通の人間だったら。それを惜しげもなくばら撒くなんざ人情ってものが欠けてるような気がしたんですわ。

ほしたら、シナリオから闇の組織が仕組んだ単なる実行者だったというオチだったんでそれならと納得いきました。それに「信じていようがいまいが」伝えれば使命を果たせたんですから。

その後の顛末はホラー観てるようで不気味でどよよんとした気分になりますなあ。あんなことされて個人で立ち向かうには勇気を超越したなにかがなければ心が持ちませんわな。鳴海(仲間さん)さんはどっかぶっとんでますから大丈夫なんでしょうかねああいう障害とかにも。

闇の組織が永倉(寺島さん)だとしたら3話にして概要(対峙する相手)が見えてしまったことになるのですがあまりにも如何にも過ぎてかえって疑わしくなってきますなこりゃ違うぞと。さてどうでしょ。

続きを読む "アンタッチャブル その3"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*はあどんくらいんなるよを

「もうどのくらい経ったんだろう」と言っている。そんな露骨な方言チックなものではないのであろうがよく使う言い回しなので記載。

素直に質問としてどれくらい?と聞くこともあるが、こう言いつつ自分の記憶を思い出そうとしてることの方が多い。だからといって思い出すのを待つ必要はなく答えれるものはさっと答えても気分を害されることは無い。

思い出さなければ「ああそう、そうだっけか」。思い出せば「そうだったそうそうあんときゃあ」とかいう事になって次に進むものである。

ちなみに「はあどんくらいなるね」という「よを」が「ね」に変わる言い方(他には「よ」)もあるが年長者の発言なのでタメ同士や目上に対して発するとムッとされることがある。もっとも農業が盛んな辺りではこちらの方がよく使われるみたい。なので集落によってそのニュアンスは異なるので一概には言えないのではあるが無難な線では「よを」を使うのがいいかと。

「ね」以外では「だあ」・「だや」・「かや」とかがある。

例文1

「こんにちわ。お久し振りです。」

「おおこりゃあ久しぶりじゃん。元気してた?」

「おかげさんでなんとか息してますわあ。」

「引っ越いてはあどんくらいんなるよを。」

「はあかれこれ4・5年ですかねえ。」

「そんな前だったけか。あっちゅう間だなあ。」

「ほんとわけないっすわ。」

「まあたまにゃあ顔出しい。」

「あ、有り難うございますう。それじゃあどうも。」

「どうもねえ。」

例文2

「こんにちわ。お久し振りです。」

「おおこりゃあ久し振りじゃん。元気してた?」

「おかげさんでなんとか息してましわあ。」

「引っ越いてはあどんくらいなるよを。」

「はあかれこれ4・5年ですかねえ。」

「おおそうだった。そうゆやああんときゃいきなしでドタバタしとったなあ。はあそんななるう。わきゃないなあ。」

「まあ急に転勤決まったもんでねえ。ホントあんときゃご迷惑掛けました。」

「いやあ。まあ時間あるだら?茶あでも呑んできない。」

「今日はちょっと。またちゃんと来ます。女房も挨拶したいみたいだもんで。」

「おおそうけえ。歓迎すっで近い内寄りない。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*さくらご飯とさくら棒

 いやあ知らなんだだあ。さくらご飯とさくら棒が遠州独特だったなんてやあ。

あまりにも当たり前過ぎてだったんで目から鱗ですわあ。秘密の県民紹なるバラエティ番組で浜松の雄袴田さんが出るっつうもんで見ただけえが。ほんとかえ~だわ。

 さくらご飯はよく仏壇に飾られてたからそういう類の儀式のおすそ分けなんだろうなとは思っていたけどまさか遠州だけが馬鹿はやりだったとは。番組でも言ってたけど辞書にも載っていたんで全国津々浦々だとばかり思ってたわあ。

それに普通コンビニでのおにぎりや弁当にでもさくらご飯の種類のものがある。コンビニといったら全国均一という穿った意識があるから地域性が顕著というのはやっぱ嘘だろうという気が今でもあるくらい。

ところでさくらご飯が人気がある理由は、番組では左程強調されていなかった風に映ったけど、一番重要なのは「おこげ」である。コンビニで買えるさくらご飯はお行儀というか商品管理が徹底しているのかそういう調理をしているのか知らないが「おこげ」がない。というか気づかないので正直美味しいと舌鼓打つほどのものではないだいね。

さくらご飯はご飯を炊くときにお水の中に醤油とお酒を入れてお米を炊くという具の無い五目御飯みたいなもの。

美味しいさくらご飯とは「おこげ」にあり。みずっぽい事を遠州弁では「しゃびしゃび」と言うのだがしゃびしゃびご飯では普通にしか過ぎないのである。具がないんだから食感が普通のご飯と同じだったら中途半端なのである。あくまでカリカリ「おこげ」を追求することがさくらご飯の美味しい秘訣なのである。これ重要、いやホントに。

 さくら棒。実はうちらは単に「お麩」と呼んでいて「さくら棒」というのは始めて知った勢いなのでテレビ見てて最初「さくら棒?なんのこっちゃい知らんなあ」とツッコミしつつ見てたくらいでありまして。いわれてみれば確かにその通り、「これこれ」でしたわ。そんで全国的な普通の「麩菓子」は初めて見たにい。かりんとうの化けもんかと思った。

食すと口の中がパッサパサになるのでひたすら黄いないミルクセーキやラムネやみかん水といったジュースとセットでぱくついてたなあ。水道水で口の中を潤すとあまり旨い気がしなかったしお茶との相性は超微妙だったっけ。アイスというかシャーベットを乗せて試しに喰ったことをガキの頃したけどこれも微妙だったなあ。

 なお、この記事まるさら遠州弁で書こうかとも思ったけど分かりづらいだろうから隠し味程度にしときました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*はっつく その2

「ひっつく」・「くっつく」は辞書に載ってるけど「はっつく」はない。

「はっつく」は「張り付く」の変形だろうというのは私でも分かる。

「ひっつく」(引っ付く)ぴったりとくっつく・男女が親密になる

「くっつく」しっかりとついて離れない状態になる・男女が親密になる

と、辞書にはこういった風に書かれていた。繰り返すが「はっつく」は辞書に載っていない。

「ひっつく」を江戸の人間が「しっつく」と訛るということは想像できるが

「はっつく」は一部の地域で訛ったものだとも思えない。

「はっつく」って方言なのか?ちなみに遠州では「張り付く」より「はっつく」を多く使う。

むしろ「はっつく」と言わない地域があるのだろうかという疑問が生じる。ということであるが一応遠州でも使うよということで記載。

例文

「やあ、ガムんはっついちゃっててとれやあせん。」

  (あ~!ガムが張り付いちゃっていて取れないよ。)

「縁石かなんかにこすりつけりゃ落ちんけ?」

  (縁石とかに擦り付ければ落とせるんじゃないの?)

「シャツだもんでそりゃ無理だあ。」

  (シャツだからそれは無理なんだ。)

「どれえ、見してみい。・・・おおこりゃがんこだの。」

  (どら見せてみなよ。・・おおこれは相当だなあ。)

「だらあ。もうホントやっきりこいちゃう。」

  (そうだろ。もういやんなっちゃうよ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

不毛地帯 その3

信念の為に(帰る)手段を選ばなかった人が

目的の為に(どんな)手段も選ばない人になる。

軍人から商社マンへの変遷はお気楽に観ている限りではそう映りまする。

これで軍人としてそのエリートの様がもっと描かれていたらこの人はどういう人なんだろうという事に興味がいってしまって物語りは個人の伝記と化してしまうんだろうな。本筋がビジネス戦争で闘う男達の話しであるのだとしたら、主人公ばかりに注意がいってはいけないのかもしれない。でもやっぱり今のところは壹岐(唐沢さん)のケツばっか追って観てしまいます。それでいいのかしらむ。

で、その壹岐はというと、時として発せられる偉いさんを偉いさんと思わぬ発言は支社長(岸部さん)をカチンとさせたり、部下の小出(松重さん)からは黙しきれず名が挙がったりと。ある意味「信頼」・「思い遣り」という言葉が欠如してる風にも映った回でありました。

打つ手は全て上手く行くのに周囲から亀裂が生じてこぼれて行くみたいな。

どこかで一念発起して「信頼」・「思い遣り」という言葉が辞書に載るような人物へと変遷されていくんでしょうか。今のところこの人についていこうという気にはなれないんですけど。そういう人のケツについて観てるからなんかしんどく思えるのかなあ。

この回カッコ良かったのは新聞記者の田原(阿部さん)でしたなあ。猟犬としてのいやらしさをプンプンさせながら記事のためなら損得棄てる使命感。なんか確固良かったです。

小出さん言っちゃいましたなあ。あらあらでしたなあ。信頼する人物が家族というのも友達いないのかなとその隠密に徹するが故の切ない定めを感じもしました。でも非難する訳じゃなくて刑事さんの責め方も上手いからそうだよなあ自分でもああいう状況だったら喋っちゃうよなあとは思いましたんでしょうがないという感じがして観てました。

おやおやということでは娘の直子(田部さん)の彼氏が鮫島氏(遠藤さん)の息子という奇遇。こんなんアリかい。ドラマみたい。今後ロミオとジュリエットの存在は両方の親にとってどういう意味を成していくんでしょうか。

まあとにかく今回は閉塞に満ちた展開に加え夫婦喧嘩まで起きる始末で観るに忍びない感じでありました。なので今回のは見直しせず感想書きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*しぬ

もうへとへとで「死にそう」と呟くのが共通語なら

遠州人は「死ぬ」と言う。

バタンキューな状態を「精根尽きた」と評すのが共通語なら

遠州人はそれを「死んだ」と言う。

「もう限界だあ」と白旗を揚げるのが共通語なら

遠州人はこれを「はあ死ぬう」と発す。

「それは無茶だろう」と諌めるのが共通語なら

「あんた死ぬにい」と物申すが遠州人。

へとへとなのを「くたばってるんじゃないよ」と突っ込むのが共通語なら

「死んでちゃかんて」と突っつくのが遠州人。

生死の生き死にとは関係のないところで、遠州では人は何度も「死んでる」。

あえて訳す必要はないだろうが、一応。「もう駄目限界」・「これ以上は無理」と音を上げてるというSOSの表現。もちろん本当にアウトならこんな事を言ってる余裕はないのであくまで冗句(減らず口)のひとつである。

まあこういう言い方は全国的なものだろうから方言の中に入れるのは間違っているけれど、頻繁に飛び交う(口癖みたいな)表現なので一応記載。男女共用で使われるがやや男用寄りであろう。

「あいつは今盲腸で死んでる」となれば「盲腸で休んでる(寝込んでる)」といった使い方も平気でする。軽い病なら通じるが洒落にならない病だと誤解を生じることが多々あるので注意が必要ではある。

遠州弁の感覚で「しにそう」だとまだ絞れるくらいの余裕残しと受け取られる。

「おい大丈夫か」という場合、「やあ死んだだ?」・女性だと「ほい しんでちゃかんに」とか聞かれて「はあ駄目死にそう」と応えたら「な~んだまだやれるじゃん。」と思われるということ。

当たり前の事だが、「○ね」という言葉は場の空気を闇に落とすもので共通語であろうと方言であろうと書き込みであろうと相手に向けて発して良い言葉ではない。

例文1

「徹夜は堪えるわあ。やっちゃおえんの。」

  (徹夜は堪えるなあ。やるもんじゃないね。)

「まだやれっつうなら わし ホント死んじゃうにい。」

  (まだ続けろってならマジで俺駄目だ。)

「そうけえ まだいけそうじゃん。あいつなんか見てみい、はあ 死んでるにい。」

  (そうかい?見たとこまだ大丈夫そうだけど。あいつ見てみなよ。もうすでにダウンしてるぜ。)

「ひとりだけ楽してけつかるなあ許せん。・・・やあ 起きよやあ。死んでちゃかん!」

  (ひとりだけ夢見心地なのは許せん。・・・おい、起きろよ。寝てるんじゃねえ。)

例文2

「こんだの日曜なにしてるよを。」

  (今度の日曜は何する予定?)

「なんもせんよ。家で死んでる。」

  (何しないよ。家でぼ~っとしてる。)

「どっかいきゃへん?」

  (どっか行こうよ。)

「めんどっちいでよすわ。」

  (面倒くさいんで遠慮するわ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ギネ・産婦人科のおんなたち その3

 空耳アワーじゃないけれど、「ギネー ギネー ザ ホンキイトンク ウーマン・・・」なんぞと歌詞の意味無視して口ずさんでしまうほど生き様ぶっ飛んでるなあと。大切ななにかを犠牲にして医者を続けてる姿に対して「ぶっ飛んでる」という表現は失敬にあたるんでホントは自己犠牲のもとに成り立っている現状とすべきだろうけど。

それとももっと穿って「ギネー ギネー ザ本気 トーク(会話) ウーマン」か。柊(藤原さん)と君島(松下さん)のやりとりはまさにマジモードで切実ですからねえ。

芸(仕事)の為ならなんとやらはなにも芸人の世界に限ったことではないということか。家庭を顧みれないということでは企業戦士と呼ばれる人達も同種なんだろうから。ある意味医者に限った問題じゃなく社会の仕組みが全てすさんでいるんだろうな。昔の時代とかと較べれば不合理は減っているのだろうけど不条理は増してるような気がする。

 この回で柊先生の人格の歪みみたいなものが、医者をやってるうちにかくなりきではなく、その生い立ちに拠るものだということが提示されていて少しほっとできた気がしました。仕事上のトラウマからこうなったんじゃやっぱ命を預ける側からして見たら大分引きますからね。

 ところで大量出血による輸血で「完全に入れ替わった」と呆然と発したセリフが耳に残っているのですが、そうなるとどういう影響が及ぶんでしょうか。そういうのは特には無いみたいでしたけど。そりゃ確かに冗句のひとつでも言って聞いて見たくもなりまさあな。

 私の記憶力が乏しいということもあるのですが、この数の登場人物が動き回るのならばクレジットの役名と役者さん名を併記して流して欲しいですな。未だに看護師長さん始め看護師さん達の役名が覚えられないし役者さんの名前が分からない。出世レースは誰が勝つ?という井戸端会議で俎上に乗った君島先生のライバルが誰の事だか観てて分からず観直ししてHPで探してああこの先生かあと分かった次第で。

 教授(國村さん)を先頭の大名行列の光景というか教授に対する気の遣い具合がやけに痛くてこういうことにも神経費やさなくちゃいけないのは大変だなあと。医者の心労を少しでも楽にしてというのならああいうのを止めにするとかいう自助努力も必要なんじゃないかとふと思ったりなんかして。エレベーターのボタン押しひとつでも気を遣うなんて私には勤まりませんとても。

教授がらみでもうひとつ挙げれば、あないなイレギュラーが重なっててんてこ舞いの状態で緊急招集かけて対応してたけど、教授にはお声のひとつも掛けないというのはそういうもんなんですかねえ。

でもサプライズな誕生会だったと嬉しげにしている教授の姿は清々しかったです。

 すげえ生意気な妊婦が運ばれてきたと思ったら君島先生の同期だったというオチは面白かったなあ。その後の君島先生の行動と言動も面白かったです。もう完全に悪い患者の見本みたいな扱いで。でもただお騒がせ患者に留めないで教授が来て優しくなだめ殊勝になるサポートもしっかりあって。決して悪役にさせない配慮も感じられてよかったです。

 これで終わりか。今回は後味爽やかに仕事した~。あれ?教授の誕生会!しまったあ。とかいう微笑ましい感じで終わるのかなあと思ったんですけど。

「どっから出て来たんだ?」という問いかけで次回に続くというのはホント停まらせない展開だこと。

続きを読む "ギネ・産婦人科のおんなたち その3"

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*はんぶっこ

「はんぶんこ」と言うのが共通語だとしたら。

遠州では「はんぶっこ」と言う言い方をする地域であるということ。広い地域で言われるので特に地域性がある訳ではないが。遠州で使っても通用するよということで。もちろん「はんぶんこ」も使う人がいるという混合地域でもある。

言葉の意味については説明しなくてもと思い省略。男女共用の言葉。

ネットで調べると幼児言葉(幼児に向けて発する言葉)と記載されてるところがあって、確かにと思うが、遠州人は未だ幼児性が抜けないのかええ歳した大人でも親しい同士なら普通に使っている。

「もちっこ」(持ち合う)・「はんぶっこ」・「かえっこ」(入れ替え)・「うそっこ」(うそ)などなど

「~っこ」という表現は遠州弁と相性がいい。

「半分にして」という言い方は他には「はんぶんつ」・「はんぶんっつ」という言い方がある。「半分づつ」という言い方の略形と推測される。こちらの言い方は幼児言葉ではないので親しくない人に対しても言っても差し障りがない。まあこれも広い地域で使われている言い方であろうが。

例文

「かえっこしまい。」

「やーだよ。」

「じゃはんぶっこしまい。」

「やなこってえ。」

「冷たいじゃん。」

「自分の使やあいいじゃん。」

「そっちん方がなんかいいだいね。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

東京DOGS その2

 日の本で拳銃ぶっ放して画になるのは、バカボンに出てくる「ホンカン」か両さん。古くは西部警察くらいなもんかと思ってたけど。

高倉奏(小栗さん)というキャラはその輪の中に追加してもいいと思えるくらいの爽快なぶっ放し様だ。背広を愛用するのもマスターキートンみたいで実践を潜り抜けてきたプロっぽいし。それと家庭環境のギャップ(まあお母さんが理由だけど)があって。なんかアリに思えてしまうというかこんな奴いたら面白いよなあと思えますです。

で、第2話。冒頭の会話があまりにもくだらなくて緊張感の欠けらもないとこがなんと申しましょうか。好きです。

親父を嫌う男の子の心境は、自分も最強の反面教師だった父親は嫌いでしたから理解できるところです。もっともこのドラマのような仕事の為なら家族も泣かすが社会的には成功者という部類の人ではなく呑まれる打ち込む買う度胸もないという下から数えた方が早い部類の親父ですから比較すること自体間違ってはいますけど。

でもまあこの弁護士様も「悪徳」という言葉が頭に付くみたいで自慢の親という訳ではなさそうですな。

子供がゲームがどうたらこうたらとごねる様観てなんだよこいつも今はやりの唯我独走の予備軍かあと思ったんですが、高倉(小栗さん)の説得で変化したとこはよかったなあ。子供だからという甘えを許さず一人の男として道理を説くという説法は自分に責任を持てと諭してるようですっきりした部分大でありました。父親が一人前として扱うのと他人が扱うのとでは全然その伝わる意味が異なるんだよなあ。怒るにしてもそうで誰彼構わず是々非々で怒る頑固じじいの存在価値と同じなんでしょうかねえ。経験値から言うとうざい限りなんですが必要なんでしょうねきっと。そういうことを高倉が行ったという図なんでしょうか。

ところで松永由岐(吉高さん)は敵か味方か見方が判らなくて微妙ですわいな。今のところ仲良くやってるけど記憶取り戻したら追ってる組織の一味だったなんてパターンだったらいやったい話しなんでどこまでその愛嬌を愉しんでいいのか判らないって感じです。存分に愛でるならその揺るがない立場がなんなのかというのを早めに提示して欲しいところですけど。先週自決した一味の人間は知り合いみたいな口ぶりでしたから一概に被害者という訳ではなさそうなので気を許して観ない方がいいのかな。

でも精一杯守った挙句が敵だったなんてのは観たくはない光景ですからねえ。そうならないことを願うところです。

舞島(大塚さん)の不退転な決意のイエスガールぶりもなんら悪びれるところがなく明快で。ここまでくるとホント笑うしかないところがまさに毒を喰らわば皿までという勢いか。この突き抜け具合が魅力です。ここまでくると厭味が失せるというか。

話しを戻して不協和音の親子。親の心子知らずというけれど、自分が親と同じ歳になれば理解するという後の祭りを謳った格言だろうけど、それは自分の事を精一杯生きて家庭を省みない親には当てはまらない格言だと思うのです。

このドラマでは最後子供を想う気持ちが勝って(目覚めて)良き父親に変身しましたけど、仕事上のトラブルでもう仕事が嫌になったくらいでなきゃなかなか目覚めて殊勝にはなれないでしょうに。とにかく雨降って地固まるでよかったよかった。

追っている組織の解明については大きな進展がなかったように見受けられましたが私が見落とししたんでしょうか。ちょっと気になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*シーチキン

ツナ缶の代名詞で全国的な言い回し。まあ遠州弁じゃないけど。

はごろもフーズはしぞーかの清水にあり、そういう地元近隣という状況によって浜松ではマグロの油漬けといったらなんでもかんでも「シーチキン」と呼んでるといっても過言ではない。

全国的に「シーチキン」で通用するので方言ではないがその徹底振りは他県の比ではないであろう。ネットで調べるとシェアは全国では5割程とあったので他県では「ツナ缶」とか「マグロフレーク」とかいうこともあろうが、極論だが浜松ではたとえはごろもフーズのものでなくともなんでもかんでも「シーチキン」と呼ぶ。

したがって「シーチキン取って」と言われて他のメーカーのツナ缶をほいと渡しても「違うじゃん」と言われたりする事はない。逆に言えば「ツナ缶取って」と言われても一瞬なんのことかピンとこないということである。

例文

「あのさあ。いくらあせって作ったっつったってレタスにマヨネーズかけてサラダっつうのは芸がないらあ。」

「じゃなによを醤油でもかけるだ?」

「せめてさあシーチキン入れるくらいはして欲しいやあ。」

「醤油はかけんだ?」

「いや、かけるけどさあ。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

JIN・仁 その3

 あらまあ先生までころりところりに感染してしまったわいな。医者故の避けて通れぬ試練なりて、まさにサンタルチヤな惨たる地位や。おお!それ見ぃよ。なんちって。

あえての不注意ではないにしても自暴自棄の想いがどこかにあったのか心労重なる日々の最中に寸暇を惜しんでの騒動の対処にどこかしらの粗漏があったのか。

いずれにしても戻ってこれて良かったねという気にさせる迫真の病気と闘うシーンでありました。

ころりの終焉は感染を防ぐ手立てにより為せたとして点滴治療は左程陽の目を見なかったみたいな風に映りましたが、これは南方仁(大沢さん)これに在りと名を馳せるのを防ぐ為のものでもあったんでしょうか。今後どうなるのか知りませんが名声を得た後幕府に呼ばれて御殿医とかになっちゃったら物語になりませんもんね。知る人ぞ知るという程度でひっそりとというのがいいんでしょうねきっと。

話しブレますがこの前の時代の西洋にタイムスリップしてたら魔女裁判で磔にされてたかもしれないですね。あまりにも見たことも無い面妖な理屈と手練手管で事を為すんですから魔女と判断されかねないでしょう西洋じゃあ。日本だからこそ有り得る話しということになるんでしょうか。まあまだしっかりした後ろ盾が無いと思われる分怪しい奴よと番屋にしょっ引かれてなんかされそうな可能性とかは否定できませんが少なくとも存在そのものは納得してる人の方が多そうです。医者だから尊敬される職業だから大丈夫なのかな。

歴史を変えてしまうのではという危惧は、人一人が少しくらい動かしたところで揺り戻しが起きて元に戻りる。決して小さな力ごときで変わるような繊細なものではない。元々人は精一杯生きることしか出来ないのだから。だったら抑制することなく己の本分を全うするのだという決意。

 いよいよ覚悟を決めた現代医療の知識を持って迷いなく江戸の人を救うという展開に進んでいくんでしょうか。一歩でも医療の進歩を早めて患者を一人でも多く救おうという決意。

来ちゃったもんはしょうがない腹決めて郷に入れば業に従うぞという戻りたいと我が身を嘆く心を払拭したってことなんでしょうか。

ところで前回で頭をどうするのか。坊主か髷か。選択は髷を結うことで。まあ良かった。

あの写真は歴史の歪みを表わす目安というかバロメーターなんですかねえ。助けた命が辻斬りで尽きたら写真が元に戻っていたみたい。

咲(綾瀬さん)には自分は未来からやってきたということを明かした訳ですが他の人には一体どの程度明かすんでしょうか。名も無き庶民ばかりならなんでもアリでしょうけど歴史上大仕事をした人物と関わっているだけにその匙加減が気になったりもします。

 それにしても史実なんだろうけど暗殺しに行ったら翻意して弟子にしてくれと頼むというのは言うほうも言うほうだけど受けるほうも受けるほうだよなあと、いかにもうそ臭い出来すぎた話しだよなあ。これが本当だってんだから事実は小説よりも奇なりだあな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

なにしたいんだ?このブログは

 自分がまだ忘れかあってる遠州弁はないかと遠州弁を探るべく暇あらば「遠州弁」で検索しているのですが。

自分の記事が検索結果の中に有るのは面映い想いもしたりとかするんですが。あれ?どっかで見た様な文章だな。え?これって私が記事で書いた文言じゃないの。なにこれ?全然違うブログだよなあ。

ってことでそのブログに行ってみる。すると全然意味の繋がらないというか色んなブログ記事の寄せ集めを継ぎはぎで作られた意味不明な文章の記事で構成されたブログだった。おそらくなんかのキーワードで関連する記事を寄せ集め、それを一定の屁理屈で抜粋抽出して羅列するという管理人の判断が介在しない機械的なものなのだろうかと推測される。私がみたのはどうも「動物」をキーワードにしているらしい。別のでは「遠州弁」ってのもそうか。ひとつじゃないんですよねうじゃうじゃ在って。ぱくった部分が同じだけどブログが違うってのもあるし。

実物を見れば一目瞭然なのだがそんな不気味なのを紹介とかするのはいやったいのでしないけど。

まったく繋がらない日本語の文章を一体誰に見せて快とするんだろうか。とても理解に苦しむ。引用という枠ではなく他人の褌で相撲取る状態の殆どパクリじゃないかこれは。私みたいな超無名人ならどうってことないけど有名人さんのブログからこれしたら洒落にならない結果になるんじゃないかと思えるけれど。

以前ブログペットなるものが同じようにこういった類の訳の分からない文章を作り出しているのを見て「きしょい」と感じたことがあるが、あれはまだ自身のブログ内の文言の範囲だけだったので好きにしてという気になったけれど。

他にもよく見かける他人の記事を紹介という名目で列記してるだけのブログはまだ可愛いもんだと思えてくるほど気色悪いことです。つまり列記は作者のブログ名とかきちんと謳ってますけど今述べてるのは元が一切謳われておらずあたかもブログの管理者がさも書いたかのような体を為しているのです。(全然文章に脈絡がないけど)

今度のは本来の作り手の与り知らぬままに文章が勝手に改竄されて使われているのです。しかもタイトル替わるだけで中の文書はどの記事も変化なく同じものが羅列されてる。それがほぼ毎日更新されてる。

一見アフィリエイトで稼ごうという風情でもなし、一見ウィルスでもかます悪意とも見受けられないんで人畜無害という気はしてるけど本当のところは大丈夫なんでしょうかねえ。とにかく存在は不気味だ。正直関わらない方が身の為だと思うのだが如何せん勝手に私の文章が使われている。

世の中いろんな人がいてもいいのだけど、全てにおいて理解に苦しむことをする人ってやっぱ怖いよなあと。それに自分が知らぬ間に関わらされているってのも不気味このうえない。

なんかの進歩の為の実験かテストならきちんと分かるように表示すべきでしょうに。信頼や信用ってまず理解あってこその話しだと思うんですけどね。

ホントなにしたいんでしょうこの一連の意味不明ブログは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2009年9月のコマーシャル

 先月に引き続いてコンケルドのサンバーンを記事にしたところのアクセスがダントツに多い。だるそうな暑い~というセリフと背後に流れる聞きなれない類の音楽が印象的なんだけど、個人的にはなんかよく分からんコマーシャルで「へんちくりん」という感じなんだけど、えらくウケがいいみたいだ。世の中何が受け入れられるのか分からんものだと。

 この月で結構印象に残ったのは缶コーヒージョージアのコマーシャルかな。

「プールサイド編」と銘打たれているバージョンでありますが。世間一般では片瀬さんのインパクトがということみたいですけど、私は小出恵介さんの作業着姿がインパクト強しでありました。似合ってると言うかなんというか叩き上げの現場一途というよりも大学とか出てから現場勤めしてるみたいな背景が浮かび上がってくる感じがなんかいいんですわ。しかも着こなしてるというか空気が馴染んでるというか。とにかくその自然でリアル(実際居そう)な感じながら画になる姿に見入ってしまいました。

小奇麗なお顔でおられるよりも顔に泥がついてるくらいなのが映えるってことなんでしょうかねえ。そういう意味では古風な日本人らしい(汗水たらして働くことが絵になる)という顔立ちのお方なんでしょうか。

 パルコのコマーシャルは摩訶不思議でした。

髪の揺らぎが仮想的な動きでしかもつくりものっぽいあざとさがなく。つい見入ってしまいます。久し振りにどうやって撮ったんだろうと気になりました。

 P&Gの「さらさ」

お人形さんのキャラが印象に残るコマーシャルであります。こういう人いるよねえという感じですが、じゃあいざ役者さんがこの役を演じたらこういったパッと見穏やかそうで茫洋としてるけど発する言葉はチクリとこまっしゃくれて厳しいんだけど可愛らしく映る賢い消費者きどりのキャラ厭味なく演じられる人いるのかなと思ったりなんかして。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

*ねれんとねえれんの違い

「寝れない」という意味では同じ言葉であるが遠州弁でのニュアンスはそれぞれ異なる。もちろん厳密な使い分けというのではなく、共通語としての「寝れん」は万能に使える表現なので使い分けのルールは非常に曖昧なものであるが。以下は個人的な考えによるものであることを付け加えておきます。

尚、「ねえる・ねえった」の記事は「寝入る」の訛った表現として説明しておりこの記事の説明とは言葉が違うものであると言い訳をしておきます。

 「ねれん」

眠れない・寝付けない

「うるさくて寝れやへん」

 「ねえれん」

寝ることが出来ない・床に付けない

「忙しくて寝えれやせん」・「寝えってる暇んない」

では、「うるさくて寝えれやせん」と言った場合

布団に入る前からうるさいということになる。

「うるさくて寝れやせん」は

眠ろうとしたらうるさいのが気になりだしたということを意味する。

つまり「ねえる・ねえれん」という言い方は「ねえいく」(寝に行く)という言い方のように睡眠そのものを指すのではなく寝るという行為を指すものであるということ。細かく補足的に訳せば「ねえれん」は「寝れる状態じゃない・寝てる場合じゃない」とかいう意味合いで使われるということ。

「寝る・寝れん」は遠州弁ということでは睡眠を指す言い回しが主体であろう。

「よう寝た」は熟睡したということであり、「よう寝えれた」だと寝るのにいい環境だったというニュアンスになる。「眠った」でいえば「眠った」と「眠れた」の違いみたいなもんか。

では「でれれん云々」の記事で説明した理屈で「ねれれん」という言い方は在るかというと、それは存在する。「ねれれん」の意味合いは「ねれん」と同じであり「でれれん」と「でえれん」のニュアンスの違いもこれと同じであろう。

例文

「ここんとこ残業続きで疲れたらあ。今日はちゃっと帰って休みない。」

「それがのっ。あんねえガキ連れて帰って来てけつかるもんで どうるさくて寝えれやせんだよ。」

  (それがさあ。姉貴の奴が子供連れて帰って来てるもんだから騒々しくて寝れないんだよね。)

「そりゃしんどいこんだの。でも横んなるだけでもちったあ違うだで寝れんくても寝えった方んいいにい。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2009年10月18日 - 2009年10月24日 | トップページ | 2009年11月1日 - 2009年11月7日 »